最高裁判所第一小法廷 昭和53年(オ)970号 判決 1979年3月08日
上告人
株式会社堀内商会
右代表者
清水誠三
右訴訟代理人
川崎友夫
外四名
被上告人
三共電機株式会社
右代表者代表
鈴木四郎
右訴訟代理人
坂上富男
坂上勝男
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人川崎友夫、同大江保直、同斎藤栄治、同吉田正夫、同柴田秀の上告理由第一及び第三について
民法五〇九条は、不法行為の被害者に現実の弁済によつて損害の填補を受けさせるとともに不法行為の誘発を防止することを目的とする規定と解される(最高裁昭和四〇年(オ)第四三七号同四二年一一月三〇日第一小法廷判決・民集二一巻九号二四七七頁参照)。右規定の趣旨に照らせば、不法行為の加害者が、被害者に対して有する自己の債権を執行債権として被害者の損害賠償債権を差し押え、これにつき転付命令を受け、混同によつて右債権を消滅させることは、右規定を潜脱する行為として許されず、このような転付命令はその効力を生じえないものと解するのが相当である。所論引用の各判例は、いずれも事案を異にし、本件に適切でない。その余の所論は、独自の見解に基づいて原判決を非難するものにすぎず、原判決に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。
上告理由第二について
債権者は、他から自己の債権の差押を受けても、当該債権につき給付訴訟を追行する権限を失うものではなく、無条件の勝訴判決を受けることができるものと解すべきである(最高裁昭和四五年(オ)第二八〇号同四八年三月一三日第三小法廷判決・民集二七巻二号三四四頁参照)。したがつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(藤崎萬里 団藤重光 本山亨 戸田弘 中村治朗)
上告代理人川崎友夫、同大江保直、同斎藤栄治、同吉田正夫、同柴田秀の上告理由
第一、原判決には判決に影響を及ぼすこと明なる法令の違背がある。
一、上告人は原審において「仮に被上告人主張の上告人に対する損害賠償請求権金四三四万六、一三〇円(第一審判決の認容額)が存在していたとしても、上告人は本件の本訴請求についての確定判決(新潟地方裁判所三条支部昭和四二年(ワ)第一三号、同年(ワ)第一五号、同年(手ワ)第七号、同年(ワ)第五三号、約束手形金貸金等請求事件)の執行力ある正本に基き昭和五三年四月二一日、前記損害賠償債権につき債権差押および転付命令(同裁判所昭和五三年(ル)第一七号、同年(ヲ)第一九号)を得、右命令正本は、昭和五三年四月二五日執行債務者たる被上告人に、同年四月二四日第三債務者(兼執行債権者)たる上告人に送達された。
したがつて、前記損害賠償債権は、被上告人に属さず、上告人に属するに至り、その結果混同により消滅した。」と主張し、右内容の債権差押および転付命令がなされ、右のように送達されたことは当事者間に争いがなかつた。
にもかかわらず原判決は何らの法律上の根拠を示さずして右転付命令が実体的効力を生じないとしている。
二、(一) これは昭和三六年五月三一日最高裁判所大法廷判決(民集一五巻第五号一四八二頁)が労働基準法第二四条の規定の趣旨について「労働者の賃金債権に対しては使用者は、使用者の労働者に対して有する債権をもつて相殺することを許されないとの趣旨を包含するものと解するのが相当である。」となし、さらにこの労働基準法第二四条の相殺禁止規定について示した「使用者が反対債権をもつて賃金債権を差押え、転付命令を得る途があるからといつて、その一事をもつて同法二四条を前述(上告人注―相殺禁止規定)のように解することを妨げるものでもない。」という判断に反するものである。即ち、労働基準法二四条の解釈として労働者の賃金債権に対しては、使用者は、労働者に対して有する不法行為を原因とする債権をもつて相殺することは許されないが、この場合と雖も使用者は不法行為による損害賠償債権をもつて、労働者の使用者に対する賃金債権の差押転付を可能とする立場に立つことを明言している。最高裁判所大法廷のこの判断は傍論とは言え、結果において相殺禁止に反するような場合でも反対債権の差押転付を可能としており、原審判決の判断は之と真正面に牴触するものである。
(二) また昭和六年一一月一一日大審院民事第四部判決(民集一〇巻一一号九五一頁)は無尽会社の株主が会社に対する掛金返還請求権に基き自己に対する株金払込請求権につき転付命令を得た場合において、株金払込請求権を受働債権とする相殺の禁止を定めた規定(商法一四四条二項―現行商法二〇〇条二項)との関係について「資本団体タル株式会社ノ資本ナルモノハ株金ノ払込ニ俟ツノ外無キカ故ニ、其ノ払込ハ現実ニ為サルルコトヲ要スルヤ殆ント論無ク、従ヒテ株主ノ一方的意思表示ノミニ依リテ其払込義務ト其会社ニ対シテ有スル債権トヲ相殺スルカ如キハ固ヨリ一般ニ之ヲ許容スヘキ限リニアラス。是ヲ商法第一四四条第二項ノ趣旨ト為ス。即チ爾ルカ故ニ会社ノ側ヨリ為ストコロノ相殺ノ如キ若クハ所謂相殺契約ノ如キ決シテ同条ノ当然ニ禁止スルトコロニアラス。左レハ同条ヲ援用シ苟モ現金ノ授受無クシテ払込アリタルト同一ノ効果ヲ生スル一切ノ場合ヲ挙ケテ之ヲ排斥シ去ラントスルアラハ開ハ竟ニ不当ナル拡張解釈タルヲ免レス。(中略)本件債権(中略)ハ転付ノ結果一面ハ其範囲ニ於テ当然上告人ノ差押債権ヲ消滅セシタルト共ニソレ自身モ亦同時ニ消滅ニ帰シタルコト明カナリ。何者転付ニ因リ上告人ノ債権者タル地位ト債務者タル地位トヲ其ノ一身ニ併有スルニ至リタレハナリ。此故ニ此消滅原因ハ混同ニシテ相殺ニ非ス。原判文之ヲ以テ恰モ相殺視セル口吻アルハ其意ヲ領スルニ苦マサルヲ得ス。但此場合現金ノ授受無カリシコトハ固ヨル論ナシト雖凡ソ現金ノ授受ナクシテ株金払込請求権ノ消滅スル一切ノ場合ヲ挙ケテ之ヲ排斥スル何等法規モ法意モ之ヲ観ルニ由為キコト前叙ノ如クナルノミナラス、抑当然無効ナル執行行為テフモノノ有リ得サルハ猶当然無効ナル判決ノ有リ得サルト一般殆ント自明ノ理ナルニ於テ転付当時儼トシテ存在セシ本訴債権ノ転付ハ其ノ実無的ナリト解スルコト失当ナルヤ蓋云ハスシテ可ナリ。」という判断を示している。即ち株主は会社に対する債権をもつて株金払込請求権を受働債権とする相殺は商法一四四条二項(現行商法二〇〇条二項)により許されないが、だからと言つて同条を援用して現金の援受なくして株金の払込があつたのと同一効果を生ずる一切の場合を排斥しようとするのは不当な拡張解釈であるから認められず、株主は会社に対する掛金返還債権に基き自己に対する株金払込請求権について転付命令を得ることができ、この転付命令は何ら無効ではないことを明らかにしているのである。原判決は右の相殺禁止規定と転付命令の効力についての大審院判決の判断と真正面から牴触するものである。
三、不法行為に基く損害賠償請求権についても執行債権者は差押及び転付命令の申請を為しうること、差押及び転付命令の対象となる債権であることは同請求権が民事訴訟法第六一八条、その他の特別法の差押禁止債権に含まれていない故明らかなことである。
民法五〇九条に相殺禁止規定があるからと言つて、損害賠償請求権を差押禁止債権にしていることは全然ないのである。
すなわち損害賠償請求権は民法五〇九条の相殺禁止規定により損害賠償債務者からの損害賠償債権者への現実的弁済の強制がなされているがこれはあくまでも、私法上の意思表示による相殺という方法を禁じることにかぎつて損害賠償債権者に対する現実的弁済を強制せしめようということだけであつて、損害賠償債権が債権差押命令あるいは転付命令によつて強制執行を受けることを排除してまでも、損害賠償債権者に現実的弁済を受けることを保証する趣旨ではない。たしかに民法五〇九条は強行規定であり脱法行為は許されないが、この規定は相殺という法的手段(この法的手段に限つている。)をとることを否定することによつて現実的弁済の強制を図つているだけであり、損害賠償債権が強制執行を受けることを否定してまでも現実的弁済を保証している趣旨ではない。
また民法五〇九条は私法上の意思表示によつて行なわれる相殺は認めないだけであるから、国家機関が関与する正当な公権力の行使としての損害賠償債権への強制執行を阻止する趣旨にまで本条項を拡大解釈する理由は見い出しがたいといわざるを得ないものである。
四、このことは、損害賠償債権の強制執行における差押命令あるいは転付命令の債権者と第三債務者が、異なる場合と同一たる場合とを区別する理由はないから両方の場合について同様に妥当することである。
もし原判決が損害賠償債権についての転付命令における執行債権者と第三債権者と異なる場合と同一の場合とを区別し、同一の場合については転付命令が実体的効力が生じないとしているのなら、損害賠償債権に対する強制執行が許されないとするのが違法であるのと同様に法令違背と言わざるを得ないものである。執行債権者と第三債務者が異なろうと同一であろうと転付命令という強制執行に変りはなく、一方のみその実体的効力が生じないとする理由はないからである。損害賠償債権に対する強制執行を有効とするかぎりは執行債権者と第三債務者が同一であろうと異なろうと区別する根拠はなく、ともに転付命令は有効とせざるを得ないものである。
もし損害賠償債権に対しての執行債権者と第三債務者(損害賠償債権者)が同一人たる場合には転付命令は実体的効力が生じないというなら、第三債務者(損害賠償債務者)は自分が損害賠償債権者に対して有する債権を他の第三者に譲渡し、この第三者(執行債権者)、執行債務者(損害賠償債権者)、第三債務者(損害賠償債務者)と各別の当事者による法律関係を作出し、第三者(執行債権者)が差押及び転付命令を得ることにより、第三債務者(損害賠償債務者)が同様の経済的効果を亨受する方法をとることになろう。
執行債権者と第三債務者(損害賠償債務者)が異なる場合とこれらの者が同一たる場合とを区別し、後者について実体的効力が生じないとするのは前述のように法的根拠を欠くばかりでなく、このように区別しても第三債務者(損害賠償債務者)をして右に述べたような方法をとらしめることになり徒に手続を煩雑化させるだけである。
五、原判決は「不法行為の被害者をしてあくまでも損害につき現実の弁済を得さしめ、かつ不法行為の誘発を防止することを目的とする民法五〇九条の規定を潜脱する結果が生ずることを是認することに帰し、法律上許されるべきではないから、本件転付命令はその実体的効力を生じないものと解すべきである。」としている。不法行為の被害者が強制執行の債務者となつている場合に、不法行為の被害者の有する全ての財産に対する強制執行を違法と言うことができないのであるが、原判決の趣旨を、不法行為の被害者に対する強制執行のうちその不法行為にもとづく損害賠償債務者からの強制執行で不法行為の被害者の有する財産中、その不法行為にもとづく損害賠償請求権について行う強制執行だけ(原判決は転付命令の効力だけ否定しているが)が許されず、転付命令が出てもその実体的効力が生じないと解する(これが何の法的根拠ももたないことは前述四のとおりである。)としても、次のような事例を考えれば右の場合だけに限つて転付命令の効力を認めない実益はないと思われる。
例えば損害賠償債権者に対する金銭債権につき執行力ある正本を有する損害賠償債務者が執行官を帯同して損害賠償債権者方へ赴き、同債権者へ損害額相当の金銭を交付して弁済すると同時に債務者が帯同した執行官をして直前に弁済を受け損害額相当の金銭を所持している損害賠償債権者に対して、当該金銭について有体動産に対する強制執行をなさしめ、当該金銭の引渡を損害賠償債務者が受けたとしても、既に現実の弁済を不法行為の被害者が受けた後の強制執行ということになるから何ら違法あるいは実体的効力が生じないと言うことはできなくなる。
右に述べた強制執行につき実体的効力が生じないということができないのなら、損害賠償債権者に対する金銭債権につき執行力ある正本を有する損害賠償債務者が、当該損害賠償債権について差押及び転付命令を得た場合について民法五〇九条故に転付命令の実体的効力が生じないとする実益も、必要性も、その法的根拠もないのでなかろうか。金銭の債権についての強制執行が、金銭に対してなされるか債権に対してなされるかの違いだけで強制執行の実体的効力の有無について区別する理由は全くないからである。
六、我が民法は故意、過失を問わず広く不法行為による債権を受働債権とする相殺は許されないものとしているが、比較法的に見るとフランス民法、オーストリア民法、スイス債務法では相殺禁止の原因となる不法行為を物の盗奪に限定しており、ドイツ民法では故意になされた不法行為による損害賠償債権に限定している。以上諸国の相殺禁止規定についての限定主義に比べ我が民法の徹底した包括主義は特異な立法例ということができる。
そもそも我が民法五〇九条の規定については強い批判があるが次なるものが代表的なものである。
(1) 不法行為者に対する制裁というのであれば、損害の填補を目的とする不法行為法の進歩的観点に反し、被害者の保護ということからするなら損害賠償請求権を取得させることで足りるのに、原因関係を離れた単なる債権対立関係にさらに不法行為の制裁をもち出して手続経済の要求と債権者平等満足の要求を無視することは不当である。
(2) 相殺が債務者に与えられた法律上の利益であるに、不法行為者に与えられた利益と誤解するものである。
(3) 不法行為誘発防止と言うことであるなら過失による場合はもちろん、故意による場合でも「相殺の目的をもつて」不法行為をした場合でない以上相殺を認めなければならない結果になる。
我が民法五〇九条の相殺禁止規定が包括主義をとつたことに対しては以上述べたような批判があるだけに民法五〇九条の規定の趣旨を強制執行の場面にまで類推したり拡大して適用すべきではない。
本件において損害賠償債権者である被上告人は昭和四一年一二月一五日に第一回目、同四二年一月一六日に第二回目の手形不渡を出して、以後全く営業活動は停止しており商法四〇六条の三、一項により解散とみなされている株式会社であり、同四九年一二月三日その旨登記がなされているが、本件損害賠償債権以外には被上告人の財産は皆無である。このような状況において前記転付命令が実体的効力が生じないとすれば、上告人は被上告人に対して金銭債権についての執行力ある正本を有していながらその執行は全く不能とならざるを得ないものである。
対立する債権関係の場面において、民法五〇九条を類推あるいは拡大して適用し相殺を禁止するのではなく、強制執行の効力までも否定して、当事者双方の平等満足ではなく、一方当事者のみの満足という結果を生ぜしめる必要性は全くない。
前に引用した昭和六年一一月一一日大審院民事第四部の判決が、強く相殺禁止規定の拡張解釈を戒めているのも、まさしくこの点を言うものである。
七、転付命令についての不服申立の方法として即時抗告が認められている(大阪高決昭和四〇年七月一三日下級民集一六巻七号四〇頁、同昭和四一年五月二〇日下級民集一七巻五・六合併号三三頁、東京高決昭和四八年一月二六日判例時報七〇〇号九八頁、同昭和四九年六月一七日高裁民集二七巻三号二二七頁、同昭和五〇年三月一〇日判例時報七八〇号四四頁)が被上告人において、何ら本件差押及び転付命令につき即時抗告をなさずに即時抗告期間を経過したので、本件差押及び転付命令の執行は終了しその執行の効力は既に確定しているものである。
前記大審院判決が述べているようにそもそも当然無効なる執行行為というものはありえないところ、被上告人は執行債務者に認められている不服申立の方法(債権差押および転付命令に対しての即時抗告権)を、その不服申立の期間に行使しなかつたのであるから、当該執行行為(本件債権差押及び転付命令)は確定してしまつているものであり実体的効力が生じないということはできない。
八、被上告人は原審において本件転付命令の効力については争わず何の主張もしていないにもかかわらず、原判決は転付命令の効力についての判断を下しているが、これは当事者の申立ざる事項について判断したもので民事訴訟法一八六条の弁論主義に反するものである。
本件債権差押及び転付命令がなされ債務者である被上告人、第三債務者である上告人に送達されたことは被上告人において認めて、債権差押及び転付命令の効力についても争つていないのであるから、差押及び転付命令の効力につき被上告人は権利自白をしていることになるのであるが、原判決がこの権利自白に反し、転付命令の実体的効力が生じないとしているのは自白の拘束力(権利自白にも自白に関する民事訴訟法第二五七条、同一四〇条を類推適用すべきである。――岩松三郎「民事裁判の研究」一二四頁、三ケ月章「民事訴訟法」三八七頁、新堂幸司「民事訴訟法」三五八頁、竹下守夫「裁判上の自白」民商法雑誌四四巻三号四五四頁参照)に違背するものである。
九、以上述べたように原判決が本件転付命令がその実体的効力を生じないとする法的根拠は全くなく、かつそのような判断は権利自白の拘束力に反するばかりではなく、前記最高裁判所判決、大審院判決の判断にも牴触するものであるところ、転付命令が有効ならば被上告人の請求は全て理由がなくなるから、原判決には判決に影響を及ぼすこと明なる法令の違背があると言わざるを得ず原判決は破棄を免れない。
第二、第三<省略>