最高裁判所第一小法廷 平成3年(オ)434号 判決 1991年7月18日
上告人
鈴木孝
右訴訟代理人弁護士
山口広
西畠正
被上告人
日本国有鉄道清算事業団
右代表者理事長
石月昭二
右訴訟代理人
神原敬治
右当事者間の東京高等裁判所平成元年(ネ)第三六六五号地位確認等請求事件について、同裁判所が平成二年一二月一三日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人山口広、同西畠正の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし首肯するに足り、右事実関係の下において本件懲戒免職処分を有効であるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。所論は違憲をも主張するが、その実質は単なる法令違背を主張するものにすぎず、原判決に法令違背のないことは右に述べたとおりである。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 大堀誠一 裁判官 味村治)
記
第一点 本件処分の対象事実の認定に関する法令の解釈適用の誤り及び理由不備ないし齟齬
第一章 事実認定に関する上告理由の骨子
一 原判決は、本件懲戒免職処分を有効と判示するにあたって、まず、上告人には上司である酒井助役の顔面を故意に殴打した暴行行為があると認定し、これを甚だしく職場の秩序ないし規律を乱す非行であると判示している。
右事実認定は、被上告人の主張を裏づける志村・酒井の供述が信用できるとして、ほぼ全面的にこれを採用し、他方で故意に酒井助役を殴打した事実はないとする被上告人の供述の信用性が疑わしいとして排斥した結果なされているものである。
二 しかし、かかる原判決の採証方法は、対立関係にある一方当事者の供述の信用性判断に関する法則の解釈適用を誤り経験則・採証法則に違背して、志村・酒井供述の信用性を肯定し、上告人の供述の信用性を否定したものであって、前述のように、その結果、本件処分を有効としたものである以上、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるというべきである。また、右の採証法則に基づいて志村・酒井の供述の信用性に疑いが生じる以上、かかる証拠の採用には、合理的疑いを容れない程度に信用性が補強されねばならず、信用性補強のために他の証拠の取調をし、もしくは、志村・酒井の再度の尋問をなしていない原審には、判決に影響を及ぼすことが明らかな審理不尽の違法がある。
三 のみならず、原判決は、志村・酒井供述が、対立関係にある一方当事者の供述であることを認め、かつ、これらの供述に客観的な証拠と矛盾する点があるとしながら、志村・酒井供述が上告人の供述より信用性があると判断すべき特段の事情すら理由中に示しておらず、この点で理由不備ないし齟齬の違法がある。
四 以下、第二章において、かかる原判決の事実認定について、項を分けて詳論する。
第二章 処分対象事実の認定に関する原判決の誤り
第一 本件処分の対象事実に関する原判決の認定及び問題点
一 原判決の事実認定及び採証方法
1 原判決は、以下のとおり、ほぼ被上告人(一審被告)主張に副って上告人(一審原告)の暴行行為を認定した一審判決を引用し、これを国鉄就業規則一〇一条一五号所定の懲戒事由に該当するとした一審判決を肯定している。即ち、原判決は、
「上告人は、昭和六一年九月四日、午前一一時二〇分ころから同三五分ころの間、非番で武蔵溝ノ口駅駅長事務室の複写機を使用中、駅長志村行雄(以下志村という)から同月一日の武蔵溝ノ口駅における上告人の行動について注意を受け、また、定期健康診断を受けていないことを指摘され、これを受診するよう指示されたにもかかわらず、反論するなどしてこれに従わず、反抗的態度をとった。そこで、同駅助役酒井光男(以下酒井という)が注意するとともに、複写機の使用を認めないとして中止させようとした際、上告人は、酒井の顔面左眼付近をいきなり殴打するなどの暴力を行使した。」とするのである。
これに対して上告人は、第一審以来、故意に酒井の顔面を殴打した事実はないとして、一貫して右暴行行為を否認したが、同時に、複写機使用を中断させようとして複写機のスイッチを強く押えていた酒井の右手を上告人が払いのけようとしたこと、その際、酒井の右手を引っ張った右手が、はずれた勢いで酒井の顔面に当った可能性があることを認めており、処分対象事実の存否に関する主要な争点は、上告人の右手が酒井の顔面に当った事実があったとして、それは上告人が故意に殴打したものか、酒井の手をはずそうとしたはずみに当った偶発的な過失行為なのかという点に絞られていたと言える。
そして、原判決は、前述のとおり、上告人の故意の殴打行為を認定し、上告人の第一審以来の主張を排斥したのである。
2 この原判決の認定の根拠となったのは志村の現認報告書(<証拠略>。以下「証拠略」のように略述する)、酒井の供述書(証拠略)、第一審における証人志村、同酒井の各証言(以下、志村供述、酒井供述という)であり、原判決は、細部を除いてこれらを全面的に採用し、上告人の陳述書(証拠略)や第一審及び原審における上告人本人尋問の結果(以下一括して鈴木供述という)を排斥している。
原判決のかかる採証の根拠となったのは、一方で、鈴木供述が、自分の手が酒井の顔に物理的に当たったかどうかという点について終始あいまいで故意にあいまいに述べているとの疑いが拭いきれないばかりか、事後の上告人の行動も特段の弁解をしなかったり殴打行為もしくは「何かまずいことをしたこと」を匂わせる言動をしていることからみて、信用性が疑わしいのに対し、酒井・志村の供述は、殴打行為そのものについては終始一貫して明確に供述しており、宇佐美秀夫の陳述録取書(証拠略)及び宇佐美秀夫の証言から認められる事件前後の事情に照らして、鈴木供述と比べると充分信用できるというに尽きる。
二 原判決の採証方法及び理由説示の問題点
1 原判決の理由中に示された採証方法には、要約すると、以下のような二点にわたる問題が含まれている。
第一は、志村・酒井がいずれも被処分者たる上告人と対立的立場にあったことは原判決も認めているところであるが、かかる立場にある者は、ことさら事実を誇張し、あるいは誤解するなどして、上告人が暴力を振るったと言い立てる可能性があることから、供述そのものの内在的矛盾、あいまいさだけでなく、客観的証拠や対立関係にない者の証言によって認められる事実との整合性につき合理的な説明が可能であるか否かの吟味検討がなされていない点、第二は、鈴木供述について、原判決が指摘する事後の上告人の言動に関する鈴木供述の説明が特に信用できず、事件当時の事実を故意にあいまいに述べていると窺わせるような事情がないのに、何ら合理的な理由を見出せないまま信用性を否定している点
である。
そして、これらの二点は、結局、志村・酒井供述と鈴木供述を比較して、いずれが信用するに足るものかという判断に結びつくが、右二点の証拠評価を誤った結果、採証法則に違背して誤った事実を認定しているばかりか、審理不尽、及び理由不備ないし齟齬の違法をもたらしているのである。
2 そこで、以下には、
第一に、対立的立場にある一方当事者の供述を証拠として採用する場合の基本を判例に基づいて明らかにし、
第二に、志村・酒井の上告人に対する対立当事者性を検討して、これが故意または誤解により上告人の暴行行為を証言する虞れの強いものであったことを示し、
第三に、志村・酒井供述の内在的矛盾やあいまいさなど、その信用性を疑わせる理由を示し、
第四に、宇佐美供述等から志村・酒井供述の信用性を否定するような客観的事実を示し、
第五に、鈴木供述の信用性を疑わしいとした原判決の判示の経験則違背を明らかにする。
第二 採証法則の基本
一 刑事事件ではあるが、事案の背景、訴訟上の立証方法、証人の立場等について、本件と類似する動労鹿児島機関区事件上告審判決(最一小判昭五六・一〇・二九判時一〇三五―一四一)で最高裁は、採証法則の基本について判示している。
右事件は、国鉄動力車労働組合(動労)から脱退し鉄道労働組合(鉄労)に加入した国鉄職員に対し、国労組合員らが集団で暴行を加えたとして、暴力行為等処罰に関する法律違反で起訴された事案であり、原審の福岡高裁宮崎支部は、被害者の証言が基本的事実以外の事実に関して矛盾している欠陥があるとしても基本的部分に関する証言が信用できないとはいえない等の理由で公訴事実を認定し、有罪判決を下していた(同支部昭五三・二・七)。
これに対して、最高裁判決は、次のように判示して、原判決を破棄したのである。
「原判決は、同じ国鉄職員同士が事実に反し他の職員を名指してまで犯罪的呼ばわりすることは、対立抗争があったとしても、特段の事情のないかぎり到底考えられないという大前提に立っているのであるが、本件当時、被告人らの所属する動労と右C、Dら動労脱退者との間に深刻な対立抗争があり、本件はその課程において発生したものであることは、原判決認定のとおりであるところ、そのような事情は、原判決認定の如き暴力行為が発生し易い状況と解しうるとしても、反面、そのような事情のもとでは、それらの者の一方が、ことさら事実を誇張し、あるいは誤解するなどして、相手方同僚を名指し、暴力を振るったと言い立てることもありえないではないのであるから、本件の如く労働紛争や派閥対立に根差す事件における供述証拠の信用性評価の基準として前記の大前提を用いることは相当でないというべきであり、原判決としては、少くとも右の点を同判決にいう特段の事情として考慮したうえで、なお前記各証言が信用すべきものであることについて解明すべきであったといわなければならない。
また、原判決は、供述の基本的部分に注目すべきで枝葉末節に拘泥してはならない旨の一般論を掲げ、本件においてC、D両名の各証言は基本的部分で一貫しているとも判示し、前記の基準と併せて、右証言を信用すべき理由としているのであるが、右説示にかかる一般論はそのとおりであるにしても、本件では第一審判決が、右各証言の信用性に影響を及ぼすと認めたところを詳しく指摘しているのであるから、原判決としては、それらを枝葉末節にこだわるものと解する理由を解明すべきであったといわなければならない。」
二 ところで、対立関係にある労使の間で、団体交渉をめぐるトラブルが生じ、組合員が刑事事件の被告人とされた事案に、この最高裁判決の採証法則を適用し、使用者側証人の証言の信用性を排斥して無罪とした判決が大阪高等裁判所で下されている(大阪高等裁判所昭和六三年(う)第九二四号事件判決・平成二年一一月二八日宣告・判例集未登載)。
これは、大阪電通高校事件と言われるもので、厳しい労使対立下で使用者(判決中では「法人」と呼称されている)側の団体交渉拒否の方針に対して抗議行動をしている際に、労働組合員である被告人らが抗議行動を隠し録音している管理職を発見し、これに抗議した行動について、恐喝、逮捕の公訴事実で起訴された事案である。一審判決は、使用者側の目撃証人の証言を採用して、被告人らをいずれも有罪とした(大阪地方裁判所昭和五六年(わ)第六、〇〇二号事件・昭和六三年四月一八日宣告)が、控訴審判決は、次のように述べて、目撃証言の信用性を具体的に吟味検討した結果、信用性を否定し、被告人らを無罪としている。即ち、
「被告人中村がレコーダーを抜き取ったとの法人側の目撃供述には作意が加わった疑いがあり、その信用性が低く、他方被告人大山、同中村の供述内容を一概に否定できないこととなるから、被告人中村の抜取り行為を認定するには合理的疑問が残るといわなければならない。
これに対し原判決は、主として法人側の目撃証言が一致していることを根拠として被告人中村の抜取り行為を認定している(前記羽交い絞め行為等の暴行の認定についても同様である。)が、前述のような厳しい労使対立を背景とした事案においては、単に一方当事者側の者の証言の合理性、一貫性あるいはこれら証人相互間の矛盾の有無を検討するのみでは足りず、労使双方について、前述のような事実関係の確認や証言の統一といった事態が有り得ることを念頭に置いたうえ、できる限り動かし難い事実や客観的証拠、ないし経験則との慎重な対比検討が不可欠というべきである。
これを本件についてみるに、原審としては、前記加藤テープを証拠として取調べ、あるいは法人側管理職員らの事件直後の捜査官に対する供述調書を弾効(ママ)証拠として採用して公判廷における供述内容との不自然な変遷の有無を検討するなどの態度が必要であったというべきであり、そのような措置をとらずに法人側管理職の証言が『概ね一致している』と指摘して前記のような認定をした原判決は審理不尽のそしりを免れない。」
特に、右判決は、管理職らの目撃証言が一致していることについて、「法人側管理職員らは告訴状提出前に、綿密な打ち合せを行い、公判に備えてその記憶の内容の確認と統一をはかったことが窺えるから、その供述内容に基本的な矛盾が生じないと考えるのがむしろ自然で」あるとして、使用者側が組合員に不利益な処分を課したり、刑事告訴をするような場合には、証言内容の統一を図ることがあり基本的な矛盾が生じないと考えるのが合理的であるとの考え方を示している。
前記最高裁判決の採証理論を具体的な事実認定に適用すれば、右高裁判決のような審理と事実認定の方法が採られるべきことは言うまでもない。
三 最高裁判決の理を本件に当てはめるならば、本件のような労使の対立状況下で発生した、使用者側の管理者を「被害者」とする暴行行為を処分対象事実とする懲戒処分事案においては、一方当事者である「被害者」と使用者側管理者の供述を事実認定の証拠として採用するにあたっては、その供述の全体が一貫して矛盾していないか、客観的証拠と矛盾していないか、また、供述が特別の予断、偏見で歪曲されていないか等の細部にわたって信用性の評価を厳格に行うべきであり、かつ、信用性の解明の結果を判示中に具体的に示すべきものと言うことができる。
とりわけ、本件の志村・酒井供述は、後述のように相互に奇妙なまでの一致性をみせ、しかも法廷供述と供述書等の書証との間に著しい明確性の差があるのだから、より一層、その信用性についての吟味検討が要求されるのである。
第三 志村・酒井の上告人に対する強度の対立当事者性
一 志村、酒井と上告人の地位・立場からみた対立当事者性
志村は、昭和六一年二月、武蔵溝ノ口駅に駅長として赴任して以降、上告人を含む国労組合員の直接的管理者であり、また、酒井は、昭和六〇年三月に同駅助役として赴任して以降、上告人ら国労組合員に対して志村を補佐して人事管理等を行う立場にあった。これに対して上告人は、国労溝ノ口連合分会の書記長を経て、本件当時分会長の役職に就いており、同駅の国労組合員に対して上部機関からの指令・指示を伝え、その実行を指導するとともに、自ら率先して実行にあたるべき立場にあった。
後述のように、本件当時、国鉄の分割民営化をめぐって、全国的に国鉄当局と国労とが対立し、国労八王子支部内においても西鉄道管理局と支部とが対立して、支部から各分会に対して、ワッペン闘争、氏名札着用拒否等の闘争指令が次々に出されていた状況の下で、武蔵溝ノロ駅も例外ではなく、志村、酒井と上告人とが規律保持を名目とした当局のしめ付けや組合活動をめぐって日常的に対立しても何ら不思議はない状態であった。
二 日常的な対立当事者性
現に日常的な、志村、酒井と上告人の関係をみても、本件当時両名が上告人の対立当事者であったことが明らかである。
1 志村は、後述するように、溝ノ口に赴任して以来、職員の規律保持の名の下に、特に分会役員や活動家に対して厳しい態度で臨んできた。その中で、志村と分会長である上告人や書記長小林裕二とは日常的な労使問題で対立することが特に多かった。
志村は、氏名札着用、国労バッヂ・ワッペン取り外し、個名点呼の対応について、いずれも、国鉄当局と国労とが激しく対立する課題であることを知りながら、分会役員として他の分会員の先頭に立って抗議したり抵抗する上告人を反抗的であると考えており、時に、本務をはずして就業規則の筆写をさせたことまであったのである。このような偏見があったことは、志村自身が「(ワッペンの問題や点呼の問題について)組合の方針ではないというふうに思っていました。あくまでも鈴木さん個人がやってるんだと、ほかの人が、みんな正常にやっているわけですね。」(証拠略)と言いながら、ワッペンを着けていたのは上告人だけでなく他にもいたことを認めている(証拠略)ことに端的に表われている。
志村は、上告人を反抗的な言動をする者であるとの予断を本件以前から抱いていたのである。
2 酒井にしても、本件以前から、上告人に対し、労使間の問題で応酬すると、その手を引っ張ったり押したりして、その結果上告人が転倒する事態が生じていたことは、酒井自身が認めている(証拠略)。上告人自身も酒井には引っ張られたことが何回もあり「(酒井は)気が短いというんですか…やはり三役を狙ってきたんじゃないかと思います。」(証拠略)と感じる程、酒井は他の職員とは区別して上告人に暴力的に接していたのである。酒井自身が、上告人以外の他の職員には、かかる行為に及んでいなかったことを自認している(証拠略)。
このこと自体、酒井が上告人に対して、特に実力行動に出易い傾向を持っていただけでなく、特別な対立感情を有していたことを示しており、上告人の言動を悪意を持って観察する立場にあったと言ってよい。
三 本件当日の上告人との対立関係
1 志村は、後にも述べるように、本件当日、いずれも労使間の対立問題となっている話題について業務時間外である上告人に強いて話しかけ、その結果、双方がやや大きな声になる程の議論に発展している。本件で問題となる上告人の「殴打行為」の時点では、志村は議論の対立当事者の一方になっていて、冷静に反対当事者の言動を注視する余裕を失っていたはずである。それまで議論をし、大きな声で「その言い方は何だ」と言うまでになっていた者(証拠略)が、突然、相手の言動を冷静に見極め、記憶するようになることはあり得ない。
2 酒井が「殴打行為」時に上告人との関係で対立当事者となっており、しかも「被害者」の立場にあったことは言うまでもない。酒井が悪感情を持って上告人の行動を記憶していたことは容易に推測できる。
四 このように、志村、酒井は、まさに上告人とは、日常的にも、本件当日の具体的事情の下においても対立当事者であったと言ってよく、志村報告書(証拠略)、酒井供述書(証拠略)を含め、志村、酒井両名の供述は、対立関係にある中で発生した事件につき、前記最高裁判決が言うように「それらの者の一方が、ことさら事実を誇張し、あるいは誤解するなどして、相手方(同僚)を名指し、暴力を振るったと言い立てることもありえないではない」供述として、その信用性について特に慎重な判断を必要とするのである。
第四 志村・酒井供述に内在する信用性を疑わせる事情
一 志村報告書と酒井供述書の信用性
原判決は、前述のように、志村の現認報告書(証拠略)と酒井の供述書(証拠略)のほか、志村、酒井両証人の法廷供述を証拠として採用し、これらに基づいて、上告人の暴行行為を認定している。ところが、志村、酒井の法廷供述は、ほぼ志村報告書と酒井供述書を基本としてなされており、後に述べるように、これらの書証よりもあいまいなものとなっているから、原判決の事実認定は、志村報告書と酒井供述書を主たる証拠としていると考えてよい。
そこで、まず、志村報告書(証拠略)と酒井供述書(証拠略)について、その信用性を失わせるような事情を指摘しておく。
1 志村報告書および酒井供述書と鈴木供述の相違点
志村報告書および酒井供述書(証拠略)と鈴木供述(<証拠略>の陳述書と法廷供述を含む。)は、言うまでもなく、最も重要な上告人の殴打行為の有無の点でくい違っているほか、いくつかの事実経過で相違している。他方、志村報告書と酒井供述書は、相互に、全くと言ってよいほど相違していない。
以下に挙げたのは、鈴木供述と相違する点についての、志村報告書および酒井供述書の記載内容の概要である。ただし、会話の文言が鈴木供述と異なり、上告人が志村・酒井に対して乱暴な言葉遣いをしているかのような表現をされている部分については、志村、酒井が上告人に悪感情を抱いていた前述の状況の下で、上告人に不利な方向に誇張されているものであり、志村供述、酒井供述全体の信用性を減殺するものに他ならないが、ここでは、行為事実に限って相違点を整理しておく。
(一) 事件直前の志村と上告人の会話について
志村報告書および酒井供述書によると、
「志村は控訴人に対し、
<1> 府中本町のできごとについて話しかけ、
<2> 『非番だから早く帰って休みなさい』『普段から体が弱いから言っているのだ』と上告人の健康状態について話をし、
<3> 次に、上告人が健康診断を受診していないこと、点呼の時便所に行っていることを指摘する
という順序で話をしている。」
とされている。
これに対し、鈴木供述は、志村との会話の順序は<2>と<3>が逆であるとしている。
(二) 酒井がコピーのスイッチを切った時の態様
志村報告書および酒井供述書によると、「酒井は、右の会話の直後、『駅長に対してその言葉があるか。注意も素直に聞けないようではコピーは貸さない。出ていきなさい。』と言ってコピーのスイッチを切った。上告人は、『何すんだよ』と言いながら、右手で、酒井の右手を払った後(払いのけたのは一回である)、右肩で酒井の体を押しのけようとした。」とされている。
これに対し、鈴木供述は、「酒井は、右会話の直後、自席から立ち上がり、いきなり、無言のままで、上告人の後からたたきつけるように右手でコピー機のスイッチを切った。上告人が『何をするんですか』と言って、酒井の右手を払いのけ、スイッチを入れると、酒井は、再度右手でスイッチを切り、『あんたには貸さない。出ろ。』と言って、右手でコピー機のスイッチを押えていた。」とし、酒井がスイッチを二回切ったと述べている。
なお、一審判決及びこれを引用する原判決は、酒井がスイッチを切った回数は、二回であり、二回目はスイッチを押えていたと鈴木供述どおり認定したものの、その他の酒井の発言は、志村報告書、酒井供述書に副って認定している。
(三) 上告人の「殴打行為」の態様
志村報告書および酒井供述書によると、「酒井は、上告人に『貸さない。出て行きなさい。』と言い、上告人を押し返しながら一歩出た。上告人と酒井は向い合い、上告人は右手で酒井の左手首を強く握りしめ、左手で酒井の右肩を同時に強く押していた。酒井は左手で上告人を押し、右手で上告人の左肘を押えていた。その直後、上告人は右手を離して、その拳でフックぎみに酒井の左目顔面を一回殴打した。」とされている。
これに対して、鈴木供述は、「上告人は『何で貸せないんですか』と言いながら、右手で、酒井の右手を払いのけようとしたが、最初の時と異なり、酒井は、右手でスイッチを強く押え、どけようとしなかった。そこで、上告人が、酒井の手をどけるために、右手で酒井の右手首を持って引っ張り上げようと力を入れると、酒井の右手はスイッチから離れた。その瞬間、酒井は『あいたたたぁー』と大声をあげて後に下がり、しゃがみ込み、左手で左眼のあたりを抑えていた。」とし(証拠略)、二回目に上告人が酒井の右手を引っ張った際、酒井の右手がスイッチから離れた拍子に、上告人の右手も酒井の右手からはずれて、勢いで酒井の顔面に「当たったかもしれない」と、過失で酒井の顔面に手が当った可能性は認めている(証拠略)。
一審判決及び原判決は、前述のとおり、全面的に志村報告書、酒井供述書を採用し、上告人の「殴打行為」を認定している。
(四) 事件後の経過
志村報告書及び酒井供述書によると、「上告人はコピーをまとめてあわてて出て行った。酒井は上告人の後を追い、出札事務室で上告人に駅長室へ来るように言ったが来ないので、上告人の右手を持って連れてこようとしたところ、上告人は、自分から床に寝転がった。」とされている。
これに対し、鈴木供述では、「上告人は、コピー機のスイッチを再度入れて、機械の中にあった感光紙をとり出し、でき上ったコピーを揃え、駅長室を退出して出札事務室に行った。酒井は『こら、待て』と言いながら立ち上がって上告人の後を追い、出札事務室でこれに追いつき『俺を殴った』と詰め寄り、上告人が『僕は殴っていない』と応答すると、上告人の左腕をつかんで『こっちに来い』と駅長室の方へ引っ張った。これを上告人が拒むと、酒井は突然上告人の左腕をつき放すように離したため、上告人ははずみで仰向けに倒れた。」とされている。
一審判決と原判決は、出札事務室内での酒井と上告人の言葉の応酬についてのみ鈴木供述を採用し、その他は酒井供述書に副って事実認定をしている。
(五) 原判決の採証について
このように、志村報告書、酒井供述書と鈴木供述とは、事件そのものである上告人の行為態様について、故意の殴打行為の有無をめぐって基本的に相反する内容となっているほか、事件前後の細部についても相違する内容となっている。
ところが、一審判決と原判決は、処分対象事実については全面的に志村報告書と酒井供述書に依拠しているが、前後の状況については、志村報告書と酒井供述書が志村、酒井両証人の反対尋問によってあいまいとなった部分の認定は鈴木供述に副っているのである。
このように、肝腎の処分対象事実を両書証に基づいて認定し、都合の悪い部分は鈴木供述に拠る原判決の採証方法は恣意的採証と言うほかない。
まして、志村、酒井が前述のように信用性について特に慎重な吟味を要する当事者証人であり、以下に述べるような様々な矛盾的やあいまいさを含んでいるのを無視して、事実認定の根拠としたのは、前記最高裁判決の示した採証法則に明らかに違背している。
かかる恣意的採証を行った理由としては、原判決は、志村・酒井供述が基本たる殴打行為そのものの存在については終始一貫して明確に供述していることを挙げるのみで、供述に内在する矛盾点や法廷供述との矛盾・あいまいさを説明できるだけの理由の説示を全くしていない。供述の一貫性と一致性は、電通高校控訴審判決が判示するように、供述にあたっての意思統一と作為性があれば一層強くなるのが自然であり、経験則に合致する。そればかりか、後に述べるような宇佐美供述等から認められる客観的事実との矛盾についても「第三者的目撃者である証人宇佐美秀夫の証言と酒井が殴打された後にしゃがみこんだ位置などにつき一致しない点があり、細部においてはあいまいな点がないわけではないが」と述べて、矛盾やあいまいさそのものは認めながら、これを基本的な矛盾点として採り上げず、何ら理由なく「細部」のものとして切って棄てているのである。
そこで、次に志村報告書・酒井供述書が信用性に欠ける理由をより具体的に示すことにするが、これらの上告人らの指摘には、原判決は全く答えるところがない。
2 志村報告書と酒井供述書の一致性と作為性
(一) 右の二つの書証の信用性を検討すると、何よりも、両者が表現の詳細にわたるまでみごとに一致しているのが極立っている。
そのことは、先に述べた電通高校控訴審判決を再び引用するまでもなく、志村・酒井供述の一貫性と一致性に作為が働いていたことを示す以外の何者でもない。
二つの書証の内容の一致の状況を表にすると後記対照表(略)のとおりであり、短い供述書が二九ケ所にわたって殆んど一言一句一致しているのが明らかである。
これは、志村、酒井の両名が各自の記憶のみに頼らず、書面作成にあたって協議し、内容を一致させるよう作為したからに他ならない。
(二) 志村・酒井は、それぞれの書面の作成過程を次のように言う。
(1) 志村
現認報告書(証拠略)は、誰にも相談せず、本件当日午後一時過ぎに三〇分程度で作成した。添付の構内見取図は酒井が本件当日に作ったものと思う。現場見取図は志村が作ったが、寸法の検尺は西鉄道管理局の職員が来て、本件当日か翌日行い、酒井もこれに立ち会っていたと思う(証拠略)。
但し、構内見取図の作成は本件当日以降の可能性もあるとしてあいまいである(証拠略)。
(2) 酒井
供述書(証拠略)は、本件当日の午後四時三〇分ごろから、相当時間をかけて駅長事務室で作成した。その内容について志村と話し合いしながら書いたと思う。志村の現認報告書(証拠略)は後に見たことがあると思うが、いつ見たかはわからない。同報告書添付の構内見取図は、酒井が本件当日以前に作っていたものを使い、現場見取図中の採寸には立ち会っていない(証拠略)。
供述書作成までの間に志村と事実経過について話し合い、メモを作った(証拠略)。
(三) 酒井は、一審における被上告人側の主尋問では、供述書(証拠略)を自分の覚えている範囲で書いた(証拠略)としているが、それ自体右(三)のように崩れており、志村と協議して、事実経過を一致させるようにした作為を自認している。
他方、志村の作成経過に関する法廷供述は、誰にも相談しないで作成したとしている。しかし、作成時間が約三〇分と極めて短く、酒井の作成時間と比べても、また経験則上も、かかる短時間で作成できるとは考えられず、図面の作成が翌日以降となっていることからみても、酒井との協議以前に完成されたものでない疑いが強い。
まして、志村報告書が酒井の作成前に完成されていたとすれば、酒井との協議の際に完成したものを見せればよく、メモを作成することなど考えられないのであって、このことは、志村が作成の過程で酒井と合議して内容を一致させたこと(特に上告人の行為態様について)を推認させるものである。
従って志村報告書と酒井供述書は、いずれもその作成過程において、作成者本人の記憶のみによったものではなく、志村と酒井が協議して、内容、表現を一致させた作為性が認められ、この作為が、前述のような志村、酒井両名の上告人との対立当事者性からみて、上告人に不利な方向、即ち、故意の殴打行為があったとする供述内容を固めるとともに、会話等の表現も上告人に不利な方向に誇張されていったと推定できるのである。
3 報告書等と法廷供述の不一致
志村報告書と酒井供述書は、それ自体、作成過程の作為を推認させるものとして信用性が乏しいが、これをさらに、志村・酒井の法廷供述と対比させると、両証人間の証言のくい違いが生じたり、供述自体があいまいになっていくことのほか、右報告書等とも齟齬を生じており、報告書等の信用性は一層希薄なものとなる。
以下には、先に1、で挙げた鈴木供述との相違点毎に法廷供述と報告書等を対比させて検討する。
(一) 事件直前の志村と上告人との会話について
(1) 志村は、法廷供述において、被上告人側主尋問に対して、前述の志村報告書(証拠略)の順序で会話がなされた旨供述しているが(証拠略)、反対尋問では1、(一)<2>と<3>、即ち「早く帰って休みなさい。体が弱い。」との話題と健康診断受診の件の順序は「ちょっと分らないんです。忘れました。」(証拠略)と供述し、順序自体あいまいであることを自ら認めている。
(2) 酒井の法廷供述は、主尋問においてはやはり、供述書(証拠略)どおりの順序で話がされた旨述べており(証拠略)、しかも供述書(証拠略)では、最初の話題である府中本町駅の件の応酬の際、上告人が「何もみっともないことはしていない。」と怒鳴ったとされていて、その後も上告人の方が大声を出していたかのように書かれている。しかし、酒井は反対尋問では、志村の語調も強くなっており、志村・上告人の両方の声が大きかったような気がすると供述を変えている(証拠略)。これはむしろ、会話の最後には、志村・上告人とも声が大きくなっていたとの上告人の陳述書と一致する方向に供述が変わったとみるべきである。因みに志村の法廷供述では「(両名の声の大きさは)同じくらいではないですか。」とされており(証拠略)、鈴木供述と一致している。
このように、酒井供述書は、ことさらに、上告人が志村に対して一方的に乱暴な受け応えをしていたかのような記載をした作為の跡が窺えるのである。
また、会話の順序についても、後述の宇佐美供述からも認められるように、酒井は宇佐美とともに出務表の整理作業に専念していたのであって、会話の詳細を記憶しているのは不自然である。酒井は志村と協議して供述書を作成し、これに基づいて法廷供述を行っているのであるから、酒井供述も供述書と同様、志村報告書に影響されていることは疑いなく、志村報告書の記載が前記(1)のとおりあいまいである以上、酒井供述と供述書も信用性が低いと言うべきである。
(二) 酒井がコピーのスイッチを切った時の態様
前述のとおり、志村報告書、酒井供述書と鈴木供述の相違は、酒井が最初にコピーのスイッチを切った時、上告人に「コピーは貸さない」等と言っているか否か、及び、コピーのスイッチを切ったのは一回だけなのかという点である。
(1) 志村の法廷供述は、主尋問では志村報告書と同じく酒井は「コピーを貸すわけにはいかない」等と言ってコピーのスイッチを切ったと証言し、ただ、その後上告人が再びコピーを始めたかどうかは「ちょっと記憶にございません」と述べている(証拠略)、ところが反対尋問では、「そもそも、(スイッチを)切ったのか切らないのか、そこのところ、私見てないです。」(証拠略)、上告人が酒井の手を払いのけたのかどうかについても「定かじゃないですね。記憶なし。」「しぐさでは、後ろで見てても想像がつくね。」と答え、スイッチを何回切ったのかも「分からないですね。」(証拠略)と変わり、スイッチを切る前に「コピーを貸さない」と言ったのか切った後かも「わかりません」(証拠略)と変わっていく。
要するに、志村は、背中を見せている酒井と上告人の蔭になって、酒井・上告人両名の動作が見えなかったことは認めているのであり、まして、スイッチを切る前に「貸さない」等と言っているか否かについては全く目撃していないことを自認しているのである。
従って、この点の志村報告書の記載は、志村の根拠のない推測で書かれたものか、酒井から状況を聞いて書いたものとしか考えられず、いずれにしても目撃者の証言としての価値は全く認められない。のみならず、目撃していないことが報告書に記載され、それが酒井供述書と全く同じ表現になっていること自体、前述の、志村・酒井間の合議の後に報告書と供述書が作成され、事実をねつ造したことを裏付けるものである。
(2) 酒井の法廷供述も、主尋問では、供述書(証拠略)と同様、「コピーは貸さないから出て行きなさい。」と言ってからスイッチを切った、その後上告人から手を払いのけられるまで至らずに押された(証拠略)としている。だが、これも反対尋問では、「(スイッチを切ったのは)何回か、ちょっとはっきり覚えておりません」(同)となり、すぐに、スイッチを二回切ったこと、一回目は上告人から手をはらいのけられて、二回目には払いのけられないようにスイッチを押えていたが、上告人が右肩で酒井の体を押してきた、と変わっている(証拠略)。そして、二回目にスイッチを切った後に上告人が「何をするんですか」と言ったことも認めているのである(証拠略)。
してみると、酒井が一回だけスイッチを切り、その前に「貸さない」等と言ったとする供述書の記載は、酒井の法廷供述からみても明らかに誤りであり、二回目にスイッチを切った後上告人が「何をするんですか」と言ったことからして、酒井は二回目にスイッチを切った時に初めて「貸さない」等と言ったと推認することができる。
右のように、酒井供述書の記載もまた誤りであり、この点についての鈴木供述の方が信用性が高いと言えるのである。そればかりか、これに、前述の志村報告書の記載の虚偽性を併せ考えると、報告書(証拠略)と供述書(証拠略)は、酒井が上司として理性的に行動する(「貸さない」と理由を言ってコピー作業を中止させる)のに対して上告人が感情的にかつ乱暴に対応した(いきなり体で酒井を押し返すような実力行動に出た)との印象を与えるべく、志村・酒井が協議して作出した疑いが一層強くなるのである。
(三) 上告人の行為態様
上告人の「殴打行為」に関する志村報告書・酒井供述書と鈴木供述のくい違いは、次の二点に要約できる。
第一は、上告人が酒井の体を右肩で押した後、酒井が「出て行きなさい」と押し返し、上告人が酒井と向い合って両手で押し合う形になった事実があるか(上告人は酒井が控訴人の右後方から右手をのばし、両者ともコピー機に向っている姿勢であったとする)。
第二は、押し合いの途中で上告人が酒井の左手首を把んでいた右手を離して故意にフック気味に顔面を殴打したか(上告人は、コピー機のスイッチを押えていた酒井の右手をはずそうとして、偶然に上告人の右手が酒井の顔面に当ったかもしれないとする)。
志村・酒井はともに法廷供述の主尋問では、(証拠略)と同様に、第一の点については、酒井と志村は押し合いになった、第二の点については、故意に殴打したと証言する。
しかし、両名とも、反対尋問に対する供述では、二点とも、極めてあいまいになっていく。
(1) 志村は、反対尋問に対して、最初は「二人でもって押し合いしてますよ。」(証拠略)、「(酒井は上告人に左手首をつかまれながら)そのときはもう押し出そうとしているわけです。」(証拠略)、「(二人とも)棒立ちです。」「(顔と顔の間が)三〇センチから五〇センチぐらいじゃないですか。」(証拠略)、と述べている。
ところが、その後の尋問に対しては、「(押し合っていたのは)まあ、先程も言ったけど、流れが速すぎるわけですよね。」(証拠略)、「だから、その間、本当に短いですからね」(証拠略)と、あいまいな表現になり、殴った時の二人の間隔、位置について聞かれると「大体立って話をしている。立って話をしてる途中に出入りしているわけだから、若干離れているかどうか……もうちょっと記憶は……」(証拠略)、「(<証拠略>の現場見取図のように殴るまでに位置が移っているかどうかは)それ、ちょっと答えられないですね。はっきり……」、「うん、……まあ瞬間的ですからね……ともかく」、「そのへんの行動、わからないですよ。」(証拠略)とこれも不明瞭になっていく。そして遂には、「殴ったということだけ頭に残っていますね。」(証拠略)、「(殴ったときどんな姿勢であったかは)言葉でうまく表せないですよ、動きを。」「(再現は)できないと思いますよ。」と「殴った」ことのみを強調するだけで、肝腎の殴打行為の具体的態様や酒井と上告人の位置関係について、何ら明確にできなくなってしまうのである。
言いかえると、志村が「殴ったということだけ頭に残って」いると言うのは、「上告人の手が酒井の顔面に当ったことだけは憶えているが、殴り方はわからず、故意かどうかも断言できない。」と言っているに等しい。
結局、上告人の行為態様に関する志村報告書の記載について、志村は、具体的に何一つ説明できなかったのであり、報告書は全く信用性を欠くと言わざるを得ないのである。
(2) 酒井も反対尋問に対して「(殴られる前には酒井が上告人を押し出そうとしたんじゃないですかとの問に)はい」(証拠略)と答えて、上告人が右肩で酒井を押したから押し返したとする、主尋問の際の答えとは異なった供述をし、「(物理的に上告人を出さなきゃならない理由は)そうですね、無理にコピー機を使おうとしているから」(証拠略)と、上告人がコピー機の使用にあくまでこだわっていたことを認めている。さらに、「(押し合っているときの顔の距離は)三〇センチぐらいな気がしますね。」、「……ちょっと分りません」「距離的なことは、ちょっと分らないけれども。」(証拠略)と、両名の位置関係がまず、あいまいになっていく。そして、「(上告人に握られた酒井の左手首は)手を横にやってとろうとしました」「(手を振り離そうとする動作の際、手を回したかどうかは)知りません。」(証拠略)、と両者が向い合っていた時の動作もあいまいとなり、殴打したとする時の上告人の動作も次のように供述が変動する。
「(上告人は殴るとき)一歩自分で下がったかどうか覚えていませんけれども、少し後ろ寄りに行ったことは事実です。」(証拠略)、「(上告人は)下がりながら殴ったんじゃないと思います。止まっていました。」(証拠略)、「(志村が上告人が一歩下がったと言っていないがとの問に)そこは、分りません。」(証拠略)。
従って、殴打行為のあったこと自体は供述を変えていないが、その直前の酒井・上告人の動作は次第に明瞭ではなくなるのである。
酒井の顔に上告人の右手が当ったとすれば、酒井は被害者としての立場で供述することになり、被害者の供述が加害者に不利な方向即ち故意の殴打行為があった方向に向うのは経験則上認められるところであるから、酒井の供述の信用性を検討する際は、このことを考慮する必要がある。しかも、酒井が、その直前まで、上告人と揉み合い、上告人にコピー作業を中止させようとしていたことは争いのないところであり、その意味で、酒井は、敵対関係にあった反対当事者に他ならない。
かかる要素と、行為前後の事情に明瞭さを欠く供述からみると、酒井の法廷供述で殴打行為が故意で行われたと認めるのは無理がある。まして、酒井供述書は、その記載が行為前後の事情につき作為性を窺わせるものである以上、殴打行為についても、法廷供述以上に信用性を欠くと言うべきである。
(四) 事件後の経過
(1) 志村の法廷供述では、事件後、上告人は直ちにコピーをとりまとめて駅長室から逃げ出して行ったと、志村報告書と同旨の供述をしている(証拠略)。
しかし、志村は、「コピー機の中にはいっている感光紙や原紙を出して行くような動作があったか」との反対尋問には、「ないと思いますよ。だから、出てたんじゃないですか。わかりません、私は。」とあやふやな答えをしている。
コピー機の構造、即ち、コピー作業中は二枚の原紙と感光紙を交互に入れて、機械のローラーの中に常時一組が入っていることからみて(証拠略)、酒井によって作業途中にスイッチを切られたコピー機の中には一組ないし二組の原紙と感光紙が入っていたはずであり、コピー機を再作動させてこれらを取り出さない限り、上告人退出後には、コピー機内に原紙等が残っていなければならないことになる。従って、上告人がコピー機を再作動させる余裕もなくあわてて退出したという志村報告書は客観的事実とも反することになり、措信し難いのである。
(2) 酒井供述書(証拠略)に至っては、上告人の右手が酒井の顔に当ってからすぐにしゃがみ込み、左手で顔を押えていた酒井が(証拠略)上告人が退出するまでにどんな行動をとったか目撃しているはずもなく、上告人がコピー機を再作動させていないかのような記載は、後に、志村との協議によって作出されたものと言う他はない。
4 小括
以上に述べてきたように志村報告書(証拠略)と酒井供述書(証拠略)は、その作成過程で上告人に不利な方向で作出さた作為性が認められ、更に、作成者である志村、酒井の法廷供述とも一致せず、信用性に欠けるものである。まして、これらの書証よりもあいまいで、供述自体変遷している志村、酒井の法廷供述は、より一層信用性に乏しいと言わなければならない。
しかるに、原判決は、「殴打行為が存在することについて終始一貫していること」のみを志村・酒井供述(志村報告書と酒井供述書を含む)の信用性を認める理由として挙げており、供述の変遷や矛盾、あいまいさについては何ら吟味せず、合理的に説明できる理由を掲げないままに、志村・酒井供述を上告人の「殴打行為」を認定する証拠として採用しているのである。
かかる採証方法が、前記最高裁判決の判示する採証法則に違背し、また、理由不備の違法を冒していることは言をまたない。
第五 客観的な証拠との対比における志村・酒井供述の信用性
原判決が処分事由認定の根拠とした志村、酒井供述(いずれも前記の各書証と法廷供述を含む)は、第一審及び原審での取り調べた他の証拠から認められる客観的事実との対比においても、尚一層信用性に欠けている。
一 宇佐美秀夫の供述と志村、酒井供述の信用性
1 本件当日、事件の現場である駅長事務室には、上告人、志村、酒井の他に、職員の宇佐美秀夫が出務表の整理の職務に就いており、事件に終始立ち会っていた。宇佐美は、志村、酒井と異なり、上告人との対立もなく最も客観的に事件を目撃し得た者である。
第一審段階から、上告人の「殴打行為」の存否は本件の最大の争点であった。宇佐美は、対立当事者たる志村、酒井と異なり、本件現場に立ち会った最適の目撃証人となるべき者であった。にもかかわらず、第一審では、被上告人は、宇佐美を証人として申請することもなく、簡単な宇佐美の供述書(証拠略)のみを証拠として提出したに止まっている。
他方、上告人は、第一審で上告人代理人作成にかかる宇佐美秀夫の陳述録取書(証拠略)を提出し、原審では上告人申請による宇佐美秀夫証人が採用され、同人の法廷供述が得られている(<証拠略>、及び法廷供述を一括して宇佐美供述という)。
宇佐美秀夫は、本件処分について、上告人、被上告人との間に直接の利害関係がない第三者であるから、宇佐美供述によって、本件事件当時の客観的な動かし難い事実を確定することができる。
そこで、次に述べるように、宇佐美供述によって、客観的な事実を確定していくと、志村・酒井供述は、「暴行行為」直前の状況と、「暴行行為」直後に酒井がしゃがみこんだ位置という重要な二点にわたって客観的な事実と整合せず、特に故意の殴打行為の存在についてはまったく信用できないことが明らかである。更に宇佐美供述から窺える駅長室内での事件前の酒井の執務状況からみて、志村と上告人の会話を詳細に述べている酒井供述書の信用性も極めて乏しいと言わねばならない。
2 「暴行行為」直前の状況について
まず、酒井が立ち上がって、上告人の後ろに行ってからしゃがみ込むまでの間の上告人と酒井の間のトラブルの様子につき、宇佐美陳述録取書(証拠略)では、「計算が一段落して私が顔を上げると、コピー機の前あたりに酒井助役が私の方に背を向けて立っており、丁度その酒井助役の影になる形で、小柄でやせている鈴木君が立っているところが見えました。その時二人が何を話していたかも憶えていないのですが、私が見たのはほんの一瞬で、私は特に気にもとめず、また下を向いて次の計算をそろばんをはじいて始めたのです。この時、鈴木君がどっち側をむいていたのかも、酒井助役の向こう側にいたのでわかりません。」(証拠略)と述べ、両者の応酬は比較的平穏で、上告人がその直後に酒井を殴打しなければならないような興奮した状況になかったことを窺わせている。
そして、宇佐美の法廷供述では、なお一層このことが明らかである。即ち、宇佐美証人は右録取書の記載に誤りのないことを述べたうえ(証拠略)、「(宇佐美が立っていって止めなければならないほどの)必要性を感じなかった」(証拠略)とし、「(コピーのスイッチを切ったことで具体的にどんなもめ方をしていたかというのは)分かりません。」「私は数字の計算に集中をしていましたので、そちらのほうまで耳を傾けなかったというような状況です。」「(鈴木君と酒井さんがどんな様子で立っているかも)どのような状態になっていたかということについては記憶にないです。」(同)と述べて、宇佐美自身の作業を中断してまで二人の動静を注視しなければならない状態ではなかったことを裏付けているのである。
また、酒井と上告人の姿勢についても、二回にわたって瞬間的に顔を上げて二人を見たことがあるとして(証拠略)、一回目は、酒井が複写機のスイッチを最初に切った時(鈴木供述による)の二人の姿勢を再現した写真(<証拠略>の写真3)と同様であったこと(証拠略)、二回目は「私の目に入ったのは、酒井助役の背中ですか、体なんです。」(酒井さんの向う側で鈴木君がどんな姿勢でいたかについては)、「顔は見えていません。」「見えません」「(鈴木君がどちらの方を向いていたか)分かりません」(証拠略)と述べている。
もし、志村・酒井供述がいうように、上告人と酒井が向き合って押し合う姿勢となっていたとすれば、宇佐美の目撃した位置(原審三回調書末尾の現場見取図Aの位置)からして、鈴木の顔や姿勢が見えないこと自体考えられない。かえって、酒井が、上告人の後からおおいかぶさるようにしてスイッチを押えていた右手を、上告人がはずそうとしていたとの鈴木供述(証拠略の写真8)にみられる両者の姿勢の方が宇佐美供述と整合するのであって、本件現場に居合せた客観的証人である宇佐美の供述に照らして志村・酒井供述は不自然なのである。
3 酒井がしゃがみ込んだ位置について
次に、上告人の「殴打行為」の直後に酒井がしゃがみ込んだ位置について、宇佐美陳述録取書は「私が計算をしている途中、突然駅長の机の反対側にあった折たたみ式のスチール椅子が床をズレるようなズズズという音がしました。私がふと顔を上げて見ると、酒井助役がさっき立っていたところより少し駅長の机寄りのところで、私の反対側を向いて尻餅をつき、左手で左目のあたりを押えている様子でした。」(証拠略)とし、志村の側からみてやや左寄りの位置に酒井がしゃがみ込んだ(証拠略)ことを述べている。
宇佐美の法廷供述は、より明快である。「(スチールの椅子は酒井が座っていた椅子かとの問に)、いえ、それは違います。」(証拠略)、「ここに(駅長の机の向い側に)あったような記憶があります。この椅子がずれたと。」(証拠略)と述べて、原審三回調書末尾添付の現場見取図に、椅子のあった位置を赤の○印で、酒井が尻餅をついた位置を赤の△印で記入している。
この宇佐美供述が指示した酒井のしゃがみ込んだ位置は、鈴木供述(証拠略)とも一致し、本件当初から上告人が主張している位置(甲四末尾「駅長室現場見取図(図面2)」の<助>3)ともほぼ一致している。即ち、宇佐美も、上告人も、酒井がしゃがみ込んだ位置は、複写機から志村駅長の正面に向かう方向か、それよりも志村からみて左寄りである点で一致しているのである。
これに対し、志村・酒井供述は「上告人と向かい合っていた酒井は、殴られた後、一歩後ずさりしながらしゃがみ込んだ」としており、上告人と酒井が向かい合っていた位置は複写機の正面で、志村から見て酒井が右、上告人が左で丁度二人が横向きであったとする(<証拠略>「現場見取図」の及び○の位置)のである。これが事実とすれば、上告人から殴打された酒井が「一歩後ずさりしながら」しゃがみ込む位置は複写機と酒井が元々座っていた椅子の中間(<証拠略>「現場見取図」の「1・41m」と書いた位置付近)でなければならない。
従って、志村・酒井供述は宇佐美供述と明白に矛盾するのである。この矛盾は志村・酒井供述では全く合理的説明ができない。
既に述べたような志村・酒井供述の作為性は明らかというべきである。宇佐美供述が述べる酒井のしゃがみ込んだ位置は、複写機に向かっていた上告人が、右後方から上告人におおいかぶさるようにしてスイッチを押えていた酒井の右手をはずした拍子に、酒井の顔面に上告人の右手が当った(可能性がある)とする鈴木供述に従って初めて説明可能な位置と言わねばならない(酒井が<証拠略>の写真11~12の位置であれば、後方に下がってしゃがみ込むと、ちょうど駅長机の正面になる)。
4 酒井供述の不自然さ
酒井は、供述書(証拠略)中で、酒井自身が立ち上がる前の志村と上告人の会話を詳細に記述している。
しかし、宇佐美供述によれば、宇佐美と酒井は、職員の超勤手当の基になる出務表の整理をしており、酒井は各職員毎の超勤時間を読み上げる役割を果していたのである(証拠略)から、宇佐美も酒井も作業に集中しており、志村と上告人の会話を詳しく聞いているゆとりはなかったのである(証拠略)。
従って、一方で数字を読み上げながら、他方で両者の会話を逐一記憶しているとする酒井供述書(証拠略)と酒井供述は到底信用し難く、既に述べたような志村報告書との一致性とも照らしてみると、酒井供述は事後的作出の疑いが極めて強いのである。
5 原判決の違法
(一) 以上のように最も客観的で信用性の高い宇佐美供述によって認められる事実と対比してみると、上告人に故意の殴打行為があったとする志村・酒井供述は、重要な点で矛盾し、信用性がないというべきである。
しかるに原判決は「第三者的目撃者である証人宇佐美秀夫の証言と酒井が殴打された後にしゃがみこんだ位置などにつき一致しない点があり、細部においてはあいまいな点がないわけではないが、いずれにせよ基本たる殴打行為そのものの存在については、終始一貫して明確に供述しており」酒井・志村の供述は充分信用できると判示している。しかし、特に、しゃがみこんだ位置についての不一致が志村・酒井供述にある基本的な殴打行為の態様そのものと決定的に矛盾することは明白なのであるから、これら矛盾点について合理的な説明をできる特段の事情を証拠によって認定しない限り、志村・酒井供述によって殴打行為を認定することは経験則・採証法則に違背するといわねばならない。
原判決は、かかる特段の事情の存否について吟味しておらず、この点で原判決には、審理不尽の違法があり、かつ、理由不備・齟齬がある。
(二) ところで、原判決は、宇佐美供述によって、志村・酒井供述の信用性が減殺されると判断しなかったばかりか、逆に「<証拠略>(宇佐美秀夫の陳述録取書)及び<証拠略>(同人の陳述書)並びに当審における証人宇佐美秀夫の証言によっても、コピー機の使用を巡って控訴人と酒井がもめた後、酒井がその場にしゃがみこみ、左手で左目の辺りを押え、痛いと言っていたことは間違いがなく、その状況は控訴人が酒井に暴力を振るったと判断しても敢えて不自然なものといえないようなものであったことが認められ、第三者的目撃者である宇佐美秀夫によって酒井らの供述が裏付けられる形になっている。」として、志村・酒井供述の信用性を認めるための補強証拠として宇佐美供述を用いている。
しかし、酒井がしゃがみこんだ時の状況が上告人が酒井に暴力を振るったと判断しても敢えて不自然なものといえないようなものであったことは、何ら上告人の故意の殴打行為の存在を裏付けることにならないのは自明である。宇佐美証人自身「(鈴木君がわざと殴ったのか、手が当たったのか)それについては分らないです。」(証拠略)「妙な音で自分が顔を上げたというような感じですので、人間だれしも何かあったなと思って顔を上げるのではないかと、そういうようなことで供述書にはそういうふうに(「そんなことをやっては駄目じゃないか」と言い、かつ、上告人が酒井を殴ったと思ったとの<証拠略>の記載を指す)書きました」(証拠略)と証言しているのであるから、故意の殴打行為があったのか、誤って上告人の手が酒井の顔面に当たったのかについては何ら決め手になるものではない。
原判決は、ここでも、経験則違背をおかしているのである。
二 現場再現写真から見た志村・酒井供述の信用性
1 「殴打行為」の態様について、志村・酒井供述は、「酒井と向き合って押し合う形になっていた上告人が、突然酒井の左手首を握っていた右手を離して酒井の顔面をフックぎみに殴打した」としている。
この「殴打行為」の態様は、実際に実行してみると、力学的にも極めて不自然で、志村・酒井供述自体不合理である。
2 (証拠略)の写真18ないし20は、志村・酒井供述に従って、上告人の「殴打行為」を再現した写真である(証拠略)。
この写真によると、志村・酒井供述のとおり、上告人と酒井が向かい合って押し合っている時に(証拠略)、上告人が酒井の左手首を握っていた右手を突然離すと、その瞬間、二人の体の位置は支えがはずれて写真18よりも接近し、写真19よりももっと顔が接近して胸が接着する姿勢になってしまう(証拠略)。そして、この位置から、フックぎみに酒井の顔面を殴打しようとしても、顔が接近しすぎていて、上告人は殴打することができないはずである(証拠略)。
志村・酒井供述の殴打行為の態様は、経験則上、現実にあり得ないものと言わざるを得ず、不自然極まりないのである。
3 原判決は、右のような現場再現写真と対比した志村・酒井供述の不合理性について、「酒井の供述どおりに双方が押し合う態勢から控訴人が右手を離して顔面を殴打しようとした場合、双方がどのような態勢になるかは、控訴人が酒井の左手から右手を離す時点における双方の押し合いの程度や酒井の重心の置き方等により相当に異なるのであって、控訴人の主張するように、控訴人が酒井の手を離すことによって両者の顔がすぐ近くまで接近するとは必ずしもいえない。」とし、「控訴人の一方的な指示に従って再現された(証拠略)の写真は当時の状況を忠実に再現したものとはいえず、……(中略)……右書証をもって酒井らの供述の信用性を揺るがすには足らない」と判示している。
しかし、現場再現写真は、上告人の一方的な指示に従って再現したのではなく、志村・酒井供述に基づいて再現を行ったものであり、原判決の(証拠略)に関する評価は的外れという他ない。
確かに、現場再現写真は、原判決の言うように、押し合いの程度や重心の置き方等、事件当時の状況を完全に再現できないうらみはあるが、志村・酒井供述に従った「殴打行為」の態様をできるだけ忠実に再現するには、上告人の採った方法しかないことに思いを致せば、現場再現写真によって一応指摘された志村・酒井供述の不合理性を解消するために、志村・酒井の再尋問を行うなどより綿密な審理を尽くすべきであって、原判決には審理不尽の違法があるというべきである。
第六 鈴木供述の信用性判断に関する原判決の誤り
一 他の証拠との対比における鈴木供述の信用性
上告人は、処分対象事実とされた「殴打行為」を否認し、「二回目にスイッチを切って、スイッチを押えていた酒井の右手をはずそうとして、上告人の右手で酒井の右手首を持って引っ張ったところ、上告人の右手がはずれたはずみに、酒井の左顔面に当った可能性はある」としている。
この上告人の主張・供述が信用できることは既に述べたところからも明らかであるが、他の証拠との対比によっても、信用性はより補強される。
1 現場再現写真からみた鈴木供述の信用性
(証拠略)の現場再現写真のうち、写真1ないし17は、上告人の主張に従った本件の再現である。この写真によっても、鈴木供述による本件当時の原告の行為態様が自然な流れであり、上告人の右手が酒井の顔面に当る可能性のあることは十分に理解できる。
特に、酒井の右手首を持って引っ張り上げようとした上告人の右手が酒井の右手首をはずれて跳ね上がるような格好となる状態では(証拠略)、肘が肩の線まで上り、酒井の顔面に当ったとしても何ら不思議はない(証拠略)。そしてこの状況を志村の側からみると、志村が、上告人の故意の殴打であると誤解ないし曲解しても、あながち不自然とは言えないのである(証拠略)。
鈴木供述は、本件の当初から一貫しており、合理的な説明は十分に可能であって信用性が高いというべきである。
2 宇佐美供述との一致性
さらに、宇佐美供述によって認められる、本件直後に酒井がしゃがみ込んだ位置についても、上告人は当初から一貫して宇佐美供述と同じ位置を指示しており、この位置が、鈴木供述のような上告人と酒井の位置・姿勢と行為態様によって初めて合理性を持って説明できることは前述のとおりである。
また、宇佐美が目撃した上告人と酒井の複写機前の姿勢も、「コピー機に向かっていた上告人の右後ろから酒井がおおいかぶさるようにしていた」(証拠略)とする鈴木供述によって合理的に説明できることも前述したところである。
このように、宇佐美供述との対比においても鈴木供述は補強され、信用性が高いというべきである。
二 鈴木供述を排斥した原判決の誤り
1 原判決は、「殴打」した事実がないとする鈴木供述の信用性を否定したが、その理由として次の二点を挙げている。
(一) 鈴木供述は、自己の手が酒井の顔に当たったかどうかという肝心の点については終始あいまいであるが、「手が他人の顔にある程度の強さで当たればそれを当然認識し得るはずであるから」故意にあいまいに述べているとの疑いを拭い切れない。
(二) 事件発生後、宇佐美秀夫が「だめじゃないか」と注意したのに対して特段の弁解をしていないこと、その後も出札室で居合わせた職員に「まずいことをしちゃった」等と述べ、助役にも特段の弁解をしていないこと、さらに、事件の翌々日、立川駅で国労の組合員に「職場で助役を殴ってしまい、公安室で事情聴取されるので不安だから付き添ってください」と頼んだりしたことなど、自身が殴打行為をしたか、少なくとも何かまずいことをしたことを匂わせる言動をしている。
2 しかし、原判決の掲げる右二点は、いずれも、経験則に照らして、鈴木供述の信用性を疑わせるような事情とはなりえない。
(一) まず1(一)については、原判決は、上告人の手が酒井の顔面に「ある程度の強さ」で当たったことを前提として、上告人がこれを認識し得るはずであるというのであるが、そもそも酒井の左顔面には外傷もなく、加療一週間と診断されたものの特に治療を受けない程の軽傷であったことは原判決(一審判決も)が認めているのであるから、顔面に「ある程度の強さ」で当たったとする根拠は全くない。
すでに、これだけでも理由不備ないし齟齬があるといって良い。のみならず、鈴木供述が言うように酒井の右手をコピー機のスイッチからはずそうとして上告人が酒井ともみ合っている状況下では、手がわずかに酒井の顔面に触れた程度(この程度でしかないことは、当たったとされる部位が眼付近というもっとも敏感な部位であるのに前述の程度の軽傷であることから、容易に推認できる)では、「手が当たったかどうかわからない。当たった可能性はある」との鈴木供述の認識が経験則上、むしろ当然と言えるのである。
原判決は、この点で経験則の適用を誤っていると言うべきである。
(二) 次に1(二)のうち、特段の弁解もしていないとの点については、鈴木供述は「これはもう完全に引っ掛けられたと思いまして、何しろ、また何かさせられると思いまして、出札に丁度組合役員の人がいましたので事情説明というんですか、何して出札のほうに行こうとしました」(証拠略)、「反論出来るような状態でもありませんでしたし、丁度何しろ、私一人で、こちら一人だったし、役員がいないということで、このままいては完全にデッチ上げられて何かさせられると思っていました」(証拠略)と述べている。全く予測していなかった「暴力行為現認」の言葉に接して、事情が理解できないまま茫然として反論しないことや、他に味方する者がいない場で特に無駄な反論をしないことはしばしば見受けられることであるから、特段の弁解をしていないことをもって、「殴打行為」を自覚していたとするのは余りにも飛躍があり、経験則に反している。
また、事件後、出札事務室で上告人が「まずいことをしちゃった、乗らないつもりだったのに乗っちゃった」「転勤かな」などと述べたのも、上告人が暴力事件をデッチ上げて懲戒処分にするつもりだったと気づいて、処分を心配するあまりの言動にすぎず(証拠略)、何ら、殴打行為を自認したものではない。
さらに、佐藤澄男の報告書(証拠略)で、上告人が九月六日、立川駅の公安室へ出頭する途中で、国労組合員に「職場で助役を殴ってしまい、公安室で事情聴取されるので不安だから付添って下さい」と依頼したとされているのも単に処分や公安官の扱いに不安を感じた上告人が「(助役を)殴ったという件で呼ばれている」と述べた(証拠略)にすぎず、殴打行為を自認したものではなかったのである。
このように、1(二)で述べた、原判決が鈴木供述を信用し難い理由として挙げた点は、いずれも鈴木供述中で合理的な説明がなされており、これを単に「(原審における控訴人の供述及び<証拠略>中右認定に反する部分は信用し難い。)」として排斥した原判決には経験則に違背し、かつ理由不備の違法がある。
第七 結び
以上のとおり、原判決は、一方で経験則・採証法則に違背し、審理を尽くさず、かつ理由不備ないし齟齬の違法をおかして、志村・酒井供述を信用できるとし、他方で、経験則に違背し、鈴木供述が故意にあいまいな供述をしているとの疑いを前提に、その信用性を否定した結果、志村・酒井供述に副って上告人の「殴打行為」を認定したのであって、これは、判決に影響を及ぼすべき違法というべきであるから、破棄を免れない。
第二点 解雇権行使の裁量権、団結権侵害についての判断の誤り
第一章 解雇権濫用―憲法の解釈の誤り、理由不備、判例違反
第一 第二点の理由の骨子
一 原判決の判断
1 原判決は、「殴打行為の被害者」とされる「酒井の方にも若干挑発的な振る舞いがあった」「また、その暴行行為が一回だけで短時間にすぎず、けがの程度も軽微であり、酒井の業務にさほどの支障がなかった」ことを認めつつ、上告人の瞬間的行為を「甚しく職場の秩序ないし規律を乱す非行として、到底放置しえない事案」と決めつけ、本件解雇を有効とした。
2 また、原判決は、上告人に「過去に三回の処分歴がある」ことを「本件の懲戒権の行使に当たってマイナスの要素として斟酌したとしても、何ら不当ではない。」とした。
これら三回の前歴が「いずれも組合活動に関連するものであって、組合の指令に基づくものであった」ことを認めつつ、右の判断を下したのである。
3 更に、原判決は「当局側が、特に緊要の課題として、職場規律の確立を強く求めていた時期であったことも考慮すると、被控訴人においてこの非行に対し懲戒免職を選択したとしても、これを社会通念に照らして合理性を欠くとは到底いうことができない。」として、本件解雇当時国労組織攻撃のために当局がことさら打ち出していた「職場規律の確立」の方針を、当局の目的がどこにあったかについて全く認識を欠いたまま是認してしまっている。
原判決は本件解雇「当時国鉄と国労との間には厳しい緊張・対立関係にあり、控訴人が国労の溝の口分会長として、国鉄当局との闘争において指導的立場に立っていた」ことを認定しながら、前記の如き判断を下しているのである。
二 原判決の誤まり
1 判例違反、理由不備
原判決は、使用者側に認められる懲戒権行使にあたっての裁量権の範囲について、これまで判例で積み重ねられてきた立場を逸脱して、著しく広範囲の裁量権を認めた判例違反がある。本件の如き、極めて軽微且つ瞬間的なできごとを理由に、解雇という最も重大な処分を是認することは、過去の判例に例を見ない極端に広汎な使用者の裁量を認めるものであって、判例違反であり、重大な理由不備の違法がある。
2 憲法違反、理由そご
(一) 本件解雇は、上告人が国労組合員であり、しかも国労東京地本八王子支部溝ノ口連合分会の分会長であることを実質的な理由として、被上告人(国鉄当局)が本来選択するべきではない解雇という重い処分を選択したものである。
もし、上告人が国労に所属しておらず、また分会の支部長でなかったら本件解雇はありえなかった。
(二) とりわけ重要なのは、本件解雇当時、全国で一万人以上の国労組合員が、組合指令に基づいて活動した行為を理由に軽い処分を受けていた。このような国労組合員のほとんどが受けていた軽い処分歴を理由に、他労組の組合員よりも重い処分を下すことを是認するというのが原判決の立場である。この立場を前提とすれば、国労組合員と他労組の組合員が全く同程度の非違行為をした場合でも、過去に国労組合員に対してなされた右非違行為と何の関係もない軽い処分歴があることを理由に他労組の組合員よりも重い処分を付することが許されることになる。上告人と同程度の処分歴を有する国労所属の組合員は一万人以上おり、他労組の組合員の処分歴と格段に異なることを十分認識すべきである。
(三) 更に、原判決は労使関係が「当時、厳しい緊張・対立関係」にあったことを認めつつ、そのような関係になった主要な原因が、原判決が肯定的に認定した当局による「職場規律の確立」という方針のもとでの国労攻撃にあったことを看過している。
原判決は、当局自ら国労への組織攻撃をくりかえして、労使間に緊張関係を生じさせたことを認定することなく、この緊張関係の中で生じたハップニングにすぎない本件の如き軽微な事件で「鬼の首」でもとったかのように騒ぎ立てて解雇までする当局の国労攻撃の実態について、全く認識を欠いたまま、解雇を是認した。
(四) このように、所属する労働組合によって処分の選択に区別をつけ、ことさら国労組合員、分会長を重く懲戒することは憲法二八条によって保障された労働者の団結権を違法に侵害するものである。このことを看過した原判決には重大な憲法解釈上の誤りがある。
また、当局の国労攻撃によって、当局と国労とは本件解雇「当時厳しい緊張・対立関係」にあることを認めながら、本件の如き軽微な事件について敢えて解雇を選択した理由として、国労攻撃の意図を認定しなかった原判決は理由そごの違法がある。
第二 暴行事件における当局の裁量のあり方
一 当局の裁量権
1 確かに最高裁一小昭四九・二・二八判決(民集二八、一六六)は、国鉄職員の日本国有鉄道法三一条一項に定める懲戒処分の選択について、当局の裁量権を認めて次のとおり判決し、これがその後のリーディングケースになっている。
「懲戒事由に当たる所為について、具体的にどの処分を選択するのが相当であるかの判断については、懲戒権者の裁量が認められているものと解される。そして、その裁量は、恣意にわたることをえず、当該行為との対比において甚だしく均衡を失する等社会通念に照らして合理性を欠くものであってはならないが、懲戒権者の処分選択が右のような限度をこえるものとして違法性を有しないかぎり、それは懲戒権者の裁量の範囲内にあるものとしてその効力を否定することはできない」。
しかし、右判決は「その裁量の範囲(幅の広狭)の点については特に明らかにされているとはいえ」ず、今後の「具体的事案の積み重ねにより、その点も明らかにされることが期結される。」と評釈されている(裁判解説昭四九年、五〇二頁鈴木康之)。なお右判決は同法に基づく懲戒処分は、行政処分ではなく「私法上の行為たる性格を有するものと考えるほかはない」とした。
民営化したJR各社についてはもとより、民営化前の国鉄においてもその企業実態は民間鉄道会社と何らかわるところのない利益追及組織であることにかんがみても、右判示は当然のことである。
更に、右判決は、「免職処分の選択に当たっては、他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要する」とした。
2 右最高裁判決の立場を前提としつつ、それにつづいて出された国労敦賀支部事件判決(<証拠略>、最高裁一小昭六二・三・一九判決)は当局の裁量の幅について一定の基準を示すものとして注目すべきである。
右事件は、ストライキに際して、代務車掌の乗務を妨害したとして懲戒解雇された三名がその効力を争ったものである。一・二審とも、支部委員長のみについて解雇有効とし、他の二名については「裁量権の範囲を逸脱した無効のもの」とし、この結論を前記最高裁判決も維持した。
判決文からも明らかなとおり、解雇無効とされた二名も威力業務妨害により懲役三月の有罪判決が確定している。最高裁は高裁判決で次のように述べた上での結論を支持した。支部執行委員(原告二名)らは、右委員長の掌握、指揮に従って行動したもので、処分歴がないか、あっても一回だけであり、行為と処分の時間的隔り、勤務態度、行為の動機・原因、同種事案の処分例との比較などの「各事情を斟酌すると、本件行為の重大性は決して看過できないものであり相応の懲戒処分がなされるべきことは当然であるが、懲戒処分中最も重い……懲戒免職処分に付した本件処分は、その選択につき合理性を欠き著しく苛酷に失し、懲戒権の行使について裁量権の範囲を逸脱した無効のものである」。
右判決は、国鉄法に基づく当局の免職処分選択についての裁量の幅について、一定の限界を画したものとして重要である。
二 暴行事件と当局の裁量のあり方
1 では当局の裁量の範囲についてはどう考えるべきか。以下国鉄職員についての前記二最高裁判例と暴行事件について判示した近時の七件の国鉄関係事件に特に注目しながら、若干の検討を加えることとする。
2 正しい事実認定
まず、懲戒処分の前提要件として、特に本件の如き「暴行」事件については、当局の事実認定が誤りのなきものである必要がある。一方当事者の供述のみを採用し、誤った事実認定を前提とするものであれば当然右免職処分は無効となる。
しかし、事実認定の範囲は単に「殴打」行為の存否にとどまらず、仮りに右「殴打」があったとしてもその経過・態様、動機及びそれによる結果(負傷の有無・程度及び業務上の影響の有無・程度)についての事実認定も正しいものである必要がある。これらの事実について誤りがあれば当然その免職処分の有効性は疑問をさしはさまれることになる。
3 平等性・相当性
次に、平等扱いの原則・相当性の原則にかなうものである必要がある(以下次頁までの「 」内は菅野和夫「労働法第二版補正版」三二四頁)。
「同じ規定に同じ程度に違反した場合には、これに対する懲戒は同一種類、同一程度たるべきである。したがって、懲戒処分は、同様の事例についての先例を踏まえてなされるべきことにもなる。また、従来黙認してきた種類の行為に対し処分を行うには、事前の十分な警告を必要とする。」これが平等取扱いの原則である。
「懲戒は、規律違反の種類・程度その他の事情に照らして相当なものでなければならない。懲戒処分に対する裁判所の最も重要な法規制は、この原則を通して行われるといってよい。すなわち、多くの懲戒処分(とくに懲戒解雇)が、当該事犯の懲戒事由該当性を肯定されながらも、当該行為や被処分者に関する諸般の事情を考慮され、重きに失するとして無効とされている。使用者が当該行為や被処分者に関する情状を適切に酌量しないで重すぎる量刑をした場合は、懲戒権を濫用したものとされるのである。」これが相当性の原則である。
これらの原則の具体的運用について指摘した判例は懲戒解雇の効力を争う事件として多数存在するが、ここでは比較的最近出されたダイハツ工業事件の最高裁二小昭五八・九・一六判決(労働判例四一五・一六)を検討する。
右判例は一般論として次のように述べた。
「使用者の懲戒権の行使は、当該具体的事情の下において、それが客観的に合理的理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合に初めて権利の濫用として無効になると解するのが相当である。」
そして、右事件被上告人の行為をもって懲戒解雇としたのは相当であるとして次の判断を下している。
「上告人が、被上告人をなお企業内にとどめ置くことは企業秩序を維持し、適切な労務管理を徹底する見地からしてもはや許されないことであり、事ここに至っては被上告人を企業外に排除するほかはないと判断したとしても、やむをえないことというべきであり、これを苛酷な措置であるとして非難することはできない。それゆえ、以上のような被上告人の行為の性質、態様、結果及び情状並びにこれに対する上告人の対応等に照らせば、上告人が被上告人に対し本件懲戒解雇に及んだことは、客観的にみても合理的理由に基づくものというべき」
右判決からも明らかなとおり、懲戒解雇の基準として考えるべきは、当該労働者を「なお企業内にとどめ置くことは企業秩序を維持し適切な労務管理を徹底する見地からもはや許されない」と評価しうるか否かということにある。
右基準にてらして、国鉄(民営化前のものを指す)の職場における「暴行」事件を理由とした各懲戒解雇事件がどのように判断されているかを改めて検討する。
三 分割民営化攻撃中の六件の免職事件
1 一九八三年(昭和五八年)六月に日本国有鉄道再建管理委員会が結成された頃から、国鉄の職場ではさまざまな形で当局による国労攻撃がくりかえされた。その実態は第四で詳論する。
各職場ではこの不当な攻撃をはねかえすためのねばり強いたたかいが行なわれた。必然的に各職場での労使対立は尖鋭化し、当局はあらゆるささいな事件をとらえて国労組合員に処分攻撃をかけてきた。
当局が国労組合員の職制に対する暴力行為を口実に懲戒処分に付した例も多数存在する。そのうち本件同様懲戒解雇に付した例が六件ある。これら六件について現時点では全て解雇無効の判決若しくは決定が出されている。その内容は次の免職事件一覧のとおりである(略)。
これら六件に比べると本件がより悪質な事案かと言えば決してそうではない。勿論事実認定上の問題はあるが、仮りに判決・決定の認定事実を前提にしてみても、むしろ本件よりはるかに職場に混乱をもたらしたであろうと思われる事案でも解雇が解雇権の濫用として無効とされているのである。
以下、これら六件の判決・決定の特色について簡単に検討を加えることとする。
2 まず、これら六件について、当局(被告もしくは債務者)の主張する処分理由と、判決・決定が認定した事実とを対比して表にすると次のとおりである(略)。なお、<2>の松山免職事件は一・二審の判決の認定事実ともほぼ同一内容である。また、<4>の長崎駅免職事件は仮処分決定文の認定に基づいて表を作成している。
以上の表からも、各事件の判決や決定が、対立する証言等に基づく慎重な事実認定に腐心していることがうかがえる。それと共に、本件事件において上告人がなした行為として認定されている行為以上に長時間に及びまた業務上の支障が生じていることが認められる「暴行」等を認定しながら、なおも免職処分を裁量の免脱として無効としていることが明らかとなる。
右表にあらわした六件の裁判の認定事実と裁量権の行使のあり方についての判断について、事件毎に特色を検討する。
3 鳥栖保線区免職事件(証拠略)
右事件のあった昭和五八年七月当時の職場の労使対立の状況について詳しく認定した上で、当局側にも労使の対立関係を激化させた面があることを特に次のように述べている点が注目される(証拠略)。
「被申請人が主張する被申請人が置かれた状況について検討するに、被申請人の経営状態もおもわしくなく、本件処分当時の被申請人をとりまく情勢が極めて厳しく、被申請人が再建施策の基盤を整える意図のもとに職場規律を確立すべく全力を傾けていた」、「反面、既に認定した各事実を総合すると、被申請人の意向を受けた藤井土木助役等の管理職が右施策の達成を急ぐあまり、労使の対立関係を激化させたことも否定できないところであり、当時の被申請人の置かれた厳しい状況をもって、懲戒権の裁量の範囲をゆるやかに解することはできない。」
4 松山免職事件(証拠略)
まず、一審判決では、当事者が「本件暴行につき告訴、告発をしておらず、……刑事処分の内容も略式命令による五万円の罰金刑という比較的軽微なものに止まった」と判示し、原告が「二度の戒告処分に処せられたことがあるものの、……日ごろの勤務態度に格別の問題はな」かったと指摘している(証拠略)。
更に、二審判決(証拠略)では、「本件事件と比較しうる懲戒免職処分の適切事例も見当たらないので、他事例との比較において本件処分の正当性を根拠づけることはできない」(証拠略)と判示した点が注目される。
現に罰金判決を刑事処分で受けていることにかんがみると、告訴もされず、罰金判決さえ受けていない本件との不均衡が明らかとなる。しかも、松山免職事件では原告の戒告処分は普段の勤務とは関わりのない労使対立に根ざすものであることまで正しく認定しているのである。
5 直方気動車区免職事件(証拠略)
まず、債権者の行為を次のように指弾した(証拠略)。
「職場で紛争が生じれば、積極的に参加して、集団中でも目立つほど粗暴かつ攻撃的な言動を行い、特に、上司である区長、助役らに対して、正当な理由もなく口汚なく罵る行為を繰り返した上、ついには、多数の管理職及び組合員らの面前で、助役に対し唾を吐きかける行為に及んだものであり、その結果、当該助役に与えた屈辱感、嫌悪感、不潔感等の精神的衝撃は大きく、企業秩序に与えた悪影響も軽視できない」
然る上で、なお免職処分を無効とする根拠について次のとおり詳細に述べている(証拠略)。
「本件の背景事情としては、被申請人と申請人所属の国労とが事毎に鋭く対立し、それが申請人の職場である直方気動車区における当局と職員との関係に尖鋭な形で反映しており、前認定の申請人の行為は、いずれも個人的行動ではなく、こうした背景の下での他の組合員らとの集団的行動であったこと、また、申請人は分会の役員ではなく、唾の吐きかけを除いては、右の集団的行動の中で、特に指導的ないし中心的存在であったとまでは認められないこと、右の各行為は、ほとんどが被申請人の本来の業務である列車の運行業務とは直接関係のない場面におけるものであり、列車の運行自体への直接的の影響もなかったこと、唾の吐きかけ行為も、障害行為とは異なり、身体に対する苦痛、損傷を伴っていないこと、申請人が置かれた余剰員という地位は、実作業に就くことなく、毎日を講義、待機等により過ごし、実作業に復帰する目途も立たず、諸手当がないことによる減収も伴っており、それが非常に辛く厳しいものであることは想像に難くないこと、更に、同気動車区における職員管理は、職員側の極めて非協力的な姿勢に原因があるとはいえ、やや柔軟性を欠いた硬直的な対応も散見されること、本件処分前に申請人の受けた処分が減給処分(未発令)までにとどまっていることなど、申請人にとって汲むべき事情もあり、それに加えて、右集団的行動に参加した他の職員に対する各処分との軽重を比較するなど、諸般の事情を総合考慮すると、本件処分は、被申請人の企業秩序の維持確保の見地からも、その原因となった行為との対比において甚だしく均衡を失し、社会通念に照らして合理性を欠き、裁量の範囲を超えたものと認めるのが相当である。
<1> 事件が対立する労使関係の中での集団事件であったこと
<2> 本来業務たる運行業務とは直接関係のないもので業務上の影響もないこと
<3> 暴行の態様と障害の程度
<4> 当時おかれていた申請人の困難な立場と当局の硬直した対応
これらの諸要素は本件免職事件においても全く同様に参酌されるべき要素である。
6 長崎駅免職事件(証拠略)
前記鳥栖保線区免職事件同様、労使の厳しい対立状況について認定した上で、当局側の解雇理由の証明がないとして次のように述べた(証拠略)。
「短い時間になされた行為に関するものであるうえ、後記のとおりの対立関係からして双方とも相手方に不到(ママ)な部分を誇張し、自己に不利な部分はあえて看過することは十分ありうるところであることからすると、いずれに信を措くべきかはにわかには断じ難いうえ、信頼できる中立的第三者の供述や物的証拠が提出されていない以上所詮は水かけ論に終わり、結局債権者が右各行為をなしたことを疎明資料により認定することはできないといわざるをえない。」
この立場は、前述した動労鹿児島機関区事件の最高裁判決の立場を正しく適用したものとして注目される。
そして、免職を無効とする最大の論拠を次のように判示した(証拠略)。
「右当事者らを含む労使の対立関係が継続し、深刻な敵対感情が醸成されてきた中において、双方ともいたずらに挑発し反発し合い、互いの依って立つ立場と人格に対する対理解と尊重を失念したばかりか、むしろこれを否定し蔑視し合う言動に終始し、低次元における不毛の紛議、紛争をことさらに加熱させたところがあるのであり、国鉄という公共企業における職場のあるべき秩序を無用に混乱させた点では、双方とも同等の責任があるといわざるをえずその過程において発生した債権者の側の不穏当な言動のみをとらえて、債務者が専有する最も強大な懲戒処分権を行使することは、いかにも不均衡、不公平の感を免れない。」
職場の労使対立の原因が当局の国労攻撃にあったことを看過している点で問題なしとは言えないが、少くとも本件原判決の如く一方的に当局に肩入れした偏ぱな姿勢と比べると、あまりの違いがある。改めて原判決の当局追従の姿勢に疑問を禁じ得ない。
7 旭川駅免職事件(証拠略)
この事件では、当局が免職処分の主たる根拠とした障害事件について「これがあったと認めるに足りる証拠はない。」として、裁量の逸脱を認定した。
8 筑豊免職事件(本書末尾に抜すいを添付)
本件は、原告両名が逮捕監禁罪で公判請求され、一審で懲役執行猶予判決が出た(控訴中)事件である。
前記表に掲げた認定をしたうえで、特に次のように述べて解雇は酷にすぎると断じた点が特に注目に値する。
「当時、国鉄当局は、職場規律の確立、管理体制の強化の方針のもとに、現場協議制度等、労使間の慣行を変更しようとして国労と厳しく対立し、原告ら国労幹部は、当局の行為に極度に神経質になっていたことが窺われ、末光助役に対しとった本件行き過ぎた抗議行為もそのことと無関係ではないと考えられることなど、その目的、動機、方法、結果、等の諸事情を総合考慮すると、原告らのとった本件行為に対して、何らかの懲戒処分は免れないとしても、免職処分という最も重い処分をもって臨むのは、社会通念に照らしていささか酷にすぎると評価せざるを得ない。このことは、公共性を有する国鉄の職務が一般私企業の職務に比較して、より厳しい規制がなされる理由があること、前記認定のとおり、当時、国鉄の再建は国家的緊急の課題であり、国鉄の職員に対する職場規律の確立の強い要望があったことなどの事情を考慮したとしても、やはり同様である。」
しかも、表に記入したように、原告以上に前歴回数の多い原告小柳(戒告一回訓告四回)についてさえ、「いずれも懲戒処分としては最も軽い処分であって、……本件のような暴力行為を伴うものは含まれていない」と述べて考慮の対象にしなかった。
本件原判決や一審判決とあまりに異なる認定の姿勢であるが、事件当時の当局による国労攻撃の実相を見ればかかる懲戒権の裁量についての認定姿勢こそ、正義にかなう正当なものである。
9 なお、本年(一九九一年)二月七日、福島地裁郡山支部の判決でも、職場規律違反などを理由にした三名の解雇処分について、これを「原告らの行為は国労斗争の一環で管理者の威嚇や硬直的な態度に起因したものが多い」として、当局による裁量権の逸脱として無効としている。国鉄職場における同種事件の判決として、その要旨を末尾に添付するので是非とも本原判決と対比して本原判決の誤りを確認されたい。
10 以上各判例ともに、当局側に懲戒の選択について一応の裁量権を認めつつ、懲戒解雇については特に慎重であるべきだという前提に立っている。
そのうえで、懲戒理由とされる事実関係についての事実誤認や事実の立証がないこと、「暴行」の動機や経過について相手方や当局側にも落度や原因があること、被処分者が業務上特に問題なく稼働してきたことなどを具体的且つ詳細に認定した上で、右裁量の範囲を逸脱したもので解雇権の濫用と認定している。
四 暴行を理由とする懲戒解雇の基準
いわゆる社内暴力を理由とした懲戒処分について、判例学説はどのように論じているか。その暴力が会社の職場秩序に及ぼした影響が尽大であって、懲戒解雇に付することをやむをえないものと認められるか否かが基準となることは言うまでもない。
最近出されたいくつかの判例を検討する。
1 鹿島精材工業事件(大阪地決昭六〇・一・一四、労判四五五)は解雇権の濫用としてこう述べている。
申請人の「暴行はいずれも職場内で従業員に対してなされたもので、理由の如何を問わず、被申請人会社の職場秩序に悪影響を与える行為といわざるを得ないが、右各暴行に至る経過などに徴すると、被害者たる従業員に申請人以上に責められる点があるのであって、申請人のみを強く非難するのは当を得たものとはいえないし、申請人の右各暴行が原因となって被申請人会社の職場秩序に現実的な支障を生じたとの事実も証拠上窺えない。」
なお、右認定は本案判決(大阪地判昭六一・三・二〇、労経速一二五七)でも維持されている。
2 武蔵プレス工業事件(東京高判昭五三・三・二〇、労判三一三)では、八カ月間に二度同僚に対して暴行を加えたことを理由になされた懲戒解雇の効力が争われた。判決は、二度にわたって暴行、傷害事件を惹起した被控訴人に対しては強く反省を求める必要があり、相応の懲戒処分がなされてもやむをえないものと考えられるが、二件の暴力事件とも、暴力を振るった契機、その行為の態様、結果等いずれも被控訴人に懲戒解雇を相当とする程度の悪質重大な行為があったものとはとうてい認められないと述べることにより、本件懲戒解雇の意思表示を、就業規則の適用を誤り、解雇権を濫用したものとして無効とした。
3 高槻高等学校事件(大阪地判昭五三・六・一九、労判三〇一)では、組合活動あるいは団交要求に際して、校長に対し腕組みをしたままで両肘で胸等を押した何回かの行為が就業規則所定の「教育者としてふさわしからぬ非行があったとき」にあたるとして、組合員たる社会科教師に対してなされた懲戒解雇の効力が争われた。
ここでも判旨は、原告の右各行為それ自体は多少の行きすぎがあり、非難は免れないとはいうものの、右行為に至った経過、動機において被告理事および校長の組合に対する態度にも責められるべき点があり、誠意が認められないという意味でお互いに非難されるべき状況にあったといえるし、行為の手段、態様、程度も比較的軽微であり、偶発的なものであって、原告の暴力的、反法秩序的性格を徴憑しているものとは認められないとして懲戒解雇を無効としている。
4 日本サーキット工業事件(名古屋地判昭五三・六・二八、労旬九六三)は、流れ作業の前工程の作業者Xに後工程の作業者である原告が「基板」の流しかたが乱雑であるとして注意した際、Xの応対が悪いとして右基板を投げつけ顔面挫創の傷害を与えたことにつき、Xには謝罪したが、組合の方針に従い会社からの始末書提出命令を拒否し、右命令拒否を理由に懲戒解雇されたという事案である。
判決は、本件暴行の情は軽いとはいえないが、十分に反省しており、また、組合の方針が被害者に反発を生じさせたとはいえ原告の情状を過重するものであってはならないとして、結局、本件解雇を苛酷にすぎ懲戒権の濫用としている。
5 笠組事件(福岡地決昭五一・九・三、労判二六二)では、トラックに貼付したビラ二枚をはがした会社役員に暴行傷害を加えたかどで、就業規則の懲戒解雇事由たる「素行不良で会社内の風紀秩序を乱したとき」に当たるとしてトラック運転手に対してなされた懲戒解雇が無効とされた。判決は、申請人の暴行傷害は、勤務中の上司に対するものであって非難さるべき度合は大きいとはいえ、傷害成立のいきさつから会社も事件発生の原因の一端を担っていることからみて、右傷害の「結果の全部を申請人の責任に帰せしめること」は妥当でなく解雇権の濫用と認めたものである。
6 以上五つの判例は、いずれも暴行を認定した上で、その暴行に至る経過や動機等を参酌し、一方的に原告(債権者)の責に帰すべきでない事情があることを指摘して解雇を酷にすぎるとしている。
第三 本件での裁量のあり方
一 裁量権の行使はどうあるべきか
前項では、暴行の存否や状況及びその前後の状況が問題になる暴行を理由とする懲戒解雇事件における使用者側特に国鉄当局の裁量行為について、裁判所の判断のあり方を検討した。
集約すると次のことが言えるであろう。
<1> 国鉄当局にある程度の裁量が認められるとしても、その裁量の幅は、特に懲戒解雇については慎重たるべきで、相当にせばめられる。
<2> 事実認定にあたっては、暴行の存否・態様はもとより、その運行業務に及ぼした影響を中心に、業務にどの程度の影響を及ぼしたのかの認定が特に重要である。
<3> また右「暴行」の動機や原因について、一方的に行為者(被解雇者)が責を負うべきものであったのか、それとも被害者側・当局側・集団としての責任やそれらの行為が誘引したものでなかったかについても慎重に判断すべきである。
<4> 過去の処分歴や事件に至る経過を認定するにあたっては言うまでもなく、公正な立場で当該暴行事件との関連や有責性を判断する必要がある。
二 本件事件での裁量のあり方
1 本件「暴行」事件は、瞬間のできごとであったことは争いの余地がない。しかも原判決も認定しているとおり「被害者」酒井の負傷はあるかなきかの極めて軽微なものであった。上告人の業務中の事件でもなく、右酒井助役等の業務にも殆ど見るべき業務上の支障もなかった。勿論、列車運行業務には全く影響を及ぼしていない。
「暴行」事件に至る経過も酒井助役が突然コピー機のスイッチを切って、コピー用紙が機械にまだ入っているにもかかわらず、スイッチを切ることに固執し、上告人を力づくで駅長室から出そうとしたことに起因している。
2 このような軽微な事件であったからこそ第一審裁判所は事件に至る背景や控訴人の処分歴等について判断した。原判決もその判断を是認している。
ところがこの点についての第一審裁判所の判断(以下「右判決」という)はあまりにもかたよった著しい事実誤認があった。
第一に、右判決のいうように国鉄の経営は悪化し一兆円を超える債務をかかえていた。その原因について労使双方の国論を二分する如き意見の対立はともかくとして、この債務をかかえた国鉄のたて直しのために職場規律の確立が何故当局の主要方針になるのか。右判決は、当局の職場規律の確立の方針と無批判に前提としてこれに反する労働者の行為を「非行」と決めつけている。しかし、債務をかかえた国鉄がなすべきことは多岐にわたるはずである。当局が赤字解消のための主眼として職場規律の確立を持ち出した真のねらいは、赤字―職場規律の確立を口実に、国労が各職場での長年にわたる活動によって獲得してきた各種慣行を破棄し、国労の職場での活動力を押えつけることにあった。このことを看過して、国鉄の運行業務に直接結びつくものでもない氏名札・ネクタイの着用やバッジ等の取り外し等に固執し、業務上必要もない形式的点呼をくりかえすことによって国労組合員の反発を招きつづけたのは当局であった。このような職場の混乱をもたらした原因がどちらにあったか。無批判に当局の職場規律確立の方針に反することを「非行」と決めつけた右判決の誤りは重大である。
第二に、右判決は、当局が人活センターの設置や進路希望アンケート・職員管理調書等によって、国労組合員である限り新会社に行けないかもしれない、職務上差別されるという威圧をつづけた事実を全く看過している。右判決は「国労と国鉄当局との間に緊張・対立関係が生じ、……武蔵溝ノ口駅の国労分会と管理者との間においても同様に緊張・対立関係があったことが認められる」として、その緊張・対立の責任がどこにあったかの評価を避けているかのようである。しかしながら、前述したとおり右判決は国鉄の赤字対策としての分割民営化や職場規律確立の方針を全く無批判に前提として認定している。また、その施策の延長としてとられた人活センターや国労組合員個々人に対し、様々な機会をとらえて加えられた威圧についても一切の批判的評価を避け、結果として認容しているのである。
第三に、これらの当局の国労攻撃の結果として、国労全体や八王子支部において国労組合員が激減し、とくに溝ノ口駅の分会が本件解雇を機に壊滅してしまったことについて、右判決は一切触れていない。
そもそも志村・塚本・酒井各証人は当局の意を受けて国労分会組織の壊滅をねらっていた一方当事者である。上告人はこの攻撃対象たる分会組織の分会長として当局側の右三名から常にターゲットとされてきた。他の組合員と同様の行動をとってもその責任者として上告人が集中的に責められ、注意を受けた。分会としての抗議活動や駅長等への質問の先頭に分会長として立たざるをえなかった。
このような立場にあった上告人をつけねらっていた当局側が行なった昭和六〇年九月の訓告と翌六一年五月の訓告はいずれもワッペン・氏名札についてのものである。まさに労使対立の焦点であった問題について、対立当事者が行なったものであり、これらによって業務上具体的支障は一片たりともなかった。六〇年三月の戒告も六〇年八月のストライキに他の分会員と共に参加したことについて見せしめ的に行なわれたものである。
3 右判決はこのように、本件「暴行」事件に至る経過についてあまりに被上告人側に追従した立場をとっている。このことは前述した五件の同種免職事件についての判決や決定と比較すればあまりにも明白である。
次章において我々は八王子支部や溝ノ口分会に対する当局の国労攻撃の実態を検討する。この検討を踏まえれば、原判決が前提とするような国労攻撃の目的を抜きにして「職場規律の確立」方針がありえなかったことが明らかである。また、八王子支部や溝ノ口分会において上告人を含め国労の活動家が如何に当局に追いつめられた立場におかれていたのかも明らかとなる。
また、これらについての認定こそが本件解雇の裁量の適否を判断するにあたって不可欠な本件「暴行」事件に至る経過の不可欠な要素となるのである。
第四 処分量定上のその余の事情
一 原判決の判断とその誤り
1 原判決が認容した第一審判決は、「原告は、国労本部等の指令等に基づくとはいえ、個名点呼に反対して度を失した態度を取り、服装の整正のため管理者が行う注意、業務上の指示等を無視してこれに応じないという行動を重ね、加えて、職場規律違反により処分を受けたこともあったものである。」と認定した。そして、このような上告人が本件「暴行」を行なった以上「企業秩序維持の観点から到底看過できない」として免職処分を相当であると認容した。原判決も、三回の処分歴をマイナスに考慮することを是認している。
2 この原判決及び一審判決は、志村・塚本証人らの抽象的で主観的感情的な信憑性のない上告人についての本件事件以前の評価に関する証言に依拠し、上告人の過去三回の処分歴の存在を大義名分として、上告人を「不良職員」と決めつけた上で、このような者が更に「暴行」を働いたのだから免職処分も相当とするものである。
しかし、原判決の右事実認定には重大な誤りがあるうえに、上告人の普段の行動等についての評価も偏頗にすぎるものであって、法の下の平等に反する違憲の解雇を認容しており、理由不備の違法がある。
分会長たる上告人に対する志村・酒井両名を中心とする溝ノ口駅管理者側のいやがらせとも言うべき様々な攻撃とこれに対する上告人ら分会組織の慎重な対応については、後に詳しく述べる。
本項では、過去三回の処分の意味と個名点呼について特に検討を加え、原判決の前記判断の誤りを論証する。
二 過去の処分歴―特にワッペン・氏名札問題
1 上告人が本件処分前に受けた三回の処分は次の三件であった。
昭和六〇年九月一二日付訓告―同年四月ないし八月の間のワッペン着用・氏名札不着用
昭和六一年三月二八日付戒告―六〇年八月五日のストライキ参加
原判決は、これら三回の処分歴があるから、上告人に対する処分量定は一般よりも重くなっても構わないとする立場をとっている。
しかしながら、陽田証言と甲第七七号証の一ないし三によれば次の諸事実が明らかとなる。
これら三回の処分は、いずれも全国の数万人の国労組合員に対してなされた大量の職員に対する処分が上告人にも及んだものにすぎないのであって、とりわけ上告人が目立つ非違行為をしたのではなかった。
の戒告は、国労が全国一斉に展開した八月五日の時限ストライキに対するものであって、全国で六四一二六名もの組合員が処分を受けている。停職一六名、減給七一九名という大量の厳しい処分がなされた中で、上告人は他の九千六百余名と同様戒告であったということからも、同人がとくに目立った行動をとったものではないことは明白である。
2 本件はこれらの処分の当・不当を争う事件ではないので、ここでこの処分の個々の不当性について述べることはさし控えるが、次の二点を指摘しておきたい。
第一に、国労は八・五スト当時に至るまで一貫して国鉄の現業職員についてのストライキ権を奪った法律の違憲性を訴え、スト権奪還は労働組合としての最大のテーマのひとつであったことは公知の事実である。そして、民営化後、JR職員となった旧国鉄職員にはスト権が付与されている。
第二に、(証拠略)「国労読本、組合活動の権利」一〇五頁、一七〇、一八〇頁に書かれているように、国労としては、職員に対しネームプレート着用を指示する当局の業務命令は労働契約の範囲外の要求であってこれに従う義務はなく、また、ワッペン着用はささやかな労働者としての意思表明であって何ら業務を阻害するものではなく正当な組合活動であると考えていた。
陽田証人も次のとおり述べている(証拠略)。
「ワッペンについては、我々の運動を全体で表現をする重要な団体行動の行動として、あってしかるべきだというふうに私は考えます。機関としても分割民営反対を決めて、そうした中でワッペンを全組合員に着用指示したわけであります。」
国労本部や八王子支部においては、ワッペン着用やネームプレート着用拒否について、前記の如き考え方に立って、時期を限定しつつ各支部・分会に指示を下していたのである。(証拠略)のビラにも明記されているように、八王子支部でも正当な組合活動であるとの確信に立って「ワッペン着用斗争」の徹底をよびかけたのであった。
3 我々は次のことも指摘しておきたい。即ち、当局は、わずか三日間のワッペン着用斗争についてさえ大量の訓告処分を出すという過敏な対応をしてきている。一審判決は、控訴人が他の組合員に比べてもことさらワッペン着用や氏名札着用拒否を執拗にくりかえしていたかの如き認定をしているが、前記の如き過敏な処分を見ても上告人が右処分対象期間以外にワッペン着用や氏名札不着用に固執していた訳でないことが明白である。
上告人は原審において、ワッペン着用は「ワッペンの着用斗争期間中」であり、支部指令に他の分会員と一緒に従っていただけである旨言明している(証拠略)。氏名札不着用も全く同様であった。
4 一審判決は、被控訴人側証人である塚本・志村ら証人の、期間を特定し得ない、従って控訴人側としては反論の余地もなくまたその必要性もないはずの主観的抽象的証言を鵜呑みにして前述した如き抽象的認定をしている。しかし、前記二回の訓告対象期間以外についての被上告人側の客観的立証は全くない。一審判決の理由中二、2、(三)に認定したワッペン着用、氏名札不着用についての上告人の行動は他の数万人の国労組合員と同程度のものにすぎず、これを理由に重い処分を選択することを是とするべきものではない。
5 このことは、前述した国鉄関係の七つの判決からも明白である。
とりわけ、<6>の筑豊事件についての判旨は、本件原判決の不当性を明らかに浮きあがらせる正鵠を得た判断である。
三 点呼問題
1 呼名点呼については、これが従前の慣行を無視して突然高圧的な氏名よびすてによる点呼であったために、各職場にいたずらな混乱をもたらした。しかも、この問題について現場労使協議の場もないために点呼の際にできる限りの質問や抵抗をする以外職場国労分会員としては意思表明の方法さえなかった。
特に点呼をめぐって各職場で「ごたごたしたというのは」次の理由によると陽田証人(証拠略)も言明している。
「従来職場で労使関係で行なってきたことを全部白紙に戻すような形で、一方的に国鉄当局の言うことを、すべて反対をせずにやらなければいけないという形で、今までやられたことが……一方的に実施がされました。」
「現場では現場協議制度というのがあったわけですけれども、それも廃止をされまして、職場には労使関係がないという形で上部から指令があったようで、分会が申入れや要請をすることは、現場の駅長等は、そうしたものについては現場では聞けないということで、全く話にかかわっていただけなかった。」
このため八王子支部としても「呼びすて点呼については返事をするなということも機関で指示をしました」し、「その内容についてきちっと納得のいく説明を求めろという指示も、機関として出しています。」
2 このように、点呼時の上告人の行動もワッペン・氏名札問題同様上告人がことさら他の組合員と異なる目立った行動をした訳ではなかった。
一審判決は、上告人が特に返事をしなかったり、背面を向けたり、トイレに行ったりしていたかの如き認定をしているが、原審上告人本人尋問でも明らかなように、支部の指示・指導で「やっていました」し、支部の会議で「確認をされたこと」をやっていただけのことで、「ほとんどの人がやっておりました」ことであった(証拠略)。点呼の最中にトイレに行ったのも、一、二回であって、「再三ということはありません。」
この点についても、一審判決は志村・塚本らの感情的で抽象的な証言をそのまま鵜呑みにして認定を誤っている。
3 ちなみに(証拠略)の東京地本発行のビラを検討されたい。
東京地本傘下の国労組合員に対し、大量二三〇七名の処分がなされている。理由は「始業時即点呼」に対する反対行動を理由とするものであった。
上告人がこのような点呼を理由とした処分を受けていないことは明白である。
即ち、志村証人らはあたかも上告人については点呼時に大変な非違行為があったかの如き証言をしたが、大量の点呼時の混乱を理由にした処分が上告人に対してなされていないという一事をとっても、問題が軽微であったことを明らかに裏付けている。
四 原判決の不当性
原判決は、本件ありもしなかった「暴行」事件をあったことと誤った認定をしながらも、さすがにそれだけを理由に免職相当とすることに気がひけたのか、「他の職場規律を乱す行為」をことさら大きくとりあげて、これも参酌したとして、「あわせて一本」とばかりに、解雇相当と判断した。
しかし、前述の如く、上告人についての「他の職場規律を乱す行為」とは、ことさらとりあげて言う程のこともない他の数万人の国労組合員と同程度のものにすぎない。
仮に、このような処分歴や支部指令に従った行動をとったことを理由にして、通常より重い処分を可とするという論理を是認するとなれば、国労組合員について何か問題が起こった場合、旧動労や旧鉄労組合員と比べて明白に重い処分をしてもよいという憲法一四条の法の下の平等にも反する到底容認しがたい論理的帰結となる。
原判決のこのような極めて不当な理由の不備と憲法違反の認容について、当裁判所におかれては公平な立場で判断されるよう切望する。
第二章 本件解雇に至る経過
第一 法律的位置付け
我々は本章で八二年(昭和五七年)七月の臨時行政調査会第三次答申以降の当局による国労攻撃の実態を八王子支部と溝ノ口駅を中心に論じる。
その法律上の意味は、本件「暴行」事件に至る経過、とりわけ志村・酒井両証人の特殊な一方当事者としての立場、上告人に対する各種攻撃の意味・処分歴の持つ意味を明らかにするためである。
原判決は、八王子支部や溝ノ口駅の国労組合員の追いつめられた状況について全く触れなかった。上告人の証言を二〇分も聞けば判るはずの職場の雰囲気を一切肌で感じることのないまま出された原判決には重大な理由不備の違法がある。当審におかれては、(証拠略)の労働委員会命令で明確に認定されている当局の国労攻撃意思の内容に踏み込んで審理し、この認定をふまえて本件解雇の裁量の誤りについて正しい判断を下して頂きたい。
第二 国労組合員の激減
一 国労全体及び八王子支部について
1 国労所属組合員の急減の事実とその背景については、埼玉地方労働委員会の救済命令(証拠略)が詳細に認定している。即ち、国労全体の昭和六一年五月から分割民営化が実施された六二年四月一日までの国労組合員は別表1(略)のとおりである。わずか一年足らずのうちに(その間に上告人も解雇処分を受け、溝ノ口分会も崩壊した)六六%の組織率が二六%となってしまった。
2 八王子支部の組織率の急減は更に著しいものがあって、別表2(略)のとおりである。「昭和六一年三月一日現在では八〇区所中七六区所」で過半数を占めていたのに、分割民営化後の六二年八月一日には、「八二区所中、一五区所」(証拠略)でしか過半数を占めていない。
3 このような極端な国労組合員の急減の原因について陽田証人(証拠略)は次のとおり述べた。
「国労組合員所属だということを理由にした、多(ママ)労組には手厚い、経済的な面からいっても昇給は割増しの抜てき対象者を余計にし、欠格条項対象者ということで国労の組合員を減給なり、昇給カット、手当カットという形での差別、更には、先ほど電車区の関係で出ましたように、教導運転手の国労から動労への指定替え、更には、国労にいたら本務外しとして交番から下ろしてしまう、最終的には、先ほどもありましたように、兼務発令で他の職場に押し出されてしまう、こういう一連の中で、特に運転手関係では動労との差別が顕著に表れて、次第に国労にいたら損をするということが、まさに職場の中で明らかになって、それによって国労切り崩しが、他の労組と当時国鉄当局と一体になって、差別を行いながら脱退勧奨があったからだというふうに考えております。」
4 このような極端な組合員の減少は原因なくしてはありえない。原因は何か。国鉄の赤字対策として打出された分割民営化や職場規律の確立等を口実にした国労解体・弱体化の攻撃であり、これをもくろんだ当局側の意思があった。
二 武蔵溝ノ口駅について
1 溝ノ口駅においては、八六年二月志村駅長が赴任してから特に極端に国労分会組織への攻撃が行なわれるようになった。もちろん塚本前駅長の頃から当局の意を受けた個名点呼や氏名札着用、活動家の処分等が始まっていた。しかし、これらの攻撃があっても八六年九月末に小林利行が脱退するまでは全分会員が大隅分会長及び上告人分会長のもとに団結し、一人の分裂脱落者も出さなかった。
2 本件事件があった一九八六年九月頃、全国の国労組織率は五〇%台にまで下がっていたが、八王子支部ではまだ七〇%台を維持していた。そして溝ノ口駅の分会では三四名全組合員がまだ国労に残って上告人分会長のもとで団結を維持していたのである。
当局特に東京西鉄道管理局の当局者としては、この八王子支部下で国労切りくずしが「成果」をあげていない職場を何とかして切りくずさねばならないと考えていたことは明らかである。その結果が後に述べる志村駅長を中心とする様々な分会攻撃であり、本件解雇、分会書記長等の人活センターへの放逐、分会事務所・掲示板の撤去更には分会分裂策動への積極的加担による分会つぶしの策動であった。
第三 雇用不安をあおる攻撃
一 再建管理委答申の意味
1 一九八三年(昭和五七年)六月に結成された日本国有鉄道再建管理委員会は、八五年七月二六日、(証拠略)の答申を行ない、その後の国鉄分割民営化の推進はこの答申を基本に行なわれていった。この答申は将来一〇万人もの職員を余剰人員として解雇することを予定したものであっただけに、答申後は「大変な不安と動揺が全職場にあった」(証拠略)。当局はこの雇用不安を最大限利用してそれ以降国労組合員を切り崩す道具にしていくのである。
2 更にこの答申は亀井再建管理委員長の発言(証拠略)にも認められるとおり、国鉄の分割民営化を進めていく過程で「国労と動労を解体し」日本の労働運動全体の体質を改めさせることが目的のひとつになっていた(証拠略)。国労(証拠略)のパンフレット等を作成して、理論的にもまた運動面でも右答申やそれに基づく分割民営化に反対の声を強めていったのは、労働組合として当然のことであった。
二 雇用安定協定等による国労攻撃
1 この再建管理委答申に対し、国労は分割民営化が雇用不安をあおり、国労攻撃の口実となり、国民のための交通政策の面でも不合理であることから反対運動を展開していった。八王子支部でも甲第二八号証のパンフレットなどをつくって世論にも訴えた。
ところが、当初から分割民営化に賛成していた鉄労だけでなく、当初国労とともに答申に対する反対運動を行なってきた動労までもが当局側に立って国労攻撃の陣営に立った。即ち、八六年(昭和六一年)一月一三日、当局と鉄労・動労との間で締結された第一次労使協同宣言以来、動労も分割民営に協力していくようになった(証拠略)。
2 当局の国労攻撃の大きな武器になったのが、一九八五年一一月三〇日に期限切れになる雇用安定協定の再締結問題であった。この締結がないと、日鉄法二九条によって降格・免職もありうるという当局の恫喝は前記答申で雇用不安をあおられている組合員にとって大変効果的な攻撃だった(証拠略)。
当局は、鉄労・動労との間で先行して締結した雇用安定協定を、国労に対しては(証拠略)の書面に認められるとおり各種条件を受入れることを前提としない限り締結しない旨通告した。その条件とは当局の退職や派遣を「強制・強要・差別」の中でも認めろというものであった。国労は「本人の意向の打診を尊重すべきであるという前提に立って出向とか希望退職を実施すべきである」と主張した。この国労の主張を当局が認めないために、雇用安定協定締結をめぐる交渉は結局妥結に至らなかった(証拠略)。
八五年一〇、一一月の労使交渉の結果、当局は国労については雇用安定協定の締結を拒否した。そして、それ以降、当局が国労組合員の雇用不安をあおって国労脱退を働きかける工作はより巧妙になっていった(証拠略)。
3 八六年(昭和六一年)一月一三日に当局と動労・鉄労間で第一次労使共同宣言が締結された(証拠略)。この第一次労使共同宣言は、実質的に「労働組合としてストライキそのものを放棄する」内容を含むもので、「リボン、ワッペンの不着用、氏名札の着用」まで実質上誓約し、事実上分割民営化・希望退職募集への労働組合の協力を誓わせるという、極めて一方的なもので、「労働組合である以上拒否する外ないもの」であった(証拠略)。当局は、それ以来、更にこの第一次労使共同宣言を締結しない限り雇用安定協定も締結できないとして国労を追いつめていった。
4 更に、本件処分の直前である八六年八月二七日、当局と国労以外の労組間で第二次労使共同宣言(証拠略)が締結された。これは、「組合は今後争議権が付与された場合においても鉄道事業の健全な経営が定着するまでは、争議権の行使を自粛する」という表現まであるもので、一層露骨に「労働組合としての存在価値そのものを自ら捨てる役割を果たしている」ものであった(証拠略)。
こうして、国労以外の各労組は、完全に当局の分割民営化方針に迎向して職場でも当局の意を汲んだ国労攻撃を展開するようになった。
三 他労組をからめた国労攻撃
1 これら国労攻撃を企図する当局と軌を一にして、鉄労・動労をまきこんだ国労攻撃が行なわれた。この典型が(証拠略)の鉄労作成のビラである。このビラでは、「国労では雇用を守れません」「国鉄法二九条発効もありうる」として「雇用安定協定、労使共同宣言、企業人教育」を「雇用へのパスポート」とし、当局の意向に即した形で国労組合員の雇用不安をあおっている。「国鉄改革に取り組む姿勢こそ新会社への選抜基準です」との表現は、当局の本音を鉄労が代弁しているものに外ならない(証拠略)。
2 更に、当局の攻撃は国労組合員の大量脱退、新組合の結成を促すことになる。(証拠略)の表のように八六年四月一三日に新国労が結成されるのに始まって全国各地に国労からの大量脱退がつづいた。このような動きにも耐えて大量脱退を防いできた八王子支部においても八六年夏頃から同年一二月二二日に東日本鉄道産業労働組合(東日労)となる分裂のうごきがはじまった(証拠略)。このため同年一一月には、同支部で東日労の結成を機に約一〇〇〇名もの組合員が国労から脱退したのである(証拠略)。
3 この大量脱退に先立つ約二カ月余り前の八六年(昭和六一年)七月、動労・鉄労・全施労・真国労などが改革労協を結成した。そしてこの組織が母体となって、同年八月二七日、前述した民営化後のスト権法規を明記した第二次労使共同宣言が締結され、それ以降労使一体となっての国労つぶしにはっきり焦点をしぼった国労包囲陣が形成されていったのである(証拠略)。本件解雇は、右第二次労使共同宣言直後の事件である。
四 進路希望アンケートによる国労攻撃
八五年一二月から翌八六年一月にかけて、当局は「分割民営という方針が決まっていないにもかかわらず、その前にどこに行きたいかということを……先に希望をつかむ」という問題をはらんだ(証拠略)アンケート調査を実施した。全職員に乙第二二号証のアンケート調査用紙を突然配布して回答記入を迫ったのである。国労はこの調査は、まだ決まってもいない「分割民営そのものを推進するものであるということから大変問題がある」(証拠略)と指摘した。白紙で出したり回答拒否した国労組合員も多かった。これに対し、当局はこのような対応をした国労組合員を個別に呼び出し、「その理由を質す行動を一斉に行」ったのである(証拠略)。
国労の分割民営反対の主張を無視し、その頭ごしに当局が推進しようとする分割民営方針の既成事実化を直接組合員個々人に対して図り、更には個々の組合員をこのアンケートへの非協力を口実に説得しようとする、当局の巧妙且つ悪質な国労攻撃であった。
第四 人活センターによる攻撃
一 人活センター設置とその狙い
1 一九八六年(昭六一年)七月以降全国各地に設置され拡大されていった人活センターは、最も露骨で効果的な国労攻撃の武器となった。
当局は、その設置理由を次のように述べた。
昭和六一年度当初の余剰人員数は全国で約三万八〇〇〇人であり、現在進めている合理化が完了した時点で八万人を上回る「余剰人員」が発生することが予定されているからというのである。
本件事件のあった八六年一〇月一日時点で、一七、七二〇名が人活センター配属となり、国労東京地本の職場でも八六年一一月一日時点で七八ヶ所に二、二三一名が配属された。
2 国労組合員への差別的選別
「人活センター」配属者の組合別の構成は国鉄労働組合が全体の八一パーセント、動労一〇パーセント、鉄労五パーセント、全国鉄動力車労働組合連合会(以下「全動労」という)二パーセント、その他二パーセントとなっており、圧倒的に国労に集中した。国労東京地本の関係では、「人活センター」配属者のうち、国労は二、二五八名中約一、八〇〇名で、その割合は八〇パーセントとなった。国労東京地本の組織比率が五一・三八パーセント(但し、昭和六一年一〇月一日現在)であったから、国労組合員を特に選別して人活センターに配属したことは明らかであった。
更に、「人活センター」に配属されている国労東京の組合員のうち、特に支部や分会の役員が高い比率をしめ、「人材活用センター」への人事配置が国労組合員及び組合役員らに集中し、国労組合員であること、更に組合活動家であることの故に差別的に選別された。
二 人活センターの実態
人活センターにおける作業内容は、当局の説明によれば増収・経費節減・教育などとされていた。しかし、実態としては草むしり・窓ふき、清掃などの雑役・軽作業が指示されており、運転業務・営業業務などの本来の業務への就労は拒否された。具体的な作業指示すらなく、たんに詰所に待機を命ずるだけの場合もあり、詰所の外に一日中出ないように監視するという状況もあった。雑役・軽作業への就労期間の明示もなく、いつ、元の本来の業務に復帰できるかが全く明らかにされないままであった。
当時、国労組合員にとって最大の不安は分割民営化後の新会社で雇用が守られるかということにあった。「人活センター」への担務指定はそのまま民営化に伴う整理解雇の対象になるという不安を当局側の管理職が、ことさらあおっていった。
三 八王子支部での攻撃
1 八王子機関区人活センターへは八六年七月から一〇月にかけて七名の人活センターへの配属が強行された。このうち病弱な一名以外の六名は全て国労八王子支部にあって分会長や執行委員を担当している組合活動家ばかりであった。
同人活センターの勤務時間は毎日午前八時三〇分から午後五時五分までとされ、右六名は、安全柵や消火バケツ等のペンキ塗り、草むしり、窓ふきあるいは詰所の片付けといった、本来の職務とはまったく無縁な雑役に従事させられた。
毎日のパターンは、出勤時に首席助役が点呼をとり、その日の雑役作業を指示するところからはじまる。出勤してみないと雑役の内容もわからず、日によっては右六人で一日中の仕事として灰皿一個、バケツ一~二個のペンキ塗りだけを命じられることさえあった。出勤点呼の時以外には、作業指示者とされる首席助役は詰所に顔を出さない。右六名は単に、収容し放置されているような場合も多くあり、いわば飼い殺しと称しても過言でないほどの仕打を受けつづけたのである。
2 このような人活センターへの選別がなされる一方で、職場では「盛んに動労・鉄労などがお前は国労にいれば人活センターに行くようになるということで脱退工作をしていた」(証拠略)。
更に、この選別差別攻撃は八七年四月の新会社移行後もつづいた。人活センターに配属されていた国労組合員のほとんどが、本務から外されて担当業務上露骨な差別を受け、現在に至るまで不当な差別攻撃がつづけられているのである(証拠略)。
四 企業人教育とインフォーマルグループ
1 企業人教育も「分割民営をどう促進させるか、その促進のために意識改革をどうしていくか、で、それに反対している国労は問題だ」という「意識改革が中心」のものであった(証拠略)。現に、(証拠略)の参加者の感想を見ても「国労じゃだめなんだということ」を、そういうニュアンスを特徴的に出している(証拠略)。
例えば、八王子支部組合員の一部が八六年八月二五日から九月五日まで、静岡県三島市にある三島鉄道学園に、第一回特設研修科・企業人教育の研修に参加することを命ぜられた。そこでの研修内容は、団体行動訓練と称して、整列させ「まわれ右」をさせ、戻す等の行動をくり返したり、映画「八甲田山死の彷徨」を見させて感想文を書かせたり、箱根八里越えと称して三二キロメートルを行進させる計画までも予定するというものであった。これらは全て「意識改革」をせまると公言してなされたものであるが、右三二キロメートルの行進については、新聞報道され、世論の批判や国労の抗議によって、さすがに中止される結果となった。
2 更に、この企業人教育に参加した者を中心に各職場にインフォーマル組織(「勤務時間外にオレンジカードを売り、草刈りをし、ペンキ塗りをする」などの任意組織、<証拠略>がつくられて、より一層国労組合員を追いつめていった(証拠略)。
この企業人教育は溝ノ口駅の分会組織を攻撃する上でも巧妙に使われた。
八六年夏、企業人教育に参加した者の中からの働きかけという体裁をとりつつ、当局の意を受けて九月二二日から二九日の間に「武蔵会」という名称のインフォーマル組織がつくられた。呼びかけ人となった分会員小林利行に対し、同駅の小林助役が「窓口になってくれないか」と働きかけを受けて、職制の肝入りで結成されたものであった。この「武蔵会」は分割民営化を促進し、増収活動を行ない、経費節減を目的とするものであった。そして呼びかけ人の小林利行は九月三〇日、武蔵会に加入した町田紀夫は一〇月二日、同じく七澤均は一〇月三日に順次国労から脱退していったのである。
この動きの中心であった小林利行は他の駅の助役から「国労に残っているのではだめだ」と言われて結局国労を脱退している(証拠略)。
3 この小林利行の脱退が溝ノ口駅の国労分会員の中では初めての脱退であった。その後約二ヶ月のうちになだれを打つように脱退がつづき、九月末には組合員有資格者三四人全員が国労に所属していたにもかかわらず、同年一一月末にはわずか三名が国労に残るだけとなってしまったのである(証拠略)。
第五 国労活動家への見せしめ的攻撃
当局は活動家を人活センターに放逐して「飼い殺し」的扱いにするだけでなく、本務に残っている活動家に対して様々な職務差別を行なった。あまりに多様で全国的傾向を述べても抽象的叙述になるので、特に八王子支部にしぼっての一端を指摘する。
一 八王子支部分会役員に対する昇給、一時金差別
1 まず、分会役員をねらいうちにした昇給や一時金差別の実態について指摘したい。
昭和六一年七月四日、東京西管理局は八王子支部組合員について上告人を含む分会役員を中心に一二三名について昇給延伸の差別的取扱いをした。甲第七八号証の一で上告人自ら書いているとおり、「分会書記長で途中から分会長ということ」を理由にした不当なものであった。
同年夏季一時金についても大量四一六名について一律五%カットの不当差別をした。この理由について、上告人らが溝ノ口駅当局者に問いただしても「『この一年間言ってきた事』と具体的理由を明らかに」せず、「日常的な組合活動を理由とした処分攻撃」であった(証拠略)。
溝ノ口駅でこの二重の不利益扱いを受けたのは、分会長たる上告人と書記長の小林裕二、執行委員の稲垣の三名で、いずれもその後免職ないし人活センターへ配転になった者らである。この詳細な分析については(証拠略)準備書面で具体的に行なっているとおりである(証拠略)。
分会役員の昇給昇格が見送られ、動労組合員が昇給・昇格する例が大量に発生した。
2 陽田証人はこのような不利益処分がもたらす影響について次のとおり証言した。
「昇給をカットされ手当をカットされれば、生活資金そのものが減額されるわけですから、当然経済的に痛手をこうむることは間違いないと思います。」「特に役員、活動家をねらいうちしたカットですから、一般組合員もそういう面から見れば、国労の役員、活動家から、だんだんだんだん離れていったほうがいいのかなという、危機感を抱いたことは間違いないというふうに言えます。」
二 分会役員に対する配転攻撃
1 次に、八王子支部の各分会に対してなされた、分会の中心人物の他職場への配転による分会つぶしの攻撃を指摘する(証拠略)。
<1> 国分寺駅分会では、六一年三月にそれまで分会長だった相馬光秋を新宿要員センター(後の人活センター)に放逐し、更にその後分会長になった右田幸人を同年六月同じく三鷹要員センターに放逐した。
<2> 荻窪駅でも、六一年六月に松浦元分会長と桜田副分会長を新宿要員センターに放逐した。
<3> 立川駅の海老原分会長、相原駅の三浦書記長も他の職場に配転した。
<4> 西荻窪駅では六一年六月高野源一分会長を他に配転し、後任の清水昇分会長まで一ヶ月後に他に配転した。
2 武蔵溝ノ口駅における大隅分会長の六〇年末の配転や六一年八、九月の小林書記長や分会活動家であった稲垣、前田、堀内の配転も前記の如き分会つぶしのための役員に対する配転攻撃と軌を一にするものであった。
(証拠略)で、埼玉地労委は、六二年四月以降、八王子支部の三役と執行委員計一〇名のうち専従の四名を除く他の六名全てが本務から外されて清算事業団や本務以外の担当となった旨認定している(証拠略)。このように、西管理局が国労八王子支部組織を崩壊させるべく、一貫して支部の役員や分会役員を意図的にその職場の仲間から切り離してしまうことを策してきたことは明白である。
三 分会員に対する乗務差別
1 八王子支部では、中山充郎のように運転乗務員が降ろされて予備勤務となり、更にささいなことを理由に乗務停止となる事態も生じた。更に、運転関連では、国労組合員を意識的に教導運転手から指定解除して、動労組合員に差しかえる事態が大量に発生した(証拠略)。
これらの差別取扱は職場内の見せしめ的効果の外、現実に手当が二〇〇〇円減額という結果ももたらしている。
被上告人は種々弁明するが、次の表(略)を見れば如何に組合間差別が露骨であったか明白である。
2 このような国労組合員に対する差別的取扱いは分割民営化があった昭和六二年五月以降の配属差別の実態においても顕著である。
このことは、(証拠略)多くの労働委員会救済命令が明らかに認定している。
従前担当していた本務から外されて「兼務」と称して鉄道運転等本来の業務と関係のない業務等にまわされた救済命令の対象組合員の多くが八王子支部の各分会の中心人物であることは(証拠略)からも明白である。
四 当局者の国労攻撃の発言
1 このような露骨な国労攻撃をしてまでも、国労の組織を弱体化させ、ひいてはストライキ放棄まで約束してしまった動労・鉄労―その後の東鉄労と一体化させてしまいたいという当局者の目的は次の如き国労嫌悪の当局幹部による相次ぐ発言からも明白にうかがえるのである。
これらの発言は各労働委員会の救済命令でくりかえし認定されているところであり、当局側もその事実を争っていない。ここでは(証拠略)の東京都労働委員会の認定にかかる部分をやや長い引用になるが抜すいしておく。まず、一八ないし二〇頁で次のように認定している。
「<6> 六一年七月一八日、動労、鉄労等4組合は「国鉄改革労働組合協議会」(以下「改革労協」という。)を結成し、同月三〇日国鉄との間で「国鉄改革労使協議会」を設置した。そして、八月二七日国鉄と改革労協は、争議の自粛を含む「今後の鉄道事業のあり方についての合意事項」(第二次労使共同宣言)を締結し、国鉄改革に向けての提携、協力関係を深めていった。ちなみに、その後の六二年二月二日、改革労協を中心として前述のように鉄道労連が結成され、組合員約一二六、〇〇〇名を擁する国鉄内最大組織となった。
<7> このような状況のなかで、六一年五月二一日、国鉄本社の葛西敬之職員局次長は、動労の東京地本各支部三役会議に招かれた席上国鉄改革問題にふれ、「『分割・民営』を遅らせれば自然に展望が開けるという理論を展開している人達がいる。国労の山崎委員長です。……レーガンがカダフィーに一撃を加えました。あれで国際世論はしばらく動きがとれなくなりました。私はこれから山崎の腹をブンなぐってやろうとおもっています。みんなを不幸にし、道連れにされないようにやっていかなければならないと思うんでありますが、不当労働行為をやれば法律で禁止されていますので、私は不当労働行為をやらないという時点で、つまり、やらないということはうまくやるということでありまして……」などと発言した。
同年五月、国鉄本社の岡田圭司車両局機械課長は、全国の各機械区・所長に宛て、国鉄改革のためには職員の意識改革が大前提であり、この意識改革とは「当局の考え方を理解でき、行動できる職員であり、新事業体と運命共同体的意識を持ち得る職員であり、真面目に働く意思のある職員を、日常の生産活動を通じて作り込む」ことである、「いま大切なことは、良い職員をますます良くすること、中間で迷っている職員をこちら側に引きずり込むことです。良い子、悪い子に職場を二極分化することなのです」などという内容の書簡を発した。
また、国鉄の杉浦総裁は、同年七月、鉄労の定期大会に来賓として出席し、「鉄労のスピーディーな対応には感謝に耐えない。国鉄改革の大きな原動力である。」などと鉄労を賞賛するとともに、ほぼ同時期に動労の定期大会にも出席し、「国鉄の組合のなかにも『体は大きいが、非常に対応が遅い組合』があります。この組合と仮に、昔、『鬼の動労』といわれたままの動労さんが、今ここで手を結んだといたしますと、これは国鉄改革どころではない。……あらためて動労のみなさんに絶大なる敬意と賞賛の言葉を申し上げます。」などと挨拶した。
そして、同年八月二八日、杉浦総裁は、五一年に国労、動労に対して提起したいわゆるスト権ストによる二〇二億円損害賠償請求訴訟を、動労部分について取下げる旨発表した。
<8> 以上のような事態の推移のなかで、六一年四月一三日、国労組合員約一、四〇〇名が国労を脱退して真国労を結成し、動労、鉄労と協同歩調をとる方針を明らかにした。同年一〇月九日の国労の第五〇回臨時大会(修善寺大会)で、執行部は雇用安定協約締結のため必要な効率化を推進し、労使共同宣言締結の意思を明らかにするなどの「当面する情勢に対する緊急方針」を提案したが否決され、総辞職し、これに伴って選出された新執行部は引き続き分割民営化反対の方針を維持することを明らかにした。総辞職した執行部らの旧主流派はその後六二年二月二八日、日本鉄道産業労働組合総連合(鉄産総連)を結成した。
こうして、六一年四月一日時点で組合員一六五、四〇三名(組織率六八%)を擁し、国鉄内最大組合であった国労は、同年七月以降毎月一〇、〇〇〇名以上が脱退し、六二年二月一日までに、組合員六二、一六五名(組織率二七%)と激減した。ちなみに、六一年四月一日時点における動労の組合員は三一、三五三名(一三・〇%)、鉄労の組合員は二八、七二〇名(一一・九%)であったが、六二年二月一日の時点では、動労組合員は三六、一四三名(一五・九%)、鉄労組合員は四八、三三二名(二一・二%)と増加した。」
2 武蔵溝ノ口駅において、志村駅長が分会員個々人を駅長室に呼んでいわゆる修善寺大会に言及し、「六本木派ではダメで山崎派でなければならない」旨強調して、松村分会員らを中心にした国労大量脱退・東日労への参加を工策したのもまさにこの時期(昭和六一年一〇月)であった(人証略)。
鈴木分会長(上告人)の本件免職処分による放逐と小林書記長の配転による放逐はこれらの動きに並行してなされたものである。
3 なお、このような国労嫌悪の発言は、新会社発足後もくりかえしなされている。
前記救済命令二〇、二一頁から引用しておく。
「<2> 六二年五月二五日、会社の松田昌士常務取締役は「昭和六二年度経営計画の考え方等説明会」において、「職場管理も労務管理も三月までと同じ考えであり、手を抜くとか卒業したとかいう考えは、毛頭持っていない。とくに東日本の場合は従来と中身は少しも変わっていないのだから。二ヶ月経ったから遠慮なく申すが、もう我慢出来ない。非常に危険な状態になっている。当分は立ち上がって闘う必要がある。闘争心、競争心を忘れないように。」「会社にとって必要な社員、必要でない社員のしゅん別は絶対に必要なのだ。会社の方針派と反対派が存在する限り、とくに東日本は別格だが、おだやかな労務政策をとる考えはない。反対派はしゅん別し断固として排除する。等距離外交など考えてもいない。処分、注意、処分、注意をくりかえし、それでも直らない場合は解雇する。人間を正しい方向へ向ける会社の努力が必要だ。」などと述べた。
<3> 東鉄労は、同年八月六日、定期大会を開催し、旧動労・鉄労などの組合員で構成する完全単一組合への移行を決定したが、この大会に来賓として出席した会社の住田社長は、挨拶のなかで「今後もみなさん方と手を携えてやっていきたいと思いますが、そのための形としては、一企業一組合というのが望ましいことはいうまでもありません。残念なことに今一企業一組合という姿ではなく、東鉄労以外にも二つの組合があり、その中には今なお民営分割反対を叫んでいる時代錯誤の組合もあります。……このような人たちがまだ残っているということは、会社の将来にとって非常に残念なことですが、この人達はいわば迷える小羊だと思います。……皆さんがこういう人に呼びかけ、話し合い、説得し、皆さんの仲間に入れて頂きたいということで、名実共に東鉄労が当社における一企業一組合になるようご援助頂くことを期待し……」などと話した。」
4 これらの会社幹部の発言から、当局が国鉄の分割・民営化の前後を通して一貫して追求してきたのは、当局の方針に従おうとしない国労を、他労組と協力し、あるいはそそのかして、弱体化しひいては解体して当局・新会社の意向に沿って活動する労働組合に一本化したいというねらいである。
この方針が、武蔵溝ノ口駅においても、露骨なまでに実施されていたのが、本件免職事件当時の状況であったことは既にくりかえし指摘してきたところである。
五 溝ノ口駅での配転攻撃
前述したような分会活動の中心人物の配転による放逐は溝ノ口でも強行された。
1 同分会でまず問題となったのは大隅美夫(当時の)分会長への配転攻撃であった。同氏は昭和四〇年代半ばから六〇年末まで約一五年の長期間にわたって南武線の武蔵溝ノ口、武蔵新城の二駅の職員で構成される溝ノ口連合分会の分会長として溝ノ口駅で働く国労組合員を集約するだけでなく、南武線連絡協議会や八王子支部内でも重要な役割を果たし、駅長と対等の労使関係を維持してきた人物で、溝ノ口駅の分会員にとって欠くことのできない人物であった。
当局は、この大隅氏を八五年(昭和六〇年)末に立川駅の機動に配転させて、長年つちかってきた団結をほこる分会組織から放逐することにより、同人の溝ノ口分会はもとより南武線管内での影響力を消してしまおうとしたのである。
この頃、同駅の中沢助役が「これで溝ノ口(分会)も終わりだな」と言いつつ大隅転勤の掲示を張り出したことにも、当局が大隅を他に配転することで同駅の国労組織を弱体化させようとした目的があらわれている(証拠略)。
八六年一月二〇日、分会の臨時大会(証拠略)が開かれた。この大会は大隅氏が同駅からいなくなったあとの分会長を決めるのが目的だった(証拠略)。
2 上告人に対する本件解雇を強行したあと、当局は更に分会書記長小林を新宿駅人活センターに排除した。この書記長放逐で、当局は分会組織攻撃の最後の仕上げを策してきたのである。
これに先立って同年八月一八日には分会の活動家であり、先に同年春の昇給差別を上告人らと共に受けていた稲垣忠志が新宿駅人活センターに配転になった。この人事も全国的に行なわれてきた人活センターへの国労活動家の「収容」攻撃の一環であり、前述した(証拠略)にあらわれている八王子支部への攻撃と一連のものである(証拠略)。
3 また、翌八月一九日には分会で共済担当の重要な活動家であった前田秀夫と、溝ノ口分会の班長で分会で長年のキャリアを有する堀内義克の両名が他の駅に配転になり、分会の人間関係に更に動揺を生ぜしめた(証拠略)。
そして、八六年一〇月一六日、突然小林書記長に対し新宿駅人活センターへの配転が発令されたのである。本件解雇処分の二日後のことである。後述する国労修善寺大会後の志村駅長による分会員個別説得、これを受けた松村順一らによる東日労への集団脱退という、分会解体攻撃の直前の攻撃であった(証拠略)。
六 国労活動家への見せしめ的本務外し攻撃
1 人活センター、職務差別配転攻撃にとどまらず、当局は日常的に国労の中心的活動家を各職場で本務から外して見せしめ的作業をさせることで、当該活動家はもとより、他の一般組合員へも威圧を加えた。
この実例も枚挙にいとまがない程であるが典型例をいくつか指摘する。
例えば、八王子支部中野電車区書記長の大貫知は、八六年一〇月に人活センターに放逐される前の同年三月以降、詰所のペンキ塗り、列車の字幕ガラス拭きなどの雑務を命じられた。
同分会執行委員の大橋幸光も同様の雑役に従事させられた。
前述した豊田電車区分会の中山充郎も乗務から外れた八六年六月以降はコピーや草むしりを命じられた。
2 同様の見せしめ的本務外しは溝ノ口駅でも分会長である上告人や書記長に対して強行された。
八六年六月には二日間にわたって、上告人は駅長の指示で本来担当の出札業務を外されて、業務とは何ら関係のない就業規則の清書を駅長室でやらされた(証拠略)。いわば苦業二日という訳である。上告人にとってちょうど母親が死去したばかりの時であってその攻撃への怒りは身に浸みるものがあったが、他の組合員への「駅長らに逆らうとああいうことまでさせられる」と感じさせる威圧効果も十分であった。更に同年八月一三、一四日の二日間、今度は小林分会書記長に対して原告に対すると全く同様の苦役を強いた。
この頃小林書記長に対しては前例のない土手の草刈りまで命じている。酒井助役から「指示に従わないと勤務を外して別の仕事をさせるぞ」と脅かされていたのでこの不当な業務指示にも従うしかなかったが、分会書記長に対する見せしめ以外の何物でもない(証拠略)。
なお、上告人に対しては、酒井助役において二回にわたってこれまた前例のない線路のゴミ等すいがら清掃を命じている。上告人が、ゴミ清掃のために必要なくつを普段着用していないことを知りつつ強要したこれまで同駅では前例のない見せしめ的な指示であった。八五年一〇月八日には、この業務命令を契機に、酒井助役は上告人を線路上で転倒させるという事態まで生ぜしめているのである(証拠略)。
第六 ワッペン、氏名札、ネクタイ及び点呼をめぐる攻撃
一 規律確立と氏名札、ネクタイ
1 確かに上告人はワッペン問題で二度訓告の処分を受けた。しかし、本来の業務である出札業務とは全く関係のないこれらのささいなことで敢えて各職員を難詰して当局の指示に従わせる必要があるのであろうか。
ネクタイをしようとしまいと、接客業務をきちんとこなしていれば何の支障もないのではないか。ワッペン・氏名札・点呼も同様である。
しかも、これまで国鉄の職場ではワッペン斗争がくりかえし平穏に行なわれてきたし、氏名札・ネクタイの着用は指示されてこなかった。ネクタイに至っては職員に支給もされていないのである。
点呼も塚本前駅長でさえ疑問に思うような軍隊式の個名点呼が上からの指示で突然ある日から毎朝強行されるようになった。
これらの極めて形式的な「規律の確立」のおしつけが現場にどんな影響をもたらしたのか。まず、その典型例として国分寺駅分会の実態を若干指摘する。
2 当局は、国分寺駅職員に対し、八五年一月一六日から、突如として、分割・民営化にむけた職場規律、管理運営体制の強化のために就業時間中に駅長や助役などの管理職が職員を集め、名前を呼びすてにする点呼を行ない、一人ひとりの職員に対し「はい」「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「お待たせいたしました」などの接客六大用語の唱和を強要させるようになった。八王子支部では、当局の職員の名前の呼びすてによる点呼や、接客六大用語の唱和の実施は、分割・民営化に反対の姿勢を崩さない国労及びその組合員の思想良心に対する攻撃と把え、拒否の方針を確認し、それに臨んでいった。当局は、分会のこの闘争に対し、点呼の呼びすてについては、同年七月ごろ、○○職員という点呼方式に改めたが、接客六大用語の唱和の強要の姿勢は崩そうとしなかった。
接客六大用語の唱和については、「唱和をしないと新会社に残れない」などという恫喝や助役らによる職員一人ひとりを呼んでの執拗な職員に対する説得のため、分会員のなかにも唱和に応ずる者も出てきた。こうした中で、八六年三月、相馬前分会執行委員長の配属が強行されたのであった。しかし、それ以降も分会執行委員会などを中心に、当初の分会の運動方針を堅持し、断固として、接客六大用語の唱和を拒否する闘いを貫いた。
助役は、「唱和をしないと新会社に行けない」などと必死になって、組合活動切り崩しのため、職員の将来に不安を与えるような支配介入的言動を行なった。
3 国分寺駅においては、職員に対しては、夏期用衣服として盛夏着が支給されているが、この盛夏着を着用して業務に従事する職員については、八五年までその職員がネクタイを着用するか否かは、本人の自由にまかされてきた。また、当局の方も開襟シャツ、盛夏服については、ネクタイを着用しなくてよい旨の言動を繰り返してきた。
ところが、八六年四月以降、当局は点呼時のたびに助役らを介し、七月一日から九月一四日の盛夏着の着用期間以外に盛夏着を着用するときは、「接客業務に従事するのだからネクタイをするのは常識である」として、ネクタイを着用する旨の業務命令を濫発し、ネクタイ着用を強要する態度に出てきた。
当局の右のような八六年四月からの盛夏着についてのネクタイ着用の業務命令は、職員の従来の職場の労使慣行に反するばかりか、全く合理性がないものといわなければならないものであった。国分寺駅分会としてはこのようなネクタイ着用の業務命令を拒否してきた。
なお、国分寺駅には、民間の西部鉄道の多摩湖線と国分寺線が乗り入れているが、夏服着用時は、同じように接客業務に従事する西部鉄道の一般職員はおろか管理職もネクタイは着用していない。このことからも、本件業務命令が如何に恣意的なものであるかがわかる。
二 溝ノ口駅での攻撃
1 このようなネクタイ、点呼、氏名札・ワッペンをめぐるやりとりは、溝ノ口駅でも第三者から見れば滑けいな程に尖鋭に行なわれた。
武蔵溝ノ口駅で日常的に労使対立の焦点になったのは、氏名札とネクタイの着用及び個名点呼の強要の如き、抹消な問題であった。
国労組合員の点呼やワッペン・ネームプレートをめぐる現場での管理職との対応については、その都度具体的指示が八王子支部執行部から指令・指示が出された。現場での管理職の強引な対応に対し組合員の混乱を避ける必要があったからである(証拠略)。ワッペン着用斗争やネームプレート着用拒否斗争について、支部としては「従前から長い歴史の中で一貫してきた戦術であり」「当然のことだと考え」ていたのである(証拠略)。
酒井助役を中心に溝ノ口駅の職制は、分会長たる上告人に対して、ことさらうるさくこれらの問題で注意をしていた。しかしながら、上告人が外の組合員と異なる対応をしていた訳ではない(証拠略)。
現に(証拠略)の支部指令にもあるとおり点呼に対しては支部指令のもと全分会員が統一して対処していたのである(証拠略)。
2 本来の業務とは直接関係のないはずの氏名札やネクタイ、点呼に固執することで、当局は職場にどのような影響をもたらそうとしたのであろうか。
第一に、国労本部の方針として出され、分会員の支持もあった「氏名札やネクタイは自分らの自由だ」「何も軍隊の点呼をやらなくても仕事はちゃんとできるはずだ」という組合員の素朴な反発(人証略)を力でおさえつけることによって、職場での国労の影響力を少しでも削ぐことにあった。
第二に、氏名札、ネクタイ、点呼問題で分会役員との交渉を当局が拒否するために分会役員は職場で仲間を代表して当局に質問・抗議等をせざるをえなくなる。この分会役員を見せしめ的に他の職員の前で個別に業務指揮権に基づいて注意等しつつ威圧してみせることで、一般組合員の動揺をもたらそうとした。
3 個名点呼は八五年初めから始まった(証拠略)。この点呼をしないからといって特段業務上の支障があった訳でもない。駅長らの、分会員の質問に対する説明は「規律をただす」というのみであった。組合員の質問にはそれ以上一切答えなかった。駅長らと分会との間で交渉する場が前記のとおり全くないので、何故突然このような点呼を職員の反発をさそいつつ敢行する必要があるのかについて、組合員はこの点呼の際に質問するしかない。八王子支部からも質問するよう指令が出ていた。しかし、質問に対し志村駅長は「私語をするな」と大声で怒鳴って注意するのみであった。酒井助役も特に上告人に対して高圧的で一切質問には答えなかった(証拠略)。点呼・特に職員の氏名を呼びすてにする軍隊式の呼名点呼については組合員の反発も強かった。このため塚本駅長は一旦「職員」をつけて呼ぶ配慮をしたが「局からの指示によって……また元に戻してやった」のである(証拠略)。このような職場の反発が強いため、国労八王子支部の中でも点呼に対し統一的対応をするべく討議した。そして八五年八月一五日頃から職名で呼ぶようになったので、この場合には「はい」以外の「出勤」「います」等の返事をするよう指導した。従って、特に上告人や小林書記長のみがことさら反抗的対応をしたのではない(証拠略)。
突如点呼の方式を変更し、それに従って「はい」と言わない限り様々ないやがらせやみせしめをしてくる駅当局の対応には「おとなげない」という外ないが、これも分会攻撃の一環としてとらえると重要な意味を有していることを看過できない。
4 氏名札やネクタイ着用問題に対する上告人らの対応は、「いずれも組合の闘争指令としてやってきたことで」ある。分会員全体が討議の上、統一して取り組んできたことであって、ことさら上告人、小林書記長、稲垣の三名のみに対して前述したような昇給、一時金で差別する理由たりえないものである(証拠略)。
特にネクタイ着用の強制については、就業規則に明記されている訳でもなく、当局から支給されているのでもないものを着用することを強制される理由はない。しかし、特に志村駅長になってからは強く指示があったので上告人としても「いわれたらつけるようにしました」し「六一年(八六年)六月ごろからはつけていた」のである(証拠略)。
ワッペンの着用にしても具体的に仕事に支障が出るものではなく、「中央本部の指令でその期間だけ」分会員全員が着用しているのであって、ことさら上告人や小林に不利に扱う根拠たりえない(証拠略)。(証拠略)からも明らかな通りワッペンや氏名札について支部指令に基づき職場討議を経て全分会員で統一的に対応していたのである(証拠略)。
5 志村証人は、如何にも上告人のみがネクタイ、氏名札の未着用、点呼での返事等で指示に従わなかったかの如き証言をしたが、これは明らかに事実に反する。塚本証人さえ上告人がことさら他の組合と異なる対応をとっていた訳ではないことを認めているのである(証拠略)。
第七 分会壊滅と国労脱退工作
一 組合事務所・掲示板
1 分会組織を壊滅させるための重要な手段として組合の事務所や掲示板など組合活動の拠点をなくすことが各分会で工作された。
その典型が溝ノ口分会において見られる。
2 まず、溝ノ口分会の事務室については、八六年一〇月から撤去の計画をたてて翌八七年一月一六日に事務室内の組合備品を全て撤去してしまった(証拠略)。
更に、組合が会議室として用いていた組合事務室の隣室の使用も「何に使うとか一応理由だけは聞」くというたてまえで使用許可願をその都度提出させる許可制にしてしまった(証拠略)。
この分会事務室の撤去は八六年一〇月四日付の(証拠略)の「分会事務室の便宜供与中止」の一片のメモで一方的に強行したものであった。しかも、右書面にも「すでに建物その物の撤去方について調査もあり」として、建物を取りこわす見込みであるから分会事務室内の物品を片付けて欲しいという説明であったが、現在に至るまでこの建物は撤去されていない。志村駅長はこのような虚偽の口実までねつ造して分会団結の拠点である分会事務室の撤去を本件処分前後に策したのであった。この点について、志村証人は「だから、私も不思議に思っているんです。今」と証言したが駅長としてあまりに無責任な態度と言わざるをえない(証拠略)。
3 出札室内にあった国労分会用のロッカー二基についても八六年一一、一二月に整理させてしまっている(証拠略)。これについても、(証拠略)、八六年一〇月四日付文書で「一〇・一〇を目途に整理すること、整理されない場合については当方で整理する」という旨の極めて一方的な通告文で突如撤収させてしまったのである(証拠略)。
4 従前同駅には、出札室の中と休憩室にベニヤ板一枚大の掲示板が二枚あった。自由に分会で使用していたこの掲示板にも、駅長は八五年末頃から掲示の出し方や貼ったビラの内容にまで介入するようになった。そして志村駅長はこのうち出札室内の一枚を分会長たる上告人に対して話もせず、後日東日労への脱退の中心として動く松村順市(証拠略)に話をして同人に了承させ、八六年九月一二日に取り外してしまった。本件事件の約一週間後である。更に休憩室にある一枚の掲示板は同年一一月二六日に当局自ら撤去してしまったのである(証拠略)。志村証人は、取り外す前に分会長や書記長に一切断らなかったことについて「鈴木君に話しても分からないと思いました」(証拠略)とか「話が分かってもらえないので」と証言したが、分会に対する便宜供与について分会役員に一切ことわりもなく一方的に撤去することは支配介入の不当労働行為である。同証人は「だれに話そうといいじゃないですか。私の勝手だ。あんたに指摘されることはないんだ」と法廷でも大声で述べ、開きなおっている。このような駅長の下で分会長の責任を負っていた上告人の対応のむつかしさを裏付ける証言であった(証拠略)。
二 分会長個人攻撃
1 分会壊滅策のひとつとしてとられたのが分会長・書記長等分会の中心人物への個人攻撃である。勿論その重要な一環としてあるのがこれら役員の配転・職務差別・賃金差別・本務外し・処分の連発などである。更にその上に分会員の面前で点呼等の機会をとらえてはくりかえし分会長への説教・注意をくりかえして役員自身を精神的につかれさせ、更に他の一般組合員に威圧を加える手口もとられた。
2 これらの手口は溝ノ口駅でも特に顕著であった。おとなしく声も小さい上告人は、大きな声で威圧的に話をする志村駅長の恰好の標的となった。
八六年二月に上告人が分会長となり、志村駅長が赴任して以来、溝ノ口駅の労使関係は殺ばつとした異常なものであった。上告人らは駅長らによる分会無視、国労攻撃の中で、かろうじて分会組織を維持しているという状況であった。「大隅分会長のときは大隅分会長が一言いえば駅長なり助役は引き下がったんですけれども、私が分会長になったときは、逆に駅長のほうから高圧的に出てきまして、……がみがみいわれた」のである(証拠略)。
八六年五月二六日にはネクタイ着用等の如きささいな問題で、志村駅長は上告人に対し「国鉄を辞めろとか国労やめろ」と暴言を言う始末であった(証拠略)。上告人は、志村駅長に、「来月の勤務からはずすので承知しておきなさい。君のような職員は国鉄に必要ない。やめてどこにでも行った方がみんなのためだ」(証拠略)という発言をされた。このような発言を平気でくりかえす志村駅長による日常的な控訴人に対する攻撃が常態化していたのである。このような常態が、溝ノ口駅では本件事件までつづくことになるのである。
(証拠略)の職員管理調書作成上も分会長である上告人について不利益なチェックをすることになったことを、志村証人は暗に認めている(証拠略)。
三 分会との一切の交渉拒否
1 八六年以降各分会であらゆる名目での分会交渉を拒否し、当局の方針を強行的に個々の組合員に分会の頭ごしに押しつけることが意識的に行なわれた。
これによって分会の存在異(ママ)議を有名無実化し、分会員に無力感を味あわせ、分会壊滅を期するのである。
2 溝ノ口駅においても、八六年二月の志村駅長赴任以来、上告人ら分会役員と駅長ら当局との交渉・協議の場が一切持たれなくなってしまった。駅長・助役側がことさら分会及び原告分会長の存在を無視して、当局の指示を直接各分会会員に押しつけるようになったのである。
まず、分会役員と駅長・助役との間で持たれていた現場長交渉が八五年頃になくなってしまった。更に、労働安全委員会や三六協定締結の際の交渉等がかねてより各分会で、分会役員と駅長・助役の交渉・協議の場として用いられてきたが、これも八六年初め志村駅長が就任し、上告人が分会長になってから、志村駅長が一切拒否するために全くなくなってしまったのである(証拠略)。このため、八六年二月以降分会役員と駅長・助役との対等のテーブルでの意見交換は一切持たれていない。その後の駅長らの対応を見ると、分会役員らに対してはことさら業務指揮権によって威圧する姿勢をとりつづけている。
3 志村証人は「現場ではそういうことはございません」として、分会との接触は一切必要ない旨言明する(証拠略)。現場長交渉の要求が三六協定締結等の機会にあったがこれを拒否するのは、「当然です」と開き直っている(証拠略)。
このように分会と交渉・協議する必要がないと明言する駅長の下で控訴人ら職員は、強制的点呼、初めての昇給や一時金カット、仕事面での差別等々様々な攻撃に次々とさらされるのであるが、このような一方的な攻撃について分会としては一切駅長ら当局に一言も交渉や質問をすることができないまま経過せざるをえなかった。
四 国労脱退勧誘
1 本件事件があった八六年九月頃には、各職場で国労を脱退するよう働きかける管理職による説得活動がなされると同時に、当局の管理職による様々な形での国労攻撃の意図が露骨に表明された。
この時期は、同年一〇月に修善寺での国労大会で、さし迫ってきた分割民営化に向けて極めて重大な方針決定を控えていることもあって、当局もなりふり構わない国労攻撃、国労の方針決定への介入を策したのである(証拠略)。その氷山の一角を項目的に列挙すると次のとおりである。
<1> (証拠略)の事件審理において、北海道の助役証言によって、当局の意を受けた助役が「国労を脱退しなくても何か会を旗上げするなどの動きを」と働きかけ、九月に「ついに脱退して動労に移る者が出」た事実が明らかになった(証拠略)。
<2> 八六年五月、動労東京地本各支部三役会議で、葛西職員局次長(現JR東海の常務)は、「山崎(当時の国労委員長)の腹をブンなぐってやろうとおもっています」「私は不当労働行為を……うまくやるということでありまして」と話しをしている(証拠略)。
<3> 八六年八月、東京建築工事局次長、課長会議で、宮林次長は「国労を何としても過半数以下に落とす」という趣旨の発言をして、職員個々への説得の仕方を具体的に指導している(証拠略)。
<4> 八六年七月、東京南局運転部総務課の奥の部屋で、運転部総務課長が国労組合員の脱退を説得した。この説得をしている場面が録音されて、生々しく再生されているが、同課長は雇用安定協約の問題を示唆しつつ、国労脱退を説得している(証拠略)。
<5> このような国労脱退の説得は新会社移行後もなされた。甲第四二号証九ページ以下の都労委の命令文の中でも、職制が「国労では困る」「国労ではだめだ」という発言をしたことが、くりかえされていた旨認定されている。
なお、同命令は中労委でも維持された。国労組合員であることを理由に車掌内勤から外された田中組合員を原職に戻せとする命令は、現在に至るまでなお、履行されていない。JR東日本のこのような頑迷さは、分割民営化の前後を貫いて、当局の国労攻撃の強い意思を物語っている。
2 このような国労脱退強要・説得は、(証拠略)の北海道労委の命令一六、七頁、(証拠略)の東京都労委の命令一八、二〇頁にも明確に認定されているところであるが、同旨の不当労働行為は八王子支部の各職場でもくりかえされた(証拠略)。そして、武蔵溝ノ口駅でも同旨の不当労働行為があった。
五 志村駅長による分会脱退・分裂工作
1 本件事件があった後の八六年九月末に小林利行が溝ノ口分会を脱退するまで、三四名の組合有資格者全員が国労に所属していた。
このように上告人分会長のもとに激しい国労攻撃にさらされながらも全員が国労に残っていた分会組織が、本件事件による分会長の解雇、そして分会書記長の人活センターへの排除を契機にしてわずか二ヶ月の間に完全に瓦解してしまった。
2 八七年一月には国労組合員は青木、石井(証拠略)の二名のみとなり、東日労二〇名、東鉄協五名、動労一名、真国労三名、未加入二名という状態になってしまった(証拠略)。従前同一組合の組合員として団結を維持してきたにもかかわらず、またたくうちに多数の組合に分裂していった結果だけを見ても、元分会員であった者らの苦悩と職場の人間関係の混乱が強く印象に残る。
とりわけ、本件事件後の八六年一一月二〇日の時点で国労組合員が右三名になってしまった(証拠略)ことは本件解雇が分会の団結に如何に重大な影響をもたらしたか如実に物語る。
3 八六年一一月中旬の国労大量脱退と東日労結成への参加には、国労の修善寺大会を踏まえた志村駅長の露骨な働きかけが大きく原因している。
具体的に溝ノ口駅について指摘すると次のとおりである。
<1> 同駅の伊藤新治は八六年一〇月に営団への入社が内定していたが、志村駅長は「国労にいたのでは営団へ送る調書に悪く書かなければならない」と説得した。伊藤は、一旦国労を脱退したものの、その後復帰を決心したが、同駅長はわざわざ同人方へ電話して「今さらまた国労に戻るなんて言われても困る」と述べた(証拠略)。
<2> 同じく井上英明は八六年九月、志村駅長に、「君は国労にいたのでは試験を受からない。国労をやめたらどうだ」と言われ、更にその後「国労にいたのでは東武鉄道に送る調書に悪く書かなくてはならない」と脱退を説得された。このため井上は、この頃国労を脱退した(証拠略)。
<3> 同志村駅長は八六年一〇月九、一〇日の修善寺大会のあと、分会員を二人ずつ駅長室に呼んで「国労の修善寺の臨時大会はああいう結果になったけれども、私はここの駅の職員はみんな山崎派だと思っている。六本木派ではだめだ、近々分会でも集会があるようだけれども、君は、どういう態度を取るのか」と述べて東日労結成への協力を働きかけている(証拠略)。
なお、この不当労働行為である組合員への説得について志村証人は前提として認めた上で「六本木ではだめだということは言っていないと思います。ただ、職員といろいろ話をする中で修善寺大会はこうなったという新聞を見て、たまたまテレビで見てまして、……それは余計なことだから言いません」(証拠略)として、個々の組合員に種々説得をしたことを暗に認めている。
4 八六年一〇月中旬、上告人、小林の二人を溝ノ口駅から排除してしまって、溝ノ口駅には分会三役がいなくなった(証拠略)。この機に駅長は一気に分会切りくずしの露骨な説得工作を行なったのである。溝ノ口駅の分会では、分会長・分会書記長の上告人・小林両名に連絡をせず、不在のままで一一月初旬に分会集会を開いた。国労脱退と東日労への集団参加を討議するこの分会集会の近い頃に駅長の説得がなされたのであり、駅長の説得をうけた組合員の動揺、一一月一五~一七日の大量脱退に与えた影響は大きかった(証拠略)。
第八 結論
一 こまで述べてきた当局の八王子支部や溝ノ口分会に対する攻撃の数々は、当局の攻撃の一部にすぎない。
ものごとには、本人を含め誰もが知っているにもかかわらず、公けの場では客観的に立証しにくい「公然の秘密」に類することがある。当局の「国労をつぶしたい。つぶせなくてもできるだけ弱体化させて、民営化後にストライキをやられても運行体制に影響のないようにしておきたい」という本音は、国鉄の現場にいる者なら、労使を問わず誰一人として知悉しているところであった。
我々は、この誰もが知っていながら本人(つまり当局)のみが否定しつづけるこの本音を第三者たる裁判所に御理解頂くために縷々論じてきたことになる。
二 この当局の本音は既に一〇〇件に及ぶ全国各地の地方労働委員会や中央労働委員会がくりかえし明確に認定してきたところである。
前述した当局者の不当労働行為意思を露呈した発言も前述した本音がつい公開の場や録音されている場で出てしまったものである。
溝ノ口駅であった様々な分会や上告人に対する攻撃は決して単に塚本・志村両駅長や酒井助役らの思いつきで行なわれたことではなかった。
大隅分会長・小林書記長らの配転による放逐やワッペン・氏名札・ネームプレート・点呼をめぐる職場の混乱、更には駅長・助役らによる国労脱退工作などは全て八王子支部の各分会で共通に発生したできごとであった。
分会長をつけねらい、何かあれば処分攻撃をしようと目を光らせ、時には事実のねつ造もして免職にしようとする事件も全国各地で発生しているのである。
裁判や不当労働行為救済申立をなす以外にほとんど斗う手段を奪われてしまっていた国労にとって、日々くりかえされ、新たな攻撃がつづく中で、前述した攻撃は限られた一部にすぎないことを改めて強調しておきたい。
三 本件解雇の目的
溝ノ口駅における志村駅長らの分会に対する攻撃の実態とそれによる分会瓦解の経過を見れば、本件分会長解雇が当局の目的にかなう非常に効果的なものであることはあまりに明白である。
大隅分会長の放逐や分会長であった上告人・分会書記長小林らに対する見せしめ的な賃金や仕事面での攻撃、更には、活動家の配転、規律の強化の名目での日常的な分会無視のしめつけ強化、企業人教育での選別、分会切りくずし等によってもくずせなかった分会が、九月以降の分会長解雇にはじまる攻撃でまたたくうちに瓦解してしまった。その後たてつづけになされた書記長排除、分会事務所やロッカー、掲示板の撤去、駅長による露骨な国労脱退・分裂の説得という経過を見ても、本件解雇が分会つぶしの目的で仕組まれたものであることは明らかである。
四 溝ノ口駅の状況と本件処分
1 上告人は、前述したように長期間にわたって溝ノ口連合分会の分会長をつとめて職場の組合活動の中心であった大隅分会長が突然の配転で他に異動した昭和六一年二月に新しく分会長に選ばれた者である。
「若い活動家であったわけですけれども、責任と、また職場から鈴木君に対する分会長への要請が強くあったということで、厳しい状況だったけれども、鈴木君が責任を感じながら分会長を受けた」のである(証拠略)。
「ただでさえ長くやっていた分会長の後継ぎは難しい」のであるが、その上に、ちょうどこの頃から各職場において分会組織に対する様々な攻撃が厳しくなっていく時期であった。
このような困難な時期ではあったが、溝ノ口駅では「鈴木分会長を中心に、いろいろな問題が起きれば、その都度非番者集会等を開きながら、職場の仲間と一緒に悩みながら問題解決に当たってきたから、そうした形での団結力が、その八月まで職場として確立されていた」(証拠略)。
八王子支部でも、他の分会ではそろそろ国労を脱退する者が出はじめていたが、溝ノ口駅では八月まで組合員有資格者全員が国労に残って団結を維持できていた。
八王子支部から出される闘争指令についての対応も、「ワッペンにしろネームプレートにしろ、機関で討議をしながら、そうした統一行動をするにあたっては鈴木君一人が行うのではなくて、全体で機関の行動として行うことであって、決して鈴木君個人が、他と跳ね上がった形での行動を取ったというふうには考えられません。」という実態であって、分会員全体がまとまって行動をとっていたのである。
2 西管理局はこのような溝ノ口駅の実態を好ましく評価していなかったであろうことは、前記発言等から容易にうかがえるところであり、何か口実を見つけて分会組織を攻撃する機会をねらっていた。
酒井助役を中心とした鈴木分会長(上告人)に対する様々な個人攻撃とも思えるいやがらせ、時には暴行を含む「規律是正」の名目でのしめつけの強化はこのような背景でなされたものである。
陽田証人が述べたように(証拠略)、本件処分の真のねらいは、溝ノ口分会組織をつぶすことにあったと考えるべきである。
当裁判所の公正な判断を切望する。
以上
(添付書類省略)