最高裁判所第一小法廷 昭和42年(行ナ)14号 判決 1968年1月25日
大阪市東住吉区田辺東の町四丁目二六番地
再審原告
高野宇三郎
大阪市東住吉区田辺東の町五丁目一四番地
再審被告
東住吉税務署長 渡辺辰治郎
右当事者間の昭和三九年(行ツ)第四三号所得税処分取消請求事件について、当裁判所が昭和四二年九月二八日言い渡した判決に対し、再審原告から再審の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件再審の訴を却下する。
再審費用は再審原告の負担とする。
理由
本件再審理由書に記載するところは、法定の再審事由に該当するものとは認められない。それ故、本件再審の訴は、不適法であって、却下すべきものとする。
よって、民訴法四二三条、四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長部謹吾 裁判官 入江俊郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 大隈健一郎)
再審の訴状
大阪市東住吉区田辺東の町四丁目二六番地
再審原告 帳面人 高野宇三郎
大阪市東住吉区田辺東の町五丁目一四番地
再審被告 東住吉税務署長 渡辺辰治郎
昭和四二年十月二十六日
最高裁判所第一小法廷 御中
昭和三九年(行ツ)第四三号
所得税処分取消請求事件
判決言渡日昭和四二年九月二八日
最高裁判所第一小法廷
右判決に対し再審を求めます
再審理由書は別に提出します
附属書類
一、当訴状謄本 壱通
大阪市東住吉区田辺東の東四丁目二六
再審原告 帳面人 高野宛三郎
大阪市東住吉区田辺東の町五丁目一四番地
再審被告 東住吉税務署長
昭和四十二年一二月九日
最高裁判所第一小法廷 御中
再審の理由書
再審原告の主張は別紙添附附属書訴状の通りであります。
原告は更正決定(訴状二頁参照)―の現実は、憲法二四条第一項に反するというのであります。
それで貴庁判決(昭和三十九行ツ第四三号)昭和四十二年九月二十八日言渡)の判決理由によれば、
「憲法第二四条は、男女両性は本質的に平等であるから、夫と妻との間に、夫たり妻たるの故をもって権利の享有に不平等な扱いをすることを禁じたものであって、結局、継続的な夫婦関係を全体として観察した上で、婚姻関係における夫と妻とが実質上同等の権利を享有することを期待した趣旨の規定と解すべく、……このことは、すでに当裁判所昭和三四年(オ)一一九三号、同三六年九月六日言渡の大法廷判決の判示するところであり、右判示に徴すれば、婚姻中の毎年度の所得課税について、夫婦の一方の所得を夫婦間に分割し、夫婦別々に課税するのでなければ、右憲法の規定に違反するとまではいえない。」とあるが、夫婦は一心同体一つの協力体で男一人だけの又男なく女一人だけの夫婦はない。その協力体夫婦の創った夫婦財産は、等分してこそ両性各々権利の享有に不平等なく、実質上同等の権利の享有といえると思う。それは夫婦の一方の所得を夫婦間に分割するのではない。(添付の別紙上告人準備書面第四回四頁三参照)
このような更正決定を是認するとなると、女三従の教へ、亭主関白、女は三界に家なし等々続出し、妻は夫の奴隷で、結局、憲法二四条は空文化すること明らかである。
右再審する理由であります。 以上
附属書類
一、当副本 七通
一、訴状〃(昭和三十八年一月二十九日) 七通
一、上告人準備書面第四回副本(昭和四〇年七月二十七日) 七通
訴状
大阪市東住吉区田辺東の町四丁目二六
原告 帳面人 高野宇三郎
大阪市東区大手前之一番地
被告 大阪国税局長
所得税処分取消請求事件
請求の趣旨
被告は、被告が原告に対し昭和三七年一一月一九日になした昭和三六年分所得税の審査決定通知を取消せ。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決を求める。
請求の原因
現実。
原告及び其妻の昭和三六年分の所得申告と所轄税務署のその更正決定。
<省略>
これが当訴訟の直接にして根本の原因である。
事実
原告は前記当訴訟の原因である事実に直面して再調査請求しました。即ち
昭和三六年分所得税の再調査請求のわけ。
一、高野菊江は妻であります。
二、別紙税処分の金額は吾等夫婦の所得でありまして、これは夫だけのものでもなければ又妻だけのものでもありませぬ、或は又妻のものであると同時に夫のものだともいえましょう。
三、このような性質の夫婦所得を各自が独立の社会人として又国民としてそれぞれの所得分をきめるとなれば相談して等分することが最も適切で且当然のことだとわれわれの常識は教える。
四、この常識に従ってわたくしい妻とがそれぞれ税申告をしました。ところが妻の税申告を完全に抹殺し夫婦所得全部をわたくし(夫)一人の所得だとせられたのが貴庁こうせい決定であります。固よりこのような税処分には承服できませぬ。これが再調査請求のわけであります。
五、当請求を審査請求に移行せられることに異議ありません。
この再調査請求を所轄税務署に昭和三七年七月一六日提出、審査決定通知書入手したのは昭和三七年一一月二一のことであります。
その審査決定通知書には
記
決定、審査の請求は棄却します。
理由、あなたは事業所得金額五八八、〇〇〇円、給与所得金額一九三、六〇〇円のおのおの半額は妻に帰属すると主張しておられますが、所得税法上あなたの妻はあなたの配偶者の地位にあり所得金額は全額あなたに帰属するものと認めます。よって原処分に誤りありませぬ。
とあります。
理由
憲法第二四条第一項。婚姻は両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として相互の協力により維持されなければならない。
このように夫婦の所得を夫一人に独占させ、妻の所得一円も認めぬということが、昭和三二年分所得税処分以来当事件昭和三六年分所得税処分まで五ケ年確定に強行されているのであります。つまり妻は無我に、一途に、絶対的勤労を捧げたにかかわらず、その夫婦の所得に一文の所得をも認めぬ。しかも終生ということを強行しているのが此所得税処分の根元の思想であります。勿論これは原告の家庭だけに対する暴力であります。
が、このようにして逆える年も送る年も、全国の妻の地位にある女性一人のこらず、原告の妻と同じ運命に押しこめられ、同時に夫に無耻・非良心的なことを強いているのであります。
雇傭関係のような相対的努力とても、それ相応の報償・給与・対価を支払うこと当然なのに、これでは妻とは夫婦の絆で縛った奴隷である。
被告はこの税処分は所得税上誤りはないといわれる。原告は法律規則に暗いが敢ていう。所得税法だけとはいわぬ、ここに見る税処分の現実を正当化又正当視するように法律規則はすべて頭書憲法第二四条第一項に反すると。
原告の所得税申告が当然であり、被告の所得税処分は、当然を排除するものであり、不正を強いる非良心的非民主的なものだと原告は云う、そのわけは
(イ)生物人と人間。オス・メスの関係は生物(人類を含めて)の最も基本的な関係で、此関係を阻止すれば五十年を出でずして地上に一つの生物もいなくなること自明である。
ところが、此無慮幾億の生物中、ただ一つ人という生物だけが自覚に恵まれている。此恵まれた自覚とは、自他を知り自らの生命の創造と幸福とを実現するということである。この実現において生物人がそのまま人間人即ち人間と成る。勿論人間と成ったからとて生物人たる素質が消えてなくなるとはいわぬ。
(ロ)夫婦の関係。失婦の関係とは此自覚者人間両性が、生殖関係を基本に、自らの生命と幸福とのためにお互に協力して努力する、即ち「働く」ことをいう。無自覚な生物の活動は本能的或は反射的で相互の協力に欠けているだけに文化は生れないが、われわれ現代に見る文化はすべて此夫婦の努力即ち働く夫婦によって建立され構築されたものである。
此相互の協力という夫婦の関係を否定すれば、世はただオス・メスの関係となり、人間は一生物に転落し、一切の文化は崩壊する明かである。
夫婦は社会や国の絶対的基本単位一である。ということは、憲法の示す「相互の協力」を不可欠の要件とする夫婦こそ完成せる人間の単位一だということである。未婚又は独身者は此意味において、将来に完成を期待せられる輝やかしき前途を持つ不可欠の要素たる人々である。
では男一女一を含めて夫婦は二でなく、単位一という。どうしてか、
憲法第二四条にいう「相互の協力」とは男だけがまことを尽すということではない、同時に女も真事(マコト)を致すということである。このまことを尽しあう相互の協力とは、男一女一を含む全体それ自身が、自分で自分を決定する全体の自已限定ということである。その全体の自已限定一こそが、ここにいう真の夫婦一で、それが社会や国さては文化を建立し構築する絶対的基本単一だというのである。古来「夫婦は一心同体」というもこのことである。
この夫婦において男を夫と云い女を妻と呼ぶ。夫婦をはなれれば夫なく妻もない。只の男と女である。ゆえに又、夫あれば妻あり、夫婦厳存する。夫婦・夫・妻とはこのように現実である。
(ハ)夫婦の所得と其帰属及び処分。夫婦はそれ自らの生命と幸福のために働く。此働く力は、一心同体、夫婦一の一つの力である。従って其成果所得は夫婦一に帰属することというまでもない。それは他の所得の微塵も混入しない純一無雑夫婦固有の所得である。夫婦は此成果所得によって、精神的に又物質的に充足され、夫婦生活豊かに、そうして純化され維持される。憲法第二四条は示す「夫婦は相互の協力により維持されなければならない」と。
このような夫婦の所得の処置・処分・利用等は夫・妻ただ二人の了解と信頼でのみ行われること当然で、他の容喙を許さぬ。互の了解信頼とは専制と隷従、圧迫と偏狭から脱却し穏やかに自由ということことで「夫婦が同等の権利を有することを基本」にと憲法垂示の通りを意味する。
此同等の基礎に立ってこそ健康にして均衡のとれた人間の絶対的基本単位夫婦一確立し、人間の世界が建設されていく。
(ニ)現実、自然、法。以上真の夫婦は相互協力して働く。それは誰に教えられ又強えられることなしに、夫妻各自自覚してそれ自らの生命の創造と幸福とのために自ら然るものとして働く現実自然である。夫婦の所得はその成果である。それは法であり、人間の真実であり、真理である。
(ホ)夫の所得と妻の所得。このような夫婦の所得を或る事情の下に、本件の場合は夫と妻とが社会人として又国民として社会又は国えの必須の供出としての税の必要からそれぞれの所得を定めるとなれば互に了解の上で等分する当然である。即ち、夫婦の所得一全。夫の所得此一全の半分、妻の所得此一全の半分。
又此妻・夫の所得の相互関係は、夫の所得あれば妻の所得あり一方を否定すれば他方にも無く、ただ夫婦の所得依然たるだけである。夫婦の所得の処置・処分・利用等において、その配偶者一方だけの独占ということは、道徳的には良心の許さぬところであり、法律的には「同等の権利を有することを基本」とすると示すことを蔑視することで、まさに不正である。
むすび
人道に準拠した健康にして清潔な夫婦生活は、このようなものと原告は信ずる。自由と民主主義とを高揚するわが憲法の示すところも又同様である。
これが、原告が被告の所得税処分は妻を奴隷に、夫に非良心的非民主的なことを強いるものだというわけである。
依而被告の所得税処分は前記憲法第二四条に反すると原告は主張する。
以上当訴え請求の趣旨の理由であります。
昭和三八年一月二九日
大阪市大住吉区田辺東の町四丁目二六
帳面人 高野宇三郎
大阪地方裁判所 御中
所属書類
一、当訴状謄本 一通
上告事件番号 昭和三九年(行ツ)第四三号
所得税処分取消請求上告事件
大阪市東住吉区田辺東の町四丁目二六番地
上告人 帳面人 高野宇三郎
大阪市東住吉区田辺東の町五丁目一四番地
被上告人 東住吉税務署長
昭和四十年七月 日
最高裁判所第一小法廷 御中
上告人準備書面 第四回
(最高判決とは昭和三四年(オ)第一一九三号昭和三六年九月六日大法廷判決のこと)
昭和三九年一一月一九日提出上告人準備書面第二回二頁三行目「これまでのところこの上告人の主張……」の一行だけ取消す。
一、最高判決理由書二枚目表末(オモテ)二行目以下に、「民法七六二条一項の規定をみると、夫婦の一方が婚姻中自己の名で得た財産はその特有財産とすると定められ、この規定は夫と妻の双方に平等に適用されるものであるばかりでなく、所論のいうように夫婦は一心同体であり一の協力体であって、配偶者の一方の財産所得に対しては他方が常に協力、寄与するものであるとしても、」とあるが、この末尾の「ものであるとしても」と夫婦は一心同体とはいささか考えさせられる。
夫婦は一心同体とは訴状五頁(ロ)の四行目に「まことを尽しおう相互の協力とは、男一女一を含む全体それ自身が、自分で自分を決定する自己限定ということである」とあって、そこからは前記理由書にいはれる「夫婦の一方が婚姻中自己の名で得た財産はその特有財産とすると定められ、この規定は夫と妻の双方に平等に適用されるものであるばかり」という結論及び「配偶者の一方の財産収得に対しては他方が常に寄与するものであるとしても」という結論も出ぬ。
それは民法同条項に「婚姻中自己の名」とあるものを、「夫婦の一方が婚姻中自己の名」と云はれる同理由書だけの結論である。この引用文は夫婦を否定し、一心同体を破壊するものと云はねばならぬ。これでは夫婦とか夫・妻と呼ばれてもそれは言葉だけのことで、真の夫婦又妻・夫でなく、これまで度々いうたアカの他人の寄合いにすぎぬ。この現証が被上告人の更正決定である。
成程配偶者の一方が夫婦財産収得に、その名を使うことは事実である。本件上告人の場合も現にそうであるが、一心同体、夫婦一の夫又は妻の地位にある者の名であって、独身の男又女のということではない。
本件の場合夫又は妻の名は、社会の基本単位として一つの全体、一心同体、夫婦自己の対社会の名で、民法同条にいう「婚姻中自己の名」即ち夫婦自己の名である。
最高判決及び当訴訟一、二審を貫く夫婦別産主義なるものは日刊紙に記されるときは必ず略註が添えられている程一般人には馴染うすいもの上告人とても例外でないが、上告人の主張と相容れぬ主義のようである。第一審によると「民法第七六二条にこの主義が採用されたのは、封建的家父長的家族制度を廃し妻の地位を高めるために妻に特有財産を認め、その衝平上夫にもこれを認めることとしたものであって」(第一審判決五枚目表四行目)とあるがこの衡平は夫、妻とも同等の権利義務の上に立ってのことであって、上告人の云いたいことはこの衡平は同等の権利を有することを基本にしていない点を強く主張するのである。極端なギャッブがあることは訴状以来説明を諄(クド)く繰返した通りである。そこに夫婦所得が考えられているだろうか。つづいて同判決に夫婦財産を民法の規定が夫婦共有財産制を定めるものともいえぬとあるが、それは夫婦の努力が然あらしめた自然果で、共有とか別産を超えた実在であるからである。(大阪高裁昭和三八年十年七日控訴状三頁五行目(2)夫婦所得参照)
所得取得のために使う名だけによって、人倫の基本夫婦を否定し、夫婦所得の本質までを抹殺するようなことは行過ぎのよう思える。
ここに述べた真実を無視した根拠に立つ更正決定が合憲であり、真実を主張する上告人の申告(夫婦が同等の権利を有することを基本として相互の協力により維持されなければならない)を排する最高判決には不服である。
最高判決理由はつづく
二、「民法には別に財産分与請求権、相続権ないし、扶養権請求権等の権利が規定されており、右夫婦相互の協力、寄与に対しては、これらの権利を行使することにより、結局において夫婦間に実質上の不平等が生じないよう立法上の配慮がなされているということができる。しからば民法七六二条一項の規定は、前記のような憲法二四条の法意に照らし、憲法の右条項に違反するものということができない。」とあるが法律規則にくらい上告人とても、大体民法にこのような配慮あるだろうことは常識的に推定はできる。しかしそれは未来のことである。
本件は更正決定の夫婦所得全部を夫に独占せしめ妻は無一文零にせよとの暴力的不平等の現在に対する訴えである。
未来は危機を胎む、現在は千仭の谿谷に立つ、大正十二年の大震災、昭和十六年十二月の宣戦布告、近くは昨今の経済の恐慌、其外身辺の日々の出来事、現在を棚上げして未来を聞かされる。しかもそれが憲法の法意だとの意見をきく。
この最高判決には上告人は納得できぬ。
本件は訴状四頁五行目にいう「所得税法だけとは云はぬ、ここに見る税処分の現実を正当化又正当視するような法律規則は、すべて憲法第二四条第一項に反する。」とは更正決定を受取ったときの上吉人の直感であった。それが偶々民法七六二条一項によるとのことで最高判決となったのであるが、同理由をみると如上の一、二、のように上告人は不服である。
以上がはじめにのべた「ものであるにしても」と、夫婦は一心同体とは、いささか考えさせられるというた理由であるとともに当事件に被上告人が、この最高判決を以て答弁に擬せられることの不適当を主張する上告人――の趣旨である。
三、それから、夫婦所得の等分が実際上困難だとのことを被上告人側の人々や、第一審で聞いたが、ここに一ケの梨の実が在るとする。此実は雌蕊だけで成ったものだろうか、それともとも雌蕊なしで雄蕊だけでできたものだろうか。
雌蕊にきけば自分だけでというかもしれぬ、又雄蕊に尋ねれば反対に同様にいうかしれぬが、そのどちらもそれぞれの勝手吾ままないい分なるこというまでもない。訴状四頁一三行(イ)に「人間となったからとて生物人たる素質が消えてなくなるとはいわぬ」とあって更正決定の如き生物人的吾ままによることだろうが、人間は、常に身心の向上に努力する者というこの道理は、大自然がわれわれ夫婦・妻・夫に教えることで、憲法第二四条第一項に明示してある通りでその処分は夫妻に任すべきで、傍からカレコレいうべきでなく、易々たることである。
このようなことからして、夫婦間の贈与税なぞという奇税がいつも問題になったり、民法を改正しなければと現に民法専門の人達及び大蔵省主税局長までがいうていられるとのことである。(三九年一一月三〇日産経新聞一貢)
附属書類
一、当準備書面謄本 七通