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最高裁判所第一小法廷 昭和24年(れ)560号 判決 1949年8月18日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人長瀬秀吉上告趣意について。

憲法第一一條が国民の基本的人権の享有を保障していること並びに憲法第三六條が残虐な刑罰を絶対に禁止していることは、いずれも所論のとおりである。しかし、死刑は、憲法第三一條において是認し得るところであって、同法第三六條にいわゆる残虐な刑罰に当るものではなく、從って、死刑を定めた刑法の規定は違憲ではないこと既に当裁判所大法廷の判例とするところである。(昭和二二年(れ)第一一九号同二三年三月一二日大法廷判決参照)。そして、人爲の国法は、人爲に対する規範であり刑罰法規は人爲の刑事責任を問うべき制裁法規である。刑罰はいわば毒を制する毒であり、疾病に施すべき藥剤に相当する。從って、その科すべき刑罰の質量は、その科せらるべき人爲である犯罪の質量に應ずべき相対的のものであることを当然とし、所論のごとく單に科すべき国家刑罰の方面のみを片面的に観察して、死刑を以て悪計であり、人の生命を奪い人道に逆ろう蛮刑であり、国家の熟慮して行う非行であり、罪悪であり、往昔の遺物に過ぎない復讐であるとすることはできない。また、所論のごとく自由刑の目的の一つに過ぎない個人に対する痛苦個人の改過遷善等のみを以て他の種の一切の刑罰の目的効果を推量することも許すべきではない。抑も人の生命は神聖であって生存の権利は不可侵であること所論のとおりである。

しかし、元來社会を構成する個人の生命、人格等の尊重は、自他同事であらねばならぬ。独り自己の生命、人格等を尊重するに止らず、同時に他人の生命、人格等をも尊重しなければならない。されば、憲法第一三條は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」と規定して、何人でも自他ともにこれを尊重すべく要求せられているのである。さすれば他人の生命を尊重せずして故意にこれを侵害した者は、その自己の所爲につき、自己の生命をも失うべき刑罰に処せられる責任を負担するものといわざるを得ない。憲法第三一條は、死刑を含むこの人爲の刑事責任を法定することを是認するものと解すべく、從って、所論は、結局片面的観察に基く量刑の非難に帰するから、採ることができない。(その他の判決理由は省略する。)

よって旧刑訴第四四六條に從い主文のとおり判決する。

この判決は裁判官全員の一致した意見である。

(裁判長裁判官 斎藤悠輔 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 真野 毅 裁判官 岩松三郎)

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