最高裁判所第一小法廷 昭和53年(あ)560号 決定 1979年10月19日
本籍
奈良県御所市大字本馬一一三番地
住居
大阪市都島区高倉町三丁目八番一六号
会社役員
小槻泰久
大正一四年一一月一〇日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五三年一月二五日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人大槻龍馬の上告趣意のうち、憲法三八条三項違反をいう点は、原判決が不動産の取得価格を被告人の自白のみによって認定したものでないことが原判文に照らして明らかであるから、所論は前提を欠き、憲法二九条一項違反をいう点を含めて、すべてその実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 本山亨 裁判官 中村治朗)
昭和五三年(あ)第五六〇号
被告人 小槻泰久
○弁護人大槻龍馬の上告趣意(昭和五三年五月一〇日付)
第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反ならびに重大な事実の誤認があり、破棄しなければ著しく正義に反する。
一、原判決は、弁護人の
第一審判決は、被告人が北木工株式会社から取得した利息割引料収入の利率を日歩五銭と認定しているが、同社との利率の約定は通常の場合は、月一歩(日歩換算三銭三厘)短期の場合は、月一歩五厘(日歩換算五銭)であったからその数値の上限である日歩五銭を採用して推計する前記認定は合理的でなく右二個の利率を単純平均した日歩四銭一厘五毛の利率により推計すべきであるから、昭和四四年分の利息割引料収入を金六三六、五〇〇円より金五二八、二九五円に、同四五年分の利息割引料収入を金九八二、八〇〇円より金八一五、七二四円にそれぞれ減額するのが相当である。
との控訴趣意に対し、
原判決挙示の各証拠によれば、被告人が北木工株式会社から取得した利息割引料収入が第一審判決認定のとおりであることは優に肯認することができ、記録を精査しても原判決には所論のような事実認定上の過誤は見当らねい。
すなわち、右各証拠、特に第一審第一一回および第一五回各公判調書中、証人神谷和美の供述部分、第一審第八回公判調書中、証人安田望の供述部分、被告人の検察官に対する昭和四七年九月二九日付供述調書を総合し、これらの証拠と神谷利夫の検察官に対する供述調書および押収してある元帳四冊(北木工株式会社のもの、大阪高裁五二年押第一五三号の一ないし四)とを対照検討すれば、被告人が前記各事業年度において北木工株式会社に貸付けた金員に対する利息(割引料)の約定利率は少くとも平均して日歩金五銭と推認するのが相当であり、これに反しその利率の殆どは日歩三銭三厘ないし五銭であった旨の被告人の大蔵事務官に対する昭和四七年二月一三日付質問てん末書の記載、第一審六回公判調書中、証人神谷利夫の供述部分、第一審および原審における被告人の各供述は、前掲各証拠と対比しかつ被告人が北木工株式会社の代表取締役神谷利夫や同社に勤務していた経理担当者安田望らと相談して同社の元帳を改ざんして虚偽の約定利率(日歩三銭)に修正させその利率を記載した確認書(神谷利夫名義のもの)を国税局に提出させたり、その旨口裏を合わせるなど証拠隠滅工作に及んでいることなどに徴し、たやすく措信し難い。
として前記控訴趣意を排斥した。
二、しかしながら原判決の右判断は、本件訴訟の経緯と税務会計実務の常識を無視したため、判断事項の中にくいちがいを生じ、かつ利息割引収入を過大に認定し、被告人に対し過大の納税義務を課し、被告人の財産権(憲法二九条一項)を侵害するものである。以下その理由を述べる。
1 本件訴訟の経緯
被告人が北木工(株)より受領した利息割引料収入に関する本件起訴の内容は、
昭和四四年分 一、二七〇、七〇〇円
(検察官冒頭陳述中、調査所得の説明書 五五頁)
昭和四五年分 三、〇六二、〇〇〇円
(同右 八七頁)
であって、その算出方法は、昭和四四年分については、元帳三冊(昭和四三年三月期・昭和四四年三月期・昭和四五年三月期)昭和四五年分については、元帳二冊(昭和四五年三月期・昭和四六年三月期)を基本となし、これによって求められた関係者の供述を根拠としているのである。
ところが第一審判決は、右各元帳の記載等起訴の根拠となるべき証拠もあるに拘らず、
昭和四四年分 六三六、五〇〇円
昭和四五年分 九八二、八〇〇円
と減額の認定をしたのである。
2 税務会計実務の常識
第一審判決が、右のように刑訴法三二三条により強い証拠能力と証明力が与えられている筈の各元帳の記載ならびにこれによって求められた関係者の調査・捜査段階における供述を排除して減額の認定をした理由は果して何であろうか。
昭和五〇年六月一六日付北税務署長からの照会に対する回答によれば、神谷利夫が代表者である北木工株式会社は、東淀川税務署長より青色申告の承認を受け、昭和四五年三月三一日終了事業年度において翌期繰越欠損金一八、二三〇、三〇四円を計上したうえ、昭和四六年三月三一日終了事業年度で二、二九二、七一二円、同四七年三月三一日終了事業年度で三、三九二、四三五円の各利益金があるに拘らず、順次繰越欠損金と相殺して連続して法人税納付額を零として申告しており、昭和四七年三月三一日終了事業年度においてなお一二、五四五、二三七円が引続き翌期繰越欠損金に計上されていることが明らかである。
しかも北木工(株)では、被告人への支払利息を水増しして、その支払先を北島なる架名で記帳処理し、その支払証憑も当然これに符合するものを作成して備付けていたものと考えられる。
従って同会社としては、もし収税官吏によって前記元帳の記載が真実と異ると認定されたら法人税法一二七条により虚偽記載の年度に遡って青色申告承認を取消され、前記繰越欠損金と利益金との相殺はすべて否認され、莫大な損失が発生する結果を生ずるのである。
このような場合、北木工(株)の神谷利夫・安田望らが前記各元帳の記載が真実でなくても収税官吏に対して真実であると強調することは税務会計実務の常識といわねばならない。
そうしてその真実性を強調せんがため、被告人から真実の支払利息に合致するように求められて訂正した元帳の記載や、右訂正に基いて作成し、国税査察官に提出した確認書について被告人からの要請により改ざんして虚偽の約定利率を記載した旨の言い逃れをしなければならなかった筈である。
第一審裁判所は、さすが租税専門部であったためよく右の実情を考察し、右のような言い逃れを認めないで前記のような減額を認定したものと推測されるのである。
従って第一審判決は、被告人の証拠隠滅工作とは認めなかったものと理解される。
しかしながら、右第一審判決が、前記各元帳の記帳ならびにこれによって求められた供述を排除する限り、被告人や第一審証人神谷和美の供述による日歩三銭三厘ないし五銭の範囲内において被告人の利息割引料収入について合理的な推定計算をなすべきところ、その最高である日歩五銭をもって一律計算をしたことは事実を誤認したものというべきであるから、その範囲において事実誤認があるため、原審においてはこの点について判断を仰ごうとしたのである。
3 判断事項中のくいちがい
ところが原判決は、第一審判決と弁護人の右控訴趣意との関係を十分咀嚼されなかったためか、前記推定計算方法の是非の判断をしないで
(イ) 神谷和美の供述(第一審 第一一回、第一五回)
(ロ) 安田 望の供述(第一審 第八回)
(註) 安田望の第一審第八回供述時(昭和四九年一一月一日)には、未だ前記北税務署長からの回答未到着であったから右回答文によって欠損金の繰越について同証人に対し具体的な尋問をすることができなかったが、第一審判決の内容は右の事情を踏まえたものと理解し、控訴審では証人としての取調請求をしなかったものである。
(ハ) 被告人の検面調書(昭和四七年九月二九日付)
を綜合し
(ニ) 神谷利夫の検面調書
(ホ) 元帳四冊
を対照検討すると少くとも平均して日歩五銭であると推定するのが相当であるとなし、
(ヘ) 被告人の国税査察官に対する質問てん末書(昭和四七年二月一三日付)
(ト) 神谷利夫の供述(第一審)
(チ) 被告人の供述(第一、二審)
は、
被告人が神谷利夫・安田望と相談して元帳を改ざんして虚偽の約定利率に修正させ、その利率を記載した確認書を提出させたり、その旨口裏を合わせるなど証拠隠滅工作に及んでいる
ことなどに徴し措信できないと判示しているのである。
被告人は、昭和四四年分及び昭和四五年分の所得につき、利息割引料収入等の収入を自己の氏名を秘匿して取得し、これらの収入金を架空名義の預金口座に預け入れるなどの行為により所得を秘匿したうえ、過少の申告をしていることは本件調査の当初から認めているところである。
即ち本件においては、所得税法二三八条のいわゆる偽りその他不正の行為の存したことについては何ら争いはなく被告人は右の点については深い反省悔悟を抱いているものであるが、被告人はいやしくも本件調査が始まってからは、関係者に真実を供述してもらうよう依頼したり、真実の立証に努力したことはあっても原判決のいうがごとき証拠隠滅工作は一切したことがないのである。
この点は原判示における他の証拠隠滅工作の点と併せて被告人が原判決を読んで最も残念に思っているところで本件上告申立の主たる動機となっている。
原判決がいうが如く証拠隠滅工作があったとして前記被告人の国税査察官に対する質問てん末書(ヘ)神谷利夫や被告人の法廷における供述(ト・チ)が措信できないとすれば、原判決は須らく第一審判決の日歩五銭の計算額を誤ったものとして検察官の冒頭陳述書どおりの金額を認定すべきであるのにこれをしないで少くとも平均日歩五銭と推認するのが相当であるというのは、論理上経験上の法則に照らして極めて不合理というべきである。
結局原判決は、検察官の答弁書の証拠隠滅工作の言葉に惑わされ、第一審判決の真意を理解せず、従って第一審判決と控訴趣意との関係を十分咀嚼しないまま控訴趣意排斥の結論を打ち出そうとしたものである。
以上のとおり原判決には、原判決に影響を及ぼすべき判断の遺脱ないし理由齟齬による法令の違反ならびに重大な事実の誤認があるものといわなければならない。
第二点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認ならびに法令の違反があり、破棄しなければ著しく正義に反する。
一、原判決は、弁護人の
第一審で取調べがなされた約束手形一九通(大阪高裁五二年押一五三号の二二ないし四〇)は、いずれも被告人がダイモク工業株式会社(代表取締役虻川正名)から割引依頼を受けこれを所持していたところ、各支払期日にその振出人および裏書人が倒産もしくは所在不明のため当談債権の取立が不能となったから、被告人は虻川正名よりその都度極めて少額の内入弁済を受け、残債権を放棄し、その旨手形面に記載して同人に返還していたものであり、これらが貸倒損失と認定されるのは当然であり、昭和四四年分の貸倒損失として金二、〇四〇、〇〇〇円((前記約束手形四通(符号二二ないし二五)の残債権放棄分の合算額))、昭和四五年分の貸倒損失として金三一、二五一、〇〇〇円((前記約束手形一五通(符号二六ないし四〇)の残債権放棄分の合算額))をそれぞれ加算すべきであるのにこれをしなかった第一審判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある。
との控訴趣意に対し、
第一審判決挙示の関係各証拠によると、本件貸倒損失は第一審判決が認容した限度でこれを是認するのが相当であり記録を精査しても第一審判決には事実認定上の過誤は見当らない。もっとも所論の約束手形一九通(前同押号の二二ないし四〇)の券面上にはペン書で内入弁済額と残債権放棄額を併記または債権放棄額のみを記入してある個所に被告人の記名押印又は指印が存すること、その内容を例示すると、符号二二号の手形には「金四五、〇〇〇円を内入弁済し残債権五二〇、〇〇〇円を放棄した」、符号二三号の手形には「金二〇、〇〇〇円を内入弁済し残債権四八〇、〇〇〇円を放棄した」、符号二四号の手形には「金五、〇〇〇円を内入弁済し残債権四九〇、〇〇〇円を放棄した」、符号二五号の手形には「金一〇、〇〇〇円を内入弁済し残債権五五〇、〇〇〇円を放棄した」旨の記載(その余は省略)が存することはそれぞれ所論指摘のとおりであるが、被告人の検察官に対する昭和四七年九月二六日付、同年一一月一六日付各供述調書によると、右各手形に債権放棄の文言が付記されたのは、虻川正名の要請によるものでありその意味内容は当該振出人に対する手形上の権利を行使しないというに止まり、虻川正名(ダイモク工業株式会社)に対する右各手形金に相当する貸金債権を放棄したものではないこと、被告人は右債権の存在を前提として本件各事業年度の翌年である昭和四六年以降においても取立を継続し、現実に相当額の内入弁済を受けたことが認められる。しかるに被告人は本件公判段階において所論に添い前掲各手形券面上の表示をもって虻川正名に対する債権を放棄した証左である趣旨の弁解をし、第一審第八回および第一〇回公判調書中、証人虻川正名の各供述部分および同人の弁護士大槻龍馬に対する供述調書には右弁解に添う供述記載が存するけれども、被告人の前掲各供述調書特に同調書中「ただ現在(昭和四七年九月二六日の取調をうけた時点の意)の状態では訴訟をしても取れるだけの財産が虻川にないようです。もし今後回収出来ないと云うことがはっきり判れば私もあきらめて最悪の場合は放棄しなければ仕方がないのではないかと考えております」旨の供述記載部分、前掲各手形は一部を除き手形金の内入弁済があった旨表示されているものの、その弁済額は当該手形金額からみて比較にならないほど僅少なものであり、金融業者である被告人をして直ちに無条件で残余の債権放棄を決意させるほどの内入弁済とは認め難く、被告人において前認定のように事後においても取立交渉に及んでいること、前記虻川正名の供述には本件捜査段階以降かなり変容が認められ、その供述には一貫性がなく曖昧な部分が存することなどに徴し、被告人の前記弁解および虻川正名の証言ならびに供述記載部分はたやすく信用することができない。従って前記約束手形一九通の額面金に相当する残債権は未だ本件各事業年度の貸倒損失として確定していたものとは認められない。
と、して前記控訴趣意を排斥した。
二、しかしながら原判決の右の判断は、証拠と理由との間にくいちがいがあり、かつ、貸倒損失の解釈を誤って、損金を過少に認定し、被告人に対し過大の納税義務を課し、被告人の財産権(憲法二九条一項)を侵害するものである。以下その理由を述べる。
1 証拠と理由とのくいちがい
原判決は、第一審において取調べられた約束手形一九通について、
被告人の検面調書
(イ) 昭和四七年九月二六日付
(ロ) 同年一一月一六日付
によると、
(A) 右各手形に債権放棄の文言が付記されたのは、虻川正名の要請によるものであり、その意味内容は当該振出人に対する手形上の権利を行使しないというに止まり、虻川正名(ダイモク工業株式会社)に対する右各手形金に相当する貸金債権を放棄したものでないこと、
(B) 被告人は右債権の存在を前提として本件各事業年度の翌年である昭和四六年以降においても取立を継続し、現実に相当額の内入弁済を受けたこと、
が認められる。
というのである。
そこでまず右約束手形一九通を列挙し、各内容を対比すると次のとおりである。
<省略>
而して検面調書では
(イ) 虻川の経営していたダイモク工業が四四年に倒産した時、私の計算では貸付残が一、八〇〇万円位ありました。そこでその一部の返済として額面一、〇〇〇万円であったと思いますが、秋田県の親戚の木村振出名義の手形を受取りました。
そしてその後、虻川から少しずつ返済を受けておりましたが、これは虻川の受取手形を持って来て手形金の一部を債務の返済に充てるという方法で行っておりました。
現金で返済を受けたことも二万や三万の金額ならあったかも知れません。手形は一〇万円前後から最高六〇万円位のものであり債務の返済にあてる金額はその都度交渉して決めておりました。
倒産の時受取った木村名義の手形は四四年一〇月か一一月の支払期日に不渡りになり、虻川は債務は自分が返済するから手形を返してくれ貰いたいと何度も言って来ました。
虻川は親戚の手形ですから私が法的な措置をとったら困ると思ったものと思います。
そこで私も虻川が返してくれさえすればよい、金にならない手形を持っていても仕方がないと思って四五年三月か四月にその手形を虻川に返しました。
それを返すことにより四万円か五万円の債務の返済金を受取りました。
この手形を返したのは四五年に間違いありません。
この手形を返す時に虻川の要求で手形の表面に放棄するという意味のことを書いてはんを捺した記憶があります。これは振出人に対する手形債権を放棄する、即ち手形上の権利行使はしないと云う意味で書いたものであり虻川に対する手形金額の債権を放棄するという意味では決してありません。
その後虻川が受取手形を持って来ては債権の返済を受けておりました。
国税局の銀行調査で褒徳信用組合茨木支店から取立していた四六年一〇月の期日の虻川から受取った手形があったことを河上さんから聞きました。
金額は三〇万円だったと思います。これも虻川が持って来て現金化してやりその一部を債権の返済に充当した手形の一枚です。
このようにして四六年中には四、五百万円の返済を受けています。
虻川は木村名義の手形の金額分については債権放棄をうけたと云うかも知れませんが私はそのつもりはありません。
債権放棄をした事実はなく、そのように虻川に申したこともありません。
この手形金額分についても虻川から返済を受けなければならないと思っております。
唯、現在の状態では訴訟をしても取れるだけの財産が虻川にはないようです。
もし今後回収出来ないと云うことがはっきり判れば私もあきらめて最悪の場合は放棄しなければ仕方がないのではないかと考えております。(昭和四七年九月二六日付第一項)
(ロ) 虻川に対する貸金は四二年に最高で一億一千万円位あり、四三年から四四年にかけて相当額の返済をうけ、四四年一〇月末にダイモク工業が倒産したときには二、五〇〇万円位の残高になっていました。
九月二六日の取調べのとき一、八〇〇万円と申したのは現在の残高であります。
この債権は回り手形を割引したものと手形貸付の両方がありました。
割引のときは、手形にダイモク工業の裏書をさせたり虻川個人の裏書をさせたこともありました。手形貸付は、ダイモク工業の手形に虻川個人の裏書をさせましたが裏書のない場合もありました。
いずれにせよ、それらの手形が不渡りになれば経営者個人が責任をもって返済するというつまり保証の約束がしてありました。
これは虻川にかぎらず私が割引や貸付をする場合にはどの相手方ともそのようにしていたもので、したがって手形が不渡りになれば裏書が仮りにない場合でも経営者個人に請求し経営者個人もできるだけ返済をしてくれていたのが実情です。
ダイモク工業が倒産後、私は残債権について虻川に請求し四五年及び四六年に一部の返済をうけて現在の残高が一、八〇〇万円位になっているわけです。
但し倒産時の受取手形のうちに不渡になったものが百万円ありましたのでこれだけ債権額が増加し合計で二、〇〇〇万円足らずの残高になっております。
この残高の中には九月二六日の取調べの際に申した手形の不渡りの分も入っております。
木村振出の一、〇〇〇万円の手形と説明しましたが本当はダイモク工業振出しで木村の裏書の手形でした、金額は二、〇〇〇万円でした。
この手形は以前から債権額の一部について虻川に手形を書かせて期日が来るたびに書替えをさせていたもので倒産したため取立に廻したものです。
期日は一ヶ月乃至二ヶ月で書替えておりました。
この手形が不渡になったので先日も申したように四五年に虻川に返しました。
不渡りになってから裏書人の木村さんに請求してもよかったのですが、虻川から嫁さんの父親だから請求してくれるなと大分たのまれたので請求を控えて手形を持っていたのです。
そして虻川が返してくれというので返すことにしたわけです。
この手形を返したのは、前にも申したように債権を放棄したのではありません。
そこでその後も私は請求しましたが虻川の方は態度が変わり、手形を返したのは債権を放棄したのではないかと云ってその後は返済しようとしませんでした。
国税局の査察がはじまってから以後も催足したことがありますが、そのときにも虻川はそんなことを云っておりました。
もし債権放棄なら虻川のいうようにもう債権の残はありませんが、債権放棄ではないので私は虻川に請求し査察以後でも返済を要求していたものです。
なお虻川から返済を受けたのは、査察が始まるまでのことで四六年に返済を受けたというのは査察前に受取っていたものです。
只その中に一〇万か二〇万円位手形を受取っていたものがあり、その取立の最後が九月か一〇月ころであったと思います。(昭和四七年一一月一六日付第一項)
右検面調書において具体的に表現されているのは、前記一九通の手形のうち符号26のダイモク工業(株)にかかる金額二〇、〇〇〇、〇〇〇円の手形一通だけである。
(本手形について返還二年後の被告人の記憶は曖昧であり(イ)では一、〇〇〇万円と述べ、(ロ)では二、〇〇〇万円と訂正しているくらいである。なお債権放棄がなされていないという認定に対する反論は後述する。)
さらに一九通の手形について一部受領金の日時金額、債権放棄の日時を表にすると次のとおりである。
<省略>
被告人が虻川正名から受取った手形で不渡となったものは右の一九通だけではない。
例えば右のほかに昭和四四年五月三〇日不渡の
イ 六二二、〇〇〇円 (株)藤原工務店振出のもの
ロ 五〇〇、〇〇〇円 (株)山田組振出のもの
ハ 四一五、一一〇円 ダイモク工業(株)振出のもの
ニ 八〇二、五六〇円 八上木材(株)振出のもの
等があり、(昭和四六・一〇・二〇付三栄相互銀行の回答書及び昭和四七・一・一七付同確認書)また昭和四六年一二月一八日付同銀行上野桓夫の確認書によると前記一九通の約束手形の殆どのものが、他の多数の手形とともに三栄相互銀行へ仰立依頼のため預けられていたことが明らかであり、さらに符号二三ないし符号四〇の各約束手形の取立銀行名欄に同銀行名の捺印がなされていることによっても首肯できるところである。
従って被告人が虻川正名から受領した手形のうち不渡になったものは前記一九通のごとく、残債債権権放棄を明記して返戻したものと、そのような記載をしないでダイモク工業(株)や虻川正名が他から受領したり借受けて来た手形と差替え返戻したものに分けられるのである。
そうしてその差替手形として受領したものが、その後ダイモク工業(株)や虻川正名の支払能力と関係なく決済されたようなことが昭和四六年度に及んでいることは事実である。
しかし、その事実が前記一九通の約束手形の債権放棄を左右するものではなく、被告人はあくまで債権放棄の手形とそうでない手形とは明確に区別していたのである。
前記一九通の約束手形のうち符号二六の約束手形以外の約束手形についてもすべて債権放棄の文言が付記されているが、右各手形金に相当する貸金債権を放棄したものではないというような原判決の解釈は前記(イ)(ロ)の検面調書だけではどうしても出て来ないのである。
右は明らかに証拠と理由の間のくいちがいであって、原判決は審理不尽のため理由不備に陥ったものである。
2 経験則違反と証拠の価値判断の誤
原判決は、前記(イ)(ロ)の検面調書にたやすく証明力を与えているが、被告人は河上他代査察官から「約束手形を返し、手形債権はなくなったとしても貸金債権として残っている筈である」と、同査察官が組み立てた理屈を押しつけられ当時、同査察官に対し悪感情を抱いていたので、同査察官にそれ以上申し開きをしようとせず、これを認めた質問てん末書が作成されてしまったので、検面調書においても同旨の供述をせざるを得なかったのである。
河上査察官との感情のもつれというのは、同査察官は当初被告人の取調べにあたり、テープレコーダーを携帯して取調状況を録音しているのではないかと疑って、勝手にボデイチェックをしたり、昭和四六年七月二八日、被告人宅捜査の際長女の学習部屋に封筒に入れて置いてあった現金二万円が紛失して、家族間で不審に思っていたところ、査察官の不注意で他の差押品の中に混入したまま持帰っていたことが数ヶ月後に発見されたもので、この段階で同査察官より被告人に対し返還するから受取りに来いと連絡があり、何ら謝意も表明されないまま差押品目録に追記して還付するなどのことがあったからである。
検面調書中に
「この手形((イ)で一、〇〇〇万円、(ロ)で二、〇〇〇万円と訂正)を返す時に虻川の要求で手形の表面に放棄すると云う意味のことを書いて判を捺した記憶がある。これは振出人に対する手形債権を放棄する即ち手形上の権利行使はしない、という意味で書いたものであり虻川に対する手形金額の債権を放棄する意味では決してない」
というのは、手形残債権を準消費貸借に切替えたという検察官の法律的見解を被告人に押しつけたとしか考えられない。
もしそれが被告人の口から真実として述べられたものとすれば、通常このような場合、残債権について金額・返済期日・延滞利息等についての約定を記載した文書を相手方から徴するのが常識であり、これなくしては将来法廷で請求権行使の証拠方法もないわけである。
況んや金融業者である被告人が、手形債権を準消費貸借に切り替えた場合、これを証拠づける書類を要求しなかったという認定は著しく常識に反するのである。
符号二六号の表面には、
一一月二日(註昭和四四年) 三〇、〇〇〇内入、残債権
金額一九、九七〇、〇〇〇円は昭和四五年二月一〇日まで延期
四五年二月一一日 二万入金 残一九、九五〇、〇〇〇円未収
不渡分放棄 二月一一日確定
と記載されており、第一回目の内入金三万円を記載し、第二回目の内入金二万円受領の際債権放棄の旨を記載して返還しているのであって、検面調書のように一ヶ月ないし二ヶ月で書替えたことや、返すことにより四万円か五万円の返済を受けたこともない。
被告人がもし現物を見て供述していたら、検面調書のような供述をする筈はなく、又かりにそのような供述をしても現物を見た検察官であればそのような供述を鵜呑みにすることはなかった筈である。虻川正名は、前記一九通の約束手形については、本件第一審係属中被告人から懇請してようやくそのコピーを渡してくれたものであるが、さらに当弁護人から原本を必要とする事情を説明し、弁護人において責任を持つから原本を貸してほしいと申入れ、当弁護人の預り証を発行してこれを借受け第一審法廷に提出した次第である。
前記各手形の表面記載の文言や虻川正名が被告人には絶対に手形の原本を貸さなかった事情からみても、同人もしくはダイモク工業(株)において、それぞれ債権放棄を受けたものであるから、もし後日被告人から請求されるようなことがあった場合に備えて大切に保管していたものであることは云うまでもあるまい。
3 法令解釈の誤
所得税取扱通達基本通達五一-一一は、
貸金等について、次に掲げる事実が発生した場合にはその貸金等の額のうちそれぞれ次に掲げる金額は、その事実の発生した日の属する年分の当該貸金等にかかる事業の金額の計算上必要経費に算入する
となし、(4)において、
債務者の債務超過の状態が相当期間継続し、その貸金等の弁済を受けることができないと認められる場合において、その債務者に対し債務免除額を書面により通知したこと。その通知した免除額
と規定している。
昭和四四年一〇月末ダイモク工業(株)が倒産し、同社ならびに虻川正名が債務超過に陥り、そのため被告人は、同社からは勿論虻川正名個人からも貸金に対する返済を受けることができなくなったことは、右倒産時点以後において現実に同会社から返済を受けた事実はなく、虻川正名個人から少額の返済を受けた場合には、その都度これを手形表面に記載し昭和四四年一一月二日、同月七日、一二月二一日、昭和四五年一月一一日、二月一一日、三月三一日、六月七日、八月二七日、一二月三一日に、一通ないし数通をまとめて残額は債権放棄する旨記載してダイモク工業(株)代表取締役たる虻川正名もしくは虻川正名に返還している事実によって明らかである。
勿論ダイモク工業(株)倒産後は同会社振出名義や同会社裏書の手形や小切手がそのまま決済されたことはない。
被告人が昭和四六年中返済を受けたという四~五〇〇万円は、前記不渡手形一九通とは全く無関係のものである。
被告人がなした前記債権放棄の旨を記載した手形の交付は前記基本通達にいわゆる「債務免除額の書面による通知」に該当する。
そうすると、前記一九通の約束手形については、前記基本通達によって当然に各年度の貸倒金として損金計上さるべきである。
然るに原判決がこれを認容しなかったのは貸倒損失の解釈を誤ったものといわねばならない。
以上のとおり原判決には判決に影響を及ぼすべき理由齟齬、法令解釈の誤りによる法令違反ならびに経験法則に違反し証拠の価値判断を誤ったことに基因する事実の誤認があるものといわねばならない。
第三点 原判決は、憲法三八条三項に違反し、かつ判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認ならびに法令の違反があり破棄しなければ著しく正義に反する。
一、原判決は、弁護人の
減価償却費について、第一審判決は次に掲げる減価償却対象物件の取得価格の認定を誤った結果、減価償却費の金額を誤認している。すなわち(一)大阪市浪速区稲荷町二丁目九六番地の四家屋番号五〇八の軽量鉄骨造スレート葺二階建店舗および事務所兼倉庫三九二・八八平方米の取得価格についての第一審認定額は金七〇〇万円であるが、第一審で取調べられた領収証四通(大阪高裁昭和五二年押第一五三号の五ないし八)の合計金額一、四五〇万円が真実の取得価格である。(二)大阪市浪速区稲荷町九六五番地の六家屋番号四九七の木造スレート葺平家建倉庫兼工場一九五平方米の取得価格についての第一審認定額は金一七〇万円であるが、第一審で取調べられた領収証四通(前同押号の九ないし一二)の合計金額一、〇〇〇万円(改造・補強・合掌組替工事)と本件取得時の売買代金四五〇万円を合算した金額一、四五〇万円が真実の取得価格である。(三)大阪市東住吉区駒川町二丁目二四番地の五家屋番号一二三の五の木造瓦葺二階建店舗兼居宅一一四・六五平方米の取得価格についての第一審認定額は金二四〇万円であるが、第一審で取調べられた領収証二通(前同押号の一三および一四)の合計金額二三五万円(改造工事増築工事)と本体取得時の売買代金二五〇万円を合算した金額四八五万円が真実の取得価格である。(四)大阪市西区南堀江通二丁目二七番地(未登記)の軽量鉄骨造亜鉛鋼板葺平家建工場二〇〇・〇八平方米の取得価格についての第一審認定額は金四五〇万円であるが第一審で取調べられた領収証三通(前同押号の一五ないし一七)の合計金額九三二万円が真実の取得価格である。(五)大阪市西区西堀江通二丁目二八番地家屋番号二八の木造瓦葺二階建店舗兼居宅一一二・九九平方米の取得価格についての第一審認定額は金一六八万円であるが第一審で取調べられた領収証三通(前同押号の一八ないし二〇)の合計金額三四五万円(改造・内装工事)と本体取得時の売買代金一三〇万円を合算した金額四七五万円が真実の取得価格である。以上のとおりであるから、昭和四四年分の減価償却費を金二、四三二、三四〇円、昭和四五年分の減価償却費も右同額と認定されるべきである。
との控訴趣意に対し、
しかしながら第一審判決挙示の関係各証拠特に被告人の大蔵事務官に対する昭和四七年二月八日付質問てん末書および被告人の検察官に対する同年一〇月二六日付供述調書によると所論の(一)ないし(五)の減価償却対象物件の取得価格は第一審判決判示認定のとおりであることがそれぞれ認められる。所論は第一審で取調べた領収証一六通(大阪高裁五二年押第一五三号の五ないし二〇)などによりその取得価格を立証しようとするものであるが、右領収証の各作成名義人である神谷利夫の検察官に対する供述調書および同人の大蔵事務官に対する質問てん末書によると、国税局による本件査察が開始されたのち被告人は北木工株式会社の関係者である神谷利夫らに対し証拠を隠滅するように働きかけ、その一環として、大阪市西区南堀江の建物を五〇〇万円位または稲荷町の建物は一、〇〇〇万円位で建築したものであるように国税局に嘘を言って欲しいという依頼をしたこと、しかし実際には北木工株式会社が被告人から請負ったのは右稲荷町の軽量鉄骨二階建の建物の建築工事のうち、基礎工事、鉄骨組立およびスラブ工事だけで当該請負代金は約二〇〇万円位に過ぎず、右建物の屋根葺、壁面工事および内装工事は別の業者が施工したこと、また神谷利夫は被告人から白紙の領収証用紙(会社印を押したもの)の交付を要求されてやむなく受諾し、同用紙六、七枚を手渡したこと、被告人は右用紙に貼付するため古い印紙を準備していたことがそれぞれ認められ、これらの事実関係に徴すると被告人は右査察後種々の証拠隠滅工作を画策したことが疑われ、前記領収証一六通の作成名義がすべて北木工株式会社のものであることと相俟ち、前記減価償却対象物件の取得価格を高くするため右各領収証を作為した疑いが濃厚に認められ、これらの領収証およびこれを補強するため第一審および原審で弁護人から提出された各証拠ならびに被告人の供述内容を斟酌検討しても、原判示認定の取得価格を左右するに足りないものといわねばならない。
被告人は、前掲の質問てん末書において前記各物件の取得価格を詳細に供述し、その後検察官の面前で右金額を訂正補充する機会が十分与えられたが、その取調(被告人の検察官に対する前記供述調書)に際し大阪市西区堀江通二町目所在の木造二階建家屋(所論(五)の物件)につき詳細な理由を付して供述の訂正をしながらその余の物件の取得価格については従来の供述を維持しているのであって、昭和三四年に貸金業の届出を了してそのころから多年にわたり個人で金融業を営み。かつ第一審判決判示冒頭掲記のように監査役の職務に従事し記帳計理事務にも精通している被告人が、所得税額算定の基礎となる減価償却費の多寡がその取得価格により決定されることを知りながら述べた右捜査段階における前記取得金額についての供述内容はその信用性を具備するものと認められ、所論(一)ないし(五)の各物件の取得価格が被告人の捜査段階での供述にあらわれた金額とあまりにも著しい差異のある領収証掲記の各取得金額は、たやすく信用できない。
として前記控訴趣意を排斥した。
二、しかしながら原判決の右の判断は、自白に関する憲法三八条三項、刑訴法三一九条二項、立証責任に関する刑訴法三三六条規定に違反し、かつ経験法則を無視し、よって事実を誤認したものであって、その結果被告人に対し過大の納税義務を課し、被告人の財産権(憲法二九条一項)を侵害するものである。
以下その理由を述べる。
1 被告所有にかかる次のような減価償却対象物件が存在していることは、原判決自体も肯認するところである。
(一) 大阪市浪速区稲荷町二丁目九六五番地の四 家屋番号五〇八
軽量鉄骨造スレート葺二階建店舗及び事務所兼倉庫 三九二・八八平方米
(二) 大阪市浪速区稲荷町九六五番地の六 家屋番号四九七号
木造スレート葺平家建倉庫兼工場 一九五平方米
(三) 大阪市東住吉区駒川町二丁目二四番地の五 家屋番号一二三の五
木造瓦葺二階建店舗兼居宅 一一四・六五平方米
(四) 大阪市西区東堀江通二丁目二七番地(未登記)
軽量鉄骨造亜鉛鋼板葺平家建工場 二〇〇、〇八平方米
(五) 大阪市西区東堀江通二丁目二八番地 家屋番号二八
木造瓦葺二階建店舗兼居宅 一一二・九九平方米
ところで、所得税関係通達(昭二七直所一-一二<23>)は、
規則第十条第一項の規定による減価償却額、規則第十条の三の規定による電気通信施設を設けるために要した費用の償却、細則第八条の規定による減価償却に代る減価の価額の計算については、次の諸点に留意する。
(一) これらの規定による償却額、減価の価額等はこれらの規定によりその年分の必要な経費に算入すべきものであるから、たとえ納税義務者がこれらの額を計上していない場合においても、これらの額はその年分の必要な経費に算入すべきものとする。
(二) 省略
と規定しているので、本件における前記五物件の減価償却はいわゆる強制償却の場合に該当し、被告人の主張立証を待たないで職権をもって調査しなければならないものである。(昭和二七直所一-一二<23>別添一)
然るに本件の調査段階において、河上他代査察官はすべての物件について登記簿謄本、評価証明書等の基礎資料を収集したうえ、十分な現地調査を尽くさず、一方的に被告人から供述を求めたため、被告人としては資料を持たないで完全なことを説明し得るわけはなく、加えて前記のように同査察官との感情の対立から早くその取調から解放されないという気持も手伝って不十分の供述で終っている。
同査察官の減価償却に関する調査が他の物的証拠等よりも犯則嫌疑者の供述を得ることに重きをおいてなされる傾向のあることは、貴裁判所第三小法廷中の被告人西川芳夫に対する所得税法違反被告事件(昭和五二年(あ)第一五九一号)においても看取されるところである。
さらにそのことは本件における前記(五)記載の物件及び器具備品(スチール棚)の減価償却が調査から洩れており、第一審判決で新たに容認されている事実によっても明らかである。
2 原判決は、第一審において弁護人が提出した北木工(株)代表取締役神谷利夫作成名義の領収証一六通は偽造の疑いが濃いと判示するがその理由が不明確である。
右領収証一六通は、被告人が前記不動産である建物や権利証書、前記スチール棚を購入した際の嶋田高久作成の領収証(昭和四二年一二月一二日付)等とともに本籍地の奈良県の実家に置いていたところ、本件で質問を受けた際権利証書のことだけは気づいており河上査察官に田舎へ取りに行って提出しましょうかと尋ねたところ、そこまでする必要がないといわれそのままになっていたのである。
ところがその後本件について所轄税務署長より更正処分の通知を受けこれに基いて納税することになったが、在田農業協同組合への導入預金の払戻が容易に受けられず、やむなく分納申請をしなければならなくなり、そのため前記不動産等を担保に差入れる必要が生じたので実家へ権利証書を取りに帰った時、偶々前記領収証(前記スチール棚分も含めて)等をも一括して保管していたのを発見し右領収証等を第一審において弁護人を通じて提出した次第である。これより先被告人は、本件減価償却につき河上査察官に供述した取得価格があまりに低く、何とか真実の立証をすることはできないかと考え、大部分の建築をしてくれた北木工(株)会長吉田某に領収証の再発行を求めようとしたが、老令でかつ癌病のため病臥中であったため、その話を切出し得ず前に同会長の命で領収証を書いた同会長の女婿神谷利夫(吉田某は大工であり、建築請負をしており神谷は本来指物大工であった)に領収証を紛失したので再発行をしてほしいと頼んだところ、同人の手許には資料がないため、領収証用紙を渡すから被告人の記憶に基いて適当に書いてくれといって白紙の領収証用紙数枚を被告人に渡してくれたのである。
その際同人との間で日付を遡らせて作ると印紙も違うので、古い印紙でなくてはならないという会話もなされた。
この時被告人が受取った領収証は別添(二)のコピーと同じ形式のもので、北木工(株)の電話番号大阪(三一二)〇五四五~七番、(三六〇)六八九〇番が印刷されており、本件第一審で提出した一六通の領収証の作成日である。昭和三九年から昭和四二年当時には右のような局番はなく形式の全く異っている右一六通が、神谷利夫が被告人に渡した白紙の領収証用紙によって偽造がなされたと認めるべき根拠は勿論疑いが濃いとされる理由すら全くないのである。
弁護人は第一審において前記領収証一六通、及び嶋田高久の領収証の取調請求をする前に、神谷利夫の質問てん末書(昭和四七年二月九日付)を読み、被告人が神谷利夫から別添(二)の形式のような領収証用紙と同一のもの六、七枚を受取っていることを知り、被告人に対しその事情の詳細を尋ねたところ、「前記のように実家の方で本物の領収証を発見したので、神谷利夫からもらった白紙の領収証用紙は使用していない、古い収入印紙(古いというのは消印済収入印紙の二度使いというのでなく、領収証日付当時の印紙という意味である)を持参して貼付したことはなく、神谷との間で古い収入印紙が要るなと話し合ったことはある、神谷は指物が本職で、建築のことは吉田会長が中心となってやっており、本物の領収証は神谷が吉田会長に命ぜられて書いたもので神谷の筆蹟である」という説明を聞き、その用紙の形式、新旧の区別等十二分に検討したうえ真実を表現しその立証をなし得るものとの確信のもとに取調請求に及んだものである。
被告人は、本件査察調査を受けるようになってからは、真実を歪めるような証拠を作ったり、他人に真実を歪めた供述をしてほしいなどと頼んだことは一度もない。
弁護人は被告人より本件を受任するに際し、この点について十分注意し、在田農業協同組合の導入預金についてもその後発見されたメモを積極的に検察官に提出させているのである。
なるほど被告人の本件犯行は、専ら利得に走り、その手段は悪質ではあるが、本件調査開始後、特に当弁護人受任以後は、その行為の反省と更正決定額の完納に集中し、いやしくも証拠隠滅を図るとか、偽造文書を真正のように装って自己の刑責を軽くしようなどという大それた行為は絶対にない筈である。原審が、二つの領収証の形式(前記一六通のうち最初の三通――39・6・30分、39・8・20分、39・10・31分――は縦書用紙〔別添(三)残り一三通は横書用紙〔別添(四)〕であるがいずれも電話番号の記入はなく、うち六通について散発的に北木工(株)の角印が押されており、一六通が同時に作成されたものでないことが推認できる)を証拠物に即して刮目してさえ頂けば偽造の疑いが濃いというような結論が出される筈はないと信ずるのであり、被告人が本件犯行に対して改悟しながらもなお最も残念に思っているところである。
前記嶋田高久の領収証(スチール棚分)と一緒に発見された一六通の領収証に疑いが持たれ、嶋田高久の領収証には疑問がないというのも被告人としてどうしても納得できないところである。
仰々原判決が、偽造の疑いが濃いというのは、被告人が如何なる用紙を如何なる方途により入手し、これを利用して前記領収証を作ったとの疑いを持たれるのか、別添(二)の形式の領収証と別添(三)(四)の形式の領収証の差異についてどのような判断をなされたのか、その理由を示さないで偽造の疑いが濃いとされるのは、取調請求について事前に十分な検討を加えた弁護人としても理解に苦しむところである。
原判決は、この点について審理不尽もしくは判断の遺脱がある。
3 原判決は、結局被告人の国税査察官に対する質問てん末書(昭和四二年二月八日付)検察官に対する供述調書(昭和四八年一〇月二六日付)を正当となし、これらに反するがこれらに比べて極めて客観性に富む領収証・評価証明書・各建物の写真等についてはその証明力を全く認めていないのである。
被告人はかって税務官署に勤めていたが、間税務部門にいたため直税関係にはうとく、本件調査は在田農業協同組合と山陽カントリークラブにおける導入預金が主眼であったから減価償却については比較的簡単に考えていたわけである。
従って本件における減価償却については裁判所の正当な御裁断を仰ぐ以外に方法がないわけである。
減価償却額の認定の根拠となるその取得価格を決定するについて被告人の供述のみによっており、その供述が真実の取得価格よりも低い場合にあたるときは、本来減価償却が所得金額計算上減額の要素となるものであるとしても、被告人の自白のみによって有罪の認定をしたものというべきであって憲法三八条三項刑訴法三一九条二項に違反するものといわねばならない。
而して原判決は明らかに右に該当するものである。
第四点 原判決は、憲法二九条一項に違反するばかりでなく、前記第一点ないし第三点における判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認ならびに法令の違反は破棄しなければ著しく正義に反するものである。
一、一般に直税関係の逋脱事件は、国税査察官の探知するものと国税査察官以外の所轄税務署の特別調査班等が探知するものとに大別されるが、前者は告発基準に適合する限り、刑事処分とともに重加算税の賦課を含む更正処分がなされるのに対し、後者は比較的大規模の逋脱事件であっても殆ど重加算税の賦課を含む更正処分だけですまされるのである。(最近においても新日本製鉄が八〇億円を超え、三菱商事が一〇〇億円を超える更正処分を受け多額の重加算税が賦課されながらも刑事処分がされていない例がある。)一般刑法犯が捜査事件送致義務の原則により、司法警察員が捜査したすべての事件が検察官に送致又は送付され検察官が広い視野に立って権衡を失わないように事件の処理をされるのと比べると不公平の感を拭い切れないのである。
さらに逋脱事件の端緒の多くが、資産の備蓄による預金等の発見によるものであることに鑑みると、脱税による留保金を濫費して資産の備蓄のないようなものは如何に脱税手段が悪質であり、脱税額が多額であっても逋脱事件調査の対象には浮かび上がって来ないわけであり、たとえ浮かび上がって来てもかかる担税能力のない者に調査の人手をかけるようなことはされない。
この点において、刑法犯における取込詐欺などの財産犯では弁償能力のない者が主として検挙され、刑事訴追を受けるのと比べると割り切れないものを感じさせられるのである。
この意味において特に税法の刑事事件においては、疑わしきは取る(課税し、徴収する)のではなく、疑わしきは罰せずの基本原則により被告人の保護について十分な配慮がなされなくては法の正義と公平は実現されないと考えられるのである。
二、翻って本件について考察するに原判決は前記第一点ないし第三点で述べたとおり、反省改悟の境地にある被告人に対し、税務会計実務から遊離し、論理上、経験上の法則を無視し、証拠の価値判断を誤り、いわれなき証拠隠滅工作ありときめつけて著しく被告人の抱いている裁判所に対する信頼尊敬の念を消滅せしめるような心境に立至らせたのみならず、その結果事実を誤認し、被告人に対し真実の所得額よりも三、〇〇〇万円以上も過大の所得額を認定し、不当過大な納税義務を課することは判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認ないし法令の違反があるものというべく、被告人の本件逋脱手段が悪質であることを考慮に入れても、前記で述べた事情を併せて鑑みるとこれを破棄しなければ著しく正義に反するものであり、かつ被告人の財産権を保障する憲法二九条一項にも違反するものである。
以上の各理由により原判決を破棄し、本件を大阪高等裁判所に差戻し、さらに審理を尽くさせるべきが相当と思料し本件上告に及んだ次第である。
以上
(添付書類省略)