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最高裁判所第一小法廷 昭和46年(行ツ)75号 判決 1973年6月21日

愛知県半田市宮路町五〇番

上告人

半田税務署長

松林衛太

右指定代理人

香川保一

松沢智

山田巌

斉藤延一

同県同市南末広町一三番地

被上告人

宇助興産株式会社

右代表者代表取締役

中村卯助

右当事者問の名古屋高等裁判所昭和四四年(行コ)第七号法人税更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和四六年六月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人香川保一、同松沢智、同山田巌、同斉藤延一の上告理由について。

論旨は、要するに、利息制限法による制限超過の利息については、たとえ約定の履行期が到来しても、当該年度の益金を構成しないとした原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)には、昭和四〇年法律第三四号による改正前の法人税法(昭和二二年法律第二八号、以下旧法人税法という。)九条一項の解釈・適用を誤つた違法があるというのである。しかしながら、利息制限法の制限を超過する利息については、約定の履行期が到来しても、なお未収であるかぎり、旧法人税法九条にいう「益金」に該当しないと解すべきことは、当裁判所の判例(昭和四四年(あ)第二三八四号同四六年一一月一六日第三小法廷判決、刑集二五巻八号九三八頁)とするところである。したがつて原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岸上康夫 裁判官 大隈健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一)

(昭和四六年(行ツ)第七五号 上告人 半田税務署長)

上告人指定代理人香川保一、同松沢智、同山田巌、同斉藤延一の上告理由

原判決には、昭和四〇年法律第三四号による改正前の法人税法(以下「旧法人税法」という。)第九条第一項の解釈・適用を誤つた違法がある。

一、旧法人税法第九条第一項の益金の意義について

原判決は、「利息制限法の制限を超えた部分は法律上無効のものとせられ、当事者間に何らの債権債務の関係を発生させることはない。

したがつて、これについて約定の弁済期が到来しても、債権者は法律上その権利を行使することができず、法律はその目的たる金銭の取得を債権者に対して全く保障しない。債権者としては、債務者が利息制限法による保護を求めることなく、任意にその履行をなすことを事実上期待するのみである。してみれば、かかる利息については、債権者は弁済期の到来にも拘らず、その経済的成果を享受しているとはいえず、これを当該年度の益金として計上する必要をみない。」と判示する。

しかしながら、右は、旧法人税法第九条第一項の益金の概念を誤解し、同項の解釈・適用を誤つたものであるといわなければならない。

そもそも、旧法人税法第九条第一項は、法人の各事業年度の所得は、各事業年度の総益金から総損金を控除した金額によると規定しているのであるが、右の益金とは、法律上何らの定義が存しないが、税法の趣旨から、資本の払込以外の純資産の増加の原因となるべき一切の経済的な価値をいうものと解すべきである。

したがつて、経済的価値利得であれば、その価値ないし利得が法律上保護されないものであつても、そのような価値ないし利得は、益金を構成し、税法上課税の対象となるものというべきである。価値ないし利得を収受し、保有するについて、私法上の保護を受けるものであるかどうかは、益金となるかどうかを左右するものではない。

税法上、益金となるべき経済的価値ないし利得に該当するかどうかは、社会経済上の実態に即して解釈されるべきであつて、それが法律上有効かどうか、あるいは法律上保護されているものであるかどうかによつてのみ判断すべきものでないことは、税法の建前からいつて当然である。けだし、益金となるべき経済的価値ないし利得は、ひとり法律の助力のみによつて実現されるものではなく、債務者の履行意思はもとより、法律、社会、経済の情勢その他諸々の事由によつて、実現されるものである。したがつて法律上保護されているかどうか、その実現について法律の助力が得られるものであるかどうかにかかわりなく、現実に社会経済上その価値が実現されているのが実態であるならば、その価値は、経済的価値として当然益金に該当するものと解すべきである。

然るに、原判決は、私法上有効なものでなければ税法上も益金として計上すべきものでないとして、私法上の有効性のみから益金の概念を解釈しているのであるが、かかる解釈基準は誤つたものといわざるを得ない。

二、利息制限法所定の制限利率超過の未収利息の益金該当について

(一) 利息制限法所定の制限利率を超過する未収利息は、私法上無効であり、法律の保護は得られないのであるが、その社会経済的実態は、一般の利息債権と何ら異ならない。

そもそも、利息制限法は、一定率を超える利息債権等を法律上保護しないものとする政策的な立法であるが、かかる法律が存するにもかかわらず、同法所定の制限利率を超える高金利契約の多いことは、周知の事実である。

一般に貸金業者は、右の高金利について、法律の助力をもちろん考えておらず、借主の弁済能力について慎重に調査を行ない、借主を約定の履行に誠実であることを期待できる場合にはじめて貸付を行なうのであり、他面、借主においても高利契約が法律上無効であることを承知していても、このほかには融資を受ける途がないので、今後の金融上の便宜を得るためや担保物の処分の猶予を得るため、あるいは振出手形の不渡処分をおそれるなど、諸々の事情から、現実には超過利息を支払うことを余儀なくされているのであつて、かかる実態であるからこそ、貸金業法による貸金業やいわゆるもぐりの貸金業が成り立つているのである。

したがつて、利息制限法所定の制限利率を超える利息債権は、債務者が任意に弁済しない場合に法律手段により弁済を強制し得ないという点を除き、一般の利息債権と何ら異ならない実態にあり、右の法律上無効という性質が実態上一般の利息債権と異なる実態を現出せしめるがごとき影響を殆んど与えていないのである。

このような実態に即して観察するならば、利息制限法所定の制限利率超過の利息債権は、税法上益金に該当するものと解すべきである。つまり、益金の存否は経済的に観察して判定することが必要なのであつて(このことを強調しているものとして、最高裁二小廷昭和四五年一〇月二三日判決、訟務月報一六・一二・一五二八)、制限法超過の未収利息が益金に該当するかどうかもその経済的実質によつて判定すべきものである(吉国二郎、武田昌輔、法人税法(理論編)二一三頁参照)。

(二) 昭和四四年九月二九日東京高等裁判所刑事一部言渡の昭和四四年(う)第一四一号法人税法違反控訴事件判決(高裁刑集二二巻四号六四九頁)は、制限超過利息については、「私法上、その支払契約自体無効であり、仮令それが任意に支払われても、残存元本に充当されて尚余りある場合には、債務者は、右余りの分につき不当利得返還請求権を行使できるものと解されるから、債権者は債務者に対し、右利息につき法律上、これを有効に保有しうる権利を有するものではないといわねばならない。ところで、税法上の所得概念の法律的把握と称せられる考え方によつて、右の如き利息は益金とはならないとする理論もありうる。然し、税法が納税義務者の担税力に応じた公平な税負担の分配を意図するものであること、利息制限法の規定が設けられているにも拘らず同法所定の制限利率を超える高利契約が結ばれ、右約旨通り利息が支払われ、かつ、同法による保護を求めることをしない例が往々にして存する社会的、経済的実態が存すること及び右の法律的把握の考え方を押し進めると、右利息を現実に収入した場合、債務者が同法による保護を求めなければ、その不当利得返還請求権が時効によつて消滅しない限り、益金として認められないこととなり現実的でない嫌いがあり、右税法の趣旨に沿わないものであることに徴すると、所謂所得概念の経済的把握方法を基礎として当事者が右利息支払契約を有効として取扱い、債務者において利息制限法の保護を求めず、経済的にみて債権者が右利息を現実に管理しこれを自己のために享受している限り、これを益金であると解するのが相当である」として、制限超過の未収利息金も、旧法人税法上の課税法上の課税対象である旨判示している。

また、昭和四一年一月二七日名古屋高等裁判所第一部言渡の昭和三九年(行コ)第八号所得税更正決定取消請求控訴事件判決(行裁例集一七巻一号二三頁)昭和四一年一二月一九日福岡高等裁判所第四民事部言渡昭和四一年(行コ)第九号課税処分取消請求控訴事件判決(行裁例集一七巻一二号一三六四頁)等もいずれもこの点を積極に解している。

(三) 原判決は、制限法超過の未収利息について、何らその経済的実質を観察することなく、制限法超過の契約が法律上無効なものであるということだけで、その益金計上の適否に関する判断に立ち入つていないが、経済的実質について観察していない右判断は、法解釈を誤つているものといわねばならない。

(四) なお、原判決は、一方で、「利息制限法所定の制限において約定された未収利息は、その弁済期が到来したならば債権者の資産を増加せしめるものであり、したがつて、弁済期の属する事業年度における益金に計上せらるべきであるが、それは、かかる利息債権が一つの請求権として法律により保護せられ、その権利内容の実現につき法律が助力するため、弁済期が到来すれば権利確定主義(いわゆる会計学上の発生主義)の立場から、金銭または財貨の取得と同一視してよいとされることによるものである。しかし、制限超過の未収利息は、法律上その権利を行使できず、法律はその取得を保障しないので、法の保護を求めえないから、かかる利息は任意の履行を事実上期待するのみであつて、したがつて、かかる利息は経済的成果を享受しているとはいえない」旨判示しながら、他方で、「制限法超過の利息が債権者に支払われ、その目的たる金銭が現実に収受されたときにこれが初めて債権者のため益金を構成する」と判示している。

しかしながら、私法上の見地に立つかぎり、右超過利息は債権者において保有することが許されていないばかりか、現実に収受したものも、法律上は元本が未回収であるかぎり、当然に元本に充当されるべきものと解されているのであつて、原判決の見解は中途半端な議論に終わつているものということができる。

(五) 一般的に、利息については、債務者の現実の弁済がなくても、その弁済期の属する事業年度の益金に計上すべきものと解するのが、合理的であるが、それは、商取引の発達に伴い、現金取引よりも信用取引が多くなり、現金の回収を基準としていたのでは企業の収益、費用ひいては税法上の益金、損金を合理的に認識するのが不適当と解されるようになつたことによるものであり、当事者間の約定に従い、弁済期に利息が支払われるべきものである以上、その弁済期の属する事業年度において、益金として計上するのが合理的であるからである。ここに、利息について、現実に弁済がなされなくても、益金として計上する合理性が存するものである。

しかして、利息債権が法律上有効である場合、その弁済期に利息が支払われる蓋然性は多いといえるであろうけれども、利息支払の実現性は、当事者を取りまく諸要因によつて異なることはいうまでもなく、なかには法律上有効であるにもかかわらず容易には弁済がなされず、また遂に弁済の得られないものも存することは明らかであるが、法律上効力のない利息制限法所定の制限を超過する利息債権についても同様であり、弁済期の到来によつて利息支払の蓋然性の多いものについてはその時に益金に計上し、それが、実態上きわめて例外的ではあるが、結局回収できない場合には、一般の有効な債権の場合と同様、その際においてそれを貸倒れとして損金に計上すれば足りるのであり、利息制限法所定の制限利率を超過する利息債権は、法律上効力がないとの一点だけから見て、益金に該当しないと解することは正当でない。

制限超過の利息は、右に述べたように、現実に支払われなくても所得税法上の所得と見られるべきであるが、他面、原判決のように現実の支払によつて所得に計上すべきであるとすることには、次のような不都合がある。すなわち、利息制限法の制限超過の約定による貸金は多く貸金業者によつて行なわれるのであるが、この場合制限内の利息・損害金と制限超過の利息・損害金を正確に区分して計理記帳することは実際問題として複雑困難であり、また、かような区分の必要が具体的に生ずるのは、債務者から任意弁済が得られないため、訴の提起、抵当権の実行などの手段に訴える段階になつてであつて、それまでは、かような区分計理はなされないで処理されるのが通常であろうと考えられ、税関係においてのみかような区分計理をして申告させることは実情に即しないものといえる。さらに、貸金業者のなかには、貸借関係の明細等を示す書類を一切借主に交付しない者が多いので、原判決のような見解によると、貸主が自ら右のような区分計理を行ない、かつ、現金の収受について正確な記帳をし、一切の資料と計算を課税庁に提示しないかぎり、課税庁は充分な課税資料を入手することは実際上著しく困難となり、実際には充分担税力のある貸金業者が事実上容易に課税を免れる結果にならざるをえないが、このような現実にあわない法律の解釈は法の正当な解釈といえない。

三、本件の約定未収利息が益金にあたることについて

本件約定未収利息については、

(一) 被上告人は、町の金融業者として債務者に関し被上告人備え付の貸付帳簿に、各債務者毎に制限超過利率を明瞭に登載し管理していること。

(二) 同時にそれぞれ抵当権を設定するなど相当な担保を徴してその実現性を確保していたこと。

(三) 更に、制限超過利息約定後に右債務者らの間に約定利率の改訂、制限超過利息の放棄若しくは免除することもなく、債務者もこれを求め若しくは制限超過利息の無効を争つた事実も絶無であること。

(四) 過去においても同一債務者との間に何度も制限超過の金融取引が行なわれていたが、いずれもすべて右利息が完済されていたこと。

などの各事実が認められている。

以上のとおり、当事者の関係、双方の意思、担保の設定状況及び債務者がその支払いを拒める立場になく、強力な債権確保の手段が講ぜられていた等の諸事実を前提にすれば、本件制限超過利息が、経済的にみていかに高度にその実現性を保障されているかが明白であつて、本件制限超過利息が益金となることは明白である。

そして、本件未収利息が翌朝以降ほとんど弁済されていることを見ても、右の点は一層明らかであるといえよう。

四 要約

(一) 原判決は、まず法人税法上の益金の意義について、私法上有効であるかどうかという法律的見地に立つて解すべきものとし、益金が社会経済上の実態に即した経済的な価値をいうものであることを正当に理解していないことから、利息制限法所定の制限利率超過の未収利息が益金にあたるかどうかの判断にあたつても、法律的見地(私法的見地)に立つ判断に終始し、その経済的実質についての観察と判断を必要ないものとしているのであつて、原判決の見解は、税法の適用を誤つているものというべきである。

すすわち、本件の右制限超過の未収利息は、いずれも、その経済的実質を観察すれば、弁済期の到来によりその弁済期の属する事業年度において経済的価値が発生しており、益金として計上されるべきものと解するのが合理的であるから、原判決は、旧法人税法九条の解釈・適用を誤つており、破棄されるべきものである。

(二) なお、上告人主張の見解によると、法律上無効な債権は、法律上有効な債権より回収の可能性が小さいのに、両者を同一に取り扱う点で不合理があるとの非難があるかもしれないが、その非難はあたらないものである。

すなわち、利息制限法所定の制限利率超過の利息・損害金債権が法律上無効であるために一概に回収の可能性が小さいとはいえないのみならず、貸倒れになる例外的な場合については、貸倒れ損失の計上によつて処理すべきものであつて、上告人の見解によつても、納税者に過重の租税負担を強いることになるものではない。

また、借主においてその後超過利息の返還を求めこれが返還のなされた場合には、その年度において損益修正がなされることになるのであつて、この処理こそ右経済的実質を如実に反映しているものである。

以上

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