最高裁判所第一小法廷 昭和47年(あ)1086号 判決 1973年4月19日
主文
原判決を破棄する。
本件を広島高等裁判所に差し戻す。
理由
検察官の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
しかし、所論にかんがみ、職権をもつて調査するに、原判決は、後記のように刑訴法四一一条一号により破棄を免かれないものと認められる。すなわち、
第一審判決は、罪となるべき事実として、「被告人は、昭和四四年一一月三日午前九時一〇分ころ、山口県玖珂郡錦町大字河本原田健一方前道路の三差路において、普通貨物自動車(自動三輪広六さ三一三二号)を運転して、狭い道路(幅員約4.4メートル)から国道(幅員約6.1メートル)に後退するに際し、左右道路の安全を確認しないで後退したため、同国道を後退方向に向つて右側から直進して来た普通乗用自動車(山五の三〇一六号)の左前部を自車の左後部に衝突させ、もつて他人に危害を及ぼすような方法で運転したものである。」との事実を認定し、右事実は道路交通法七〇条、一一九条一項九号のいわゆる故意による安全運転義務違反の罪にあたるとして、被告人を罰金五、〇〇〇円に処した。
被告人側の控訴に対し、原判決は本件の事実関係につき、「現場はほぼ南北に通じる国道一八七号線(東側に歩道があり、その幅1.6メートル、車道幅6.6メートル)とこれから東に分岐し木積方面に通じる町道(幅3.6メートル位、ただし国道近くの部分は4.6メートル)とがやや斜めに交差するところで、交通整理は行なわれておらず、国道上では南北とも各一〇〇メートル位の見通しがきくが、右三差路の東南隅には原田健一方商店が国道と町道に接して建ち、東北隅にはいちじくの木や藤棚があつて、町道から国道へおよび国道から町道への見通しはいずれも極めて悪い。被告人は原判示日時(午前九時ごろ)普通貨物自動三輪車(全長5.12メートル、幅1.685メートル)を運転して国道から町道に入り、同道左側部分に前部を木積方面に向け、車の後部(当日は高さ四〇センチメートルの荷台後板を水平に倒していた。)を国道車道端から4.6メートル位になるところに駐車し、原田商店内で商談していた際、国道から町道に進入しようとしてきた普通貨物自動三輪車運転の中村貞夫(原判決に中村三郎とあるのは誤記と認める。)から車を通すために被告人車を移動してくれるよう頼まれたので、これを承諾し、国道上を一べつして南北どちらからも自動車は来ないと思い、すぐ自車を国道に向つて一気に後退させた。ところが折から西村正運転の普通乗用自動車が北方から国道を東側歩道よりに時速四五キロメートル位で南進中で、同人は本件三差路手前一三メートル位のところで右後退中の被告人車を発見したが、これを避けるまもなく国道の車道内に約七〇センチメートル入つた地点(駐車地点から約5.3メートル)まで後退して来た被告人車の左後部に西村車の左前部が接触し、負傷者はなかつたが、同車のラジエイター、左ヘッドライト、フエンダーが破損した。
以上の事実によると、被告人は、国道を南進中の車があり、かつ国道から町道への見通しが極めてよくない状況であるのに、その交通状況を十分に確認しないで南進中の車はないものと軽信した過失により、後退の時機、程度、方法についての判断を誤り、車体後部を国道(車道)に突出させるまで後退させるという危険な運転方法をとつたことが明らかである。」
「そうすると、被告人の本件後退行為が道路交通法七〇条にいわゆる『道路、交通および当該車両等の状況に応じ他人に危害を及ぼさない速度と方法で運転しなかつた』ことにあたるとしても、それは過失によるもので故意になされたものではないというべきであるから、故意による安全運転義務違反を認定した原判決は事実を誤認しており、既にこの点において原判決は破棄を免かれない。」としたうえ、さらに、
「のみならず、そもそも被告人の本件後退行為を道路交通法七〇条の安全運転義務違反罪に問擬すること自体問題である。すなわち、同条の規定は同法の他の各条で定められている道路交通の危険防止のための典型的、類型的義務の各規定を補充する趣旨で、これら各規定ではまかない切れない具体的危険行為を禁止するため設けられているので、もし道路交通上危険と思われるある行為が右各典型的、類型的義務のいずれかに違反する内容をもつときは、当該個別法規を問擬すべく同法七〇条の安全運転義務違反罪の規定を適用することは許されないと解されるところ、本件事実関係は前記説示のとおりであつて、本件後退行為は道路交通法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの)二五条の二第一項に定められている『他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは後退してはならない』との義務に違反する内容をもつことが明らかであるから、前記理由により道路交通法七〇条の安全運転義務違反罪の成立する余地はない。
もつとも、道路交通法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの)二五条の二第一項所定の義務違反罪は故意犯であつて、少くとも同条項にいわゆる『他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがある』と認められるに足る事情についての認識は必要と解されるところ、被告人が本件後退行為に及んだのは前記説示の事実関係から明らかなように国道上の交通状況を十分確認せず南進中の車があつたことに気づかなかつた過失によるものであり、当時国道上の交通がひんぱんであつたとの事情もうかがえないので、被告人には確定的故意はもちろん、未必的故意もなかつたと認められ、本件後退行為につき右条項所定の義務違反罪は成立せず、また右義務違反罪については過失犯処罰の明文の規定もないので過失犯としても処罰することはできない。そこでこのような場合には道路交通法七〇条の安全運転義務違反罪の過失犯処罰の規定(同法一一九条二項)を適用することができるとの見解もありうるし、現に検察官も当審において過失による安全運転義務違反罪の訴因を予備的に追加している。しかし、もともと同法七〇条の安全運転義務違反の内容は他の各条で定められている類型的義務ではまかない切れないこれ以外のこれと異なる内容をもつているのであるから、同法七〇条の安全運転義務違反罪の過失犯には当然他の各条で定められている類型的義務違反の過失犯を含まないと解されるばかりでなく、同法が七〇条の安全運転義務以外の各種の類型的な危険防止義務につきそれぞれ過失犯処罰の有無を明確に規定し、かつ、過失犯処罰の規定を設けると否とにつきその必要性等を十分考慮していて合理的区別をしていることにかんがみるときは、ある種の類型的義務違反につき過失犯処罰の規定を設けなかつた以上当然それらの義務違反については一切過失犯を処罰しない法意と解されるから、道路交通法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの)二五条の二第一項所定の義務違反罪につき過失犯処罰の規定のない以上、道路交通法七〇条の安全運転義務違反罪の過失犯処罰の規定を適用することも許されないのである。
果してそうだとすると、本件所為につき同法七〇条、一一九条一項を適用した原判決は法令の解釈適用を誤つたものであり、この点でも原判決は破棄を免かれない。として第一審判決を破棄し、被告人に無罪の言渡しをしているのである。
そこで、原判決が被告人の本件後退行為を道路交通法七〇条のいわゆる安全運転義務違反罪の過失犯として処罰することができないとした点について、検討を加える。
道路交通法七〇条の安全運転義務は、同法の他の各条に定められている運転者の具体的個別的義務を補充する趣旨で設けられたものであり、同法七〇条違反の罪の規定と右各条の義務違反の罪の規定との関係は、いわゆる法条競合にあたるものと解される(最高裁昭和四五年(あ)第九五号同四六年五月一三日第二小法廷決定・刑集二五巻三号五五六頁参照)。すなわち、同法七〇条の安全運転義務は、他の各条の義務違反の罪以外のこれと異なる内容をもつているものではなく、その構成要件自体としては他の各条の義務違反にあたる場合をも包含しているのであるが、ただ、同法七〇条違反の罪の構成要件に該当する行為が同時に他の各条の義務違反の罪の構成要件に該当する場合には、同法七〇条の規定が同法の他の各条の義務違反の規定を補充するものである趣旨から、他の各条の義務違反の罪だけが成立し、同法七〇条の安全運転義務違反の罪は成立しないものとされるのである。
つぎに、同法七〇条の安全運転義務違反の罪(ことに同条後段違反の罪)と他の各条の義務違反の罪とは、構成要件の規定の仕方を異にしているのであつて、他の各条の義務違反の罪の構成要件に該当する行為が、直ちに同法七〇条後段の安全運転義務違反の罪の構成要件に該当するわけではない。同法七〇条後段の安全運転義務違反の罪が成立するためには、具体的な道路、交通および当該車両等の状況において、他人に危害を及ぼす客観的な危険のある速度または方法で運転することを要するのである。したがつて、他の各条の義務違反の罪の過失犯自体が処罰されないことから、直ちに、これらの罪の過失犯たる内容をもつ行為のうち同法七〇条後段の安全運転義務違反の過失犯の構成要件を充たすものについて、それが同法七〇条後段の安全運転義務違反の過失犯としても処罰されないということはできないのである。
これを本件についてみるに、道路交通法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの)二五条の二第一項の「車両は、歩行者又は他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは、後退してはならない。」との規定の過失犯たる内容をもつ行為は、直ちに道路交通法七〇条後段の安全運転義務違反の過失犯の構成要件を充たすものではなく、具体的な道路、交通および当該車両等の状況において、他人に危害を及ぼす客観的な危険のある速度または方法による運転だけがこれに該当するのであるから、道路交通法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの)二五条の二第一項違反の過失犯が処罰されていないことから、その過失犯たる内容をもつ行為のうち道路交通法七〇条後段の安全運転義務違反の過失犯の構成要件を充たすものについて、同法七〇条後段違反の過失犯としても処罰できないとはいえないのである。
そうすると、道路交通法(昭和四六年法律第九八号による改正前のもの)二五条の二第一項違反の過失犯たる内容をもつ被告人の本件後退行為につき、道路交通法七〇条後段の安全運転義務違反の過失犯処罰の規定の適用がないとする理由はなく、かえつて、同法七〇条の安全運転義務が、同法の他の各条に定められている運転者の具体的個別的義務を補充する趣旨で設けられていることから考えると、他の各条の義務違反の罪のうち過失犯処罰の規定を欠く罪の過失犯たる内容を有する行為についても、同法七〇条の安全運転義務違反の過失犯の構成要件を充たすかぎり、その処罰規定(同法一一九条二項、一項九号)が適用されるものと解するのが相当である。
原審の認定するところによれば、被告人は、国道を南進中の車があり、かつ国道から町道への見通しが極めてよくない状況であるのに、その交通状況を十分確認しないで南進中の車はないものと軽信した過失により、後退の時機、程度、方法についての判断を誤まり、車体後部を国道(車道)に突出させるまで後退させるという危険な運転方法をとつたというのであるから、被告人の右後退行為は、具体的な道路、交通および当該車両等の状況において、他人に危害を及ぼす客観的な危険のある方法による運転で、かつ、かかる運転をするについて被告人に過失があつたと認められる可能性が十分あるというべきであり、原審において検察官から過失による安全運転義務違反の予備的訴因が追加されていたのであるから、原審としてはこの点について判断をするべきであつたのにかかわらず、前記のように道路交通法七〇条、一一九条二項、一項九号の解釈適用を誤つた結果、その判断をすることなく、被告事件が罪とならないとして被告人に無罪を一言い渡しているのであつて、原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、刑訴法四一一条一号によつてこれを破棄しなげれば著しく正義に反するものと認められる。
よつて、同法四一三条本文により本件を原審である広島高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一 岸上康夫)
検察官の上告趣意
第一点 原判決は、道路交通法七〇条の安全運転義務違反の罪の故意犯として有罪を言い渡した第一審判決には、被告人の本件所為を過失によるものであるのに故意になされたものであるとした点において事実の誤認があるとしたうえ、さらに、それは同法二五条の二、一項所定の義務に違反する行為であるから本来同条項に問擬すべきであるが、同条項違反の罪については過失犯処罰の規定がなく、しかもこのような場合、同法七〇条の安全運転義務違反の過失犯処罰の規定を適用することも許されないので、法令の解釈適用に誤りがあるとして、これを破棄し無罪の言渡しをした。しかしながら、右法律見解は、昭和四四年(う)第六八五号道路交通法違反被告事件同年一一月五日東京高等裁判所第一一刑事部判決(判例時報五八八号九六頁以下)と相反するものであつて、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑事訴訟法四〇五条三号、四一〇条一項により破棄を免れない。
原判決が本件について、道路交通法七〇条の安全運転義務違反罪の過失犯の成立を否定する理由は、次のとおりである。
道路交通法七〇条は、同法の他の各条で定められている典型的、類型的義務の各規定を補充する趣旨の規定であるから、ある行為が各条のいずれかに違反する内容をもつときは、同法七〇条の安全運転義務違反罪の規定を適用することは許されないと解されるところ、被告人の本件後退運転行為は、同法二五条の二、一項に定められている「他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは、後退してはならない。」との義務に違反する内容をもつことが明らかであるから、同法七〇条違反の成立する余地はない。しかも、本件後退運転行為については故意は認められず、過失によるものと認むべきところ、右二五条の二、一項所定の義務違反は故意犯のみ処罰され、過失犯を処罰する規定がないので、本件所為を同条項の義務違反としても処罰することはできない。そこでこのような場合には、同法七〇条の安全運転義務違反罪の過失犯処罰の規定(同法一一九条二項)を適用することができるとの見解もありうるが、同法七〇条の安全運転義務違反の内容は、右のごとく他の各条で定められている類型的義務ではまかない切れない、これ以外の、これと異る内容をもつているのであるから、同法七〇条の安全運転義務違反罪の過失犯には当然他の各条で定められている類型的義務違反の過失犯を含まないと解されるばかりでなく、同法が七〇条の安全運転義務以外の各種の類型的な危険防止義務につきそれぞれ過失犯処罰の有無を明確に規定し、かつ、過失犯処罰の規定を設けると否とにつきその必要性等を十分考慮して合理的区別をしていることにかんがみるときは、ある種の類型的義務違反につき過失犯処罰の規定を設けなかつた以上、当然それらの義務違反については一切過失犯を処罰しない法意と解されるから、同法二五条の二、一項所定の義務違反の罪につき過失犯処罰の規定のない以上、同法七〇条の安全運転義務違反罪の過失犯処罰の規定を適用することも許されない。
しかしながら、道路交通法の七〇条以外の各条に定められた運転者の具体的個別的義務違反の罪について過失犯処罰の規定がない場合に、過失により犯された当該各条違反の行為を七〇条の安全運転義務違反罪の過失犯として処罰し得るか否かに関する右原判決の判断は、前記東京高等裁判所判決と明らかに相反する。すなわち、
同判決は、「七〇条違反の罪は、同法各条に規定される各種の安全運転義務違反の罪の補充規定であると解すべきであつて、すなわち、安全運転義務違反の内容が、実質的に各条所定の安全運転義務違反(故意犯)そのものである場合には、当該各条違反の罪を構成するに止まることはいうまでもなく、それ以外の安全運転義務違反(故意犯)の行為について右第七〇条の罪(故意犯)の成立があり、過失により各条所定の安全運転義務に違反した場合については、当該各条に過失意を処罰する規定があるときはその適用があることはいうまでもないが、過失犯を処罰する規定のない場合には、直ちに補充規定たる右第七〇条違反の過失犯の規定の適用があるものではなく、原則としてその故意犯につき定められた刑が右第七〇条の安全運転義務違反の過失犯の刑(同法一一九条一項九号、二項、罰金五万円以下)よりも重い場合にのみその適用があり、特にその故意犯につき定められた刑が、右第七〇条の安全運転義務違反の過失犯の刑よりも軽い場合にもその適用があるのは、その過失行為の危険性が具体的に高度であるなどの特段の事情の存するとき(中略)に限るものと解するのが相当である。蓋し、同一所為に対する過失犯処罰の規定がないのに直ちにこれを補充規定の過失犯に問擬することは適当ではなく、また一般に、ある所為の過失犯を同一所為の故意犯よりも重く処罰するものと解すべき合理的根拠に乏しいからである。」と判示しているのである。
これによれば、被告人の本件後退運転行為を同法二五度の二、一項に違反する故意犯とすれば同法一一九条一項二号の二に該当し、その法定刑は懲役三月以下または罰金三万円以下で同法七〇条の安全運転義務違反の罪の過失犯の刑より重い場合にあたるので、原判決のごとく、本件被告人の後退運転行為を同法二五条の二、一項該当の過失犯であるとしても、同法七〇条に該当すると解する以上、同条違反の罪の過失犯の成立を肯定しなければならないことになるのである。
検察官としては、右東京高等裁判所判決の見解には賛成し難い。その理由は第二点において詳論する。しかしながら、原判決が右東京高等裁判所の判例と相反する判断をしたことは明らかであり、同判決を前提とする以上、原判決の右判例違反の判断は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑事訴訟法四〇五条三号、四一〇条一項により破棄さるべきものと思料する。
第二点 原判決には、道路交通法の解釈適用を誤つた法令の違反があり、その誤りは重大であつて判決に影響を及ぼすことが明らかであり、原判決はこれを破棄しなければ著しく正義に反するから、刑事訴訟法四一一条一号により破棄を免れない。すなわち、
道路交通法七〇条の規定は、同法の他の各条に定められている運転者の具体的個別的義務を補充する趣旨で設けられたものであり、同法七〇条違反の罪の規定と右各条の義務違反の罪の規定との関係は、いわゆる法条競合にあたるものと解するのが相当であるから、右各条の義務違反の罪が成立する場合には、その行為が同時に右七〇条違反の罪の構成要件に該当しても、同条違反の罪は成立しないことについては、すでに最高裁判所判例(昭和四六年五月一三日第二小法廷決定)もあり、検察官としても異論はない。そうすれば、ある行為が道路交通法二五条の二、一項に違反すると同時に同法七〇条に違反するときは、両罪は一応別個独立に成立し、それが重複する限度において、具体的個別的義務違反である同法二五条の二、一項が優先適用されることになるのである。
原判決の認定によれば、本件現場は、南北に通じる国道(東側に歩道があり、その幅1.6米、車道幅6.6米)と国道から東に分岐する町道(幅3.6米位、ただし国道近くの部分は4.6米)との、交通整理の行なわれていない丁字路交差点で、町道から国道への見通しは極めて悪いのに、被告人は、車両の後部が国道の車道東端から4.6米位の地点にある町道上に駐車していた普通貨物自動三輪車(全長5.12米、幅1.685米)を、当時、高さ四〇糎の荷台後板を水平に倒していたのにそれを起して通常の車両の姿に戻すこともしないで、そのまま、車体後部を国道(車道)に突出させるまで国道に向つて一気に後退させたのであるから、その行為は、道路交通法二五条の二、一項の「他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは、後退してはならない。」との義務に違反すると同時に、右道路、交通、車両の状況等に照すとき、一般的にみて事故に結びつく蓋然性のつよい、社会通念上極めて危険な行為であるといわなければならず、「道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない。」と規定している同法七〇条の義務にも違反する行為であり、かつ、過失により犯されたものであるから、右所為は、過失による同法二五条の二、一項違反に該当すると同時に、過失による同法七〇条違反にも該当するというのである。もし、過失による同法二五条の二、一項違反につき処罰規定があれば、当然その規定が優先適用されることになるが、その規定がないとすれば、当然同法七〇条の過失犯処罰規定が適用されることになるはずである。
したがつて、原判決の、道路交通法七〇条違反の過失犯は、同法の他の各条の義務違反の罪に過失犯処罰規定を欠く場合には成立しないとの解釈は勿論、前記東京高等裁判所の同法七〇条違反罪の過失犯の法定刑と同法の他の各条の義務違反罪の故意犯の法定刑とを比照して右過失犯の成否を決するとの解釈は、いずれも道路交通法の規定の解釈から著しく逸脱し、合理的根拠も乏しく、到底是認し難い。
(なお、第一審はもとより、原審においても、訴因である道路交通法七〇条違反についての故意、過失の存否が主な争点とされ、右訴因が同法の他の各条にも該当して法条競合となり、その場合の適用法条、処罰の可否などについては、当事者の主張も裁判所の釈明も行なわれないで結審したうえ、弁論を再開して右の点について当事者に主張を尽させることもしないまま、前記のような無罪の判決が言渡されたものであるところ、原判決は前記のように、被告人の本件後退運転行為を同法二五条の二、一項に定める後退の規制に違反するものとしているのであるが、本件のように丁字路交差点において幅員の狭い道路から広い道路へ後退進入する場合のごときは、同法四二条または三六条二項(現行の三項)に定める徐行義務にも違反し、右義務違反の故意犯に該当するのではないかと考えられる。しかし、第一審以来検察官としても、同法七〇条違反のみを主張し、右の点について、とくに論及していないので、ここでは一つの問題点として指摘するにとどめる。)
右の次第により、原判決は道路交通法の解釈適用を誤り、有罪となすべき事案を無罪とした違法があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するから、刑事訴訟法四一一条一号により破棄さるべきものと思料する。 以上