最高裁判所第一小法廷 平成8年(オ)718号 判決 1999年11月25日
上告人
前川聿史
右訴訟代理人弁護士
矢野博邦
被上告人
有限会社裕建設
右代表者代表取締役
田中昭三
右訴訟代理人弁護士
原田信輔
主文
原判決を破棄し、第一審判決中上告人の敗訴部分を取り消す。
前項の部分に関する被上告人の請求を棄却する。
訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
理由
上告代理人矢野博邦の上告理由第一点の二について
一 原審の適法に確定した事実及び記録に現れた本件訴訟の経過は、次のとおりである。
1 被上告人は、昭和六一年七月一八日、上告人から原判決別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)の新築工事を代金五一〇〇万円で請け負い、同年一〇月二五日にこれを完成させて上告人に引き渡した。
2 被上告人は、昭和六三年一一月一八日に本件訴訟を提起した。訴状に記載された請求の趣旨は、「上告人は、被上告人に対し、本件建物についての熊本地方法務局昭和六一年九月二〇日受付第四五六四五号所有権保存登記(以下「本件登記」という。)の抹消登記手続をせよ。」というものである。訴状の請求原因には、本件登記は、一部しか代金を支払わない上告人が被上告人から本件登記手続に必要な工事完了引渡証明書と印鑑証明書を不正に取得してしたもので、真実に反する無効なものであるから、その抹消登記手続を求める旨記載されていた。
3 被上告人は、第一審係属中の平成二年九月一九日に右請求を請負残代金請求に交換的に変更する旨の「訴変更の申立書」を提出し、同日の第一六回口頭弁論期日において、同書面を陳述した。
4 上告人は、請負代金をすべて弁済したと主張したが、第一審判決は、この主張を認めず、被上告人の請求を一部認容した。
5 上告人は、第一審判決に対して控訴し、原審第一回口頭弁論期日において、請負代金債権についてその弁済期である昭和六一年一〇月二五日から民法一七〇条二号所定の三年が経過したとして、消滅時効を援用した。
被上告人は、右消滅時効の抗弁に対する再抗弁として、本件訴訟の提起による消滅時効の中断を主張した。
二 原審は、次のように判断して、請負代金債権の消滅時効の中断を認め、上告人の控訴を棄却した。
(1) 本件訴訟提起の際の訴訟物は請負代金債権ではなかったが、被上告人は、当初から請負残代金の存在を主張し、これについて請求の意思があることを明らかにし、主たる争点も当初から請負代金の弁済の有無であり、(2) 本件訴訟提起の当初の目的は、本件建物の所有権を確保することにより、これを請負代金の担保とすることにあったと認められ、(3) 本件登記の抹消登記手続請求と請負残代金支払請求とは、請負代金全額が弁済されていれば両請求とも認められなくなるという点で密接な関係があり、(4) 第一審において、被上告人は、訴訟代理人によらず、本人で訴訟を追行したという事情の下では、本件登記の抹消登記手続を請求する訴訟の提起は、請負代金の裁判上の請求に準ずるものであるから、請負代金債権の消滅時効を中断する効力がある。仮に、本件登記の抹消登記手続請求が、裁判上の請求に準ずるものではないとしても、少なくともいわゆる裁判上の催告の効力があり、その後の訴えの変更により消滅時効が中断する。
三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
本件訴訟における当初の請求は、建物所有権に基づく妨害排除請求権を行使して本件登記の抹消登記手続を求めるものと解されるのに対し、訴え変更後の請求は、請負契約に基づく履行請求権を行使して請負残代金の支払を求めるものであり、訴訟物たる請求権の法的性質も求める給付の内容も異なっている。
そうすると、本件訴訟の提起を請負代金の裁判上の請求に準ずるものということができないことはもちろん、本件登記の抹消登記手続請求訴訟の係属中、請負代金の支払を求める権利行使の意思が継続的に表示されていたということも困難であるから、その間請負代金について催告が継続していたということもできない。
よって、請負代金債権の消滅時効の中断を認めた原審の判断は、民法一四七条の解釈適用を誤ったものというべきであり、その違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決は、その余の上告理由について判断するまでもなく、破棄を免れない。
そして、以上説示したところによれば、上告人の消滅時効の抗弁には理由があり、他に消滅時効の中断事由を主張していない被上告人の請求は、全部棄却されるべきであるから、第一審判決中上告人の敗訴部分を取り消した上、同部分に関する被上告人の請求を棄却すべきである。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官井嶋一友 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官藤井正雄 裁判官大出峻郎)
上告代理人矢野博邦の上告理由
第一点 原判決には事実認定の誤があり、その誤は、証拠の評価、採否の誤、すなわち経験則違背に基づくものであるから、判決に影響を及ぼすこと明なる法令の違背あることにあたる。
また、仮に法令の違背がないとしても、右に述べたような態様の事実認定の誤は、結局判決に理由を附せず又は理由に齟齬あるときに当たる。
以下その事由を述べる。
一 平田信雄に対する弁済について<省略>
二 時効の中断について
1 原判決は、被上告人の訴え提起は、請負残代金請求権を保全する目的であったとするが、訴状を仔細に検討すれば明らかなとおり、本件建物を詐取されたとの理由で所有権取得登記の抹消を訴求しており、請求原因中の代金支払い状況は、上告人が被上告人を欺罔した事実関係の一環として記載主張されているにすぎないので、到底代金請求権を行使する意思を有していたとはいえず、従って代金請求権保全目的の訴え提起にはあたらない。
2 また、原判決は、被上告人が訴えの変更以前にも代金請求の意思を有していたとするが、被上告人が代金未払のまま欺罔によって詐取されたとするので、上告人はこれを争って代金支払いを主張し、被上告人は欺罔の主張を根拠づけるために上告人の主張を否認することは理の当然であって、それ自体は決して請求の意思を意味しないことは法的判断以前の常識的な理解をすれば、議論の余地なく明白である。
3 それ故、また、被上告人が本件建物の所有権取得登記の抹消請求の訴え提起が請負代金弁済まで所有権を確保して担保的機能を果させようと意図したものではない。
4 そうすると、本件訴え提起当時の訴訟物と訴え変更後の訴訟物とは、建物自体の所有権の確保が法律上困難であるためこれを断念し、止むなく代金請求に変更したという関係があるにすぎない。
5 以上によれば、被上告人の主張が、本件請負代金請求権につき裁判上の催告ともなり得ない。
6 確かに訴訟物を異にしても、相互間に一定の関係があれば中断事由にあたるとし、また、裁判上の請求に準ずるものや裁判上の催告という理論で時効中断を認めた裁判例があるが、本件とは事案を異にするものである。
7 原判決のような理論構成で時効の中断を認めることになれば、時効中断の事由の存否の判断が曖昧になり、極論すれば無限に拡張されて、時効制度の公益的立場を無視することにならざるを得ない。