最高裁判所第一小法廷 平成9年(あ)786号 決定 1998年2月13日
本籍
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉四二四一番地
住居
東京都港区南麻布五丁目一〇番三二号の七〇一
会社役員
荻原直枝
昭和一三年五月二一日生
右の者に対する相続税法違反被告事件について、平成九年六月二三日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人大矢勝美、同藤田玲子の上告趣意は、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎)
平成九年(あ)第七八六号
上告趣意書
被告人 荻原直枝
右の者に対する相続税法違反被告事件について上告の趣意は左記の通りである。
平成九年一〇月一日
右弁護人
弁護士 大矢勝美
弁護士 藤田玲子
最高裁判所第一小法廷 御中
記
原判決は、重大な事実の誤認により無実の被告人を有罪と認定しており、破棄されえなければ著しく正義に反するものである。よって刑訴法四一一条に基づき原判決を破棄し、被告人に対し、無罪の判決が下されるべきである。以下、原判決の理由にそって述べる。
一1 原判決は、「被告人は、被相続人荻原孝一に対する相続税申告書の作成を星事務所に依頼したが、税務署に提出された被告人名義の申告書には、森泉山の取引に関して生じた孝一名義の債権債務のうち、二六億円の債務は計上されていたのに約一五億円の本件各預金が計上されていなかった。このことは、証拠上明らかな事実であるところ、このようにひとつの取引から生じた債務のみを記載し、そのことから生じた資産を計上しない申告が不正な申告にあたることは誰の目にも明らかなことであるから、被告人から依頼された税理士が、直接の利害関係を持つ被告人の了解がないのに、独断でこのような明らかな不正行為をするというのは、よほどの特段の事情のない限り、考えられないことである。しかるに、本件証拠上からは、このような特段の事情をうかがうことはできず、また、税理士の過失によって右のような申告となった可能性も全く認められない。」(原判決三、四頁)、と判示している。
しかしながら、被告人が被相続人荻原孝一に関する相続税申告書の作成を委任した公認会計士・税理士星武典は、二六億円の債務を計上し約一五億円の本件各預金を計上しない申告が、「不正な申告」にあたるとは認識していなかったと証言しているのである。
証人星は、第一審において、次の如く証言している。
「専門家であるあなたは、脱税でないと判断していたということですか。
はい。
あなたの方針では、証言によると二六億円の債務と一五億円の預金は双方計上しないという方針であったということでしたが、それが作成された申告書を見ると二六億円の債務が計上されていたと、そういうことになるとあなたの方針からして脱税になるのではないですか。
なりません。」
(第六回公判星証人調書三六丁裏)
「証人は、五月一九日に相続税の申告書に捺印するとき、この申告は脱税にならないということは間違いないですね。
間違いありません。」
(第六回公判星証人調書五五丁表)
「証人は、本件孝一さんの相続税申告は脱税ではないと思っている、と証言されましたね。
はい。
それは、いつごろまでそういうふうに思ってらしたんですか。現在もそう思ってらっしゃるんですか。
査察を受ける前まで思っておりました。
査察を受けた後、これは脱税になると思ってたんですか。
思っておりません。
あなたは、ご自分のなさった、栗田さんが担当をなさってあなたの名前で申告した申告書について、脱税ではないという確信はお持ちなんですか。
持っております。」
(第七回公判星証人調書三五丁表)
被告人が本件申告を委任した公認会計士・税理士である証人星は、第一審において、明確に、本件申告が不正な申告にあたるとは認識していなかったと証言しているのである。重要証人である星証人の右の如き証言を全く無視して、「不正な申告にあたるとは誰の目にも明らか」などと認定することは到底認められないものである。
2 しかも本件(状況)証拠を検討するならば、星が、被告人を含む荻原一族から特別の信頼を得て、独自の裁量で税務事務を行なっていた特殊事情が認められるのである。即ち、星は、長年にわたり、故荻原馬吉、故藤原孝一、被告人を含む荻原一族から全服の信頼を得て、荻原家の事業である西軽井沢病院、株式会社オギタツおよびセントラルエースの経理、経営、組合対策等に関与し荻原家の各個人の所得内容を深く把握して、指導的立場で荻原一族の経理、税務にかかわっていた背景があること、荻原一族の頭であった故荻原馬吉(平成二年一二月五日死亡)、同孝一(平成三年二月二〇日死亡)の相次ぐ急死後、経理・経営・税務にうとい被告人ら遺族に星にさらなる信頼と盲目的な一任状態が続いていたことが認められるのである。
原判決は、被告人らの星に対する右の如き特別の信頼関係を看過ごして、ごく世間一般的な相続税申告の依頼者とその依頼を受けた税理士との関係から推量して税理士のなした本件申告につき依頼者である被告人の了解がないはずはないとして被告人を有罪とする結論を出しているものであり、重大な事実の誤認をしている。
弁護人らは、星野犯行を追求する形の弁論はさしひかえてきたが、本件証拠上に現れた星の言動からみても、星が被告人にはからずに独断で本件申告手続きをなしたとの疑いは十分に伺えるのである。星は平成四年四月三日、御代田の荻原家本宅へ出向き、長野商銀東部町支店長の高橋和雄から本件各預金が記載された長野商銀の残高証明書二通を被告人が受け取るのに立ち会い、翌日その残高証明書又はその写しを持ち帰っている。この残高証明の交付依頼は、星が被告人に対して相続日現在と依頼した日現在のものとの二通が必要だと指示してなされたのに、星は受けとった右残高証明書又はその写しを、申告事務担当の栗田に渡さず、話しもせず、OITの書類の中にしまい込んだと証言しているのである。星は右残高証明書を栗田に渡さなかった理由につき本件預金は相続財産じゃないからとか、相続財産でないことや両落しのことを高橋弁護士から聞いた、その旨を被告人らに説明したと証言しているがこの証言が信用できないのは一審判決の判示のとおりである。ではなぜ、星はわざわざ御代田の本宅まで出向き相続財産じゃないという預金の相続日現在の残高証明を受けとったのか、なぜそれを栗田に渡さず自分でしまいこんだのか、星の行動は不可解である。星は本件預金の残高証明を受け取りに行った平成四年四月三日ないし四日の時点で、既に本件預金の申告上の扱いについて何らかの独自の考えをもっていた疑いがある。星のこの独自の考えは、栗田にも被告人らにも説明されていない。被告人は、星に指示されて相続税申告に必要な書類と思い残高証明書二通を受けとり星に渡したものであり、その後の申告事務については星を信頼し星のなすがままにまかせていただけなのである。
二 原判決は、「栗田証言を要約すれば、被告人は、森泉山の取引を除外して算出された税額が多額であることに驚き、情を知らない担当税理士に森泉山の取引の中の債務のみを計上させて試算させた後、資産をも計上させて試算させてみたところ、かなりの多額になるため、資産については証明書類がないといって申告書には計上させず」(原判決四、五頁)と判示している。しかしながら、弁護人らが控訴趣意書五〇、五一頁において、「仮集計、仮計算に関する栗田証言を検討すると、さらに大きな疑問が出てくる。税額についての三通りの計算結果を出しながら三つの数字のどれを選択して申告するかについて、いつ、誰が決定したかについての話が全く欠落していることである。まさか、栗田は、「納税資金がこれぐらいでしたら、ああよかったなあ、という感じで言われた」(第二回公判栗田証人調書一七丁裏)こと、三回目の仮集計をしたあと、お手洗いで、被告人から残高証明はいいですといわれたこと(第二回公判栗田証人調書二〇丁裏)をもって、二回目の仮集計の数字に決定したというのではないであろう。栗田証言からは、二回目の仮集計の数字で申告することを誰がいつ決定したのか全く判然としないのである。」と述べた如く、証人栗田は、二六億円の債務を計上し一五億円又は一二億円八、〇〇〇万円の預金を計上しない申告方法を誰が決定したかについては明確に証言していないのである。しかるに、栗田証言をあたかも右申告方法を被告人が決定したと証言しているが如く要約し、これを「高い信用性がある」として被告人を有罪と認定する重要な根拠とした原判決は、証拠に基づかない誤った事実認定をしたものといわざるを得ない。
三 原判決は、「被告の供述は、・・・被告人が本件申告書に自ら押印したことが関係上明らかであるのに、このような事実さえ認めようとしない点に照らしても、信用することができない」(原判決五頁)と判示している。確かに、証拠上、被告人が本件申告書に押印した可能性が高く、それ故、弁護人らは控訴趣意書六三頁において、「被告人は、五月一九日に星事務所に行ったことを記憶しておらず、この事実を否認しているが、五月二〇日に被告人が納付書をもって御代田に行っていることからして、五月一九日に被告人が星事務所に行っている可能性は高い。そして、栗田から納付書を受け取るとき、本件申告書に被告人が捺印した可能性もあり得る。」とも述べた。そして被告人も平成五年五月二六日付質問てん末書(乙二)九、一〇丁においては、「一人で星先生の事務所へ伺っています。伺った日は、私のつけていた小手帳を見ないとはっきりしませんが、申告期限の五月二〇日間近の日記と記憶しています。事務所では栗田両先生と会っていると記憶していますが、申告の内容、つまり相続財産や借入れなどの内容について、また、相続人各人に係る税額の説明を受けています。説明を受けた事項について聞くだけ聞いたということで特に内容について深く追及をしたり異議を申し立てたということは、なかったと記憶しています。ですが、各人の税額を合わせると全部で一億三千万円を超える税額にもなり、「税金は高いなあ、もっと安くなれば税金を払うための借入れも少なくなるし、利息も少なくなるのになあ」と正直な感じを持ちました。この説明のあと自分で持参した印を使って申告書の自分の名前の欄に押印しましたが、土屋一枝、荻原敏孝、の二名分については印を預っていったか、どのようにして押印したか今は思い出せません。なお、各人の署名については既に栗田先生の方で書いてあったと記憶しています。」と述べていた。このような証拠関係からすると、被告人が押印の事実を認めないことは、被告人にとって不利に働くことは明らかである。そして、このことは弁護人らも被告人に対し説明しており被告人も理解している。しかし、被告人は、右押印の事実を思い出すことができず、虚為の陳述はできないとして押印の事実を認めていないのである。このような事実を取り上げ、被告人の供述は、このような事実さえ認めようとしない点に照らしても信用することができないと判示することは判断を誤っているといわざるを得ない。
四 原判決は、仮集計について、「栗田は、星が同席していたか否かについて断定している訳ではない」(原判決六頁)として、仮集計に星が立ち会っていたか否かを認定しないまま本件を判断している。しかし、弁護人らが控訴趣意書四頁で述べたとおり、仮集計に星が同席したか否かは、本件事案の全体像に影響を与える重要な事実である。星が同席したとすれば、本件申告は、全て星の方針のもとになされたことになり、また仮集計の日も平成四年五月一二日又は一三日と異なった日であった可能性も生じる。原判決は、たとえ本件申告が星の方針に基づくものであったとしても、栗田証言によれば、被告人は、終始仮集計に立ち会っているのであるから、星が二六億円の債務を計上し、一五億円又は一二億八、〇〇〇万年の預金を計上しない方針で申告することは知っていたはずであり、そうであれば、被告人の犯罪行為の成否に影響を及ぼすものではないと判断しているのかもしれない。しかし、本件申告が星の方針でなされた場合、そして脱税として追求される恐れのある申告である等の本件申告の問題点(星証言によれば、森泉山の取引やそれに関係する金の流れ、債権・債務について星自身が十分に理解していない状態であった)について星から被告人に十分な説明がなされていない場合、はたして被告人の行為を犯罪行為と認められるであろうか疑問とせざるを得ない。いずれにしろ、原判決においては本件事案の核心となる事実について判断がなされないまま判決が下されているのである。
五 原判決は、「星が本件申告の内容にどの程度関与していたかは証拠上明確ではないが、少なくとも平成四年五月一九日の時点で、星は、栗田が作成した本件申告書の内容が明らかに不正であることを知りながら、それを栗田に告げずにそのまま承認したものとうかがわれるところ、右行為は納税義務の適正な実現を図ることを使命とする税理士の任務に違反し、厳しく非難されなけれはならないが、」と判示し、続いて「そのことが被告人の本件犯罪行為の成否に影響を及ぼすものではない」と結論づけている。しかしながら、原判決は、右判示事実がなぜ被告人の本件犯罪行為の成否に影響を及ぼさないのかの説示を欠いている。そして、右判示事実は、被告人に本件犯罪行為の認識のなかったことを裏付ける事実なのである。すなわち平成四年五月一九日、星は本件申告書が二六億円の債務は計上され約一五億円の本件各預金が計上されていなことを認識していながら、栗田にその事実も理由も説明していず、被告人には会ってもいずもちろん説明もしていない。その後、栗田は、被告人に五分程、申告書内容を説明したと証言しているが、被告人が栗田からその説明を受けたとしても星事務所に税務を全て一任し、信頼しきっている被告人が栗田の説明を受けて、申告書の不正の内容を認識するよしもない。認識できるほどの能力も持ち合わせていない。原判決は、被告人が右申告書押印時以前の仮集計の時点で本件預金を計上しない認識があったと認定しているようであるが、仮集計に被告人がかかわっていないことはさておき、万一被告人が本件預金の脱税を知っていたとしたなら、調査後、栗田や星に「どうして本件預金を申告しなかったのか」と質問するはずがない。その質問を受けて豊田や星も、被告人に対して記明はせず、ただ安心しなさい、いずれ修正申告しますと言うのみだったのである。栗田の証言によれば、三回目の仮集計の後、被告人に「残高証明は」とたずね、被告人は「それはいいです。」と言つて残高証明はないという趣旨の返事をしたというのであるから栗田の右証言が事実なら、調査後被告人から「預金をどうして申告しなかったのか」とたずねられれば「被告人が残高証明を渡さなかったからだ」等、即座に返答も釈明もできたであろうし、返答するのが担当税理士の普通の姿であろう。しかるに栗田はわからないと答えなんら被告人に説明せず、星や被告人に反問したり理由を問いただすこともしていない。自分の担当した申告につき調査が始まっているのにこのような受身な無責任な態度がとれるのは、本件申告が星の方針の下、星の指示でなされたからに外ならない。査察に対する対応も又、星と栗田とが打合せのうえ、被告人らに何らかの事実を隠していた疑いも考えられる。いずれにしても本件証拠上、本件預金が申告書に計上されなかった事実及び理由を、申告書完成時にはもとより、それ以前、以後において、被告人が星あるいは栗田から説明を受けた事実は存在しない。しかるに原判決は、当然被告人は認識し得たと即断して、重大な事実の誤認をしている。
六 原判決は、「被告人が本件各預金の金額を一二億八、〇〇〇〇万円であると誤解していたとしても不自然ではない。」(原判決七頁)と判示している。原判決の事実認定は、第一審判決における、
(イ) 被告人は、平成三年二月二一日、神田英樹から、本件定期預金の証書を二通預かった。
(ロ) 被告人は、平成三年一二月二日ころ、弁護士高橋伸二から、本件各預金が記載された長野商銀の顧客取引内容照会票の写しを受けとった。
(ハ) 被告人は、平成四年四月三日ころ、長野商銀東部町支店長の高橋和雄から、本件各預金が記載された長野商銀の残高証明書二通を受けとった。
との事実認定を前提としているものと思料される。そうであるならば、被告人は、一、四七六、七二四、六七四円と二四、八一六、五五六円という巨額な数字が記載された定期預金証書を渡され保管していながら、また一、五〇三、二五九、二三一円という巨額な数字が記載されている顧客取引内容照会票写を受け取りながら、さらには、平成三年一一月二〇日現在一、五〇三、二五九、二三一円、平成四年四月一日現在一、五〇三、二六六、九八一円という巨額な数字が並んでいる残高証明書二通を受け取りながら、この数字を下村弁護士や立石会計士から以前に聞いた一二億八、〇〇〇万円と誤解している人間として認定されたことになる。しかし、被告人を約一五億円という巨額な預金の残高証明書を受け取りながらその数字をも記憶していない原判決認定の如き人間として見た場合、そして被告人がこのような人間であるとして本件全体を見直すとき、本件証拠の多くが全く違った見方で見えるのであり、このような立場から本件証拠を検討し直せば、被告人の無実は明らかになると弁護人らは思料するものである。
七 原判決は、甲三四号証資料一〇の「ミサワホームの借入金二二億円」及び「返済九月二〇日一二億八、〇〇〇万円」の部分を記載した時期について、「他の資料と対比しても」、「本件仮集計前であると認めることはできないから、右の部分を記載した時期が本件仮集計後である旨の栗田証言との問に矛盾する点はない」(原判決八頁)と判示している。弁護人らは、控訴趣意書三六頁ないし三九頁において、証拠を具体的に分析して甲三四号証資料一〇の右部分の記載時期について述べた。これに対し原判決は、「他の資料と対比しても」というのみで、具体的な説明を全くなさずに「本件仮集計前であると認めることはできない」と判示している。このような具体的説明を全く欠いている判示は不当といわざるを得ない。
さらに、原判決は、「右の部分を記載した時期が本件仮集計後である旨の栗田証言」と判示しているが、栗田証言は、次の如くであった。
「それ(仮集計)以前からメモはあったかもしれませんけれども、全部記載が、例えばこの<2>のことにつきましては仮集計した後に決められたことだと思います。」(第二回公判栗田証言調書三二丁、三三丁)
「甲三四の資料10のメモは、五月一四日ごろ作ったとお聞きしてよろしいですか。
一四日の前に記載されてると思います。
一四日の何日くらい前ですか。
それはちょっと、特定は私の記憶の中ではできないんですけれども、一四日の前だと思います。
一週間も前ということはないでしょうね。
それはちょっと私の税額計算‥‥ちょっとそこまでははっきりと覚えてません。
あなたの証言によりますと、星さん又は直枝さんから一二億八〇〇〇万円を加算して税額計算をするようにといわれた日について、五月の一一日から一三日ごろの間だというふうに証言してますが、そういうことでよろしいですか。
これにつきましても、私ももう一度いろいろと思い起こしまして、はっきりとした確証が取れないと思います。なぜ一一日からとか言われましても‥‥。
あなたは、どういう証言したかは記憶されていますね。
はい、そうです。
あなたの前回あるいは前々回の証言では、五月の一一日から一四日まで可能性があって、まあ一四日の可能性はほとんどないという証言だったと記憶してるんですが、それでいいですか。
そうです。そのときに検察のほうでもいろいろと調べてくださった事項とかで、それ以外に新しい事実とかというふうなものもなかったように思いますので、一応そのぐらいの時期だというふうに私は思えますけれど。もう一つ私に引っ掛かるところは、短期間で直技さんと星とで相談しなくちゃいけないことがありましたから、それが二日間くらいでできたのかどうか、スケジュール的な問題でちょうど合うのがあるのかというのがちょっと引っ掛かるんですけれども。
そうしますと、甲三四の資料10のメモを作った時期と、星さん又は直枝さんから一二億八〇〇〇万を加算して税額を計算するように言われた日とずれがあるとすると、最大どのぐらいずれますかね。
……ちょっとそういうことで考えたことがないもので。
裁判長
なくても思い出してください。
ええ…………。
その日言われて作ったのか、あるいはそれを作るよりも前なのか、そこらへんの区別はつくんでしょう、どうなんですか。それもつかないんですか。
これはですね、税額の試算をした後のような気がいたします。
聞かれてるのは、メモを作成した日とずれるのかどうかを聞いているんです。
それはずれます。
大体、どのくらいの期間になりますか。
それほど長い期間ではないと思います。
一週間以内あるいは一〇日以内とかいろいろありますけれども、どういう感じですか。
一週間ぐらい。」(第四回公判栗田証書七丁以下)
このようなあいまいな栗田証言を「税額を試算した後のような気がいたします」
という部分だけとらえ、「右の部分を記載した時期が本件仮集計後である旨の栗田証言」と判断することは証拠の評価を誤っているものであるといわざるを得ない。
八 原判決は、「被告人は、平成四年五月一五日及び同月一六日に八十二銀行御代田支店の畑山乾支店長に対し、相続税額がまだ確定していない旨回答しているが」、「本件仮集計の数字はあくまで暫定的な数字であって、ある程度増加する可能性もあり」、「被告人としては、大事をとって畑山支店長に明確な数字を告げなかったとしても不自然ではない」(原判決八、九頁)と判示している。しかし、弁護人らは、控訴趣意書六〇頁において次のとおり述べたのである。「融資実行日が五月二〇日であることを考慮すれば、おおよその税額が判明し次第、即座に八十二銀行に知らさなければならない状況にあったのである。このような状況にあった被告人が仮集計の数字を知らされながらおおよその税額を畑山に伝えないことは特段に不自然であり、これを「特段に不自然というほどでなく」と判断した原判決の常識を疑わざるを得ない。」。弁護人らが「おおよその税額を畑山に伝えないことは特段に不自然であり」と述べたのに対し、「明確な数字を告げなかったとしても不自然ではない」というのでは、全く答えになっていない。被告人は、畑山に対し、「明確な数字」のみでなく「おおよその数字」も伝えていない。原判決は、畑山証言が明らかにした事実は、栗田証言と矛盾しているとの弁護人らの指摘に対し、何ら答えていないのである。
九 原判決は、本件の動機について、被告人に「(本件各預金を)仮に発見されたとしてもその段階で修正申告をすればよいと考えていた節もみられる」(原判決九頁)と判示している。しかし、証拠によれば、「その段階で修正申告をすればよい」と考えていたのは星であって、被告人は、星から修正申告をすると聞かきれていただけなのであり、被告人に「節もみられる」ことを裏付ける証拠などはない。被告人は、星に本件申告を委任するにあたって税額が安くなるよう申告してほしいと依頼したことはなく、通常に申告することを依頼していたのであり、被告人には本件の動機は認められないものである。
一〇 原判決は、弁護人らの「指摘する事由はいずれも栗田証言の信用性を左右するものではない」(原判決九、一〇頁)から、栗田証言に従って本件犯罪事実を認定した第一審判決には誤りはないと判示している。弁護人らは、控訴趣意書五一頁以下において第一審判決に一対し、次の如く指摘した。
「原判決は、前記の如く、栗田証言の信用性を高く評価しているが、原判決の立場からは、次の栗田証言は、どのように評価されているのであろうか。
「星には、申告書の財産総額だとか債務総額だとか税額だとか、そういう数字を報告していますか。
一応、申告書をお見せしましたし、口頭でのものを私がちょっと説明を加えました。
そのときに、二六億円の債務について星に説明しましたか。
はい、しました。
概要、どのように言って説明したんでしょうか。
債務二六億円を計上しましたので納付税額が一億三、〇〇〇万円ぐらいになります、ということでお話ししたと思います。
そのとき星は、何と言いましたか。
そのときに、二六億の債務ということを言いましたら、エッ!という感じでびっくりしていましたので、私のほうがびっくりしましたけど。
エッ!というふうに声を出したわけですか。
はい。
星としては、意外だったというような態度だったんですか。
えヽ、そういう雰囲気でしたから。
星がそういう態度だったから、それを見てあなたもびっくりしたということですか。
星が、エッ!といってびっくりしましたので、そのときの申告書には添付書類がついていませんでしたから、債務のわかる借入金証書をすぐに持ってきて星に見せました。
完成した申告書だと、添付書類があるわけですね。
はい、そうです。
星に見せた申告書には、添付書類の分は付いていなかったんですか。
付いていなかったと思います。
そのためにあなたは二六億円の金銭消費貸借契約証書の写しを持っていった、ということなんですか。
えヽ、そうなんです。で、星に説明いたしまして、借入金の名前は孝一先生の名前になっていましたから、これは孝一先生の債務ではないんですか、ということで確認いたしました。
それに対して、星は何と言っていましたか。
債務でないということの説明はなかったですから、それで、後で修正申告みたいなことを、そのときに言われたと思います。
あなたに対して星が、修正申告しろと言ったんですか。
いいえ、そうではなくて、財産の中には、まあ財産の中というよりか、孝一先生そのものにつきまして隠れた債権債務があるかもしれないということは、星も把握していたように感じましたので、まあ、それを含めたところで修正と言うことをおっしゃっていたように、私は感じましたけれど。」
(第三回公判星証人調書二丁以下)
原判決の認定によれば、星は三回目の仮集計に関与していたものであり、そうであれば二六億円の債務が計上されたことを驚くはずもなく、また原判決は「仮に星が本件二六億円が相続財産と関係ないと言っていたとすれば、栗田から本件二六億円もの多額の債務を計上して作成した本件相続申告書を見せられた際、なにゆえこれの訂正を指示しなかったのか不可解である」(補足説明一、3、(二))というのであるから、二六億円の債務が申告書に計上されていることを五月一九日にはじめて知って驚いたとの星の言い訳を全く信用していないようである。そうであるならば、栗田は、「具体的かつ詳細であって不自然なところがな」い右の如き虚偽の証言をしているのである。」
原判決は、控訴趣意書において弁護人らが述べた右疑問に対し全く答えていないのである。そして、原判決が右栗田証言をどのように評価しているかについて、原判決は、全く判示していないのである。
一一 弁護人らは、第一審弁論要旨二七九頁以下において、次の如く述べた。
「被告人は、国税の調査が入ったあと、星会計士に対し、どうして本件預金を申告しなかったのか質問している(第一四回公判被告人供述調書一九丁)。また、被告人は、栗田税理士に対しても、本件預金をどうして申告しなかったのか聞いている(第一四回公判被告人供述調書一九丁、第四回公判栗田証人調書一丁)。「偽りその他不正の行為により相続税」を免れようと企て、本件預金を故意に除外して申告した者が、申告書を作成した税理士らに対し、どうして本件預金を除外して申告したのかなどとの質問をするであろうか。敏孝は、検察官の「あなたから見て、星や栗田が一五億円もの預金の存在を知りながら、被告人に無断で申告しないということは考えられますか。」との質問に対し、「考えられます」(第八回公判荻原証人調書二七丁表)と証言している。検察官にとってはまことに予期せぬ証言であったであろうが、被告人や星会計士のこと、そして星会計士と荻原家の兄弟姉妹の関係をよく知っている敏孝にとっては、右証言は、ごく自然に出てしまった証言なのである。被告人は、本件申告において脱税の意図など全くなかったものである。
本件申告の実体は、第一審佐藤裁判官の質問に対する星会計士の左記証言によく示されている。
「はい。その時点では、要するに相続の総体が全然分からなかったわけですから、それで、これは何回も申し上げましたように、税務調査を受けて、この税務調査あるということは予期しておりますから、その時点で調査官にお願いをして、それで全部調べていただく。これは、国家権力を伴いますから、強制力が出てまいりますから、すべてのものが明らかになりますので、その時点できれいにしようというふうに考えました。」
(第七回公判星証人調書四二丁真)
星会計士は、本件の如き巨額の相続財産について、相続税申告手続の税務代理を被告人らから委任されながら、自己の責任において相続資産を検討しようとは全くせず、期限までに一応申告しておいて後は税務調査によって判明した税額に修正申告すればよいとの無責任な態度で本件申告をなし、また、本件申告について査察を受けて後は、責任を高橋弁護士や被告人らに転嫁する言い訳をなして被告人が本件起訴をなされる原因を作ったものであり、その責任は非常に重いものと言わざるを得ない。本件申告は、全て星会計士の責任においてなされたものである。このことは、本件申告書を被告人ら依頼者の誰一人に対して説明することなく五月一九日午後五時一五分すぎに本件申告書に星会計士が作成者として捺印したことに端的にあらわれている。本件申告の責任は、専門家として星会計士が全て負うべきものである。」
結局、本件における被告人の罪は、無責任な税理士に対し重大な相続税申告事務を委任し、信頼したことにあり、このような罪は刑事罰の対象とならないものである。
弁護人らは、被告人の無罪を確信しているものである。
以上