最高裁判所第一小法廷 昭和35年(オ)485号 判決 1964年1月23日
主文
原判決を破棄する。
本件を広島高等裁判所松江支部に差し戻す。
理由
上告代理人弁護士草光義質の上告理由第一点、第二点について。
原判決が当事者間に争いのない事実として、また証拠によつて認められる事実として、確定した事実は次のとおりである。
すなわち、別紙図面の五三二番山林二畝一四歩、五三二番内第一宅地二二坪及び本件山林は、いずれも、もと国有地であつたが、このうち前二者(当時五三二番山林一筆で、後上記の二筆に分れた)は、明治九年五月頃、上告人の三代前の戸主田中源右衛門に払い下げられて、その所有となり、次いで、本件山林は明治三六年一二月原判示被上告人らの亡祖父、または亡父及び上告人とも計六名の共同名義で払い下げられ、昭和二七年五月二三日本件当事者六名共有の所有権保存登記がなされたこと、そして、五三二番、五三二番内第一の両土地は八幡宮及び荒太荒神の境内地であり、その境内地を囲んで本件山林があり、あわせて一つの神域をなしており、本件山林の払下げは、六名の者が右の荒太荒神の信徒総代名義をもつてなした出願に基づいてなされたものであるというのである。
思うに、上告人方の単独所有に属する前示八幡宮及び荒太荒神の境内地があり、それを囲んで本件係争の山林があり、それらがあわせて一つの神域を形成している場合に、上告人が加わつているとはいえ、右境内地の所有者でない者まで加わつて名義上右荒太荒神だけの信徒総代ということで、係争山林の払下げを願い出でたという事実関係のもとでは、たとえ、係争山林が前示六名の共同名義で払い下げられ、次いで本件当事者六名共有の所有権保存登記がなされたとしても、そのことから被上告人ら主張のごとく係争山林が結局判示部落の所有に帰したというようなことは原判決の説明だけで容易に首肯できることであろうか。しかも上告人の主張によれば、前示八幡宮及び荒太荒神は上告人家の私祭神であるというのであつて、もしその事実にして肯認されるならば、(この点は後段説示参照)なお一層首肯できない筋合のものと云わなければなるまい。そして一方前示払下げの行われたのは明治三六年一二月のことであり、係争山林が本件当事者六名の共有名義で所有権保存登記の経由されたのは昭和二七年中のことであるというのであるから、前示払下げと右保存登記との間には実に約五〇年の歳月が経過しておるに拘らず、その間にどのように事柄が変遷推移したものかについては原判決は殆んど触れるところなく、その間の事情は漠として捉えどころがないのである。それでは原判決は十分に審理を尽くし、理由を備えたものとは云えないではなかろうか。原判決は右共有名義の所有権移転登記経由の事実を重視しているものの如くであるが、云うまでもなく、不動産登記には公信力はない。登記があるからといつて、それが、実体的関係に必ずしも吻合するものではない。勿論不動産登記はその内容たる権利の存在を推定させる効力のあることは否定すべくもないが、本件においては、その推定を覆えす有力な事実が原判文上展開されているのである。すなわち、その一は、前示払下げ代金の支払者に関する点であり、その二は係争山林の納税に関する点である。けだし、前示払下げ代金を上告人において納入し、且つその領収証が上告人の手裡に存し、また係争山林の税を上告人において納入しその納入書の一部が上告人の手許にあるものとすれば、係争山林の所有権は前示保存登記にかかわらず、一応上告人にあるものと認めるを相当とし、前示保存登記は別に理由あつてなされたものと考察するを相当とせざるを得ないからである。原判示によれば、右払下代金の領収書に該当する甲第一二号証の三、四は上告人の手許に前示払下げ以後引続き保存されており、右領収証には、「山本安太郎外四名代り兼買受人田中精一納」と記入されてあるというのである。右文面の意味が必ずしも明確であるとは云い難いが、前示払下げは上告人を含め右山本安太郎とも計六名の名義の出願に基づいてなされたのであるから、右文面は払下げの名義人の代理人でもあり、兼ねて買受人本人でもある田中精一(上告人)において納入したという意味に諒解できないわけのものでもない。然るに原判決は上叙の関係に関し単に上告人が共同名義人の代表として代金納付の手続をしたものと認めるを相当とすると判示しているだけで、他に首肯するに足る何らの理由をも附加していない。また、原判示によれば、係争山林の税を上告人が負担したことを証すべき領収書の若干が上告人の手裡に存するとの趣旨を認定しながら、(この認定によれば上告人において右税の負担をしていたやも計り難いのである)何の故に右領収書の若干が上告人の手裡に存するやを明瞭にする何らの説明をも加えず、ただ漫然と「右のような事実があるからといつて、右同様これを肯認することは難かしい」と判示するだけなのである。思うに上叙の関係は本件を解明するについての一つの有力な鍵であると考えられるのであるが、以上のような原判決の説示だけでは上叙関係を十分且つ明確に解明したものとは云えず、原判決はそこに審理不尽、理由不備の欠陥を蔵するものと認めざるを得ないのである。
次に本件を解明するもう一つの鍵は次の点にある。すなわち、上告人は「この地には古く上告人家の私祭神たる八幡宮とこれに附髄する荒太荒神が祭られており、明治維新の社寺整理の際には上告人家の邸内にこれらを奉遷した関係上、その境内地たる前示五三二番、五三二番内第一の両地が田中源右衛門に払い下げられたのであり、右払下げ後、上告人家において再び右両祭神を右両土地に鎮座し奉つたという事情から、上告人個人が国有林野法にいわゆる縁故者として本件山林の払下げを受けたのである。払下げ出願にあたり被告人らの亡祖父または亡父とともに荒太荒神信徒総代という共同名義を用いたのは単なる便宜に出でた形式的のものに外ならない」旨主張するに対し、被上告人らは「本件係争山林は前示払下出願人らが荒太荒神の崇敬者の総代人として、縁故者と認められ、払下げを受けたものであり、従つて係争山林は飯生区民の共有もしくは総有に属するものである」旨主張するものである。
そこで、係争山林について、六名共同名義で払下げを受けたにかかわらず、真実は上告人のみがひとりその主張のような事情から縁故者として払下げを受けたものであるかどうかが、本件における主要な争点となつているのであり、この点を解明することは本件において肝要事であり、原判決批判の重点もそこにあるわけである。それには、まず八幡宮及び荒太荒神が果して上告人家の私祭神であるか否かを明かにしなければならない。然るに、この点に関し原判決は、八幡宮は上告人家の本願としても、明治九年当時にいわゆる邸内社ではなくて、部落民に開放されて一般に参拝していたものであり、荒太荒神は神体がコガの大木であるので、上告人家の本願というよりは古くから部落民が荒神として崇敬していたものと解するを相当とする旨認定し、その認定の根拠として、甲第二二号証、同第二七号証の三、同第三九号証の各図面、第一審並びに第二審における検証の結果、明治九年教部省達第三八号「私祭の神祠仏堂へ衆庶参拝停止及び参拝出願方」を掲げ右諸証をあわせて考えれば右のように認定すべきであり、前示両宮は上告人家の私祭神ではないという趣旨を判示しているのである。しかしながら、右証拠資料のおのおのを具さに検討し、またこれらを総合考察してみても、右のような認定は引き出し得べくもないのである。なお、原判決は上告人は明治三三年七月一一日母里村加納家から田中家に忠右衛門の養子として入籍し、同三六年一二月二六日養父忠右衛門の死亡により戸主となつたものであり、明治三六年一一月頃になされた係争山林払下げの出願当時は田中家の戸主とはなつていなかつたのであるから、上告人が戸主忠右衛門をさしおいて、係争山林の縁故者と認めることは家の観念の強かつた当時としては考えられないところであるという。しかし、原判決によれば、忠右衛門は右出願時齢八〇歳を超え右出願の翌月死亡しているというのであるから、このような事態の下では忠右衛門の養子である上告人を係争山林の縁故者と認めて支障がないのではなかろうか。なお、原判決は(1)係争山林の払下げは荒太荒神信徒総代である上告人を含む頭分六名の者の出願によるものである、(2)上告人が右出願人の代表として代金納付の手続をした、(上告人が右出願人の代表資格だけで代金納付の手続をしたものと必ずしも認められないことは前段ですでに述べたところである)(3)荒太荒神は部落民が崇敬の対象としていた、(4)荒太荒神には講中があつてこれを管理していた、(5)払下げ後本件紛争をみるに至るまでの間、係争山林の管理には頭分があたり、地租なども部落で負担していた、(右地租負担の関係は必ずしも、そのようにばかり認定できないものであることはすでに述べた)等々の事実を掲げ、要するに荒太荒神が上告人家の私祭神であり、従つて上告人を係争山林の縁故者とみることは証拠が乏しいというのである。原審は判文によつても明らかなように、審理を専ら荒太荒神の関係に集中し、前示八幡宮の関係には触れていないのであり、その点が原判決の審理不尽理由不備であることは前段説述の次第で明らかにしたものと考えるが、それはそれとして、前示(1)(3)(4)(5)の事実からして直ちに、荒太荒神が上告人家の私祭神でなく、従つて係争山林の縁故者でないものと、しかく容易に判断できるものであろうか。むしろ上告人側の提出にかかる前顕甲第二二号証、同第二七号証の三、同第三九号証第一、二審検証の結果教部省達等を始め甲第一三号証の一、二、同第一六号証の一、同第四二号証の一、二、同四八号証の一、二、同第四九号証、同第四〇号証、同第一九号証等を些細に検討し、これに上告人援用の人証の供述内容をあわせ考えるときは、荒太荒神(八幡宮は勿論である)は古くから上告人家の私祭神であり、従つて本件係争山林払下げの願出も上告人がその縁故者の故を以て願い出で、その理由で払下げも認可となつたものではないかと考えられる節が濃厚なのである。然らば、すなわち、原判決が荒太荒神を上告人家の私祭神であり、従つて、係争山林払下げの願出並びに認可が上告人において縁故者たるの理由でなされたものと認めるに証拠十分でないとした判断には審理不尽、理由不備の欠陥ありとするに憚りないものと云うべきであつて、本論旨は結局理由あるに帰する。
よつて、当裁判所は他の論点に言及するまでもなく、本件を原審に差し戻して更に審理をつくさせるのを相当と認め、民訴四〇七条一項を適用の上裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 入江俊郎 裁判官 斉藤朔郎)
《当事者》
上告人 田中精一
右訴訟代理人弁護士 草光義質
被上告人 村社 清 外四名
右五名訴訟代理人弁護士 大脇英夫 高橋寿一