最高裁判所第一小法廷 昭和23年(れ)978号 判決 1948年11月18日
主文
原判決を破棄し、本件を東京高等裁判所に差戻す。
理由
上告人東京高等檢察廰檢事長佐藤博の上告趣意について。
原判決によれば、原審は昭和二三年五月二四日被告人両名に對し銃砲等所持禁止令違反及び強盗豫備の各犯罪事実を認定して、被告人細田を懲役八月及び罰金三千圓に、被告人關根を懲役八月に各處斷し、且つ前者に對しては五年間、後者に對しては四年間右懲役刑の執行を猶豫する旨言渡したのである。然るに、一件記録第一五三丁及び第一五四丁にある前科調書によれば、被告人細田は昭和二二年八月二八日浦和地方裁判所において詐欺及び横領罪により懲役一年に、又被告人關根は昭和一八年八月二四日浦和區裁判所において窃盗罪により懲役一〇月に處せられ、それぞれ該裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶豫されていたものの如くである。そして右前科調書はそれに押捺されてある裁判所の受付日附印によって明らかであるように、いずれも原判決言渡後にはじめて原審に提出され記録に編綴されたものであるから、原審は本件判決を爲すに當ってこれを斟酌し得なかったことは勿論であるが、該調書の記載が真実に合するものであるとすれば、原判決は結果において刑法第二五條第一號所定の條件を無視して刑の執行猶豫を言渡したものとなることは論旨の主張する通りである。
元來、事実審が刑の執行猶豫の言渡をするには、まずその前提として法定要件の一つである被告人が「前ニ禁錮以上ノ刑ニ處セラレタルコトナキ者」であることを判斷しなければならぬことはいうまでもない。しかしこの事実の判斷は、自由心證主義の下に經驗則に從い合理的に爲されれば足るのであるから、必ずしも常に前科調書によってこれが調査をしなければならぬというものではない。もとよりかかる調査方法が最も簡明確実であることは言うまでもないが、前科調書はこれを求めても容易に適時に得られないこともあり、又その内容が措信し得られないような場合も絶無とはいい得ないのである。從って、當該事案の經緯、被告人の經歴、その他諸般の事情に照らして、被告人にかかる前科あることの疑惑の生じない場合にあっては、一應前科なきものと推斷するを妨げないのである。それ故、唯前科調書による調査を經ないで前科なきことを判斷したという一事だけを捉えて審理不盡又は經驗則その他の法令違反ありと速斷することはできない。
しかるに本件において、原審第一回公判調書の記載によると、被告人等は審理の冒頭にあたって、いずれも從來氏名を詐稱していたことを陳謝し、はじめてその本名を告白しているのである。殊に被告人細田の如きは昭和二二年八月浦和地方裁判所において詐欺及び横領罪により懲役一年に處せられ五年間その刑の執行を猶豫せられている旨自白しているのである。かように被告人が氏名を詐稱する場合には、往々前科の暴露をおそれる配慮に出ることがあり、又被告人細田は前科を自白している位であるから、被告人等については、刑法第二五條第一號所定の前科に關し多大の疑惑なきを得ない事情の下にあったと見なければならぬ。しかるに原審は、前科について他に右疑問を一掃するに足る事由が見られないにも拘わらず、何等その調査を遂げた形跡もなくただ漫然として被告人等に對して執行猶豫の言渡をしている。それ故前科の有無についての判斷に關しては、十分審理を盡さなかった違法が存するということができる。さればこの點において結局原判決全部は破棄を免れ得ないのであって、論旨は結局その理由がある。
よって刑訴第四四七條第四四八條ノ二第一項に從い主文の通り判決する。
この判決は裁判官全員の一致した意見である。
(裁判長裁判官 岩松三郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 真野毅 裁判官 齋藤悠輔)