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最高裁判所第一小法廷 平成3年(行ツ)143号 判決 1992年6月25日

広島市中区上幟町九番三二号

上告人

金子郁子

同所同番同号

上告人

金子富久子

同両名訴訟代理人弁護士

相良勝美

広島市中区上八丁堀三番一九号

被上告人

広島東税務署長 佐藤信久

右指定代理人

畠山和夫

右当事者間の広島高等裁判所昭和六三年(行コ)第九号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成三年四月一〇日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所はつぎのとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人相良勝美の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三好達 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平 裁判官 味村治 裁判官 小野幹雄)

(平成三年(行ツ)第一四三号 上告人 金子郁子 外一名)

上告人代理人相良勝美の上告理由

原判決には、その理由中(一審判決の事実摘示変更部分)において所得税法第三六条第二項の解釈を誤まった違背があり、これが判決に影響を及ぼすことは明白である。

一 原二審判決はその一三枚目裏六行目から一四枚目表一一行目にかけて、次の如く述べて原一審判決五六枚目裏二行目から五七枚目表一行目までの説示に変更を加えている。あわせて通読すれば以下のとおりとなる。

「訴外みどり農園(昭和四〇年九月五日株式会社八本松観光農園と商号変更した。代表者代表取締役坂谷勇)は、同年三月一八日亡修郎から五〇〇万円を、弁済期同年六月一七日、契約違反の場合は、期限の利益を失うとの約定で借り入れ、訴外西村及び同人が代表取締役を務める訴外株式会社広島書店は、その際、右借入金債務を担保するため、その所有に係る西村土地につき抵当権を設定し、右消費貸借上の債務不履行を停止条件とする代物弁済契約を締結したこと、ところが、訴外みどり農園は、同年四月一七日に第一回目の利息の支払を怠ったため、前記停止条件が成就し、亡修郎は、右代物弁済契約の趣旨に従って、西村土地を自己の取得とした。そして、右土地の名義は長年の友人である友貞唯一の使用人である渡部徳一及びその娘婿である阿慈谷孝名義を借用した。この点控訴人らは、西村土地は一旦亡修郎が取得し、これを前記友貞唯一に譲渡し、その後亡修郎が取得した旨主張し、当審における証人友貞唯道及び同控訴人金子郁子本人はこれに副う供述をするが、亡修郎と訴外友貞唯一間の売買を証する書類等は一切提出されておらず、また、控訴人金子郁子本人は右取引で売買代金二〇〇万円が未払いのままであったと供述するが、かかる、未払いの事実が亡修郎の帳簿等に記載されておらず、また、右二〇〇万円を支払うよう催促した形跡も認められない本件においては、前記証人友貞唯道及び控訴人金子郁子本人の供述はたやすく措信することができず、他に前記認定を覆すに足りる証拠は存在しない。そして、昭和四〇年当時の西村土地の価額は後記(12)認定のとおり一〇一二万八〇〇〇円を下らなかったことが認められ、他に右判断を左右するに足りる証拠は存在しない。」

すなわち、原一審判決では、亡修郎は、当該西村土地を訴外渡部徳一に売却処分し、再び亡修郎が買受けたものと認定したのちに対し、原二審判決では、昭和四〇年六月一〇日以後において実質継続的に亡修郎のものであり「自己の取得として」その所有に変動がなかったものとみなされ、右認定の根拠は、証人友貞唯道又は控訴人本人尋問の結果にもかかわらず、ただこれを裏付ける書類等がないことのみが理由とされているものであって、甲第七号証(別訴の西村幸一等を原告とする広島地方裁判所昭和五三年(ワ)第六四号所有権移転登記抹消登記手続請求事件判決)甲第八号証(右事件の控訴審判決広島高等裁判所昭和五四年(ネ)第二九五号)甲第三号証(同事件の上告審判決で確定を見た)等に示された一連の事実認定の経過にも著しく反するものであることを特に強調しておく。すなわち、右の別訴訴訟事件においては西村及び西村書店から亡修郎に対する代物弁済による所有権の移転を認定し、その後の一連の所有権の移転も認容されているものなのである。

二 原二審判決は、控訴審における金子郁子本人の尋問結果を面積についてのみ認容して甲第一三号証をもととした西村土地の実測面積合計一万一一四一平方メートル(約三三七六坪)をもとに原一審判決同様、坪当り三〇〇〇円坪単価をかけ、その評価額一一一八万一〇〇〇円につき、一〇一二万八〇〇〇円を下らないものとあらためた。また原一審判決六四枚目表一行目の「亡修郎は以下同裏六行目末尾までの記載を

「亡修郎は、右代物弁済契約の趣旨に従って西村土地を自己の取得とした。そして、右土地の名義は長年の友人である友貞唯一の使用人である渡辺徳一及び友貞唯一の娘婿である阿慈谷孝名義を借用した。即ち、亡修郎は、昭和四〇年六月一〇日、渡辺徳一名義で西村土地の所有権移転登記を受け、右渡辺が病気で死期が近いのを知るや、今度は、同年九月二九日付で右土地の登記名義を阿慈谷孝名義に移転していることが認められる(以上のように認定した根拠は、先に「貸付金みどり農園分」の項で述べたとおりである)。

以上によれば、亡修郎は、昭和四〇年六月一〇日に、前示停止条件付代物弁済の趣旨に従って、西村土地を自己の所有としたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。」

と変更した。(被上告人が原一審判決添附別表で昭和四〇年度の課税年度において、西村土地を資産課目(別表2の「23-3」)に一八〇〇万円計上しておいたまま、一方で「みどり農園」こと西村書店関連の貸付金を五〇〇万円として加算していた(同別表2の「5」)「両建て」の矛盾を上告人側から指摘して来た結果原一審判決では右貸付金額の計上が否定された認定の経過があったことを申しのべておく。)

三 原一審判決は、上告人らの主張を右に述べた点は認容して、昭和四〇年度中に西村土地が亡修郎から訴外渡辺徳一に売却処分され、更に亡修郎が買受けたと認定し、その時点で同土地の価格が一一一八万円を下らないものと認定したのに対し、原二審判決は亡修郎が、何ら右土地の所有を移すことなく、すなわち右土地を昭和四〇年六月一〇日以後継続的に自己の実質的手中にしていたものと認定し、更に一〇一二万八〇〇〇円の評価物に化体したと認定したのである。右は現行所得税法施行令第一〇三条一項一号イ所定の「棚卸資産」の取得価額の算定基準規定にも全く反する。

右施行令および法人税法第二五条によって類推される「資産の評価益の益金不算入」の原則によるかぎり、右の如く亡修郎が取得した西村土地の評価は、代物弁済契約の趣旨に則り、亡修郎が取得したものであって、その経済的対価が、五〇〇万円の貸金債権の消滅であったとすれば、亡修郎の手中にある以上、その評価はあくまでも貸金額の五〇〇万円が妥当であると思考する。被上告人が個人のxこの場合五〇〇万円なる価格で買い求めた土地を、同一課税年度中においてその手中にあるままその三倍以上にもあたる一八〇〇万円のyなる価格に上昇したとして資産増減法の課税資産の認定の根拠にされるとすれば、手持ちのままの評価換えによるすなわち恣意的な課税の根拠ともなりかねない法律によらざる課税基準となろう。

原一審の口頭弁論において、被上告人はかかる課税処分をも相当とする根拠を、昭和四〇年の課税年度当時施行されていた所得税法第三六条二項に求め「金銭以外の物又は権利その他経済的な利益をもって収入する場合には」その価額をもって収入金額とする場合に当たるものとして最高裁昭和五二年五月二七日第三小法廷判決までを援用しているのである。しかし原一、二審判決が前述した如き事実認定やその変更に、右法条をもって根拠としたのか否かについては何れの説示においても明らかでなく、つまるところ、原判決には著しく理由に欠けるか、前記法条の適用を誤った違背があるというほかはない。よって原判決を破棄しさらに相当なる裁判ありたく上告に及んだ。

なお原二審口頭弁論集結の期日において、上告人が原裁判所に提出した平成二年一一月二八日付「陳述書」は、原審裁判所記録中甲第一五号証として編綴されているものであるが、事実認定上の重要な資料として参照されたい。 以上

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