最高裁判所第一小法廷 昭和45年(オ)803号 判決 1972年3月09日
上告人
鳥居とし子
代理人
大里一郎
被上告人
矢部セイ子
代理人
中村荘太郎
主文
原判決中被上告人の請求を認容した部分を破棄する。
右破棄部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人大里一郎の上告理由第一点について。
本件建物の売買契約締結の際、被上告人が上告人に対し、右建物の敷地の賃借権譲渡の承諾料金二〇万円を自ら負担して賃貸人に支払い、右賃借権譲渡につき賃貸人の承諾を得る旨の特約をしたこと、または、右売買契約締結の当時、建物の売主が、その敷地の賃借権譲渡の承諾料を自ら負担して賃貸人に支払い、右賃借権譲渡につき賃貸人の承諾を得るという慣行があつたことは、いずれもこれを認めるべき証拠がない、とした原審の認定判断は、挙示の証拠関係および本件記録に照らして、首肯することができないものではない。したがつて、本論旨のうち原審の右認定判断自体を非難するにすぎない部分は、その理由がない。
しかしながら、賃借地上にある建物の売買契約が締結された場合においては、特別の事情のないかぎり、その売主は買主に対し建物の所有権とともにその敷地の賃借権をも譲渡したものと解すべきであり、そして、それに伴い、右のような特約または慣行がなくても、特別の事情のないかぎり、建物の売主は買主に対しその敷地の賃借権譲渡につき賃貸人の承諾を得る義務を負うものと解すべきである。けだし、建物の所有権は、その敷地の利用権を伴わなければ、その効力を全うすることができないものであるから、賃借地上にある建物の所有権が譲渡された場合には、特別の事情のないかぎり、それと同時にその敷地の賃借権も譲渡されたものと推定するのが相当であるし、また、賃借権の譲渡は賃貸人の承諾を得なければ賃貸人に対抗することができないのが原則であるから、建物の所有権とともにその敷地の賃借権を譲渡する契約を締結した者が右賃借権譲渡につき賃貸人の承諾を得ることは、その者の右譲渡契約にもとづく当然の義務であると解するのが合理的であるからである。
ところで、上告人は、原審において、被上告人が上告人に対して負担する本件建物の敷地の賃借権譲渡につき賃貸人の承諾を得る義務と、上告人が被上告人に対して負担する右建物の残代金支払の義務とは、同時履行の関係に立つものであるから、被上告人が、自己の負担する右敷地賃貸人の承諾取得義務の履行ないしその提供をしないまま、上告人に対してなした右残代金支払の催告は無効であり、したがつて、被上告人が右催告の有効であることを前提としてなした右建物の売買契約解除の意思表示も無効である旨の抗弁を提出していたことは、原判文および本件記録に徴して明らかである。
してみれば、原審としては、本件建物の売買契約に関して前記のような特約または慣行の存在が認められないとしても、特別の事情のないかぎり、右建物の売主である被上告人はその買主である上告人に対しその敷地の賃借権譲渡につき賃貸人の承諾を得る義務を当然に負担するものであることを肯定したうえ、被上告人の負担する右敷地賃貸人の承諾取得義務と上告人の負担する右建物の残代金支払義務とが同時履行の関係に立つものであるか否かを検討すべきであり、そして、右両義務の間に同時履行の関係が認められる場合においては、さらに、被上告人が、その上告人に対する催告において指定した右残代金の支払期限である昭和四一年四月二四日までに、自己の負担する右敷地賃貸人の承諾取得義務の履行ないしその提供をしたか否かを検討することにより、上告人の右抗弁の当否を判断しなければならないものである。
しかるに、原審は、前記のような特約または慣行がなくても、特別の事情のないかぎり、被上告人が上告人に対し本件建物の敷地の賃借権譲渡につき賃貸人の承諾を得る義務を負担するものであることを看過し、したがつてまた、以上の諸点について何ら検討することなく、単に前記のような特約または慣行の存在が認められないという理田だけで、上告人の右抗弁を排斥したものであることは、原判文上明らかであるから、原判決は、結局、賃借地上にある本件建物の売買契約の効約の効果に関する法令の解釈適用を誤り、ひいては、審理不尽、理由不備の違法をおかしたものといわざるをえない。
したがつて、本論旨のうち原判決の右違法を指摘すると解される部分は、その理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決中被上告人の請求を認容した部分は破棄を免れない。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(下田武三 岩田誠 大隅健一郎 藤林益三 岸盛一)
上告代理人の上告理由
第一点 原判決には審理を尽さない違法か又は民法第九一条の適用を怠つた違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
一、原判決はその理由(七)において
控訴人は、また「被控訴人は前記(イ)の如く(借地権の譲渡につき)自ら地主の承諾を受くべき特約上、慣行上の債務を負いながら、これを履行し又は履行の提供することなくして残代金の支払を催告したのであるから、かかる催告は効力なく、これに基く解除は無効である。仮りにそうでないとしても、この金二〇万円を差引かずに被控訴人主張の如き催告をするのはいわゆる過当催告にあたるのみならず、右催告に応じないからといつて本件売買契約を解除するのは権利の乱用でもある」抗弁するけれども、控訴人の主張するような特約上の義務(中略)を認むべき証拠はなく、また右のような義務を売主が負担すべき慣行があることを肯認すべき資料もないから
として右義務の存在を前提とする控訴人の各抗弁を排斥した。しかるに右証拠や資料がないから、との判断は甚だしい独断であつて、到底承服することは出来ない。
二、改正借地法はその第九条ノ二において、借地権者が借地権を第三者に譲渡しようとした際、地主が正当の理由なく承諾を拒めば、借地権者をして裁判所に地主の承諾に代る許可を求めさせる途を開いた。裁判所は許可を財産上の給付(金銭の支払)に係らしめることが出来る。この場合許可申立をする者は譲渡しようとする借地権者であり、譲渡を受けようとする者ではない。又許可の代償として金銭の支払(いわゆる承諾料又は名義書換料)を命ぜられる者も借地権を譲渡しようとする借地権者であつて、譲渡を受けようとする者ではない。承諾に代る許可を求める権利を借地権者に与えていることは、裏返して云えば承諾を得る義務が借地権者にあることを指す。金銭の給付を借地権者に命ずるのは、承諾料の支払義務が借地権者(譲渡しようとする者)にあることを物語つている。法の明文にしてすでに然り、又この借地法改正は、民間に積み上げられて来た慣行を法律の中に組み込んだものである(弁護士大里一郎著「借地借家法はどう変つたか」二二頁御参照)。
借地権者が借地権を第三者に譲渡しようとする場合は、借地権者自ら地主の承諾を得、地主に借地権者自ら借地権譲渡価額の一割程度の承諾料を支払うものであつて、譲受けようとする者が借地権譲渡価格の外に更に承諾料を地主に支払うものでないことは少くも昭和二十年代の後半以後、東京地方においては確立された慣習である。
なお、乙第四号証(念書)によれば名義書換料二〇万円は「元来矢部氏(被控訴人)が支払う可き処、今回鳥居氏(控訴人)が立替え支払になつたので」とあり、地主側の意思も、右金員の支払義務は被控訴人にあることを裏付けるものである。
三、したがつて原判決が「他にこれを認むべき証拠はなく、また右のような義務を売主が負担すべき慣行があることを肯認すべき資料もないから」と軽く控訴人の抗弁をしりぞけたのは思わざるも甚だしきものである。右改正借地法の施行によつて、前記慣行は殆ど裁判所に顕著な事実として立証を要しないのではないか、と思われる程であり、原審がいま少しく世情に通じて審理を尽せば、控訴人の主張は当然採用の脚光を浴びることとなつたであろう。
よつて原審には審理を尽さない違法がある。
また、原審は慣習の存在を無視した結果、民法第九一条の適用を怠つた違法がある。いずれも判決に影響を及ぼすことは明らかである。
第二点 原判決には、さらに判決に影響を及ぼすことの明らかな審理不尽の違法がある。
一、原判決はその理由(八)において
(ロ)(ハ)の自働債権の存在は、成立に争いない甲第一号証(特にその第五条、第八条の記載)原審証人鳥井正吉の証言、当審における控訴本人の供述の各一部、これらによりいずれも真正に成立したと認め得る乙第八号証、同第九号証(中略)によつて推認するに難くない
としながら、理由(六)(八)においては相殺契約が存在しない、相殺の意思表示がない、との理由で控訴人の主張をしりぞけた。
二、本件売買契約の価額を決定するに当つて、契約後の賃料は買主たる控訴人が取得することが取りきめられた。このことは、社会の健全な常識、取引の実態に従えば、契約後の賃料は当然売買価格の一部に充当される、ということである。相殺契約とか、相殺の意思表示とかの観念は取引当事者の脳中に存在しないのである。
被控訴人が乙第九号証において、金七〇万円でなく、金四九万円を催告しているのは(賃料額の計算に誤りがあるとしても)被控訴人みずから賃料は当然売買価額に充当される、と考えていたことを意味する。
原判決も「推認」するように控訴人の反対債権が存在するものならば、これに目をつぶつて一方的に金七〇万円の催告をし解除することは、信義則違反乃至は権利乱用の問題として当然考えられなければならないのに、原判決は相殺契約の存在とか相殺の意思表示とかの末梢的技術的思考にとらわれた結果、大局を通観することを逸した。木を見て山を見ざるたぐいである。
要するに原判決はまだまだ審理をしつくしていないのであり、之を破棄差戻して審理をやり直さなければ到底真実の究明、正義の顕現は不可能と信ずるので、上告の理由とする次第である。 以上