大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 平成7年(行ツ)24号 判決 1997年1月23日

上告人

井口陸子

右訴訟代理人弁護士

藤井勲

出口みどり

山本寅之助

芝康司

森本輝男

山本彼一郎

泉薫

阿部清司

橋本真爾

出井義行

被上告人

姫路労働基準監督署長

岸本丈夫

右指定代理人

喜多剛久

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人藤井勲、同出口みどりの上告理由について

労働者災害補償保険法二七条一号所定の事業主の特別加入の制度は、労働者に関し成立している労災保険に係る労働保険の保険関係(以下「保険関係」という。)を前提として、右保険関係上、事業主を労働者とみなすことにより、当該事業主に対する同法の適用を可能とする制度である(労働者災害補償保険法二八条)。原審の適法に確定した事実関係等によれば、井口學は、土木工事及び重機の賃貸を業として行っていた者であるが、その使用する労働者を學が建設事業の下請として請け負った土木工事にのみ従事させており、重機の賃貸については、労働者を使用することなく、請負に係る土木工事と無関係に行っていたというのである。そうであれば、同法二八条に基づき學の加入申請が承認されたことによって、その請負に係る土木工事が関係する建設事業につき保険関係が成立したにとどまり、労働者を使用することなく行っていた重機の賃貸業務については、労働者に関し保険関係が成立していないものといわざるを得ないのであるから、學は、重機の賃貸業務に起因する死亡等に関し、同法に基づく保険給付を受けることができる者となる余地はない。したがって、學が業務上死亡したものとは認められないとした原審の判断は、説示中に適切を欠く部分があるが、結論において是認することができる。論旨は、原判決の結論に影響を及ぼさない部分についてその違法をいうに帰し、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官井嶋一友 裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官遠藤光男 裁判官藤井正雄)

上告代理人藤井勲、同出口みどりの上告理由

第一 本件基準(昭和五〇年一一月一四日付け基発第六七一号)解釈の誤り

――判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背

一 原審並びに第一審判決は、いずれも、労災保険の保護対策業務の特定が特別加入者の業務の性質上、申請者自身の判断による申請行為に基づかざるをえず、特別加入申請を承認するかどうかの判断も『加入申請書に記載された特別加入者の業務の具体的内容を基礎として』判断されるものであるとし、申請者の業務の内容欄の文言を極めて形式的、限定的に解釈している。

この解釈は、加入申請者が特別加入制度による労災保険金支給対象判断システムを十分に理解し、かつ記入内容に従って受け得る保険給付の内容を理解する機会が特別加入承認決定前ないしは決定直後に与えられることを前提としたものと言うべきである。

二 ところで、中小事業主等は、自ら直接労働基準監督署に加入申請することは許されず、必ず労働保険事務組合に労働保険事務の処理を委託することが必要となる(労災法二七条一号)。このため、特別加入にあたって、加入申請者は、直接労働基準監督署に手続きすることはなく、事務組合担当職員に申請書記入等の手続の詳細を委託することになる。

本件に関しても、甲第一号証二枚目の加入申請書の実際の記入者は、亡井口學ではなく、労働保険事務組合たる波賀町商工会事務職員(松尾正博又は藤元好美氏)であった。

三 亡學としては、加入当時、既に、土木請負のみならず重機類のリースも行っていたから、加入申請書の業務の内容欄に「土木作業経営全般」と記載されたことによって、加入対象業務が土木請負業のみに限定される結果になるとは到底考えていなかったと思われる。

土木請負に限定して特別加入するのであれば、加入申請書にわざわざ「土木作業経営全般」と包括的、抽象的表現を用いる必要は全くない。単純に「土木請負」、「土木作業」、「土木工事」等と記載するのがごく自然である。

「土木作業経営全般」という文言には、土木請負、土木工事に止まらず、それにまつわる関連業種も含む意味合いが込められているというべきである。

四 次に、右の加入申請に対応する甲第一号証一枚目の特別加入承認通知書を見ると、承認された保護対象業務が何であるか全く不明である。これを受け取った者をして、あなたの保護対象業務は有期事業としての土木請負のみであると注意喚起するに足る内容とは到底思えない。

右通知書に、仮に、保護対象業務が土木請負のみであると明示されていたなら、亡學は、重機類のリースについて記載されていないことを不思議に思い、調査確認し、重機類の賃貸業務についても追加して特別加入申請していたであろう。

五 とすれば、特別加入の場合には、特別加入承認された業務内容が一体何であるかの認識が、加入申請者と労働基準監督署サイドで異なる場合が多々生じうることになる。

このような場合に、双方で認識がずれることを防止し、加入申請者の利益を不当に損なわないように、労働基準監督署としては、相応の措置を講じる必要性があるにもかかわらず、本件加入当時は、加入承認通知書には、「昭和六一年五月一三日付けで申請のあった中小事業主等の特別加入については、昭和六一年五月一四日より申請のとおり承認します。」とあるのみで、『申請のあった中小事業主等の特別加入』の件が一体何であるのか全く特定されていない。少なくとも、承認された事業の概略だけでも承認通知書に記載しなければ、右のような認識のずれが生じた場合の是正の機会が申請者に全く与えられない結果となる。

六 また、特別加入申請書の記載中、労働基準監督署側が対象業務特定の判断の基礎とすると主張し、原審もそれを是認するところの「業務の内容」欄は、甲第一号証のとおり、あまりにもスペースが狭く、他に、業務内容を鮮明に説明、記載すべきスペースは全く設けられていない。

このようなあまりにも省略化された記載のみで、労働基準監督署は、加入申請者の保護対象業務について一方的に解釈、判断、特定してしまった上、その特定した内容すら本人に承認通知する際、全く知らせていないのが実際のところである。

七 以上よりすれば、特別加入申請、承認の手続自体があまりにもいい加減なものであると言いうる。そして、このようないい加減な手続きによって加入対象業務が当初の申請段階より限定して特定されてしまったがゆえに、保険給付を受けられない不利益を加入申請者に一方的に負担させるのはいかがなものか。

加入申請者は、特別加入という複雑な手続きに関しては全くの無知の素人である。申請、承認手続きの詳細な実態を検討した上で、申請を自ら記載するなどということはそもそも全く不可能である。

一方、労働基準監督署は、特別加入の申請、承認、給付手続きについて最も詳しい者であり、監督署が直接特別加入申請を受付、加入申請者から直接業務内容を聴取していたならば、本件のような事態は回避できたはずである。

監督署は、本来なら自ら直接担当すべき受付手続きを商工会等に設けられた事務組合に委託し、加入希望者は事務組合を通してしか申請できないものとすることによって、自らの事務軽減を図るという便宜利益を得ている。

事務軽減による便宜利益には常にそれにより危険、損失が伴うものである。その危険を自らは全く負担せずに、加入申請者に一方的に押しつけるのは著しく不公平である。

八 このような視点に立てば、自ずから本件基準の解釈指針は明らかである

まず、本件基準イの「特別加入の申請に係る事業」、同ホ「当該事業」の解釈にあたって、加入申請書の「業務の内容」欄の記載のみを基礎として判断されるべきではない。

同じく申請書に記載されている「事業主の氏名又は名称」「申請に係る事業の名称」も判断の基礎資料とされるべきであるし、事業の種類が明らかでない場合は、申請者に更に詳しい事業内容説明書の提出を求めるなどの手続きが必要である。

本件では、「業務の内容」欄の記載でさえ「土木作業経営全般」と非常に包括的、抽象的な表現がなされていることや、事業主の名称等も「井口重機」と、重機類のリース等も予想しうる名称になっており、いちがいに、土木請負と限定特定することのできない記載になっていたのであるから、労働基準監督署としては、当然、申請者である亡學に直接事情聴取すべき事例であった。

監督署はそれを怠った上、承認通知書に承認した事業の種類を何ら特別明示することなく送付したという重大な調査義務違反、通知義務違反が認められる。

九 特別加入制度は、実質的に労働者と変わらない危険に晒されている中小事業主等にも、労働者と同様の保障を与えるために設けられた制度である。

国側としては、一旦、制度を創設して、加入者の信頼を集めた以上、加入申請、承認、給付手続きの総体において、加入者の正当な信頼、期待を不当に裏切ることのないよう、加入申請に対応する承認内容、それによって得られる保険給付内容を加入者に予め明示して、どのような事故についてどの程度の保障が得られるのかの予測を可能とすべきである。

そのようなケアが全くなされていなかった本件加入当時(昭和六一年)においては、加入申請書の「業務の内容」欄記載の業務を可及的に広く解釈するとともに、申請書の記載全体、当時井口重機が行っていた業務の実態等を総合的に判断して、加入、保障対象業務を特定すべきであると考える。

一〇 してみれば、本件加入申請書には、「土木作業経営全般」「井口重機」と土木請負、土木工事にとどまらず、重機関係の他業種が含まれる余地のある記載がなされていること、当時の井口重機は、土木請負、土木工事に加えて重機類のリースも併せ行っていたことから、重機類のリースも加入、保護対象業務として認定すべきである。

そして、本件運搬行為は、申請書記載の労働時間外に行われているが、本件基準ホの「出張」に該当し、この場合には時間帯は制限されていないから、ホの要件を全部充足するものとして保険給付がされるべきであって、それを否定した被上告人の本件処分は違法である。

第二 労災保険手続解釈の誤り

――判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背

一 原審判決は、その「第四 当裁判所の判断 一二(三七丁裏)」で、「もっともこの点に関して、……労災保険制度の趣旨からすると、必ずしもそのようになるものではない(例えば、複数の事業につき別個に保険関係が成立している特別加入者が、その内の一つの事業で業務上の災害を被って保険関係の成立している事業全部につき休業したときは、全保険関係につき休業補償給付を受けることができるものと考えられうる。)と解されるから、右主張は採用できない。」とする。

二 これは、原審が複数の事業について重複加入すれば過大な保険料の納入が必要となる一方、事故の結果得られる保険給付は事故の原因となったそれぞれの事業についての加入金額についてのみという不当な結論を生ずるという上告人の主張に対する反論として記載されたものである。

しかし、実際の保険給付手続においては、災害の原因となった事業の加入金額に対応する保険給付しかなされず、災害の原因とはなっていない事業についての保険給付は得られないのが一般的な取扱である。被上告人側も、原審にて、原審認定のような取扱が可能との主張すら提出していない。

また、加入者の納付すべき保険料が、事故の場合に支払われる保険給付金額及び事故発生の危険性に比例して定められているという保険制度の原則からしても、加入していた中の一つの業種の事故によって、特別加入者が加入していた全ての事業についての保険給付が得られるとの結論は到底合理性を維持しえず、実際の行政実務や他の裁判所での判断として採用されるものとは到底言い難い。

このように、原審判決は、被上告人側からさえ全く主張、立証すらなされなかった解釈を、その合理性の緻密な検証や実際の取扱実態の調査を全く行わずに、いきなり判決で記載して、判決結論の正当性を根拠づけようとしたもので、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令解釈の誤りがあるというべきである。

三 そして、徴収法上、保険関係が各事業毎に成立し、保険料を各事業毎に徴収する一方、事故発生の際には、事故発生の原因となった事業以外の事業についての保険給付が得られないという結論に立った場合、一人の事業主が事故によって全面的に稼働できないこととなるのに、事故の原因となった事業の保険給付しか得られない一方、国側は、重複した保険料を徴収しながら、事故の際支出する保険給付は一部の事業についてのみという著しく不当、不公平な結論となる。これは、そもそも、特別加入制度において、各事業毎に別加入して保険料を徴収すべしとする原則自体が極めて不合理であって、労災法の趣旨を損なうものであることを示すものである。

とすれば、各事業毎に別加入して保険料を別徴収すべしとする右のような徴収法の解釈自体、上位法たる労災法の趣旨を損なうものであって認められないものというべきである。

第三 納付すべき労災保険料認定の誤り

――判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背

一 原審判決は、原審判決「第四 当裁判所の判断 一四」において、「亡學が特別加入申請書にリース業務及び右業務を含めた就業時間を事実のとおり記載していたときに、はたして給付基礎日額の決定額及び保険料の額が現実のそれらと変わらなかったものとは、必ずしも断定できない。」とする。

二 なるほど、中小事業主が複数の事業に従事している場合には、単数の事業に従事している場合に比して、事故発生の危険性が高まる場合がありうるのは否定できない。そのような場合には、保険料を割増して徴収するのも合理的と思われる。

三 しかし、中小事業主の多くの者は、複数に事業を行っている場合も、相互に密接に関連、類似している事業である場合がほとんどであり、本件井口重機の場合もしかりである。

被上告人側は、土木工事、請負と重機のリースとでは、有期事業と継続事業という保険料徴収上の相いれない重大な相違があるとして、双方を厳格に峻別、別加入の必要性を強調する。

しかし、重機類の操作を中心とする土木工事、重機のリースを行っている井口重機において、現実に事故が発生しうるのは、土木工事、請負においては、重機類の運搬並びに操作の際、リースにおいては、重機類の運搬作業の際と、土木工事、請負の際の事故が、リース業務中の事故を包含するという関係に立つ。よって、リース業を行うことになり、事故発生の危険性が質的に高まるということはない。

また、仮に、井口重機がリースを全く行わず、土木工事、請負のみ行っていたとしても、昼間、明るい時間帯を目一杯現場での作業に使用することから、現場への重機類の運搬等は、勢い、早朝、夜になることが多いと思われる。しかも、土木請負等のための重機類の運搬作業が、早朝又は夜に行われたとしても、本件基準ホの「当該事業の運営に直接必要な業務のために出張する場合」(この場合には時間的制限はない)に該当し、保険給付が認められることは明らかである。

してみれば、リース業を兼ねることにより、事故発生の危険性、ひいては保険給付必要の可能性が量的に高まることもない。

結局、リース業を兼務することによって事故発生率が増加するということはほとんど考えられないというべきである。

とすれば、特別加入申請当時、被上告人側がリース業も加入対象業務として、保険料を算定していたとしたら、土木請負、土木工事のみの場合の保険料を上回る保険料を算定、徴収すべき理由はとりたてて見受けられないのである。

四 しかも、そもそも徴収法は、特別加入の場合に、事業毎に別徴収すべしとする規定を一切設けていない。原審判決がその根拠とする徴収法三条は、『労災保険法第三条第一項の適用事業の事業主』すなわち一般加入の場合についての規定であり、特別加入の場合のものではない。

中小事業主の加入の場合に、各事業毎の別加入、別徴収を強制すれば、加入申請事務が複雑煩瑣となり、保険料の負担も大きくなることから、特別加入制度のメリットがほとんど損なわれてしまう。

中小事業主が、商工会等の地元の事務組合を窓口として、簡易な手続きで、加入当時行っている事業についての危険を全てカバーすることができるとして初めて特別加入制度を有効に機能せしめることが可能となるのである。

五 以上より、重機類のリースについて保険料を別徴収すべしとする根拠は全く見当たらず、保険料徴収に関する原審判決の解釈は判決に影響を及ぼすこと明らかな違法なものである。

第四 むすび

一 前記のとおり、本件では、加入申請書記載の業務内容は、「土木作業経営全般」と包括的、抽象的記載となっており、必ずしも重機類のリース業を排除するものではないこと、井口重機という名称からして重機類のリースも行っている可能性を認識しうること等から、重機類のリースをも保険対象業務と認定しても、決して被上告人を不測の事態に陥らせるものではない。

また、重機類のリースを併せ行ったからといって、保険料を別途徴収するか、保険料を増額すべき実質的な理由は見当たらないから、リースを対象業務と認定しても、被上告人側にとって特段の不利益はない。

二 一方、逆に、重機類のリースを対象業務外とすれば、加入当時、被上告人から、何が保護対象業務として認定されたかの告知や説明の機会すら与えられなかった上告人側が被る予想外の不利益は過大なものがある。

また、仮に、亡學が、リースについて別加入していたとしても、実際得られる保険給付は、当該リースに対応する保険金額のみであったから、別加入を強制するのはあまりにも酷というべきである。

三 以上より、本件基準解釈にあたっては、上告人側の不測の不利益を回避すべき解釈の選択こそが求められているというべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例