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最高裁判所第一小法廷 昭和39年(あ)2016号 決定 1967年5月25日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人小野謙三、同伴純、同藤井五一郎連名の上告趣意(昭和四〇年二月一一日付)は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同三名連名の上告趣意(其二)は、憲法三一条違反をいう点もあるが、実質において単なる訴訟法違反、事実誤認の主張に帰し、同三名連名の上告趣意(其三)も、結局事実誤認、単なる法令違反を主張するものであって、以上すべて刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。(なお、記録によれば、本件事故は、新潟県西蒲原郡弥彦村所在弥彦神社の職員である被告人らが、昭和三〇年一二月三一日から翌年元旦にかけていわゆる二年詣りと呼ばれる行事を企画施行し、その行事の一環として午前零時の花火を合図に拝殿前の斎庭で餅まき〔福餅撒散〕を行なったが、その二年詣りの参拝者中、午前零時より前に右斎庭内に入り、餅まきの餅を拾うなどしたのち同神社随神門から出ようとする群衆と、その頃餅まきに遅れまいとして右随神門から右斎庭内に入ろうとする群衆とが、右随神門外の石段付近で接触し、いわゆる滞留現象を生じたため、折り重なって転倒する者が続出し、窒息死等により一二四名の死者を出したというものである。この事故において、被告人らにより餅まき等の催しが行なわれたことおよび右死者の生ずる結果の発生したことについては、疑いを容れる余地がない。そこで、右神社の職員である被告人らにこの事故に関する過失の罪責があるかどうかを、右結果の発生を予見することの可能性とその義務および右結果の発生を未然に防止することの可能性とその義務の諸点から順次考察してみると、本件発生の当時においては、群衆の参集自体から生じた人身災害の事例は少なく、一般的にこの点の知識の普及が十分でなかったとはいえるにしても、原判決の認定するごとく、右二年詣りの行事は、当地域における著名な行事とされていて、年ごとに参拝者の数が増加し、現に前年〔昭和三〇年元旦〕実施した餅まきのさいには、多数の参拝者がひしめき合って混乱を生じた事実も存するのであるから、原判決認定にかかる時間的かつ地形的状況のもとで餅まき等の催しを計画実施する者として、参拝のための多数の群集の参集と、これを放置した場合の災害の発生とを予測することは、一般の常識として可能なことであり、また当然これらのことを予測すべきであったといわなければならない。したがって、本件の場合、国鉄弥彦線の列車が延着したことや、往きと帰りの群衆の接触地点が地形的に危険な右随神門外の石段付近であったこと等の悪条件が重なり、このため、災害が異常に大きなものとなった点は否定できないとしても、かかる災害の発生に関する予見の可能性とこれを予見すべき義務とを、被告人らについて肯定した原判決の判断は正当なものというべきである。そして、右予見の可能性と予見の義務とが認められる以上、被告人らとしては、あらかじめ、相当数の警備員を配置し、参拝者の一方交通を行なう等雑踏整理の手段を講ずるとともに、右餅まきの催しを実施するにあたっては、その時刻、場所、方法等について配慮し、その終了後参拝者を安全に分散退出させるべく誘導する等事故の発生を未然に防止するための措置をとるべき注意義務を有し、かつこれらの措置をとることが被告人らとして可能であったことも、また明らかといわなければならない。それにもかかわらず、被告人らが、参集する参拝者の安全確保について深い関心を寄せることなく、漫然餅まきの催しを行ない、雑踏の整理、参拝者の誘導等について適切な具体的手段を講ずることを怠り、そのために本件のごとく多数の死者を生ずる結果を招来したものであることは、原判決の認定するとおりであり、結局、本件について被告人らを過失致死の罪責に問擬した原判決の判断は正当というべきである。)

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田 誠 裁判官 大隅健一郎)

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