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最高裁判所第一小法廷 昭和53年(オ)893号 判決 1980年3月06日

上告人

田中ウメ

右訴訟代理人

大高満範

外二名

被上告人

中村重吉

右訴訟代理人

森喬

外二名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人大高満範、同松原護、同復代理人松本隆文の上告理由第一、Aについて

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、上告人が、訴外松岡高治から原判決判示甲地の賃借権を譲り受け、賃貸人である被上告人の承諾を受けた際、これに附帯して被上告人に対し同判示乙地を明け渡す旨を約しながらその履行を怠つたことが、甲地賃貸借の継続を著しく困難ならしめる不信行為にあたる、として被上告人による甲地賃貸借契約解除を認めた原審の判断は、これを正当として是認することができる(最高裁昭和四六年(オ)第五五五号同四八年三月六日第三小法廷判決・民事裁判集一〇八号三七一頁参照)。原判決に判例違反等所論の違法はなく、また、違憲をいう部分も、その実質は、右判断の違法、不当をいうものにすぎず、論旨は採用することができない。

同代理人らのその余の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠及びその説示に徴し正当として是認することができ、その過程に所論の違法はなく、所論引用の判例は事案を異にし、本件に適切ではない。論旨は、ひつきよう、独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、いずれも採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(中村治朗 団藤重光 藤崎萬里 本山亨)

上告代理人大高満範、同松原護、同復代理人松本隆文の上告理由

第一、原判決は次のとおり憲法違反ならびに法令違背、理由不備等の違法がある。

A 甲地賃借権解除(昭和四九年一〇月一五日付)について――判決理由一(二)――

一、原判決は、旧屋部分の収去、乙地明渡しの約定が、甲地の賃借権譲渡の承諾に附帯してなされたものであつて、右明渡しの事実が賃借権譲渡承諾の効力発生条件ではない旨(第一審の判断を支持)、判断しながらも、右約定が甲地の賃貸借契約解除の意思表示のなされた昭和四九年一〇月一五日まで一一年余履行されなかつた事を、当事者相互の信頼関係を裏切り甲地賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめる不信行為であると断じ、そこから甲地に対する賃貸借契約が前示意思表示のなされた昭和四九年一〇月一五日限り解除されたものとの結論を導いている(被上告人(第一審原告)の仮定的主張を認容)。

二、然しながら

(一) 上告人(第一審被告)は、一貫して、昭和三八年七月当初の甲乙両地の賃借権譲渡に対する被上告人の承諾およびそれに伴う右土地の賃借権譲受の事実を確信していたものであつて、訴訟開始から現時にいたるまで、右事実を主張しているものである。従つて、第一審判決が出ても、右主張を容れない部分については、これを不服として控訴して法廷において、その主張立証に努めてきたものである。右の如き状況にある上告人が訴訟開始前(昭和四三年一〇月二二日)は勿論、開始後から、控訴審の審理中である昭和四九年一〇月一五日の時点に至るまでの間に、被上告人の請求に応じて乙地を明渡すという事は背理である。逆に言えば上告人において、甲地は勿論乙地についても自己に賃借権あることを法的に主張せんとして、訴訟を継続してきたのであるから、その間に右主張と相反する被上告人の請求に応じられない事は自明の理であつて、(法秩序にも反しない、)それをもつて信頼関係を裏切つたとか、不信行為であるとかを論じる事は畢竟、上告人が乙地の賃借権を主張して訴訟を継続すること自体が不信行為であると断じるに等しい。然しながら、何人も訴訟手続を通じて、権利の擁護や不法な侵害の排除等の措置を、裁判所に求めることができるし(憲法第三二条)、そのことによつて何らの不利な取扱いを受けるべきではない。従つて、上告人の右行為をもつて、賃貸借契約解除の事由にあたるとする原判決の論旨は、憲法第三二条に保障する国民の裁判を受ける権利を規定する法文にも抵触するものであつて、この点から原判決の右判断は憲法にも違背し、少なくとも憲法の解釈を誤つたものというべきである。

仮にそうでないとしても、右判断には以上に述べてきた点から法令適用の誤りがある。

即ち、そもそも上告人が本件を一〇年の長きにわたつて争つてきたのは、後述するように、乙地につき一旦なされた賃借権譲渡に対する被上告人の承諾の有効性についての上告人の主張を近時の借地法理念に裏づけられた正当なものと確信したことに基盤があるのである。

借地人保護の社会政策的理念が、従来よりの市民法に対する抑制原理として働く典型場面として、民法第六一二条の解除理由に関する法解釈・法適用をめぐる今日的問題があるのであつて、この点についての右上告人の主張は、近時の確立された判例理論に合致する妥当性を持つものである。

従つて、右観点を考慮に入れるならば、本件において、前記上告人の不信行為なるものから、甲地賃貸借契約の解除を導く法適用には、明白、重大な誤りがあるといわざるをえない。(右上告人の主張については後記詳述部分を引用する。)

要するに原判決は、被上告人の仮定主張にすぎない、「昭和四九年一〇月一五日付甲地賃貸借契約解除」を軽易に認めているにすぎず、主位的主張には何ら触れていないのみならず上告人の主張を正確に把握してないのではないかと思われる疑もある。

右、原判決の安易な態度は、その判決理由中の上告人主張整理にあたる部分にもあらわれている。即ち、判決理由一(二)において、

「…… 第一審被告との間において旧屋部分を収去して乙地を明渡す旨の契約が成立したこと……は……当事者間に争いがなく」と整理するにとどめている。然しながら、上告人においては前述したごとく、乙地返還契約の成立、有効性自体についても争つているのであつて、ただ、原審口頭弁論期日中に出された被上告人の右仮定主張に対する上告人の主張として「仮に乙地返還契約の成立が認められるとしても甲地賃借権解除は肯定されない」との趣旨を述べているにすぎず、この間の事情は第一審からの経緯を詳細に検討すれば、弁論の全趣旨から容易に理解できるところである。

(二) また、原判決は、乙地の土地返還義務不履行を理由に、甲地の土地賃貸借契約の解除を肯定する論法をとつているが、仮に上告人に乙地返還義務があり、その履行があつたとしても原判決の右判断には誤りがある。即ち、原判決も認めているように、甲地の賃貸借契約と乙地の返還契約とは、後者が前者に附帯してなされたものであつても何ら条件にかゝらしめないものであつて、別個な二個の契約である。よつて、右返還約束の不履行があつても、右賃貸借契約の目的の達成には何らの影響もないものであつて、右賃貸借契約について、信頼関係を破壊する程度の債務不履行がない限り、右賃貸借契約を解除することはできないというべきであるのに、原判決は右信頼関係の破壊を認定する主な理由として、乙地返還義務の不履行を慢然とあげているのであるから、右の点についての判断には充分審理を尽していない疑いもあり、理由不備のそしりを免れない違法がある。判決例によつても解除を認めるにあたつては、借地人の不法行為の程度が高く、重大かつ悪質な場合に限られ、その点の判断が何人にも納得できる程度に示されており、貸主保護の面のバランスを考慮に入れた上での、借地関係における近時の借地人保護の要請に応えているものである。

例えば最高裁判所昭和三八・一一・一四判決は次のように判示している。

「……借地人……の本件所有建物を地主……の所有店舗とが右の如く極めて近接しており本件借地上の借地人所有の建物の越境が地主……の店舗経営上、非常な支障を及ぼすこと明白なこと、原判示の如き場合にあつては、右越境を目して結局本件借地一五坪それ自体の用法違反、すなわち賃借人としての債務不履行ありというに妨げないとして原判決の判断は是認できる。」右判決例においては、借地人が貸地上の土地上に強引に建物を新築したり、越境建築して貸地人の店舗経営上非常な支障を及ぼしたりしたものであるが、上告人においては右土地上に建物を新築することなく、譲り受けた旧来の建物を所有しているだけである。また、被上告人に対して「店舗経営上の支障」に相当するような損害を与えてはいないものである。<以下、省略>

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