最高裁判所第一小法廷 昭和43年(オ)1044号 判決 1973年6月07日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人松田道夫、同松田節子の上告理由第一点について。
不法行為による損害賠償についても、民法四一六条が類推適用され、特別の事情によつて生じた損害については、加害者において、右事情を予見しまたは予見することを得べかりしときにかぎり、これを賠償する責を負うものと解すべきであることは、判例の趣旨とするところであり(大審院大正一二年(オ)第三九八号・第五二一号同一五年五月二二日判決・民集五巻三八六頁、最高裁昭和二八年(オ)第八四九号同三二年一月三一日第一小法廷判決・民集一一巻一号一七〇頁、同昭和三七年(オ)第四四四号同三九年六月二三日第三小法廷判決・民集一八巻五号八四二頁参照)、いまただちにこれを変更する要をみない。本件において、上告人の主張する財産および精神上の損害は、すべて、被上告人の本件仮処分の執行によつて通常生ずべき損害にあたらず、特別の事情によつて生じたものと解すべきであり、そして、被上告人において、本件仮処分の申請およびその執行の当時、右事情の存在を予見しまたは予見することを得べかりし状況にあつたものとは認められないとした原審の認定判断は、原判決(その引用する第一審判決を含む。)挙示の証拠関係に照らして、正当として肯認することができる。したがつて、原審の認定判断に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第二点について。
本件仮処分の被保全権利の不存在が、本案訴訟において確定されていないとしても、原審における上告人主張のように、被上告人が起訴命令を受けながら本案訴訟を提起せず、かえつてみずから仮処分の執行取消申請をしたという事実があるとすれば、本件仮処分は被保全権利を欠く違法なものであつたと推認するのが相当である。しかし、上告人主張の損害が被上告人において予見せずかつ予見することのできない特別の事情によつて生じたものであつて、被上告人がその賠償の責に任じないものであるとした原審の判断を是認することができることは、前述のとおりであるから、被保全権利の存否に関する原審の認定判断の当否は、上告人の請求を棄却すべきものとした結論に影響を及ぼすものではない。したがつて、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官大隅健一郎の反対意見があるほか裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
裁判官大隅健一郎の反対意見は、次のとおりである。
(一) 多数意見は、不法行為による損害賠償についても民法四一六条が類推適用され、特別の事情によつて生じた損害については、加害者において、右事情を予見しまたは予見することをうべかりしときにかぎり、これを賠償すべき責を負うべきものと解し、かような立場から、本件において上告人の主張する財産上および精神上の損害は、すべて、被上告人の本件仮処分の執行によつて通常生ずべき損害にあたらず、特別の事情によつて生じたものと解すべきであり、かつ、被上告人において右事情の存在を予見しまたは予見しうべかりし状況にあつたものとは認められない、として上告人の請求を排斥した原判決を是認しているが、私は、不法行為による損害賠償につき民法四一六条が類推適用されるとする見解そのものに賛成することができなく、したがつて、かかる見解に立つて原判決を支持する多数意見には同調することができないのである。
(二) わが民法は、債務不履行による損害賠償の範囲については同法四一六条の規定を設けているが、不法行為による損害賠償の範囲についてはなんらの規定もおいていない。そこで、右の四一六条の規定を不法行為の場合にも類推適用すべきものと解するのが、従来の判例および学説における通説であり、本判決における多数意見もこれに従うものにほかならない。
民法四一六条によると、債務者がその債務の本旨に従つた履行をしない場合において債権者が請求することをうべき損害賠償の範囲は、原則としてその債務不履行によつて通常生ずべき損害に限られるが、特別の事情により生じた損害であつても、当事者がその事情を予見しまたは予見することをうべかりしときは、これにも及ぶものとされている。そして、従来の多数の見解は、債務不履行による損害賠償の範囲はいわゆる相当因果関係によつて定められるべきであり、右の民法四一六条の規定はあたかもその相当因果関係の内容を定めたものであるとするのである。しかし、この規定がある以上、解釈上は、債務不履行による損害賠償の範囲はもつぱら同条によつて定まるのであるから、この場合、同条のほかに相当因果関係の概念をもち込むことは、右の規定の合理性を説明する手段としてならばとにかく、解釈上の必要のないことといわなければならない。
(三) 債務不履行に関する右の民法四一六条の規定を不法行為による損害賠償につき類推適用すべきものとする見解には、種々の点で疑問があるのを免れない。
債務不履行の場合には、当事者は合理的な計算に基づいて締結された契約によりはじめから債権債務の関係において結合されているのであるから、債務者がその債務の履行を怠つた場合に債権者に生ずる損害について予見可能性を問題とすることには、それなりに意味があるのみならず、もし債権者が債務不履行の場合に通常生ずべき損害の賠償を受けるだけでは満足できないならば、特別の事情を予見する債権者は、債務不履行の発生に先立つてあらかじめこれを債務者に通知して、将来にそなえる途もあるわけである。これに反して、多くの場合全く無関係な者の間で突発する不法行為にあつては、故意による場合はとにかく、過失による場合には、予見可能性ということはほとんど問題となりえない。たとえば、自動車の運転者が運転を誤つて人をひき倒した場合に、被害者の収入や家庭の状況などを予見しまたは予見しうべきであつたというがごときことは、実際上ありうるはずがないのである。その結果、民法四一六条を不法行為による損害賠償の場合に類推適用するときは、立証上の困難のため、被害者が特別の事情によつて生じた損害の賠償を求めることは至難とならざるをえない。そこで、この不都合を回避しようとすれば、公平の見地からみて加害者において賠償するのが相当と認められる損害については、特別の事情によつて生じた損害を通常生ずべき損害と擬制し、あるいは予見しまたは予見しうべきでなかつたものを予見可能であつたと擬制することとならざるをえないのである。そうであるとするならば、むしろ、不法行為の場合においては、各場合の具体的事情に応じて実損害を探求し、損害賠償制度の基本理念である公平の観念に照らして加害者に賠償させるのが相当と認められる損害については、通常生ずべきものであると特別の事情によつて生じたものであると、また予見可能なものであると否とを問わず、すべて賠償責任を認めるのが妥当であるといわなければならない。不法行為の場合には、無関係な者に損害が加えられるものであることからいつて、債務不履行の場合よりも広く被害者に損害の回復を認める理由があるともいえるのである。このように考えると、民法が債務不履行について四一六条の規定を設けながら、これを不法行為の場合に準用していないのは、それだけの理由があつてのことといわざるをえないのであつて、この規定を不法行為について類推適用することもまた否定されなければならないのである。
(四) 以上のように、不法行為による損害賠償については、民法四一六条は類推適用されないものと考える。ところで、不法行為による損害賠償責任が認められるためには、行為と損害との間に、その行為がなかつたならば当該損害は生じなかつたであろうという関係が存しなければならないが、かような事実的な因果の連鎖は際限のないものであるから、法律上の問題としては、右のような事実的因果関係の存在を前提としながら、そのうちどの範囲の損害を行為者に賠償させるのが妥当かという考慮が必要とされる。これがいわゆる法律上の因果関係の問題であるが、従来法律上の因果関係の問題として論じられていたものの中には、過失の問題、賠償額の算定(いかなる価格によるべきか、その価格の算定は何時を基準とすべきか)の問題など、本来因果関係の範疇の外にある問題が混入していることを注意しなければならない。また、行為との間に事実的因果関係のある損害につきどこまで行為者に賠償させるのが妥当かということは、いうまでもなく価値判断の問題であつて、事実として確認されるものではない。それは、各個の事件ごとに、その事実関係の中から、不法行為制度の基本理念である公平の観念に照らして導かれるべきものであつて、不法行為における損害賠償責任の正しい限界づけは、個々の判例の中から類型的に帰納されえても、一般的な公式によつて定められるべきものではないのである。
右のような見解に対しては、当然、不法行為による損害賠償の範囲の認定につき裁判官の恣意が入り込むのを許すことになり、法的安定を害するとの批判が予想される。しかしながら、不法行為による損害賠償につき民法四一六条の規定を類推適用しても、ある損害が通常生ずべき損害であるか、特別の事情によつて生じた損害であるかの限界は必ずしも明らかでなく、これを区別することは実際上困難な場合が少なくなく、そのことは予見可能性の存否についても同様であつて、結局は、公平の観念に照らして行為者にその損害を賠償させるのが妥当かどうかの判断が先行し、それを前提として民法四一六条の規定の解釈上の操作がなされることになるのである。それゆえ、民法四一六条を類推適用したからといつて、必ずしも、不法行為による損害賠償の範囲が明確になり、法的安定が確保されるとはいいがたく、むしろ、現在のような複雑な社会において生起する不法行為による損害賠償請求事件においては、右の規定を類推適用するときは、被害者の救済を困難ならしめるおそれのあることの方が留意されなければならないと思う。
なお、以上述べたところは財産的損害の賠償についてであつて、慰藉料については、裁判所が、諸般の事情を斟酌して、自由裁量により決することをうるものと考える。
(五) 以上述べたところによれば、不法行為による損害賠償についても民法四一六条を類推適用すべきものとし、上告人の主張する損害はすべて特別の事情によつて生じた損害と解すべきであり、かつ、被上告人には右の事情につき予見可能性がなかつたものとして上告人の請求を排斥した原判決には、法律の解釈適用を誤つた違法があり、破棄を免れないとともに、前述のような見地から上告人の請求につきあらためて認定判断する必要があるので、本件を原審裁判所に差し戻すべきものと考える。
(裁判長裁判官 藤林益三 裁判官 大隅健一郎 裁判官 下田武三 裁判官 岸 盛一 裁判官 岸上康夫)