最高裁判所第一小法廷 平成7年(オ)637号 判決 1998年9月10日
上告人
シャネル エスアー
右代表者
アルフレッド
ヘール
右訴訟代理人弁護士
田中克郎
同
松尾栄蔵
同
伊藤亮介
同
宮川美津子
同
石原修
同
髙市成公
同
千葉尚路
同
山口芳泰
同
森﨑博之
同
中村勝彦
同
升本喜郎
同
寺澤幸裕
同
赤澤義文
同
長坂省
被上告人
杉村静子
右訴訟代理人弁護士
中嶋親志
主文
一 原判決中、「スナックシャネル」及び「スナックシャレル」の表示の使用差止請求並びに右表示の使用に係る損害賠償請求に関する部分を破棄する。
二 前項の差止請求に関する部分について被上告人の附帯控訴を棄却する。
三 第一項の損害賠償請求に関する部分を東京高等裁判所に差し戻す。
四 上告人のその余の上告を棄却する。
五 第二項に関する附帯控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とし、第四項に関する上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人田中克郎、同松尾栄蔵、同伊藤亮介、同宮川美津子、同石原修、同髙市成公、同千葉尚路、同山口芳泰、同森﨑博之、同中村勝彦、同升本喜郎、同寺澤幸裕、同赤澤義文、同長坂省の上告理由第一について
一 本件は、上告人が被上告人に対し、被上告人が上告人の営業表示として周知である「シャネル」と類似する営業表示を使用して上告人の営業と混同を生じさせているとして、「シャネル」「シャレル」その他「シャネル」に類似する表示の使用差止め及び上告人が被った損害の賠償を求めている訴訟である。
原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 上告人は、「シャネル」の表示が付された高級婦人服、香水、化粧品、ハンドバッグ、靴、アクセサリー、時計等の製品の製造販売等を目的とする企業により構成される企業グループ(以下「シャネル・グループ」という。)に属し、「シャネル」の表示等につきシャネル・グループの商標権等の知的財産権を有し、その管理を行うスイス法人である。
2 シャネル・グループは、いわゆるパリ・オートクチュールの老舗として世界的に知られ、シャネル・グループに属する世界各地の会社の営業表示である「シャネル」の表示は、我が国においても、昭和三〇年代の初めころには周知となり、シャネル製品は、一般消費者に高級品のイメージを持たれるものとなっている。なお、シャネル・グループの属するファッション関連業界の企業は、飲食業にも進出するなど、その経営が多角化する傾向にある。
3 被上告人は、昭和五九年一二月、千葉県松戸市内の面積約三二平方メートルの賃借店舗において、「スナックシャネル」の営業表示を使用し、サインボードにこれを表示して飲食店を開店した。同店は、被上告人の外に従業員一名及びアルバイト一名が業務に従事し、一日数組の客に対し酒類と軽食を提供しており、昭和六一年から平成四年までの年間平均売上高は約八七〇万円程度であった。被上告人は、本件訴訟が提起された後である平成五年七月、右飲食店に使用していたサインボード四枚のうち一枚の表示を「スナックシャレル」に変更したが、残り三枚のサインボードについては、現在でも「スナックシャネル」の表示を使用している(以下、この二つの表示を合わせて「被上告人営業表示」という。)。
二 原審は、右事実関係の下において、(1) 被上告人営業表示は、いずれも「シャネル」の表示と類似するが、(2) 被上告人の営業の種類、内容、規模等に照らすと、被上告人が被上告人営業表示を使用することにより、一般の消費者において、被上告人がシャネル・グループと業務上、経済上又は組織上何らかの関係が存するものと誤認するおそれがあるとは認め難く、被上告人営業表示の使用がシャネル・グループの営業上の施設又は活動と混同を生ぜしめる行為に当たるものと認めることはできないと判示して、上告人の請求を棄却した。
三 しかしながら、原審の右判断のうち(2)の部分は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
旧不正競争防止法(平成五年法律第四七号による改正前のもの。以下、これを「旧法」といい、右改正後のものを「新法」という。)一条一項二号に規定する「混同ヲ生ゼシムル行為」とは、他人の周知の営業表示と同一又は類似のものを使用する者が自己と右他人とを同一営業主体として誤信させる行為のみならず、両者間にいわゆる親会社、子会社の関係や系列関係などの緊密な営業上の関係又は同一の表示の商品化事業を営むグループに属する関係が存すると誤信させる行為(以下「広義の混同惹起行為」という。)をも包含し、混同を生じさせる行為というためには両者間に競争関係があることを要しないと解すべきことは、当審の判例とするところである(最高裁昭和五七年(オ)第六五八号同五八年一〇月七日第二小法廷判決・民集三七巻八号一〇八二頁、最高裁昭和五六年(オ)第一一六六号同五九年五月二九日第三小法廷判決・民集三八巻七号九二〇頁)。
本件は、新法附則二条により新法二条一項一号、三条一項、四条が適用されるべきものであるが、新法二条一項一号に規定する「混同を生じさせる行為」は、右判例が旧法一条一項二号の「混同ヲ生ゼシムル行為」について判示するのと同様、広義の混同惹起行為をも包含するものと解するのが相当である。けだし、(一) 旧法一条一項二号の規定と新法二条一項一号の規定は、いずれも他人の周知の営業表示と同一又は類似の営業表示が無断で使用されることにより周知の営業表示を使用する他人の利益が不当に害されることを防止するという点において、その趣旨を同じくする規定であり、(二) 右判例は、企業経営の多角化、同一の表示の商品化事業により結束する企業グループの形成、有名ブランドの成立等、企業を取り巻く経済、社会環境の変化に応じて、周知の営業表示を使用する者の正当な利益を保護するためには、広義の混同惹起行為をも禁止することが必要であるというものであると解されるところ、このような周知の営業表示を保護する必要性は、新法の下においても変わりはなく、(三) 新たに設けられた新法二条一項二号の規定は、他人の著名な営業表示の保護を旧法よりも徹底しようとするもので、この規定が新設されたからといって、周知の営業表示が保護されるべき場合を限定的に解すべき理由とはならないからである。
これを本件についてみると、被上告人の営業の内容は、その種類、規模等において現にシャネル・グループの営む営業とは異なるものの、「シャネル」の表示の周知性が極めて高いこと、シャネル・グループの属するファッション関連業界の企業においてもその経営が多角化する傾向にあること等、本件事実関係の下においては、被上告人営業表示の使用により、一般の消費者が、被上告人とシャネル・グループの企業との間に密接な営業上の関係又は同一の商品化事業を営むグループに属する関係が存すると誤信するおそれがあるものということができる。したがって、被上告人が上告人の営業表示である「シャネル」と類似する被上告人営業表示を使用する行為は、新法二条一項一号に規定する「混同を生じさせる行為」に当たり、上告人の営業上の利益を侵害するものというべきである。
四 そうすると、原判決中、これと異なる判断の下に、被上告人営業表示に関する上告人の使用差止め及び損害賠償の請求を棄却すべきものとした部分には、法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点に関する論旨は理由があり、その余の上告理由につき判断するまでもなく、原判決中、右請求に関する部分は破棄を免れない。そして、以上の説示によれば、第一審判決中、被上告人営業表示の使用差止請求を認容した部分は正当であるから、被上告人の附帯控訴はこれを棄却すべきであり、右表示に係る損害賠償請求に関する部分については、損害額について更に審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すのが相当である。また、被上告人営業表示を除くその余の表示は、被上告人が現に使用しているものではなく、これが使用されるおそれについての主張立証もないので、原判決中、右表示に関する請求を棄却すべきものとした部分は、結論において正当であるから、上告人のその余の上告を棄却することとする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官藤井正雄 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官大出峻郎)
上告代理人田中克郎、同松尾栄蔵、同伊藤亮介、同宮川美津子、同石原修、同髙市成公、同千葉尚路、同山口芳泰、同森﨑博之、同中村勝彦、同升本善郎、同寺澤幸裕、周赤澤義文、同長坂省の上告理由
第一 原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈の違背がある。即ち、原判決は、平成五年法律第四七号(以下「改正法」という)制定前の不正競争防止法(以下「旧法」という)第一条第一項第二号における「混同」の解釈を明らかに誤っている。以下詳述する。
一 原判決の結論
原判決は、被上告人が使用する「スナックシャネル」もしくは「スナックシャレル」という営業表示(以下、総称して「本件営業表示」という)は、上告人及びフランス国法人シャネルエス アー等他のシャネル社(以下、上告人やこれらの会社を総称して「シャネル社」という)の周知の営業表示である「シャネル」(以下「シャネル営業表示」という)と類似することを認め、かつ、旧法一条一項二号にいう「混同を生ぜしめる行為」は、他人の周知の営業表示と同一又は類似のものを使用する者が、自己と右他人とを同一営業主体と誤認させる行為のみならず、両者間にいわゆる親会社、子会社の関係や系列関係などの緊密な営業上の関係あるいは同一のグループに属する関係が存するものと誤信させる行為を包含し、両者間に競争関係があることを要しないものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五八年一〇月七日第二小法廷判決、民集三七巻八号一〇八二頁。同裁判所昭和五九年五月二九日第三小法廷判決、民集三八巻七号九二〇頁)との判断をしながらも、被上告人の営業表示の使用によっては、シャネル社の営業との混同が生じていないと結論づけている。
しかし、本件は、以下詳述するように、これまでの判例の積み重ねにより、混同が生じていると判断されてきた事案と同種の事案であることは明らかである。
したがって、原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈の違背(判例違背を含む)がある。
二 判例の流れ
1 これまでの裁判例では、他人の周知の営業表示と同一、又は、類似の営業表示を使用している場合において、①「ヨドバシカメラ」とポルノショップとの間に混同を認めた事例(東京高等裁判所昭和五七年一〇月二八日判決・無体集一四巻三号七五九頁、最高裁判所第二小法廷昭和五八年一〇月一四日判決・特企一八〇号一一頁)、②「ニナリッチ」とノーパン喫茶との間に混同を認めた事例(東京地方裁判所八王子支部昭和五九年一月一三日判決・判時一一〇一号一〇九頁)、③「ウォルト ディズニー プロダクションズ」とセックスショップとの間に混同を認めた事例(東京地方裁判所昭和五九年一月一八日判決・判時一一〇一号一〇九頁)、④「ソニー」と貸金業者との間に混同を認めた事例(東京地方裁判所昭和五九年三月一二日判決・判タ五一九号二五八頁)、⑤「ダンヒル」と飲食店の間に混同を認めた事例(東京地方裁判所昭和六一年一一月一四日判決・特企二一七号八八頁)、⑥「シャネル」とラブホテルの間に混同を認めた事例(神戸地方裁判所昭和六二年三月二五日判決・無体集一九巻一号七二頁)、⑦「シャネル」とラブホテルの間に混同を認めた事例(福岡地方裁判所昭和六二年九月二四日判決・昭和五九年(ワ)第六三号)、⑧「ザ ウォルトディズニー カンパニー」とパチンコ店の間に混同を認めた事例(福岡地方裁判所平成三年七月一九日判決、平成二年(ワ)第一七三二号)、⑨「シャネル」と貸おしぼり業者の間に混同を認めた事例(大阪地方裁判所平成四年一〇月二九日判決・特企二九〇号六五頁)等多々存在する。
2 裁判所は、旧法第一条第一項第二号の要件である「混同」が認められる範囲を、時代の要請により次第に拡大してきている。
まず、「混同ヲ生ゼシムル行為」は、他人の周知の営業表示と同一又は類似のものを使用する者が、同人と右他人とを同一の営業主体と誤信させる行為のみならず、両者間に、いわゆる親子会社の関係や系列関係などの緊密な営業上の関係が存するものと誤信させる行為をも包含するものと解釈されるようになり、最高裁判所も、旧法の「混同」概念にはこの広義の混同が含まれるという点を認めている(マンパワー事件 最高裁判所昭和五八年一〇月七日第二小法廷判決・民集三七巻八号一〇八二頁、フットボール・チーム事件最高裁判所昭和五九年五月二九日第三小法廷判決・民集三八巻七号九二〇頁)
さらに、営業表示の出所表示機能や品質保証機能のみならず、広告宣伝機能、顧客を引きつける良いイメージが重要視され、強い顧客吸引力や広告宣伝機能をもつ著名表示のただ乗りや稀釈化という問題が発生すると、裁判所はこの問題に対処するために、不正競争防止法の「混同」概念を拡大し、広く混同の存在を認めてきた。1に列記した各判例は、このような事態に対処するための裁判所の努力の歴史を物語るものであって、著名表示のただ乗り、稀釈化行為をできる限り規制の対象に取り込む法技術として、既に定着しているものである。
3 なお、1記載の事件のうち、⑥、⑦及び⑨は、上告人が原告になっているものであるが、⑥においては、「原告[スイス法人シャネル エスアー]と被告[「ホテルシャネル」の名称を使用してラブホテルを経営する興栄商事株式会社]とはその業種を全く異にし、当面競業関係に立つことはないものと認められる。しかしながら、原告の属するファッション関連業界においても経営が多角化する傾向にあり、著名なデザイナーの名を冠したいわゆるブランド商品が多数出回っている現状に思いを致すとき、少なくとも一般消費者において本件ホテルが原告らシャネルグループと業務上、経済上又は組織上何らかの連携関係のある企業の経営に係るものと誤認する恐れを否定することは出来ず、したがって、「ホテルシャネル」の名称を使用して本件ホテルの経営をした被告の行為は、原告の営業上の施設又は活動と混同を生じさせるものと認められる。」と判示しており、⑦においては、「……本件についてみるに、……現在ファッション関連の企業の多くは、服飾品に限らず、家庭用品、室内装飾その他多数の商品を手掛け、また、有名なファッション・デザイナーがホテルの客室のインテリアをデザインするなど原告[スイス法人シャネル エス アー]の属する業界でも企業活動の多角化が顕著であることが認められ、このような産業界の一般的状況に加え、前記一で認定した本件表示の周知の程度や前記二で認定した原・被告[「ホテル シャネル」という名称のラブホテルを経営するシャネル興産株式会社]の営業表示の近似性等の諸般の事情を勘案すると、一般消費者において、被告又は本件ホテルが原告の属するグループと営業上何らかの緊密な関係が存するものと誤認するおそれがあることは否定し難く、被告の本件各行為は、原告の営業上の施設又は活動と混同を生じさせる行為に当たるものと認められる。」とした上で、原・被告間の営業目的に共通性がないことは混同の要件事実ではなく、シャネルグループの取り扱っている商品は、香料類、化粧品及びいわゆるブティック商品に限られており、同グループとしては、現在のところ、他の分野、特に被告の属するホテル業界に進出する計画はなく、したがって、当面、原・被告が営業上競争関係に立つことがないことは、双方の表示に「広義の混同」が存在することと何等矛盾するものではない、と判示している。また、⑨においては、「今日の経営の多角化現象の下においては、一般に、著名な営業表示と類似の営業表示を使用する者は右著名な営業表示の主体と何らかの業務上、組織上の関係があるのではないかとの印象を第三者に対して与えるものと認めるのが相当である。」とした上で、「原告[スイス法人シャネル エス アー]・被告[貸おしぼり業を営むシャネル株式会社]間の現実の事業内容は異なっていても、被告が被告営業表示を使用して貸おしぼり業を営むとき、一般消費者もしくは需要者において、原告・被告間に何らかの緊密な業務上、組織上の関係があると考えるおそれ、すなわち広義の混同が生じるおそれがあるというべきである(シャネル・グループがその営業の範囲を現在の事業分野にのみとどめ、これを拡張する意図を有していないとの認識が、広く一般消費者や需要者の間に浸透しているとは認められない。)」とした上で、「被告における被告営業表示の使用は、前判示のとおり原告を含むシャネル・グループが創業以来の積年の企業努力及び多額の投資によって獲得した原告営業表示の顧客吸引力(信用)ないし指標力(営業主体表示力)を希釈化させ、原告を含むシャネル・グループの積年の企業努力と宣伝活動によって得られた右表示のイメージにただ乗りし、これを不当に利用利得するものと言わざるを得ない。被告営業表示の使用により、原告を含むシャネル・グループの投下資本の回収が阻害され実質的に原告を含むシャネル・グループの営業上の利益が害されるおそれのあることは明らかである。」と判示している。
このように、これまでの裁判例においては、上告人の属する業界が経営を多角化していることから、上告人を含むシャネル社がその営業の範囲を現在の事業分野にのみとどめ、これを拡張する意図を有していないとの認識が、広く一般消費者や需要者の間に浸透していることが認められない以上、混同が認められているのである。
4 さらに、例えば、他人の周知の営業表示と類似する標章を使用する店舗が、当該他人及びその他のグループとは関係ありません、との記載をしている場合にさえも、かかる記載をしたからといって、当該営業表示と要部を同一とする各表示の使用という客観的事実は何ら左右されるものではない、として混同が生じていると認定している裁判例さえあるのである(リッツ事件、東京高等裁判所平成五年三月三一日判決・平成四年(ネ)第一六九三号)。また、前記⑧の福岡地方裁判所平成三年七月一九日判決においても、他人の著名表示を使用した商号ないし営業表示とともに当該他人とは資本・業務提携等一切ないことを表示した看板、のぼり、垂幕等を設置していた場合でさえも、注意して読む必要があるものであり、誤認混同を防止するのに十分であるとはいえず、誤認混同のおそれはなお認められると判断しているのである。
5 以上のような判例の流れからすれば、本件の場合もまた、不正競争防止法上の「混同」が生じていると解釈されるべき事案である。
三 原判決の認定方法
原判決は、「被控訴人の営業の種類、内容及び規模等に照らすと、被控訴人が本件営業表示を使用することにより、被控訴人が、パリ・オートクチュールの老舗として世界的に知られ、高級婦人服を始めとして、高級品のイメージが持たれている前記二項の商品を取り扱うシャネル社と業務上、経済上あるいは組織上何らかの関係を有するものと一般消費者において誤認するおそれがあるとは到底認め難く、したがって被控訴人の本件営業表示の使用がシャネル社の営業上の施設又は活動と混同を生ぜしめる行為に当たるものと認めることはできない。」と判断している(一〇丁)。しかし、原判決は同時に、シャネル社の属するファッション関連業界においても、例えば外食産業に進出するなど経営が多角化する傾向にあることを認めている(一一丁)。ここで、被上告人の営業はスナックという外食産業に含まれる営業であることからすれば、被上告人の本件営業表示の使用は、シャネル社の営業と混同を生ぜしめるおそれがあると判断されるのが当然の帰結である。
ところが、原判決は、「被控訴人は、昭和四二年に離婚し、パートタイマーとして働きながら子育てをしたのち、昭和五九年一二月に肩書住所地の小さな飲食店が密集する古びた建物の二階部分に店舗を賃借して(賃料月額一二万三六〇〇円)、飲食店「スナックシャネル」を開店したこと、開店資金は約三〇〇万円を親戚から借財して賄ったこと、店舗の面積は約三二平方メートル(約9.8坪)であること、同店は、一日に数組の客に対し酒類と軽食を供し、カラオケ設備を設けていること、同店には、被控訴人のほか、従業員一名とアルバイト一名が従事していること、同店の昭和六一年から平成四年までの間の一年間の平均売上高は約八七〇万円程度であることの各事実が認められる。」と認定したうえで(一〇丁)、右認定の被上告人の営業の種類、内容及び規模等に照らして一般消費者における「誤認の虞」を否定しているものである。原判決の認定事実は、つまるところ「スナックシャネル」の営業が小規模であるということと、被上告人に離婚歴があり、女手一つで子育てをし、親戚から借財をして開店資金を賄ったこと等不正競争防止法上の「混同」の有無の判断にはおよそ無関係な被上告人の個人的事情の二点に重点を置き、被上告人の営業の種類及び内容がスナックという外食産業に含まれる営業であるという重要な要素を軽視しているのである。
(一) このように、原判決は不正競争防止法上の「混同」の有無の判断には全く無関係で、かつ、店舗の外観からは全く把握することのできない被上告人の個人的事情を判断材料にしていることは明らかであって、極めて不当・違法である。
(二) 以上の被上告人の個人的事情を除くと、原判決は、被上告人の営業の規模の小ささのみで、一般消費者がシャネル社の営業と被上告人の営業の間に、業務上、経済上あるいは組織上何らかの関係を有すると誤認するおそれはないと判断しているものである。
しかし、被上告人のような、飲食店の平均年間売上高は一三八五万三〇〇〇円、平均従業員総数は3.05人(総務庁統計局編「個人企業経済調査年報」平成三年度)であり被上告人の営業はこの業種としては特に小規模だとはいえないこと、そうであれば、原判決のような判断をすれば、スナックという業態の営業と著名表示の営業との間には混同が生じる可能性が全くなくなり、極めて不当である。
(三) 原判決は、被上告人の営業の規模の小ささ、すなわち、店舗面積、従業員数、顧客数、売上高等から、判断して、上告人と業務上、経済上あるいは組織上何らかの関係を有するものと一般消費者が誤認する虞れがないと判断している。
しかし、被上告人は、店外に大きな看板を掲げており、外見からは、店舗面積、従業員数、顧客数、売上高などは明らかではないものである。すなわち、一般消費者が誤認する虞れがあるかを判断するに当たって、例えば、顧客数が少ないことは判断の一材料にはなっても、その全てではない。かかる形態の営業表示の冒用行為については、同店の顧客が少ないとしても、その顧客のみが一般消費者ではない。駅前通りにある被上告人店舗の外にある看板を見る多数の通行人一般もまた一般消費者なのである。
そして、誤認混同のおそれを判断するにあたっては、一般人の認識・判断を基準にすべきであるが、一般人とは常に必ずしも冷静な良識ある経済人ではないのである。確かに、シャネル社は、パリ・オートクチュールの老舗として世界的に知られ、高級婦人服を始めとして、高級品のイメージを持たれている商品を取り扱っているものではある。しかし、日本における特に若者の近時のブランド指向、昨今の高級品の一般家庭への普及等を考えると、それぞれの呼称、外観の類似性を重視して、一般人のいわば第一印象として同一のものあるいは関連性があるものと感じられるか否かにより、誤認混同のおそれを判断すべきである。
そうであれば、シャネル社の属するファッション関連業界においても経営が多角化し、飲食業界にも進出する傾向にあり、著名なデザイナーの名を冠したいわゆるブランド商品が多数出回っている現状に思いを致すとき、一般消費者において、シャネル社の実際の営業範囲がどの範囲までなのか確定的認識を有しているかも疑わしく、かつ、シャネル社がその営業範囲を現在の事業分野にのみとどめ、これを拡張する意図を有していないとの認識が広く一般消費者の間に浸透していない以上、少なくとも一般消費者において本件スナックがシャネル社と業務上、経済上又は組織上何らかの連携関係のある企業の経営にかかるものと誤認する虞れを否定することはできず、従って、本件営業表示を使用して本件スナックを経営した被控訴人の行為は、シャネル社の営業上の施設又は活動と混同を生じさせるものといえるのである。
なお、シャネル社の香水・化粧品を販売するために日本国法人シャネル株式会社が百貨店等に出店し、一般消費者が目にすることの多いシャネル香水・化粧品コーナーの売場面積は平均約一〇坪程度であり、被控訴人の営業規模と大差はない。
(四) また、原判決のような判断に基づけば、高級イメージを有する著名営業表示を零細企業が新法施行以前から使用していれば、それは野放しにせざるを得なくなる。小規模な営業に著名営業表示が使用された場合には、著名表示の有する良質なイメージと合致せず、かかる表示の有する顧客吸引力及び広告宣伝機能が汚染され減殺される虞れは却って高くなる。また、小規模な営業であっても、それらが、多数にのぼる場合は、一般消費者が著名表示を街中で頻繁に目にすることになり、著名表示のイメージが薄れ、顧客吸引力が低下することは避けられない。したがって、営業規模が小さいからといって、このような不正使用を放置すると顧客吸引力の低下や著名表示の識別力の稀釈化が益々大きくなる可能性が高いのである。原判決は、かかる不当な結論を回避するために裁判所がこれまで行ってきた不正競争防止法の解釈と大きく矛盾するものであり、従来の先例・解釈を根底から覆すものであって、きわめて不当である。
四 改正法との関係
1 原判決自体も原判決の解釈のようにシャネル社の営業を被上告人の営業の間に混同が生じないという解釈をすると「他人の著名な営業表示の有する信用や経済的価値を自己の営業に無断で利用することや、他人の著名な営業表示を利用することによって、その著名な営業表示の品質保証機能、宣伝広告機能、顧客吸引力を稀釈化することを禁止することができず、著名な営業表示を有する者の保護に欠ける場合が生じることを否定できない」と言ってかかる解釈の不当性を認めた上で、旧法の条文の解釈としてはやむを得ないものであり、かつ、「右のような問題点は、平成五年法律第四七号が制定され、著名表示冒用行為については混同を要件としないものとして規定されたことにより解決されたところである」と断言している。
2 しかし、改正法には、経過措置を定める付則第三条第一号があり、改正法施行前から継続する、他人の商品又は営業と混同を生じさせることのない他人の著名表示の冒用行為については、改正法の規定に基づき侵害行為の停止や損害賠償を請求できない旨定められている。
3 従って、原判決のように改正前の不正競争防止法を解釈すると、平成六年五月一日より以前から他人の著名表示を冒用して営業を継続しているものに対しては、不正競争防止法上は、何等の法的手続もとることができなくなり、かかる不正使用者が営業を継続する限り、著名な営業表示の品質保証機能、宣伝広告機能、顧客吸引力が稀釈化され続けるのである。
そして、かかる商標の有する機能の稀釈化は、侵害者が零細であれば起こらないというものではなく、逆に、不正使用者が零細であればあるほどその不正使用は著名表示の持つ本来のイメージから大きくかけ離れたものとなり、稀釈化の程度は著しくなるのである。
4 改正法が、著名表示の冒用を新たに不正競争に位置づけた(二条一項二号)理由は、「自社イメージの維持向上に係る企業努力を保護するため著名ブランド等を使用する行為を、……新たに差止、損害賠償等の民事請求の対象とすることとしております。」(第一二六回国会・不正競争防止法案提案理由)とされているように、ブランド保護の努力にも拘わらず、高い信用・名声・評価を有する著名表示の財産的価値が侵害されている事案が多々あり、その場合に混同が生じているか否かは必ずしも重要ではないので、混同を要件とすることなく、著名表示であること自体によって、差止等を認めるためである。そして、この法改正は、改正前から不正競争防止法上の「混同」の要件を広く解釈することによって救済してきた事例を明文化し、追認したものであって、改正法により全く新たに創設された権利保護の態様ではない。
このように、著名表示の保護を強化しようとする時代の趨勢に逆らって、これまでの裁判例が築き上げてきた解釈を一変させ、却って著名表示の保護を薄くする原判決の法解釈は、新旧両法の連続性を失わせ、法的安定性を欠くことにもなり極めて不当であり、法解釈の違法があること極めて明白である。
五 以上のように、原判決は、「混同」の解釈を誤っているものであり、かつ、最高裁判所昭和五八年一〇月七日第二小法廷判決(民集三七巻八号一〇八二頁)及び同裁判所昭和五九年五月二九日第三小法廷判決(民集三八巻七号九二〇頁)等の確定判例を引用しながら、その実、これら判例の趣旨に反する判断をしているものである。
第二 上告人の民法七〇九条に関する主張についての審理不尽の違法について
一 被上告人の行為は、シャネル社が長年にわたって築き上げてきた声価の表現と見るべき営業表示を無断且つ無償で使用しているものであり、かかる行為は、自由競争の限界を逸脱し取引秩序を乱す反倫理的行為として信義則に反するものであり、上告人は被上告人に対して不法行為に基づく損害賠償請求権を有することは明らかである。然るに、原判決は、不正競争防止法に関する判断をしたのみで、判決書第二「主張」、一「請求の原因」8において上告人が民法七〇九条による主張をしていることを認定しつつも、右上告人の民法に関する主張には全く判断を示すことなく、上告人の控訴を棄却している違法がある。
二 シャネル社は、長年にわたり、シャネル営業表示のもとで、商品の品質を高度に維持し、卓越したデザインを生み出し、かつ、優れた広告宣伝を行うことにより、シャネル営業表示に対する顧客の信用及び信頼を獲得し、かつ、シャネル営業表示に対する高級なイメージを形成してきた。さらに、シャネル社は、シャネル営業表示に化体している名声、信用及び評価並びに高級なイメージから生まれる顧客吸引力を維持するために、不断の努力を行っている。
すなわち、シャネル社は、日本におけるシャネル営業表示の著名性及び顧客吸引力の維持及び強化を図るために、自己の商品の広告宣伝活動に関して多大な費用を投下してきており、平成三年における日本における広告宣伝費用は、約金一七億六〇〇〇万円、平成四年には、約金一九億六〇〇〇万円、平成五年には、約金二一億七〇〇〇万円に上っている。さらに、シャネル社は、右の本来の広告宣伝の他に、「シャネル」の名称を不正使用しないように警告する広告を新聞紙上に多数掲載している。また、シャネル社は、シャネル営業表示を含むシャネル社の商品表示や営業表示を不正使用から守るために、早くから工業所有権及び著作権の国際的保護を目的とするフランス公益社団法人であるユニオン・デ・ファブリカンに加盟し、年会費を支払いその活動を援助したのみならず、現在に至るまで、自ら前記シャネル株式会社を通じて、専門のスタッフを置いて日本全国にわたりシャネル社の商品表示や営業表示の不正使用に関する調査を行い資料を収集している。シャネル社が不正使用者を発見した場合は、警察及び検察庁に対して刑事告訴を行ったり、弁護士を通じて不正使用中止を求める内容証明郵便による警告書を送付し、さらに、仮処分申請や本訴の提起を含む民事手続を行うなど、直ちに必要な措置を取り、自己の商品表示や営業表示の保護・管理に多大な労力と時間を費やしてきた。たとえば、シャネル社は平成三年には調査の結果発見した不正使用者を撲滅するための活動計画を立て、弁護士を通じてシャネル営業表示を店舗名に使用することの中止を求める警告書を約九〇店に送付し不正使用中止を求める交渉を行っており、平成六年にはさらに同様の警告書を一〇〇店以上に送付した。また、現時点でシャネル社の調査が完了し警告書の発送を予定している店舗は約二〇〇店以上存在する。使用中止を求める右交渉の中で、円満解決に至らず、やむを得ず民事訴訟を提起した事案はこれまで六件あり、本訴もその内の一件である。
このようなシャネル社の不断の努力にも関わらず、シャネル営業表示をスナック、バー、美容室、衣料品店その他の店舗の名称に使用する者は依然全国に多数存在し、さらに新たな不正使用行為もあとを絶たない。これら不正使用者は、シャネル社が多大な労力や費用を費やして獲得し維持するシャネル営業表示の著名性、信用及び高級なイメージ、及びそれらにより得られるシャネル営業表示の顧客吸引力や広告宣伝機能を何らの対価を支払うことなく不正に利用して利得するのみならず、シャネル営業表示を、シャネル社に無断でシャネル社の名声やイメージに合致しない営業に用いることにより、シャネル営業表示の良質なイメージを汚染し、かつ、シャネル社とシャネル営業表示との結び付きを薄め、シャネル営業表示の顧客吸引力及び広告宣伝機能を稀釈化し、シャネル営業表示の持つ営業表示としての機能及び価値を損なうものである。
三 民法七〇九条にいう不法行為の成立要件としての権利侵害は、必ずしも法律上の明定された具体的権利の侵害であることを要せず、法的保護に値する利益の侵害をもって足りるものである。そして、シャネル社が、長年にわたり多額の費用と不断の努力によってシャネル営業表示の著名性や高級なイメージを築き上げた結果、シャネル営業表示は、個別具体の営業を離れた独自の顧客吸引力を有し、それ自体として一定の財産的価値を有するに至っている。かかるシャネル営業表示の財産的価値を利用し、シャネル営業表示がシャネル社の営業を識別する力が顧客吸引力を侵害し、さらに、シャネル営業表示の持つ高級なイメージを汚染する被上告人の行為は、公正かつ自由な競争原理によって成り立つ取引社会において、著しく不公正な手段をもちいて法的保護に値する上告人の利益を侵害するものとして、不法行為を構成する。
従って、被上告人は上告人に対し前記不法行為により上告人が被った損害を賠償する責任を免れない。
四 ところが、原判決は、「混同」が認められないので被上告人の行為は不正競争行為に該当しないと判断し、上告人の差し止め請求のみならず損害賠償請求まで棄却している。不正競争防止法は、民法の特別法として差し止め請求及び損害賠償請求の要件を規定したものであって、不正競争防止法の適用がないからといって、一概に不法行為に基づく損害賠償請求権が否定されるものではない。従って、原判決には、不法行為に基づく損害賠償義務の存否及びその額につき何ら判断していない点についても明らかな違法がある。
第三 結論
以上、何れの点からみても原判決は違法であり、破棄されるべきである。