最高裁判所第一小法廷 昭和45年(オ)540号 判決 1974年9月26日
上告人
茨城県農業共済組合連合会
右代表者
新堀正孝
右訴訟代理人
小田久蔵
外三名
被上告人
国
右代表者法務大臣
中村梅吉
右指定代理人
香川保一
外二名
主文
原判決中上告人の被上告人に対する金一二八〇万六四三四円及びこれに対する昭和三一年九月一四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の請求に関する控訴を棄却した部分を破棄し、右部分につき、本件を東京高等裁判所に差し戻す。
上告人のその余の上告を棄却する。前項に関する上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人小林健治の上告理由第一点及び第二点について。
原審は、(一)被上告人の農林省農林経済局農業保険課団体班事務費係の農林事務官多久島貞信は、かねて職務上知り合いであつた上告人連合会経理課長大津茂、同職員薗部尚一らと結託し、金券詐取の方法により、昭和二九年六月二日ころから同三一年三月九日ころまでの間に前後十数回にわたり、国庫より各農業共済団体に対して交付すべきいわゆる国庫負担金に充てるべき国庫金のうちから合計七八九五万一八二二円を詐取しためた、国庫金に不足をきたし、同三一年四月に入るも、同三〇年度の予算をもつて埼玉県農共組連に割当てられた国庫負担金二〇七八万九四一六円及び兵庫県農共組連に割当てられた国庫負担金一二八〇万六四三四円がいずれも未交付のまま放置され、そのため多久島の直属上司たる農業保険課長のもとに右両県農共組連から国庫負担金交付の催促がされるに至つたこと、(二)そこで、右犯行の発覚をおそれた多久島は、当面を湖塗して犯行を隠蔽するため、昭和三一年四月下旬ころ、上告人連合会経理課長大津茂に対し、「農林省の予算操作上の手違いにより、埼玉、兵庫両県農共組連に交付すべき昭和三〇年度の国庫負担金に不足を来たしたので、新年度予算をもつて一か月以内に返済するから、とりあえず上告人において取引銀行から三五〇〇万円程度の金員を借入れたうえこれを一時農林省に融通してもらいたい。」と申込んだが、その際、大津としては、右国庫負担金不足の原因が前記の不正な国庫金支出に由来するものであり、かつ、多久島の右金員融通申込の意図が、前記国庫金詐取によりあけられていた国庫の会計上の穴を秘かに埋めて、犯行の発覚を未然に防止するにあることを察知することができたこと、しかし、多久島から右金員の調達ができなければ前記犯行が発覚するのみならず、不正支出に基づく国庫金によりなされた上告人の簿外会計の赤字補填等の事実も露見し、容易ならぬ事態に立至る旨を説得されるに及んで、結局、大津は自己の一存で上告人名義をもつて銀行から右融通申込金を借受け、これを多久島に交付することを承諾し、上告人連合会の経理課長の地位にあることを奇貨として、上司の決裁を受けることなく、ほしいままに上告人連合会会長の職印を使用して上告人振出名義の金額一九四六万円及び金額一五〇〇万円の約束手形二通を作成したこと、(三)そして、大津は、まず右約束手形の一通を用いて同年四月二七日三菱銀行水戸支店から、独断で、上告人名義をもつて一九四六万円を借受けたうえ、同日右借入金を資金として同銀行同支店から同銀行本店を支払人とする金額一九三五万七八三三円の小切手一通の振出を受け、即日これを持参して農林省に赴き、多久島の指示により同人立会のうえ、上告人の受給国庫負担金のうち手続上の過誤に基づき過払勘定になつていた金員を返納するとの名目のもとに、右小切手を多久島の上司で情を知らない事務費係長吉井寿登に手交したところ、吉井が翌二八日右小切手を三菱銀行本店に振込み、同銀行をして右小切手金額に相当する金員を日本銀行国庫の当該口座に振替入金させ、かくして、右金員は同年五月一日他の金員と合わせて二〇七八万九四一六円とされたうえ、埼玉県農共組連に対し昭和三〇年度分の割当国庫負担金として交付されたこと、(四)次いで、大津は、前記約束手形の残りの一通を用いて、同年四月三〇日日本勧業銀行水戸支店から、前同様独断で、上告人名義をもつて一五〇〇万円を借受けたうえ、同日同銀行同支店から右借入金を資金として同銀行本店を支払人とする金額一二八〇万六四三四円の小切手一通の振出を受け、即日これを多久島に手交したこと、(五)ところで、大津が上司の決裁を受けることなく、ほしいままに上告人会長の職印を使用して上告人振出名義の約束手形二通を作成し、これを用いて、独断で、上告人名義をもつて昭和三一年四月二七日三菱銀行水戸支店から一九四六万円を、同年同月三〇日日本勧業銀行水戸支店から一五〇〇万円をそれぞれ借受けたことは、大津が上告人の経理課長として従前より上告人会長の職印を使用して上告人名義の約束手形を振出す権限を与えられていた等諸般の事情に鑑みるとき、右各銀行支店員において、従来の取引例に照らし、大津に右各金員の借人につき上告人を代理する正当の権限があると信じるのはもつともであつて、上告人は、民法一一〇条の表見代理の法理により、大津のした右金員借入れにつき責任を負い、各銀行に対し借受金を返還すべき債務を負担するに至つたところ、大津が前記の経緯により三菱銀行水戸支店からの借受金より一九三五万七八三三円を吉井寿登に、日本勧業銀行水戸支店からの借受金より一二八〇万六四三四円を多久島に、それぞれ交付したのであるから、上告人に右各交付金額相当の損失が発生したこと、(六)また、叙上の事実によれば、大津が多久島の指示により同人の上司たる農林省農林経済局農業保険課団体事務費係長吉井寿登に対し小切手化された一九三五万七八三三円(以下本件(1)の金員と略称する。)を手交し、吉井がこれを日本銀行の当該口座に振替入金したことにより、被上告人には右入金額相当の利得が生じたこと、(七)しかし、大津が、本件(1)の金員を吉井係長に交付したのは、同人が薗部とともに共同加功した多久島の国庫金詐取によつて埼玉、兵庫両農共組連に対し交付すべき国庫負担金が不足をきたしたため、右共同犯行の発覚を未然に防止するため、多久島の依頼により同人に代わつて、同人の被上告人に対する国庫金詐取に基づく損害賠償債務の一部弁済としてなされたものであつて、上告人の主張するような過払金返納の趣旨でなされたものではなく、かつ、本件(1)の金員調達の経緯につき吉井係長は善意であつたから、これによつて生じた被上告人の利得には法律上の原因を伴うものであること、を認定判示しており、右認定判断は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)挙示の証拠関係とその説示に照らして、首肯しえないものではなく、その過程に所論の違法は認められない。なお、所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。それゆえ、本件(1)の金員に関する論旨は、採用することができない。
同第一点及び第三点について。
原審は、(一)多久島は、昭和三一年四月三〇日、大津から小切手化された一二八〇万六四三四円(以下本件(2)の金員と略称する。)を受領したが、これを一時自己の事業資金として流用することを企図し、(1)同年五月一五日まず右金員を東京都民銀行池袋支店に開設していた自己の当座預金口座に振込預金し(右振込前の預金残金は五万五三四七円)、(2)同月八日、当日の預金残から一〇〇〇万円を払戻して、直ちに同銀行同支店に同額の定期預金をし、(3)同月一〇日右定期預金を担保に同銀行から一〇〇〇万円を借受け、これから前払利息を差引いた手取金九九九万一五〇〇円を再び前記当座預金口座に預入れ、(4)同月一一日同口座から九八〇万円を払戻して、そのうち八三〇万円を同月一四日東京相互銀行銀座支店の当座預金口座に預入れ(右預入れ直前の同口座預金残高は七八七四円)、(5)同月一八日、東京都民銀行池袋支店から、自己所有の湯島天神町所在の家屋一棟を担保に三〇〇万円を借受け、内金二九〇万円に、別途工面した現金二四〇万円を加えた合計五三〇万円を、同日東京相互銀行銀座支店の当座預金口座に預入れ、この結果同口座の預金残額が一二九八万七〇〇〇円となつたので、即日これを資金として同銀行振出の金額一二八〇万六四三四円の小切手を得て、これを農材省官房会計課長の名義を冒用し兵庫県農共組連に宛て昭和三〇年度分の割当国庫負担金として直接送金したが、このような預金操作の間において多久島は右各銀行の預金口座から頻繁に払戻しをして自己の事業資金に流用し、その額が五〇〇万円を超えたこと、(二)一方、多久島から送金を受けた同農共組連は、右送金が国庫金交付の正規の手続を履践していないものとしてその正式受領を留保し、農林省に右金員の処理方について指示を仰いだ結果、昭和三一年七月一〇日ころに至り、農林省、多久島及び右農共組連の三者間において覚書を作成したうえ、同農共組連は右金員をいつたん多久島に返還し、多久島は右返還を受けた金員を同人が前記国庫金詐取により被上告人国に被らせた損害の一部弁償として国に支払い、農林省より改めて右金員を同農共組連に対し昭和三〇年度分の割当国庫負担金として交付する旨の合意がなされ、次いで右国庫負担金の過年度支出を法律上可能にするため特別の政令(いわゆる多久島政令)が発せられ、同年一〇月四月右合意がその内容のとおり処理履行されたこと、を認定したうえ、以上認定した事実によれば、多久島が兵庫県農共組連に送付した金員と本件(2)の金員との間にもはや同一性を肯認することができないから、その後、前記の経緯により同年一〇月四日被上告人が多久島の損害賠償金として受領した一二八〇万六四三四円をもつて社会通念上本件(2)の金員に由来するものとみることはできず、結局、大津が本件(2)の金員を多久島に交付したことにより、上告人に右交付金額に相当する損失が生じたものということはできるが、右損失と被上告人の同年一〇月四日の多久島からの金員受領による利得との間には因果関係を認めることができないから、被上告人は上告人の財産によつて利得し、これによつて上告人に損失を被らせたものではないと判示し、被上告人が本件(2)の金員を受領したことによる不当利得の返還を求める上告人の請求部分を棄却した一審判決を是認している。
しかしながら、右の原審の判断はにわかに首肯することができない。
およそ不当利得の制度は、ある人の財産的利得が法律上の原因ないし正当な理由を欠く場合に、法律が、公平の観念に基づいて、利得者にその利得の返還義務を負担させるものであるが、いま甲が、乙から金銭を騙取又は横領して、その金銭で自己の債権者丙に対する債務を弁済した場合に、乙の丙に対する不当利得返還請求が認められるかどうかについて考えるに、騙取又は横領された金銭の所有権が丙に移転するまでの間そのまま乙の手中にとどまる場合にだけ、乙の損失と丙の利得との間に因果関係があるとなすべきではなく、甲が騙取又は横領した金銭をそのまま丙の利益に使用しようと、あるいはこれを自己の金銭と混同させ又は両替し、あるいは銀行に預入れ、あるいはその一部を他の目的のため費消した後その費消した分を別途工面した金銭によつて補填する等してから、丙のために使用しようと、社会通念上乙の金銭で丙の利益をはかつたと認めるだけの連結がある場合には、なお不当利得の成立に必要な因果関係があるものと解すべきであり、また、丙が甲から右の金銭を受領するにつき悪意又は重大な過失がある場合には、丙の右金銭の取得は、被騙取者又は被横領者たる乙に対する関係においては、法律上の原因がなく、不当利得となるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原審の確定した前記の事実関係のもとにおいては、本件(2)の金員について、多久島の預金口座への預入れ、払戻し、多久島個人の事業資金への流用、兵庫県農共組連に送金するため別途工面した金銭による補填等の事実があつたからといつて、そのことから直ちに多久島が右農共組連に送付した金員と本件(2)の金員との間に社会観念上同一性を欠くものと解することはできないのであつて、その後、原審認定の経緯により昭和三一年一〇月四日被上告人が多久島の損害賠償金として受領した一二八〇万六三四三円は、社会観念上はなお本件(2)の金員に由来するものというべきである。そして、原審の確定した事実関係によれば、本件(2)の金員は、多久島が上告人の経理課長大津茂を教唆し又は同人と共謀し同人をして上告人から横領せしめたものであるか、あるいは大津が横領した金銭を同人から騙取したものと解する余地がある。そうすると、被上告人において多久島から右損害賠償金を受領するにつき悪意又は重大な過失があつたと認められる場合には、被上告人の利得には法律上の原因がなく、不当利得の成立する余地が存するのである。
しかるに、原審はこれらの諸点を顧慮することなく、多久島が大津から受領した本件(2)の金員と多久島が兵庫県農共組連に送付した金員との間には同一性がなく、したがつてまた、大津が本件(2)の金員を多久島に交付することにより上告人が被つた右金額に相当する損失と、被上告人の同年一〇月四日の多久島からの金員受領による利得との間には因果関係を認めることができないとして、上告人の被上告人に対する本件(2)の金員の不当利得返還請求を排斥した原判決には、不当利得に関する法理の解釈適用を誤つたか又は審理不尽、理由不備の違法があるというべく、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであつて、論旨は結局理由がある。
よつて、原判決中、上告人の被上告人に対する本件(2)の金員の不当利得返還請求に関する控訴を棄却した部分を破棄し、さらに審理を尽くさせるため、右部分につき本件を原審に差し戻し、上告人のその余の上告は理由がないのでこれを棄却することとし、民訴法四〇七条、三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官岩田誠は退官につき評議に関与しない。
(大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一)
上告代理人小林健治の上告理由
第一点<省略>
第二点 原判決は本件の一、九三五万七、八三三円の小切手(1)に付不当利得に関する法律解釈を誤つた違法がある。
一、損失者の主体が上告人であるのにこれを大津茂にすり替え上告人の請求を棄却したのは違法である。
原判決は、
してみれば、控訴人は、民法一一〇条の表見代理の法理により、大津のなした右各金員借入れにつき責任を負い、各銀行に対し借受金をその弁済期に返還すべき債務を負担するに至つたところ、大津は控訴人主張の経緯により、三菱銀行水戸支店からの借受金より一、九三五万七、八三三円を吉井寿登に、日本勧業銀行水戸支店からの借受金より一、二八〇万六、四三四円を多久島に、それぞれ交付したのであるから、ここにおいて当時控訴人に右各交付金額相当の損失が発生したものといわなければならない。(一一丁表)とし、続いて、
三、本件(1)の金員(大津が吉井係長に手交した金一、九三五万七、八三三円)の返還請求に対する判断
(一) 叙上の事実によれば、大津が多久島の指示により同人の上司たる農林省農林経済局農業保険課団体事務費係長吉井寿登に対し小切手化された本件(1)の金員を手交し、吉井がこれを日本銀行の当該口座に振替入金せしめたことにより、被控訴人には、右入金額相当の利得が生じたものといわねばならない。(一一丁裏)
と判示するのであつて、第一審判決同様(理由二の(二)の(1))上告人の損失と、被上告人の利得との間には直接の因果関係があるものと認定しておるのである。
この関係においては損失者としての上告人と利得者としての被上告人との間に法律上の原因がありやなしやという観点から不当利得関係が生ずるか否かを考えるべきである。
この趣旨は原審において上告人が極力主張したところであるのに(昭和四三年一月一九日付準備書面一の(二))原判決は何らの検討もしておらないのである。
すなわち、原判決は、
本件(1)の金員を受領した吉井係長が、これを日本銀行の被控訴人口座に入金するに際し、控訴人による昭和三〇年度の農業保険金返納という名目を用いたことは成立に争いのない甲第一〇号証、当審証人吉井寿登の証言によつて認めることができるが、そのことから、直ちに、本件(1)の金員の交付が過払返納のためになされたものということはできない。すなわち、本件(1)の金員が、如何なる趣旨で被控訴人に対し交付されたものであるかについては、単にこれを受領した吉井係長の意思や控訴人における領収時の名目等によつて判断されるべきではなく、これが交付に至つた事情、交付者たる大津の意思、交付時の状況等諸般の事情により決せられるべきところ、前記争いない事実及び認定事実によれば、右交付金額は、被控訴人の控訴人に対する昭和三〇年度の国庫負担金過払の事実の存否及び存在するとすればその金額が幾何であるかを、被控訴人又は控訴人において充分調査して決定したというものではなく、前記のように、多久島は、埼玉、兵庫両農共組連に対し交付すべき国庫負担金が不足したので、右不足金の合計額をやや上廻る三、五〇〇万円程度の融通を大津に申し込んだのであり、一方大津は、右の両県農共組連に対する交付金に不足を招来したのは、自分が薗部と共に共同加功した多久島の国庫金騙取によるもので、右共同犯行の発覚を未然に防止するには、右の融資が必要であり、しかも、前年度において控訴人の本会計上に生じた不足金を多久島の指示に従つて一時銀行からの借入れ金で補填し、後に多久島と共同して被控訴人から騙取した水増交付金で右借人金を返済したという前例があつたから、その融通金も前年度と同様の方法で返還を受けるものと考え多久島の要請に応じたのである。このような経緯、状況のもとで多久島の指示に従つて吉井係長に対してなされた本件(1)の金員の交付は、多久島がその犯行により国庫に生ぜしめた損害額のうち、差当り被控訴人が埼玉県農共組連に交付すべき分にほぼ相当する金員を、多久島の指示に従つて被控訴人に送付して右損害を秘かに補填し、以て前記犯行の発覚を未然に防止するの目的に出たものである。すなわち、多久島は、被控訴人に対し国庫金騙取に基づく損害賠償を負担していたところ、大津は控訴人の名義を冒用して三菱銀行から借受けた金員を以て、多久島の依頼により、同人に代つて控訴人に対し右損害賠償債務の一部を弁済したものと解するのが相当である。してみれば本件(1)の金員の交付は、控訴人の主張するような過払金返納の趣旨でなされたものではなく、これによつて生じた被控訴人の利得は法律上の原因を伴うものというべきであるから、控訴人の前記主張は採用できない。
(一一丁裏)
と判示するのである。
この判示は、本来上告人連合会自体と被上告人国との関係を大津又は多久島と被上告人の関係にすり替えて大津又は多久島に主体性があるものであるとするもので甚だしく不当な説示であり、論理の方則に反するものといわなければならない。
しかも、大津の内心意思に過ぎないものと、後に判明したものの、当時は大津、多久島以外上告人も、被上告人も全く知らない、いわゆる交付に至つた事情、交付時の状況から、多久島の損害賠償債務を設定し、大津は多久島に代つて(代理人という意か)これを支払つたとするのである。不当な説示である。
前段認定の上告人と被上告人の損失と利得は、上告人自体と被上告人との間に法律上の原因があつたかどうかを判定すべきである。しかも被上告人(吉井係長)は上告人連合会に過払返納債務があると信じてその支払を上告人所有の本件小切手で受領したのである。大津も(内心意思はともかく)上告人の小切手を(この小切手が上告人所有の小切手であることは客観的に争う余地がないのである)過払金返納の趣旨で手交したのである。
上告人に過払金返納債務がない以上、被上告人は法律上の原因なくして利得したものであるから被上告人は不当利得として上告人に返還する義務があるものといわなければならない。
原判決は違法であるとしなければならない。
二、原判決は弁済についての法律解釈を誤りひいては不当利得の解釈を誤つた違法がある。
原判決は前記のように、
本件(1)の金員が、如何なる趣旨で被控訴人に対して交付されたものであるかについては、単にこれを受領した吉井係長の意思や被控訴人における領収時の名目等によつて判断されるべきではなく、これが交付に至つた事情、交付者たる大津の意思、交付時の状況等諸般の事情により決せらるべきところ(一二丁表)
と判示し、受領者吉井係長の意思や、領収の名目によるべきではなく、交付者大津の意思、その交付までの経緯等によつて、それが過払金の返納か賠償債務の弁済かを決すべきものとし、右判示に続いて、認定するところは、大津と多久島の両名側丈の関係及びこの小切手の持参交付するに至つた、大津の内心意思丈で過払金債務の弁済ではなく損害賠償債務の弁済であるとするのである。
しかしながら、被上告人(吉井係長)の意思、領収の認識を除外して、大津の内心意思と大津と多久島だけしか知らない秘匿された事情によつて(それは前記のように後日判明したことで、当時は、大津、多久島以外は何人も全く知らなかつた事情であるのである)。損害賠償債務の弁済と認定することは正当でない。
原判決の認定するところと、証拠によつて認められる事実を分析すると次のようになるのである。
大津は、
① 多久島の指示に従つて、同人が金券詐取の犯罪行為によつて被上告人に損害を与えた犯行の発覚を防ぐために一時糊塗すべき内心意思で被上告人(吉井)に本件小切手を手交した。
② 被上告人(吉井)に対してはその要請通り上告人(連合会)の過払金返納ということで交付しただけで、それ以外何らの意思も表明しておらない。
③ 上告人の過払金返納のために上告人所有の小切手であるとして手交した。
のである。
一方、被上告人(吉井)は、
① 上告人(連合会)に自らの調査によつて過払金があると信じて(原審の同人の証言によれば、これは自ら羽島、野口、山口らの係員と共に調査した結果であつて、多久島からの示唆等は全くなかつたのである。これは甚だ重要なことである)その返還金として受領した。
② その返納として上告人から(大津を通じて)上告人所有の小切手を受領した。大津又は多久島所有の小切手であるとは思いもよらなかつた。
③ その当時、多久島に不正行為があり被上告人に対し損害賠償債務が存することは知らなかつた。
のである。
大津は多久島に損害賠償債務があることは認識していた、しかし、吉井はその債務の存在は知らなかつた、認識した債務は上告人(連合会)の過払金返納であつたのである。そして上告人所有の小切手によつてこれが弁済を受けたのである。この小切手授受の際の大津、吉井の債権債務の認識は全く異なつていたのである。
債権の弁済について、債務者に弁済の意思、債権者に特定債権に対する弁済としての受領の意思は必要でないと説かれておる。しかし、弁済は債務の本旨に従つてなされることを要するのであるから、債権者にしても、債務者にしても、特定の債権債務の存在を認識しておらなければならないと解すべきである。吉井は損害賠償の債権の存在の認識なく、上告人に過払返納の債務が存するとの認識のもとに、しかも、上告人所有の小切手を受領したのである。
重要なことは、多久島の賠償債務に対する支払とするからには、多久島所有の小切手、又は現金であるのが通常であるのに、本件は、上告人所有の小切手として、大津は、吉井に手交し、吉井はそう信じて受領したということである。
これをしも、多久島の賠償債務の弁済と認めることは不当である。原判決の認定説示は誤りである。
即ち原判決は、弁済に関する法律解釈を誤り、上告人の請求を棄却した違法がある。
三、原判決には、第三者の物による弁済について解釈を違つた違法がある。
弁済は債務の本旨に従つてなされることを要することはいうまでもない。
多久島の賠償債務(原判決のこの点についての説示は明確を欠き、多久島の債務と表現しておるが、多久島、大津両名の債務ともいい得るようであるが、そのいずれにしても理論的には同様である。)というにおいては、多久島所有の現金、あるいは小切手であるのが通例である。本件の場合客観的にも、吉井の認識においても、上告人所有の小切手であつたのである。大津から仮に多久島の債務の弁済として交付されたとしても、上告人所有の本件小切手の交付は他人の物を交付することになるから、債権者が民法一九二条等の規定によつて給付目的物の所有権を取得するに至つた場合を除き、有効な弁済とならない筋合である。しかるに、原審は、本件において右法条の要件事実の存否を審理判断しないで、有効な賠償債権の弁済であるとしたのは、審理不尽の結果、弁済の解釈を誤りひいて同法七〇三条の解釈を誤つたものである。
(大正九、一一、二四大民判録二六輯一八六二頁昭和一三、一一、一二大民判、民集一七巻二二〇五頁)
第三点 <省略>