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最高裁判所第一小法廷 昭和50年(あ)2212号 決定 1978年7月12日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人新関勝芳、同池田浩三、同西川茂の上告趣意のうち、憲法三一条違反をいう点は、実質は単なる法令違反の主張であり、その余は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であり、弁護人川添清吉の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であり、被告人本人の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、所論にかんがみ、職権で記録を精査しても、同法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(藤崎萬里 岸盛一 岸上康夫 団藤重光 本山亨)

弁護人新関勝芳、同池田浩三、同西川茂の上告趣意<省略>

弁護人川添清吉の上告趣意<省略>

被告人の上告趣意<省略>

<参考・原審判決>

(東京高裁昭四九(う)第一一四九号、強制わいせつ、強姦致傷被告事件、昭50.10.13第三刑事部判決、控訴棄却)

〔主文〕

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

〔理由〕

本件控訴の趣意は、弁護人新関勝芳、同池田浩三、同西川茂及び被告人が提出した各控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

一弁護人新関勝芳の控訴趣意第三点(理由不備収び理由のくいちがいの主張)及び弁護人池田浩三の控訴趣意中、理由不備ないし理由のくいちがいを主張する部分について。

各所論は、要するに、原判決は、原審証人甲が被告人対する公訴事実第一の強制わいせつ、同第二の強姦致傷、同第三の強姦の各事実に副う供述をし、しかもこれらが被告人の計画的犯行の一連の過程であるという趣旨で一貫した供述をしたのに対し、同第一及び第二の各事実に副う部分については、同証人の供述は首尾一貫していて、同証人の当時の着衣の破損状況等からこれを信用するに値するものとしたうえ、原判示第一及び第二のとおり有罪とし、前記公訴事実第三に副う部分については、同証人の供述中、昭和四八年二月一一日の同判示第二の犯行後に被告人が甲に再び会う約束を強要した事実、同月一三日に被告人が同女に対し春木研究室に来るよう脅迫した事実、同女が同日春木研究室に行つた動機、同女が春木研究室にいた時間及び状況、同女が同月一四日被告人に対しバレンタインカードを贈つた事実等につき不自然な点があるので、公訴事実第三に副う部分も疑わしいとし、同女が当時着用していた衣類の破損状況は同女の証言と分離しては証拠力がないとして、同事実を無罪としたが、証人甲の供述中、原判決が不自然であるとした点は、単に公訴事実第三に関する供述部分の信用性に疑いを抱かせるだけでなく、これと一連の過程として同一趣旨で供述している公訴事実第一及び第二に関する供述部分の信用性にも当然に疑いを及ぼす性質の事柄であり、同証人の供述全体の信用性を否定するに至るものであるから、原判決の証人甲の供述の信用性の判断には矛盾があり、また、原判決が甲の着衣の破損状況の証拠力が公訴事実第二と同第三との関係では異なるとしたのも矛盾しており、結局、原判決の理由は首尾一貫せず、顕著な理由不備若しくは理由のくいちがいの違法がある、というのである。

そこで検討するに、原判決は、数罪として起訴された公訴事実第一の強制わいせつ、同第二の強姦致傷、同第三の強姦のうち、同第一及び第二の各事実を有罪とし、同第三の事実を無罪としたのであるが、有罪部分に掲げられた証拠から原判示第一、第二の各事実を認定することが直ちに不合理であるとまではいえないから、この点では証拠理由に欠けるものとはいえず、また、有罪とした公訴事実第一及び第二と無罪とした公訴事実第三は、被害者が同一で、犯行態様も類似するものの、その成否は被害者の意思にかかる犯罪であり、その間には時間的隔りもあるから、証拠価値判断の基礎となる事実に変更を来たす場合のあることは否定できず、証拠物についても、その破損の状況及び程度その他犯行との関連性を異にするものであるから、所論指摘のように、有罪判決の部分に関する証拠の価値判断が無罪判決の部分に関する証拠の価値判断と異なるとしても、これをもつて直ちに矛盾する判断であるとまではいえず、これがひいて有罪判決の証拠理由の不備或いは理由のくいちがいを来たしているものとはいえない。論旨はいずれも理由がない。

二弁護人新関勝茂の控訴趣意第四点(訴訟手続の法令違反の主張)について<省略>

三弁護人新関勝芳の控訴趣意第一点(採証法則違反の主張)及び弁護人池田浩三の控訴趣意中、採証法則違反を主張する部分について。

各所論は、要するに、(1)原判決が原審証人甲の供述を公訴事実第三の強姦の事実に関しては信用できないものであるとしてこれを無罪としながら、右事実と一連同根の関係にある公訴事実第一の強制わいせつ、同第二の強姦致傷の各事実に関しては一転して信用に値するものと断定し、原判示第一の強制わいせつ、同第二の強姦致傷の各事実の認定の資料に供したのは明らかに採証法則に反し違法であり、(2)また、二四才で未婚の女性が男性から原判示第一のようなはずかしめを受けながら、その男性について同判示第二の春木研究室に行つたというのは到底納得できないのに、原判決がこのような経験則に反する事実を内容とする証人甲の供述を採用すること自体採証法則に反し違法であり、(3)さらに、押収してあるワンピースなどは、犯行直後その現場で押収されたものではなく、何日か甲の手許におかれたうえ、洗濯したのち、押収されたもので、その破損状況自体が強姦の証拠であるとはいえず、甲の傷害というのも、これを傷害といえるかどうか問題であるばかりでなく、これが強姦行為によつて生じたという証跡もなく、マツトに付着していた精液も強姦の際のものであるという証跡もないのであつて、証人甲の供述の信用性を肯定しないかぎり、これらに独立の証拠力はないのに、これらをもつて右供述が信用に値するものとしたのは本末を転到したものであつて、採証法則に反し違法であり、これらの違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで、まず、所論(1)の点について検討するに、原判決は、原審証人甲の証人尋問調書三通の供述記載(以下甲の原審証言という。)のうち、公訴事実第一の強制わいせつ、同第二の強姦致傷の各事実に副う供述部分は首尾一貫していて、不自然さはなく、押収してあるワンピースなどの破損状況は、甲の受けた傷害の内容、春木研究室のソフアーベツド上においてあつたマツトに被告人のものと思われる精液が付着していたことなどからみて、信用に値するものとし、右証言を原判示第一の強制わいせつ、同判示第二の強姦致傷の各事実の認定資料として採用し、公訴事実第三の強姦の事実に副う供述部分及びその前後の事実、すなわち、昭和四八年二月一一日の同判示第二の犯行後に被告人が甲に再び会う約束を強要した事実、同月一三日に同女が春木研究室に行つた動機、同日同女が春木研究室にいた時間、同女が同月一四日被告人に対しバレンタインカードを贈つた事実などに関する供述部分には矛盾や不自然さがあり、信用性に疑いがあると認め、これを公訴事実第三の強姦の事実の認定資料としては採用しなかつたことが窺われる。もとより、同一人の証言の一部を措信し、他の一部を採用しないということは、その供述の趣旨を変更することなく、その一部を他の一部から分離することができ、両者が一体不可分の関係にない場合でなければ許されないというべきである。甲の原審証言をみると、同月一一日、青山学院大学スピーチ・クリニツク・オフイスにおいて、被告人が同女に対し強制的にわいせつの行為をした事実(公訴事実第一)、同日、同大学春木研究室において、被告人が同女に対し暴行を加えて同女を姦淫し、その際同女に対し傷害を負わせた事実(公訴事実第二)、同月一三日、春木研究室において、被告人が同女に対し暴行を加えて同女を姦淫した事実(公訴事実第三)をその前後の状況事実と共に、被告人が計画的に行つた暴力による一連の性的犯行であるとの趣旨で供述しているものであるが、二月一三日の事実が暴力による性的犯行でなければ同月一一日の事実も暴力による性的犯行でなくなるように、両日の事実が不可分の関係にあつて分離できないものであるとまではいえず、同月一三日の強姦の事実の供述の信用性に対する疑いが甲の証人としての信用性に影響を及ぼし、ひいて同月一一日の強制のわいせつ及び強姦致傷の事実の供述の信用性に疑いを生じさせること、或いは同月一三日の強姦の事実の供述の信用性に疑いを生じさせた事実が同月一一日の強制わいせつ及び強姦致傷の事実にも関連し、その点の供述の信用性に影響を及ぼすことも考えられるが、それは必然的なものではないから、いずれにしても、このような場合は、同月一一日の強制わいせつ及び強姦致傷に関する供述部分を措信し、他の供述部分を採用しないとしても、証拠の採否に関する経験則に反し違法であるとはいえない。

次に、所論(2)の点について検討するに、二四才の未婚の女性が男性から原判示第一のようなはずかしめを受けながら、さらにその直後その男性について同判示第二の春木研究室へ行く筈はないという経験則も一定の条件のもとでは肯認できるとしても、それは可能的経験則であつて、他の条件が加われば異なる結論も可能であり、甲は原審証言の中で右の他の条件に当る事実を一応供述しているのであるから、この点に関する甲の原審証言中の供述内容が直ちに経験則に反し、これを採用するのが採証法則違反であるとはいえない。

さらに所論(3)の点について検討するに、原審記録及び証拠物を調査すると、所論指摘のワンピース、スリツプ、パンテイ及びパンテイストツキングは甲が昭和四八年二月二一日に警察官に対し任意提出したもので、これらの衣類にはそれぞれ破損した部分があり、特にワンピースの破損は多少強い力が加わつて生じたものであることが窺われるが、同女がこれらの衣類を原判示第一及び第二の当時着用していたこと、その他破損の時期、場所及び状況等本件との関連性については同女の供述にまつほかはないという意味では、右衣類の証拠力は甲の原審証言の信用性にかかつているのであるが、右証言中、同女が本件当時これを着用していたという供述部分は信用性に疑いを容れる資料はないので、右衣類の破損状況は、これにより可能性の程度ではあるが、証拠力を有するものということができ、これをもつて、甲の原審証言中、原判示第二のとおり、被告人から暴行を受け、これにより右衣類が破損したという供述部分の信用性についての補強的事実と認めてもあながち経験則に反するものとはいえない。

しかし、原審記録によると、甲は、同月一五日医師の診察を受け、処女膜に切痕があると診断され、また同月一七日他の医師の診察を受け、左側頸部筋の圧痛及び硬直、腰背部のあざにより両部位の打撲症と診断されたのであるが、右の診察を受けたのは原判示第一及び第二の日から四日及び六日後で、右傷害の内容、程度は合意による性交の場合にも生じる可能性があるものであつて、これが直ちに強姦行為の証跡であるといえず、右傷害がいつ、どのような行為によつて生じたものであるかは、甲の原審証言中、まさに問題となつている被告人の同女に対する暴行に関する供述部分の信用性にかかつているので、前記傷害の事実をもつて甲の原審証言中右供述部分の信用性を補強する事実としての独立の証拠力があるということはできないし、また、原審記録及び証拠物によると、原判示第二の春木研究室のソフアーベツドの上にあつたマツトに被告人のものと思われる精液が付着していたことが窺われるが、これが同判示第二の日に付着したものか、その他の日に付着したものかを明らかにする証拠はなく、これは合意による性交の場合にも付着する可能性があることを考えると、これを直ちに同判示第二の強姦行為の証跡であるとはいえず、これをもつて、甲の原審証言中右の点に関する供述部分の信用性を補強する事実としての独立の証拠力があるとはいえない。したがつて、原審のこれらの点に関する証拠の取捨判断には是認できない部分があるが、これは結局甲の原審証言の採否についての補助事実に関するもので、同証言の採否自体が経験則に反するものとまではいえないから、この点で採証法則に反する違法があるとはいえない。

論旨はいずれも理由がない。

四弁護人新関勝芳の控訴趣意第二点(事実誤認の主張)、同池田浩三の控訴趣意中事実誤認を主張する部分、同西川茂及び被告人の控訴趣意について

各所論は、要するに、被告人は、原判示第一のように、甲に対し強制的にわいせつの行為をし、同判示第二のように、同女に対し暴行を加え、強いて同女を姦淫した事実はなく、単に同女と合意のうえ性的交渉を行つたにすぎず、同女に対し、同判示第二のような傷害を負わせた事実もないのであつて、原判決は信用性のない証人甲の供述を採用した結果事実を誤認したもので、右の誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで、検討するに、被告人は原審第一回公判で被告人が原判示の甲と或る程度の肉体的接触のあつたことは認めつつも、それはすべて同女との合意によるものであると弁疎しているところ、まず、原判決が掲げる関係証拠によると、原判決が認定した判示第一の事実のうち、被告人が昭和四八年二月一一同午後三時過ぎころ、東京都渋谷区四丁目四番二五号青山学院大学一号館三階一三六号室スピーチ・クリニツク・オフイスにおいて、甲の陰部に自己の指を押し入れる行為(以下原判示第一の性的行為という。)をしたこと、同判示第二の事実のうち、被告人が同日午後四時前ころ、同大学五号館六階の自己の研究室において、同女と性交(以下原判示第二の性交という。)を遂げたことをそれぞれ肯認することができる。被告人は、司法警察員及び検察官に対する各供述調書並びに原審公判廷において、原判示第二の際は、単に双方の性器を接触させたにすぎず、没入はしなかつたように供述しているが、右供述内容は不自然であつて、この点に関する甲の原審証言中の供述部分は後記のような疑問点のある他の供述部分と離れて独立に信用性を認めることができ、被告人の右供述はこれと対比し措信することができない。

次に、原判決は、判示第一で、被告人は、前記スピーチ・クリニツク・オフイスにおいて、甲を同所の長いすの上にあお向けに押し倒し、そのからだを押えつけるようにして同女の上に乗りかかり、そのくちびるに自己のくちびるを押しつけ、同女のパンテイ及びパンテイストツキングなどをむりやり同女のもものあたりまで引き下げて前記の性的行為をしたこと、判示第二で、被告人は、前記研究室において、同女を同所のソフアーベツドの上にあお向けに押し倒し、同女の上に乗りかかり、同女を上から押えつけながら、同女の着用しいていたパンテイ及びパンテイストツキングをその足首まで引き下げ、逃げようとした同女の左手首をつかみ、うしろ手にねじりあげ、再びソフアーベツドにあお向けに押し倒し、同女の着用していたワンピースのかぎホツクを引きちぎつてフアスナーを引き下げ、スリツプ及びブラジヤーも同女の二の腕あたりまで引き下げ、同女の顔を右手で二、三回殴打し、両手で同女の首を絞めつけるなどの暴行を加えて、前記の性交を遂げたことをそれぞれ認定しているところ、原判決が証拠として掲げている証人甲の証人尋問調書三通のうち、昭和四八年七月六日及び同月一八日に行われた尋問の各調書には右認定の各暴行の事実に全く照応する供述記載(なお七月六日の尋問調書には、所論指摘のとおり、「左手で私のほおをぶちました」との記載があるが、右尋問調書中、ぶたれたのは左のほおだつたと思う旨の供述記載及び原審記録中の甲作成の上申書には、「右手平」との記載があるところからすると、右尋問調書の記載は、平手又は右手の誤記であろう。)があるところ、被告人は、原判決が掲げる司法警察員及び検察官に対する各供述調書並びに原審公判廷における供述において、同女に対し原判決が認定したような暴行を加えた事実はない旨強く供述しているので、以下に甲の原審証言中右の点に関する部分の信用性について考察を加えることとする。

(一) 原審記録及び証拠物並びに当審における事実取調の結果を総合すると、次のような事実は、すべて疑いを容れる余地のない事実として認めることができる。

(1) 被告人は、昭和六年に青山学院高等学部を卒業し、七、八年間アメリカに留学して、大学及び大学院で勉学の後帰国し、青山学院専門部講師、日本大学予科教授等を経て、青山学院大学法学部教授となり、政治学及び国際法の講座を担当するとともに、文学部教授として、英語の講座を担当していたもので、妻との間には一男二女をもうけ、本件当時家庭では妻及び長男と生活していた。他方甲は、四人きようだいの末子として昭和二三年九月二一日に生れ、昭和四二年三月東京都立富士見高校を卒業後、一年間民間会社に事務員として勤め、その一年後の昭和四四年四月青山学院大学文学部教育学科に入学し、まじめに勉学に励むかたわら、昭和四五年秋ころから、同大学の体育研究室において、午後五時から午後九時までの間、第二部関係の学生雇員として勤務しており、昭和四七年五月から被告人が担当していた文学部の英語の講座であるスピーチ・クリニツクを受講していたもので、本件当時は同大学四年生であり、異性と関係を結んだことはなかつた。

(2) 甲は右のスピーチ・クリニツクの講義を受けている学生の中では若干目立ち、被告人の注目を引くところがあつたものの、被告人が個人的に同女に接する機会はなかつたのであるが、被告人が昭和四八年二月二日、同大学構内で同女と出会つた際、同女から、同大学卒業後は高島屋のインフオメーシヨンに就職することになつたので、今後の英語の勉強法について相談にのつてほしいとの申出を受け、被告人は一応これを了承し、同月六日のスピーチ・クリニツクの最後の個人面接授業の際に打ち合わせをしたうえ、同月九日、同女を連れて学外のレストランに行き、昼食を共にしながら、被告人の外国での経験のいくつかや現在及び将来の活動のこと、同女の教育学科入学及び体育研究室で働くようになつた経緯、同女の就職先のことや同女の父の名が被告人と全く同じであることなど私事にわたることを話題にし、同女の英語の実地訓練として、被告人が同女を国際教会に連れて行くことを約束した。そして、被告人は、同月一〇日、同女との間で、翌一一日午前一一時三〇分に同都同区神宮前五丁目七の七所在の東京ユニオンチヤーチで落ち合う約束をして、同日、同所で待つていたところ、同女がすでに同日の礼拝が終つた午後零時半ころになつて同教会に来たので、被告人は、同女に同教会内を案内したうえ、同教会前で同女の写真を四枚位撮つて同教会をあとにし、青山通の軽食堂で簡単な昼食をしたのち、双方共特別の予定はなかつたので青山学院大学に向つた。

(3) 同日午後三時ころ、被告人は、甲を連れて、被告人が当時研究室と同様に使用していた同大学一号館三階一三六号室スピーチ・クリニツク・オフイス(面積は約五七平方メートルで、本棚等より五つのコーナーに仕切られている。)に入り、被告人専用のコーナー付近で電気ストーブをつけて暖まつているうち、被告人は、隣のコーナーにあつた長いすに同女と並んで座つたが、その際同女に対し接吻したのち、前記の原判示第一の性的行為をした。なお、同日、同女は、上から順にオーバー、ワンピース、スリツプ、ブラジヤー、ガードル、パンテイストツキング、パンテイを着用しており、その時から月経が始まり出血をした。

(4) 右の行為後の同日午後四時少し前ころ、被告人と甲はそろつて同室を出たのち、同所から約一五〇メートル余離れている同大学五号館六階六〇九号室の被告人の研究室に行き、被告人は、乱雑に重ねられていた書籍類を簡単に片づけたのち、同室内にあつたソフアーベツドの背もたれを倒して平らにし、両名がオーバーを脱いでこれに並んで座つたが、その際被告人は、同女に対し接吻したうえ、前記の原判示第二の性交を遂げた。

(5) しばらくして、同日午後五時四〇分ころ、被告人と甲はそろつて同室を出て、同大学正門を通り、国鉄渋谷駅方面に歩いて行き、同駅付近のレストランで食事をし、アイスクリームシヨツプでアイスクリームを食べたが、甲は、自己の手帳から一枚の紙を破り取り、次に被告人と会う日時として、二月一五日午後五時及び二月一三日午後五時と英文様式で書き、このメモを被告人に渡し、同日午後七時過ぎころ、被告人と別れ、京王帝都井之頭線の渋谷駅から電車に乗つて帰宅した。

(6) 甲は、同月一二日及び同月一三日も平常通り朝から同大学に行つた。

(7) 同月一三日午後五時ころ、甲は、前記被告人との約束に従い前記の五号館六階の研究室に行つたところ、被告人は、同所で同女に対し、ポルノグラビヤを見せ、性に関する洋書を見せようとした。そして、同所のソフアーベツドにおいて、被告人は、同女と再び性交をし、同女は、同月一五日午後二時に被告人と会う約束をしてその旨被告人の手帳に書き入れたうえ、両名が、同日午後七時ころ、そろつて同室を出て同大学正門から学外に出たうえ、その付近の道路で別れた。

(8) 同月一四日も甲は平常通り朝から同大学に行つたが、その際、ハガキ大のラクダ色の封筒の表に、ペンで、DR. TAKESHI HARUKIとスピーチ・クリニツク・オフイスの所在地を英文様式で書き、その裏に甲と同女の住所を同じく英文様式で書き、これに、やはりペンで、「TO MAY DEAR T. H HAPPY VALENTINE TO YOU FROM甲」と書き、四つ葉のクローバーをくわえた小鳥の図を画いた同一色のカードを入れ、これにピンクのリボンを結んだ高価な部類に属するチヨコレート一箱を添えて同大学用の茶封筒に入れ、右茶封筒には春木猛先生とペン書きし、これを同日午後二時三五分ころスピーチ・クリニツク・オフイスに持参したが、被告人が不在であつたので、右茶封筒に鉛筆で、「お留守にお邪魔いたしました2:35 PM甲」と書いて、被告人の机の上に置いてきた。

(9) 甲は、同日午後九時ころ、自宅において、突然、母乙に対し、一一日に「生娘でなくなりました。」(記録六冊一〇〇丁)と打ち明け、乙から「相手は誰なの。」と聞かれて、被告人だと答えた。そこで、これを聞いて驚いた乙が早速夫丙の勤務先に電話して帰宅を促し、これに応じてすぐ帰宅した父丙に対し、甲は、「私の意にそむいて、暴力でもつて私の生娘を奪われました。」(同二三一丁)と告げたが、丙は、「犬にかまれたと思つて忘れてしまいなさい。」などといつて床についた。ところが、その後で甲が再び母乙に対し、被告人に脅迫されて一三日にも行つたと打ち明けたため、乙は再び丙を起し、これを聞いた丙は、これは計画的だといつて非常に憤激し、翌一五日、同人が会長をしている会社の顧問弁護士Aに対し、娘が学校の先生に強姦されたと告げて、その処置を相談した。そこで、A弁護士は、同日夜から同月一八日までの間に甲から詳細に事情を聴取して、同女名義の上申書として取りまとめたうえ、これを同女に浄書させ、同弁護士を代理人とする告訴状に右上申書及び診断書二通等を添え、同月二一日、渋谷警察署長に対しこれを提出し、本件の捜査が開始された。なお、同女は、そのしばらく後、A弁護士を代理人として、被告人に対し非常に高額の損害賠償を求める民事訴訟を提起している。

(二) ところで、甲は、原審においては証人として三回(ただし第二回目は第一回目の続行)にわたり公判期日外の尋問を受けたが、同女は、その前に、前記のとおり、A弁護士から事情聴取を受けて上申書を作成したほか、告訴の日である二月二一日から同年三月一六日までの間、七回にわたり司法警察員の取調を受け、告訴補充調書及び供述調書六通が作成され、同月一三日及び二一日に検察官の取調を受け、供述調書二通が作成され、これらの上申書、告訴補充調書、供述調書八通は、原審において、弁護人から、刑訴法三二八条の書面として証拠調の請求がされ、取り調べられたものであるところ、同女の供述内容をみると、前記上申書の記載から原審証言までの供述において、原判示第一の被告人が甲に対して暴行を加えて強制的にわいせつの行為をしたこと及び同判示第二の被告人が同女に対し暴行を加えて、強いて同女を姦淫したことに関する部分(以下本件各犯行態様に関する部分という。)は大綱において前後同一の事実を供述しており、その限りでは右供述部分は首尾一貫しているといえなくはない。しかし、甲の原審証言中右供述部分の信用性を判断するには、右供述部分を含む原審証言全体の信用性が吟味されなければならないと考えられるので、以下に前記(一)に認定した疑いを容れる余地のない事実をもとにこれを検討することとする。

(1) 二月一一日の本件各犯行態様に関する部分について。

前記(一)の(3)、(4)の事実によると、被告人と甲は、二月一一日、前記スピーチ・クリニツク・オフイスに少くとも四〇分位いたことが推認され、電気ストーブをつけて暖まつた時間及び原判示第一の性的行為をした時間のほかに、なお甲の原審証言によつては満たされない空白な時間があることが窺われる。また、前記(一)の(4)、(5)の事実によると、同日、被告人と甲は、前記被告人の研究室に少くとも一時間四〇分位いたことが推認され、ここでも被告人と同女が原判示第二の性交をした時間のほかに、なお甲の原審証言によつては満たされない一時間以上の空白な時間があることが窺われる。そして、とくに、右研究室での空白な時間は、強制わいせつ及び強姦の犯人と共に被害者が過した時間としては、特に監禁されていたというような事情の認められない本件においては、余りにも長すぎ、甲は、その間の状況について供述を殊更に回避しているのではないかという疑いを払拭することができない。

また、被告人の原審公判廷における供述によると、被告人は同日、上から順にオーバー、背広上下、ワイシヤツ、アンダーシヤツ、ズボン下を着用していたところ、原判示第二の被告人の研究室においては、オーバーを脱ぎ、さらに甲と性的交渉をするに際しては、まず下半身を脱ぎ、途中で上半身も脱いで全裸になつたというのであるが、甲の原審証言には、被告人が右の着衣を脱いだ状況についての供述がなく、かえつて、被告人が着衣を脱ぐ余裕がなかつたかのような趣旨で、被告人が同女に対し継続して暴行を加え、直ちに性交に及んだように供述し、当審においては、被告人が着衣をいつ脱いだか、抵抗するのに必死で覚えておりませんと供述した。しかし、同女が極力抵抗し、逃げ出す隙をねらつていたとすれば、被告人が着衣を脱ぐ際にその暴行の手がゆるむのを注意していた筈であつて、右の供述は不自然である。

さらに、甲の司法警察員に対する告訴補充調書には、二月一一日、被告人の研究室で被告人に姦淫されて失神し、その後気がついてみると、自分も全裸にされていた旨の供述記載があるが、原審証言においては、何故か検察官から再三にわたり、下着その他は脱がされたのかという質問を受けながら、直ちに十分な答えをせず、結局、下着は下に引きずりおろされて足にまつわりついたままで、ワンピース、スリツプは胸の付近にあつた旨供述するにとどまつており、この点は前記告訴補充調書中の供述記載と矛盾しているといわざるを得ない。

(2) 二月一一日原判示第二の性交後被告人と甲が別れるまでの状況に関する部分について。

甲は、原審証言において、同女は、二月一一日被告人の研究室で被告人から姦淫された後、被告人と共に同室を出て歩いているうち、被告人から「これからホテルに行こう。」と何回もいわれ、これを断つたところ、「そんなにいやだいやだというと、今日のことを親にいうよ。せめて食事でもして家に帰りなさい。」といわれ、やむを得ず被告人について食堂に行き、食事をしたが、どこを通つて、どこの食堂に行き、何を食べたか全然記憶がなく、食堂でも、被告人が親に知れたら困るだろうといつて脅迫し続け、ナイフかフオークかも知れないが、白く光るとがつた刃物のような物を自分の方に向け、次に会う日を約束することを強要したので、前記(一)の(5)に認定した再会を約束するメモを被告人に渡し、その食堂の前で被告人と別れて帰宅した旨供述している。しかし、右のうち、被告人が「今日のことを親にいうよ。」といつて脅迫し続けたという点は、被告人が強姦犯人であれば常識上いう筈のない文言であつて、聞く者に心理的動揺があつたとしても、脅迫的意味を持ち得ないし、また、白く光る刃物のような物を向けて脅迫したという点は、甲が原審証言で初めて供述することであつて、近くに人が座つている食堂或いはレストランにおける状況としては余りにも常軌を逸しており、被告人の行動としては理解できないし、さらに、強要されて再会を約束するメモを渡したという点も、約束の月、日、時間が英文様式で記載されているほか、一五日についてはその曜日まで(THURS)と記載されており、このような記載方法まで被告人が強要したものとは到底思われない。被告人は、原審及び当審公判廷において、二月一一日、甲と共に、同大学五号館六階の被告人の研究室を出て、一階の出入口まで来たところ、右出入口に鍵がかかつており、たまたま近くの窓に鍵がかかつていないのを見つけ、同女と二人でその窓から跳びおりて外に出たが、その際植木鉢を若干こわしたこと、それから国鉄渋谷駅方面に行き、レストランでスパゲツテイを食べ、アイスクリームシヨツプでアイスクリームを食べ、その際同女から前記の再会を約束するメモをもらつたこと、二人で前示井之頭線電車の渋谷駅に行く途中同女が昼間教会でもらつたプログラムを忘れてきたことに気づいたが、そのまま同駅に行き、同日午後七時過ぎころ、同所の改札口で同女と別れたことを些細な状況を交え、詳細に供述しており、この供述部分に被告人の作為を窺うことはできず、これを信用できないとして排斥する理由は見出せない。

すなわち、二月一一日、甲が被告人と一緒に被告人の研究室を出てから別れるまでの一時間一五分余の間、聡明で若い大学生である同女が被告人から逃れて帰ることもできないような脅迫が加えられ続けていたものとは認められないので、甲の原審証言中この点に関する部分は事実に反する疑いが強く、被告人と食事を共にしたレストランや食事の内容は強姦の被害者とすれば特殊な状況事実として記銘されていい筈の事柄であるのに、これを覚えていないというのは不自然である。

(3) 二月一三日に関する部分について。

甲は、原審証言において、同女は、二月一三日午後四時ころ、同大学構内で偶然被告人に出会い、被告人から「今日五時だよ、くるね。レポートはいい点をつけおいた。こなければわからないよ。」といわれたので、行かなければレポートの採点がゼロになり、すでに内定していた就職もだめになるかも知れないと思うとともに、そのような不当な成績づけが行われることに我慢できない気持になり、被告人も同女が生理中であることを知つているから、二度と関係を迫ることはないものと考えて、同日午後五時ころ、被告人の研究室に行つたところ、被告人から、再び同所のソフアーベツドに押し倒されて押えつけられ、パンテイなどの下着を引き下げられたうえ、無理に姦淫されてしまい、同日午後五時二〇分ころ、右姦淫が終るや否やすぐ同室を一人で出て、便所で身繕いをしたうえ、同大学の通用門から出て渋谷駅方面へ行つたが、同日午後七時に同大学近くの喫茶店クリエイトでB代議士と会う約束があつたので、そのころ同所に引き返えし、同所で、同代議士と会つて、どこかで食事をして帰宅したと供述している。しかし、右の甲が再び被告人の研究室に行つた理由としてあげるところは、強制わいせつ及び強姦の被害者の行動としては合理性に乏しく、不自然であることは原判決が説示するとおりであり、また、前記(一)の(7)に認定したとおり、同女は、同日午後五時ころから同日午後七時ころまでの間、被告人と共に被告人の研究室にいたものであり、その際被告人との間で同月一五日午後二時に会う約束をしたこと、被告人の司法警察員に対する昭和四八年三月一〇日付供述調書及び原審公判廷における供述によると、被告人は、右研究室で、甲から、同女が同日午後七時に同大学近くのクリエイトでB代議士と会う約束をしていることだけでなく、その約束の経緯までも聞かされたことが認められることからすると、同日は同研究室に二〇分位しかいなかつた旨の甲の供述は事実に反しているものといわざるを得ず、同女はその間の状況について殊更に供述を回避せんとしているのではないかと思われる。

(4) 二月一四日に関する部分について。

甲は、原審証言において、同女は、二月一四日チヨコレートを売つているのを見て、バレンタインデーであることに気づき、例年のように、あちこちに配ろうと思つて、ふらふらとチヨコレートを四、五箱買つたが、前日被告人から何か持つてこいといわれたので、これで被告人との関係を終りにしようと思つて、右のうちの一箱を前記(一)の(8)に認定したようにして、バレンタインカードと共に被告人の留守中に届けたにすぎない旨供述している。しかし、右の点に対する疑問は、原判決が説示するとおりであつて、ことに、バレンタインカードの記載内容が親密な間柄を思わせる文言であることはもとより、これを入れた封筒の表の被告人名にはドクターの略字まで冠し、裏には差出人である自己の住所氏名を丁寧に記載していることを考えると、これを受取つた者には、明らかに親愛の情をこめて贈られた物であると思われるものであつて、これが被告人との関係を終りにしようという趣旨で届けたものであるという甲の供述は、無理に自己の行為を現在の主張に合わせて合理化しようとしているものであると思われる。

以上のようにみてくると、甲の原審証言には、特に、原判示第二の性交以後の状況に対し、不自然に欠落している部分や、客観的事実に符合せず、事実を誇張し或いは歪曲した部分があることが窺われ、これは、同女が被告人の同女に対する強制わいせつ及び強姦致傷の事実を主張するにつき不都合と思う事実を隠し或いは自己の行動を無理に合理化しようとしているものではないかと疑われ、同女が原審において尋問を受けた際、時には弁護人に反論するなど、この種の事案の被害者としては最も理知的な部類に属する証人であることを考えると右の証言に対する疑いを軽視することはできない。

(三) しかし、それでは甲の原審証言中右の原判示第二の性交以後の状況に関する供述部分に対する疑いが前記の原判示第一及び第二の各暴行に関する供述部分の信用性までも失わせるものであるかはなお検討する必要がある。

ところで、強制わいせつ罪及び強姦罪は、相手方の抵抗を著しく困難にする程度の暴行、脅迫によつて、相手方の意思に反し、わいせつの行為或いは姦淫行為をすることによつて成立するものであり、右の程度の暴行、脅迫が行われるということはわいせつの行為或いは姦淫行為が相手方の意思に反して行われるということの外部的な現れにほかならないと解されるので、ここには原判示第一の性的行為及び同判示第二の性交が相手方である甲の意思に反して行われたものであるかどうかという観点から考察することとする。

前記(一)の(1)、(2)に認定した事実及び当審における証人甲の証人尋問調書(以下当審証言という。)被告人の原審及び当審公判廷における供述によると、二月一一日午後三時ころ、被告人と甲が前記スピーチ・クリニツク・オフイスに入つた当時、同女は、青山学院大学における英語部門の権威であると聞いていた被告人に教室以外でも接し、個人的に指導を受ける機会が得られたこと、被告人との間ではすでに私事にわたることまでも話題にしたことから、被告人に対し個人的な敬愛の惜を抱くに至つていたことが窺われるが、前記(一)の(1)に認定したような被告人及び甲の年令、経歴、身分、経験、同(2)に認定したような被告人と同女との個人的な交際の経緯、状況から考えると、まだ同女が被告人を性愛の対象として意識するような関係にあつたものというのは困難であり、二人の間にはなお乗り越えられない障壁があつたものと認められ、同女が被告人の原判示第一のような性的行為を受け容れ、これを承諾したというのには他に特段の事情がなければならないと考えられる。所論が指摘するような同女が当時二四才で、他の学生より若干年長であるうえ、社会経験もあること、前記(一)の(2)、(3)に認定したように、同女が当日教会で被告人と会う約束の時間に一時間も遅れたため、被告人に対しすまない気持を抱いていたこと、同女が当日月経の始まる予定日で、心情不安定な状態にあつたことを考慮しても、これをもつて、同女が被告人の原判示第一の性的行為を承諾するような事情となり得るものとは認められない。ことに、被告人の原審公判廷における供述によると、原判示第一の性的行為の際、同女の方から被告人に対し積極的に接吻、抱擁、性器の接触を求めたというのであつて、これを首肯するのはより一層困難である。この事情は原判示第二の性交についても同様であるといわなければならない。

所論は、甲が被告人から原判示第一のようなはずかしめを受けながら、なお被告人について同判示第二の研究室に行つたのは不自然で、理解し難い行動であるというが、甲の原審証言によると、原判示第一の性的行為後、被告人が今したようなことはしないから、レポートの採点を手伝つてほしいというので、これを信じ、被告人に連れられて同判示第二の被告人の研究室に行つた旨供述しており、右のレポートの採点というのは特異な事実であつて、すでに前記上申書にも記載され、甲の原審証言中、同月一三月に被告人から自己のレポートの採点結果を見せられたという供述ともつながる事実であつて、何ら作為は窺われず、この点に関する原判決の認定、説示は十分首肯することができ、ことに被告人の原審及び当審公判廷における供述によると、被告人は、原判示第一のスピーチ・クリニツク・オフイスにおいて、甲が出血したことを見て生理中であることを知つたことは明らかで、その際被告人が甲に対し、大変悪かつたといつて謝つたという甲の原審証言中の供述は、他の供述部分と離れても十分信用することができ、同女がさらに関係されることはないと思つたのも無理からぬところである。

このようにみてくると、被告人の原判示第一の性的行為が甲の意思に反するものであつたばかりでなく、同判示第二の性交も同女の意思に反するものであつたというべきである。そして、甲の原審及び当審証言によると、被告人の原判示第一及び第二の行為の際、同女は被告人から逃れようとして、一生懸命、できる限りの抵抗をしたと供述しているところ、その抵抗行為が被告人或いは現場の状況に痕跡を残したことは証拠上窺われないので、その表現には若干の誇張が感じられるが、右各行為の場所がいわば密室といつてよいところであること、被告人と同女との身分的及び体力的関係から、同女が容易に抵抗を断念したものとも推認され、同女が被告人の原判示第一及び第二の行為に対する不承諾の意思を表現する意味の抵抗を行つたことを否定するまでの事情は見出せない。

なお、被告人は、原審公判廷において、自ら積極的に性交する欲求はなく、陰茎もぼつ起しなかつた旨供述しているが、被告人の司法警察員に対する昭和四八年三月九日付供述調書(記録八冊六〇二丁)によると、被告人は、当時家庭内において妻からうとんじられていたため、二月九日、レストランで、甲と昼食を共にした際、同女のやさしさに接し、同女に対し恋慕の情を抱き始め、同月一一日には欲情にかられて性行為に及び、青春がよみがえつたようになつた旨供述しているので、被告人の原審公判廷における前記供述はこれと異つており、自己に有利なように歪曲して供述したものではないかと疑われ、措信できない。

そこで、前記(二)の(2)ないし(4)に記載した事実、すなわち、甲が原判示第二の性交の後、被告人と共にレストランなどに行き、次に会う日を約束するメモを渡したこと、同女が二月一三日被告人の研究室に行き、長時間同所にいて、B代議士と会う約束の経緯を話し、次に会う日を約束をしたこと、同女が同月一四日被告人に対しバレンタインカード等を贈つたこととの関係を考察すると、これらは被告人と甲との宥和的な関係或いはさらに親密な関係を窺わせる事柄である点で、前記のように、原判示第一の性的行為及び同判示第二の性交が同女の意思に反するものであつたとすると、一見矛盾するように考えられるが、前記(二)の(1)に記載したように、被告人と同女が原判示第二の際研究室にいた時間に一時間以上の空白の時間があることを併せ考えると、原判示第二の性交後、被告人とすでに貞操を失い、前記のような障壁もなくなつた甲との間に融和的な会話が交わされたのではないかと推察され、被告人の原審公判廷における供述中、右の点に関する部分は、右のような事情を自己に有利に供述したものとも認められる。そして、これによつて、同女の被告人に対する心情が宥和し、親密な方向に進んだものと見れば、前記の一見矛盾と考えられた点も合理的に理解することができる。この点は、前記(一)の(9)に認定したように、甲が両親に対して最初は二月一一日の原判示第二に相当する事実のみを打ち明けた経緯にも窺われるところである。

そして、甲が原審証言において、前記(二)に記載したような種種の疑問点を含む供述をしたのは、同女が本件の結果に重大な利害関係を有し、すでに後戻りのできない立場に立つたので、被告人に対する公訴事実第三の強姦の事実(二月一三日、被告人の研究室で被告人が甲と性交をした事実)も原判示第一の強制わいせつ、同判示第二の強姦致傷の事実と共に被告人が計画的に行つた一連の犯行である趣旨を強調するために、あえて無理な合理化を図つたものと解され、甲の原審証言に対する前記(二)に記載したような疑いは同証言中被告人の原判示第一及び第二の各暴行に関する供述部分の信用性までも失わせるものとは解されない。

したがつて、原判決が甲の原審証言中右供述部分を採用して前記のような原判示第一及び第二の各暴行を認定し、同判示第一の被告人の性的行為及び同判示第二の被告人の性交が甲の意思に反するもので、強制わいせつ行為及び強姦行為にあたるものと認定した点には事実の誤認はないといわなくてはならない。

次に、所論指摘の原判示第二の甲の受傷の点について検討するに、原判決が掲げる医師C及びD作成の各診断書、証人C及びDの原審公判廷における各供述、証人甲の証人尋問書三通によると、甲が原判示第二の強姦行為に際し、処女膜裂傷及び左側頸部打撲症の傷害を負つたという原判決の認定は肯認することができる。しかし、右証拠によると、同女が昭和四八年二月一七日医師Dの診察を受けた際、その腰背部に打撲のあとと思われるあざがあつたことが認められるものの、前記のとおり、これがいつ、どのような行為によつて生じたものであるかは必ずしも証拠上明らかであるとはいえず、甲も当審証言において、いつできたものかはつきりしない旨供述しており、被告人の原判示第二の暴行が原因で生じたものであると断定するのは困難であつて、原判決が同判示第二において、被告人が甲に対し腰部打撲症の傷害を負わせたと認定した点は直ちに肯認することはできない。しかし、原判示第二における甲の主要な受傷は処女膜裂傷であつて、右の点の誤りはいまだ判決に影響を及ぼすものとはいえない。

その他、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果を検討しても、原判決に各所論のような事実の誤認があるとはいえない。

論旨はいずれも理由がない。《後略》

(龍岡資久 片岡聰 福嶋登)

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