最高裁判所第一小法廷 昭和53年(オ)1075号 判決 1979年9月06日
上告人
紀信地所株式会社
右代表者
鎌田貫
右訴訟代理人
山本正司
被上告人
大塚和彦
右訴訟代理人
妙立馮
主文
原判決中上告人敗訴部分を破棄する。
右部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人山本正司の上告理由第一について
原審が確定したところによれば、(1) 上告人は昭和四六年四月二日被上告人に対して本件土地を代金二五八八万円、所有権移転登記及び代金支払の日を同年五月末日とする約定で売り渡し、同日手附金二〇〇万円の授受を了した、(2) 右売買契約(以下「本件売買契約」という。)には、「売主において契約不履行の場合は手附金の倍戻しを、買主において契約不履行の場合には手附金流しとして双方異議なく、本契約はその時限り解除するものとす」る旨の約定があつた、(3) 上告人は本件売買の履行期である同年五月三一日被上告人が代金を持参すれば所有権移転登記手続ができるよう準備していたが、被上告人は右代金を支払わずその履行期を徒過した、(4) そこで、上告人は同年六月一二日頃被上告人に対して債務不履行を理由に手附金流しとして処理する旨の意思表示をした、というのである。
原審は、右のような事実関係のもとにおいて、前記(2)の約定が当事者の一方に債務不履行があつた場合にはなんらの意思表示を要しないで当然に契約解除の効果が生ずる旨を約したいわゆる失権約款であることを前提とする上告人の主張に対し、右約定はそのような失権約款と認めることはできず、むしろ当事者の債務不履行による契約解除の場合の手附金の帰属関係と手附金に解約手附の効力を含ましめる趣旨をあわせ定めたものと解すべく、債務不履行の場合における法定の契約解除権行使の要件を緩和するものとは認められない旨の認定判断を示したうえ、上告人の右主張を排斥し、次いで上告人の前記(4)の契約解除の意思表示による解除の主張について、解除権行使の前提である債務履行の催告がされなかつたから契約解除の効力を生じないと判示してこれを排斥した。
しかしながら、原審は、他方において、前記(2)の約定につき、右手附金は当事者の債務不履行の場合において契約関係一切を清算する損害賠償の予定の性質を有すると解される旨の第一審裁判所の認定判断を引用しているところ、右のように、違約手附金の約定が契約関係を清算する趣旨でされた場合においては、手附金受領者は、相手方に違約があつたときは、あらかじめ契約解除の手続を経ることなくいわゆる手附金流しとしてこれを確定的に自己に帰属せしめることができるとともに(最高裁昭和三七年(オ)第八八〇号同三八年九月五日第一小法廷判決・民集一七巻八号九三二頁参照)、特段の事情のない限り、相手方に対し右の旨を告知したときは、これによつて右契約関係も当然に終了するものと解するのが相当であるから、本件手附金約定の趣旨、内容についての上記認定に従うときは、特段の事情のない限り、上告人による前記(4)の手附金流しとして処理する旨の意思表示により本件売買契約も終了するにいたつたものといわざるをえない筋合である(契約解除の意思表示による解除に関する上告人の主張は必ずしも明確とはいえないが、上記説示の意味における契約関係の終了の主張をも含んでいると解することができないでもない。)。しかるに、原審は、右の特段の事情の存在につきなんら認定することなく、さきに述べたように、本件手附金の約定は債務不履行の場合における契約解除権の行使につき法定の要件を緩和する趣旨を含むものとは認められないとし、上告人による契約解除が無催告解除であるから無効である旨判示しているのである。してみると、本件手附金約定の趣旨、内容に関する原審の認定判断には前後矛盾するものがあり、この点につきなんらの説明がされていないのであるから、結局原判決には、本件手附金の約定ないし契約解除に関する法令の解釈の誤りによる審理不尽、理由不備ないしは理由齟齬の違法があるといわざるをえない。したがつて、この点に関する論旨は結局理由があるから、原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして、叙上の点についてさらに審理を尽くさせるため、右部分を原審に差し戻すのが相当である。
よつて、その余の論旨についての判断を省略し、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(戸田弘 団藤重光 藤崎萬里 本山享 中村治朗)
上告代理人山本正司の上告理由
第一、原判決には民法第五四一条の解釈の誤りがあり、延いて判決に影響を及ぼすことが明らかである。
一、被上告人(以下原告という)と上告人(以下被告会社という)との間の本件不動産売買契約は昭和四六年五月末日限り有効に解除せられたものである。
(1) 右事由について被告会社は原審に於て主張した抗弁のほかに次の抗弁を提出する。(尤も右抗弁は原判決事実摘示の抗弁三で主張していると考えられるが明確にするため。)
本件不動産売買契約(甲第三号証)第十条には、
「売主において契約不履行の場合は手附金の倍戻しを、買主において契約不履行の場合には手付金流しとして双方異議なく本契約はその時限り解除するものとする」と規定している。
右条項は売買代金支払いと、所有権移転登記手続履行の確定期日を定められた本件のような不動産売買契約に於て売買当事者の一方において債務の不履行があつた場合、改めてその履行の催告を不要とする特約(このような特約の有効であることは学説・判例――明治三三年四月十八日判例十二(1)―2八八五頁――の認めるところ)及び債務不履行の事由が発生した場合には当然に(解除の意思表示を要せずして)売買契約が解除せられたとみなす特約(所謂失権約款)を規定したものと解せられるべきものである。(このことは継続的契約関係である賃貸借と異り一回限りの不動産売買では当事者の通常の意思である。)
(2) 右の観点から本件の事実関係を見ると、
(イ) 本件売買契約の履行期日である昭和四六年五月三一日に原告は履行場所である訴外宮井司法書士事務所に売買代金の残金を持参しなかつたが、一方被告会社は所有権移転登記手続に必要な書類を持参している。(証人橋本剛至、藤井義信証言)
原告は、本件建物収去と売買代金支払期日とを同時にするとの合意が成立し、従つて右五月三一日の履行期日が延期せられたと主張しているか、この点は原判決の認定にもある通り到底認めることが出来ない。(合意したといわれる橋本自身は合意の事実を全然知らないし、だからこそ前記取引場所に赴いているし、尚当日仲介人藤井が被告会社に赴いて延期を要請したが拒否せられていることからも明白である)
右の事実からすれば、本件売買契約は右第十条の規定により右日時の経過により、履行の催告を要せずして、解除せられたものということができる。
(ロ) 尤も、右仲介人藤井に対し被告会社の担当役員鎌田貫が「今日は月末だから先方(もとの所有者神崎進)が三、四日待つてくれるようなら履行を延期してもよい。その代り金を借りたり名義を変更したりするいろんな費用がいるからそれを今日持つてくるように」といつている(同人証言)ことから、代金の支払の三、四日猶予(原告の履行遅滞の状況のもとで)を諸費用(原告の右支払代金をもつて右前所有者に対する被告会社の支払代金に充当する計画がくずれ、被告紀北信用組合より借入れるための金利、中間省略登記が出来なくなつた場合の登記費用等の損害金として)一〇〇万乃至二〇〇万円の支払を同日中に持参することを条件として申入れていることがうかがはれるが、これを原告が承認したことは勿論、同日中に右一〇〇万円或いは二〇〇万円が提供せられたことはなく交渉は決裂した事実からすると(右交渉の決裂を原告の代理人上田も知らされていることは同人の証言により明らかである。)本件売買契約は右昭和四六年五月三一日限り有効に解除せられたものということが出来る。
(ハ) かりに代金支払を三、四日猶予せられたという証人藤井義信の証言を信用したとしても右三、四日の猶予期間を経過しても代金の支払がなされなかつたことは明らかであるし、又同人の証言によれば、さらに猶予を前記橋本より得たという新しい期日は必ずしも明確でない。(同人の証言によると「新らしい期日はいつだつたか記憶がない」とかあるいは「橋本さんに二回の延期を認めてもらつて最終の期限は六月六、七日頃となりました……」)のみならず、甲第七号証によると被告会社は同年六月十二日付通告書をもつて原告の契約不履行の事実を指摘し、本件手付金没収の通告をなしているのであるから猶予せられたという日時が右十二日以降であることは考えられないところであろう。
(右の通告に対し同月十五日付の甲第八号証によると原告は右猶予にはふれず前記の建物収去後に代金の支払いするとの合意の成立のみを主張して、代金履行拒否の理由を述べているが、右合意が被告会社の関知しないことは前述のとおりであると共に、また一方的に「本月末日(六月三〇日)に履行する」旨の回答(甲第八号証)をなすのみで直ちに代金の支払に応ずることを拒否し弁済提供等の処置に出でおらないのであるから、被告による本件売買契約解除の有効なことは明らかであろう。)
二、以上述べたとおり、
(1) 本件売買契約は契約書第十条の規定により昭和四六年五月三一日の経過と共に、その時限り当然に(催告及び解除の意思表示不要)解除せられたものであるから被告会社において本件手付金の返還を要しないのみならず、ましてや倍戻しの必要はない。
(2) またかりに解釈上「当然に」ついて疑義が生ずることがあるとしても、前記の如く原告は代金支払を二回程に亘り猶予を受けたと主張しつつ、結局これを履行しなかつたのであるからすでに代金支払義務の履行遅滞の状態にありかつ代金支払を拒否する旨明確に表示している原告に対し、被告会社には右のように猶予を重ねた上にさらに催告乃至解除の意思表示を必要としないと解すべきであり(履行催告はいうまでもなく解除に先立ち、相手方に契約を履行するかどうかを考慮する機会を与えることを目的としているものであることは明らかであるが、本件においては、原告は当初の履行期である五月三一日より一ケ月後の六月三〇日でなければ履行しないと明言しているのであるから重ねて、催告することは無意味であり、不必要である。)右猶予期間の経過とともに解除が有効になされたものとみるのが相当である。
(3) かりに本件売買契約が昭和四六年五月三一日に有効に解除せられていないとしても、すくなくとも同年六月十二日以降相当の期間(一週間程度)の経過した日時をもつて、有効に解除せられたものとせられるべきものである。
即ち、前記の如く被告が原告に対し履行日である昭和四六年五月三一日に契約を解除する旨を通告し、さらにその後同年六月十二日付通出告書(同日頃原告方に送達)を以て重ねて契約解除の意思表示をなしたことは甲第八号証により明らかであり、右通告に対し原告が同年六月十五日付の甲第九号証をもつて反論を加え、同年六月末日に至つて売買代金を支払ふ旨一方的に履行期日を定めた回答をなしていることは確定した事実である。
これを見れば、原告は右六月末日までは代金支払の意思のないことを強硬に主張しているのであつて、更にこれに対し、被告より形式上催告の文言をつた意思表示をなくても、その効果のないことは容易に知ることが出来るから、かりに右六月十二日付通告書が直ちに解除の意思表示としては効力を有しないとしても、これを催告の意思をも包含するものとして相当の期間(一週間程度)内に原告が代金の提供による契約履行の意思を有するか否かを確めたものとすることが契約解釈として妥当であろう。
しかるに、原告は、これに応ぜず、本来の履行日である五月三一日より一ケ月を経過した六月三〇日でなければ履行しない旨一方的に通告して居り、かつ、これを相当とする何らの特別な事情の存しない本件売買契約において、被告の右通告書が送達せられ、原告がこれに対し、回答をなした六月十五日頃に契約解除が有効になされたものということができる。<以下、省略>