最高裁判所第一小法廷 平成6年(行ツ)239号 判決 1998年11月12日
上告人
服部融憲
外九名
右一〇名訴訟代理人弁護士
外山佳昌
石口俊一
山田延廣
被上告人
中川弘
右訴訟代理人弁護士
河村康男
主文
原判決を破棄する。
本件を広島高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人外山佳昌、同石口俊一、同山田延廣の上告理由について
一 本件は、福山市の住民である上告人らが、同市が土地区画整理法(以下「法」という。)九六条二項、一〇四条一一項に基づいて備後圏都市計画事業東部土地区画整理事業(以下「本件事業」という。)の保留地として取得した土地につき、本件事業の施行規程所定の要件がないのに随意契約の方法で売却した違法及び時価より低廉な価額で売却した違法があると主張して、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき、同市に代位して、右売却当時同市の市長の職にあった被上告人に対し、時価と売却価額との差額相当の損害賠償を求める住民訴訟事件である。
原審は、(1) 住民訴訟制度の目的からすれば、住民訴訟の対象となるべき「財産の処分」における「財産」とは、地方公共団体の住民の負担に係る公租公課等によって形成された地方公共団体の公金及び営造物以外の財産を意味するものと解すべきであり、したがって、住民訴訟の対象となるべき「契約の締結」も、財産の処分を内容とするものである場合には、右の意味における「財産」の処分を内容とするものでなければならないところ、市が土地区画整理事業の施行者として取得する保留地は、右の意味における「財産」には当たらず、その随意契約による処分は右の意味における「契約の締結」に当たらない、(2) 右の保留地は、事業施行者としての市が取得するのであり、地方公共団体としての市が取得するのではないから、その処分としての契約も、施行者としての市が締結するのであって、地方公共団体としての市が締結するのではないし、そもそも保留地は、実質的には減歩を受けた土地所有者全員の共有に属するものと目すべきものであり、市の財産処分に関する法令の規定は適用されない(法一〇八条一項後段)、(3) 市の施行する土地区画整理事業の費用は市が負担する(法一一八条一項)から、保留地が不当に廉価で売却された場合に市が損害を被る可能性はあるが、同事業の費用は保留地の処分金だけでなく公共施設管理者負担金(法一二〇条)、国庫補助金(法一二一条)、事業計画に定められた市の負担金等によっても賄われるのであり、費用不足による損害が生ずるかどうかは事業が完了するまではその可能性があるにすぎない、(4) そうすると、保留地の売却の段階でその行為を住民訴訟の対象にすることは、事業の在り方そのものを直接対象とすることになり、制度の予定しないところといわざるを得ない、などの理由を挙げて、本件訴えは不適法であると判断し、これを却下した。
二 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。
住民訴訟は、地方自治法二四二条一項所定の財務会計上の違法な行為又は怠る事実を対象とするものでなければならない(同法二四二条の二第一項本文)ところ、普通地方公共団体の所有に属する不動産は、公有財産として同法における「財産」に当たるものと規定されている(同法二三七条一項、二三八条一項一号)から、普通地方公共団体の所有に属する不動産の処分は、当該不動産が当該普通地方公共団体の住民の負担に係る公租公課等によって形成されたものであると否とを問わず、同法二四二条一項所定の「財産の処分」として住民訴訟の対象になるものと解される。また、右の不動産について売買契約を締結する行為は、同項所定の「契約の締結」に当たり、住民訴訟の対象になるものと解される。
記録によれば、本件の保留地は、本件事業の換地処分の公告があった日の翌日である昭和五六年九月五日に福山市の所有に属することとなり、同市がこれを同五七年八月二七日に随意契約によって売却したというのであるから、右売却当時同市の「財産」であったものであり、右売却行為は、「財産の処分」及び「契約の締結」に当たり、住民訴訟の対象になるものというべきである。同市は、本件事業の施行者として保留地を取得し、これを処分したのであるが、もとより普通地方公共団体の事務として本件事業を施行していたのであり(地方自治法二条三項一二号)、普通地方公共団体としての地位とは別個独立に施行者としての地位を有し、これに基づいて保留地を取得して処分したというものではない。また、市が保留地を定めるのは、土地区画整理事業の施行の費用に充てるためである(法九六条二項)から、保留地の処分は、その財産的価値に着目してされる行為にほかならず、これについては、一般の財産の処分に関する法令の規定は適用されないものの、右の保留地を定めた目的に適合し、施行規程で定める方法に従わなければならないものと定められており(法一〇八条一項)、施行規程のうち保留地の処分方法を定める規定(法五三条二項六号)は、財務会計上の規範ということができる。現に、本件事業の施行規程(昭和四四年福山市条例第五七号)においては、保留地の処分は、施行者があらかじめ予定価格を定め、一般競争入札によるのを本則とし、入札希望者がないとき、落札者が契約を結ばないとき、国又は地方公共団体が公用又は公共の用に供するため必要とするとき、その他特に施行者が必要と認めたときには、随意契約によることができる旨が規定されており(同条例七条)、これは財務会計上の観点から保留地の処分方法を規制するものと解される。本件の保留地の売却がこのような施行規程等財務会計職員の遵守すべき規範に適合するものであったか否かを審査することは、本件事業の在り方そのものを直接審査の対象にするものではないことが明らかである。そして、市の施行する土地区画整理事業に要する費用は施行者である市が負担することとされており(法一一八条一項)、保留地の処分代金額が低下することは、他に新たな財源を求めない限り、市が一般財源から負担すべき額の増大をもたらすから、特段の事情のない限り市に損害を生じさせるものというべきである。なお、市の施行する土地区画整理事業においては、当該事業の施行後の宅地の価額の総額がその施行前の宅地の価額の総額を超える場合に、その差額に相当する金額を超えない価額の一定の土地を保留地として定めることができるものと規定されている(法九六条二項)のは、右差額が施行者である市が費用を負担して施行する土地区画整理事業の結果生み出される価値であることから、これを従前地の所有者らに帰属させずに事業の費用に充てて市の財政負担を軽減することができるものとする趣旨であると解されるのであり、保留地が実質的に減歩を受けた土地所有者らの共有に属するというのは、相当でない。
以上のとおり、本件の保留地の処分は、「財産の処分」及び「契約の締結」に当たるものとして、住民訴訟の対象になると解することができるから、これと異なる見解に立って本件訴えを不適法として却下した原判決は、地方自治法二四二条の二第一項の解釈適用を誤るものとして、破棄を免れない。そして、本件については、更に審理判断を尽くさせるため、原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大出峻郎 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄)
上告代理人外山佳昌、同石口俊一、同山田延廣の上告理由
第一 序論
一 原判決には結論を左右する、地方自治法についての法令解釈の誤りがあることは後述のとおりであるが、そもそも、右判決の内容は、実質的に見ても極めて不当なものであると言わざるを得ない。
二 すなわち、右判決は、市が施行者となって行なう土地区画整理事業において、保留地が不当に廉価で売却された場合、その段階でその行為を住民訴訟の対象にすることは出来ないとし、その理由として、右段階においては、施行者たる市が損害を被ることは未だ単なる可能性でしかなく、このような場合にまで住民訴訟を認めるのは、地方公共団体が施行者となって行なう土地区画整理事業の在り方そのものを直接住民訴訟の対象とするものであり、住民訴訟の制度趣旨の「みだり」な「拡張解釈」である旨判示する。
三 しかし、右のように考えた場合、市による保留地の不当廉売については住民によるチェックを加える余地がないことになる。
この点、右判決においては、土地区画整理事業完了の後に費用の不足分填補のため市が公金を支出すれば、その段階で、当該公金支出を損害として住民訴訟の対象としうる余地があることを認めている。しかし、費用不足が生じた場合には、その不足分は施行者たる市の公金支出のみならず、公共施設管理者負担金、国庫補助金及び事業計画に定められた市の負担金などによっても賄われるのであるから、右段階にいたっては、もはや、不足分の内どの部分が市の公金によって賄われ、よって、市がどれだけの損害を被ったかは、実際上確定不能となってしまい、この時点での住民訴訟によるチェックは事実上不可能である。
つまり、これでは、少なくとも保留地の処分については何らの歯止めもかからないことになってしまい、不当廉売により一部の者が利益を受ける代わりに、それによって生じた損害を大多数の一般住民の負担する税金により構成された公金によって補うという極めて不当な状況が生じるのを事後的に防止匡正する手段すら何ら存在しないことになる。
にもかかわらず、本件において住民訴訟を否定し、結果的には保留地処分についての住民によるチェックを否定することになる右判決は、実質的に見ても極めて不当なものである。
原判決は、住民訴訟の制度趣旨は「みだりに拡張解釈すべきものではない」とするが、むしろ、住民訴訟制度を有名無実化するような判決の解釈こそ「不当な限定解釈」というべきである。
四 このように、地方自治の根幹である地方行政の地方住民によるチェックを否定する原判決を放置しておくことは、地方自治制度にとっても極めて有害である。
よって、我々は、ここに上告を提起した次第である。そこで、以下、上告の理由として、原判決の法令違背につき具体的に摘示することとする。
第二 上告理由
一 地方自治法二条の法令解釈の誤り
1 原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。
すなわち、原判決においては、保留地は「あくまで、土地区画整理事業施行者としての市が取得するのであって、地方公共団体としての市が取得するのではない。したがって、また、保留地の処分としての随意契約も、土地区画整理事業施行者としての市が締結するものであって、地方公共団体としての市が締結するのではない。」として、あたかも土地区画整理事業施行者としての市と地方公共団体としての市とを可分でしかも両立しうる概念として捉え、これを前提に、本件保留地処分は福山市が前者の立場として行なった行為であるから地方自治法二四二条の二の「契約の締結」にはあたらず、よって、住民訴訟の対象にはならないと判断する。
2 しかしながら、右のような判断は地方自治法二条に反する違法なものである。なぜならば、地方自治法二条三項一二号には、地方公共団体が処理すべき行政事務として、「・・・・土地区画整理事業その他の土地改良事業を施行すること」を規定している。一方で、土地区画整理法三条三項でも、地方公共団体たる市は、地方公共団体であるがゆえに土地区画整理事業の主体となりうることを規定している。
このことは、地方公共団体たる市が土地区画整理事業の施行者となる場合、その施行は当該地方公共団体がその事務としてこれを行なうということを意味しており、『土地区画整理事業施行者としての市』と『地方公共団体としての市』とは不可分一体の概念であると考えるのが同条の正しい解釈である。
3 よって、原判決の、市を前述のような二個の可分な概念によって捉えようとする判断には、地方自治法二条三項一二号の規定に反した法令解釈の誤りがある。
二 地方自治法二四二条の二の法令の解釈の誤り
・・・・特に「財産」の概念について
1 原判決は、「保留地は、前記のとおり、換地処分公告の翌日、土地区画整理事業施行者(市が施行者であれば市)の取得するところとはなるけれども、実質的には減歩を受けた土地所有者全員の共有(市が施行者である場合も、市民全員の共有というわけではなく)に属するものと目すべきである。」と述べ、保留地の処分が市の財産処分に関する法令の規定が適用されないことをも根拠として、市の所有する保留地は、地方自治法二四二条の二によって引用されることになる同法二四二条にいう「財産」にはあたらないとする。
2 右の原判決の判断は、明らかに法令の解釈を誤ったものである。
原判決が述べるところの、保留地は福山市の所有ではあるが、「実質的には減歩を受けた土地所有者全員の共有に属する」とは一体どのように解すればよいのか?
この「実質的には」とは、法律上の所有ではないという趣旨なのか、形式的に市の所有とされているにすぎないという趣旨なのか、全く不明である。保留地は、法的には福山市の所有であることに間違いはなく、それ以外の何者かの所有ではなく、法的評価以外の「実質」を議論する余地はないはずのものである。
3 また、自治体施行の土地区画整理事業の場合には、土地所有者だけではなく、地方公共団体も費用を負担し、国も国庫補助金を代理人し、公共施設管理者も負担金を負うのである。これらの負担を全く無視して、保留地が「実質的には減歩を受けた土地所有者全員の共有に属する」などとどうして判断できるのであろうか?
4 さらに、原判決は、「財産」か否かの判断根拠として、地方公共団体住民の負担にかかる公租公課等によって形成されたか否かを挙げ、かつての最高裁小法廷判決を引用する。
しかしながら、地方公共団体の「財産」が、地方公共団体住民の負担にかかる公租公課等以外の収入、例えば、地方公共団体交付金、国の各種補助金、その他手数料等の財源によるものや、寄付行為による無償取得などもあり、区画整理事業の換地処分による保留地の取得もその一つにすぎないものである。これらによって、地方公共団体の所有となった「財産」の処分は全て住民監査請求の対象となるものであって、同法二四二条の二はその対象「財産」を取得原因によって何らの区別はしていないのである。
三 原判決は、次に述べる憲法及び法令の解釈の誤りがある。
1 原判決は、保留地は土地区画整理事業の施行の費用に充てるために設定されるものであり、事業施行費用は施行者が負担する(土地区画整理法一一八条一項)ことから、保留地が不当廉売された場合には施行者たる市が損害を被る可能性があることを認めながら、施行者たる市が取得する保留地所有権が形式的なものにすぎないことに加えて仮に費用不足が生じた場合には公共施設管理者負担金(同法一二〇条)、国庫補助金(同法一二一条)、及び事業計画に定められた市の負担金等によっても賄われることから、不当廉売があった時点においては未だ単に市が損害を被る可能性が存在するにすぎず、にもかかわらず、その段階で住民訴訟の対象とすることは、市の行なう土地区画整理事業の在り方そのものを直接住民訴訟の対象とすることになり、住民訴訟の制度趣旨をみだりに拡張解釈するものであり、よって、保留地の不当廉売は「財産」についての「契約の締結」(地方自治法二四二条の二)にはあたらないとする。
2 しかしながら、土地区画整理事業の費用については、保留地処分金がその中心財源となることに鑑みれば、『保留地の不当廉売→費用不足→市が公金で不足分を負担』という流れは、極めて高い蓋然性をもった因果の流れであり、よって、不当廉売された時点で既に市が損害を被る高度の蓋然性が生じていると考えるべきである。むしろ、後に公共施設管理者負担金等によって費用不足が填補されることの方が単なる可能性にすぎないものである。
とすれば、かかる高度の蓋然性が存在する以上、不当廉売を住民訴訟の対象とすることは、決して土地区画整理事業の在り方そのものを対象とすることにはならず、保留地の不当廉売も「財産」についての「契約の締結」(地方自治法二四二条の二)にあたると解すべきである。
3 にもかかわらず、本件のような保留地の不当廉売につき地方自治法二四二条の二の適用を否定した判決の判断は、同条の適用範囲を不当に限定するものであり、地方公共団体の公金等についての違法な支出行為等を防止匡正することによって地方公共団体住民全体の利益を図ることを目的とする同条の趣旨に反する違法な解釈である。
更には、地方自治を定め、住民自治を含む地方自治の本旨を規定し、その一内容として財産面における自主決定権を地方公共団体、ひいては、その構成員である当該地方公共団体住民に賦与する憲法第九二条、同九四条、及び同第九三条に反する違法な解釈と言わざるを得ない。
4 このように、原判決の判断には、憲法及び地方自治法の解釈を誤った違法があり、破棄されるべきものである。