最高裁判所第一小法廷 平成7年(オ)1705号 判決 1999年3月25日
上告人
安田信託銀行株式会社
右代表者代表取締役
立川雅美
右訴訟代理人弁護士
工藤舜達
林太郎
原秋彦
洞雞敏夫
牧山嘉道
若林昌博
和仁亮裕
被上告人
日本人材サービス株式会社
右代表者代表取締役
郡昭博
右訴訟代理人弁護士
中村治嵩
丸山武
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人工藤舜達、同林太郎の上告理由第二点、同坂井芳雄の上告理由第一点、及び同原秋彦、同洞敏夫、同牧山嘉道、同若林昌博の上告理由第二点について
一 本件は、建物所有者から建物を賃借していた被上告人が、賃貸借契約を解除し右建物から退去したとして、右建物の信託による譲渡を受けた上告人に対し、保証金の名称で右建物所有者に交付していた敷金の返還を求めるものである。
二 自己の所有建物を他に賃貸して引き渡した者が右建物を第三者に譲渡して所有権を移転した場合には、特段の事情のない限り、賃貸人の地位もこれに伴って当然に右第三者に移転し、賃借人から交付されていた敷金に関する権利義務関係も右第三者に承継されると解すべきであり(最高裁昭和三五年(オ)第五九六号同三九年八月二八日第二小法廷判決・民集一八巻七号一三五四頁、最高裁昭和四三年(オ)第四八三号同四四年七月一七日第一小法廷判決・民集二三巻八号一六一〇頁参照)、右の場合に、新旧所有者間において、従前からの賃貸借契約における賃貸人の地位を旧所有者に留保する旨を合意したとしても、これをもって直ちに前記特段の事情があるものということはできない。けだし、右の新旧所有者間の合意に従った法律関係が生ずることを認めると、賃借人は、建物所有者との間で賃貸借契約を締結したにもかかわらず、新旧所有者の合意のみによって、建物所有権を有しない転貸人との間の転貸借契約における転借人と同様の地位に立たされることとなり、旧所有者がその責めに帰すべき事由によって右建物を使用管理する等の権原を失い、右建物を賃借人に賃貸することができなくなった場合には、その地位を失うに至ることもあり得るなど、不測の損害を被るおそれがあるからである。もっとも、新所有者のみが敷金返還債務を履行すべきものとすると、新所有者が、無資力となった場合などには、賃借人が不利益を被ることになりかねないが、右のような場合に旧所有者に対して敷金返還債務の履行を請求することができるかどうかは、右の賃貸人の地位の移転とは別に検討されるべき問題である。
三 これを本件についてみるに、原審が適法に確定したところによれば(一)被上告人は本件ビル(鉄骨・鉄骨鉄筋コンクリート造陸屋根地下二階付一〇階建事務所店舗)を所有していたアーバネット株式会社(以下「アーバネット」という。)から、本件ビルのうちの六階から八階部分(以下「本件建物部分」という。)を賃借し(以下、本件建物部分の賃貸借契約を「本件賃貸借契約」という。)、アーバネットに対して敷金の性質を有する本件保証金を交付した、(二) 本件ビルにつき、平成二年三月二七日、(1) 売主をアーバネット、買主を中里三男外三八名(以下「持分権者ら」という。)とする売買契約、(2) 譲渡人を持分権者ら、譲受人を上告人とする信託譲渡契約、(3) 賃貸人を上告人、賃借人を芙蓉総合リース株式会社(以下「芙蓉総合」という。)とする賃貸借契約、(4) 賃貸人を芙蓉総合、賃借人をアーバネットとする賃貸借契約、がそれぞれ締結されたが、右の売買契約及び信託譲渡契約の締結に際し、本件賃貸借契約における賃貸人の地位をアーバネットに留保する旨合意された、(三) 被上告人は、平成三年九月一二日にアーバネットが破産宣告を受けるまで、右(二)の売買契約等が締結されたことを知らず、アーバネットに対して賃料を支払い、この間、アーバネット以外の者が被上告人に対して本件賃貸借契約における賃貸人としての権利を主張したことはなかった、(四) 被上告人は、右(二)の売買契約等が締結されたことを知った後、本件賃貸借契約における賃貸人の地位が上告人に移転したと主張したが、上告人がこれを認めなかったことから、平成四年九月一六日、上告人に対し、上告人が本件賃貸借契約における賃貸人の地位を否定するので信頼関係が破壊されたとして、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、その後、本件建物部分から退去した、というのであるが、前記説示のとおり、右(二)の合意をもって直ちに前記特段の事情があるものと解することはできない。そして、他に前記特段の事情のあることがうかがわれない本件においては、本件賃貸借契約における賃貸人の地位は、本件ビルの所有権の移転に伴ってアーバネットから持分権者らを経て上告人に移転したものと解すべきである。以上によれば、被上告人の上告人に対する本件保証金返還請求を認容すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
その余の上告理由について
所論の点に間する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論引用の各判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決の法令違背をいうものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官藤井正雄の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官藤井正雄の反対意見は、次のとおりである。
私は、上告人が被上告人に対し本件保証金の返還債務を負担するに至ったとする法廷意見には賛成することができない。
一 甲が、その所有の建物を乙に賃貸して引き渡し、賃貸借継続中に、右建物を丙に譲渡してその所有権を移転したときは、特段の事情のない限り、賃貸人の地位も丙に移転し、丙が乙に対する賃貸人としての権利義務を承継するものと解されていることは、法廷意見の説くとおりである。甲は、建物の所有権を丙に譲渡したことにより、乙に建物を使用収益させることのできる権能を失い、賃貸借契約上の義務を履行することができなくなる反面、乙は、借地借家法三一条により、丙に対して賃貸借を対抗することができ、丙は、賃貸借の存続を承認しなければならないのであり、そうだとすると、旧所有者甲は賃貸借関係から離脱し、丙が賃貸人としての権利義務を承継するとするのが、簡単で合理的だからである。
二 しかし、甲が、丙に建物を譲渡すると同時に、丙からこれを賃借し、引き続き乙に使用させることの承諾を得て、賃貸(転貸)権能を保持しているという場合には、甲は、乙に対する賃貸借契約上の義務を履行するにつき何の支障もなく、乙は、建物賃貸借の対抗力を主張する必要がないのであり、甲乙間の賃貸借は、建物の新所有者となった丙との関係では適法な転貸借となるだけで、もとのまま存続するものと解すべきである。賃貸人の地位の丙への移転を観念することは無用である。賃貸人の地位が移転するか否かが乙の選択によって決まるというものでもない。もしそうではなくて、この場合にも新旧所有者間に賃貸借関係の承継が起こるとすると、甲の意思にも丙の意思にも反するばかりでなく、丙は甲と乙に対して二重の賃貸借関係に立つという不自然なことになる(もっとも、乙の立場から見ると、当初は所有者との間の直接の賃貸借であったものが、自己の関与しない甲丙間の取引行為により転貸借に転化する結果となり、乙は民法六一三条の適用を受け、丙に対して直接に義務を負うなど、その法律上の地位に影響を受けることは避けられない。特に問題となるのは、丙甲間の賃貸借が甲の債務不履行により契約解除されたときの乙の地位であり、乙は丙に対して原則として占有権限を失うと解されているが、乙の賃貸借が本来対抗力を備えていたような場合にはそれが顕在化し、丙は少なくとも乙に対しても履行の催告をした上でなければ、甲との契約を解除することができないと解さなければならないであろう。)。
三 本件は「不動産小口化商品」として開発された契約形態の一つであって、本件ビルの全体について、所有者アーバネットから三九名の持分権者らへの売買、持分権者らから上告人への信託、上告人と芙蓉総合との間の転貸を目的とする一括賃貸借、芙蓉総合とアーバネットとの間の同様の一括転貸借(かかる一括賃貸借を原審はサブリース契約と呼んでいる。)が連結して同時に締結されたものであることは、原審の確定するところである。これによれば、本件ビルの所有権はアーバネットから持分権者らを経て上告人に移転したが、上告人、芙蓉総合、アーバネットの間の順次の合意により、アーバネットは本件ビルの賃貸(右事実関係の下では転々貸)権能を引き続き保有し、被上告人との間の本件賃貸借契約に基づく賃貸人(転々貸人)としての義務を履行するのに何の妨げもなく、現に被上告人はアーバネットを賃貸人として遇し、アーバネットは被上告人に対する賃貸人として行動してきたのであり、賃貸借関係を旧所有者から新所有者に移転させる必要は全くない。すなわち、本件の場合には、上告人が賃貸人の地位を承継しない特段の事情があるというべきである。そして、この法律関係は、アーバネットが破産宣告を受けたからといって、直ちに変動を来すものではない。
賃貸借関係の移転がない以上、被上告人の預託した本件保証金(敷金の性質を有する。)の返還の関係についても何の変更もないのであり、賃貸借の終了に当たり、被上告人に対し本件保証金の返還義務を負うのはアーバネットであって、上告人ではないということになる。被上告人としては、アーバネットが破産しているため、実際上保証金返還請求権の満足を得ることが困難になるが、それはやむをえない。もし法廷意見のように解すると、小口化された不動産共有持分を取得した持分権者らが信託会社を経由しないで直接にサブリース契約を締結するいわゆる非信託型(原判決一一頁参照)の契約形態をとった場合には、持分権者らが末端の賃借人に対する賃貸人の地位に立たなければならないことになるが、これは、不動産小口化商品に投資した持分権者らの思惑に反するばかりでなく、多数当事者間の複雑な権利関係を招来することにもなりかねない。また、本件のような信託型にあっても、仮に本件とは逆に新所有者が破産したという場合を想定したとき、関係者はすべて旧所有者を賃貸人と認識し行動してきたにもかかわらず、旧所有者に対して法律上保証金返還請求権はなく、新所有者からは事実上保証金の返還を受けられないことになるが、この結論が不合理であることは明白であろう。
四 以上の理由により、私は、被上告人の上告人に対する保証金返還請求を認めることはできず、原判決を破棄し、第一審判決を取り消して、被上告人の請求を棄却すべきものと考える。
(裁判長裁判官大出峻郎 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄)
上告代理人工藤舜達、同林太郎の上告理由
第一点 <省略>
第二点 原判決の判断は旧借家法第一条の立法趣旨を見誤り違法である。
一 本件の基本的争点は、本件契約連結によって本件全体ビルの所有権が訴外アーバネットから持分権者らを経て上告人に移転したことに伴い、本件賃貸借契約における貸主たる地位も当然に訴外アーバネットから持分権者らを経て上告人に移転したといえるかどうかという点にあることは、原判決が指摘するとおりである。
これについて、原判決は「自己の所有建物を他に賃貸している者が賃貸借契約継続中に第三者にその建物を譲渡した場合には、原則として賃貸人たる地位もこれに伴って右第三者に移転するものであるが、特段の事情が存する場合には、なお賃貸人たる地位は移転しないで建物の譲渡人にとどまるものと解される。そして、賃貸中の建物を譲渡するに際し、新旧所有者間において、従前からの賃貸借関係の賃貸人の地位を従前の所有者に留保する旨の合意をすることは契約の自由の範囲内のことであるが、建物の賃借人が対抗力のある賃借権を有する場合には、その者は新所有者に対して賃借権を有することを主張し得る立場にあるものであって、その者が新所有者との間の賃貸借関係を主張する限り、賃貸借関係は新所有者との間に移行するものであるから、新旧所有者間に右の合意があるほか、貸借人においても賃貸人の地位が移転しないことを承認又は容認しているのでなければ、前記の特段の事情が存する場合に当たるとはいえないというべきである。
本件において、本件全体ビルが訴外アーバネットから持分権者らに売却され、更に控訴人に信託譲渡されるに際し、訴外アーバネットと持分権者らとの間及び持分権者らと控訴人との間において、従前からの賃借人である被控訴人との間の本件賃貸借契約上の賃貸人の地位は訴外アーバネットに留保することとして移転しない旨を合意しており、右売却及び信託譲渡と同時に右合意の趣旨に沿って本件契約連結の各契約が締結され、それ以降も訴外アーバネットは被控訴人に対して賃貸人としての行動をし、被控訴人も訴外アーバネットが破産するまで訴外アーバネットを賃貸人と認識して賃料を支払っていた。しかし、被控訴人は本件賃貸部分につき対抗力のある建物賃借権を有していた者であって、本件全体ビルの所有権が移転し、それに伴い本件契約連結の各契約が締結されたことを訴外アーバネットの破産宣告に至るまで全く知らず、しかも、本件契約連結が存在することを知った後は新所有者に賃貸人の地位が移転した旨主張しているのであるから、被控訴人において賃貸人の地位が移転しないということを承認ないし容認したものと認める余地は全くない。したがって、本件全体ビルの持分権者らへの売却及び控訴人への信託譲渡は前記特段の事情がある場合に当たるということはできず、本件賃貸借契約上の賃貸人たる地位は、本件全体ビルの所有権の移転に伴い訴外アーバネットから持分権者らに、更に受託者である控訴人に移転したものというべきである。」と判示している。
しかしながら、訴外アーバネットは、被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約は固定したまま、甲第三号証建物賃貸借契約には全く影響を及ぼさず、被上告人に対する賃貸人たる地位をそのまま保持して、平成二年三月二七日訴状別紙目録(二)記載の人々に対し、同目録記載のとおり、本件建物の持分所有権のみを売却譲渡し、同年同月三〇日その所有権移転登記をしたのである。
従って、同目録(二)記載の人々は、被上告人に対する賃貸人たる地位を承継しないで、本件建物の持分所有権のみを譲受けたものである。
しかし、訴外アーバネットが訴状別紙目録(二)記載の人々に対し、本件建物の持分所有権を売却譲渡しながら、被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約を固定し、甲第三号証建物賃貸借契約に影響を及ぼさず、被上告人に対する賃貸人たる地位をそのまま保持するために、訴外アーバネットは、本件建物の持分所有権譲渡と同時に、本件建物の転借人(転貸人は芙蓉総合リース株式会社)たる地位を取得したのである。
即ち、訴外アーバネットは、本件建物の持分所有権を訴状別紙目録(二)記載の人々に対し、売却譲渡したが、それであれば、被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約に影響があり、被上告人に対する賃貸人たる地位を失うことになるが、訴外アーバネットは、本件建物持分所有権譲渡と同時に、本件建物の転借人(転貸人は、芙蓉総合リース株式会社)たる地位を取得することにより、被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約を固定し、甲第三号証建物賃貸借契約に影響を及ぼさず、被上告人に対する賃貸人たる地位をそのまま保持することができたのである。
このような契約を締結し、法律関係を創設することは、契約自由の原則の範囲内であり完全に有効である。
それに、訴外アーバネットは、被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約を固定したまま、甲第三号証建物賃貸借契約には全く影響を及ぼさず、被上告人に対する賃貸人たる地位を保持したまま、平成二年三月二七日訴状別紙目録(二)記載の人々に対し、本件建物の持分所有権のみを譲渡したので、その譲渡が行なわれた後も、被上告人との関係においては、依然として訴外アーバネットが賃貸人たる地位を継続しており、訴外アーバネットは、真実(擬制ではない)の賃貸人として、賃借人である被上告人から賃料を継続して受領しており、また、真実(擬制ではない)の賃貸人として、被上告人に対し、保証金の返還債務を負担しているのである。
そして、このまま推移して、甲第三号証建物賃貸借契約が終了すれば、それまでの被上告人からの賃料は、真実の賃貸人である訴外アーバネットが全部取得し、被上告人が訴外アーバネットに預託した保証金(二〇パーセント償却後の残額)は終了した時点において、真実の賃貸人である訴外アーバネットが賃借人である被上告人に対し、返還するのである。
原判決の判示は、新所有者が、これまでの賃借人に対する賃貸人となる典型的事例に関する判例の解釈であって、本件のように訴外アーバネットと被上告人との転貸借契約を、そのまま固定して、所有権のみを譲渡する事例においては、原判決の判示するようなことにはならないのである。
従来の判例は、訴外アーバネットが被上告人に対する賃貸人たる地位を失いまたは抜ける場合であって、本件のように、訴外アーバネットが被上告人に対する賃貸人たる地位を失わず、または抜けない場合には、適用がないのである。
それに、本件は元々転貸借のケースであり、従来の判例の解釈も転貸借契約には、適用されず(大判大正九・九・二八民一四〇二頁)、賃貸人の地位が転移しないときは適用されないのである。
原判決も、「本件において、本件全体ビルが訴外アーバネットから持分権者らに売却され、更に控訴人に信託譲渡されるに際し、訴外アーバネットと持分権者らとの間及び持分権者らと控訴人との間において、従前からの賃借人である被控訴人との間の本件賃貸借契約上の賃貸人の地位は訴外アーバネットに留保することとして移転しない旨を合意しており、右売却及び信託譲渡と同時に右合意の趣旨に沿って本件契約連結の各契約が締結され、それ以後も訴外アーバネットは被控訴人に対して賃貸人としての行動をし、被控訴人も訴外アーバネットが破産するまで訴外アーバネットを賃貸人と認識して賃料を支払っていた。」と認めているのである。
二 被上告人と訴外アーバネットとの間の甲第三号証建物賃貸借契約は、訴外アーバネットが、訴外日本都市デベロップから本件ビルの所有権を譲受けても、また、訴外アーバネットが持分権者らに、持分権者らが、上告人にそれぞれ、本件ビルを売買し、または信託譲渡したことによっても、何等変更または切断されることはないのである。
従って、持分権者ら及び上告人は、訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約の貸主たる地位を承継することなく、また、その契約に基づく保証金返還債務を承継することもないのである。
右結論については、法的側面、会計または税務処理の側面、当事者の意思または認識、経済的合理性または関係当事者のニーズ並びに結果の妥当性等を総合的に勘案して判断されるべきである。
1 本件について、法的側面を考えて見ると、訴外アーバネットが持分権者らに、持分権者らが、上告人に、それぞれ本件ビルを売買し、または信託譲渡しても、訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約は、何等変更また切断されることなく継続しているのである。
訴外アーバネットは、本件ビルを売却した後も依然として、被上告人に対する賃貸人の地位にあり、従来と変わりなく賃料債権を有し、保証金返還債務を負担しているのである。
一方持分権者ら及び上告人は、被上告人と建物賃貸借契約を締結したことはなく、また、保証金の返還債務を負担する旨の約束をしたことはないのである。
従って、訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約が終了したときは、訴外アーバネットが被上告人に保証金を返還することになっているのである。
被上告人の指摘している昭和一一年一一月二七日大審院判決は、所有権を譲渡することによって、譲渡人が賃貸人たる地位を失わない、本件の場合には該当しないのである。
2 本件について、会計または税務処理の側面を考えて見ると、会計処理として、被上告人の会計帳簿には賃料の支払先が訴外アーバネットと記帳され、また、保証金の預託先も訴外アーバネットと記帳されており、被上告人の会計帳簿に持分権者ら及び上告人の名前は何処にも記帳されておらず、振替え処理もなされていないのである。
一方訴外アーバネットの会計帳簿には、賃料の請求先が被上告人と記載され、また、保証金の受入も被上告人からとなっており、従って、訴外アーバネットが保証金の返還債務を負担している旨の記載がなされており、その賃料請求権及び保証金返還債務を持分権者らまたは上告人に変更または承継させる旨の記載は一切なされていないのである。
それに、持分権者ら及び上告人の会計帳簿にも、被上告人に対する賃料請求債権は計上されておらず、また、保証金返還債務の記帳はなされていないのである。
更に、税務署は、被上告人からの賃料を、本件ビル売買の前後を問わず、訴外アーバネットの法人所得と認定し、訴外アーバネットから法人税を徴収しており、持分権者らまたは上告人の法人所得または個人所得としてはいないのである。
そして、税務処理の側面からも本件保証金返還債務は、本件ビル売買の前後を問わず、訴外アーバネットが負担したままになっており、持分権者らまたは上告人が本件保証金返還債務を承継したことにはなっていないのである。
もし、持分権者らまたは上告人が本件保証金返還債務を承継するとすれば、持分権者らまたは上告人の法人所得または個人所得に変動が発生しなければならないことになるが、税務署は持分権者らまたは上告人の法人所得または個人所得が変動することはないものと認定しているのである。
3 本件について、当事者の意思または認識として、持分権者ら及び上告人がアーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約及び本件保証金返還債務を承継していないことは、明らかである。
4 本件について、経済的合理性または関係当事者のニーズについては、証人岩田忠雄の尋問調書及び乙第一〇号証の一、二ないし乙第二一号証並びに乙第二四号証ないし乙第二六号証の各種資料により明らかである。
本件は、昭和六二年頃から急速に普及したサブリースの制度であり、小口投資家に対し、オフィスビルへの投資を可能にしたものである。
我国においては、株式、ゴルフ会員権、絵画等の投資物件より、オフィスビルへの投資がもっとも有利であると考えられていたが、オフィスビルは高額であるため、上場している不動産会社であるとか、生命保険会社であるというような多額の資金または資産を有するところしか参加できなかった。
そのため、小口投資家は、最も有利なオフィスビルへの投資に参加できないという意味において苛立っていたところ、小口投資家にもオフィスビルへの投資ができる制度として、サブリースが考え出されたのである。
ただ、小口投資家がオフィスビルへ投資をするについては、いくつかの前提条件があった。
その一つが、小口投資家は、最初から最後までエンドテナントと賃貸借契約の当事者になることはなく、賃料債権を取得することもなく、また保証金返還債務を負担することはないということである。
即ち、小口投資家は、配当や物件の値上りについてのみ関心があるのであって、エンドテナントとの賃貸借契約やビル管理などわずらわしいことには関与しないということである。
原判決の判示しているとおり、小口投資家がエンドテナントと賃貸借契約の当事者にならなければならないというのであれば、サブリースそのものが成立たないことになるのである。
一方サブリースの当事者となる訴外アーバネットのような不動産会社は、賃貸借契約を固定したまま、貸主たる地位から離脱することなく、所有権のみ賃貸借契約と切り離して処分することができることになり、不動産会社は引き続き賃貸事業を継続し、賃貸事業収入や保証金等の運用益を確保できるというサブリースの利点を享受することができるようになったのである。
また、被上告人のようなエンドテナントは、賃貸借契約が固定され、訴外アーバネットのようなサブリースの当事者が賃貸借契約の貸主たる地位から離脱することなく、依然として賃貸人としての地位を継続していることにより、エンドテナントの賃借人たる地位が保護されているのでエンドテナントの希望を満しているのである。
5 本件について、結果の妥当性の観点から考えてみると、訴外アーバネットが被上告人から賃料を継続して受け取り、賃貸借契約が終了したときは、本件ビルの所有権を持分権者らに譲渡していたとしても、訴外アーバネットが被上告人に本件保証金を返還するのであるから、持分権者らや上告人が本件保証金の返還に関与することは一切ないのである。
たまたま、本件については、訴外アーバネットが破産宣告を受けたため問題になっているが、法律的には破産宣告を受けると受けないとによって差異はないのである。
6 原判決の結論では、次のとおり矛盾が生じまた解決不可能な問題が発生する。
(1) 原判決の解釈によれば、上告人が賃貸人であり、被上告人が賃借人であるというが、訴外アーバネットは賃貸人ではないのか。
訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約が切れることなく継続し、訴外アーバネットが賃貸人として権利を行使し、義務を負担しているのに、原判決は、訴外アーバネットが賃貸人でないというのであろうか。
それとも、原判決は、訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約と上告人と被上告人との間の建物賃貸借契約が併存しているとでもいうのであろうか。
原判決の結論では、おかしなことになってしまうのである。
(2) 原判決の解釈によれば、上告人は、被上告人に対し、保証金返還債務を負担しているというが、それでは訴外アーバネットは、保証金返還債務を負担していないというのであろうか。
それとも、原判決は、訴外アーバネットの保証金返還義務と控訴人の保証金返還義務が併存しているとでもいうのであろうか。
もし、原判決が保証金返還義務の併存をいうのであれば、その法的根拠をどのように説明するのか全く理解できない。
(3) 原判決は、訴外アーバネットが被上告人に対し、賃貸人として賃料請求権を有し、その反面、上告人は、被上告人に対し、直接賃料請求権を有しないことについて、如何なる説明をするのであろうか。
サブリース契約が、単なるビル管理と賃料集金代行契約でないことは、東京地方裁判所平成三年(ワ)第九〇〇四号建物明渡請求事件(民事第二八部担当)で平成四年五月二五日言渡された判決(判例時報一四五三号一三九頁)により明らかであり、訴外アーバネットは単なるビル管理と賃料集金代行と新たなテナント募集代行の業者ではなく、被上告人に対する賃貸人たる地位を有するのである。
本件の場合、被上告人は訴外アーバネットに対しては賃料支払義務を負担しているが、上告人に対しては賃料支払義務を負担していないのである。
(4) たまたま、本件については、訴外アーバネットが破産宣告を受けたため、本件建物の持分所有権の譲渡が露呈したが、もし、アーバネットが倒産しなければ、本件建物の持分所有権の譲渡は露呈することなく、被上告人は、甲第三号証建物賃貸借契約に基づき、訴外アーバネットに賃料を支払い続け、右賃貸借契約が終了したときは訴外アーバネットから本件保証金の返還を受けることになるのである(もし、露呈したとしても、訴外アーバネットが倒産しなければ、結果は同じ)。
そして、訴外アーバネットが倒産したか否かによって債権、債務の帰属に変更が生ずることはあり得ないので、訴外アーバネットが破産宣告を受けて、本件建物の持分所有権の譲渡が露呈したからといって、保証金の返還債務者は、訴外アーバネットであることに変更はないのである。
それとも、原判決は、訴外アーバネットが倒産したか否かによって債権、債務の帰属に変更が生ずる、または本件建物の持分所有権の譲渡が露呈したか否かによって債権、債務の帰属が生ずるとでも解釈するのであろうか。
原判決の結論は、甚だ疑問であるといわなければならない。
(5) 原判決は、訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約が継続していると考えているのか、また途切れると考えているのか、結論が出ていないのではないかと思われる。
甲第三号証建物賃貸借契約は、転貸借契約として締結されているが、訴外アーバネットが訴外日本都市デベロップから本件全体ビルの所有権を取得したときに途切れているのか否か、また訴外アーバネットが本件建物の持分所有権を訴状別紙目録(二)記載の人々に譲渡したときに途切れているのか否かについて、本訴訟事件の基礎的且つ最重要な課題であるにもかかわらず、結論を出していないと思われるのである。
もし、甲第三号証建物賃貸借契約が途切れないで継続し、従って、訴外アーバネットが甲第三号証建物賃貸借契約の賃貸人たる地位を失わず、甲第三号証建物賃貸借契約に基づき引き続き賃料を受領しているものであるとしたら、上告人が保証金の返還義務を負担することはあり得ないのである。
またもし、甲第三号証建物賃貸借契約が途切れて継続しないとすれば、訴外アーバネットは、訴状別紙目録(二)記載の人々に対し持分所有権を譲渡した後、如何なる権利権限に基づいて、被上告人から賃料を受領していたのか法的説明ができないことになってしまうのである。
いずれにしても、原判決の結論は旧借家法第一条の立法趣旨を見誤り、その結果として同条の解釈適用を誤った違法がある。
7 それに従来の判例が、所有権の移転に随伴して貸主の地位も移転するとしているのは、新所有者による明渡請求から賃借人を守るためである。
ところが、本件では、新所有者である上告人に明渡しを請求する意思はなく、所有権移転と同時に訴外アーバネットと賃貸借契約を締結し、被上告人の使用収益を保証している。
従って、所有権移転により被上告人の使用収益が侵されることはない。
この場合、貸主の地位も移転したものとみなすべき必然性が認められない。
よって、当初の賃貸借関係は、訴外アーバネットと被上告人との間に残り、敷金(保証金を敷金と仮定した場合、以下同じ)債務は訴外アーバネットが負担する。
本来貸主の地位が所有権に随伴して移転する旨の条文なく転貸借関係を考えれば所有権と貸主の地位が分属することも一般に認められるところである。
従来の判例では、旧所有者が賃貸借関係から離脱するケースを前提に、所有権に随伴して貸主の地位及び敷金返還債務が当然に新所有者に移転することを認め、その結果、本来法的根拠のない過剰保護というべきものになっている。
敷金は、その金額が一般に区々であり、公示方法も存在しないことから、返還請求権に優先的効力を認めることは、他の債権者を不当に害することになりかねない。
借地借家法は、賃借人の保護を目的とする法律ではあるが、それは主に賃借人に継続的使用を保証する趣旨であり、敷金返還請求権に優先的効力を与えることまで想定したものではない。
特に、今日のように敷金の額が多額である場合は、差入先に対する与信行為としての色彩が濃厚であるから、これにかかる返還債務が所有権に随伴して、当然に承継されるとすることは正当ではない。
原審判決の判示によると所有権の移転を行う時点で、賃借人の同意を得ておく必要があり、これを欠く場合は、賃借人がその事実を知ったのち、いつでも旧所有者、新所有者のいずれを貸主とするか自由に選択できるかのようであるが、これは、法律関係を著しく複雑にするものである。
また賃借人の同意に関しても、それが賃借人の法律関係にどのような影響を与えるのかにつき、どこまで説明を行ったうえで同意を得る必要があるのかが不明であり、原審判決の理論のままでかかる説明を詳細に行うなら、むしろ、同意を与える賃借人は皆無となってしまうであろう。
転貸借の場合、転貸借人が倒産しても信義則を媒介としながら、民法第三九八条と借家法の全趣旨を踏まえて、転借人の継続的な使用収益をはかることが可能であるから、所有権の移転に随伴して貸主の地位が移転する必然性はないのである。
8 本件については次の判例を斟酌されるよう願います。
新所有者へ建物の賃貸借が承継されたことを承認した賃借人は、その敷金の承継も承諾したものである(大正一三年一二月二日東地民一一判・大正一〇年(ワ)二五四一号新聞二三八一号一七頁)というが、被上告人は特に承認手続きをしているとは認められない。
家屋賃貸借は、新所有者に継承されるから特別事情の主張立証のない限り、新所有者は、賃借人に対し、敷金を返還すべき義務がある(昭和四年五月二七日東区判・昭和三年(ハ)八一七〇号、新報二一三号二七頁)というが、本件については特別事情の主張立証のあるケースと認定すべきである。
賃貸借契約の目的建物の新所有者は、その契約に付随する敷金契約上の権利関係を承継しない(昭和二年一月二六日大阪地民三判・大正一五年(ク)一八九六号、新聞二六五七号四頁・評論一六巻民法六七六頁)。
賃貸借の目的である建物の新所有者が、賃貸人より敷金の償還を受けず、かつ償還請求権の行使につき過失のないときは、敷金提供者に対して敷金を返還すべき義務を負わない(昭和一一年三月二日東区判・昭和一〇年(ハ)五九七〇号、新聞三九七一号四頁・新報四三三号二七頁)。
第三点 <省略>