最高裁判所第一小法廷 昭和46年(あ)1905号 判決 1973年4月12日
主文
本件各上告を棄却する。
理由
被告人坂本篤本人の上告趣意について。
所論は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
被告人林美一本人の上告趣意のうち憲法二一条違反の所論について。
記録および証拠物に徴すれば、本件「艶本研究国貞」特製本の本冊および別冊参考資料を一個の文書として猥褻の文書に該当するとした原判決の判断は正当と認められ、したがつて、被告人らに対し刑法一七五条を適用して処罰することが憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和四四年一〇月一五日判決・刑集二三巻一〇号一二三九頁)により明らかである。所論は、理由がない。
同その余の所論について。
所論は、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
弁護人莇立明の上告趣意のうち憲法二一条違反の所論について。
所論は、要するに、原判決が文書の猥褻性の有無に関する判断の基準として説示する見解は憲法二一条に違反するというのである。
しかし、原判決が、弁護人能勢克男の控訴趣意に対する判断二において説示している、「文書の猥褻性の有無はその文書自体について客観的に判断すべきものであり、現実の購読層の状況あるいは著者や出版者としての著述、出版意図など当該文書外に存する事実関係は、文書の猥褻性の判断の基準外に置かれるべきものである。」旨の見解は、正当であり、また、このように解しても憲法二一条に違反するものではないことは、当裁判所大法廷判例(昭和三二年三月一三日判決・刑集一一巻三号九九七頁)の趣旨により明らかである。所論は、理由がない。
同その余の所論について。
所論は、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
弁護人能勢克男の上告趣意について。
所論は、憲法三一条違反をいうが、その実質は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
なお、弁護人鹿野琢見、同岩田洋明、同戸張順平連名の上告趣意書補充書、上告趣意補充書(二)、被告人林美一本人の上告趣意書補充書は、いずれも上告趣意書差出期間経過後に差し出されたものであるから、判断を加えない。
よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(下田武三 大隅健一郎 藤林益三 岸盛一 岸上康夫)
参考一第一審判決認定の罪となるべき事実
被告人坂本篤は、肩書住居において、「有光書房」名義で出版業を営むかたわら、江戸文学・川柳等に興味をもち、自ら「末摘花評釈」等の著書を発行販売するなどしているもの、被告人林美一は、つとに江戸文学に興味をもち、特に艶本の類を含む江戸後期の文学を蒐集研究し、昭和二七年ころからは未刊江戸文学刊行会を主宰し、江戸文学資料等の刊行を続けるなどして著述に携わつているものであるが、
第一 被告人林美一は、かねて「艶本研究国貞」を著述し、前記「有光書房」から出版していたところ、右出版にかかる「艶本研究国貞」(以下国貞並製本と略称する)は、江戸時代後期の浮世絵師歌川国貞の浮世絵に、二代目烏亭焉馬が文を附し、当時の庶民生活、性風俗を描いた「五大刀恋の柵」その他「花鳥余情吾妻源氏」「絵本開談夜迺殿」「今様三體志」なる四篇の艶本を翻刻したものであつて、その文中露骨な性的描写の部分が伏字もしくは要約記述となつていたところから、被告人両名は共謀のうえ、昭和三五年九月ころ、右国貞並製本の内容は本冊としてそのままとしながら、右の伏字もしくは要約記述の部分につき、その原本を翻刻した別冊を参考資料として添付し、これを「艶本研究国貞」特製本として出版販売しようと企て、同年一〇月ころ、被告人林において、右の原本を翻刻して、男女のきわどい性交場面を露骨に表現したもので、性的行為の情景、性器等の描写、性行為の際の卑猥な会話或は淫靡な音声等を露骨かつ詳細に描写記述した原稿を作成し、被告人坂本において、これを別冊に印刷した参考資料として前記国貞並製本と同一内容の本冊に添付し、「艶本研究国貞」特製本(昭和三八年押第一四三号の1、2)として出版したうえ、別紙一欄表記載のとおり、昭和三五年一一月上旬ころより同三六年九月上旬ころまでの間多数回に亘り、秋田市寺内将軍野一〇六番地の三草階俊雄ほか二七六名に対し、右特製本を一冊二、〇〇〇円ないし二、三〇〇円で東京都小石川郵便局から各その住所等に宛郵送して売渡し、もつて、猥褻の文書を販売し、
第二 被告人坂本は、不特定の客らに左記浮世絵を販売しようと決意し、昭和三六年四月ころ、前記「有光書房」において亀山巌に対し、および同年九月ころ、大阪市東淀川区小松南道四丁目二二番地原勇に対し東京都内の郵便局から同人方に宛郵送して、春信作雪見娘と若衆、同車上の男女、歌磨作小町曳、北斉作浪千鳥と題する男女性交の場面を露骨に描いた浮世絵複製紙本図画合計五枚宛(昭和三八年押第一四三号の3ないし6)を、いづれも代金五、〇〇〇円で売渡し、もつて猥褻の図画を販売し
たものである。
(別紙一覧表省略)
参考二第二審判決中の、弁護人能勢克男の控訴趣意に対する判断二
二、原判決は、刑法一七五条にいわゆる「猥褻の文書」を、その内容が徒らに性欲を興奮または刺激させ、かつ普通人の正常な性的差恥心を害し、善良な性的道義観念に反する文書を指称するものと解すべきであるとし、そして文書の猥褻性の有無は、原則として、社会一般のいわゆる普通人を基準とし、かつ当該文書自体につき客観的に判断すべきものであつて、それが著者、出版者らの著述出版の主観的意図によつて直ちに影響されるものと解すべきでなく、またその文書のもつ客観的な諸価値(科学的、芸術的、思想的価値など)が、その故に、これと次元を異にする概念としての猥褻性を、必ずしも常に否定し去るわけにはいかず、したがつてかかる価値を有する文書でも猥褻の文書にあたるとされることは十分ありうることであるが、しかし問題部分のみを抽出し、これを部分的に考察して判断の対象とすべきではなく、その部分を文書全体の内容あるいは形式と関連づけ、その描写の作品中におかれている前後の状況などとあわせもたせ、これを全体的に考察すべきであるとしたうえ、本件「艶本研究国貞」特製本の本冊(当裁判所昭和四四年押第二七一号の1)と別冊参考資料(同押号の2)(以下本冊、別冊と指称し、あるいは合わせて本件文書と称する)を一個の文書と観念し、その内容を検討し、右別冊に収録されたもののうち、特にその中の一〇数ケ所について記述された露骨かつ詳細な性的行為などの描写は、本件文書全体に対してきわめて強い支配的効果を与えていることが認められ、要するに右文書は全体として考察すると前述した猥褻の文書にあたるというべきであると判断しているのであるが、刑法一七五条の解釈に関する冶見解はすべて正当であり、また本件文書を検討するも、同条適用の判断過程やその結論について、何ら誤りはないと考えられる。所論は、原判決は、伝統的に踏襲されてきた右猥褻文書の定義を本件に機械的に適用しただけで、現在の性的道義観に応じた法の適用がなされていないと主張するが、現在の我が国における性的道義観の現状を考えるに、本件文書が江戸時代の艶本の翻刻であることを意識しても、なおその文書にある性交場面の露骨かつ詳細な描写を、いたずらに普通人の性欲を刺激し、正常な性的差恥心を害し、かつ善良な性的道義観念に反するものとして、かかる文書の頒布や販売などの行為の取締りを強く要求しているものと解せられるので、右非難はあたらない。また所論は、本件文書は、その内容、価格あるいは販売方法に格別の配慮が払われたため、その購読層は相当年配者で世間や生活に対する思慮分別も既に定着し、その研究や蔵書自体を楽しむという者に限定され、しかも他に譲渡や貸し出しなどは予想されえないのであるから、その販売によつて生ずべき何らの具体的実害がない、換言すれば、本件文書には社会の善良なる性的道義観念を侵害すべき何物もないとみるべきである。また本件文書は、歴史的、文学的、心理的、文献的資料として、江戸末期の艶本類を研究し整理した成果であつて十分の学問的価値があり、そのうちの別冊は原典の全くの翻刻であつて、これらを出版した被告人らの主な意図は古典の保存ということにあり、断じて売らんかな主義や卑俗なる興味本位のものではない。そして表現の自由、学問の自由は憲法上も最も尊重されるべき国民の基本的な権利とされていることにかんがみても、右の点は本件文書の猥褻性の有無の判断にあたつて十分考慮されなければならないものであると主張する。しかしながら、文書の猥褻性の有無はその文書自体について客観的に判断すべきものであり、現実の購読層の状況あるいは著者や出版者としての著述、出版意図など当該文書外に存する事実関係は、文書の猥褻性の判断の基準外に置かれるべきものである。ただ、その文書の特殊な性格(例えば学術書、科学書、医学書という如き)、販売方法あるいは販売広告の方法如何により、その読者層がおのずから限定され、あるいは一定の読書環境が設定されるような場合には、その文書の読者に対する心理的影響を、その限定された読者層あるいは一定の読書環境における読者を基準として判定することが相当であると思われるので、この場合は、前述猥褻性判断の基準として示された「社会一般のいわゆる普通人を基準とし」とあるのを、その読者層におけるいわゆる平均人、あるいはその読書環境における普通人を基準とすると置き替えるわけであるが、このような場合においても、文書の猥褻性の有無はあくまでその文書自体について客観的に判断すべきものとするとの原則は修正されるものではない(この点は原判決の採用している相対的猥褻性概念の立場とはいささか見解を異にするが、他の控訴趣意に関し再び触れることとする)。また、芸術的、思想的その他学問的価値のある文書といえども、このような価値と文書の猥褻性とは十分両立しうると考えるべきであるから、文書のもつ芸術性、思想性などが文書の全体的考察により性的描写による性的刺激を減少緩和させて、刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させない限り、猥褻の文書として取締りの対象としなければならないものであり、したがつて間接的にではあるが、芸術、思想その他学問の発展が抑制されることになり、かつ右取締りは表現の自由、学問の自由に対するやむを得ない制約として是認されるものであるから、特にかかる価値の存する文書につき、その褻猥性の有無を判断するにあたつては、慎重な、いわば控え目な態度で臨まなければならないことはいうまでもないが、さりとて所論の如き、現実の購読層の状況からの実害の有無、本件文書を販売するにあたつての被告人らの著述や出版意図あるいは文書に存する学問的価値などを直接に褻猥性判断の基準に加えるべきであるとの右論旨にはたやすく賛成できない。
弁護人莇立明の上告趣意
一、原判決は、憲法第二一条の言論、出版その他表現の自由を保障した規定に違反するかその解釈を誤つたものであり破棄をまぬがれない(刑事訴訟法第四〇五条第一号違反)。
(1) 原判決は刑法第一七五条にいわゆる「猥褻の文書」は、その内容が徒らに性欲を興奮又は刺激させ、かつ普通人の正常な性的差恥心を害し、善良な性的道徳観念に反する文書を指称するものと解すべきであるし、その文書の猥褻性の有無は、社会一般の普通人を基準とし、かつ文書自体につき客観的に判断すべきものであるとし現実の購読層の状況あるいは著者や出版者としての著述出版意図など当該書外に存する事実関係は判断の基準外に置かるべきであるとする。(相対的猥褻性概念の排除)
(2) しかしかかる見解は猥褻文書に関する近時の諸外国の立法、判例のすう勢、我国における学説判例の系譜、現代社会における普通人の健全なる常識に反するものであり、刑法第一七五条の解釈を誤り、ひいては憲法第二一条の表現の自由を侵犯する解釈というべきである。
なぜなら「猥褻」という法概念自体が時代により立法者により、解釈者により、変転極りない概念であつて、数時代前に「猥褻」とされたものが今日では最早許された表現の自由の行使としてみとめられるのであつて、当該文書固有の猥褻性を客観的に判断するといつても結局取締当局、法の運用者の見解、主観に左右されるおそれ顕著であり著しく法的安定性を害するが故である。
(3) 而して文書の「猥褻性」を問題に当つてはその文書の出版意図、目的、読者層、配布方法、配布先、配布量、現実に購読者に与える影響の度合い等と総合的に判断して、当該文書の判定をすべきであつて殊にその文書が、本件文書の如く、学術書、研究書古典の翻刻といつたものである場合は余計その判定にあたつては慎重であるべきであり、場合により「許された危険として当該文書自体の表現の露骨さにもかかわらず文書の有する有用性価値、その真しな執筆態度等から文書の「猥褻性」を否定すべき場合も十分あるべきことである。そうしてこそ憲法第二一条の表現の自由の保障は全とうされるといわなければならない。
(4) 原判決は刑法第一七五条の抽象的危険犯の規定であつて具体的危険犯ではないとする。しかし、もし、原判決の言うが如く当該文書から抽象的な危険が予測されるのみで何ら具体的危険が発生せざることは明らかであるのに危険文書として事前規制が許されるとなると、憲法第二一条の表現の自由を事前規制することとなり事後規制しか許されないはずの自由権的基本権を侵害するも甚だしいこととなる。
かかる法運用が「公共の福祉」などという抽象的呪文を唱えることによつて正当化される道理は無いのである。憲法第二一条に真向から違反した原判決は速やかに破棄されるべきである。<以下略><その他の各上告趣意は省略>