最高裁判所第一小法廷 昭和27年(オ)601号 判決
上告人(被告) 奈良県選挙管理委員会
被上告人(原告) 下室明一
一、主 文
原判決を破棄する。
本件を大阪高等裁判所に差戻す。
二、理 由
上告代理人弁護士小田成就の上告理由第一点について。
原判決は、証拠に基き原告主張のごとき縦約九・二糎、横約二・六糎の紙片の表裏両面に仮名で「ミオ」と墨書された候補者三尾真一の氏を仮名書にしたこと疑のない紙片が本件投票日の午前九時半頃からすくなくとも午前十時過頃までの間本件選挙の第二投票所の投票記載所左端の机上に放置せられていた事実を認定し、且つ、「投票所においては、選挙人は、何人からも勧誘又は制肘を受けることなく全く自由に自己の所信に従つて投票し得られるということが最も重要な要請であつて、この要請に反し指定候補者の為めの勧誘を受け若しくは投票の自由を制肘せられるような環境又は設備のもとになされた選挙は明文の有無に拘らず選挙の規定に違反して為されたものと謂わざるを得ない。」と説示した後、所論のごとく、その理由中に「而して前認定の紙片は、故らその両面に候補者の氏を墨書しているもので、これを単に選挙人が心覚えに持参したものを置き忘れたものと認めるには余りに念入りであつて、候補者三尾真一の為め投票を勧誘する意図のもとに故意に作成せられ且つ投票記載机の上に放置せられたものと認めるのを相当とし投票者としては投票の勧誘とも考えられるから斯る紙片を存置したまゝ施行された本件村長選挙は選挙の規定に違反するものと謂うべきである。」と判示したことは、所論のとおりである。
そして、単に、原判決認定のごとき縦、横の紙片の表裏両面に候補者三尾真一の氏を仮名で「ミオ」と墨書されている事実並びに右紙片を判示時間中判示机上に放置されていたという事実のみから直ちに原判決認定のごとく「これを単に選挙人が心覚えに持参したものを置き忘れたものと認めるには余りに念入りである」とすること、並びに、「候補者三尾真一の為めに投票を勧誘する意図のもとに故意に作成せられ且つ投票記載机の上に放置せられたもの」と認定することは、推理の過程に飛躍があつて所論の指摘するごとく経験則上かかる認定を是認することはできない。しかのみならず、公職選挙法二〇五条にいわゆる「選挙の規定に違反することがあるとき」とは、主として、選挙管理の任にある機関が選挙の管理執行の手続に関する明文の規定に違反することがあるとき又は直接かような明文の規定は存在しないが選挙法の基本理念たる選挙の自由公正の原則が著しく阻害されるときを指すものと解するを相当とする。しかるに、原判決は「前示紙片が選挙事務担当者の知らぬ間に机上に置かれたもので、これを発見しなかつたことについて担当者に何等責むべき過失がなかつたとしてもやはり選挙が違法に行われたと謂うのに毫も差支ない。」と説示しこれをもつて公職選挙法にいわゆる「選挙の規定に違反するもの」としたのは法令の解釈につき重大な誤りがあるものというべきである。それ故本論旨は、結局その理由があつて、原判決は破棄を免れない。
そして、原判決は、他の争点の判断を省略して原告の本訴請求を認容したものであるから、民訴四〇七条一項に基き本件を原裁判所に差戻すべきものと認め主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官全員一致の意見によるものである。
(裁判官 斎藤悠輔 真野毅 岩松三郎 入江俊郎)
上告代理人弁護士小田成就の上告理由
第一点 原判決は判示理由中「前認定の紙片は故らその両面に候補者の氏を墨書しているものでこれを単に選挙人が心覚えに持参したものを置き忘れたものと認めるには余りに念入りであつて候補者三尾真一のため投票を勧誘する意図のもとに故意に作成せられ且投票記載机の上に放置せられたものと認めるのを相当とし投票者としては投票の勧誘とも考えられるから……」と判示さるゝも右認定は余りにも独断に過ぎ選挙に於ける吾人の経験則に反する処多大なものあり。即ち紙片の両面に「ミオ」なる候補者の氏を墨書せる事実を以て選挙人が単に心覚えに持参したものを置き忘れたものと認めるには余りに念入で候補者三尾真一の為め投票を勧誘する意図の下に故意に作成せられ且投票記載机の上に放置せられたものと認めるを相当としとの判示は如何にも右紙片が右目的の為めに故ら悪意を以て作成され且放置されたるかの如く解せらるゝも右は何等斯く解すべき証拠なく余りにも本件紙片を悪意に解せらるゝものにして我が国選挙界の実状を曲解せらるゝものなり。即ち我が国選挙界の実状は未だ文盲相当存し特に老人等の文盲有権者に対しては家族の者又は選挙関係者が其の選挙人の求めに応じ或は積極的に手本として候補者の氏名を書きたる紙片を作成し又は候補者の氏名を印刷したる名刺等を右文盲の選挙人に交付し右選挙人は之等を投票所に持参し、之等を手本として正規の投票用紙に候補者の氏名を記載する事は顕著なる事実にして右手本に用ひし紙片又は名刺は選挙人投票記載後之を持ち帰るを通例とするも応々選挙人は興奮の結果か或は無智の為か(この種の投票人には無智なる為と緊張の為め興奮する者多し)之等の紙片又は名刺を持ち帰らずして之等を投票用紙に巻き込みたる儘投票し又は其の儘右紙片、名刺類を投票記載の机上に置き忘れ又は机下に放棄しをる事実は仮にも投票管理又は開票管理事務に従事せし者には応々見聞する顕著なる事柄なり。
本件の「ミオ」なる紙片も全く右の如き場合に右の如き事情に依り残置せられたりと見るを選挙の通念に従ふ相当の解釈と思量す。
次に右紙片の両面に「ミオ」なる候補者の氏を墨書せる事実を以て如何にも念入りに悪意を以て作成せられたる如く判示せらるゝも文盲の選挙人の手本として作成する紙片は投票人が文盲なる為と投票所に於て投票の手本を見て正規の投票用紙に候補者の氏名を記載する事が選挙法規上何等禁止せられたる事柄に非ざるに不拘一部之等の文盲者の選挙人程度の者は斯る行為を以て公然と許さざる行為かの如く誤信せると又は文盲なる事を他人に知らるる事を恥とする為か(文盲者に対し代理投票制度設けられたるも文盲者中必ずしも此の制度を活用せず)隠秘に急ぎ携行の手本を取り出し之を模写する際に其の確実性を保せしめん為特に両面に手本を記載して作成さるる事想像するに難からざる事なり。然るに此の紙片の両面記載を以て念入りなれば投票勧誘の悪意より意図せられたるかの如き判示は我が国選挙界の実状の不知に基くものにして文盲者の投票人に所期の目的を達せしむる為念入りに作成されたる事実ありとするもそれを以て直ちに他の選挙人に対する投票勧誘なる如く判示せらるるは論理の飛躍あるものにして首肯し得られざる処なり。
特に右紙片「ミオ」に用いられし用紙の紙質、形状等より判断して斯の如き悪意を認むべき何等の証拠存せざるに於いておや。
近時欧米の選挙の投票記載の実情を見るに選挙人に対しては政党又は候補者側より積極的に非公式の投票の手本としての紙片を交付し之を投票日投票記載所に携行せしめ之を手本として選挙人をして正規の投票用紙に候補者の氏名にマークせしむるを通常とし選挙人をして投票の際の記載の間違を出来得る限り少なからしめ自党又は候補者の為の投票の完璧を期せしめつつある事は許されたる公然の行為にして自然右手本として用いられし紙片が投票記載所内に置き忘れられ、又は放置せらるる事は想像に難からざる事なるも之を以て選挙の規定違反と解せざるは顕著なる事実なり。
而して我が国に於ても選挙法上本件紙片携行の行為を何等制限したる規定なきに不拘原審判示に於て斯る行為を以て選挙の自由公正を害する行為なるかの如く解せらるるは我が国選挙界の過去に於て右紙片等に依り投票買収等の如き犯罪の手段とされたる事に対する遺風的誤れる観念にして今日の自由選挙の時代に於ては文盲の選挙人等が手本として携行する紙片の如きものに対し殊更神経をとがらし以て本件の如き程度(約三十分間)の紙片の存置の事実によりて選挙の自由公正を害するが故に選挙規定違反なりと解せらるるは欧米の選挙の実状より考察するも選挙の原則的解釈を異別に解すべき理由存せざるものなれば不当なる解釈なりと思量す。
自由明朗なるべき選挙を本件の如き程度の事柄に対しても選挙規定違反なりと解し選挙無効と判断せらるるに於ては我が国選挙界は不必要な混乱を招き特に市町村会議員選挙の如き当選者の得票数の差僅少なる場合に本件の如き一片の紙片の有無に拠り選挙無効の訴訟頻発し収拾し能わざる結果を見ん事を恐るるものなり。
第二点 原判決判示理由に於て「従つて本件選挙に於て右紙片の存在が選挙の結果に異動を及ぼす虞がないならば格別その虞があるものとすればその選挙は無効であると謂わなければならないから此の点について観るに証人井奥スヱ子、平西種子、小林フサノ、森本留太郎の証言によると同人等は投票に際し右「ミオ」なる紙片を認めたが何等之に影響せらることなくその所信に従つて投票したことを認定し得るが該紙片を発見した者は同人等四名以外にないものと認め得る立証がないのみならず……」との判示に対し考察するに本件程度の紙片の存せし事実は第一点に於て論述せる如く選挙の規定に違反せるものに非ずと解するも仮に一歩を譲りて判示の如く選挙規定違反なりと仮定するも右判示中「該紙片を発見した者は同人等四名以外にないものと認め得る立証がないのみならず」との判示は有力なる証拠を無視せる判断なり。即ち右四名以外に該紙片を見た者無しと云う証人巡査部長小川常吉の証言を無視せるものなり。即ち右証人小川常吉の証言には「右の紙片を見たと云う人人を中心とし調査した結果井奥スヱ子、小林フサノ、平西種子の三名は右投票記載所の向つて左側の記載机の上面にあつたと云い、森本留太郎は向つて左から二番目即ち中間にある記載机の上でみたと云いこの人等以外には右紙片をみた者はないとの事でしてこの調査に対する報告を管轄署長名で回答致しました。
尚右報告は有権者多数を調べた結果です」とありて明に右四名以外には該紙片を見たものなしと断定せるに右証言に反する他の証拠無きに不拘殊更右証言を無視して「該紙片を発見した者は同人等四名以外にないものと認め得る立証がないのみならず」との判示は有力なる証拠を無視し証拠なきに判断したる違法ありと信ず。
果して然らば該紙片を認めし者僅に四名にして然も右四名は何れも所信に従つて投票し何等右紙片に影響せられざりし事実と相俟つて本件選挙に於ては選挙の結果に異動を及ぼす虞あらざりし場合に該当するものなりと信ず。
第三点 原判決判示理由中「更に当事者間争のない候補者三尾真一の総投票中(第二投票所の分のみではないが)氏又は氏名の記載中「ミオ」と書かれている票が数十票あつた事実(事実三四票)とに鑑るときは右紙片の存在によつて之等の投票中たとえ二、三票でも候補者三尾真一に投票するに至つたものがなかつたとは断言出来ないであろう……」と判示せらるるも斯る推論は根拠無き推論なり。
即ち我が国選挙に於いては候補者の氏名を片仮名にて書くは全国選挙に於ける共通的顕著なる事実にして昭和二十二年四月に行われたる本村の村長選挙に際しても当時候補者たりし三尾真一に対し「ミオ」なる片仮名にて投票せる投票四九票有りたる事実より考察するも「ミオ」なる紙片が存置せし為今回の選挙に於て特に「ミオ」なる投票が二、三票でもあつたかも知れざる如き単なる憶測は条理に反するものにして選挙無効と断定する証拠としては余りにも理論の伴わざる仮空の推論なりしものなりと信ず。
抑々選挙の結果に異動を及ぼす虞ある場合に該当するや否やの判断は単なる臆測によりて推論すべきものに非ずして選挙の規定違反の事実が選挙の結果に異動を及ぼす虞ある公算(プロバビリチイ)上判断せらるる場合にして其の判断の結果虞ある場合ならざるべからず。然るに本件の如き根拠明白ならざる判断により選挙の結果に異動を及ぼす虞ありと解せられたるは法律上の判断を誤りたるものと思量す。
第四点 尚別紙参考資料東京都選挙管理委員会裁決書は東京都南多摩郡七生村村長選挙の効力に関する訴願に関するものにして其の訴願の理由、裁決は本件の場合と類似の事案にして即ち投票記載机上に候補者の氏名が約三十分間記載されてありたる場合にして之に対する東京都選挙管理委員会の裁決理由は訴願人の主張事実に対し「選挙の規定に違反し、選挙の結果に異動を及ぼす虞ある場合に該当せず」と裁決し之に対し訴願人承服せる事実あり。本件と対比し類似的事案なるを以て右裁決を有利に援用せんとするものなり。
以上の如き理由により原判決は之を破毀する旨の判決を求め度
(添付の参考資料省略)