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最高裁判所第一小法廷 平成21年(受)1661号 判決 2010年9月09日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人藤田和也ほかの上告受理申立て理由について

1  本件は,第1審判決別紙物件目録記載1及び2の各土地(以下「本件各土地」という。)の転借人が本件各土地上に所有する同目録記載3の建物(以下「本件建物」という。)につき,根抵当権の設定を受けていた被上告人が,本件各土地の所有者兼賃貸人又は賃借人兼転貸人である上告人らは,被上告人に差し入れた念書をもって,上記転借人の地代不払などその借地権の消滅を来すおそれのある事実が生じた場合には被上告人に通知をし,借地権の保全に努める義務を負う旨を約したにもかかわらず,上記義務を怠ったため,本件各土地の転貸借契約が上記転借人の地代不払を理由に解除され,本件建物が収去されて上記根抵当権が消滅し,被上告人が損害を被ったと主張して,上告人ら各自に対し,債務不履行等による損害賠償請求権に基づき,1500万円及び遅延損害金の支払を求める事案である。

2  原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

(1)  上告人Y1(以下「上告人Y1」という。)は第1審判決別紙物件目録記載2の土地の所有者であり,その子である上告人Y2(以下「上告人Y2」という。)は同目録記載1の土地の所有者である。

上告人Y3(以下「上告会社」という。)は,不動産の賃貸借等を目的とする会社であり,その代表者は上告人Y1である。

(2)  上告会社は,平成8年9月1日,上告人Y1及び上告人Y2から,本件各土地を賃借し,同年12月2日,Aに対し,スーパーマーケット事業の用に供する建物の所有を目的として本件各土地を転貸した(以下,この契約を「本件転貸借契約」という。)。Aは,同月3日,本件各土地上に本件建物を新築した。

(3)  Aは,平成14年7月31日,被上告人のAに対する銀行取引等に係る債権を担保するため,本件建物に極度額を5000万円とする第1順位の根抵当権(以下「本件根抵当権」という。)を設定した。

(4)  被上告人は,本件根抵当権の設定に先立つ平成14年6月25日,Aに対し,「借地に関する念書」と題する書面を交付し,これに上告人らの署名押印又は記名押印を得るよう求めた。上告人らは,同日,Aから上記書面を受領し,上告人Y1において,上記書面に記載された条項の一部につき修正を求めた。

上告人らは,同年7月5日,Aから,上告人Y1の求めに応じて修正がされた書面(以下「本件念書」という。)を受領し,これに署名押印又は記名押印をした上,同月8日,これをAを介して被上告人に交付した。

(5)  本件念書は,あて先を被上告人とし,上告人Y2を甲,上告人Y1を乙,上告会社を丙,Aを丁として,被上告人が本件建物に根抵当権の設定を受けることを上告人らが承諾する旨の条項のほか,「丁の地代不払い,無断転貸など借地権の消滅もしくは変更を来たすようなおそれのある事実の生じた場合またはこのような事実が生じるおそれのある場合は,甲,乙,丙および丁は貴行に通知するとともに,借地権の保全に努めます。」と記載された条項(以下「本件事前通知条項」という。)を含む数個の条項で構成されている。

(6)  被上告人は,本件念書を受領するに当たり,上告人らに対して直接本件念書の内容,効力等について説明をしたり,上告人らの意思確認をしたりしたことはなく,本件念書は,原本1通が作成されただけで,写しが上告人らに交付されることはなかった。また,本件念書を差し入れることにつき,上告人らが被上告人から対価の支払を受けたことはない。

(7)  Aが,平成17年12月27日,再生手続開始の決定を受け,平成18年1月分以降の地代を支払わなかったため,上告会社は,同年6月16日,Aに対し,地代不払等を理由に本件転貸借契約を解除する旨の意思表示をし(以下,この解除を「本件解除」という。),同月22日,本件建物を収去して本件各土地を明け渡すことをAに求める訴訟(以下「別件訴訟」という。)を提起した。

(8)  上告人らが,Aの地代の不払が生じていることを知りながら,これを本件解除に先立って被上告人に通知しなかったため,被上告人は,別件訴訟係属中である平成18年9月5日に上告会社から訴訟告知を受けて初めて地代不払の事実を知った。

(9)  被上告人は,別件訴訟に補助参加することなく,別件訴訟については,平成18年12月8日,上告会社のAに対する請求を全部認容する旨の第1審判決(以下「別件判決」という。)が言い渡され,同月29日,別件判決が確定した。

別件判決に基づいて平成19年4月下旬に本件建物が収去され,本件根抵当権が消滅した。

3  原審は,上記事実関係の下において,上告人らは,被上告人に差し入れた本件念書をもって,Aの地代不払が生じていることを遅くとも本件解除までの間に被上告人に通知する義務を負い,これを怠ったことにより被上告人の被った損害を賠償する責任があると判断し,被上告人の被った損害の額を980万円と認定した上,8割の過失相殺をして,被上告人の上告人ら各自に対する債務不履行による損害賠償請求を196万円及び遅延損害金の支払を求める限度で認容すべきものとした。

4  所論は,上告人らが地代の不払が生じていることを被上告人に通知すべき義務を負い,その不履行を理由に上告人らが被上告人に対し損害賠償責任を負うとした原審の判断には,法令の解釈を誤った違法があるというのである。

5  そこで検討すると,前記事実関係によれば,本件念書は,数個の条項で構成され,そのうちの本件事前通知条項には,本件各土地に係るAの借地権の消滅を来すおそれのある事実が生じた場合は,上告人らは,被上告人にこれを通知し,借地権の保全に努める旨が明記されている上,上告人らは,事前に本件念書の内容を十分に検討する機会を与えられてこれに署名押印又は記名押印をしたというのであるから,上告人らは,本件念書を差し入れるに当たり,本件事前通知条項が,上告会社においてAの地代不払を理由に本件転貸借契約を解除する場合には,上記の地代不払が生じている事実を遅くとも解除の前までに被上告人に通知する義務を負うとの趣旨の条項であることを理解していたものといわざるを得ない。

そうすると,上告人らは,本件念書を差し入れることによって,上記の義務を負う旨を合意したものであり,その不履行により被上告人に損害が生じたときは,損害賠償を請求することが信義則に反すると認められる場合は別として,これを賠償する責任を負うというべきである。このことは,上告人らが,本件念書の内容,効力等につき被上告人から直接説明を受けておらず,本件念書を差し入れるに当たり被上告人から対価の支払を受けていなかったなどの事情があっても,異ならない。

そして,上告人らが不動産の賃貸借を目的とする会社等であること,上告人らが本件念書を差し入れるに至った経緯,上告会社が本件転貸借契約を解除するに至った経緯等諸般の事情にかんがみると,被上告人が上告人らに対して上記の義務違反を理由として損害賠償を請求することが信義則に反し,許されないとまでいうことはできず,被上告人の過失をしん酌し,上告人らが上記の義務を履行しなかったことにより被上告人に生じた損害の額から,8割を減額するにとどめた原審の判断は相当というべきである。

6  以上によれば,原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく,論旨は採用することができない。

よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官宮川光治の補足意見がある。

裁判官宮川光治の補足意見は,次のとおりである。

本件事前通知条項に基づく通知義務を法的義務であると解することは,借地権付き建物の担保取引の実情に即し,相当であると思われる。しかし,他方,賃貸人である土地所有者を長期にわたり対価もなく法的に拘束することとなり,実質的にみて公平ではなく,不合理ではないかという疑問があり得るであろう。この点に関し,補足しておきたい。

土地賃貸人にとっては,いったん借地契約が締結されれば約定賃料が滞ることなく支払われるということが最重要の関心事であると思われる。賃借人に賃料の支払遅滞が生じた場合,そのことを抵当権者である金融機関に通知すれば,金融機関から滞納分はもとより向後の賃料についても弁済(代払い)を受けられる可能性が高い。本件のように通知をしないで賃貸借契約を解除し建物の収去を求めて争訟すると,賃貸人は相当期間にわたって賃料収入を失い,更には建物の取壊し費用を負担しなければならないことともなる。経済的合理性に反するのに,あえて,賃貸借契約を終了させようとしている事例には,賃借人と通謀していることが疑われる場合もあろうが,新規賃借希望者がいてこれと新たに賃貸借契約を締結するという意図を有している場合が少なくない。

ところで,本件は,本件転貸借契約を締結して5年余を経過した時点において,被上告人の求めに応じて抵当権が設定されたという事案であるが,一般に多くみられるのは,借地人が地上建物を建築する資金を金融機関から借り入れる場合である。こうした事例では,賃貸借契約締結の際に,借地人が金融機関から資金を借り入れるために必要な協力をすることが約定され,通常はその対価も権利金額等の設定において考慮される。こうした協力をして,土地賃貸借契約の締結が円滑に実現することは,賃貸人にとっても大いに有益なことであろう。

以上のように考えると,本件事前通知条項に基づく通知義務を法的義務であると解したとしても,賃貸人にとって均衡を失して不利な事態となることはまれであり,通常は賃貸人にとっても土地賃貸借から収益を順調に上げていくという点では不都合はないように思われる。それでも残る問題は,信義則,過失相殺の法理により,適切に対応できると考えられる。

なお,今後は,金融機関においては,本件事案のように過失相殺があり得ることにも配慮し,債務者及び担保物について適切に管理するとともに,賃貸人に対し承諾文書に関し説明し,その写しを交付することなど賃貸人の理解に欠けるところがないよう実務を改めることが必要となろう。

(裁判長裁判官 白木勇 裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官 横田尤孝)

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