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最高裁判所第一小法廷 昭和55年(オ)1030号 判決 1984年3月29日

上告人 医療法人清心会

右代表者理事 山本重文

右訴訟代理人弁護士 松浦由行

被上告人 坂本道子

右訴訟代理人弁護士 松本健男

被上告人 長谷川達雄

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人松浦由行の上告理由第一点について

労働組合から除名された労働者に対しユニオン・ショップ協定に基づく労働組合に対する義務の履行として使用者が行う解雇は右除名が無効な場合には他に解雇の合理性を裏づける特段の事由がない限り解雇権の濫用として無効であると解すべきことは、当裁判所の判例とするところであり(最高裁昭和四三年(オ)第四九九号同五〇年四月二五日第二小法廷判決・民集二九巻四号四五六頁)、いま、これを変更する必要をみないのであって、これによれば、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、上告人の従業員で構成される労働組合による被上告人らに対する除名は無効であり、右労働組合との間のユニオン・ショップ協定に基づいて上告人がした被上告人らに対する解雇は他にその合理性を裏づける特段の事由もなく権利の濫用として無効であるとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決には、所論の違法はない。論旨は、原審の認定しない事実を前提とするか、又は原審と異なる独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

同第二点について

本件ユニオン・ショップ協定に基づいて上告人がした被上告人らに対する解雇が権利の濫用として無効であることは前記のとおりであり、労務提供の受領拒否による被上告人らの労務提供の履行不能は債権者である上告人の責めに帰すべき事由に基づくものであって、被上告人らは反対給付としての賃金請求権を失わないものというべきであり、これと同旨に帰する原審の判断は正当として是認することができ、原判決には所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 矢口洪一 裁判官 藤崎萬里 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 角田禮次郎)

上告代理人松浦由行の上告理由

第一点原判決は上告外山本病院労働組合がなした除名は無効であり、従って上告人がユニオン・ショップ協定に基き、被上告人両名を解雇したのは権利の濫用であって無効であると判断したのは、ユニオン・ショップ協定に基く解雇の法理の解釈を誤り、審理不尽におち入り、ひいては理由不備の違法をおかしたものというべきである。

一、労働組合から除名された労働者に対し、ユニオン・ショップ協定に基く、労働組合に対する義務の履行として使用者が行う解雇は、ユニオン・ショップ協定によって使用者に解雇義務が発生している場合に限り、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当なものとして是認することができるのであり、右除名が無効な場合には、使用者に解雇義務は生じないから、かゝる場合には、客観的に合理的な理由を欠き社会的に相当なものとして是認することはできないとの法理は、これを一応是認するとしても、これは労働組合の除名無効が、直ちに使用者の解雇無効を来たすのではなく、使用者の解雇権の行使が客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当として是認できない場合であると解すべきところ、上告人の被上告人両名に対する解雇には、左の如き合理的な理由があり、社会通念上相当として是認できる合理性がある。

然るに、原判決がこれを看過し、解雇を権利の濫用として排斥したのは誤りであって破棄を免れない。

二、上告人は、ビラ等文書の配布及び掲示につき、労働組合がその機関紙を定期的に配布する場合を除いて、いかなる文書であれ、すべて上告人の許可を要するものとし、この原則を厳しく貫き、全従業員にもこの点を周知徹底せしめて来た。

このことは原審証人松坂賢二の証言で明らかであり、又被上告人らが作成配布した乙第一〇号証一枚目下段二二行目に「病院当局は施設管理権をたてに、一切の政治活動を弾圧しようとします。非政治活動と思われるレクレーションのビラでさえ、許可制をとっているのは云々」、更に同号証二枚目上段一〇行目に「ビラ配布の自由は確立していませんが云々」と記載して、これを自ら認めていることによっても明らかである。

三、ところで、上告人が文書の配布、掲示を厳しく制限して来たのは、それを不可欠とする合理的理由があってのことである。以上この点につき詳述する。

上告人医療法人清心会は通称山本病院と称する単科の精神病院で、大正二年に設立され、以後精神科医療の公共性を自覚して病院経営に励んで来た結果、大阪府東部郊外閑静な地に、敷地三一一七二平方メートル(内八三〇平方メートルが運動場)上に、延九二二八平方メートルの建物(五病棟四七五床、院内作業場、娯楽室、講堂、食堂、寮等の諸施設)を有し、平均四六〇名程度の入院患者と一日平均六〇名程度の外来患者があり、その名は国内はもとより、国際的にも知られるに至っている。

四、精神病が他病と決定的に異なる点は、悪化の程度に応じ、病気に対する自覚を喪失していくところにある。そこに他病とは異なる治療の困難性があり、又治療の形態にもそれなりの特殊性がある。

そこで、まず重要なことは、自分が病気であり治療が必要であるとの認識を生じさせることにある。このために上告人病院では旧来あった暗い閉鎖病棟での隔離治療ではなく、明るい開放的雰囲気の中で治療することを最大の治療方針とし、「開放療法」「作業療法」「レクリエーション療法」が行われている。

開放療法は入院患者の約六〇%を対象として行われ、症状に応じて病棟内解放、院内及び院外解放に分類され、それぞれ病棟内、院内、院外の自由行動が認められる。

作業療法は室内作業、室外作業(農耕、園芸)及び外勤作業を行うことによって心の緊張を保ち、身体を整え、労働の意欲を持つことによって社会復帰を促進させることを狙いとしている。

レクリエーション療法は、患者の気晴し、遊びを通じて自発性協調性をとりもどすため、室内、運動場でのスポーツ、レコードコンサート、料理教室、生花教室などの教養的なもの、バス旅行が実施されている。

右開放療法、作業療法、レクリエーション療法のため、患者は起床から就寝まで病棟内は勿論のこと院内を自由に行動しており、病院の外壁以内は、病棟、庭、運動場、農園を問わず、全敷地がいわば病室となっているわけである。

五、ところで、右治療方針に併せ、病院側としてなすべき更に重要なことは、患者に対し、静謐、平穏、安全な環境を確保し保障することであり、又、病院としていたずらに患者を刺激、興奮させ或いは不安、動揺、混乱等を生ぜしめて、病状を悪化せしめ、回復を困難ならしめないよう細心の注意を払うことであり、かくて患者の社会復帰の一日も早からんことを願って治療にあたる義務があり、社会的責任もある。

こゝに、上告人病院の他企業とは異なる特殊性があるといわねばならない。

右述のところから明らかな如く、上告人病院はその敷地、その建物がすべて病室になっているから、患者は自由にいかなる場所にも出入りする。従って、そこに文書があって患者の目にとまれば、これが読まれる状態にあり、これが無用の精神不安定材料とならないよう、厳重に監視、監督しなければならない立場にあることは、関係証拠上も明らかであるのみならず、当然のことゝして是認される筈である。

従って、文書配布、掲示には文書の内容は勿論、配布、掲示の場所及び時期並びにその手段、方法等を総合的に判断し、場合によっては医師達の意見を聴いて許可、不許可を決定しなければならないわけであって、こゝに上告人病院が文書の配布、掲示を制限し施設管理権を他企業に比し一段と強調しなければならない根拠がある。

六、こゝで、被上告人らが無許可で配布した多数のビラについて検討する。

この場合、ビラの内容の検討は、通常人たる労働組合員に与える影響ではなく、上告人病院に入院又は通院する精神病患者に与える影響如何という観点からなされなければならないということはいうまでもない。

さて、乙第一号証は「一九日首都へ総結集せよ!」「反帝国際主義・実力闘争・プロレタリアヘゲモニーの旗の下返還協定国会批准を固いスクラムで実力阻止せよ!」「社共、総評の議会主義・合法主義を拒否しのりこえよ!」と大書し、その内容は暴力主義による革命思想を基調として、議会主義を否定し実力行使をあおる過激なもので、かゝる暴力肯定が精神病患者に与える影響は論ずるまでもないであろう。

更に、乙第二号証二枚目上段末尾から五行目「それから昨年の春闘いらいわれわれが労働をしている山本病院で、次々とおこなわれてきたことの意味も十分に吟味しておかねばならない。

濃厚治療という美名による深血、諸検査の乱用、幽霊看護者の黙認による基準看護甲3類から甲2類への変更など」と書かれているが、これは何ら根拠のない中傷であるとしても、患者において誤解して上告人病院の治療方法に疑問を持つに至る可能性は十分にあり、かくては医師と患者の信頼関係が極めて重要視される精神病院において、これが断たれる結果を招来し、患者に回復し難い損害を与えることになる。かゝる文書を患者保護の立場から容認できないことは明らかである。

次に、乙第一二号証二枚目六行目以下に「それは現代精神医療の体制が「保安処分」に象徴されるような体制のワクにはまらないと思われる人民を「治療」の名において意志を一切無視して無期限に隔離収容する方向に向っており、今日の精神病院が警察権力と一体となって治安維持の役割を果していることや「作業療法」の名のもとに患者を働かせピンハネすることによって患者を収奪しているといった現代の精神医療がかゝえる数多くの腐敗そのものゝ現われに他ならない云々」は、乙第一号証末尾あたりに「人民収奪と治安機構化した帝国主義医療体制解体」とあるのと軌を一にするものであるが、右内容中特に作業療法をもって患者の収奪であると主張しているのは、中傷とはいえ前記同様患者保護の立場から容認し得ないものである。

七、しかも、この種文書は多数且つ頻繁に、場所を問わず、病院の内部或いは外部で配布され、又正門といわず電柱、看板、欄干、立札等に貼付掲示され、その執拗なことは目にあまる程であった。勿論これらは、いずれも病院の制止を無視してなされたことはいうまでもなく、その程度は原判決をして「その手段方法において執拗なビラ配布を繰り返すなどの行き過ぎもあり又自己の立場の表明においても、自分らの言動に或る種の不安と動揺を与え得ることについての反省のないまゝ、いたずらに戦闘的な言辞を弄して云々」と認定せしめている程である。

このことを裏返えせば、上告人病院の入院、通院患者に無用の不安、動揺を与えたことは容易に推認されるところであり、現に入院通院患者に大きな精神的悪影響を及ぼしたことは事実である。

加えて、被上告人らは、乙第一号証をもって呼びかけた昭和四六年一一月一九日の首都結集に自ら参加し、同日東京日比谷でいわゆる松本楼焼打事件が発生したことは公知の事実であるが被上告人らが属する集団はその主義主張を直ちに実力行使に訴えるところに特徴があり、彼等が集団になって医療体制解体、精神病院解体が叫ばれると、被上告人らの真の狙いがそこにあることがはっきりと看取され、上告人病院としてはその危険が現在し、かつ明白なものと考え、甚だしく動揺すると共に危機感に見まわれて畏怖した事実もある。

八、被上告人らは、思想、信条の自由の名において、暴力主義的革命思想を喧言せんとするものであるが、それは一般論としても無制限には容認されていないのであって、その手段、方法、場所、対象等自ら良識に従って許容される限度がある。

ましてや、精神病患者に対し暴力主義を容認宣伝するが如き、又確たる根拠も理由もなく、治療行為の不正、不当を喧伝するが如き自由を有しないのは当然のことであって、被上告人らが直接患者に対しかゝる挙に出たわけではないにしても、前記上告人病院の特殊性から生じる文書活動の制限を無視して文書活動をなさんとする以上、それをなすべき必要性及び合理的理由を要するは勿論、文書の内容、配布、掲示方法ないしは手段、その頻度等においても、それが妥当として是認される範囲内であることが要求されるといわねばならない。

そもそも、被上告人らは、ケースワーカーとして精神病患者の社会復帰に尽力する責務を負い、そのために、文書活動にも一般企業とは異なる強い制限のあることを自ら承認して上告人病院に勤務するようになったのである。

従って、被上告人において、上告人病院の治療方法に前記文書で明らかにした如き不正があると信ずるのであれば、患者に対する影響を配慮して、まず上告人病院に対し、例えば文書によってその点を糾す等の手段を講じうる筈であり、これをしたに拘らず上告人病院において誠意ある対処をしなかったなどの事実のない限り、その合理性、必要性は裏付けられず、文書活動の執拗なこと自体、何よりもその合理性必要性の存しないこと又その手段方法等が許容限度をはるかに超えていることを証明するものである。

要するに、被上告人らは、組合側、病院側に対し、社会的に受け入れられないことが明らかな暴力主義的革命思想に基き、現行医療体制の解体つまり上告人病院解体を目論み、自己の主張をするのに急なあまり、思想、信条、表現の自由に藉口して、患者に対する自己の責務を忘却、否無視して患者不在の闘争を執拗に継続し、文書活動の制限を頭から違法無効なものとして否定してかゝり、真向からこれに戦いを挑んだものと断ぜざるを得ず、これを上告人病院が許容できなかったことは又当然というべきである。

九、ところで、上告人病院は、被上告人との文書活動を、被上告人坂本に対して甲第一一号証の一、被上告人長谷川に対しては甲第一一号証の二各通知書をもって中止するよう警告している。又口頭により再三制止したことは丙第一号証により明らかである。

そこで、上告人病院はユニオン・ショップ協定に基く解雇に併せ、本件記録上明白な、或いはこれにより容易に推認し得る前記諸理由をもって、被上告人両名を解雇したものであるから、これはまさに、本件解雇の合理的理由であり、社会通念上相当として是認できる合理性を有するものといわねばならない。

一〇、原判決が、上告外組合(以上組合という)のなした除名処分が無効であるとした判断は失当である。

本件ビラ(乙第一号証)は「労働者共闘」の機関紙であるが、労働者共闘は政治結社ではなく、労働者の組織であることは右労働者共闘がその後合同労働組合である関西単一労働組合に発展的解消をとげていることから明らかである。

本件ビラの主題は直接的には沖縄返還協定国会批准を実力で阻止するため、一一月一九日首都へ総結集せよとの呼びかけである。しかし、その内容は、非合法主義、暴力主義的革命思想を基本にして労働者組織である労働者共闘が、その旗の下に職場実力闘争を行なおうとするのであるから、これは単に個人の政治上の立場からその政治上の信条を表明したものではなく、まさに組合運動に関する活動である。

当時、組合は民主的に運営され、暴力を否定し、合法主義をその路線とし、労働条件の改善向上を目的としていたものであるところ、被上告人らは本件ビラの配布を契機に、かゝる路線をとる組合に非合法の職場実力闘争を持ち込む活動を開始し、行き着くところ民主主義体制の破壊、当然のことゝして組合の分裂と破壊、病院の解体をせんとする過激激烈なものであるから組合としてその組織と秩序を維持するため、これを統制違反の対象としたことは当然のことである。

一一、しかるに、原判決は、被上告人らの右活動を単に、組合員のした政治行動ないし政治的見解(思想信条)の表明であり、それは又、単に労働組合の団結及び組織運営に対する抽象的な不安と動揺を与えたに過ぎないと判断し、更に被上告人らによる将来の組合組織の破壊行動を予防する目的で除名を敢えてしたと考えても、危険分子を予防的に排除すべきその危険が現在かつ明白なものとして現存したと認め得る証拠はないと判示するのは、失当である。

一二、被上告人らの行為が、単に政治的見解の表明に止まらず、組合の破壊と分裂を狙う活動であったこと、しかもその危険が現在し且つ明白に現存したことは、単に被上告人らが、本件ビラを配布したというたゞそれだけの行為のみを取上げるだけではなく、それに続く被上告人らの言動を一体として観察し、総合的に評価しなければ明らかとはならないと考える。

1 被上告人らが本件ビラを配布し、首都結集を呼びかけた時点は、組合運営上非常に重要な時期であった。

組合は一一月一三日に三役会を開き、一一月一六日に年末一時金の要求案と組合大会の日時を決める執行委員会の開催を決定し、これを被上告人長谷川に通知していたが、同人は右執行委員会に欠席した。そして、右執行委員会では一一月二〇日に年末一時金要求のための組合大会を開くことを決定し、一一月一七日の午前中に各職場にその旨告示され、組合員に通知された。

ところで、被上告人らが本件ビラを各職場に配付したのは一一月一七日の昼頃であるので、同人らは当然このことを知っていた。被上告人長谷川は執行委員、教宣部長であり一六日には年末一時金要求のための案の作成や、組合大会の日程等が決定されたことは職責上知っていた筈である。

しかるに、一七日に本件ビラを配布して、組合員に一九日に首都結集と職場実力闘争を組合に無断で呼びかけ、自らは首都へ結集して組合大会を欠席した。

2 被上告人らが首都へ結集した一九日、結集した過激派集団によって松本楼焼打事件が発生している。

3 組合は本件ビラ配布等が組合規約に違反し、組合の秩序を乱すものであることを説明して注意を与え、反省を求めると共に爾後かゝる行為のないよう求めたが、被上告人らは「自分達の目的を実現するために自分達の思う方法で行動する。そのためにその行動がたとえ組合規約に違反することになろうとも、それらを打ち破り無視して行動する。組合と一戦交えよう」と述べ全く反省をせず、組合に対する挑戦的言辞を弄し、文書による組合の警告も無視した。

4 被上告人らは賞罰委員会を嘲弄し、組合を破壊するために妥協はあり得ない等の発言や態度を示し、多数のビラを連日の如く配布し、又ところきらわず掲示して組合を非難中傷し、執拗に組合攻撃を続けた。

5 被上告人長谷川は昭和四八年五月二八日大阪市東成区の徳岡印刷へ、ヘルメット姿の労働者四〇名と押しかけ、角棒や鉄棒で表戸のシャッターをこじあけて事務所に侵入し三階の会社幹部に大衆団交を求め、通路の窓ガラス数枚を割るなどの暴力を振い、一時一階事務所を占拠した。

同社には総評系の全印刷総連加盟の組合があったが、一部の者がこれを脱退し、被上告人らもその組合員である関西単一労働組合に加わり右行動に及んだものである。

一三、右一連の言動から明らかなことは、被上告人らは、議会主義民主々義を基本とする現行憲法体制を暴力によって転覆せんとする革命思想を唯一絶対の信条とし、すべての制度を否定してかかっていることである。従って、これを労働組合問題に限れば、総評系であれ、共産党系であれ、同盟系であれすべてその団結は否定さるべきだということになる。従って、本件組合はいずれ分裂せしめ破壊しなければならない対象であるから、これに着手すべく行動を起したのが本件ビラの配布である。だからそれが組合にとっていかに重要な時期であろうと、組合員がいかに動揺しようといいわけで、むしろこれを狙って配布したと解すべきであるし、組合が規約に基き反省を促がそうが、組合自体の存在が否定さるべき以上、規約なんかは問題にならないわけである。又組合に対する挑戦的言辞も単に売り言葉に買い言葉ではなく、その本心から出た今後の行動の決意の表明であるし、執行委員会、組合大会の欠席も単に権利、義務或いは当否の問題ではなく、組合否定の消極的活動といわねばならない。そして執拗に組合を非難中傷するのも組合の団結破壊を目的とする活動であるというべきである。

従って、被上告人らの本件ビラ配布及びその後の一連の行動は組合の分派活動であり、その団結を破壊し、その秩序を乱す行為で単なる思想、信条の表明ではなく、又松本楼焼打事件等が明らかにしているように、被上告人らは組合破壊のため、いつ実力行使に出るか図り難い危険が現在しかつ明白であるから、組合がその統制権を及ぼし、これを除名したのは正当といわねばならない。

一四、原判決が除名無効と解雇無効とを牽連づけて判断したのは失当である。

雇傭契約において、期間の定めのなきときは、使用者は法律上の特別規定、労働協約、労働契約によって解雇権が制限されている場合及び解雇権の行使が権利の濫用、不当労働行為などの理由で無効になる場合を除き、何時でも自由に解雇をなし得るものである。

他方、ユニオン・ショップ協定が存在する場合は、組合がその組合員を除名すると、使用者は原則として組合に対し、該組合員を解雇すべき義務を負担することになり、使用者は組合に対する右債務の履行として解雇しなければならない。

ところで、ユニオン・ショップ協定の目的は、組合自治の尊重即ち、組合の自主性、自律性を尊重し、ひいては組合の団結権を強化せんとするところにある。

このために、使用者は除名の有効、無効につき、独自に調査する権限を有しない。かかる調査は組合自治を侵害することなしにはなし得ないからである。

然して、除名の有効、無効は解雇の効力とは無関係でなければならない。もし原判決の如く牽連性を承認すれば、使用者は組合の動向を注視し、組合自治に容喙せざるを得ず、かくては組合の自主性、自律性を侵し、ひいては組合の団結を阻害する結果となる。

逆に使用者において、これが出来ない場合或いはかゝることをすべきではないとした場合には、使用者に何の帰責事由もないのに全責任を負わされることを恐れて、協定を遵守せず、被除名者を解雇しない方針をとらざるを得なくなるであろう。

しかも、この場合組合には使用者に対し、これを法的に強制する手段を有しないと考える。組合が使用者に対し、解雇の意思表示にかえる判決を求める法的手段に訴えても、第三者に対する意思表示の不履行を強制する手段にまで代執行を拡張することは不当だからである。

そうだとすれば、ユニオン・ショップ協定はその実効性を失うに至るといわねばならない。

原判決が除名に基づく使用者の解雇は除名が無効な場合、権利濫用となって無効となるのは、使用者が自らユニオン・ショップ協定を締結したことに基く責任があるのに反し、被除名者は右協定と直接関係がないことを理由とするわけである。

しかしながら、被除名者も組合員であるから、右協定とは直接関係がないからといって無関係ではあり得ないし、いわんや責任がないとはいゝ得ないのであって、むしろ組合自治を尊重して、右協定に基く義務の履行として解雇した使用者にこそ何の帰責事由もないというべきであり、原判決の判断では右協定が守らんとする組合自治、団結権の確保という、より重大な利益を喪失せしめる結果を招来することになって失当といわねばならない。

なお、しかし、かくては使用者と組合が結託した場合においては、被除名者は救済されないという反論に対しては、かゝる場合こそ解雇権濫用の法理で被除名者を救済できると考える。

第二点使用者がユニオン・ショップ協定に基づき、労働者が労働組合から除名されたことを唯一の理由として解雇して労務の受領を拒否したが、右除名が無効であったゝめ、使用者にも右協約上の解雇義務が生ぜず、ために右解雇が解雇権の濫用として無効とされる本件の場合には、右解雇労働者は使用者に対する賃金請求権を失わないものと解すべきだと判示し、民法第五三六条第二項を適用したのは、法令の解釈適用を誤り、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れない。

一、要するに、原判決はユニオン・ショップ協定に基づく解雇には、自己の責任によらずしてそれが無効となる危険が常に存在するところ、自己の事由意思でかかる危険のある協約を締結しておきながら、これを免責事由として援用し得ないというにある。

二、しかしながら、原判決が使用者の責任は、解雇が無効となる危険性ある協定を自らの自由意思で締結したところに生ずるとして、使用者に何の帰責事由のない場合でも、一方的に責任を負わせようとするのは、いわば責任のないものに責任を負わせようとするので失当である。

使用者がユニオン・ショップ協定を締結するのは、右協定の存在が、専ら労働組合の組織を強化し、その自主性によって団結権を確保させ、ひいては民主的組合の助成発展につながるからである。それ故に右協定により直接利益を享受するのは、労働組合であり、同時にその構成員たる各組合員自身である。

かくて、使用者の干渉、容喙を排除し、自主的に運営されている組合のなした除名の責任を、自らは何の責任もないのに拘らず、右協定を自由意思で締結したというそれだけの理由で、突然、使用者が負担しなければならなくなるのは、あまりにも使用者に酷であって納得し難いといわねばならない。

三、又、原判決は、解雇労働者がユニオン・ショップ協定締結当事者である労働組合の組合員である事実は、使用者が右協定に基づき労働組合に対して解雇義務を負うところから生ずる使用者・労働組合間の法律関係と、使用者・労働者間の雇傭契約上の法律関係とが別個の法律関係であることに影響を及ぼすものではないと判示するのも、前述のとおり、ユニオン・ショップ協定の存在から直接利益を享受するのは、労働組合であり、同時にその構成員たる各組合員なのであるから、納得できない説示であるといわねばならない。

四、その他右協定に関しては、第一点一四項以下で述べたとおりであるから、こゝにこれを援用する。

然して、組合の除名につき何ら上告人病院に帰責事由の存しない本件において、被上告人らは民法五三六条第一項により賃金請求権はこれを有しないものというべきである。

以上

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