最高裁判所第一小法廷 平成5年(オ)1751号 判決 1997年3月13日
上告人
神林共弥
外三〇名
右三一名訴訟代理人弁護士
西田公一
同
山田伸男
同
江藤洋一
同
平野和己
同
藤本時義
同
須藤修
同
藤勝辰博
同
村田珠美
被上告人
国
右代表者法務大臣
松浦功
右指定代理人
今村隆
外三名
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
一 上告代理人西田公一、同山田伸男、同江藤洋一、同平野和己、同藤本時義、同須藤修、同藤勝辰博、同村田珠美の上告理由第一について
捕虜の待遇に関する一九四九年八月一二日のジュネーブ条約(以下「四九年ジュネーブ条約」という。)が我が国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間において効力を生ずる以前に捕虜たる身分を終了した者の法律関係の処理について、同条約を遡及して適用することはできないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
二 同第二について
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、四九年ジュネーブ条約の批准に当たり、同条約八五条の適用を留保したものであるところ、原審の適法に確定した事実関係によれば、上告人二階堂綱男は、昭和二四年二月、ロシア共和国刑法五八条所定の罪により強制労働二五年の刑の宣告を受け、以後、昭和三一年に本邦に帰還するまでの間、囚人として囚人ラーゲリに収容され労働に従事してきたというのである。右事実関係の下においては、その後、同上告人が右有罪判決について再審請求をした結果、同判決が破棄されて無罪となり、名誉回復の措置が執られたとしても、そのことによって、同上告人の右受刑中の身柄拘束が、さかのぼって、同条約の適用を受けるべき捕虜の抑留になると解する根拠はなく、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
三 同第三について
原審の適法に確定した事実関係の下においては、上告人らが捕虜としてシベリアに抑留されていた当時、抑留国から捕虜に支払うべき貸方残高について捕虜の所属国がこれを決済する責任を負うこと、捕虜の労働による負傷又はその他の身体障害に対する補償請求等は捕虜の所属国に対してすべきこと等を内容とする所論の自国民捕虜補償の原則が、世界の主要国における一般慣行となり、これが法的確信によって支えられていたとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
四 同第四について
論旨は、以上一ないし三に説示したところによれば、原判決の結論に影響のない部分についての違法をいうに帰し、採用することができない。
五 同第五について
我が国がポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印したことにより、上告人らを含む多くの軍人・軍属が、ソヴィエト社会主義共和国連邦の捕虜となり、シベリア地域の収容所等に送られ、その後長期間にわたり、満足な食料も与えられず、劣悪な環境の中で抑留された上、過酷な強制労働を課され、その結果、多くの人命が失われ、あるいは身体に重い障害を残すなど、筆舌に尽くし難い辛苦を味わわされ、肉体的、精神的、経済的に多大の損害を被ったことは、原審の適法に確定するところであり、上告人らを含むこれらのシベリア抑留者に対する右のような取扱いは、捕虜の取扱いに関し当時確立していた国際法規に反する不当なものといわざるを得ない。そして、昭和三一年一二月一二日発効の日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(以下「日ソ共同宣言」という。)六項後段によるいわゆる請求権放棄に伴い、我が国が、国際法上、ソヴィエト社会主義共和国連邦との間で、シベリア抑留者の右損害の回復を図る権利を失い、これにより上告人らがソヴィエト社会主義共和国連邦に対し右損害の賠償を求めることは、仮に所論の請求権が存するとしても、実際上不可能となったことも否定することができない。
所論は、日ソ共同宣言六項後段に定める請求権放棄により上告人らが受けた損害につき、被上告人は、憲法二九条三項に基づき、これを補償すべき義務を負うという。しかしながら、上告人らを含む多くの軍人・軍属が、長期にわたりシベリア地域において抑留され、強制労働を課されるに至ったのは、敗戦に伴って生じた事態であり、これによる損害は正に戦争により生じたものというべきである。そして、日ソ共同宣言は、連合国との間の平和条約とは異なり我が国が主権を回復した後に合意されたものであるとはいえ、終戦処理の一環として、いまだ平和条約を締結するに至っていなかったソヴィエト社会主義共和国連邦との間で戦争状態を解消して正常な外交関係を回復するために合意されたものであって、請求権放棄を含む合意内容について、連合国との間の平和条約と異なる合意をすることは事実上不可能であり、我が国が同宣言六項後段において請求権放棄を合意したことは、誠にやむを得ないところであったというべきである。右の抑留が敗戦に伴って生じたものであること、日ソ共同宣言が合意されるに至った経緯、同宣言の規定の内容等を考え合わせれば、同宣言六項後段に定める請求権放棄により上告人らが受けた損害も、戦争損害の一つであり、これに対する補償は、憲法二九条三項の予想しないところといわざるを得ない。したがって、上告人らが憲法二九条三項に基づき被上告人に対し右請求権放棄による損害の補償を求めることはできないものというほかはない。このことは、最高裁昭和四〇年(オ)第四一七号同四三年一一月二七日大法廷判決・民集二二巻一二号二八〇八頁の趣旨に徴して明らかである(最高裁昭和四一年(オ)第八三一号同四四年七月四日第二小法廷判決・民集二三巻八号一三二一頁参照)。
また、所論は、上告人らが、過酷な条件下で長期間にわたり抑留され、強制労働を課されたことによって生じた損害は、被上告人による戦争の開始、遂行及び終戦処理に起因する特別な損害であり、右損害については、憲法一一条、一三条、一四条、一七条、一八条、二九条三項及び四〇条に基づき補償がされるべきであるともいう。シベリア抑留者の辛苦は前記のとおりであるが、第二次世界大戦によりほとんどすべての国民が様々な被害を受けたこと、その態様は多種、多様であって、その程度において極めて深刻なものが少なくないこともまた公知のところである。戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては、国民のすべてが、多かれ少なかれ、その生命、身体、財産の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされていたのであって、これらの犠牲は、いずれも戦争犠牲ないし戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであり、これらの戦争損害に対する補償は憲法の右各条項の予想しないところというべきである。その補償の要否及び在り方は、事柄の性質上、財政、経済、社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断を待って初めて決し得るものであって、憲法の右各条項に基づいて一義的に決することは不可能であるというほかはなく、これについては、国家財政、社会経済、戦争によって国民が被った被害の内容、程度等に関する資料を基礎とする立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当である。以上のこともまた、前記大法廷判決の趣旨に徴して明らかである(最高裁昭和五八年(オ)第一三三七号同六二年六月二六日第二小法廷判決・裁判集民事一五一号一四七頁参照)。シベリア抑留者が長期間にわたる抑留と強制労働によって受けた損害が深刻かつ甚大なものであったことを考慮しても、他の戦争損害と区別して、所論主張の憲法の右各条項に基づき、その補償を認めることはできないものといわざるを得ない。
以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
六 同第六、第七について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
七 同第八について
原審の適法に確定したところによれば、(1) 我が国は、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して以来、連合国との間の平和条約が発効するまでの数年間、連合国による占領管理下に置かれ、連合国の占領政策に忠実に従わざるを得ず、我が国の統治機構は一応存在していたものの、占領目的の実現という名の下に政治、経済、文化等のあらゆる面において、連合国による種々の厳しい規制を受け、法的、政治的にみれば、いまだおよそ独立国家としての地位と権限を有するには至っていなかった、(2) 終戦後、世界各地から日本へ引き揚げてきた一般人、軍人・軍属のほか、上告人らのように数年間捕虜として連合国の占領地域等に抑留されていた者が、順次帰国するに及んで、右引揚者らが持ち帰る通貨や金、銀等の貴金属類あるいは有価証券類等が無制限に我が国に流入することになれば、終戦直後における通貨、経済体制の混乱状態に一層の拍車が掛かり、我が国の経済復興に重大な支障を与えるおそれがあったため、連合国最高司令官総司令部は、とりあえず通貨、貴金属類、有価証券類等の輸出入等を原則として全面的に禁止するとともに、貿易等の対外的経済取引をも停止するという緊急非常措置を構ずる一方、我が国の経済体制が次第に安定するに従って、徐々に右の各種の制限も緩和するという政策を採用した、(3) 連合国最高司令官総司令部は、右政策を実施するために、引揚者の持帰金、捕虜として抑留されていた者の貸方残高の決済に関して覚書を発し、引揚者の持帰金については、一般人、軍人・軍属及びその階級等に応じて一律に一定の制限を設けるとともに、捕虜として抑留されていた者については、「戦時捕虜としての所得を示す証明書」を所持する者に限り、その貸方残高を日本政府が決済することを許可する旨を指令し、占領下にあって連合国の占領政策を誠実に遵守すべき立場にあった日本政府は、右覚書を実施するために大蔵省告示を発し、右告示の定めるところに従って、抑留国が発行した個人計算カード等の「戦時捕虜としての所得を示す証明書」を示した者については、抑留国に代わって右証明書に記載された抑留期間中の労働賃金の支払を行ってきた、(4) 連合国最高司令官総司令部は、日本政府の求めに応じて、ソヴィエト社会主義共和国連邦当局に対し、シベリア抑留者の抑留中の所得を証明する資料の交付等を要請したが、同国当局はこれに応じなかった、というのである。
所論は、右のように、被上告人は、大蔵省告示の定めるところに従って、オーストラリア、ニュージーランド、東南アジア地域など(以下「南方地域」という。)から帰還した日本人捕虜に対し、その抑留期間中の労働賃金を支払ってきたのであるから、シベリア抑留者に対しても、憲法一四条一項に基づき、その抑留期間中の労働賃金を支払うべき法的義務を負担すると解すべきであるというのである。しかしながら、右事実関係によれば、連合国との間の平和条約が発効するまでの数年間については、被上告人において、所得を証明するような資料を所持していない者に対して抑留中の労働賃金を決済することは、連合国最高司令官総司令部の覚書によって許されていなかったものといわざるを得ず、連合国による占領管理下に置かれ、連合国の占領政策に忠実に従うべき義務を負っていた日本政府が、右決済の措置を講じなかったことをもって、上告人らに対して差別的取扱いをしたものということはできず、その限りにおいては、所論はその前提を欠くものというべきである。そして、連合国との間の平和条約が発効し、我が国が主権を回復した後においては、捕虜の抑留期間中の労働賃金を被上告人において支払うべきかどうかの問題は、戦争損害に対する補償の一環をなすものとして、立法府の総合的政策判断にゆだねられるに至ったものと解すべきことは、前記説示のとおりである。したがって、被上告人が、主権回復後において、シベリア抑留者に対し、その抑留期間中の労働賃金を支払うためには、右のような総合的政策判断の上に立った立法措置を講ずることを必要とするのであって、そのような立法措置が講じられていない以上、上告人らが、憲法一四条一項に基づき、その抑留期間中の労働賃金の支払を請求することはできないものといわざるを得ない。
また、所論は、原審の口頭弁論終結後に上告人らの一部の者に対しロシア共和国政府から労働証明書の交付がされた事実を指摘して弁論の再開を申し立てたのに、弁論を再開しなかった原審の措置には審理不尽の違法があるという。しかし、仮に、右事実が立証されたとしても、上告人らが、被上告人に対し、捕虜としての抑留期間中の労働賃金の支払を請求するためには、被上告人にその支払を義務付ける立法を必要とするのであるから、右のような立法措置が執られていないという立法政策の当否が問題となり得るにすぎず、憲法一四条一項に基づきその請求をすることはできないという右判断が左右されるものではない。原審が弁論再開の措置を執らなかったことに、所論の違法を認めることはできない(なお、上告人らは、南方地域から帰還した捕虜が持ち帰った個人計算カードに記載された労働賃金については、我が国が主権を回復した後においても、その支払を依頼する旨の大蔵省理財局長の日銀国庫局長又は引揚援護庁長官あての通達が発せられ、昭和二九年三月ころまで大蔵大臣の許可によりその支払がされてきた事実が原判決言渡後に判明した旨の指摘をし、関係資料を提出しているが、これらによっても、右の支払は、関係行政庁の判断に基づく一時的な行政措置としてされたものであることがうかがわれ、何らの立法措置も講じられることなくされた右支払をもって被上告人の支払先に対する法的義務の履行としてされたものとみることはできない。右事実が被上告人の上告人らに対する労働賃金の支払義務を根拠付けるものでないことは、既に説示したところから明らかである。)。
南方地域から帰還した日本人捕虜は、被上告人からその抑留期間中の労働賃金の支払を受けることができたのに、シベリア抑留者は、過酷な条件の下で長期間にわたり抑留され、強制労働を課されたにもかかわらず、その抑留期間中の労働賃金が支払われないままであることは、前記説示のとおりであり、上告人らがそのことにつき不平等な取扱いを受けていると感ずることは理由のないことではないし、また、国際法上、捕虜の抑留期間中の労働賃金の支払を確保すべきことが求められていることは、陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約以来の捕虜の待遇に関する国際法の変遷や四九年ジュネーブ条約に関する討議の経過につき原審の確定するところから明らかである上、上告人らが捕虜たる身分を失った後であるとはいえ、抑留国から捕虜に支払うべき貸方残高について捕虜の所属国がこれを決済する責任を負う旨を定めた四九年ジュネーブ条約を被上告人が批准したことをも考慮すると、シベリア抑留者の抑留期間中の労働賃金の支払を可能とする立法措置が講じられていないことについて不満を抱く上告人らの心情も理解し得ないものではない。しかし、シベリア抑留者に対する補償の問題は、その抑留期間中の労働賃金の支払の要否を含め、戦後補償立法の策定に当たり度々国会における議論の対象となり、その結果、恩給法、戦傷病者戦没者遺族等援護法において捕虜としての抑留に係る給付につき一定の立法措置が講じられ、また、平和祈念事業特別基金等に関する法律においてシベリア抑留者に対する慰謝の措置が講じられるなどしてきたことは、当裁判所に顕著である。戦後補償立法の策定に当たり、シベリア抑留者が過酷な条件の下で長期間にわたり抑留され、強制労働を課されたにもかかわらず、その抑留期間中の労働賃金の支払がされていないという事情については、立法府において一応の考慮をしてきたものということができ、立法府が、シベリア抑留者に対し、その抑留期間中の労働賃金を支払うための立法措置を講じていないことが、その裁量の範囲を逸脱したものとまではいうことができない。
以上によれば、これと同旨に帰する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄)
上告代理人西田公一、同山田伸男、同江藤洋一、同平野和己、固藤本時義、同須藤修、同藤勝辰博、同村田珠美の上告理由
《目次》
第一、四九年条約六六条及び六八条の上告人らに対する適用について
第二、上告人二階堂綱男と四九年ジュネーブ条約
第三、自国民捕虜補償原則の一般慣行及び法的信念
第四、国際法の国内的効力及び国内適用可能性
第五、憲法に基づく損失補償請求について
第六、国家賠償法一条又は不法行為に基づく損害賠償請求権について
第七、安全配慮義務違反に基づく請求について
第八、憲法第一四条に基づく労働賃金請求について
第一、四九年条約六六条及び六八条の上告人らに対する適用について
一、原判決の誤謬
原判示
原判決は、その判示理由中において、四九年条約は第二次大戦の結果及びこれに基づく事実に適用されるものではなく、また同条約一三四条及び一三五条は、同条約加入前に発生した戦時捕虜につき同条約六六条及び六八条の適用を示すものではないとした上、結論として次のように判示する。
四九年条約が日ソ間において発効する以前に捕虜となってソ連に抑留され、その抑留期間中に生起した事実関係に基づいて捕虜がいかなる権利義務を具体的に取得するのか、また、捕虜が解放ないし送還により捕虜たる身分を喪失したことに伴い、すでに発生している権利義務関係の処理やその法的地位の帰趨如何等に関する問題は、専ら抑留当時あるいは捕虜たる身分を喪失した時点において有効であった条約その他の法令等により規律されるのが原則であり、右の法律関係の処理等に関して特段の定めがなされているのであればともかく、かかる明文の規定がない限りは、その後成立した条約や法令等の定めに従って右法律関係が処理されることはあり得ないものというべきである。
そして、四九年条約が、その効力発生前に捕虜たる身分を喪失した者の権利義務関係の処理や法的地位の帰趨に関して特に明文の規定を置いていなかったことは先に判断したとおりであり、そうすると、同一の戦争又は武力紛争における捕虜でありながら、送還の時期が条約の発効時期の先後によって異なった取扱いを受けるという結果を招来することとなるけれども、右の点に関して条約中に特段の定めをしなかった以上、やむを得ないというほかなく、いずれにしても控訴人らの右主張も結局理由がない(原判示二六〜二七頁)。
と言うのである。
二、右の判示は、講学上典型的な人道法条約であるとされる四九年条約の解釈適用について、同条約のもつ法典化条約としての特質を見落とし、同条約の六六条、六八条、一三四条、一三五条の解釈・適用を誤り、しいては憲法九八条二項に違背したものである。
(1) 人道法条約の特質
四九年条約は、後に詳述するとおり、すでに一八・九世紀を通じ、多年にわたる幾多の戦争の経験の反省から、国際社会において次第に形成されるにいたった「捕虜は人道を以て取扱われるべし」とする基本原則に基づく条約であって、この原則に基づく法的信念と国家実行は一八九九年及び一九〇七年のヘーグ「陸戦の法規慣例に関する条約・規則」、一九〇六年戦地傷病兵条約、一九二九年捕虜条約等により逐時法典化され、さらに第二次大戦を通じて新たな発展をとげ、これがやがて戦後における人権尊重を基本とした国際社会の新秩序宣言の一環として、法典化されたものであって、このことは、本条約が国際慣習法の発展の確認としての法典化条約という特質をもつと共に、人道に関する人道法条約としての特質を併せもつことを示すものである。
(2) 四九年条約の解釈の基準
したがって、同条約の解釈・適用を行うにあたっては、何よりも右の特質は忘却されるべきではない。とりわけ、後に詳述するように同条約六六条、六八条の解釈にあたっては、本条約が人道条約として通常の当事国間の利害調整のための諸条約とことなり、関係国間のいわゆる相互主義的な解釈によるべきでないことをまづ確認し、何よりも捕虜の人権である賃金その他の請求権の保障という人道主義的価値を第一の基準として解釈すべきものである。すなわち、これらの各条項の解釈にあたっては、関係国の利害ではなく捕虜の利益の実質的な尊重が基準とされるべきある。そのためには、捕虜が蒙るべき国際環境の変化に応じ、捕虜の利益のための最も合理的な解釈が最適とされなければならない。なお、この点に関し、同条約六七条には捕虜の俸給、賃金、補償請求権につき当該国(所属国)が支払った金の清算は、関係国間の取極めの対象とされるべきことが定められているが、右は捕虜に対する支払いについての事後の処理に関する規定であり、この関係国間の協議がどのように取極められようとも、そのことは捕虜の俸給、賃金、補償請求権がその捕虜に対して支払われなければならないと言うことに対し、何の影響をも及ぼすものではない。
また、後に詳述するとおり、捕虜の賃金は支払われるべしとするのは、捕虜の人間的生存・尊厳に関する国際法の基本原則であって、ヘーグ陸戦規則はその法典化であるとされるが、それにとどまらず、この原則は今日においては条約や国家主権によっても侵し得ず、かつ放棄をも許されないユス・コーゲンス(一般国際法の強行規範、ウィーン条約法条約五三条)であるとされる。一方、捕虜賃金の支払方法(清算方式)については、二九年条約は抑留国支払方式をとり、「抑留国は捕虜の貸方残高を拘束終了の際捕虜に交付すべし(二九年条約三四条)」と定め、四九年条約は「抑留国は解放・送還の際捕虜の貸方残高証明書を交付し、所属国が右残高を決済(支払)するべし」と定め、その決済の方法に差異はあるが、その権利の本質である捕虜の賃金受領権そのものに変更はない。後者は、第二次大戦当時の国際情勢に合せ、この権利の実施のため最も合理的な当時の国家実行を承認し、これを条約として確認したものに外ならない。したがって、別途に現金払い等の方法で既に決済された捕虜の貸方残高についてはさておき、本条約の制定当時未決済であった捕虜の貸方残高については、捕虜の利益の実質的尊重という人道条約の本旨ならびに四九年条約における決済方式の変更の立法趣旨を直視する限り、捕虜勘定の未決済部分につき本条約六六条、六八条の適用があると解するのが最も妥当の条約解釈というべきである。
それのみならず、原判決も認めるとおり、もし原判決のように右の法理を否定し、捕虜の帰還の時期と本条約の発効の時期との前後関係にしたがい、「同一の戦争又は武力紛争における捕虜でありながら、送還の時期が条約の発効時期の先後によって異なった取扱いをうけるという結果を招来する(原判示二七頁)」こととなる。原判決は、これは「止むを得ない」としてまことに簡単に片付けるのであるが、これこそまさに前述の本条約の趣旨に反する平板な形式論というべきである。それのみならず、そのような不平等解釈は、わが国憲法一四条の平等原理に反するとともに、捕虜の人格的尊厳の保障を害するという点において、今や国際間の法の一般原則である法の前の平等(国際人権規約・市民的及び政治的権利に関する国際規約二六条)に反する結果となる。
(3) 四九年条約の成立過程と実行例
四九年条約は、第二次大戦の経験に鑑み、戦勝国となった主要な連合国及び赤十字国際委員会が中心となり、戦禍と荒廃の残存する昭和二一年から二三年にかけて、草案が作成され、同二四年八月のジュネーブ外交会議で成立したものであるが、当時、わが国もドイツも連合国側の占領下にあり、第二次大戦の戦後処理はまだ果たされず、戦争状態の終結は未だ現実の日程にも上がっていない状況であった。本件第一審判決は当時イギリスはドイツ人捕虜を送還し終わっていたと強調するが、それは赤十字国際委員会の原案が定まった昭和二三年になってのことである。しかもソ連との関係では、同国に抑留された日本人捕虜は上告人らのように多数の捕虜がいまだシベリアにおいて抑留され、強制労働に服せられていた。同条約の成立後である昭和二五年においても、一審判決の認定するところによれば、一二、〇〇〇人の日本人捕虜が戦犯として抑留されていたというのであるが、これらの捕虜がいわゆる戦犯であり得ないことは後述のとおり明らかであって、当時連合国の管理下にあったわが国政府もこれを戦犯として取り扱ってはいないし、右のような状況は当時国際間において周知の事実であった。
また、すでに帰還済であった日本人捕虜についても、後述のとおり、南方方面の帰還捕虜については、わが国政府によって貸方残高の支払がなされていたが、上告人らシベリアからの帰還捕虜については、捕虜貸方残高の決済がなされていないことは周知のところであった。四九年条約はこの状況を踏まえて立案・制定されたものであり、これら大量の未決済捕虜勘定の残存は条約制定者が当然前提とした立法事実であった。
また、後述のように、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、イタリー、オーストリー等第二次大戦の主要交戦国は、捕虜勘定の決済について、それぞれ適宜な方法で所属国による補償・支払を行っており、これらの国家実行を前提として本条約の法典化が行われたことは前述のとおりである。また、わが国政府自身、ソ連政府に対し貸方残高証明書の交付を求めており、右は対日理事会の構成国及びわが国自身が、所属国決済の方式を捕虜の利益のため最も合理的な方式と考えていたことを示すものである。
したがって、これらの立法事実にもとづき本条約における所属国決済方式を解釈する以上、制定者の意図が上述の処理方式を前提としたものと解するのが最も自然であり、かつ実情に則するものというべきである。
(4)四九年条約一三四条・同一三五条による同条約の代替適用と一九〇七年条約との関係
1、四九年条約一三四条は、「この条約は、締約国間の関係においては、一九二九年七月二七日の条約(二九年条約と呼ぶ)に代わるものとする」と定める。右条項にいう「代わるものとするreplace」の意味は、四九年条約の成立によって二九年条約が廃止、改正され、その時点から改正法規としての四九年条約が適用されるという意味ではなく、二九年条約は当然には廃止されないまま「したがって四九年条約を廃棄する国があったとすれば、二九年条約がもう一度活動を開始し、廃棄した国と他の諸国間の関係については、再び当該国を拘束する」(四九年条約コメンタリー)、同条約が適用されるべき場面においてすべて同条約の適用が停止され、これに代わり四九年条約が適用されるとの主旨であって、文字どおりの入れ換えを意味するものである。
原判決は二九年条約につき、第一にわが国とソ連が批准していないことを指摘しているが、この指摘は意味をもたない。すなわち二九年条約については、日ソ両国とも未加入のままであるが、しかし遅くも一九三九年には同条約が国際慣習法として確認され、これがわが国を拘束することにつき被上告人も争っていない(第一審山本鑑定書二の(四)参照)。さらにその後四九年条約の成立により、わが国は自国兵である日本人捕虜につき、本条に基づき同条約六六条・六八条の所属国として適用を受けるものである。
原判決は第二に、右一三四条は文言上このような遡及的(拡張的)な適用を示すものではないとする。しかし、前述のとおり、replaceという文言はまさに前条約と後条約との継続関係を前提とする文言であり、ジュネーブ各赤十字条約の権威者であるピクテ博士の前掲コメンタリーの前掲記述は、まさにそこに着目し、さらに前掲諸論点を踏まえて結論づけたものであって、原判示はこの文言の含意を読み誤ったものである。
2、四九年条約一三五条は「一八九七年または一九〇七年の陸戦の法規慣例に関するヘーグ条約に拘束されている国でこの条約の締結国であるものの間の関係においては、この条約は、それらのヘーグ条約に付属する規則の第二章を補完(shall be complemen-tary to)するものとする」と規定している。
日本、ソ連は共に右二条約に加入しているので、四九年条約は、日本とソ連に対してヘーグ規則の第二章を補完することとなる。しかし、これに対し、原判決は、右はヘーグ条約と四九年条約の両条約に拘束されている国につき、四九年条約に含まれていないヘーグ陸戦規則第二章の規定が以前有効であることを規定するものに過ぎないとする。
しかし、もともと右一三五条は、一九二九年捕虜条約八九条の同趣旨の規定「陸戦ノ法規慣例ニ関スル「ヘーグ」条約(一八九九年七月二九日ノモノタルト一九〇七年一〇月一八日ノモノタルトヲ問ハズ)ニ依リ拘束セラレ且本条約ニ参加スル諸国間ノ関係ニ於テ本条約ハ右「ヘーグ」条約付属規則第二章ヲ補足スベシ」をそのまま承継したものであって、右両条文の文言・体裁からして明らかなとおり、この両規定は、一九二九年・四九年の二つの捕虜条約と一八九九年・一九〇七年の二つのヘーグ条約の捕虜規定と、この四つの条約のグループの間の補完的な関係を明示している。しかるに原判決は、これら上記の各条約間の特段の深い関連を見落し、皮相な縮小的理解に終わっている。
実質的にみても、ヘーグ規則の第二章は、捕虜の賃金受領権を明定しており、今世紀初頭における人道条約の法典化の基礎となり、さらに二九年条約を経てやがて本条約の成立に至ったものであって、各条約の間には慣行の形成・発展・法典化の深い内在的な継続関係がある。このことを示すのは、一九〇七年条約のヘーグ条約前文におけるいわゆるマルテンス条項の宣言である。
右宣言は、「一層完備シタル戦争放棄ニ関スル法典ノ制定セラルルニ至ルマデハ締約国ハソノ採用シタル条規ニ含マレサル場合ニ於イテモ人民及ビ交戦者カ以前文明国ノ間ニ存立スル慣習、人道ノ法規及ビ公共良心ノ要求ヨリ生ズル国際法ノ原則ノ保護及ビ支配ノ下ニ立ツコトヲ確認スルヲ以て適当ト認ム」として、人道法規の継続発展を宣明している。
しかも、後述する四九年条約の立法過程も、後述のとおり、このような継続性を前提として行われており、この経過からみても結局四九年条約は右マルテンス条項の示す文明国の慣習、人道の法規及び公共良心の要求より生ずる国際法の原則が法典化されたものであると解される。このように見ると、四九年条約と二九年条約および一九〇七年条約・規則とは、前条および本条にもとづき補完されて一体となったものであり、したがって、右マルテンス条項の趣旨にしたがい、同条約に加入する前に発生または帰還した捕虜に対しても、未決済の権利関係の処理については、その必要性・実効性が認められ得る限り当然に適用されると解すべきものである。
(5) 上記の諸点を総合すれば、四九年条約の一三四条、一三五条の解釈として、同条約六六条、六八条は、同条約の適用される戦争ないし武力紛争(昭和三一年一一月の日ソ共同宣言以前の日ソ間の法的戦争状態につき、昭和二八年のわが国の同条約加入、翌二九年のソ連の同条約加入により、本条約一四一条によって本条約が適用される)の捕虜に対する未決済捕虜勘定の残高(賃金、補償請求)に対し、その未決済の限度においてすべて適用があるものと解すべきであり、右の遡及適用の意図は前記のとおり本条約自体から明らかであり(ウィーン条約法条約二八条)、または本条約の前記立法過程、論議、戦後における国際社会の法的確信の発展形成、国家実行等からも、充分確認することができる(前同条)。
本件原判決の判断は、右に反し、国際法規の解釈、適用を誤り、憲法九八条二項に違背したものと言うべきである。
第二 上告人二階堂綱男と四九年ジュネーブ条約
一、原判決は、上告人二階堂綱男に対する四九年ジュネーブ条約の適用につき、その前提となる事実を誤認し、国際法規の解釈・適用を誤り、ひいては憲法九八条二項に違反するので破棄されるべきである。
すなわち、上告人二階堂は、わが国及びソ連が四九年条約に加入したことにより両国間につき同条約が発行した後である昭和三一年一一月に帰国しているのであるから、四九年条約が適用される。仮に、同上告人が抑留期間中、スパイ罪の容疑でソ連国内法により有罪判決を受けていたとしても、右はもともと冤罪であるのみならず、ソ連が四九年条約に加入するに際し、同条約八五条について留保した戦争犯罪には該当しないし、さらにその後右有罪判決は結局破棄され、本人の無罪と名誉回復の措置が講じられているのであるから、同上告人について、四九年条約が適用されること明らかである。
二、上告人二階堂綱男の略歴
上告人二階堂綱男は、現役入隊し、昭和一一年満州で現地除隊となった後、同一二年一月から、満州国警察に警察官として勤務していたところ、同二〇年八月一〇日、ソ連参戦に伴う防衛召集を受け、満州孫呉一二三師団司令部特別情報班に入隊し、終戦時には陸軍軍曹であった。同月一六日武装解除されソ連軍の捕虜となり、昭和二三年八月までチタ地区の収容所で強制労働を課せられた。そして、引き続き同地区で満州国警察官時代にかかわるスパイ容疑の取調べを受け、同二四年二月五日頃、ロシア共和国刑法第五八条六項によるスパイ罪として矯正労働二五年の刑に処するとの宣告を受け、同二四年五月から同二五年八月までは、バム地区囚人ラーゲリに収容され強制労働を課せられたが、それ以後帰国する同三一年一一月までの約六年間は、ハバロフスクの一般捕虜収容所において一般捕虜と同様に取り扱われ、労働に従事させられたものである。
三、ソ連の留保について
1、原判決は、上告人二階堂がソ連に抑留されていた期間のうち、少なくとも昭和二五年から同上告人が本国に帰還した昭和三一年までの間は、実際のソ連当局の同上告人に対する取扱いの実情はともかくとして、あくまでロシア共和国刑法五八条のスパイ罪により有罪判決を受けた囚人たる地位にあったことは明らかであり(したがって、四九年条約が日ソ間で効力を生じた後捕虜として抑留された期間はない。)、そうすると、他に特段の事情がない限り、同上告人は、ソ連が四九年条約に加入するに際し、同条約八五条について留保した「ニュールンベルグ裁判の諸原則に従って、戦争犯罪及び人道に対する罪で有罪の判決を受けた捕虜」に該当するものというべきである旨判示している。しかしながら、原判決の右判示は、ソ連の留保につき事実を歪曲するものであり著しく不当なものである。
2、四九年ジュネーブ条約八五条は、「捕虜とされる前に行った行為について抑留国の法令に従って訴追された捕虜は、この条約の利益を引き続き享有する。有罪の判決を受けても、同様である。」と規定し、捕虜となる前に行った行為につき捕虜となった後に訴追され有罪判決を受けた場合にも捕虜としての資格を失うことがないことを定めている。
3、これに対しソ連が、四九年ジュネーブ条約加入に際し同条約八五条につき留保を付したことは事実であるが、これは同条項の適用を一切留保するというものではない。すなわち、ソ連は、「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、戦争犯罪及び人道に対する罪のために、ニュルンベルグ裁判の原則に従って抑留国の法令に基づいて有罪の判決を受けた捕虜に対し、この条約を適用すべき第八五条に基づく義務を負うものとは考えない。」との主張を為しかかる主張の範囲で同条項の適用を留保しているのである。
このことは、留保に内容について、ソ連がジュネーブ条約批准の際の寄託先であるスイス連邦政府に対して提出した一九五五年五月二六日付覚書の「ソヴィエト連邦が行った留保は、戦争犯罪又は人道に対する罪のためソヴィエト社会主義共和国連邦の法律により有罪を宣告された捕虜は、裁判所の判決の執行のために刑に服する他のすべての者についてソヴィエトで行われる条件に従わなければならない。」「その結果判決を適法に執行できることとなったときには、この部類に属する者は、条約が与える保護を享有しない。」「自由刑を言渡された者については、この条約が与える保護は、刑罰に服し終わった後に限り、再び適用される。その後は、その者は条約に規定する条件に従って送還を受ける権利を有する。」との記載によっても明らかである。
4、したがって、上告人二階堂に対して、四九年ジュネーブ条約の適用を否定するためには、原判決のように「抑留国の法令に基づいて有罪の判決を受けた」ことのみでは足りないのであり、同上告人が、「戦争犯罪及び人道に対する罪のために、ニュルンベルグ裁判の原則に従って」抑留国の法令に基づいて有罪の判決を受けたものであることを明らかにしなければならないのである。
5、しかるに、原判決は、ソ連が四九年条約八五条について留保したのは「ニュールンベルグ裁判の諸原則に従って、戦争犯罪及び人道に対する罪で有罪の判決を受けた捕虜」についてであることを認定しながら、上告人二階堂に対する同条約八五条の適用を判断するに際し、「ニュールンベルグ裁判の諸原則」の内容的検討はもとより、「戦争犯罪及び人道に対する罪」についての要件の検討も全く行なわずに、同上告人がその容疑に問われたとされるスパイ行為とこれによる有罪判決につき、同上告人が、ソ連が四九年条約に加入するに際し、同条約八五条について留保した「ニュールンベルグ裁判の諸原則に従って、戦争犯罪及び人道に対する罪で有罪の判決を受けた捕虜」に該当するものというべきであると独断的に決めつけているものであって、到底上告人らを納得させるに足りないもので全くの恣意的判断といわざるを得ない。
6、ところで、右ソ連の留保にかかる「戦争犯罪」とは、「戦争の法規又は慣例に違反する行為」であり、ジュネーブ条約の重大な違反行為(第五〇条、第五一条、第一三〇条、第一四七条)は最もよく知られた戦争犯罪であるが、この条約及びその他の戦争法規に違反するその他の行為も通例の戦争犯罪となりうる(ニュールンベルグ国際軍事裁判所条例第六条・ニュールンベルグ諸原則の方式化に関する国連総会決議)。
7、ここで注目しなければならないことは、上告人二階堂の容疑事実とされているスパイ行為(間諜)について、一九〇七年ヘーグ陸戦の法規慣例に関する規則は、
二九条(間諜の定義)に、
「交載者ノ作戦地帯内ニ於テ、対手交戦者ニ通報スルノ意思ヲ以テ、隠密ニ又ハ虚偽ノ口実ノ下ニ行動シテ、情報ヲ蒐集シ又ハ蒐集セムトスル者ニ非サレハ、之ヲ間諜ト認ムルコトヲ得ス。
故ニ変装セサル軍人ニシテ情報ヲ蒐集セムカ為敵軍ノ作戦地帯内ニ侵入シタル者ハ、之ヲ間諜ト認メス。又、軍人タルト否トヲ問ハス、自国軍又ハ敵軍ニ宛テタル通信ヲ伝達スルノ任務ヲ公然執行又ル者モ亦之ヲ間諜ト認メス。通信ヲ伝達スル為、及総テ軍又ハ地方ノ各部間ノ戦略ヲ通スル為、軽気球ニテ派遣セラレタル者亦同シ。」
三一条(前の間諜行為に対する責任)に、
「一旦所属軍ニ復帰シタル後ニ至り敵ノ為ニ捕ヘラレタル間諜ハ、捕虜トシテ取扱ハルヘク、前ノ間諜行為ニ対シテハ、何等ノ責ヲ負フコトナシ。」
と定めている。
右のような規定からすれば、間諜は隠密に又は虚偽の口実の下に作戦地帯内で情報収集を行なう者であり、その特徴は変装、隠密行動及び遂行すべき目的を偽り又は隠匿することであって、公然と任務に従事する行為は間諜行為に該当しないものである。また、間諜行為を為した場合にも、一旦自国軍に復帰すれば、その後に捕らえられても捕虜資格を認められ、間諜行為に対する責任を問われることはないのである。上告人二階堂は、満州国警察官として公然と通常の任務を遂行していたにすぎないのであって、右の間諜行為に該当する事実は何ら存しない。
したがって、上告人二階堂には、そもそもスパイ容疑は成り立ちえないものであり、もとより、一九〇七年ヘーグ陸戦の法規慣例に関する規則やその他の「戦争の法規又は慣例に違反する行為」に相当する行為は存せず、同上告人が「戦争犯罪」に該当しないこと明らかである。
8、また、ソ連の留保にかかる「人道に対する罪」とは、「戦前若しくは戦時中にすべての一般人民に対して行われた殺人、せん滅、奴隷化、追放及びその他の非人道的行為又は犯行地の国内法の違反であると否とを問わず、本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として、若しくはこれに関連して行われた政治的、人種的若しくは宗教的理由に基づく迫害行為」(ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例第六条)であり、上告人二階堂がこれに該当する可能性は全く存しない。
9、以上の諸点からして、上告人二階堂は、ソ連が四九年条約に加入するに際し、同条約八五条について留保した「ニュールンベルグ裁判の諸原則に従って、戦争犯罪及び人道に対する罪で有罪の判決を受けた捕虜」に該当すると判示している原判決の判示は、ソ連の留保及び同上告人の行為につき事実を歪曲するものであり国際法の解釈適用を謝った著しく不当なものであること明らかである。
四、上告人二階堂の無罪と名誉回復による四九年ジュネーブ条約
原判決は、「上告人二階堂がソ連に対し、右有罪判決について再審請求をした結果、同判決は破棄され、本人の無罪と名誉回復の措置がとられたとしても、そのことにより、四九年条約が遡って同上告人について適用される余地はないというべきである。すなわち、四九年条約は、捕虜法制の歴史的変遷やその意義等を踏まえ、捕虜の権利と利益を尊重・擁護し、その地位と待遇の向上をはかるため、捕虜の捕獲国及び抑留国のみならず、捕虜所属国に対しても種々の義務を課しているところ、右は、事柄の性質上、原則として、捕虜たる地位にあるものに対し、その抑留期間中に適用されることを当然の前提としているものである。したがって、同条約に加入するに際し、同条約八五条について留保した戦争犯罪等に該当するとして有罪判決を受けたことにより一旦同条約の適用を除外された者が、その後再審により右有罪判決が破棄されたとしても、特段の定めもないのに、当然に遡って同条約が適用されると解するのは、条約の安定性及び実効性の観点からも相当でないというべきである。
そうすると、仮に上告人等の主張するように、上告人二階堂が再審請求により無罪となったとしても、当然に四九年条約が遡って同上告人に適用されると解することはできないというべきである。」と判示している。
しかしながら、上告人二階堂が有罪判決を受けその後無罪となった経緯は後述のとおりであり、再審請求により無罪となった場合は、有罪判決は遡ってその効力を失うことは明らかであり、上告人二階堂は抑留の当初から一般捕虜としての地位を回復することになるのである。また、四九年条約が遡って適用されると解するのは、条約の安定性及び実効性の観点からも相当でないという原判決の右判示は、意味不明であり、何ら合理的根拠のないもので全くの恣意的判断に過ぎない。特に四九年条約のように捕虜の待遇を保護しようとする人道法条約においては、遡って適用されるのが当然であり、原判決のような判断では著しく公平を害し、人道法条約の目的にも反するものというべきである。
1、ところで、前述のとおり、上告人二階堂綱男は、終戦時陸軍軍曹であったが、昭和二〇年八月一六日武装解除されソ連軍の捕虜となり、昭和二三年八月までチタ地区の収容所で強制労働を課せられた。そして、引き続き同地区で満州国警察官時代にかかわるスパイ容疑の取調べを受け、昭和二四年二月五日頃、ロシア共和国刑法第五八条六項によるスパイ罪として矯正労働二五年の刑に処するとの宣告を受けたものである。
右刑法第五八条六項は、「スパイ行為、すなわちその内容上とくに保護を要する国家機密たる情報を外国、反革命団体、または個人に交付し、盗聴し、もしくは交付の目的で収集する行為は次の処分を招く。三年を下らない自由剥奪(略)」と定められていた。
2、しかしながら、そもそも交戦状態となって一週間にも満たない日ソ間に戦争犯罪に該当するような事犯の生じる可能性は殆ど予想されず、同上告人の容疑は、満州国警察官として公然と通常の任務を遂行していたことを取り上げるものであって、前述のとおり、決して国際法規上処罰の対象となるような間諜行為に該当するものでないこと明らかであり、しかもソ連刑法第五八条六項にすら該当しないものである。
さらに、同上告人に対する刑の宣告は、弁護人の選任はもとより、法廷での裁判など一切受けておらず、およそ裁判と呼びうるような手続きを外形的にも全く受けていなかったのである。
したがって、同上告人は、有罪判決を受けた受刑者というべきものでなく、いわばソ連の政治体制による犠牲者というべき立場にあったのである。
3、日本が四九年ジュネーブ条約に加入した昭和二八年(一九五三年)四月当時、ソ連には依然として約一万数千名の日本人捕虜が抑留されていたが、それらの者の大部分が、上告人二階堂と同様に、処罰の値する犯罪行為を構成するかどうか疑わしいような些細な行為をとらえて、反ソ又は反共という概括的な名目の下に告発・処罰され抑留を継続されていたのである。例えば、喧嘩又は「反ソ的」言動の廉で五年乃至一〇年の、特務機関に勤務していた或いは対ソ通信を傍受していた或いは憲兵であったという理由で一〇年乃至二五年までの重刑を課せられたのである。
4、日本国政府も、かかるソ連当局の国際法違反ともいうべき捕虜処罰の状況を十分知了していたため、上告人二階堂等を戦争犯罪人として処理したこともなかったのである。
例えば、引揚援護庁復員局第二復員局残務処理部復員業務課長は、昭和二四年八月二九日付在「ソ」生存徒刑者について(回答)と題する書面において、上告人二階堂と同様の境遇に置かれているシベリア抑留者について、横須賀地方復員残務処理部復員業務課長に対し、
「一、本件に関して日本政府は「連合軍司令部」より且つ「戦犯者」としての正式通知に接していない。(略)
二、依って夫々の者の身分は一般の在外未復員の軍人軍属と同一に扱うのを至当と認める。」
と回答している。
5、ソ連政府においても、上告人二階堂を昭和二四年五月から同二五年八月までは、バム地区囚人ラーゲリに収容して強制労働を課したが、それ以後から帰国する同三一年一一月までの約六年間は、ハバロフスクの一般捕虜収容所において一般捕虜と同様に取扱い、労働に従事させたのである。
6、かくして、同上告人に「戦争犯罪」や「人道に対する罪」に該当する行為が存しないこと明らかである。さらに、同上告人に対するロシア共和国刑法第五八条六項によるスパイ罪による刑の宣告は、不当な容疑に基づきしかもおよそ裁判と呼びうるような手続きを全く受けずになされたもので、無罪であること明らかなものであったところ、一九八九年一月一六日付ソ連邦最高会議幹部会の「一九三〇、四〇、五〇年代に行われた弾圧の犠牲者に対する正義回復の追加処置に関する」命令第一条に従い、同上告人のスパイ活動による法廷外有罪判決は破棄され、本人の無罪と名誉回復がなされ、この旨の名誉回復に関する証明書が、ソ連邦軍検察総局名誉回復部軍検察官法務中佐ブイソツキー氏から交付されるに至った。
7、したがって、上告人二階堂は、再審請求により無罪となったものであり、有罪判決は遡ってその効力を失い、抑留の当初から一般捕虜としての地位を回復することになったのである。原判決は、同上告人に対する四九年条約の適用を否定する論拠として「その後再審により右有罪判決が破棄されたとしても、特段の定めもないのに、当然に遡って同条約が適用されると解するのは、条約の安定性及び実効性の観点からも相当でないというべきである。」と判示しているが、右論拠は全く合理的根拠の存しないものである。再審による無罪の効力が有罪判決以前の地位を遡及的に回復することは先進民主主義社会における当然の法理であり、上告人二階堂に四九年条約を遡って適用したところで何ら同条約の安定性にも実効性にも影響を及ぼすものではなく、むしろ遡って適用することが国際法の正義を実現し人道法条約の精神を真に具体化するものである。原判決の判示は法の正義と公平に著しく反するものである。
五、以上のとおり、一九四九年ジュネーブ条約の適用関係につき、上告人二階堂に同条約が適用されるべきこと明らかであり、同条約を適用できないとした原判決は誤りであり、条約及び国際法規の遵守を規定した憲法九八条二項に反するものであるから破棄されなければならないこと明白である。
第三、自国民捕虜補償原則の一般慣行及び法的信念
一、自国民捕虜補償原則の内容
1、原審判決が、上告人らの主張する自国民捕虜補償原則につき、その一般慣行が確立していない旨判示する第一審判決((一)一三七頁〜一三八頁)を引用し(七頁〜八頁)、同じくその確立を否定したうえで、自国民捕虜補償原則の成立を認めなかったことは、理由不備ないし審理不尽、ひいては、憲法第九八条二項に反し、到底破棄を逸れない。
2、そもそも自国民捕虜補償の原則とは、捕虜の労賃を含む補償を受ける権利が既に確立されていることを前提に(後述二の1参照)、これを実効あらしめるための決済方法についての慣行である(後述二の2参照)。従って、補償についての最終的な責任の帰属と、決済義務の帰属とを混同しないことが肝要である。例えば捕虜期間中の労働災害に対する最終責任が抑留国にあることは疑いない。ところが、自国民捕虜補償原則を法典化した捕虜の待遇に関するジュネーヴ条約(以下「四九年条約」という)は抑留国に対し、抑留中の医療は義務づけてはいるものの(第三〇条参照)、その後は証明書の発行義務のみを課し、その決済は捕虜の所属国が行なうこととしている(第六八条一項)。このような決済方法などは、明らかに抑留国の責任を所属国が代行したというべき性質のものであり、捕虜の保護に一等資すると言う配慮に出たものにほかならない。そうして、右のような最終責任と決済の不一致を解決するためには、関係当事国間において、なんらかの取極ないし清算が行なわれなければならないのであるが、そのことを、これも慣習法を法典化した同条約第六七条は「〜第六八条に基づいて所属国(「抑留国」ではない。「抑留国」と訳した外務省仮訳が誤訳であることは既に上告人らが指摘したとおりであり、その旨改められている。)が行なったすべての支払は、敵対行為の終了の際、関係国の間の取極の対象としなければならない。」と定めているのである。
3、更に、自国民捕虜補償の原則は、捕虜の労賃を受ける権利、捕虜の補償を受ける権利が国際法上の強行規定、ユス・コーゲンスであることを前提に(後述二の2参照)、発展稠密化された原則であるから、事の性質上派生的原則であることは勿論否めないところである。自国民捕虜補償の原則確立の歴史は、捕虜が労賃、補償を受ける権利の絶対性を如何に確保するかという腐心、工夫の歴史でもある。
4、これを同じく法典化条約である四九年条約第六六条についてみるに、労賃の支払いにつき、その最終的な責任が抑留国に帰属することは当然としても、その決済については、抑留国、所属国の共同責任にしてはどうかとの提案もふまえつつ、最終的には所属国に決済義務を負わせ、抑留国は残高証明のみを発行することとし、ここにおいてもまた最終的な抑留国の責任と言わばその責任を代行する所属国の決済との不均衡は後日両国の取極の対象とされることとなったのである。
二、捕虜の労賃等を受ける権利とその決済方法について
1、上告人らが第一審及び控訴審において繰り返し述べたとおり、そもそも捕虜の労賃を受ける権利、抑留国の労賃を支払う義務は、一九〇七年のヘーグ陸戦条約・規則によって明確に確立されたのであって、第二次世界大戦の終結する一九四五年において、捕虜の労賃を受ける権利、抑留国の労賃を支払う義務は国際法上(条約及び慣習国際法)争いようのない確固たるものであった。
本件の争点は、捕虜の労賃の決済方法であって、捕虜の労賃を受ける権利、抑留国の労賃を支払う義務が国際法上(条約及び慣習国際法)の規範であることを被上告人も争うものではなかろう。
2、捕虜の労賃を受ける権利は、抑留国の労賃を支払う義務を前提として、それを実現する手続、労賃の決済方法として自国民捕虜補償の原則及び抑留国補償の原則があるのである。捕虜の労賃は支払わなければならないという原則と、労賃の決済方法の原則は、実体的権利とそのための手続であってこの二つは明確に区別して論じられなければならないことは、上告人が繰り返し述べてきたところである。
すなわち、国際法上の対世的義務(obligation erga omnes)としての捕虜抑留国(捕虜使役国)の労賃の対世的支払義務の成立を前提にして、その履行方式としての抑留国支払方式と所属国補償方式とが、成立してきたのである。まず右の労働使役国の労賃支払義務は、国際法上のユス・コーゲンス(無償労働を認める国家間協定を結んでも無効という意味で)として成立しているとみるのが合理的認識といわざるを得ないであろう。なぜなら国際連盟期からの長い活動の歴史を持つ国際労働機関(ILO)憲章(前文)にもみられるように、「労働に対して正当な対価が支払われるべきこと」が国際社会での基本法原則であることは「国際社会全体によって受諾され承認されている」(条約法条約五三条)からである。のみならず、右の無償労働禁止の規範は、社会政治体制の相違とは無関係に(資本主義たる社会主義たるとを問わず)文明諸国の「法の一般原則」として確立していることは疑いないのである(その違反たる無償労働の強制は一種の強制労働といえよう。)。捕虜に関する交戦法規も、一九〇七年ヘーグ陸戦条約及び規則以来、この人道原則をipso jure(法律上当然に)遵守してきたのである(甲第二八五号証、広瀬善男「捕虜の国際法上の地位」日本評論社八、九頁)。
そして、上告人らの言う自国民捕虜補償原則は、決済手続において捕虜所属国が自国の捕虜に支払った後に所属国と抑留国間で清算するというものであって、最終的な労賃の支払義務者は労力を使用した抑留国であることには変わりがないのである。つまり、右ヘーグ陸戦条約・規則に定める捕虜の労賃を受ける権利、抑留国の労賃を支払う義務そのものを前提とする議論であって、これとは別のまたこれを超えた新たな労賃請求権ないしその支払義務を創設するものではない。
3、また、上告人らの主張する自国民捕虜補償原則とは、所属国が自国の捕虜に労賃を支払う最終義務者(負担者)であると言うものでもない。労賃とは、当該労働を使用した者である使役国、抑留国の負担すべき性質のものであること、抑留国が労賃の最終負担者であることは争うべくもなく、ただその決済方法について、上告人らはいくつかの方法を論じるものである。繰り返し述べるが、捕虜の労賃を受ける権利、抑留国の労賃を負担する義務と、それを前提とした決済方法の問題は峻別されなければならないのである。控訴審判決はこの点について全く理解が及ばず、あるいは理解を避け、その結果上告人らの捕虜としての労賃は事実上いずれの国からも支払われないこともあり得るという、おおよそ第二次世界大戦当時国際法上争いようのなかった国際法上の強行規範、ユス・コーゲンスに反する結論を示したのである。
つまり、仮に控訴審判決のように自国民捕虜補償の原則という決済方法を否定したとしても、それによって捕虜の労賃を受ける権利までも否定することはできないのである。一方で、所属国決済方式を否定し、他方抑留国決済方式についてもその実現方法がないことを理由に権利行使を認めない(第一審判決(一)一四八頁〜一四九頁参照)とすると、事実上捕虜の労賃を受ける権利が否定されることになりかねないが、そのような本末転倒の論理を取り得ないことは明らかである。第二次世界大戦当時どのような決済方法が国際法上認められ、どのような決済方法が認められなかったと議論しても、その前提としての捕虜の労賃を受ける権利は確固たる権利として否定しようのないものであったことを見失ってはならない。
4、右のとおり、捕虜の労賃を受ける権利、抑留国の労賃を支払う義務が国際法上のユス・コーゲンスであるのだから、国家間では必ずその決済がなされなければならないことになる。しかも、二つの大戦の経験から生まれた捕虜労賃の支払に関する方式慣行は、抑留国方式か所属国方式かのいずれかしかなく、その二方式に凝固され、したがってここには明白に方式選択上の限定があり、国家が自由にそれとは別の他方式と互換することのできないアプリオリの枠組みが設定されているのである。しかもこの場合その二方式のうちいずれかという選択の基準は「捕虜の利益のために」という捕虜条約の基本理念から関係国に課されているのであって、そこには不作為による放置を是認する国家意識は全くない。(甲第二八五号証、広瀬善男「捕虜の国際法上の地位」日本評論社 九頁)
従って、所属国支払い方式を否定するならば、必ず抑留国支払い方式を肯定しなければならず、抑留国支払い方式を否定するならば、必ず所属国支払い方式を肯定しなければならないのである。被上告人日本国は第二次世界大戦の抑留捕虜に対して支払を履行しなかったにも拘らず、第二次世界大戦当時の国際法上の労賃支払い方式は抑留国支払い方式のみであるから、上告人らに労賃の支払いを行わないと抗弁し、控訴審判決はこれを認めた。日本国は、抑留国支払いも所属国支払いも履行しないという法解釈が国際法上許されると考えたのであれば、その皮相な国際法理解は非難を免れないところである。
三、労賃の決済とその最終責任
1、ところが、第一審判決は「我が国についても、前述の抑留国補償の代行としての認識のもとに行った支払例」((一)一三七頁〜一三八頁参照)に言及し、「第二次大戦の関係諸国の間で(自国民捕虜補償の)一般慣行が存在したとするには疑問が残る」((一)一三八頁参照)との結論に導いているのである。
右判示が自国民捕虜補償原則を誤解したものであることは、これまで上告人らが再三再四指摘したとおり、明らかである。そもそも労賃の決済を捕虜所属国たる「我が国」が行なうのであるから、「抑留国補償の代行としての認識」のもとに行なうのはむしろ当然である。代行して支払った(決済した)金額につき、これを抑留国に請求(求償)するか放棄するかは、両国間で様々な国際政治的要因を織り込みながら解決さるべき別個の問題である。
第一審判決は、決済義務の問題(自国民捕虜補償の原則はこれに関する)と、最終的な責任の帰属の問題を混同しているのである。
2、その点、控訴審判決は、自国民捕虜補償の原則が最終的な責任の問題ではなく、捕虜の労賃、補償を受ける権利を実効あらしめるための捕虜に対する支払の問題であることを認識している(と思われる)点において(同判決一〇頁二行目〜六行目参照)不十分とは言え若干前進している。
ところが、控訴審判決は「いわゆる森永文書二五号によれば、日本軍人が捕虜期間中に得た就労金に対して連合国側が発行した現金預り証については、指令に基づき日本政府は持帰金としての支払を行ってきたが、英軍発行の個人計算カードの支払と全く性質が同じものであるから、当然それぞれ現金預り証発行該当国に対して求償権を有するものと考えると記述されている。右記述に照らすと、当時、日本政府としては、戦時帰還捕虜の抑留中の労賃の貸方残高については、抑留国に支払義務があるとの認識の下に支払措置を講じていたというべきであろう。」(一一三頁七行目〜一一四頁三行目)と判示する。
右判示そのものは、その前後の脈絡は別にしても、自国民捕虜補償原則の実行例の一つを述べたものとして妥当である。右判示部分は労賃の支払いに関するものであるが、所属国たる我が国が預り証発行該当国に対して「求償権」を有するものと考えるのは、何度も述べるがむしろ当然であり、自国民捕虜補償の原則に何ら反するものではなく、むしろ合致している。
また、それ故「日本政府としては、戦時帰還捕虜の抑留中の労賃の貸方残高については、抑留国に支払義務があるとの認識の下に支払措置を講じていた」のは文字どおり、自国民捕虜補償原則の法的信念に裏打ちされた実行例ということができる。
四、中国、オランダ、ソ連の実行例について
1、ところで、控訴審判決が引用する第一審判決は「第二次大戦の関係諸国でも、ソ連、中国、オランダ等について、同様(自国民捕虜補償原則)の国家実行が存在したかはこれを知り得る証拠がない」((一)一三七頁参照)と判示する。
しかしながら、中国の国家実行については、甲第二六六号証から明らかなように、その存在を知り得るのみならず、対日理事会、極東委員会のいずれにおいても、自国民捕虜補償の原則に賛成するか、又は少なくともこれに反する言動は一切行なっていないのである。
2、次に、オランダについてであるが、少なくとも東南アジアにおいては、オランダ軍はイギリス軍の指揮下にあったのであるから、日本軍に抑留されたオランダ兵についても、同地域で捕虜になった日本兵についても、いずれも英国軍の取扱、待遇がそれを代表しているというべきである(甲第二九七号証、同二九八号証)。また、ここにおいても、オランダに自国民捕虜補償の原則に反する実行は存しないということが特筆さるべきである。
また、旧オランダ領東印度から帰還した日本人捕虜は、オランダ軍の交付したオランダ通貨のギルダーで表示された個人計算カードを所持しており、これに対して日本銀行で支払がなされた。このことは、オランダにおいて、捕虜の貸方残高につき、その支払は捕虜所属国が実施すべきことを前提としていたことを物語るものであり、オランダにおいても自国民捕虜補償原則に即した国家実行が行なわれていた(日本における自国民捕虜補償原則の一例でもある)と言うことができる(甲第二九九号証)。
更にオランダは四九年条約制定のための外交会議、対日理事会、極東委員会においても、中国同様、自国民捕虜補償の原則に賛成するか、少なくともこれに反する言動をとっていないのである。
3、ソ連については、ジリ・トーマン博士が次のように述べている。「ソ連の捕虜に対し、抑留から帰還後補償が支払われた例を見出し得ないのも、またドイツ、日本その他の枢軸国の捕虜に対し賃金や労働補償が支払われたことを確認できないのも確かに驚くにはあたらない。我々は、こうした態度を理解するために、ソ連当局の捕虜に対する一般的態度に言及したい。
ソ連のドイツ、日本その他の枢軸国捕虜に対する態度はどのようなものであったか。第二次世界大戦中、両陣営の捕虜に対し苛酷な扱いがなされた。ロシアの攻撃中、捕虜の拷問や処刑が行なわれたことはよく知られている。もしナチス親衛隊によって多くの犯罪が犯されたなら、ソ連の狂信的な宣伝が、無慈悲にドイツを破壊するために赤軍を鼓舞したであろう。強制労働は、五〇年代までソ連に捕虜を留めておく唯一の理由である。このような状況下で、捕虜の生命が危険にさらされている時、国際的条約や慣例の他の副次的な規定が守られなかったことも、全く抵抗のないことであったであろう。
戦後帰還したソ連人捕虜の状況も決して良いものではなかった。幾つかの、主としてソルジェニツィンその他による著作で明らかなように、「キールホール作戦」によって、二百万人のソ連捕虜ならびに市民がその意志に反して強制帰国させられた。ソヴィエトはソヴィエト軍の兵士が捕虜に捕られ得るということを認めなかった。彼等は最後まで戦わなければならず、決して捕まることがないとされていたのである。帰国した者は直ちに強制労働収容所に入れられた。このような状況下でソヴィエト当局が、抑留中の賃金や労災の補償に専念したと想像するのは困難である。東京地方裁判所の要求は、この状況下では全く非現実的であろう。」(甲第三〇二号証訳文五〇頁一行〜五一頁五行)。従って、自国民捕虜補償原則を裏づける実行例の証明は困難であるが、昨今上告人らにロシア政府から労働証明書が発給されたという事実は、自国民捕虜補償原則の裏付けとなる実行例ないし法的信念が過去に存在したことを推認させるものである。
4、重要な国家実行例としては、ソ連は四九年条約制定のための外交会議、及びその各種委員会において自国民捕虜補償原則そのものには賛成しており(後述八参照)、同時に、これはソ連の法的信念の存在を証明するものである。ただ、ソ連は、技術的なレベルにおいて若干の異議があったに過ぎないということである。また、対日理事会、極東委員会においても、ソ連は決して自国民捕虜補償原則に反対はしていないのである。
五、我が国の実行例
1、我が国の実行例は先に述べたとおり確実に存在しているにも拘らず、第一審判決、控訴審判決ともにその解釈を誤まっている。即ち、
「抑留国補償の代行としての認識のもとに行なった支払」(第一審判決(一)一三七頁〜一三八頁)も、また、
「日本政府としては、戦時帰還捕虜の抑留中の労賃の貸方残高については抑留国に支払義務があるとの認識の下に支払う措置を講じた」(控訴審判決一一三頁〜一一四頁)ことも、いずれも自国民捕虜補償の実行例と言うことができる。
加えて、自国民捕虜補償の原則に反する実行例は、我が国において見出し得ない。
2、ところで、控訴審判決は別の箇所において「連合国は、終戦後の数年間、長期の戦争により混乱した我が国の経済体制の立直しを図るため、引揚者の持帰り金等については、一般人、軍人・軍属及びその階級等に応じて一律に一定の制限を設けるとともに、戦時捕虜にあった(原文のママ)者については、特に一定の制限の下、すなわち、『戦時捕虜としての所得を示す証明書』を所持するものに限り、その貸方残高の決済を許可したにすぎないことが明らかであり、占領下にあって連合国の占領政策を誠実に遵守すべき立場にあった我が国としても、抑留国から右資料が示されたものについては、抑留国に代ってその支払措置を講じた」(一一九頁〜一二〇頁)と判示する。右は、自国民捕虜補償原則に関する我が国の実行例を判示したものとして重要である。しかるに、実際は逆の結論を導いており、その理由とするところは右の措置は単なる外国為替管理上の問題に過ぎないこと、及び占領下にあって連合国の占領政策を遵守したに過ぎないことに置いているように見受けられる。
3、まず、為替管理上の問題としては、後に詳述するように、一定の経済目的(判示においては「長期の戦争により混乱した我が国の経済の立て直し」がそれに当たるが、実際は、もっと限定された目的《例えば外貨の持ち込みによるインフレの抑制等》と解すべきものであろう)のために、まず一般的に禁止を課し、捕虜については、その禁止を解除するという構成をとっている。ここで重要なことは、外国為替管理法令の中には、捕虜についてだけ禁止を解除しなければならない要因はまったくないということである。捕虜についてだけ禁止を解除した理由ないし政策目的は、外国為替管理法令の外にあって、これと衝突するか、少なくともこれとの調整を要するものである。そして、それこそが自国民捕虜補償の原則にほかならないのである。
4、控訴審判決の右判示も、自国民捕虜補償原則以外に、捕虜についてのみ禁止の解除を行なった理由を見出し難いことは十分承知しており、それ故にこそ、占領軍の占領政策を遵守したに過ぎないとの弁明に逃避しているのである。しかしながら、当時間接統治の形態をとっていた以上、右は我が国の国家実行であったことに疑問の余地はない。また、問わるべきその占領政策の中味はいったい何かということであり、これもまた自国民捕虜補償の原則にほかならないのである。そうして、主だった占領国軍において自国民捕虜補償の原則が確立していたことは既にみてきたとおりであり、このことからも当該占領政策の中味が裏付けられるのである。
六、ロシア政府発給の労働証明書について
1、ところで、控訴審判決は、前記判示部分に続いて「日本政府が総司令部に要請したにもかかわらず、シベリア抑留者に対してはソ連当局から何ら所得を立証するような資料の交付も提示もなかった」(一二〇頁〜一二一頁)と判示する。
2、後に詳述するように、控訴審弁論終結後、上告人らは右に言う「所得を立証するような資料」としてロシア政府の発給する労働証明書を入手したのでこれを裁判所に申し入れたが、控訴裁判所は不当にも上告人らの申し入れを黙殺した。
3、右労働証明書は、ロシア政府の実行例を示すものとして大変重要であるが、控訴審裁判所は、その重要性に思い到らなかった。この一事のみをもってしても、控訴審判決には、著しく正義に反する審理不尽があると言わざるを得ず、到底破棄を免れないところである。
七、四九年条約六六条及び六八条成立に関する判示の誤まり
1、第一審判決は、「四九年条約の六六条及び六八条が最終的に採択されるまでの経過においては、自国民捕虜補償とは異なる原則を主張する意見があり、右両条の原案も抑留国補償方式を定めるものであった。」((一)一二六頁参照)と判示とした。
第一審判決の自国民捕虜補償原則の認識に根本的な誤りがあることは既に指摘したとおりであるが、右判示部分は「自国民捕虜補償の原則に関する慣習国際法の成立要件の一つである一般慣行」((一)一二二頁)の存在に疑問を呈する文脈において示されたものである。((一)一二四頁)。
2、それ故上告人らは、控訴審において条約制定の経緯を資料に基づいて詳述し、第一審判決の誤りを指摘した(平成二年二月二二日付控訴人準備書面(二)参照)。とりわけ、上告人らは次の三点を強調した。即ち、
(ⅰ) 国家実行の例としては、あくまで外交会議における各国政府の言動が重視さるべきであること(従って、予備会議や政府専門家会議の発言に必要以上に拘泥することは間違いである)
(ⅱ) 会議において、反対、留保が出されたとしても、その理由がいったい何なのかが問われなければならず、更にその反対、留保がいつまで維持されたかという点が重要であること(従って、反対、留保があったという事実そのものよりも、その理由が重視されなければならないこと)
(ⅲ) 一般慣行が存在すると言うためには、必ずしも国家実行例の均一性は必要ではなく、成立している一般慣行からの逸脱も時としてないわけではないこと(例えば大陸棚については、その条約制定会議においては様々の反対があったにも拘らず、慣習法の成立を認めた《東京高等裁判所昭和五九年三月一四日判決》ほか、ニカラガ事件においても、一般慣行からの逸脱が、その成立を否定するものでないことを確認している――甲第二八五号証 広瀬善男「捕虜の国際法上の地位」六九頁参照)の三点である。
3、控訴審判決は、四九年条約第六六条及び六八条制定の経緯を相当詳細に認定する(三六頁〜五一頁)。その事実経過そのものの認定は、間違ってはいないが、ただ唐突に「右認定にかかる四九年条約六六条及び六八条の制定経緯等を検討するも、控訴人らの主張する自国民捕虜補償の原則が当時専門家会議や外交会議等に参加した関係国家において、すでに一般慣行化していたとか、法的必要信念ないし法的確信をもって実行されていたものとまで認めるのは困難である。」と判示するに至っては言語道断である。
4、全く理由が付されていないのである。節々に窺えることは、採択の過程で若干反対、留保があったことを暗に理由にしているらしいということであるが、何度も言うが、問題はその反対、留保の理由が、いったい何であったかということであり、その点にまったく触れずに漫然「認めるのは困難である。」と言い放つのは審理不尽もはなはだしい。
5、また、控訴審判決は、捕虜法制の歴史をあまりに簡略に引用し(五二頁〜五四頁)、これまた突然に「我が国を始め主要な世界各国における自国民捕虜補償に関する制度を通観した結果を総合しても、控訴人らがシベリアに抑留されていた当時、すでに控訴人らの主張する自国民捕虜補償に関する一般慣行及び法的確信の要件が具備され、国際慣習法として成立していたと認めるのは困難というほかない。」(五四頁〜五五頁)というのみであって、これといった理由がふされていない。何故に、どういう要件をどのように充たしていないから慣習国際法として成立していたと認めるのは困難なのかが全く示されておらず、理由不備及び審理不尽の違法があり、その結果法令の適用を誤ったものである。
八、四九年条約六六条、六八条制定の実状について
1、さて、スイス連邦政府は、一九四九年四月二一日、ジュネーブにおいて外交会議を招集したが、同会議では、四つの重要な委員会のほかにそれに付随して各種の委員会が設けられた。
ストックホルム草案を土台にした捕虜の待遇に関する条約改正案の審議を担当したのは第二委員会であった。第二委員会は、ストックホルム草案のうち本質的な意見の不一致があった条文及びイギリス、オーストリア代表団の各修正案等を検討するため、オーストリア、ベルギー等一八か国及び赤十字国際委員会の代表者(専門家)をメンバーとする特別委員会を設置した。
同特別委員会は、更に若干の特に困難な問題点及び技術的問題点を作業団又は専門家グループで議論するため、捕虜の金銭問題を規定する条文(四九ないし五七条A)について、ベルギー、カナダ、アメリカ、フランス、イタリア、イギリス、ソ連の七か国の代表のほか、赤十字国際委員会の代表が専門家として参加した会計専門家委員会を設置した。
2、このように、会計専門家委員会は、第二委員会の設置した特別委員会に所属し、専ら金銭問題に関する専門的、技術的事項を担当する委員会であった。従って、同委員会は基本的事項についてではなく、それを実施するための方法論について専門的、技術的な検討を加えることを主たる目的とするものであった。
このような性格を有する同委員会の協議における反対意見は後述のとおり、基本事項を実施する上での技術的な事項ないし手続きについての反対にすぎなかった。これに対し、慣習国際法の成立要件である一般慣行の認定根拠となり、法的確信の推論の前提となる国家実行として、条約草案に対する国家の意見、賛否等を評価するに当っては、専門的、技術的問題を検討する下部委員会の採決における意見ないし賛否ではなく、基本的事項を含む草案全体を検討する上部委員会(特別委員会、第二委員会)又は全体会議(外交会議)におけるそれによるべきである。
右の観点からみると、会計専門家委員会で採択された六六条の原案である草案五六条は、同委員会では小数の反対意見があったけれども、特別委員会、第二委員会においてはともに一票の反対もなく全会一致で採択され、外交会議でも同様であったのである。
しかるに原判決は、上部の委員会や外交会議における全員一致の賛成に目をつぶり、下部の会計専門家委員会における小数の反対意見の存在を過大に評価して国際慣習法の成立を否定したが、これは法的判断を誤ったものである。
3、一九四九年六月二三日に開催された会計専門家委員会の第九回会合において、ストックホルム草案(以下「草案」という)の修正について、現金支払いに代えて証明書を発行するという原則の採択を表決に付したところ、三対二で右原則が採択された。反対の二票は、ソ連代表とアメリカ代表であった。
ソ連代表の反対理由は、草案は交戦国に特別協定を結ぶ余地を残しているから、ということであった。その意味するところは、特別協定によって証明書を発行することができるから修正するまでもないということであったと推測される。
またアメリカ代表の反対意見は、条約の目的は政府の利益よりもむしろ捕虜の利益の保護を確保するにあるとして、草案に賛成であるということにあった。その意味するところは、草案には特別協定の規定があるから、それにより捕虜の利益を確保するため最も良い方法を選択することができるということであったと推測される。
4、草案は、右の点に関し「敵対行為終了後解放され帰還する捕虜の貸方残高の清算に関し、関係当事国に特別協定が成立しなかったときは、かかる残高は、抑留国から同人に対し現金で支払われなければならない。」と規定していた。すなわち、特別協定が第一順位であり、それが成立しなかったときには抑留国が現金で支払いをするということであった。
右にいう特別協定とは、実質的には証明書の発行であった。そうだとすると、草案の修正として現金支払いに代えて証明書を発行する(その表現自体正確ではなく、「特別協定が成立しなかったときは現金で支払う」ということに代えて「証明書を発行する」と言う修正案というべきである、)というのは、草案の第一順位であった「特別協定」をそれが包含していた「証明書発行」と直截に表現し、第二順位であった現金支払いを削除するということであった。このように修正すれば、特別協定によることなく証明書を発行することになり、抑留国による現金支払いということはなくなるのである。特別協定が成立すれば、草案の規定によっても、修正案と同じ証明書発行という結果は得られたのであるから、現金支払いをやめてまで敢えて修正する必要はないとして反対票を投じたソ連と米国の代表の意見も首肯できないわけではない。
5、その後、イギリス代表から「本条のすべての規定は紛争当事国の特別協定によって変更することができる」との条項を付加することが提案され、特別協定によって現金支払いをすることも可能となったのでソ連と米国の反対する前記理由もなくなり、右提案は満場一致で採択された。
以上の検討によれば、証明書の発行、すなわち捕虜の所属国補償の原則は、すでに草案に包含されていたものであり、それが六六条に継承されたことを知りうるのである。
6、続いて、草案五六条一、二項をイギリス代表の提案した修正案一項一文に、同草案三項を同修正案一項二文にそれぞれ置き換える案が、それぞれ四対三で採択された。しかし、修正案は、イギリス代表が述べている如く「同案はとりわけ送還のすべての場合を網羅しており、かつ、抑留国の権限ある将校の署名した文書を発行するという原則を導入するものであるから、それはストックホルム草案よりも包括的である」。
7、修正案と草案とを比較してみると、修正案は草案に次のような傍線を付した部分を付加した内容であることが認められる。
(一) 捕虜の貸方残高を示す証明書で、抑留国の権限ある将校が署名したものを捕虜に交付しなければならない。
(二) 抑留国は、また、捕虜が属する国に対し、利益保護国を通じ、送還、解放、死亡、その他の事由で捕虜たる身分が終了したすべての捕虜に関する細目及びこれらの捕虜の貸方残高を示す表を送付しなければならない。
(三) この表は一枚ごとに抑留国の権限ある代表者が証明しなければならない。
(四) 本条のすべての規定は紛争当事国の特別協定によって変更することができる。
8、この修正案をみると、捕虜の自国補償の原則に関する草案の基本原則には何ら変更はなく、捕虜の利益の保護の手続きと内容をより厚く、丁寧にするように修正したという点に特色が認められる。
したがって、草案を修正案に変える案に反対した((四)、は全員賛成であるから除く)理由は、右記(一)〜(三)の傍線部分の一部又は全部に関するものであると解されるが、それは右文言自体から明らかなとおり抑留国によりめんどうな手続きを課することに同意できないということであったと推測される。決して、それは草案の基本原則に対する反対であったが故ではなかったのである。
9、一九四九年七月五日に開催された第二委員会(特別委員会)の第二五会合において、草案五六条二項に付加して「捕虜の所属する国は、捕虜の拘束が終了するに際し抑留国から捕虜に支払われるべき貸方残高について、当該捕虜に対し決済する責任を負う。」とのイギリスの修正案が票決に付され、七対六で採決された。
しかしながら、付加された右修正案は、付加される前の草案との間に実質的な差異があるわけではない。付加前の草案も抑留国が発行した証明書に基いて捕虜所属国が捕虜に貸方残高を支払うことを当然の前提としていたものであり、そのことは会計専門家委員においても疑われたことはなかった。付加された修正案は、そのことを明文化し確認したものに過ぎないと解される。
従って六票の反対理由は、次の点にあったと推測される。すなわちイギリス修正案付加前の本条四項の「本条のすべての規定は紛争当事国の協定によって変更することができる」という条文は、付加されたイギリス修正案(最終的に条約第六六条三項となる)に影響がない(特別協定によって変更できない)ことから、若し特別協定によって現金支払いという協定ができた場合、この条文と矛盾するのではないかと考えられることである。
しかしながら、最終的な条約条文の体裁を見れば明らかなとおり、条約第六六条は、まず第一項で抑留国の証明書発行義務、その内容、手続等を定め、第二項において、「本条の前記の規定」を協定で変更することができる旨定めた後、第三項において「捕虜が所属する国は、捕虜たる身分が終了した時に抑留国から捕虜に支払うべき貸方残高を当該捕虜に対して決済する責任を負う。」と定めている。即ち、所属国が決済するという原則は首尾一貫させたまま、協定によって変更し得る事項を限定的に明確化し、条項相互間の表面的な矛盾を取り除いたのである。
従って、反対理由としては、いずれも単に条文技術的なものに過ぎず、決して自国民捕虜補償原則そのものに対する反対ではないことが明確に窺えるのである。
10、一九四九年七月一二日開催された第二委員会の第三〇回会合において、会計専門家委員会の所属する特別委員会の提案した四九年条約六六条の原案である五六条が票決に付され、反対もなく採決された。そして同年八月一二日、外交会議の全体会議において、一七か国の代表が署名した。
11、以上の経緯をみると、会計専門家委員会における協議・採決における反対意見は、草案の基本原則、特に証明書の発行(自国民捕虜補償の原則)についての反対ないし変更を求めたものではなく、その原則を前提とした上で、捕虜の権利・利益をより確実に保護するための方法論上の論争であり、反対意見であったことが窺われる。
右会議においては、捕虜に対しその貸方残高を支払わなくてもよいという意見がなかったこともちろんのこと、証明書の発行によるよりも現金支払いを優先すべきであるという意見もなかった。右会議の論調を支配していたのは、どの方法が捕虜にとってより利益であるか、条約の目的は政府の利益よりもむしろ捕虜の保護を確保することにある、という意見であったのである。
第一審判決及び控訴審判決が、六六条の制定過程に前記のような反対意見があったことをもって、専門家会議や外交会議に参加した関係国家において、自国補償の原則が一般慣行化していなかったと判断するならば、その誤りは火を見るよりも明らかである。
九、国家実行の不一致ないし矛盾について
1、右にみたように、自国民捕虜補償原則の一般慣行の成立は明らかであるが、そもそも、数少ない相矛盾する国家実行例の存在をもって一般慣行の存在を疑問視する第一審判決及び控訴審判決は、そのことのみをもってしても、国際法の理解を誤っており、著しく正義に反するのみならず、ひいては憲法九八条二項に反する結果となっている。
2、まず、四九年条約六六条、六八条成立過程における反対意見が、相矛盾する国家実行例とすら言えないことは既述のとおりであるが、相矛盾する国家実行例の存在にも拘らず、一般慣行の存在を認めたうえで慣習国際法の成立を認めた先例は数多く存する。
3、例えば、上告人らが既に控訴審において主張したように国際司法裁判所は、大陸棚制度(大陸棚に関する沿岸国の主権的権利)は、一九五八年において既に慣習国際法であった旨判示した(甲第二八六号証及び甲第二八七号証)。
また、東京高等裁判所昭和五九年三月一四日判決(「オデコ社事件」)も同様の判断を示した(一九五八年の三月には大陸棚条約が採決された)。
しかしながら、国際司法裁判所や東京高等裁判所が慣習法の成立を認めた一九五八年当時、これに反する国家実行は幾つもあり、また、そもそも大陸棚条約の原案を作成した国際法委員会においても、その慣習法性は否定していたのみならず、条約審議過程においても多くの反対意見があったのである。
4、一九五一年一二月一八日ノルウェー漁業事件で国際司法裁判所が示した判断についても同様のことが言える(甲第二八八号証)。
即ち、ノルウェー沿岸地域のように陸地が特殊な地形を有している場合には、直接基線方式によって領海の範囲を画するべしとの慣習国際法の存在を認めた。そして、この直接基線方式は争いようのない国際法上の大原則である低潮線の原則に反しないとされた。
しかしこの場合など、それまでに直線基線方式の国家実行例の蓄積など全くなく、加えて、右判決後の海洋法会議においても直線基線方式についての反対意見(日本代表も反対している)があったほどである(控訴審判決(別冊四一頁〜四六頁))。
ところで、低潮線の原則という大原則の上に出来上った直線基線方式という慣習法は本件においても大変示唆に富むものである。即ち、「捕虜の労賃は支払わなければならない」という誰れも否定しようのない大原則の上に、それを捕虜の利益のために合理的公平に具体化したものが自国民捕虜補償原則であるという点において、全く軌を一にしているからである。
5、そのほか、慣習国際法とされている原則の中には、第一審判決及び控訴審判決の基準に従えば、国家実行の不一致により、その慣習法性が否定されかねないものは数限りない。
それもひとえに、第一審判決及び控訴審判決が一般慣行の認識方法を誤ったからにほかならない。
しかし仮に、ある国の国家実行が他の諸国の実行に反する実行であった場合でも、それが国家実行の不一致を意味すると言うべき場合と、他の諸国の国家実行によって成立した慣習法違反と言うべき場合があるのだから、裁判所はその不一致をいずれとみるべきかの判断をしなければならない。あるルールと矛盾する国家行為が一般的に見て右ルールの違反とみなされ、新ルールの承認の徴候とはみなされないかぎり、右ルールは慣習法としてみなされるのに十分である(前掲甲第二八五号証六九頁)。
6、即ち、「ニカラグアにおける軍事活動事件」に関する国際司法裁判所の判決(I. C. J. Reports, 1986, para.186)は、この点を以下のように述べている。「あるルールと矛盾する国家行為が一般的にみて右ルールの違反とみなされ、新ルールの承認の徴候とはみなされないかぎり、右ルールは慣習法と推定するに十分である。」「もしある国が一見、既存の承認されたルールに合致しない行動をとる場合でも、それを右ルールそれ自身にある例外や正当化事由に根拠づけるかぎり、右ルールの慣習法的存在を確認する意味はもっても弱めることはないのである。」
7、こうしたことを理解せず、頑なに国家実行例の不一致(ないしは不存在)を理由に慣習国際法たる自国民捕虜補償の原則の存在を否認する控訴審判決は、著しく正義に反する法令の解釈適用の誤まりを犯しているのみならず、先例としての前記東京高等裁判所昭和五九年三月一四日判決(オデコ社事件)にも明らかに反しており、破棄を免れない。
一〇、法的信念について
1、右に述べたとおり、自国民捕虜補償原則の一般慣行が存在していたことは明白である。そして、第一審判決の述べるごとく、「法的確信(信念)の存在は、関係諸国の国家実行から推論」(一三一頁)されるとすると、上告人らは、既に、その推論を支えるに足る国家実行例を主張立証してきた。従って、上告人らは、法的信念について一応の立証を尽くしたものと考えられ、反証なき限り、法的信念も立証されたと考えられるのである。
しかるに、第一審判決、控訴審判決いずれも上告人らが一応の立証を尽くしたことを理解せず、あたかも上告人らの立証が足りないかの如き判示を繰り返しており、判決に影響を及ぼすことの明らかな(訴訟手続の)法令違背と言わなければならない。
2、また、立証の程度の問題はともかく、法的信念に関する判示そのものについても、誤りは夥しい。例えば、控訴審判決の引用する第一審判決は、「前認定の、欧米諸国における捕虜となった自国軍人に対する年金や傷病軍人に対する傷病年金の支給例は、それ自体国民の福祉増進に役立つものであるから、各国が自国固有の内政問題として実行することが当然予想されるところであって、……捕虜となった自国軍人に対する年金や傷病年金の支給が国際法上の義務であるとの観念のもとに実行されたと認めるべき証拠はなく、この点は、第二次大戦における欧米諸国の自国民捕虜に対する各種の補償についても同様であるといわなければならない。(第一審判決(一)一三五〜一三六頁)」と判示する。
しかしながら、右認定には左のとおり明白な誤まりがあり、ひっきょう理由不備・理由齟齬があると言わざるを得ない。
3、イギリス、フランス及びアメリカの、第二次大戦におけるドイツ人捕虜に対する貸方残高の支払方法は以下のようであった。
まず、イギリスは、英独協定(一九四一年)を結び、それによると両国のそれぞれが他方の国家によって釈放された捕虜の貸方残高を支払うこととされていたが、ドイツが崩壊してドイツ公権力が存在しなかったため、ドイツ人捕虜の貸方残高の支払につき、ドイツ領内のイギリス占領地域内にある釈放キャンプを離れる際に、一ポンド当たり一五マルクの交換率で支払った。フランスも、イギリスと同様の措置をとった。アメリカは、ドイツ国立銀行との間で、一九四六年一二月三一日の取決めにより、同銀行の支店網を通じて、ドイツ人捕虜に対し、アメリカドル表示の貸方残高整理表記載の額に相当するマルクを支払った(第一審判決(一)一〇二頁〜一〇六頁)。
それは、ドイツ人捕虜に貸方残高を遅滞なく確実に取得させるようにという赤十字国際委員会の見解に従い、当時において最も良い方法として採用されたものであった。抑留国の便宜、利益や単なる恩恵的配慮によるものではなく、捕虜の権利・利益を守るべしという右各抑留国の法的な規範意識に基づいた措置であった。
4、日本政府は、連合国総司令部の指示により、オーストラリア、ニュージーランド、東南アジア地域及びアメリカから帰還した日本人捕虜に対し抑留国が交付した現金預かり証等に基づき、持帰り金の制限なしに、労働賃金を交付した(第一審判決(一)一〇六〜一一五頁)が、この連合国の指示も、前項と同様、捕虜の権利・利益を擁護すべしという連合国の法的な規範意識に基づくものであった。
5、第二次大戦直後にイタリア政府は連合国に抑留された自国民捕虜の貸方残高の支払いに関して、連合国との間で、英独協定にならって所属国補償方式の協定を締結した。右協定に基づきイタリア政府は自国民捕虜に対してリラ通貨による支払いを行なったが、米国に抑留された捕虜に対してはドル対リラの一般の交換比率より低い交換比率で捕虜に不利な支払いが行なわれたため、米国が異議を述べ、一九四八年改めてイタリア政府と「ロンバルト協定」を結び、その二条一一項bで再調整後の差額分の追加払いをさせることを定め、イタリア政府はそれを履行した(第一審判決(三)三八〜四一頁)。
これは、捕虜の権利の実現がその所属国において不完全であると考える関係諸国が、外国人たる捕虜の利益のために抗議し介入した事例である。捕虜の権利が国際法上のものであることを雄弁に物語っている。
6、第二次大戦におけるオーストリア人捕虜についても、一九四七年六月頃までの間に、連合国はオーストリア政府との間に特別協定を結び、それに基づきオーストリア政府は、同国の捕虜に対し貸方残高の支払いを行なった(第一審判決(三)四一〜四四頁)。
7、叙上の各事例にみられる欧米諸国の慣行は、それらの諸国が一九〇七年陸戦条約・規則以来の捕虜の権利・利益を確保するため、その義務を実践、履行したものとみるべきである。
そして、抑留した他国人の捕虜に対してそのような義務を履行したそれら諸国が、捕虜となった自国軍人に対しても同様な義務意識をもって年金や傷病軍人に対する傷病年金の支払いをなすことは当然のことであって、それを自国民の福祉増進に役立たせるための内政問題としてのみ実行したというのは不自然な解釈であり、捕虜の法的地位に対する無理解を示すものである。
8、それは、第一審判決が国内政策として行なった事例として掲げた西ドイツの次の立法例をみれば明らかであろう。
西ドイツの元ドイツ戦争捕虜補償法三条一項は「この補償をもって、権利者が外国抑留中の自由剥奪及び強制労働を理由として連邦共和国に対して有する諸請求権は消滅する」と定めているが(第一審判決(一)九八頁)、これはドイツ人捕虜が連邦共和国(自国)に対して捕虜としての諸請求権を有していることを前提としていると解される。捕虜が自国に対して有する諸請求権とは、一九〇七年条約・規則、一九二九年ジュネーブ条約、その他個別協定によって確立された捕虜の権利・利益を意味するものである。連邦共和国も、自国捕虜がそれらの権利を自国に対して有することを認め、それを右法律によって補償したのであって、自国民の福祉増進のための単なる国内政策でないことは明らかであろう。
9、欧米諸国における捕虜となった自国軍人に対する年金や傷病年金或いは補償等の支給例は、前示の捕虜の権利・利益の救済に関する措置や協定例と同様に、その根底に、これらの欧米諸国の法的信念が明確に認められるのであって、それを単なる国内の立法政策にすぎないという第一審判決(及びそれを引用する控訴審判決)の認定は、事実に対する洞察を欠く皮相な見解であって、理由不備ないし理由齟齬といわなければならない。
一一、国際法の探知義務
1、以上みてきたとおり、控訴審判決は、自国民捕虜補償原則の一般慣行につき、上告人の主張立証する各国家実行例の解釈をことごとく誤まったほか、一部その主張立証をも排除することによって、その存在を否定するに至ったのであるから、審理不尽ひいては理由不備ないし理由齟齬として破棄を免れない。
2、更に、控訴審判決は法的信念については、先に述べたとおり立証責任についての訴訟手続に関する法令違背のみならず、法的信念の存在そのものも見出し得なかったという過ちによって理由不備ないし理由齟齬を来たしているのである。
3、のみならず、その結果適用すべき慣習国際法そのものの解釈を誤ったものであるから、ひいては法令の解釈適用の重大なる誤りであり、到底破棄を免れないところである。
4、もとより、慣習国際法の成立要件たる法的信念と一般慣行の存在は、上告人らを含む当事者に一応の主張立証責任のあることは否めないところであるが、条約であれ慣習法であれ、国際法も裁判所によって適用される法規範である以上裁判所の職権による探知義務は免れないところである。従って、本件におけるように当事者らが慣習国際法の成立要件たる一般慣行と法的信念につき、一応の主張立証を尽くしたならば、裁判所としては職権による探知義務を負うと解すべきである。
ところが、第一審判決のみならず控訴審判決もこの問題(適用すべき国際法の探知)を専ら当事者主義の問題としてしか把握しておらず、両当事者に対する主張・立証責任の分配の問題としてのみ処理している。
5、従って、控訴裁判所は右の点において、適用すべき法令の解釈適用を誤まったのみならず訴訟手続の法令の適用を誤まったという意味において、二重の誤まりを犯したと言わざるを得ない。
第四、国際法の国内的効力及び国内適用可能性について
一1、控訴審判決は、国際法の国内的効力及び国内適用可能性について言及し(そのこと自体は評価できるにしても)、結論として「四九年条約六六条及び六八条が控訴人らに適用され、あるいは右条文と同旨の内容の国際慣習法が、第二次大戦終結時、ないしは遅くとも控訴人らがシベリアに抑留されていた当時、すでに成立していたとしても、控訴人らが、直接右条文ないし国際慣習法に基づき、被控訴人に対して、補償請求することはできないものというべきである。」(六一頁〜六二頁)と判示し、つまるところ適用すべき法令の解釈、ひいては憲法九八条二項の解釈を誤まっているので到底破棄を免れない。
2、しかしながら、控訴裁判所が、国際法の「国内的効力」と「国内適用可能性」の問題を、異なる次元の問題として把握した(と思われる)ことは、それなりに評価できることである。
国際法の国内的効力とは、それが如何に国内に受容され国内で法的効力をもつかという問題である。この点につき、控訴審判決は「我が国では、所定の公布手続を了した条約及国際慣習法は、他に特段の立法措置を構ずるまでもなく、当然に国内的効力を承認しているものと解される」(五九頁)と、まさに正当な判断を示している。
3、右判示は、まず第一に、国際法と国内法とが一つの統一的体系をなすという所謂一元論を採用したと考えられる点において、第二に、条約と国際慣習法との間では国内的効力にはまったく差異がないことを明示した点において、高く評価することができる。
二1、さて、国際法の国内的効力が認められる以上、次にその国内(直接)適用可能性が問題となる。即ち、立法等それ以上の措置の必要なしに国際法が、そのままで具体的事案に適用され得るかという問題である。
2、しかし、その前に我が国の憲法下における法形式の形式的効力の優劣につき、検討しておく必要がある。
我が国憲法下にあって、条約(及び国際慣習法)は、法律よりも優位の法形式とされている。もっとも憲法よりも優位であるとする学説さえあるが、少なくとも、法律よりも劣位であるとする説は聞かない。
3、憲法第九八条二項は、国際法の右形式的効力を定めた根拠条文と解すべきであるが、控訴審判決は、次に述べるように、右憲法第九八条二項の解釈を誤まったのであるから当然破棄を免れない。
三1、条約の国内適用可能性に関しては、まず、条約につき条約締結国の具体的意思如何が重要な要素となることは間違いなく、その限りで控訴審判決の判示(五九頁)は誤まりではない。
国際慣習法の国内適用可能性については、法的確信の内容及び程度如何によるとの見方も不可能ではないが、確立した慣習法から逸脱する行為をとる国家にも当該慣習法の効力が及ぶことからすれば、少なくとも逸脱する当該国家のみの法的確信を云々することは意味がなく、時には有害ですらある。
2、しかる時、四九年条約六六条及び六八条を国内的に直ちに適用させることについては締約国間の意思は明白であり、別異に解釈しなければならぬ如何なる根拠もない。
また、慣習法たる自国民捕虜補償の原則の国内適用についても、少なくともその歴史的背景等からは、これを否定しなければならぬ理由は見出し難い。
四1、次に、控訴審判決は規定(規範)内容の明確性が必要である旨判示する(同五九頁)。仮りにも国内で直接適用されるためには、即ち、裁判所が裁判規範としてそれに依拠することができるためには、当然それにふさわしい明確性が要求されるのは当然である。
2、しかしながら、ここで重要なことは、明確性を要求されるとは言いながら、そのことはなにも裁判所が法規範を解釈によって明確にすることを否定することにはならないということである。否、むしろ、解釈により法規範を明確にすることは裁判所の義務であり、これを拒否して、漫然国際法の国内適用を排除したとするならば(控訴審判決はまさにそうしている)、憲法第七六条三項、第九八条二項に反すると言わなければならない。
3、最高裁判所昭和四三年一一月二七日判決(刑集二二巻一二号一四〇二頁)は、財産上の犠牲が一般的に当然に受認すべきものとされる制限の範囲をこえ、特別の犠牲を課したものである場合には憲法を根拠に直接請求できることを認めた画期的判決である。本件にあっては国際法、彼の件にあっては憲法という違いはあるものの、実施すべき具体的法律規定がない場合であっても、その上位の抽象的法規範に基づいて直接請求できる点では共通している。そうして、自国民捕虜補償の原則及び四九年条約六六条及び六八条は、憲法二九条三項に優るとも劣らず明確な規範内容を有していることは明らかであるから、その直接適用を否定する理由は全くないと言わなければならない。
4、自国民捕虜補償の原則及び四九年条約六六条及び六八条においては、補償の対象となる捕虜の範囲、補償の金額等々、全て明確であるから、その国内適用を否定することはできないのである。
5、また、最高裁判所昭和三六年四月五日大法廷判決は、日本国籍を有することの確認を求めた上告人の訴えにつき、憲法一〇条が日本国民の要件を法律で定める旨を規定していること、更にその法律に該る国籍法は領土の変更に伴う国籍の変更について規定していないことを前提に、「この変更に関しては、国際法上で確定した原則がなく、各場合に条約によって明示的または黙示的に定められるのを通例とする。従って、憲法は、領土の変更に伴なう国籍の変更について条約で定めることを認めた趣旨と解するのが相当である。それ故に憲法一〇条に違反するという主張は理由がなく、国籍法も本件に関して適用がない。〜上告人の日本国籍の喪失は〜平和条約の規定に基づく〜」と判示した。
右にいう平和条約とは一九五一年九月八日サンフランシスコにおいて署名された日本国との平和条約をさしており、とりわけ同条約第二条(a)項をさしている。即ち、同項は
「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島をふくむ朝鮮に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する。」
と定めている。そして、右条項に「合理的解釈」を施し、最高裁判所は、「日本と朝鮮との併合後において、日本の国内法上で、朝鮮人としての法的地位をもった人」は日本の国籍を喪失したと判示したのである。
しかしながら、右平和条約第二条(a)項は、少なくとも朝鮮人、日本人の国籍問題に関するものでないことは文理上明らかである。そこで、最高裁判所はこの規定を合理的に解釈したうえで、直接適用を試みたものである。
右最高裁判所は、条約を解釈した上で直接適用し、しかもそのコロラリーとして下位規範たる法律(国籍法)の適用を排除した点において特筆すべき先例である。右最高裁判所の判示に較べれば、本件においてはなおさら、裁判所が国際慣習法たる自国民捕虜補償原則を解釈して直接適用することが容易な案件と考えられるのである。
6、先にあげた東京高等裁判所昭和五九年三月一四日判決(オデコ社事件)についても、同様に、慣習国際法を解釈して直接適用した例としてあげることができる。
即ち、同判決は
「日本国においては、憲法上条約及び確立された国際法規は、なんらそれに副った国内法の制定をまたずとも当然に国内的効力(九八条二項)を有し、かつ大陸棚開発関連事業所得に関する課税措置については、領土、領海におけると同一の取扱とする政策的考慮を払っていることが窺われるから、立法措置又は改正の必要はない。」と判示し、結局大陸棚及びその上部海域を法人税法上「国内(法人税法の施行地)」(同法二条一号)であるとして、我が国の課税権を肯定した。
右判示のうち前半が国際法の国内効力の問題、後半が国内直接適用の問題であることは明らかである。ところで、慣習国際法として後に法典化された大陸棚に対する沿岸国の権利とは、「大陸棚を探索しその鉱物資源を開発するためという目的上限定された主権的権利」にほかならず、それ以上のものでは決してない。
しかるに右東京高等裁判所判決は、右のように目的的に限定された主権的権利を、「包括的かつ排他的な領域主権」と解釈したうえで、これを直接適用したものである。東京高等裁判所の右判示は、もちろん正当なものとして評価できる。同様に本件においても、自国民捕虜補償原則を解釈して直接適用すべきであったのに、これをしなかった控訴審判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の(適用)違背があると言うべきである。
五1、控訴審判決は、また「国費の支出を伴うような場合」及び法令に基づいて「国内において同種の制度が存在しているとき」には、国際法を直接適用するためにはその「内容がより明確かつ明瞭になっていることが必要となる」と言い、結局のところ「権利の発生、存続及び消滅等に関する実体的要件や権利の行使等についての手続要件、更には国内における既存の各種の制度との整合性等細部にわたり詳密に規定されていない場合には、その国内適用可能性は否定せざるを得ない。」(六〇頁)と言い、下位規範の形式的効力を上位規範たる国際法に優先させ、その効力を否定するという重大な過ちを犯している。
2、まず、国際法にも裁判所による解釈が必要であることは既に述べた。同様に、国内法令の解釈も最終的には裁判所に委ねられている。従って、裁判所は各法形式間の形式的効力の優劣を損なわない範囲において、国際法を含む法規範を「整合」的に解釈しなければならぬことは当然である。
しかしながら、いかなる場合にも、下位規範優位に「整合性」を保つことは許されないにも拘らず、控訴審判決は、実質的に同様の結論に達するという憲法違反の過ちを犯しているのであるから、破棄を免れない。
第五、憲法二九条三項等に基づく請求について
一、憲法二九条三項に基づく請求について
1、原判決は、上告人らの憲法二九条三項に基づく請求に関する主張に対して、次のとおり、上告人らのソ連に対する国際法上の請求権の存在および上告人らのソ連国内法上の請求権の存在をいずれも否定したうえ、仮に上告人らが右ソ連国内法上の請求権を取得したと仮定したとしても、日ソ共同宣言六項二文による対ソ請求権の放棄に伴う上告人らの損失については、憲法二九条三項に基づき国にその損害の補償を求めることは許されない旨を判示した。
2、原判示
(一)、国際法は、国家と他の国家との関係を規律する法であるから、一般に個人が国際法上の法主体性を有するものではなく、国際法が個人の生命・身体・財産などの個人的利益を保護しようとする場合にも、国家に対し個人の権利・利益を侵害してはならないとの義務を課し、その義務に対する違反行為に対しては当該個人の属する国の外交保護権を行使する方法によって間接的に救済を図ることを予定するに過ぎず、個人が仮に右違反行為により何らかの具体的損害を蒙ったとしても、当該国際法規自体に個人の名において出訴しうることを容認している旨の特別規定が存在するとか、あるいは相手国に対して、同国の国内法における法定要件と手続に従ってその責任追及と損害の賠償を求めることにより個別的救済を図るのはともかくとしても、その属する国以外の国家に対して権利侵害に対する被害回復を求めようとしても、これを直接実現するための法制度が存在していないので、その目的を達するための有効な手段を個人は有していない。
捕虜の人道的取扱いを目的とするいわゆる捕虜法規は、直接的には捕虜個人の権利・利益を保護することを目的とし、間接的には捕虜の所属国の利益を保護することを目的としているが、捕虜の捕獲又は抑留国に対し捕虜の取扱について各種の義務を課してはいても、その実現のための手段としては、保護国の仲介・関与・中立国に設置される捕虜情報中央局又は中央捕虜情報局の情報蒐収・伝達(以上、ヘーグ陸戦規則及び四九年条約)などを定めるにとどまり、国際法上捕虜たる個人が捕獲国又は抑留国に対し捕虜法規の遵守を強制できる有効な手段は定立されていないのが実情である。
このように、個人が国際法上享受すべき権利ないし利益は、その所属する国家の外交保護権の行使によらない限り、その実現を強制し得ないものであるから、その権利ないし利益を享受するためには、他国の任意の履行がある場合を除けば、当該個人の所属国との間の関係において国内的に解決される問題とならざるを得ず、もともと上告人ら主張の権利ないし利益を上告人らに享受させることなく、日本本土に送還し、これを享受させる意思をもたないソ連に対し、被上告人が日ソ共同宣言によって対ソ請求権を放棄したとしても、これにより上告人らがソ連から得られるべき権利ないし利益の実現を失うことにはならないものというべきである。
(二)、上告人らが、ソ連国内法上、ソ連に対し、長期抑留、強制労働、私物没収等に基づく損害賠償請求権を有するかであるが、ソ連国内法上、国の賠償責任は民法によってのみ認められているところ、国家機関たる営造物(軍隊はこれに該当する)の加害行為中行政的なもの(行政権の行使はこれに該当する)には特別規定が適用され、それによると、「営造物は、その職員の違法な行為に基づき生じた損害に対し、それが法により特に規定された場合であって、かつ職員の行為の違法性が所轄裁判機関または行政機関により認定されたときに限り、責に任ずる。被害者が適時に違法な行為について苦情を申立てないときには、営造物はその責からまぬがれる。営造物は、被害者に支払った損害賠償額につき、職員に求償する権利を有する。」(ロシア共和国民法典第四〇七条)
「被害者が、法律の規定または裁判判決(刑事・民事)、決定による要求の実行として、またはこれらもしくは営造物の内部管理規定にもとづき職員のなした処置にもとずく要求の実行として、営造物またはその職員に対しその財物(特に金銭)を交付した場合、職員がその権限内でなした職権行為ならびに職務遂行上の怠慢行為につき、それが裁判または行政機関により違法、不法または犯罪構成的と認められたときは、営造物はその責に任ずる。営造物は、上述の要件に従い、被害者の利益のために財産(とくに金銭)が交付された場合にも、またその責に任ずる。」(同法第四〇七条のa)
とされていることが認められるのであって、ソ連が国の政策として実行したことが明らかな日本人将兵に対するシベリア長期抑留及び強制労働が右各条の適用の対象となるとは解せられないし、ソ連軍人による私物没収ないし不返還行為については、被害者が適時に違法な行為について苦情を申し立て、行為の違法性が所轄裁判機関若しくは行政機関により認定されたことまたは行為が裁判若しくは行政機関により違法、不法若しくは犯罪構成的と認められたこととの要件を充たすことが不可能と考えられるので、上告人らがその主張のごときソ連国内法上の損害賠償請求権を有したと認めることはできず、ソ連が国の政策として実行した長期抑留及び強制労働によって上告人らに対しソ連法上不当利得返還義務を負うことについてはこれを認めるにたりる証拠がないから、上告人ら主張のソ連国内法上の請求権喪失を理由とする請求は、その余について判断するまでもなく、理由がない。
(三)、上告人らは、被上告人はソ連に対する賠償に代えて、上告人らを含む邦人を荒廃したソ連の国力回復のため強制労働に服させ、日ソ共同宣言に当たり、ソ連との平和回復及びソ連の賠償請求を放棄させるという公共目的のために上告人らの対ソ請求権を放棄し、もって上告人らに損失を蒙らせたので、憲法第二九条三項による補償を求めると主張する。
しかしながら、本件全証拠によるも、いまだ被上告人が日本人将兵を荒廃したソ連の国力回復のため強制労働に服せしめたものと認めるに十分でなく、また、抑留及び強制労働が開始された時期は日本国憲法制定前であるから、右事実が存在したと仮定しても憲法二九条三項による損失補償請求権が成立しないし、日ソ共同宣言による対ソ請求権の放棄によって上告人らの労働を公共の目的のために用いたという点については、右放棄によって上告人らが何らの損失を蒙ったものでないこと前叙のとおりであるから上告人らの右主張も理由はない。
(四)、日ソ共同宣言六項は、「ソビエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。日本国及びソビエト社会主義共和国連邦は、一九四五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体および国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。」と定めているところ、仮に上告人らがソ連に対し、ソ連国内法上何らかの請求権を取得したと仮定しても、日ソ共同宣言による請求権放棄の問題も戦争処理の一環として行われたものであることは明らかであって、その請求権の発生した当時、我が国の置かれていた状況、日ソ共同宣言の規定の体裁等を合わせ考えると、その放棄に対する補償が憲法二九条三項の予想外にあったものとする点においては、基本的には、在外資産の放棄あるいは日本国との平和条約一九条(a)項の規定による請求権放棄等における場合と差異あるものとは到底認め難く、日ソ共同宣言による請求権の放棄による損害に対し、憲法二九条三項に基づいて国にその補償を求めることは許されないというべきである。
3、原判示の誤り
(一)、上告人らのソ連に対する国際法上の請求権について
(1)、原判示(一)は、国際法上捕虜たる個人が捕獲国又は抑留国に対し捕虜法規の遵守を強制できる有効な手段は定立されていないことをもって、上告人らの国際法上の権利・義務に関する法主体性を否定し、上告人らのソ連に対する国際法上の請求権を否定している。
しかしながら、以下に述べるとおり、捕虜である上告人らがソ連に対して国際法上の請求権を有することは明らかなのであり、右判示には法の解釈・適用の重大な誤りがあると言わざるを得ず、その破棄は免れない。
(2)、右判旨は、個人自らが直接権利を実現するための制度が国際法上認められていなければ、その権利は国際法上の権利ではないということを前提としているが、右前提は国際法上の権利そのものとその権利実現のための手段の問題を混同するという誤りを犯しているものである。
すなわち、国際慣習法または条約において、個人の権利・義務を定めているときは、その救済手続(国際裁判所への出訴権等)の問題は別として、国際法上、個人の権利を認めていると解すべきであって、右救済手続の完備している場合にのみ限定的に国際法上の権利が認められると解すべきではない。
このように、国際法上の権利・義務について、権利そのものと権利実現のための手段とを切り離して考えるべきであることは、特別な国内立法をまたずにそのまま国内に適用される国際慣習法や条約の場合を考慮すれば明らかである。人権保障関係の条約や当事国国民の権利義務を具体的に定めた経済、商取引、交通等の技術的規範を中心とした立法条約(たとえば、通商航海条約)には、当該条約が特別の国内立法をまつことなく、そのままの形で国内的に自動的に適用される場合があり、この場合、条約の規定が内容的には国内法と等しくそのまま国民の法律関係として直接に適用されうるのであって、司法機関も行政機関もそれを直ちに適用し得るし、又それに拘束されるのであって、何ら国際法上の救済手続の存在を要しないのである(甲第九七号証広瀬鑑定書一の(一))。
(3)、しかも、捕虜法制は、上告人らが第一審以来、再三にわたって述べてきたとおり、捕虜を人道的に取扱い、その地位を保護するという思想の下に歴史的発展を遂げてきたのであり、これを如何に実効あらしめるかについて、諸国の尽力がなされてきたのである。
原判示は、捕虜法規には保護国の仲介・関与、中立国に設置される俘虜情報中央局又は中央捕虜情報局の情報蒐収・伝達等を定めるにとどまり、国際法上捕虜たる個人が捕虜法規の遵守を強制できる有効な手段は定立されていない旨を指摘して、捕虜個人の権利主体性を否定しているが、同判示は捕虜法規の上っ面を撫でているだけであって、捕虜に関する右諸制度の制定された趣旨をまったく理解していないと言わざるを得ない。現に捕虜に対する虐待ないし重大な権利侵害については、戦争犯罪として戦争終結後、責任者を処罰することすら国際社会において認められた慣行であり、我が国においても、第二次世界大戦後、B級、C級戦犯としての処刑された事実の示すとおりである。捕虜法制のもつ国際的な強制力は明らかというべきである。
右捕虜法制の立法趣旨は、以下に概観するとおり、捕虜の抑留国と本国のみならず中立国や国際機関に対しても一定の義務負課を明文化することによって、捕虜個人の権利の国際的保障の実効性を確保しようとしたものにほかならないのである(甲第九七号証、広瀬鑑定書一の(三))。
すなわち、捕虜法規においては、捕虜個人の権利に直接言及する規定をおく場合のほか、交戦国即ち抑留国と捕虜の本国さらには中立国(捕虜情報局)、利益保護国及び国際機関としての赤十字国際委員会等の各種の機関に対する義務の負課という形態をとっている。捕虜個人に直接権利を認める規定の仕方をしている例としては、たとえば四九年条約第一四条は「捕虜は、すべての場合において、その身体及び名誉を尊重される権利を有する」と定め、また第三四条は捕虜の宗教活動に関し「捕虜は……自己の宗教……については完全な自由を享有する」と規定している。また、二九年条約は「俘虜ハ何人モ肉体的ニ不適当ナル労働ニ使役セラルルコトナカルベシ」と規定する。こうした規定の仕方は国際人権規約の規定と同様に、「何人も……享有する」という形式をもった個人に直接、権利を付与した規定と同じである。次に捕虜の権利の国際的補償を交戦当事国と利益保護国等の中立国や赤十字等の国際機関を名宛人として捕虜の待遇に関する国際法上の義務を課するといういわば捕虜の権利に対応する関係国際機関の義務負課という形式をとることによって保障の実効性を高める体裁をとった条項も少なくない。たとえば、二九年条約第二八条は「捕獲国は個人のために働く俘虜の給養、……労銀の支払に関し全責任を負うべし」と規定する。一九〇七年規則も第七条で「政府ハ、其ノ権内ニ在ル俘虜ヲ給養スヘキ義務ヲ有ス」と規定し、四九年条約第一五条は「抑留国は無償で捕虜を給養し、及びその健康状態に必要な医療を提供しなければならない」と規定している。更に四九年条約は捕虜の本国の義務についても規定し、たとえば第六六条で「捕虜が属する国は、捕虜たる身分が終了した時に抑留国から捕虜に支払うべき貸方残高を当該捕虜に対して決済する責任を負う」と規定しているのである。また、利益保護国制を採用する(二九年条約三一条、四九年条約八、一〇、一一、一〇四、一二六条等)と共に、中立国についても捕虜の利益保障のために一定の役割(権利義務)を認め(中立国における捕虜情報局の設置義務と捕虜情報の関係国等への通知義務等につき、一九〇七年規則一四条、二九年条約七七、七九条、四九年条約一二二条等)、赤十字国際委員会等の国際機関による捕虜の権利確保と救済のための規定をも置いているのである(一九〇七年規則一五条、二九年条約七九条、四九年条約一二三条等)。
以上のような捕虜法制の諸制度およびその歴史的経緯に照らせば、上告人らがソ連に対し、ハーグ陸戦規則六条五項、二九年条約二四条乃至四九年ジュネーブ条約第六〇条、第六二条、国際連合憲章第五五条、第五六条及びこれらを内容とする国際慣習法に基づき、国際法上の権利主体として、捕虜として固有の俸給、労賃の請求権及びソ連の違法抑留・強制労働により生じた損害賠償請求権を有していたことは疑いない。
(4)、被上告人も国会においては、捕虜がソ連に対し、国際法上の請求権を有することを明確に認めている。すなわち、昭和五五年三月四日に開かれた第九一回国会衆議院予算委員会第一分科会において、山田中正政府委員(外務省条約局外務参事官)は、日ソ共同宣言による請求権放棄と捕虜に対する補償に関する質問に対し、「先生ご指摘のソ連抑留者の方々の問題でございますが、繰り返し申し上げておりますように、私どもはソ連が抑留者の方々に対しました取り扱いは交戦法規に違反したものでございますので、当然国際法上請求できるものが含まれておったというふうに観念いたしております。」と答弁しているところである(この質疑は明らかに捕虜個人の請求権の問題に関するものである。甲第二五三号証一九頁)。
(二)、原判示(二)は、上告人らがソ連民法典上(一九二三年)、ソ連に対して損害賠償請求権を有しない旨を判示している。
しかしながら、これはソ連民法第四〇七条をはじめとする同国民法典に対する断片的な理解による誤解に基づくものであることは明らかである。原判示は、漫然とソ連民法第四〇七条を形式的・表面的に解釈しているだけであって、同条の解釈の歴史的変遷を直視しておらず、法の意味するところを探求するという任務をあえて放棄しているといわざるをえないものである。この点においても原判示は法の解釈・適用を誤っているのであって、その破棄は免れない。
(2)、ソ連民法第四〇七条を正確に理解するためにはソ連民法の変遷をみる必要がある(第一審における昭和六一年一二月一六日付上告人ら準備書面第三)。
一九一七年一〇月革命により、帝政ロシアが倒され、ソビエト政権が誕生した。同革命により帝政ロシアの法体系は廃止され、新たな法制度が築かれることになった。もっとも、公務員の行為に対する国家責任についてはソ連民法典草案は、帝政ロシア法の一般原則―公務遂行中に公務員によって惹起された損害に対して国庫が責任を負うというもの―を受け継ぎ、国家責任をかなり広範に認めるものであった。ところが、当時、ソ連はネップ(新経済政策)の初期にあり、未だ国家としての基盤が脆く、外国の利権企業もあれば、国内のネップマンも多く、かかる国家責任を負うことに対する危惧を表明する者が出た。そこで、全ロシア中央委員会の特別委員会は、一般的な規定として国家責任を定めるのは、「今の情勢においては」危険すぎるとして、ソ連民法第四〇七条にみられる厳格な要件を規定したものである(乙第四七号証福島論文)。その後、ソ連の国家基盤が確立するに伴って、右の危倶も薄らぎ、一九二八年には、営造物の財産を預かった場合の責任規定が統合されて民法典の中に一般原則として加わり、第二次世界大戦中の一九四三年には、右四〇七条をできるだけ狭く解釈し、一般原則(同四〇三条)を広く適用せよということになったのである(福島論文三五頁)。こうして、一九二三年ソ連民法下においても、第四〇七条をできるだけ狭く解釈する―つまり国家責任の範囲を拡張する―歩みがみられたのであるが、その後、一九六一年、連邦最高会議により採択された「連邦構成共和国の民事立法の基本原則」第八九条に、遂に正面から国家責任の原則(公務員の不正な職務行為によって生じた損害について国家が原則として賠償責任を負う)が認められるに至ったものである(甲第二五一号証)。
以上、述べたとおり、一九二三年ソ連民法第四〇七条は、特殊な状況下で制定されたものとして、その適用を制限する方向にあったものであり上告人らに関して、同四〇三条の基本原則が適用される可能性は相当に高かった。具体的には、上告人らが国営企業において強制労働に服せしめられた結果蒙った個別の損害については―たとえ上告人らの地位が究極的にはソ連の軍官庁によって規定されていたとしても―国営企業による、または経済的、技術的な機能の実施に関してなされた営造物によるものとして、民法四〇三条によって賠償を受けることは十分可能であったものである。
(3)、右のとおり、上告人らが、ソ連に対する損害賠償請求権を有していることは明白であるが、右請求権は一九二三年ソ連民法第三九九条以下の不当利得請求権として法律構成することもできるのである。すなわち同条以下は、ドイツ民法、スイス民法を範としつつ、より一般的で広範な規定という構造を有しているところである(甲第二五二号証二〇頁)。
しかし、原判示は、右不当利得請求権について、その存在は右証拠上明らかであるにもかかわらず、「証拠がない」と判示しているのであって、明白な誤りを犯しているところである。
(三)、原判示(三)について
原判示(三)のうち、被上告人国が上告人ら日本将兵をソ連の国力回復のために強制労働に服せしめた事実の存在及び日ソ共同宣言による対ソ請求権の放棄の評価の点について、原判示に誤りがあることについては、後の述べるとおりである。
また、憲法二九条三項に関する右判示については、同条項の解釈適用を誤るものであることは明らかである。もとより、上告人らに対する抑留及び強制労働が開始されたのは憲法制定前であるが、抑留及び強制労働は制定後にも継続していたのであり、右抑留および強制労働の開始時に憲法が制定されていなかったことをもって、同条項の適用を否定することはできないといわなければならない。
(四)、日ソ共同宣言における対ソ請求権の放棄
(1)、原判示(四)は、仮に上告人らがソ連国内法上の請求権を取得したとしても、日ソ共同宣言による請求権放棄に対する補償が憲法二九条三項の予想外にあったものとする点においては、基本的には、在外資産の放棄あるいは日本国との平和条約第一九条(a)項の規定による請求権放棄等における場合と差異あるものとは認めがたいとして、日ソ共同宣言による請求権放棄による損害に対する憲法二九条三項の適用を否定している。
右判示は、いわゆるカナダ判決(最高裁判所昭和四三年一一月二七日大法廷判決・民集二二巻一二号二八〇八頁・平和条約第一四条に基づく在外資産の喪失に関して憲法二九条三項により国に補償を請求した事件)以来の一連の判決、たとえば最高裁判所昭和四四年七月四日判決(民集二三巻八号一三二一頁・平和条約一九条(a)項による損害賠償請求権の放棄に関して憲法二九条三項により国に補償を請求した事件)に従っているものである。
しかしながら、右カナダ判決は、以下に述べるとおり、憲法二九条三項の解釈・適用をまったく誤ったものであって、その判例変更は免れないところである。したがって、原判示についても、同様に憲法二九条三項の解釈・適用を誤っているのであって、その破棄を免れない。
(2)、カナダ判決は、平和条約第一四条(a)項2(I)にもとづく在外資産の放棄の趣旨について、「わが国が自主的な公権力の行使に基づいて、日本国の所有に属する在外資産を戦争賠償に充当する処分をしたものということはできず、この場合、わが国は、日本国民の右資産が当該国において不利益な取扱を受けないようにするために有するいわゆる異議権ないし外交保護権を行使しないことを約せしめられたにすぎないものといわねばならない」旨判示している。
右判示の意味するところは、右平和条約によって放棄された在外資産に対する請求権は、国民自身の請求権を基礎とする日本国の賠償請求権、すなわち外交保護権のみであり、国民個人が相手国に対して直接に賠償を求める権利までを放棄したわけではないから、日本国は右請求権の放棄により国民個人の権利を侵害していないということにある。
前記昭和四四年七月四日判決は、平和条約第一九条(a)項により我が国が損害賠償請求権を放棄したという問題に関するものであって、在外資産に対する権利の喪失を問題としたカナダ事件とはその対象を異にするものであったが、同判決は、カナダ事件判決を引用し、憲法二九条三項に基づく補償請求権の存在を否定しているところである。
(3)、しかし、カナダ判決にいう日本国が平和条約で放棄した日本国民の請求権とは、日本国民に対する日本国の「外交保護権」に限られ、したがって日本国民の戦争相手国に対する請求権は消滅せずに存在し続けるという見解は、諸外国にはまったく例をみない独自の見解であって、あえて言うならば、この見解は国に対する補償請求権を認めないとの結論を正当化するために生じた理屈にすぎない。
(4)、平和条約および日ソ共同宣言による対外請求権の放棄には、国の外交保護権のみでなく、国民個人の請求権も含まれると解される(甲第九七号証広瀬鑑定書一の(三)の4)。
そもそも、このような請求権放棄の規定は、戦争の結果として生じた相手国に対する請求権をすべて消滅させることを意味する。このことは、日ソ共同宣言第六項「ソビエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。日本国及びソビエト社会主義共和国連邦は、一九四五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体および国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。」という規定の文言からも明らかであり、また平和条約等で請求権放棄規定を設けた趣旨、すなわち、戦後処理の一環として当事国間に存在する様々な請求権をお互いに放棄し合うことによって、一挙にその平和的清算を図るものであることに照らしても、自国民の相手国に対する私的請求権については、自国あるいは相手国の国内法上の手続きによって行使し得る余地を残しておくといったことは考えがたいのであって、私的請求権をも包括的に放棄したものと解さざるを得ないのである。
また、国際法上、国家が条約において自国民の財産を処分し、自国民の請求権を放棄するなどの形で、自国民の私的権産に一定の効果をもたらすことは可能であり、このような例は第一次世界大戦後のベルサイユ条約、第二次世界大戦後の一九四七年の対イタリア平和条約、一九五四年の対西ドイツ・パリ条約等の過去の平和条約においても認められるところであり、平和条約、日ソ共同宣言等において、外交保護権に加えて、自国民の私的請求権を放棄したことを規定したとしても何ら問題はないところである。
国家は条約によって、自国民のために権利を得ることと同時に、自国民の財産を処分し、自国民の請求権を放棄するなど、自国民の私的権利に一定の効果をもたらすこともできるのであり、自国民の他国に対する請求権を、その者の同意なく放棄せしめることが可能であることは、国際法上確立された原則である。このことは戦時国際法の世界的権威であるレビー教授の鑑定書(甲九八号証)第三部4bにおいても明らかにされている。(我国においても同様に解されている。たとえば、ジュリスト「国際法・国際私法2」一九六頁・広部和也)。
さらに、放棄された賠償請求権に私的請求権が含まれていたことは、平和条約締結当時、被上告人国においても認めていたところである。昭和二六年一〇月一七日衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会における政府委員西村熊雄(外務省条約局長)が対日平和条約の逐条説明で、その趣旨を説明していることからも明らかである。また、同じく、平和条約審議の際の昭和二六年一一月九日の参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会においてなされた、平和条約一四条b項の賠償に関して、規定の文言が「連合国の」あるいは「連合国及びその国民の」賠償請求権と不統一になっている点を巡って、次の質疑がなされている(右特別委員会議事録)。
岡本愛祐 連合国の賠償請求権とありまして、連合国国民というのが抜けておるのでありますが、それはどういうわけで抜かしたのか。あるいは「及びその国民の他の請求権」というのでカバーされるのか、その点を伺っておきます。
西村熊雄 両者を含む意味でございます。
岡本愛祐 両者を含むというのは、あるところでは書き分け、あるところでは書き分けていないのはどういうわけですか。
西村熊雄 大体政府と国民とを総括的に申すときに、日本国といいまたは連合国というのが条約上の慣行でございます。ときによっては、その慣行が貫かれていない点がありますのは、こういうふうな五〇ケ国相手の交渉でございまして、各国の提案を寄せ集めた複合的条約により、首尾を一貫することができなかった節が間々あるのは止むを得ません。
岡本愛祐 同一の条約の中で「連合国のすべての賠償請求権」と書き、またその後では「連合国及びその国民の他の請求権」というふうにあるので、その点文字解釈だけからすれば、連合国とあって、「及びその国民」と抜けてあるときには、その国民請求権は抜けておるのだと、こういうふうにわれわれの法律条文の文字解釈では解せられる虞が多分にありますが、それは連合国もよく了承しておるところでありますか。この点念を押しておきます。
西村熊雄 その点は三月の原案では連合国の賠償請求権だけあったのであります。それに対しまして、私どもの方から、それでは範囲が不明確であると主張致しまして、戦争遂行中日本国または日本国民がとった行動から生じた連合国政府または連合国国民の請求権という文句が入った次第でございます。連合国へ賠償請求権というだけでは誤解が生じやすいから、誤解を避ける意味において明確にしてもらったところであります。
そのうえ、平和条約および日ソ共同宣言は、同様の戦争請求権放棄に関するイタリア平和条約七六条が「イタリア国は、……いかなる種類の請求権をもイタリア国政府又はイタリア国民のために……一切放棄する」(一項)と規定しているのと同じ実体であると解される。そして、イタリア平和条約の場合には、さらに「この条の規定はここに掲げられている種類の一切の請求権を完全かつ最終的に打ち切る。この請求権は利害関係人が何人であるかを問わず今後これを消滅させる」(二項)ということによって、放棄の中に国民の請求権が含まれていることを明らかにしているのである。平和条約および日ソ共同宣言も基本的にこれと異なる解釈をすることはできないのである。
(5)、以上のとおり、平和条約および日ソ共同宣言における対外請求権の放棄には、国の外交保護権のみでなく、国民の私的請求権が含まれているのは明白であって、この点において、カナダ判決は法の解釈適用を誤ったものといわなければならない。したがって、右判決を前提とする本件原判決の誤りもまた明らかなのである。
(五)、憲法二九条三項の適用による補償請求権の成立
以上、述べてきたとおり、上告人らはソ連に対して、国際法上およびソ連国内法上の請求権を有していたところ、同請求権は日ソ共同宣言六項により放棄されるに至り、この結果、上告人らの右請求権は消滅したものである。
被上告人国は、上告人らの右損失のもと、ソ連からの賠償請求を免れて平和回復を得たものであって、被上告人国による上告人らの右請求権放棄については、憲法二九条三項に基づいた補償がなされるべきことは明らかである。
学説上もカナダ判決に対する批判は強く、平和条約等による国民の在外資産の放棄、請求権の放棄に関しては、憲法二九条三項を適用して補償をなすべき義務があるという見解が有力に主張されているところである(たとえば、小田滋・判例評論六〇号一二頁、和田英夫・判例評論七九号一頁、宮崎繁樹・国際法における国家と個人三三四頁、法律論業三七巻四号一五四頁、田岡良一・カナダ事件における鑑定書等)。
なお、上告人らの右請求権の消滅は、いわゆる戦争損害ではなく、憲法二九条三項により補償を要する特別損害に該当するものであることについては、後述のとおりである。
二、憲法に基づく国家補償請求
原判決は、上告人らに対する憲法に基づく国家補償請求権の前提となる歴史的事実を誤認し、憲法一一条、一三条、一四条、一七条、一八条、二九条三項及び四〇条の解釈・適用を誤るもので、破棄されなければならない。
1、憲法に基づく国家補償請求権
(一) 上告人らは、被上告人に対し、上告人らの被った各損害は、いずれも被上告人の戦争開始・遂行・処理行為に起因するもので、しかも特別な犠牲であるから、その行為の適法・不法を論ずることなく、わが国憲法の規定する国家補償として、それらの損害の回復を求めているものである。
(二) ところで、「国がその活動により、直接又は間接に、個人にこうむらせた損害を回復すること」を内容とする国家補償の観念を、実体法上の観念として定立することに消極的な見解もある。しかし、本件とも関連性を有する戦傷病者戦没者遺族等援護法は、その第一条において、「国家補償」なる語を正面に掲げており、また原子爆弾被爆者の医療等に関する法律についての最高裁判決(昭和五三年三月三〇日第一小法廷判決・民集三二巻二号四三五頁)も、「国家補償」なる語を随所に用い、「かかる障害が遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものであり」、「このような特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」と判示し、同法を支える基本理念が「国家補償」の観念であることを判決「理由」中の最大の論拠としており、国家補償の観念は、たんに、講学上の観念であるにとどまらず、実定法上の観念であること明らかである。しかも、国家補償は、たんに立法政策上のものではなく、わが国憲法の基本原理から導かれるものである。
(三) しかるに、第一審判決を引用する原判決は、「公務員の不法行為に基づく国や公共団体の損害賠償責任を定める憲法一七条も、無罪の裁判を受けた被拘束者に対する国の賠償責任を定める憲法四〇条も、具体的な権利の発生要件及び内容は法律で定めることとしており、右両条は、実体法規ではなく、憲法一一条は基本的人権についての一般原理、同一三条は個人は尊重されるべきとの原理、同一四条は人間平等の原則、同一八条は人身の自由に対する保証を宣言し、これらは国政の指導理念の宣明であるとともに、右各法条に反する立法及び行政機関や私人の行為の効力を否定する作用を有するものであるが、いずれも国に対する関係で損害又は損失の補償請求の根拠となる実体法規ではない。」と判示している。
しかしながら、右判示は、憲法の各条項を個別的かつ文理的に解釈する単なる平面的な解釈であって憲法の正当なる解釈とはいえない。憲法の解釈においては、各条項を適切に行なうことはもとより、これに留まることなく憲法の基本原理を基礎に各条項を有機的かつ不可分なるものとして把握することが必要である。
(四) 国家補償に関する明示的な憲法上の規定としては、憲法一七条、二九条三項、四〇条等が存する。そこから、従来、憲法一七条及び二九条三項を支点とし、不法行為に基づく損害賠償と適法行為に基づく損失補償とに二分して理解されてきた。
しかし、かかる単純な二分説は、国家補償法の発展過程における沿革上の意義を有することは否定できないにしても、現行憲法下における国家補償体系の理解としては極めて不十分なものである。わが国憲法下における国家補償は、全体的立体的に把握されなければならず、特に憲法が根本原則とする人権保障規範との関係で理解されなければならない。
憲法はその一一条後段において、「国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」と規定し、国民の基本的権利を保障するとともに、一三条において、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」と規定し、国に対し、その活動において、基本的権利を擁護することを義務付けている。このことは、裏をかえせば、国家には、その活動によって国民に直接もしくは間接の損害を与えた場合には、これを救済すべき義務があり、国民には、これの回復を請求する権利が存することを意味している。けだし、被害の救済のないところに権利の保障はなく、被害の救済が確保されてこそはじめて、権利が保障されているというものだからである。憲法二九条三項・同一七条及び同四〇条等は、かかる基本原理を被害救済の側面から具体的に明記したものである。
したがって、憲法の国家補償に関する各規定は、それぞれ個別的なものとしてではなく、相互に補完し被害の救済に空白が生じないようにするものとして認識されるべきであり、その解釈には、憲法の人権保障規定が考慮されなければならない。すなわち、不法行為に基づく損害賠償と適法行為に基づく損失補償とは、両者が双方から接近し、いずれの場合にも、公平負担の見地から被害者の損害の回復に重点を置いて問題を解決すべきことになる。
このため、憲法一七条を受けた国家賠償法第二条は、判例法上過失の存在を不要とされ(最判昭和四五年八月二〇日民集二四巻九号一二八頁)、学説上も、「国賠法二条は、この意味では、不法行為つまり管理者側の落度をとがめてその責任を追求する制度というよりも、いまや営造物の利用者が偶然に蒙った損害を公の手で連帯して填補する社会保障的な色合いを増しているように見える。極論すれば国賠法二条は、その無過失責任主義の故に『不法行為の形式をまとった社会保障』といった機能を営むに至っているといっても過言ではない。」(原田尚彦「行政法要論」一九四頁)と解されることからも明らかなようにフランスの国家補償法における「危険責任」法理類似の発展を遂げている。他方において、憲法二九法三項の規定する損失補償請求権を、財産権保障との関連においてのみ把握するのではなく、「破られた平等の理想を元に復し、特定の一人に帰した負担を社会の全員の負担に引き直すために認められたものが損失の補償」(柳瀬良幹「公用負担法(新版)」二五七頁)であるとする「平等負担」の観点(憲法一四条)、ないし、「憲法体系の中に生存権の保障を認める原理が存在していること、その原理と現実の憲法上の規定から、かかる生存を脅かす一定の国家行為に伴う損失補償請求権の存在することを指摘」(下山瑛二「国家補償法」二六九頁)し、「生存権補償」「生活権保障」の観点の重要性が説かれるに至っている。
結局、憲法二九条三項は、同一一条、同一三条及び同一四条等と相まって国家補償の基本的規範を成しており、「国がその活動によって」もたらした「直接もしくは間接の損害」について、財産上の損失に限らず、それが「特別の犠牲」であればこれを補償すべきことを規定しており、国民の側からすれば被害の救済を請求しうる権利を規定しているものである。
(五) そして、国家補償請求権は、特定の制定法の請求要件の規定をまって発生するものではなく、憲法の右各規定を根拠として、その請求権を行使しうるものである。このことは、最高裁判所の各判決(最判昭和四三年一一月二七日、民集二二巻一二号一、四〇二頁、同昭和五〇年三月一三日判例時報七七一号三七頁、同昭和五〇年四月一一日判例時報七七七号三五頁)のつとに指摘するところであり、今日の学説上通説といってよいものである。
2、日本国とシベリア抑留
(一) はじめに
上告人らは、第二次世界大戦の終了直後から、シベリア地域等に後送され過酷な条件下における長期抑留及び強制労働に従事し、多大かつ特別な損害を蒙ったものである。かかるシベリア抑留は、まさに戦争開始行為に起因するものであるが、以下に詳述するように被上告人国の国際法に無理解な捕虜政策及び終戦処理政策にもとづくものである。
(二) 日本の捕虜政策
捕虜の地位に関する国際法は、一七世紀後半頃からの捕虜取扱の慣行の蓄積と、人権思想との結合の過程で生成発展してきたものであるところ、我が国においても、明治政府にあっては、捕虜に対する古来からの我国独自の寛容の思潮の存在と、国際法を遵守することにより、国際社会における地位を高めようとの外交方針等から捕虜に関する国際会議に参加し、国際法の生成・発展に寄与するとともに、これを積極的に受容した。
すなわち、第一及び第二回万国平和会議に代表を派遣し、1899年および1907年の各へーグ陸戦条約及び付属の陸戦法規慣例に関する規則(以下、単に付属規則という)を批准している。一八九九年条約成立後間もなく、日露戦争が勃発したが、明治政府は開戦直後である明治三七年二月二七日、捕虜を給養することは、交戦国に科せられた国際法上の義務であるとして勅令第五〇条を発し、これに基づいて俘虜取扱規制をはじめとする一連の諸規制を制定し、また捕虜情報局を設置するなどして、へーグ条約及び国際慣習法を最善かつ完全に実施するための処置を講じた。その結果、我国の国際法の適用は極めて公正・寛容かつ厳格に行なわれ、捕虜の待遇は極めて適切であり、諸外国から、日本の捕虜の取り扱いは世界に冠たるものがあるとの高い評価を受けた。この国家実行は、その後の第二回万国平和会議における一九〇七年へーグ条約及び付属規則の内容に大きな影響を与えた。
しかるに、昭和に入ると大陸侵攻を企図としていた政府・軍部は捕虜の人道的待遇を認めると我が国軍人の軍律を保つことが困難になることから、前記のような明治政府の捕虜政策を否定し、当時の国際法規の生成発展と全く逆流する政策へと大転換させたのである。
一九二九年(昭和四年)ジュネーブ外交会議が開催され、この会議において捕虜の待遇に関する条約が採択されたが、我が国はこれに調印したものの、枢密院陸・海軍等の反対もあり、これを批准しなかったのである。その主たる理由は、我が国軍人は敵の捕虜とならないように訓練されており、捕虜となるより自決を選ぶものであるからここには敵に下がる捕虜は生れず、従って右条約は日本軍にとっては一方的な責任負担となるとするものであった。もっとも、太平洋戦争に突入した後には欧米諸国の強い要請もあり、右条約を批准していないので、何ら同条約に拘束されないが、権内にある捕虜には同条約の規定を準用する旨スイス等を通じ米国等に回答している。
このようにして我が国では軍人に対し、捕虜となるより、死を選べとの戦陣道徳が奨励され、捕虜についての知識は何一つ与えられず、日本の将兵たちは、国際法上認められている捕虜の権利義務など、一切知ることはなかった。
かかる状況で生れた悲劇にノモンハンの捕虜の問題がある。一九三九年(昭和一四年)ソ連国境付近のノモンハンにおいて日ソの戦闘が行なわれ、この結果、約数千人がソ連側の捕虜となり停戦協定の後、彼我同数の原則に従い捕虜の送還が行なわれた。しかるに日本人捕虜のうちには、送還後の制裁・家門の恥を恐れてソ連側に請願残留をしたものも少なくない。その数は一千名余りとも三千名前後とも言われており、これらのものは、日本側においては、国籍上死亡したものと扱われ、いわば生き仏として今日もなお望郷の念を抱きながら、シベリアの原野の各地に散って生活を続けている。また、送還されてきた捕虜たちも、軍法会議の審問を受け、陸軍刑法七五条、七六条、七七条等違反の罪により、死刑を宣告されたり、それ以前に自決するものも多数に上った。
陸軍大臣は、昭和一六年一月八日、陸軍訓令第一号をもっていわゆる「戦陣訓」を全軍に発した。右戦陣訓の第八項には、「名ヲ惜シム」と題して「恥ヲ知ル者ハ強シ、常ニ郷党家門ノ面目ヲ思ヒ、益々奮励シテ其ノ期待ニ答フベシ。生テ捕囚ノ辱ヲ受ズ、死シテ罪科ノ汚名ヲ残スコト勿レ。」と規定されている。
右戦陣訓は、捕虜になるよりは死をという軍人道徳を強制しようとしたものである。これにより、我が国の捕虜政策は国際法の諸原則と形式的にも実質的にも相対立するものとなったのである。そして、このことが太平洋戦争における玉砕戦法を可能にする上で重要な役割を果たしたのである。
被上告人国の以上のような捕虜否定の政策は、それまで我が国にも育ちつつあった国際人道法に基づく捕虜の地位を確立しようとする思潮の芽をつみとった。かかる姿勢が、諸外国に対し、我が国は捕虜に関する国際法規を遵守する意志がないとの印象を与えた。
上告人らは、過酷な条件のもとでのシベリア抑留と強制労働により言語に絶する損害を蒙った。かかる損害は、被上告人国の前記政策等の結果、上告人らが国際法上保障されている捕虜の権利につき全く無知であったためソ連の違法な取扱に対し、何らの有効な対処をもなしえなかったことにより拡大したものである。
(三) ポツダム宣言の受諾とシベリア抑留
第二次世界大戦は、昭和二〇年八月一五日我が国のポツダム宣言受諾により終戦となった。右宣言の第九項には、「日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を得しめらるべし」と規定されており、この規定を実現すべく被上告人国が万全で緻密な外交努力をしたならば、上告人がシベリアに抑留されることもありえなかったのである。しかるに、被上告人国はこれを怠ったばかりか、これを黙過したのである。
被上告人国は、上告人ら満州・樺太等の地域に従軍する軍人家族をソ連が戦時賠償の名目でシベリア等に後送し強制労働を課することを意図していることを、我が国に先立って降伏したドイツの事例から十分に予見していた。従って、被上告人国は、かかる事態を回避するため、連合国との間にあらゆる処置を講ずべきであり、しかも当時被上告人国の政治機構は、ドイツの場合と異なり、完全に機能していたのであるから、これが可能であった。しかるに被上告人国は、「国体の護持」にのみ目を奪われ捕虜については、「日本軍人ヲ強制労働ニ使用スル如キ意図を有セザルモノト了解ス」と希望していたに過ぎない。
さらに、被上告人国は、ソ連との停戦協定に際しては、右宣言第九項を根拠に抑留を回避させるべき条項を締結するよう努力すべきであった。しかるに、一九四五年八月一八日「日ソ停戦協定」本文(三)において「ソ連ハ日本軍隊ノ名誉ヲ重ンズ。之レガタメ将兵ノ帯刀ヲ許シ、又武装解除ノ取扱ヲ極力丁寧ニス。解除後ノ生活ハ成可ク今迄同様トス(食事並ビニ当番ノ如キ)」と規定されていることからも明らかなように、被上告人国は抑留回避の努力を怠り、抑留を前提にして、しかも捕虜の地位に関する国際法の原則には一辺の考慮も払っていない。
このことは、被上告人国が、大戦を終結するため、ソ連に連合国との仲介を依頼しようとし、このために近衛文麿を特使としてソ連に派遣しようとした際に、ソ連当局に提示すべく作成した「和平交渉の要綱」と題する書面によっても明らかである。
すなわち、右和平交渉の要綱は、二条件(三)「陸海空軍々備」(ロ)「海外にある軍隊は現地に於いて復員し、内地に帰還せしむることに努むるも、止むを得ざれば、当分その若干を現地に残留せしむることに同意す」、同(四)「賠償及びその他」(イ)「賠償として、一部の労力を提供することには同意す」とされており、被上告人国が、対戦終結の手段として、上告人ら満州等在留の軍人軍属をソ連が抑留し、労働に服させることを許容し、かかる労力を戦時賠償の一部に充当しようと企図していたこと明らかである。
さらに先般明らかとなった、一九四五年八月二九日付関東軍総指令部の、「(ソ連)ワシレフスキー元帥に対する報告書」においては、軍人で満州に住んでいたものは、ソ連軍の「経営」に協力させ、その他は逐次帰国させてほしい。帰国まではソ連軍の「経営」に協力するよう使ってもらいたい旨等の記載があり、被上告人国等が、上告人らがソ連の捕虜となり労働に従事させられることを積極的にソ連側に申し入れていた事実が明確に裏付けられている。
このように被上告人国は、国際法上の何ら適切な措置を講ずることもなかったばかりか、上告人らが捕虜となることを後押しさえしたのである。
かくして、九月三日付プラウダ紙上の「スターリン首相のソ連国民に対する布告」が「彼らはわが国に対しても亦甚大な損害を与えている。この故にわれわれは日本に対して特別勘定を有するものである。」と述べていることからも明らかなように、ソ連から要求されるに至った戦時賠償のために、上告人らは強制労働に従事させられることとなったのである。
また、上告人らの抑留に際して、被上告人国は、八月一八日勅令として大陸令第一三八五号を発しているが、その第三項には「証書煥発以後、敵軍ノ勢力下ニ入リタル帝国陸軍軍人軍属ヲ俘虜ト認メス」と規定している。右規定は被上告人国が、前記のように捕虜否定の施策を講じてきたため、上告人らが捕虜になることを恐れて混乱することを防止しようとしたものと窺えるが、このことは、かえって上告人らが国際法上の捕虜であるとの自覚を持つことをさまたげたのである。
(四) 早期帰還のための施策の懈怠
日本政府は、終戦後、復興の道を歩み始めた後にあっても、上告人ら抑留者に対する適切な対応を怠っている。
政府としては、捕虜の人道的待遇及び早期返還について国際赤十字委員会、国連及び対日理事会、さらには対ソ交渉等を通じて、これの万全を期すべきであったにもかかわらず、その活動は微々たるものにすぎなかった。
また、被上告人国が、日露戦争において明治政府が行なったように、抑留されている上告人らに対し、物資等を送付することにより食糧事情、健康等を保持改善するための施策を実施すれば、上告人らの損害もいささかでも軽減されるところ、被上告人国はかかる最低限の努力さえ怠ったのである。
原判決の引用する第一審判決は、上告人らの早期帰還にたいし有効な手段を講じられなかったのは、わが国の無条件降伏によりわが国の国家主権が講話条約発効の日まで制限され、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施のため必要と認める措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かれることとなったのでやむを得なかった旨の判示をしている。しかしながら、わが国の場合は、原判決も認めるとおり、ドイツの場合とは異なり連合国が間接統治の方策を執っていたので、わが国政府が、ソ連による上告人らの長期抑留及び強制労働を解消しようとすれば、その方途がなかったとは考えられないのであり、むしろ、政府が解消のための努力を怠った結果と判断されるのである。
3 上告人らの強いられた特別犠牲
(一) 上告人らが抑留によって蒙った損害は、終戦後、他の国民が平和的経済活動を開始した後に生じたものであり、憲法が施行され、基本的人権が保障されることとなったにもかかわらず奴隷的拘束及び苦役(憲法一八条)を強いられたものであって、到底他の戦争損害と同列には論じられない。しかも、上告人らの損害は、国家といえども侵すことの出来ないユス・コーゲンス(強行法規)としての捕虜の権利を侵害して生じたものであって、通常の戦争損害とは全く異なるものである。そして前記のように国家間の交渉や条約により、右損害を救済する余地が十分存するにもかかわらず、被上告人国はこれを怠っているのである。
(二) さらに日ソ共同宣言第6項は、当然日本国がソ連に戦時賠償を行うことを前提としてこれをソ連が放棄しているのであるが、これは前記のように上告人らがその骨身を削って役務を提供したために可能となったものであって、本来わが国国民全体が負担すべきものを上告人らのみがわが国のために負担したというべきであって、平等原則・公平原則からしても、これが救済を受けるのは当然である。
上告人らと同種の損害については、戦後各国は逸速くこれの補償措置を講じており、わが国もこれに従うのが世界の趨勢である。
(三) 第一審判決を引用する原判決は、「憲法二九条は、財産権に対する立法又は行政上の制限が補償規定を伴わない場合に補償請求権の実体法規の作用を有することが近時承認されるに至っている。」「原告(上告人)らのソ連抑留及び強制労働により蒙った損害は、人身の奴隷的拘束及び苦役という非財産上の損害であると同時に、その間の労働力の喪失という経済損失を伴うものであるから、私物没収又は不返還による損害とあわせて、憲法二九条の三項による補償の対象となりうる。」旨判示しながら、「原告(上告人)らの長期抑留と強制労働によって蒙った損害ないし損失は、第二次大戦によってもたらされた戦争損害の一部に外ならない。」「国家にとって、他国との戦争は、国の存亡にかかわる非常事態であるから、戦中及び戦後において、国民のすべては、好むと好まざるとにかかわらず、多かれ少なかれ、その生命・身体・財産上の犠牲を耐え忍ぶことを余儀なくされるのであるが、これらの犠牲は、戦争損害として国民の等しく受認しなければならないものであって、これに対する補償は憲法の全く予想しないところ(最判四三・一一・二七)。」と判示し、また、「原告(上告人)らソ連長期抑留者の蒙った損害も、さきの認定したとおり多大なものであり、帰国後の社会復帰が意の如くにならなかったこととあわせて、これを通常の戦争損害とは異なるとする原告(上告人)らの主張には、理解できる点もないではない」としながらも、「立法のみによって解決されるべき問題であるといわなければならない。」旨判示している。
(四) しかしながら、右判示は、上告人らの蒙った損害について、詳細な分析と検討を為すことなく、抽象的あるいは一般的にいわゆる「戦争損害」として把握し、恰も戦争に関連する損害ならば、その内容如何にかかわらず、国民の等しく受認しなければならないものとするもので、極めて時代錯誤の論理であり、全く合理的な根拠を有するものではない。
(五) すなわち、上告人らの蒙った損害の特質は、これまで上告人らが詳述したように、
ア、上告人らは、軍人・軍属として日本国との間に、一般国民とは異なった身分関係にあったこと。
イ、停戦協定等被上告人の命令により端を発するものであること。
ウ、戦争終了後に発生し、戦後の平和復興期に、異常な長期間にわたって継続されたこと。
エ、極めて苛酷な環境の下でなされたこと。
オ、懲罰を伴う苛酷なノルマ労働が強制されたこと。
カ、戦争により荒廃したソ連の国力回復のために無償の労働力として使用され、役務賠償としての役割を果たしたこと。
キ、上告人ら等ソ連地域以外で捕虜とされた者には、貸方残高等の支払いがなされていること。
ク、帰国後も長期のわたり不利益を受け、社会復帰が遅れたこと。
ケ、数十年を経た現在でも、後遺症に悩むものが多いこと。
といったものであり、戦争に関連する他のいわゆる「戦争損害」とは際立った相違を有するものである。
(六) そして、とりわけ注視されるべきことは、上告人らは国際法上保護される権利を有しており、本件損害は、かかる国際法上の権利を侵害することにより生じたということである。もとより、原判決の述べる「第二次大戦は、参加当事国の数が多いこと。戦火の及んだ地域が広いこと、兵器の進歩と大量殺戮手段の使用、国を挙げての戦争態勢、国土の戦場化などによって、多くの国の国民に多大の惨禍をもたらし、わが国においてもあらゆる種類の戦争損害を国民の各層に生ぜしめることとなった」とのことは、遺憾ながら事実であるが、そうであるからといって国際法上の権利を侵害された上告人らが、いわゆる「戦争損害」として受認しなければならないものではない。
けだし、近代以降の国際社会は、たとえ戦争という非常事態にあってもあらゆる犠牲を法の枠外に置くことを許容するものではなく、いわば載争行為のルール化を図ってきたのである。上告人ら捕虜に対する国際法規は、正に、戦争行為のルール化の端的なものであり、いわゆる「戦争損害」から救済するために確立してきたものである。世界の文明諸国は、捕虜の取扱が、原判決のようにいわゆる「戦争損害」として悲惨なものとされることを避けるためにこそ国際法規を発展させてきたのであり、遅ればせながらわが国もこれらを遵守すべきものとしてきたのである。戦争状態を想定した国際法規が、現実の戦争状態に生かされないとすれば自己矛盾であり、へーグ陸戦規則以来の国際法規は、全く意味のないものとなるのである。
(七) 以上の点からしても、原判決の「原告(上告人)らの損害は戦争う損害で受認の範囲内である」との論理は、根本的に誤ったものであることは明らかである。
4、かくして、上告人らの蒙った各損害は、いずれも被上告人の戦争開始・遂行・処理行為に起因するもので、しかも特別な犠牲であるから、わが国憲法の想定する国家補償として回復されるべきこと明らかである。
したがって、原判決は、上告人らに対する憲法に基づく国家補償請求権の前提となる歴史的事実を誤認し、国家補償請求権の発生根拠となる憲法一一条、一三条、一四条、一七条、一八条、二九条三項及び四〇条の解釈・適用を誤るもので、破棄されなければならないこと明らかである。
第六、国家賠償法一条又は不法行為に基づく損害賠償請求について
一、原判決は、被上告人国において、上告人らをソ連に引き渡し、ソ連による長期抑留、強制労働を放置したのみならず、日ソ共同宣言六項二文によって、上告人らの対ソ請求権を放棄し、現在に至るまでその補償措置を講じないという作為、不作為による違法な公権力の行使があり、右のいずれもが被上告人又はその公務員の故意又は過失によるものであるから、被上告人国に対して、国家賠償法一条又は不法行為に基づき損害賠償請求権を有するとの上告人らの主張に対して、次のとおり判示して、これを否定している。
1、我が国が日本人将校をソ連に引き渡したかについて、甲第一二一号証(シベリア捕虜志)および同第二二八号証(終戦史録)によれば、昭和二〇年六月、我が国は戦況不利に鑑みソ連に連合国との和平交渉斡旋を申し入れることを考慮し、同年七月一二日、特使として元首相公爵近衛文麿をモスクワに派遣することにしたこと、近衛公爵は側近の者らとソ連に提案すべき和平交渉の要綱を作成したが、その中には「海外にある軍隊は現地において復員し、内地に帰還せしむることに努めるも、やむを得ざれば、当分その若干を現地に残留せしむることに同意す」「賠償として、一部の労力を提供することは同意す」「若干を現地に残留とは、老年次兵は帰国せしめ、若年次兵は一時労務に服せしめること、等を含むものとす」などの項が含まれたとされていることが認められるけれども、右にいう賠償労働提供の対象国にソ連は含まれないものであるし、甲第一二一号証によれば、近衛特使の派遣をソ連に申し入れたところ、ソ連首相スターリンは米英ソの三国会議に出席のためポツダムに赴いていたうえ、我が国の特使派遣の具体的意図が不明であるとして態度は煮えきらず、一方スターリン首相はポツダム会談において対日開戦の方針を固めたため、結局特使派遣は実現せず、右和平交渉の要綱も提示されずに終わった事実が認められるので、前叙の事実によっては国が日本人将兵をソ連に引き渡したとの上告人らの主張は裏付けられない。
2、ソ連において日本人将兵を戦時賠償の名目でソ連領に移送し強制労働を課す意図を有していることを被上告人国は予見しながら、ソ連がこれを実現するのを容認した事実を認めうる証拠はない。
3、我が国がソ連による長期抑留及び強制労働を放置したとの主張については、甲第一三一号証によれば、政府は昭和二〇年九月一三日、ソ連からの日本人抑留者の引揚げに関して総司令部に対して援助を申し入れ、総司令部はアメリカ政府にソ連との交渉を要請した結果、アメリカにより対日理事会での日本人送還の働きかけや米ソ交渉がなされることとなり、ソ連は、昭和二一年九月、翌月以降シベリア、樺太から日本人を送還すると発表し、同年一一月二六日には米ソ間に引き揚げに関する暫定協定が、同年一二月一九日には同じく米ソ間に日本人捕虜を毎月五万名送還するとの協定が成立したが、その実行が十分でないため、翌昭和二二年三月、アメリカはソ連に対して厳重な履行を要求し、以後も総司令部または連合国最高司令官からソ連に対し、協定違反に対する抗議、声明、追求がたびたび行われた事実が認められ、右によれば、我が国政府は、前記のとおり無条件降伏により連合国の占領下に置かれ、極めて制限された外交権能しか有しないという当時の状況において、不十分ながらも総司令部に種々働きかけた結果、米ソの政府間交渉や対日理事会の場で、我が国の悲願であるソ連からの日本人抑留者の早期引き揚げという要求の実現に向け協議等が継続的に行われたことが認められ、その効果の点はともかく、少なくとも我が国政府が長期抑留及び強制労働を不当に放置していたと見るのは相当でない。
4、被上告人国が上告人らの補償措置を講じない旨の立法権不作為の主張については、国会が特定の立法をしないことが違法とされるためには、その作為義務が憲法上明文をもって定められているか又は憲法解釈上その義務の存在が明白な場合でなければならないと解される。しかるところ、前叙のとおり、上告人らが被った本件損害は戦争損害に外ならず、これに対する補償は憲法の予定しないところと解されるから、憲法上又は憲法解釈上、上告人ら被抑留者に対する補償立法義務が存在するとはいえない。
二、しかしながら、以下に述べるとおり、被上告人国において、ソ連の捕虜となった上告人ら日本人将兵をソ連が役務賠償として使役することを認めていたことは明らかなのであって、右判示1および2の誤りは明白である。原判決は、この点についての事実認定を過ったうえ、上告人らの本件損害賠償請求権の存在を否定しているのであって、重大な事実誤認があるといわざるを得ない。
三、日本人将兵捕虜の使役を役務賠償とする意図をソ連が有していたことは、昭和二〇年九月三日付のプラウダ紙上において、スターリン首相がソ連国民に対し「彼等(日本)は我国(ソ連)に対してもまた甚大な損害を与えている。この故に我々は日本に対して特別勘定を有するものである。」と述べている(甲第二五三号証の一九項第二段目)ことから明白であり、また、当時の日本政府が右意図を有していたことについても、前記近衛公爵の和平交渉要綱から明らかである。
さらに、この点については、本理由書第五、で述べたとおり、原判決後、ロシア国防省公文書館で発見された昭和二〇年八月二九日付の関東軍総司令部のソ連軍のワシレフスキー元帥に対する報告書が重要な意味を有している。同報告書において、関東軍総司令部はソ連軍のワシレフスキー元帥に対し「軍人で満州に住んでいたものは、ソ連軍の『経営』に協力させ、その他は逐次帰国させてほしい。帰国まではソ連軍の『経営』に協力するよう使ってもらいたい。」と明確に日本人捕虜の使役を申し出ているのである。このように関東軍総司令部がソ連に対して、ひそかに日本人捕虜の使役を申し出ていた事実は、被上告人国において上告人ら満州等在留の軍人軍属をソ連が抑留し、労働に服させることを許容して、役務賠償をさせる意図があったことの何よりの証左である。
四、以上のとおり、被上告人国において、上告人ら捕虜の使役をソ連に委ねたことが明らかである以上、仮に右判示3のように、その後、被上告人国が捕虜の早期送還に努力していたとしても、これをもって本件損害賠償の責任を免れうるものではない。
なお、右判示4は、上告人らの本件損害をいわゆる戦争損害と解したうえでの立論であるが、本件損害が憲法第二九条三項によって補償されるべき特別損害であることは、本理由書第五、において述べているとおりであり、被上告人国において上告人らの本件損害に対する補償措置を講ずるべき義務はまさに憲法上の義務と言わざるをえない。右判示4の誤りは明らかである。
第七 安全配慮義務違反に基づく請求について
一 原判決が、大日本帝国憲法の下における軍人と国との間の法律関係につき、国が軍人に対し、その「生命および健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務」を信義則上負担することを肯定した第一審判決を維持した点は評価に値するが、原判決は本件の事実関係を歪曲したため、安全配慮義務違反を否定するという誤りを犯した。
二 原判決は第一審判決が、「終戦時外地にある将兵を本国に帰還させることは、国として当然に執るべき政策である」と判示して、抽象的には、国が終戦時に外地にある将兵を帰還させるべきことをもって安全配慮義務の内容とした点を支持した。
そのうえで原判決は、第一審判決の「軍の将兵は降伏敵国人員としてソ連の取扱いに委ねられることになるのは必然の成行きであって」「ソ連による強制連行を阻止することができなかったという結果のみをとらえて安全配慮義務違反があったということはできない」との判示に付加して「国がポツダム宣言を受託して日本人将兵に対し武装解除を命ずるにあたり、控訴人ら日本人将兵の帰還につきソ連政府と外交交渉を尽くさなかったとしても、直ちに安全配慮義務に違反したとはいえないというべきである」(原判決・判決書一四頁)という。
しかし原判決も日本政府がソ連政府との間で「平和交渉の要綱も提示されずに終った事実が認められる」との第一審の事実認定を維持し、日本政府が終戦に際して日本人将兵に対し武装解除を命ずるにあたり、それら日本人将兵の帰還につき何らソ連政府と交渉をもたなかった事実を認めた。
ところで日本政府が昭和二〇年八月一五日ポツダム宣言を受諾したことによって上告人らの任務は事実上終了し、更に同年八月一九日の大陸令第一、三八六号をもって同月二二日ないし二五日には作戦任務を解かれた。よって、この時点で日本政府は、原告らを可及的速やか、かつ安全に日本へ帰還させる義務を負うに至ったのである。
しかもドイツが崩壊した昭和二〇年五月以降、対ソ戦線において降伏したドイツ軍将兵のうち一〇〇万人を超える捕虜がシベリアに拉致され強制労働に従事させられており、我国政府はこうした事態を熟知していたのである(例えば昭和二〇年八月九日付外務省調書)。したがって我国政府としては、ソ連参戦により無条件降伏した場合には中国東北地区で戦斗に従事している将兵が捕虜となりシベリアへ拉致・抑留され、強制労働に従事させられるという事態を当然予期していたのである。
それにも拘らず、日本政府はソ連軍と対峙していた日本人将兵の帰還につき外交交渉をもっておらず、日本政府は右当時上告人らの期間については何ら意を払わなかった。例えば、大本營はポツダム宣言受託後、関東総司令部に対し武装解除を含む局地停戦交渉を指示するのみで(大本営陸軍部指令第二五四四号)、ポツダム宣言(とくに第九項「日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し、平和的且生産的の生活を営むの機会を得しめられるべし」)の履行確保については、国は何らの措置もとらなかった。現に前記大本營の指令を受けて、ソ連軍との交渉にあたった関東軍司令官山田乙三らは、昭和二〇年八月一九日にジャリコーワで行なわれた日ソ両軍会談に際し、ソ連軍のワシレフスキー元師らとの間で前記ポツダム宣言(とくに第九項)の履行につき何ら交渉もしなかったのである。このように日本政府がソ連軍と対峙していた日本人将兵の帰還につきソ連政府と外交交渉を尽くしたうえで、その交渉が決裂したというのではないのである。
日本政府は安全配慮義務の一内容として日本人将兵が安全に帰国しうるようソ連との間で外交交渉すべき義務を負っていたにも拘らず、何らその義務を履行していないのである。
このように何らの措置を講ずることなく、日本人将兵が強制労働に従事させられることを知悉しながら、漫然と事態を放置した以上、日本政府の安全配慮義務違反は明白である。
三 しかも、原判決が第一審判決に付加して「国がポツダム宣言を受託して日本人将兵に対し武装解除を命ずるにあたり、控訴人ら日本人将兵の帰還につきソ連政府と外交交渉を尽くさなかったとしても、直ちに安全配慮義務に違反したとはいえないというべきである」と判示し、外交交渉を尽くさないとしても、そのことは直ちに安全配慮義務違反を構成しないといっているところに照らすと、国が、積極的に日本人将兵の本国への帰還を妨げ、あるいはソ連政府による帰還阻止=強制連行に加担したという事実があれば、それが安全配慮義務違反を構成することは疑いないところである。
このような事実は例えば最近ロシア政府の協力によって明らかとなった「關東軍方面停戦状況ニ關スル實視報告」と題する昭和二〇年八月二六日付大本營朝枝參謀の作成にかかる文書における「既定方針通大陸方面ニ於テハ在留邦人及武装解除後ノ軍人ハ「ソ」聯ノ庇護下ニ滿鮮ニ土着セシメテ生活ヲ營ム如ク「ソ」聯側ニ依頼スルヲ可トス」および「滿鮮ニ土着スル者ハ日本國籍ヲ離ルルモ支障ナキモノトス」との記載により動かし難いところである。
したがって、国の安全配慮義務違反は明白であるというべきである。
四 さらに原判決は、ソ連抑留者の待遇がとりわけ劣悪であったのは「当時のソ連の国情が原因していると推認され」、「戦前の日本軍において捕虜に関する国際法教育を実施したとしても、それがソ連抑留中の原告らの艱苦を緩和するのに有効であったとは認められない」との第一審の判示を維持した。
しかし、ソ連に抑留された日本人捕虜やドイツ人捕虜のうち、ソ連軍当局に対し積極的に国際法に基づく捕虜としての権利を主張したものは、ソ連軍当局により大方その主張を容れられ、控訴人らのような劣悪な条件の下での労働を強いられなかった事実に照らすと、右の判示は事実を歪曲したものというほかない。日本軍がその将兵に対し国際法教育を施していれば、控訴人らの抑留生活の苦痛は相当程度和らいだことは疑いない。この点における安全配慮義務違反は動かし難いものである。
五 以上により原判決は安全配慮義務に関する法令の解釈適用を誤ったものといわざるをえない。
第八 憲法第一四条に基づく労働賃金請求について
一 原判決の誤謬
1 原判決は、第一審判決の事実認定を支持し、日本政府が第二次大戦後オーストラリア、ニュージーランド、東南アジア地域及びアメリカから帰還した日本人捕虜に対し、抑留国が交付して帰還捕虜が所持していた現金預り証、貸方残高証明書、個人計算カード等に基づき、捕虜であった期間中の労働賃金またはそれに相当する金員の支払をした事実を認める(第一審判決理由第五の五及び第九)とともに上告人らシベリアからの帰還捕虜に対しては右に相当する金銭の支払をしなかったとの事実を認定した。
さらに原判決は、「控訴人らの当審における新請求」に対する判示の中で、右のような第二次大戦終了後海外から帰還した日本人の持帰り金や貸方残高の支払等に関し」(原判決・判決書七四頁)、「我が国は終戦後の数年間、連合国の占領管理下に置かれ、連合国の占領政策の一環として発せられた各種覚書について、大蔵省告示という形式で順次実行に移してきたものであるが、昭和二四年頃には、漸く経済政策も効を奏し、我が国の経済体制も終戦直後の混乱期を脱して、安定化傾向に進み始め、自立にむけて新たな外国為替制度等を確立するに十分な条件が整ったことから、日本政府は、右に備えて、同年六月一四日大蔵省告示第三七三号により、従前の外国為替管理に関する連合国の覚書を実施するため定めた特例措置である前記大蔵省告示第九六号、第一五三号、第一七八号及び第二九七号をいずれも廃止した。」(原判決理由九五頁)と認定し、「日本政府が、終戦後海外から帰還した日本人に対し、前記各覚書や告示等に基づき、その所持する現金預り証等により現実に支払をなした」(原判決・判決書九八頁)との事実を認定した。
また原判決は右の点に関連して、「連合国は、終戦後の数年間、長期の戦争により混乱した我が国の経済体制の立て直しを図るため、引揚者の持帰り金等については、一般人、軍人・軍属及びその階級等に応じて一律に一定の制限を設けるとともに、戦時捕虜にあったものについては、特に一定の制限の下、すなわち、『戦時捕虜としての所得を示す証明書』を所持するものに限り、その貸方残高の決済を許可したにすぎないことが明らかであり、占領下にあって連合国の占領政策を誠実に順守すべき立場にあった我が国としても、抑留国から右資料が示されたものについては、抑留国に代ってその支払措置を講じたものにすぎ」ない(原判決・判決書一一九・一二〇頁)とし、「昭和二四年一一月には外国為替及び外国貿易管理法が制定・公布されるに及んで右特例的な取扱いも原則として廃止されるに至り、その後、我が国が第二次大戦における日本人戦時捕虜の貸方残高の決済に関する法的責任を肯認したり、これを容認する法令を制定したことを認めるに足りる証拠もない」(原判決・判決書一二一頁)と認定した。
2 ところで原判決は、日本政府がシベリアからの帰還捕虜に対し、差別的取扱いをなした理由につき次のとおり判示する。すなわち、「控訴人らが貸方残高等の証明書を所持しなかったが故であ」るとし、「殊更控訴人らシベリアから帰還した捕虜とそれ以外の地域から帰還した日本人捕虜とを差別する意図のもとに、控訴人らの貸方残高の決済をしなかったものと認めるに足りる証拠はない」と判示した(原判決・判決書一五頁)。
そのうえで原判決は、第一審判決が「憲法一四条は国政の指導理念としての人間平等の原則を宣明する規定であるにとどまり、国に対する請求権を基礎づける実体法規でない」と判示し、その右判示の前段において、憲法第一四条の裁判規範性すら否定した点を支持したのである。
3 しかしながら、原判決のかかる判示は、第一にかかる差別について合理的理由が存するか否かを全く論じていない点において理由不備の違法があると同時に、第二に憲法第一四条の解釈を誤り、さらに、第三に上告人らの弁論再開の申立に拘らず憲法第一四条に基づく請求を判断する上で必要な事実審理をことさらに実施しなかったという審理不尽の違法を犯しているのである。
二 理由不備
1 そもそも憲法第一四条一項は法の下の平等を定めるところ、その趣旨が国家による国民の法的な取扱いにつき合理的理由のない差別を禁止することにあることは判例上疑いない(昭和三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁、昭和三九年五月二七日大法廷判決民集一八巻四号六七六頁等)。言い換えると、国家はおよそすべての国民について、それが同じような状態にある限り、合理的な理由がない以上、法的に同じように取扱わなければならないことが憲法上義務づけられているのである。
2 ところで原判決はシベリアから帰還した日本人捕虜に対し未払労働賃金の支払を含む貸方残高の決済をしなかったことにつき、それらの者が「貸方残高等の証明書を所持しなかった」ことを唯一の理由とする。なお、原判決は前記一の2で引用したとおり、「殊更控訴人らシベリアから帰還した捕虜とそれ以外の地域から帰還した日本人捕虜とを差別する意図のもとに、控訴人らの貸方残高の決済をしなかったものと認めるに足りる証拠はない」と判示するが、憲法第一四条違反の有無を論ずるにあたって、日本政府が差別する意図を有していたか否かはおよそ無関係というべきである。
原判決は、前記のように差別的取扱いの理由につき上告人らが「貸方残高等の証明書を所持しなかった」からであると指摘するのみで、何故、貸方残高等の証明書を所持していないという事実をもって、前記の如き差別的取扱いの合理性が基礎づけられるのかについては全く判示していない。
3 むしろ、原判決は、他の判示中で日本政府は「一応所得を証明する資料を有しているものの、書類が不備ないし不十分であったため、支払の正確性ないし確実性を期するため、総司令部を通じて念のため事実関係を明らかにした」という運用例の存在を認め、さらに、「抑留国から日本政府あて収入金に関する文書を別送する手はずで帰国したところ未着であったため、総司令部を通じ同文書の送付を要請したという」(原判決理由一一六・一一七頁)事例があったことすら認定しているのである。
後者の事例は、経緯はともかく、日本政府が当初貸方残高証明書等を所持していなかった帰還捕虜に対しその決済手続を開始して現に支払をなした事例である。この事例では原判決が「例外的」なケースと位置づけようとも、当該支払をうけた者は、当初、請求にあたり、シベリアからの帰還捕虜と同様に、全く貸方残高証明書を所持していなかったのである。
また前者の事例は、日本政府において支払うべき労働賃金額を確定することのできる書類を所持していなかった帰還捕虜に対し、日本政府が事実関係を調査をしたうえ右労働賃金額を支払ったことは疑いない。原判決は「支払の正確性ないし確実性を期するため」と判示するが、それらの事例がいずれも「書類が不備ないし不十分であった」結果、支払うべき労働賃金額を確定しえなかったために事実関係の調査がわざわざ実施された事例であったことは動かし難く、この点の認定はおよそ証拠に基づかないものである。仮に日本政府による調査の目的が「支払の正確性ないし確実性を期するため」であったとしても、日本政府が貸方残高を決済するにあたり、原判決も認定するように帰還捕虜が所持していた書類では「不備ないし不十分であったため」、その書類のみに基づかずに自ら支払労働額を確定するための調査をしたこと自体は疑いないのである。
こうした日本政府の運用に照らすと、「貸方残高等の証明書を所持しなかった」との理由のみをもって、シベリアからの帰還捕虜に対しては貸方残高の決済をしなかったという差別的取扱いの合理性を基礎づけることは到底できないのである。
4 むしろシベリアからの帰還捕虜については、これまでも明らかにし、以下に述べるとおり他の地域からの帰還捕虜に比し、より手厚い保護が与えられて然るべきであり、シベリアからの帰還捕虜に対し未払労働賃金を支払わないとの日本政府の措置は、何ら合理性のない著しく不当な差別である。
(一) 労働環境および労働条件
捕虜が従事することを余儀なくされた労働をめぐる環境およびその条件については、次のとおりである。すなわち、
まず、上告人らが捕虜として従事することを余儀なくされた労働の場は、古来流刑の地として知られた不毛の地・シベリアであり、そこでの労働は酷寒のため生命が脅かされるほど苛酷なものとならざるをえなかったのである。その寒さが想像を絶するものであり、身体をむしばむに至るものであることは、上告人らの供述書(甲第四三ないし第九六号証)の記載からも明らかである。これに対し、米英等による捕虜が労働に従事させられた地域は、おおむね熱帯ないし亜熱帯地域であり、そこでの労働が酷寒に比せばなお比較的に困難でないことは明らかである。
また上告人らの強いられた労働は、鉄道、運河、道路等の建設、森林伐採、炭坑作業などの重労働であった。しかも、その作業は、過重なノルマ(作業標準量)が課せられ、しかもノルマの不達成については責任者の営倉処分のほか、全員に対し糧食の支給が減量され(パーセント給与法)、一般的な糧食不足に拍車が加わったため、上告人ら捕虜は慢性的な飢餓の下で苛酷な労働を強いられたのである。さらに上告人らは、捕虜として抑留生活を送るにあたり、被服等生活用品につき、極めて不十分なものしか支給されなかった。そのため、酷寒の下での長時間に及ぶ危険かつ有害な内容の重労働は、より一層劣悪なものとなったのである。
こうした劣悪な労働条件に加え、ソビエトの捕虜に対する基本的な考え方は、役務賠償として捕虜に強制労働を課すというものであったため、その具体的な処遇方法は非人道的なものとなったのである。
このように上告人らが強いられた労働は、およそ人間に課されるものとはいえず、牛馬に課されるものに等しかったのである。これに対し、英米等による捕虜の従事した労働は、それら抑留国の捕虜に対する人権意識の高さと相俟って、総体的に楽なものであったことは云うまでもない。
このような差異に着目するならば、英米等による捕虜に比し、むしろ原告らシベリア抑留者をより手厚く保護すべきは当然であろう。
(二) 抑留期間
ソ連による抑留捕虜とそれ以外の英米等によるそれとを比べると、圧倒的に前者の抑留期間が長い。ソ連によって捕虜とされた者の抑留期間は最も長い者で一〇年以上に及ぶところ、英米等によって捕虜とされた者の帰還は早く、抑留期間は長い者でも二年に満たないのである。
こうした点でも、ソ連によって捕虜とされた者と英米等によって捕虜とされた者とを差別する理由は全くなく、むしろソ連による抑留捕虜をより手厚く保護すべきといえるのである。
5 以上によれば、原判決は、貸方残高の決済をなすにあたり、貸方残高証明書の所持を要件としたことの意味を全く明らかにすることなく、したがって、貸方残高証明書を所持しない者に対し貸方残高の決済をしなかったことの合理性を何ら論証せずに、憲法第一四条違反はないと結論づけているのであるから、これまでの憲法第一四条に関する確立した判例理論に照らすと、憲法第一四条一項の適用上必要とされる差別的取扱い「合理的理由」の存否を全く判断していないものであることは明らかであり、この点で理由不備の違法を犯していることは疑いないのである。
三 憲法第一四条の解釈
1 第一審判決は憲法第一四条につき「国政の指導理念としての人間平等の原則を宣明する規定であるにとどまり」とし、原判決もこれを支持する。しかし、憲法第一四条が単なる政治的指針でなく、裁判規範たる性質を有する条項であることは、これまでの憲法第一四条に関する裁判例の蓄積により明らかである。すなわち、国家によって平等に取扱われるべきであるにも拘らず、何ら合理的な理由なく差別的取扱いをうけた者は、その差別的取扱いの解消を裁判上主張しえ、裁判所は個別具体的事案の解決に必要な限度で、国家による差別的取扱いを解消することができるところに憲法第一四条が裁判規範であることの意味が存し、これまで幾多の裁判例が憲法第一四条にかかる意味を認めてきたのである。
このように、憲法第一四条一項が「それ自身直接に具体的訴訟の準拠となり裁判所によって執行(enforce)される規範という意味」(芦部信喜・憲法講義ノート一〇二頁)での裁判規範である(戸松秀典・平等原則と司法審査三一一頁)ことは明白である。
したがって、この点に関する原判決の判示は明らかに憲法の解釈を誤ったものである。
2 むしろ、問題はかかる初歩的な憲法解釈論に存するのではなく、裁判規範としての憲法第一四条一項が、個別具体的な事案の解決にあたって如何に働くのかという点、いいかえると憲法第一四条一項に違反する平等権侵害に対し如何なる司法的救済が可能かという点に存するのである。
そもそも、「平等」は自由と異なり、複数の個人相互間の比較を前提として成り立つ相対的概念である。したがって、憲法第一四条に違反して、基本的人権としての平等権が侵害されたというためには、平等権侵害を構成する不合理な差別を是正するうえでの目標となる基準が設定されていることが不可欠であり、この基準を下まわる差別的取扱いを受けた個人が平等権侵害を主張しうるのである(川添利幸「平等原則と平等権」・公法研究三五号一頁以下)。言い換えると、憲法第一四条の要請する法の下の「平等」は、それ自体として一定の内容を有しているものでなく、他との比較によってはじめて、その内容が定まるものである。したがって、憲法第一四条に基づき国家が義務づけられる平等的取扱いの内容が、他との比較によって、一義的明確に定まる場合にはじめて、裁判所は、その定まるところを国家の行為を規制する基準とし、その基準を下回る取扱いを受けた者につき、その差別的取扱いの解消の実現を図ることができるのである。
このように、平等権の場合には、予め一定の実体的内容を有している自由権と異なり、他との比較によって国家としてなすべき行為の基準が明らかである場合にはじめて、裁判規範として機能しうる点に特色があるのである。
しかも、憲法第一四条に基づき国家がなすべき行為の基準を下回る差別的取扱いを受けた者につき、その差別を解消して平等な状態を実現ないし回復する裁判上の方法も自由権とは異ならざるをえない。自由権の場合には、自由権を侵害する立法その他の国家行為の効力を否定するのが一般的直截な方法である。
また平等権侵害を問われる国家行為が侵害的ないし制限的な作用するものである場合には、その侵害=差別を解消して平等な状態を実現ないし回復する方法は、自由権と同じように、当該行為を違憲=無効とすることによって司法的に救済することができる(野中俊彦「法の下の平等」についての一考察・金沢法学第二七巻第一・二合併号八八頁以下)。この例が刑法第二〇〇条の尊属殺重罰規定の違憲判決(最高裁判所昭和四八年四月四日大法廷判決)である。
ところが受益的な(とくに法的な色彩のない漠然とした広い意味で用いる)国家行為につき憲法第一四条一項違反が惹起されているときの司法的救済は、単に国家行為を無効とする方法ではほとんど意味がない(野中・前掲、川添・前掲等)。しかしながら、裁判所において、こうした受益的な国家行為について憲法第一四条の趣旨を最もよく実現できる平等的取扱いの内容を探究することは、三権分立という憲法の基本原理を侵害するとともに、司法の能力の限界を超えるといわざるをえない。したがって、一般的にいえば、受益的な国家行為についての平等権侵害については、問題とされている当該国家行為が憲法第一四条に違反することを宣明しえても、その違反状態を解消して平等な状態を実現ないし回復することは困難とされることが多い。その理由は、差別を是正して回復されるべき平等な状態、すなわち、平等的取扱いとしてなすべき国家行為の内容が一義的に明らかでないからである。さきにも触れたように憲法の要請する法の下の「平等」(これは実質的平等である)は、他との比較によってはじめてその内容が確定されるものであり、その内容の確定=実質的平等の実現は、三権分立という憲法の組織原理に照らすと、立法府の裁量あるいは行政府の裁量に委ねられているから、一般的にいえば、受益的な国家行為については、差別を是正して平等的な取扱いとしてなすべき国家行為の内容は一義的に明確にしえないことが多いのである。
しかしながら、憲法の要請する法の下の「平等」は、あくまで他との比較によってその内容が定まるものであるという基本的な性格から、憲法第一四条に基づいて国家のなすべき平等的な取扱い内容が一義的に明らかである場合には、例外的に存しうる。そして、憲法第一四条に基づいて国家としてなすべき平等的な取扱い内容が一義的に明らかである場合であれば、受益的な国家行為に関する平等権侵害についても、その侵害されている差別的状態を解消して憲法の要請する平等な状態を裁判上実現ないし回復することは可能であるというべきである。
すなわち、憲法第一四条に基づいて国家としてなすべき平等的取扱いの内容が一義的に明確である場合には、その平等的取扱いとして国家のなすべき行為を内容とする給付判決をなすことが、憲法第一四条違反を司法的に救済する方法なのである。
憲法第一四条を右のように解することは、我が国の有力学説の説くところであり(阿部照哉教授の「平等原則の適用に関する若干の考察」法学論叢九四巻三・四号四二頁および有斐閣大学双書憲法Ⅱ二二六頁、戸波江二助教授の判例評論・判例時報一〇九一号一八〇頁)、また西独では学説・判例において一般的に承認されているといわれる(戸波前掲一八四頁)。例えば、西ドイツ連邦憲法裁判所判決集第八巻一九五九年二号二八頁には、「目的と内容にしたがい一義的な俸給法が、特定の公務員グループを考慮していないという理由で、憲法三条一項に違反するならば、裁判所は、補完的な法律解釈によらないで、この法律による俸給を申渡すことができる」との判決要旨が出されている。
四 憲法に基づく請求権の内容
1 従前主張したとおり、日本政府がシベリア以外の地域からの帰還捕虜に対し貸方残高証明書等の資料に基づいて抑留期間中の労働賃金額を算定して、それを支払うにあたって、日本政府は、当該労働の質を自ら認定したうえで労働賃金額を算定するという手続も踏んでいない。もっぱら捕虜を労働に従事させた抑留国が設定した賃金計算法(例えば英国の場合には、どの地域でも共通というわけではないが、捕虜の労働賃金を一時間労働につき、熟練者には1.5ペンス、その他の未熟練者には0.75ペンスの割合で計算した)に依拠して算出された労働賃金額を支払ったのである。ここでは未払労賃の算定につき、日本政府の裁量の余地は全くなかった。何らかの資料に基づいて当該捕虜の労働及びそれに対する抑留国の評価である労働賃金額を認定したうえで、いわば機械的に、未払労賃の支払をなしていたのである。
2 このような帰還捕虜に対する未払労賃の支払を含む貸方残高の決済という取扱いは、原判決も認定したように連合国総司令部の覚書さらには大蔵省告示を法的根拠として実施されたが、右告示は昭和二四年頃に「経済政策も効を奏し、我が国の経済体制も終戦直後の混乱期を脱して、安定化傾向に進み始め、自立にむけて新たな外国為替制度等を確立するに十分な条件が整ったこと」を理由として、停止された。この廃止は被上告人の平成四年四月二四日付の弁論再開の申立に対する意見書によると昭和二四年六月一四日に公布された大蔵省告示第三七三号によるものである。
その結果として、それ以降に帰還した捕虜に対しては、捕虜期間中の未払労賃の支払を含む貸方残高の決済を実施する法令上の根拠が失われたのである。
なお、実際上も右の昭和二四年六月一四日以降帰還捕虜に対し貸方残高の決済がなされなくなったか否かは不明である。
3 しかしながら、もともと捕虜期間中の未払労賃の支払を含む貸方残高の決済は、単なる個人計算カードや貸方残高証明書というようなおよそ有価証券あるいは為替証書とは関係のないもの(例えば個人計算カードは労働日数のみを記載したものもあった)について、為替管理上の規制の解除するという、いわば為替管理上の制度を借用するという形で実施されたものであるから、その為替制度が日本の経済復興とともに改正され、その改正によって捕虜の貸方残高決済制度が借用していた法的根拠が失われたとしても、そのことは、直ちに捕虜の貸方残高決済制度の廃止を合理的に理由づけることはできないのである。むしろ、前記の昭和二四年六月一四日に公布された大蔵省告示第三七三号による従前の捕虜の貸方残高決済制度の根拠となった大蔵省告示の廃止は原判決も指摘するように我国経済体制の安定化を理由とするものであって、およそ捕虜の貸方残高決済制度を廃止する理由とはなりえないものであるから、右告示廃止における立法者の意思は、専ら為替制度の改正に向けられ、その為替制度を借用していた捕虜の未払労賃を決済する制度を実質的には廃止しようとしたものとは認め難いのである。
4 以上のように上告人らの抑留期間中の労働による未払労働賃金については、その未払労働賃金決済制度の法的根拠となり、昭和二四年六月一四日付大蔵省告示第三七三号によって廃止された幾つかの大蔵省告示から明らかなように何ら立法府・行政府の裁量的裁判に委ねず「全額」を支払うという一義的に明確な基準によって、しかも、その支払には他に何らの留保を付さず、支払が実施されていたものであるから、立法府ないし行政府の裁量を損なうことなく、他との比較(すなわち、シベリア以外からの帰還捕虜との比較)によって憲法に基づく平等的な取扱いの内容が一義的に明確になる場合に他ならない。実際上も上告人らに対する未払労賃額は、平成四年二月二七日付弁論再開申立に際し明らかにしたように上告人らを捕虜として抑留した国であるソ連の承継国であるロシアの発行した労働証明書(平成四年二月二七日付弁論再開申立書の添付資料参照)によって一義的に明確となるのである。
しかも、未払労働賃金決済制度の法的根拠をなしていた一連の大蔵省告示は、我国経済の復興を理由として廃止され、右決済制度は、一応、それが借用していた法令上の根拠を形式的には失うに至ったが、立法者は右告示の廃止によって右決済制度そのものの廃止を意図したとは到底言い難いのである。したがって、憲法第一四条に基づく平等的な取扱いの内容として、従前通りに未払労賃の全額支払の給付判決をしたとしても、そもそも右告示の廃止には前述のとおり未払労賃決済制度の改廃に関する立法府ないし行政府の意思は何ら表明されていないのであるから、何ら立法者ないし行政府の判断をくつがえし、あるいはその権限を侵害することにはならないのである。
以上によって、本件事案においては、上告人らは、憲法第一四条に基づき他の地域からの帰還捕虜と同一内容の捕虜期間中の未払労働賃金の全額支払を求めることができることは明らかである。
五 審理不尽
ところで原審裁判所は、原判決理由中で差別的取扱いの根拠として「貸方残高等の証明書」につき、上告人らにおいて、労働証明書の発行権限を有していたソ連の承継国であるロシア連邦から労働証明書の交付を受け、これを法廷に顕出すべく平成四年二月二七日付をもって弁論再開の申立をしたにも拘らず、これを無視して原判決を言渡すに至った。
上告人らが法廷に顕出することを求めた労働証明書は、上告人らの捕虜期間中の労働に対する労働賃金の額を明示したものであって、この労働証明書によって上告人らの憲法第一四条に基づく請求の内容が確定しえたのである。
それにも拘らず原審裁判所は右労働証明書を法廷に顕出することを拒んだのであり、前記三および四における憲法第一四条の解釈およびその適用と相俟って、原判決に審理不尽の違法が存することは疑いない。