最高裁判所第一小法廷 昭和55年(オ)1111号 判決 1981年7月16日
上告人
釜石市
右代表者市長
浜川才治郎
右訴訟代理人
永井一三
堀家嘉郎
被上告人
黒沼幸四郎
被上告人
黒沼久美子
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人永井一三、同堀家嘉郎の上告理由第一点について
所論の点に関する原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らしてこれを是認することができ、右事実関係のもとにおいて、小学校敷地内にある本件プールとその南側に隣接して存在する児童公園との間はプールの周囲に設置されている金網フェンスで隔てられているにすぎないが、右フェンスは幼児でも容易に乗り越えることができるような構造であり、他方、児童公園で遊ぶ幼児にとつて本件プールは一個の誘惑的存在であることは容易に看取しうるところであつて、当時三歳七か月の幼児であつた亡黒沼幸江がこれを乗り越えて本件プール内に立ち入つたことがその設置管理者である上告人の予測を超えた行動であつたとすることはできず、結局、本件プールには営造物として通常有すべき安全性に欠けるものがあつたとして上告人の国家賠償法二条に基づく損害賠償責任を認めた原審の判断は、正当として肯認することができる。原審の右認定判断の過程に所論の違法はなく、所論引用の判例は事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、採用することができない。
同第二点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官藤﨑萬里の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見をもつて、主文のとおり判決する。
裁判官藤﨑萬里の反対意見は、次のとおりである。
私は、論旨第一点につき、多数意見と見解を異にし、原判決を破棄して本件を原審に差し戻すべきものと考える。その理由は、次のとおりである。
公の営造物の設置又は管理について危険防止のためどのような設備を必要とするかは、当該営造物の構造、用途、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を考慮したうえ、通常予想される危険の発生を防止するに足りると認められる程度のものを必要とし、かつ、これをもつて足りるというべきであつて、およそ想像しうるあらゆる危険の発生に備えてこれを防止しうる設備を要するものとすることは相当でないといわなければならない。
本件プールは、児童公園に隣接する小学校敷地内に設けられた学校用プールというのであるから、右の観点に立つて考えると、同プールにおいて通常予想される転落事故等の危険を防止するためには、小学校児童のみならず、児童公園に遊ぶ幼児に対しても、たやすく同プールに近づくことがないよう、その周囲に立入防止の障壁等を設置する必要があると考えられるところ、その設備は、プールの危険性について十分の思慮分別を有しない幼児にとつて、一応独力では乗り越え難い障壁と認められる程度のものであることを必要とし、かつ、その程度のものをもつて足りるというべきであり、それ以上の設備を要求することはプールの設置管理者に対して酷というべきである。
原審が確定した事実関係によると、本件プールの周囲に設置された塀は、一辺の長さ約五センチメートルの菱形状をした網目の金網フェンスであり、上部にいわゆる忍び返しの設備はなかつたものの、フェンス上部には有刺鉄線が張られていて(もつとも、部分的に破損箇所はあつた)、右金網フェンス自体は、地上1.66メートルないし1.8メートルの高さを備えていたというのであるから、右の要件をみたすものとみる余地は十分にあると考える。原審は、亡幸江が右金網フェンスを乗り越えて本件プール内に立ち入つたことが本件プールの設置管理者にとつて予測を超えた行動であつたとすることはできないとしているが、本件プールと児童公園とは右の高さを備えた金網フェンスをもつて隔てられており、亡幸江の両親である被上告人らが同女を右児童公園内で一人で遊ばせていたのは、同女が右金網フェンスを乗り越えるようなことは予想もしなかつたからこそであると思われる。してみると、原審の右認定判断は直ちには肯認し難いというべきであり、原判決は右結論に至る判断基準ないし理由につき首肯するに足りる説示を欠くものといわざるをえない。
以上の次第で、前記金網フェンスは、思慮分別を欠く幼児にとつて一応独力では乗り越え難い障壁としての役割を果していたものとみる余地があるにもかかわらず、原審が右の点について考慮することなく、本件プールは公の営造物として本来有すべき安全性を欠いたものとして上告人の損害賠償責任を肯定したことには、国家賠償法二条の解釈適用を誤つた違法があるというべきであり、右の誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点に関する論旨は理由があるものとして原判決を破棄し、叙上の点についてさらに審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すべきものと考える。
(本山亨 団藤重光 藤﨑萬里 中村治朗 谷口正孝)
上告代理人永井一三、同堀家嘉郎の上告理由
第一点 原判決は、判決の結果に影響を及ぼすこと明らかな国家賠償法二条の解釈適用の誤りおよび判例違背の違法がある。
一、国家賠償法二条一項に規定する公の営造物の設置管理の「瑕疵」の解釈につき、判例、通説は、当該営造物の性質、目的、用途に応じて通常要求される安全性を欠くことをいうものであるとしている。原判決もまた「国家賠償法二条一項の営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいう」(一〇丁表五行)という、判例、通説に従つた解釈を示しながら、本件事案につきその適用を誤つているのである。
二、本件プールは、市立中妻小学校の児童の水泳用として設置されたものである。その設置の目的、利用状況および原判決認定の場所的環境からみて、水泳以外に通常予測されうる唯一の危険は、児童、幼児らが誤つてプールに近寄り、プールサイドからプール内に転落する事故を生ずることであるから、設置管理者たる上告人としては、右危険を除去するため、プール附近への立入りを防止するに足りる程度の設備をなすべきであり、またこれをもつて足りるのである。
原判決の認定によれば、本件プールは、「南側は鉄製枠、東側および木製枠による金網フェンス、西側はポンプ室、倉庫および便所とフェンスおよびナマコトタンの塀で画され、プールの出入りは北側フェンスの一部に設けられた両開きの扉の部分から行うようになつている。但し、本件事故の発生した昭和五〇年八月三一日当時は、右図面に表示されたポンプ室の建物は存在せず、右の部分にはナマコトタンの塀が設けられていた」(五丁裏七行から六丁表一行)というのであり、南側フェンス、東側および北側のフェンス並びにナマコトタンの塀の各構造を六丁日表一〇行から同丁裏五行目にかけて認定している。
原判決認定の本件プール周辺の建物、フェンスおよびナマコトタン塀は、幼児が誤つてプールに近寄り、転落する危険を防止するに十分である。
この点において、原判決は国家賠償法二条一項の解釈適用を誤つていることは明白である。
三、しかるに、原判決は、「本件プールのフェンスの高さは1.66メートルないし1.87メートルで、忍び返し等は設けられておらず、北側フェンスの上には一条の有刺鉄線が張られていたが、その一部は破損していたのであり、フェンスの金網は一辺の長さ約五センチメートルの菱型をなしていた」(一一丁表三行から六行目)という認定事実に基づいて、本件フェンスは「幼児でも容易に乗り越えられる構造であつた」(同丁表六、七行)と判断、評価した上、「亡幸江は右フェンスを乗り越えプールサイドに立ち入り、本件事故に立ち至つたものと推認されるが、幼児である幸江が右フェンスを乗り越えて本件プールに立入つたことが本件プールの設置管理者である被控訴人の予測を超えた行動であつたとすることはできない。したがつて、本件プールは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていたといわなければならず、被控訴人はその設置管理者としての責任を免れえないものである」(同丁表九行から同丁裏三行)という結論を示している。
被上告人黒沼幸四郎は、一審本人訊問(第一回)において、事故を知つてプールサイドに行つたとき、幸江が乗り越えた(と原判決が推認する)児童公園に面した本件フェンスを乗り越えて入つたのであるが、「簡単には乗り越えられませんでした」と証言している(同調書三丁裏)。右に引用した原判決の「幼児でも容易に乗り越えられる構造であつた」という判断は、客観的にも右証言に照らしても誤りである。
また、原判決の右推認が、条理に反し、あまりにも不合理であることは、次の「第二」において述べるとおりであるが、次項において「予測を超える行動」の解釈、判断について、原判決には明白な判例違背の違法があることを指摘する。
四、最高裁判所昭和五三年七月四日第三小法廷判決(最高裁判所判例集三二巻五号八〇九頁)は、公の営造物が具有すべき「安全性」と設置者の「予測」との関係について、
営造物の通常の用法に即しない行動の結果事故が生じた場合において、その営造物として本来具有すべき安全性に欠けるところがなく、右行動が設置管理者において通常予測することのできなかつたものであるときは、右事故が営造物の設置又は管理の瑕疵によるものであるということはできない
旨を判示している。
右判決の事案は、「本件道路附近が住宅地で昼間車両の通行量が少く、附近に適当な遊び場がないため、本件道路が子どもらの遊び場所となつていた」(八一一頁五行)という道路に、高さ八〇センチメートルのコンクリート柱に上下二本の鉄パイプを通して手摺とした防護柵を設置したところ(八一〇頁終りから二行)、六才の幼児が防護柵に後向きに腰かけて遊ぶうち、誤つて転落負傷した事案であるが、右判決は「上告人の転落事故は、同人が当時危険性の判断能力に乏しい六歳の幼児であつたとしても、本件道路及び防護柵の設置管理者である被上告人(神戸市)において通常予測することのできない行動に起因するものであつたということができる。したがつて、右営造物につき本来それが具有すべき安全性に欠けるところがあつたとはいえず、上告人のしたような通常の用法に即しない行為の結果生じた事故につき、被上告人はその設置管理者としての責任を負うべき理由はないものというべきである」(八一一頁一四行から八一二頁一行)と判示しているのである。
道路の防護柵は、通行人に対し車道に立入らないことを示すとともに誤つて立入ることを防止するために設けられるものであるから、子供が腰掛けたり、くぐつたりすることはその目的に照らして予測を超えた行動というべきである。プール周辺の金網も右同様な目的で設置されるものであるから、三歳七月の幼児が自己の身長の倍もある金網フェンスをよじ登つて、よじ降りるという行動は、上告人にとつて右判決の事案における幼児の行動に比して格段に予測不能のことであることは、明白であるといわなければならない。
現に、被上告人黒沼幸四郎(父)は、一審における本人訊問(第二回)において、原告代理人の問に対して、「最初は越えて入つたとは思いませんでした」(同調書五丁表七行)と答えており、同黒沼久美子(母)は、原告代理人の問に対し幸江の日常の行動について、「水遊びをしたことはほとんどない。海水浴には、前の年一回行つたことがあつた。プールに連れて行つたことはない」旨を(同調書三丁裏)、また裁判長の問に対して「高いところに登つたことはない。好奇心が強いということはあまり見当らない」(同上六丁裏)旨を答えているのである。しかして、原審においては、人証の取調はなされていない(四丁表九行から同丁裏三行)。
平素幸江を児童公園で遊ばせていた両親でさえ、右証言のとおり幸江が本件フェンスをよじ登ることを全く予測していなかつたのであるのに、右証拠を無視して、上告人がかかる行動を予測すべきであつたとする原判決の判断は、まさに失当の一語に尽きる。両親ですら、予測していなかつた行動を目して、設置管理者が「通常予測することができる行動である」とする判断は、「設置管理者において通常予測することができない行動」の判断につき右判決に違背し、ひいては国家賠償法二条一項の解釈適用を誤つたものであるといわなければならない。
これらの違法は、判決の結果に直接影響するものであつて、この点において破棄を免れないものである。
第二点 <省略>