最高裁判所第一小法廷 平成9年(行ツ)83号 判決 1997年9月04日
兵庫県芦屋市山手町七番二〇号
上告人
若林輝雄
右訴訟代理人弁護士
溝上哲也
イタリア共和国
(パヴィア)カステジョ・ヴィア・カモッチ・一
被上告人
タニノ・クリスチ・ソシエータ・ア・レスポンサビリタ・リミタータ
右代表者
アルフォンソ・クリスチ
右訴訟代理人弁護士
安原正之
佐藤治隆
小林郁夫
同弁理士
広瀬文彦
右当事者間の東京高等裁判所平成七年(行ケ)第一二六号審決取消請求事件について、同裁判所が平成八年一二月一二日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人溝上哲也の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井嶋一友 裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 藤井正雄)
(平成九年(行ツ)第八三号 上告人 若林輝雄)
上告代理人溝上哲也の上告理由
第一 原判決は、法律の解釈・適用を誤り、最高裁判所昭和五一年三月一〇日大法廷判決(民集三〇巻二号七九頁)に違反した違法がある。
一 審決取消訴訟は、特許庁が行った審決に違法性があるかどうかを判断するものであるから、審判において被上告人が主張した本件商標に対する無効原因につき、審決時においてその証明がなされたかどうかを判断すべきものである。
しかしながら、原審は、審判において被上告人が主張も立証もしなかった被上告人の靴製品の輸入に関わる事実やその価格や販売方法に関する事実を採用した上、被上告人が審判において一般需要者における誤認混同のみを主張していることを看過し、本件商標の出願時において「TANINO CRISCI」の商標が被上告人の靴製品に使用される商標として高級靴の取引業者及び高級靴を使用する顧客層に属する人々に周知著名となっていたとして、主張されていなかった高級靴分野における周知著名性を認定判示している。原判決は、先ずこの点において、法律の解釈・適用を誤り、最高裁判所昭和五一年三月一〇日大法廷判決(民集三〇巻二号七九頁)に違反している。
二 右判決は、旧特許法適用下の無効審判請求の抗告審判の審決に関するものであるが、審決取消訴訟の審理の対象が審判手続で審理判断された特定の特許無効原因に限られることを明らかにした上で、無効原因の特定につき、別紙(一)のとおり述べている。
右判決では、無効審判における判断の対象となるべき無効原因は、例えば発明の新規性に関しては公知事実ごとと言うように具体的に特定されることが必要とされているのであり、その趣旨は、商標登録無効の審判やその審決に対する取消訴訟においても何ら異ならないと言うべきである。本件においては、被上告人は審判において一般需要者における誤認混同のみを主張していたのであり、靴製品の輸入に関わる事実やその価格や販売方法に関する事実を前提とする高級靴分野における周知著名性は、全く主張も、立証もされていなかったのであるから、原審は、右判決の趣旨に従い、右事実に関する新たな証拠の提出も採用すべきでなかったし、まして異なる範囲における周知著名性に関する無効原因を採用して、認定判示することは、右判決の趣旨に反し、できなかったと考えられる。
したがって、原審は、被上告人が審判において一般需要者における誤認混同のみを主張していることを看過し、審判において主張されていなかった高級靴分野における周知著名性を認定判示した点において、法令の解釈・適用を誤り、最高裁判所の判例に違反した違法がある。
第二 原判決には、商標法四条一項一五号の解釈・適用を誤った法令の違背がある。
一 原判決は、商標法四条一項一五号に該当するとされるために、第三者の媒体を介しての広告宣伝等の立証がなくても構わないと解している。
しかし、審査基準によれば、「他人の業務に係る商品と混同を生ずるおそれがある商標であるか否か」の判断にあたっては、その他人の標章の周知度、具体的には広告・宣伝の程度、又は普及度が先ず考慮されなければならないとされている(乙第三号証)。そして、その立証方法としても広告宣伝等が掲載された印刷物やこれらを扱った業者の証明書が要求されているのである(甲第七号証の四三頁、乙第一三号証)。そして、これらの考慮や立証が求められているのは、他人の業務に係わる商品と混同を生ずるおそれがあるといえるには、第三者の媒体を介しての広告・宣伝に裏打ちされた周知性が必要と考えられているためであり、これらの点がなくてもよいという原判決の解釈は、正に周知性を不要と言っているに等しく、合理的な法令の解釈とは到底、言い得ないものである。
したがって、商標法四条一項一五号に該当するとされるためには、単に過去に販売実績があったとするのみでは足らず、さらに進んで広告・宣伝等により周知・著名であったことまで立証されなければならないと言うべきであり、この点において、原判決には商標法四条一項一五号の解釈・適用を誤った法令の違背がある。
二 また、原判決は、商標法四条一項一五号の適用において、製品の性質上、取引業者及び顧客層が一部の範囲の者に限られる場合は、そのような取引業者及び顧客層の中で周知著名であるか判断すべきであると解釈しているが、本来非類似であるにもかかわらず、混同を生ずるおそれがあるという理由で商標登録を認めないとするためには、少なくとも消費者一般に周知著名というレベルにまで達していなければならないと解すべきある。けだし、周知著名という以上、単に割合的多数ではなく、ある程度の量的多数がそもそも必要であり、一部の者でよいとすれば、範囲が限られれば限られる程、周知性を獲得しやすいということになってしまうからである。
したがって、この点においても、原判決には商標法四条一項一五号の解釈・適用を誤った法令の違背がある。
第三 仮に前述した判例違反や法令違反の主張が認められないとしても、原判決には、経験則違反ないし理由不備の違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
一 原判決は、本件商標の登録出願時において「TANINO CRISCI」の商標が被上告人の靴製品に使用される商標として高級靴の取引業者及び高級靴を使用する顧客層に属する人々に周知著名となっていたと認定した上で、さらに本件商標を被服に使用すれば被上告人又はその者と経済的又は組織的に何らかの関係がある者の業務に係わる商品ではないかとその出所について誤認混同されるおそれがあると認定して、特許庁がなした審決を取り消す旨判断している。
二 しかし、右認定は経験則に反する根拠のない独断であって、原審に現れた証拠に基づいても、本件商標の登録出願時において「TANINO CRISCI」の商標が被上告人の靴製品に使用される商標として高級靴の取引業者及び高級靴を使用する顧客層に属する人々に周知著名となっていたと認定することは、出来ないというべきである。
即ち、被上告人の本件訴訟における追加立証によっても、本件商標の出願直前の一部期間の輸入の事実が明らかされたにすぎず、広告宣伝という第三者の媒体を介しての周知著名性の獲得は、全く立証し得ていないと言うべきである。そして、ウィークス(藤波)久仁子証人自身、昭和四六年以前は輸入の事実につき確認できないと証言しており(調書二八頁)、乙第六号証で被上告人の製品の販売開始年が一九七〇年(昭和四五年)と掲載されていることからすると、一部期間の輸入の事実も昭和四四年以前は、その信用性が極めて疑わしいというべきである。むしろ、上告人の提出した乙第二号証の「世界の有名品」(昭和五〇年九月二〇日発行)及び乙第八号証の「世界の一流品」(昭和四七年一一月一〇日発行)のいずれにも、被上告人の製品が掲載されていないことや、本願商標に対し異議申立をした訴外パルファン・ニナ・リッチも被上告人の製品のことを指摘していないことからすると、本件商標の登録出願時において「TANINO CRISCI」の商標が被上告人の靴製品に使用される商標として高級靴の取引業者及び高級靴を使用する顧客層に属する人々に周知著名となっていたと言えないことは明らかであり、少なくともそのような立証がないと考えるのが経験則に合い、かつ合理的である(特に、乙第八号証は、本件商標出願の直前において世界の一流ブランド多数を紹介したものであるが、“紳士靴”“婦人靴”の欄において、「マレリー」「バリー」「チャーチ」「ベルバノ」「テストニー」「ネッツーノ」「カルビル」「ケリアン」「ユニオン」「フェラガモ」「マリー」「セリーヌ」の各ブランドが紹介されているのみで、被上告人の製品のことは、全く紹介されていない)。また昭和五七年三月に異議申立の決定をした特許庁審査官も「本願商標は『タニノ・クリッシィ』の一連の称呼を生ずる外に、またその構成中の『TANINO』の文字がありふれた氏姓の『谷野』に通ずるものと認識されるにすぎないから、自他商品の識別機能を果たす部分は『CRISCI』の文字にあり、これより単に『クリッシィ』の称呼をも生ずると認められる」と判断して、被上告人が周知だとしている「タニノ・クリスチ」なる商標のことには全く触れていないのである。さらに、上告人の立証は、全て第三者の発行した客観的な書証によっているのに対し、被上告人の追加立証はすべて主観的なものまたは準当事者的なものばかりであり、被上告人の主張する靴の商標「TANINO CRISCI」が記載されている第三者発行の最も古い資料が昭和五六年五月二五日刊行の「世界の一流品大図鑑、八一年版」(甲第一〇号証)であることを考え合わせると、本件商標の出願日である昭和四八年一二月一三日において、右商標が日本国内において被上告人の商標として周知又は著名であったとまでは到底認められないと言うべきである。
三、 また、原判決は、本件商標を被服に使用すれば被上告人又はその者と経済的又は組織的に何らかの関係がある者の業務に係わる商品ではないかとその出所について誤認混同されるおそれがあると認定しているが、この認定も経験則及び大審院の判例に反するものである。
即ち、大審院昭和一六年四月一五日判決(新聞四七〇四号一七頁)は別紙(二)のとおり述べているが、特定の営業に限定されていることの著名な会社の有する商標が、その特定の営業にかかる商品についてのみ著名となっている場合においては、これと類似する商標が他の商品について登録され取引上併存しても、商品の出所について混同を生ずるおそれあるものとはいえない旨判示している。本件においても、仮に原審の認定したように、本件商標の登録出願時において「TANINO CRISCI」の商標が被上告人の靴製品に使用される商標として高級靴の取引業者及び高級靴を使用する顧客層に属する人々に既に周知著名となっていたとしても、被上告人は、高級靴という特定の営業にかかる商品についてのみ著名となっているにすぎず、それ以外の営業をしていないから、右判示と同様に被服の分野において本件商標が登録され取引上併存しても何ら構わないはずである。しかも、著名であるとしても、それは高級靴という庶民に無縁のごく特殊な分野に限ったことであり、一般の消費者においては、昭和四〇年代の国民一般の生活水準から判断すれば、「高級靴」はそもそも見る機会もないものであり、仮に「高級靴」に付けられた商標をたまたま一度見かけたとしても、直ちに「被服、布製身回品、寝具類」に付された同一の商標を見て、「高級靴」のメーカーと同じ所が作っていると考えることはあり得ないと言うべきである。加えて、「高級靴」と一般の「被服、布製身回品、寝具類」とは、当該商品の製造業者も卸売業者も小売業者も全く異なるのが通常で、百貨店やスーパーの売場配置においても、明らかに区分されているし、特許庁の本件商標出願時における商品区分においても、第二二類と第一七類として区別されており、商品としては互いに類似しないとして永年にわたり審査されて来ている。
したがって、本件商標を被服に使用すれば被上告人又はその者と経済的又は組織的に何らかの関係がある者の業務に係わる商品ではないかとその出所について誤認混同されるおそれがあるとの認定は、経験則及び大審院の判例に反するものであり、原判決は、この点においても、経験則違背及び判例違反の違法を犯したものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
以上
別紙(一)
「そこで、進んで右にいう無効原因の特定について考えるのに、旧特許法五七条一項各号は、特許の無効原因を抽象的に列記しているが、そこに掲げられている各事由は、いずれも特許の無効原因をなすものとしてその性質及び内容を異にするものであるから、そのそれぞれが別個独立の無効原因となるべきものと解するのが相当であるし、更にまた、同条同項一号(注・「特許カ第一条乃至第三条、第八条又ハ第三十二条ノ規定ニ違反シテ与ヘラレタルトキ」)の場合についても、そこに掲げられている各規定違反は、それぞれその性質及び内容を異にするから、これまた各規定違反ごとに無効原因が異なると解すべきである。しかしながら、無効原因を単に右のような該当条項ないしは違反規定のみによって抽象的に特定することで足りるかどうかは、特許制度に関する法の仕組みの全体に照らし、特に同法一一七条が、前記のように確定審決における一事不再理の効果の及ぶ範囲を同一の事実及び証拠によって限定すべきものとしていることとの関連を考慮して、慎重に決定されなければならない。
思うに、ある発明が同法(一条、四条)にいう「新規ナル」もの(以下「新規性」という。)に当るかどうかは、常にその当時における「公然知ラレ又ハ公然用ヰラレタモノ」又は公知刊行物に記載されたもの(以下「公知事実」という。)との対比においてこれを検討、判断すべきものとされているのである。ところが、このような公知事実は、広範多岐にわたって存在し、問題の発明との関連において対比されるべき公知事実をもれなく探知することは極めて困難であるのみならず、このような関連性を有する公知事実が存する場合においても、そこに示されている技術内容は種々様々であるから、新規性の有無も、これらの公知事実ごとに、格別に問題の発明と対比して検討し、逐一判断を施さなければならないのである。同法が前述のような独特の構造を有する審査、無効審判及び抗告審判の制度と手続を定めたのは、発明の新規性の判断のもつ右のような困難と特殊性の考慮に基づくものと考えられるのであり、前記同法一一七条の規定も、発明の新規性の有無が証拠として引用された特定の公知事実に示される具体的な技術内容との対比において個別的に判断されざるを得ないことの反映として、その趣旨を理解することができるのである。そうであるとすれば、無効審判における判断の対象となるべき無効原因もまた、具体的に特定されたそれであることを要し、たとえ同じく発明の新規性に関するものであっても、例えば、特定の公知事実との対比における無効の主張と、他の公知事実との対比における無効の主張とは、それぞれ別個の理由をなすものと解さなければならない。
以上の次第であるから、審決の取消訴訟においては、抗告審判の手続において審理判断されなかった公知事実との対比における無効原因は、審決を違法とし、又はこれを適法とする理由として主張することができないものといわなければならない。この見解に反する当裁判所の判例は、これを変更すべきである。なお、拒絶査定の理由についても無効原因の特定と同様であり、したがって、拒絶査定に対する抗告審判の審決に対する取消訴訟についても、右審決において判断されなかった特定の具体的な拒絶理由は、これを訴訟において主張することができないと解すべきである。それ故、上告人の引用する当裁判所判決もまた、これを変更すべきである。」
別紙(二)
原審決ハ行文簡ナルモ之ヲ通読スレハ其ノ趣旨トスル所ハ醤油ト清涼飲料水トハ商品トシテノ種類及用途ニ於テ著シキ相違アリテ何等類似スル所ナク且上告会社ハ醤油被上告人ハ清涼飲料水ヲ各製造販売スルモノニシテ其ノ製造方法設備等ニ格段ノ差異アルハ勿論醤油ノ製造販売業者カ清涼飲料水ノ製造ヲ兼業スルカ如キハ通常之ナキコトナルノミナラス上告会社カ清涼飲料水ノ製造ヲ兼業トスル者ナルコトノ主張ナキヲ以テ仮令引用商標ト本件登録商標トハ其ノ称呼及外観ニ於テ相類似スルモノニシテ且同一店舗ニ於テ販売セラルルヲ常トスルモノトスルモ何人ト雖右清涼飲料水カ上告会社ノ製造ニ係ル商品ナリト誤信スルカ如キ虞ナカルヘク又上告会社ノ商号カ「マルキン」ト略称セラルルモノトスルモ従来醤油ノ製造販売業者トシテ取引者及需要者間ニ著名ナル上告会社ノ商号トシテ観念セラルルモノナルヲ以テ清涼飲料水ニ使用スル本件登録商標ニ接スル者ヲシテ直ニ上告会社ノ商号ヲ聯想セシムルニ至ルヘキモノト做シ難ク此ノ点ニ於テモ商品ノ出所ノ混同ヲ生セシムルモノト認ムルヲ得ス従テ本件商標ノ登録ハ旧商標法第二条第三号後段ノ規定ニ違反シテ為サレタルモノト做スヲ得サル旨判示シタルモノナルコトヲ看取スルニ足レリ而シテ当事者主張ノ全趣旨ニ本件ニ顕ハレタル諸般ノ事情ヲ綜合スレハ右ノ如キ判断ハ必スシモ之ヲ為シ得サルモノニ非サルト共ニ之ヲ以テ商取引ノ実験則ニ反シ又ハ商標ノ登録制度ノ目的ニ背戻スル不法ノ判断ト謂フヘキニ非ス所論引用ノ当院判決ハ本件ト其ノ事情ヲ異ニスル場合ニ関スルモノナレハ之ニ依リ本件ヲ律スルコトヲ得サルモノトス然レハ原審決ニハ所論ノ如キ審理不尽又ハ理由不備ノ違法ナク各論旨ハ畢竟独自ノ見解ニ基キ原審決ノ正当ナル事実上並法律上ノ判断ヲ非議スルモノニ外ナラサルヲ以テ何レモ之ヲ採用スルニ由ナシ(昭和一五年(オ)一六三二号・同一六年四月一五日、新聞四七〇四号一七頁)