大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和55年(行ツ)89号 判決 1982年3月04日

上告人 和歌山県選挙管理委員会

右代表者委員長 細沢辰幸

右訴訟代理人 岩橋健

右補助参加人 鍵康夫

右訴訟代理人 礒川正明

船越孜

被上告人 津越幸雄

右訴訟代理人 小林勤武

三上孝孜

國本敏子

服部素明

主文

原判決を破棄する。

被上告人の請求を棄却する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人岩橋健の上告理由第一点及び上告補助参加代理人船越孜の上告理由第二の一について

所論の投票の記載は、それぞれ候補者である被上告人の氏と北畑正七の名から成るものであるから、特段の事情がない限り、右投票は、被上告人及び北畑正七両候補者の氏名を混記したもので、いずれの候補者を記載したかを確認し難いものというべきところ、原判決挙示の事実のみをもつてしては未だ右特段の事情があるものと解することはきない。それ故、右投票は、公職選挙法六八条七号に該当し、無効と解するほかなく、これを有効と解した原審の判断は、右規定の解釈適用を誤つたものといわざるをえない。論旨は、理由がある。

上告代理人岩橋健の上告理由第二点及び上告補助参加代理人船越孜の上告理由第二の二及び三について

所論の投票の効力に関する原審の認定判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

そして、効力が争われたその他の投票についての原審の判断は当審においても正当として是認しうるところであり、結局、被上告人の有効得票数は上告補助参加人のそれと同数の三八九票であり、被上告人の当選を無効とすべきであるから、これと異なる原判決を破棄し、被上告人の請求を棄却すべきである。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 本山亨 裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 中村治朗 裁判官 谷口正孝)

上告代理人岩橋健の上告理由

第一点 原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな公職選挙法第六七条後段、第六八条第七号の解釈適用を誤つた違法がある。

投票1(原判決別紙投票番号に従がう。以下同様。)「つごししようしち」と記載した投票一票。

原判決は「公選法六七条後段の趣旨に照らし、投票1は、原告に対する投票の意思をもつてなされ、単に原告(注・被上告人を指す。以下同じ。)の名のみが誤記されたにすぎないものとみるのが相当であつて、原告に対する有効投票と認めるべきである。」と判示した。

原判決は投票1を有効とする根拠について次のとおり述べている。すなわち-本件選挙における候補者中に、原告(つごしゆきお)のほか、北畑(きたばたしようしち)がいたが、投票1の記載は、その前半が原告の氏と、その後半が、北畑の名とにそれぞれ合致する。

「原告・北畑ともに白浜町内において通常その氏のみをもつて呼ばれ、本件選挙の運動においても、ほとんどその氏のみをもつて選挙人らに働きかけていたところ、原告への投票者のなかには、原告との個人的つながりが薄いことから固定的とはいえない選挙人がすくなくなく、しかも原告の氏のみを記憶していても、その名までも知らない者がすくなくなかつたことが考えられ、一方、北畑への投票者のうち、その名に強い印象を有する者は、極く近しい者に限られ、しかもその名を知つていて氏を知らない者のあることは考え難いものであり、さらに、前記のような投票所における候補者氏名掲示の状況等からみると、原告の氏のみを記憶し名までも記憶していない原告に対する投票者が、原告の名を候補者氏名の掲示紙の左隣に掲記された「しようしち」と見誤ることも優に予想されるところである。」

というのである。

一、しかしながら、

(一) 投票1の如く、投票用紙に記載された氏名が一の候補者の氏と他の候補者の名とから成つていて、氏も名も全く関連のない二人以上の候補者の氏と名を完全に混記した投票(いわゆる完全混記投票)が公職選挙法六八条七号の「公職の候補者の何人を記載したかを確認し難いもの」として無効な投票に取扱われることは確定された判例であり、かつ行政実例も学説もこれに従う異論をみない取扱いであつて、今日では社会通念とすらなつているところである。しかるに、原判決はこの解釈を俄かに変更し独自の適用の仕方をしているが、かような独自の解釈適用をしなければならない明白な理由はなく、しかも、かかる独自の解釈適用は後述の如く、選挙実務を混乱におとし入れるもので、速かに是正されるべきである。

(二) 念の為、従来の判例学説および行政的取扱の要旨を摘示してみよう。

(1) 最高裁判所の判例は「石川若三郎」等の投票に関連して次のように述べている。「投票を二人以上の候補者氏名を混記したものとして無効とすべき場合は、いずれの候補者氏名を記載したか全く判断し難い場合に限るべきであつて、そうでない場合は公職選挙法六八条五号七号に該当する無効のものでない限り、いずれか一方の氏名にもつとも近い記載のものはこれをその候補者に対する投票と認め、合致しない記載はこれを誤つた記憶によるものか、または単なる誤記になるものと解するを相当とすべきである。」(昭和三一年(裁)第一〇二四号同三二年九月二〇日第二小法廷判決、民集一一巻九号一六二一頁)この判旨は、いずれか一方の氏名にもつとも近い記載はその候補者に対する投票と認めることを強調する反面、氏も名も全く関連のない二人以上の候補者の氏と名とを完全に混記した投票は、公職選挙法六八条七号に該当することを当然の前提としている判決である。

(2) 最高裁判決はその後も、右判決を引用して同様の判旨をくりかえしている。すなわち、「藤田英七」と記載された投票についての判決がそれである。昭和四五年(行ツ)第五二号同年一〇月二三日第二小法廷判決裁集民一〇一号一七九頁。

(3) 最高裁がはつきり此の点を具体例で適用を示したものに「中野実」および「中の実」と記載された投票に関するものがある。

「同第三点について。

原判決は、中野光弘候補が民社党の公認候補として同じく同党の公認を受けて県会議員に立候補した訴外荒木実と共同して選挙活動をしていたことから、選挙人においても中野光弘候補の名を誤つて「実」と記憶する可能性のある事情がすでに存在したことを推認しうるとするのであるが、本件選挙の候補者中には白沢実なる者があつたのであり、「光弘」と「実」との間にはなんら類似性も認められないことを考えれば、右の程度の事情から直ちに所論「中野実」「中の実」と記載された各投票は選挙人が中野光弘候補に投票する意思をもつて名を誤記したものであると認めることはできない。所論の各投票は結局、中野光弘、白沢実両候補の氏名を混記したものと認めるほかなく、候補者の何人を記載したかを確認し難いものとして無効と解するのが相当である。したがつてこれを有効と解した原審の判断は公職選挙法六八条の適用を誤つたものであり、論旨は理由がある。」(昭和四七年(行ツ)第二四号同年七月二〇日第一小法廷判決、裁集民一〇六号五六一頁)

(4) 美濃部達吉氏も、

「同じ選挙の候補者中に同じ氏の候補者が二人以上あり、而も投票には其の氏のみを記載して居る場合、候補者中に類似の氏名の者が二人以上あり、投票の記載が不正確で、正確には其の何れにも該当しないが、或る程度には其の何れにも類似して居る場合、投票に記載された氏名が、氏は候補者中の一人の氏に、名は候補者中の他の一人の名に該当、又は類似して居る場合には、何れも被選挙人の何人であるかを確認し難い場合に相当し、其の投票は無効である。」(美濃部達吉著「選挙争訟の研究」二七七頁、弘文堂書房昭和一一年一〇月二〇日発行)

とされている。

(5) 田中真次氏も、「しばしば問題を生ずるのは二名の候補者の氏名を混記した投票である。すなわち、候補者甲の氏と同乙の名を記載した投票である。原則的にいうならば、このような投票は候補者の何人を記載したかを確認し難いものとして無効とすべきは当然である。しかし、常にそういい切れるものではない。最高裁昭和三二年九月二〇日判決民集一一巻九号一六二一頁は、候補者中に石井若三郎と石川重郎とがある場合に、「石川若三郎」と記載された投票を、前者に対する有効投票とし、これを無効とした原判決を破棄している。」(田中真次著「選挙関係争訟の研究」一六三頁昭和四一年七月三〇日日本評論社発行)とされている。

(6) 自治省選挙課長管理課長共著の「逐条解説公職選挙法」によると、「公職の候補者の何人を記載したかを確認し難いもの」(七号)。「確認し難い」とは、投票用紙に記載された文字から何人に投票したかを確認できないものをいう。……二人以上の候補者の氏名を混記した投票は無効である。誤記と混記の何れであるかの判定は難しい。一般的にいえば、二人以上の候補者の氏名の一部づつが平等に混じて記載されているのが混記であり、何れか一人の候補者の氏名に近い記載は誤記と考えるのが合理的であろう。」(政経書院昭和五三年一〇月二五日改訂新版発行三六七頁三六九頁)とされている。

二、原判決は、1、名よりも氏の方がよく使われていたこと、2、選挙でも氏で働きかけていたこと、3、選挙人で原告の名まで知らないものがすくなくなかつたこと、4、氏名掲示の状況から左隣りの名を見誤ることも優に予想されることなどを取り上げて、何れか一人の候補の氏名に近い記載でない完全な混記投票について、氏優位説に立つて判断しているが、妥当と言い得る判断であろうか。けだし、そもそも投票の有効無効を判断するについて、投票用紙に記載された文字以外のものをそれ程考慮することは許されるであろうか。許されないと考える。最高裁判例も次のように判旨している。

「公職選挙法六七条が(前略)投票の効力を決定するに当つては、同法六八条の規定に反しない限り、その投票した選挙人の意思が明白であれば、その投票を有効とするようにしなければならないと規定している法意に徴すれば、当該投票を有効と認定するについては選挙人が候補者の何人に投票したかその意思が投票の記載自体から明認できる場合であることを必要とするものと解すべきである。」(昭和三五年(オ)第八〇六号第八〇七号同三六年九月一四日第一小法廷判決民集一五巻八号二〇六三頁)。

すなわち、ここで指摘されているのは「投票の記載自体からの判断」ということである。最高裁は右の趣旨を昭和四二年にも繰り返し判示している。すなわち、「上告代理人近藤新の上告理由について。

論旨は、原判決が候補者たる上告人の得票と認めない投票一票および候補者財前金利の得票と認めた投票六票につき、その効力の判断を誤つたものと主張する。おもうに投票を有効と認定できるのは、投票の記載自体から選挙人が候補者の何びとに投票したのかその意思を明認できる場合でなければならない。公職選挙法六七条が、同法六八条(無効投票)の規定に反しないかぎりにおいて、その投票した選挙人の意思が明白であれば、その投票を有効とするようにしなければならない旨を規定するも、右の趣旨を明示したものにほかならない。もつとも、選挙人の投票意思の認定にあたつては、その選挙における諸般の事情を考慮して判断することが許されないものではなく、また、投票の記載についても、ある程度の記載文字の拙劣、誤字、脱字等が存在しても、その故をもつて、ただちに投票意思の明認を妨げるものとはいえない。しかし、投票の記載によつては投票意思を明確にしがたいものを、その記載と特定の候補者の氏名との若干の類似性を手がかりとして、選挙人はつねに候補者中の何びとかに投票するものという推測のもとに、これを右特定の候補者の得票と解するような判定の仕方はにわかに容認しがたい。

これを本件についてみるに、原判決が候補者財前金利の得票と認めた「だいぜんまさかつ」と記載された投票(甲第一号証)は、その「だいぜん」なる記載が財前候補の氏を誤記したものとする原判示を首肯しうるとしても、その名にあたる「まさかつ」なる記載は、同候補の名の金利とは文字のうえからも、音感のうえからも、全く類似性を欠き、しかも右記載が同候補の通称、雅号、旧名その他同候補になんらかの関係ある称呼であることの証明も存しない以上、到底これを同候補の名の誤記とは解しがたい。従つて、右投票の記載自体からでは、選挙人が財前候補に投票する意思を明確に表現しているものとは認められず、たとえ本件選挙当時選挙地域内に右記載の氏名に該当する者が実在しなかつたとしても、右の判断を動かすに足りない。」

(昭和四二年(行ツ)第二二号同年九月一二日第三小法廷判決民集二一巻七号一七七〇頁)

右の「まさかつ」なる記載は、他に「まさかつ」なる名を有する候補者がいない場合に関する。

今、この事件で問題になつている投票は記載上明白な混記投票である。最高裁判所の従前の判例の流れに照らして、原判決の投票の記載自体以外の事情を考慮する態度は到底是認され得ない違法なものであると信ずる。

選挙実務的にみても、原判決の指摘する種々の理由によつて投票の効力を判定するものとみれば、開票事務の混乱ははかり知れないであろう。けだし、選挙運動が氏名中心に行なわれたか、氏だけ中心に行われたかを検討する必要が生じ、各投票所における氏名掲示状況をつぶさに証拠として残す必要があるということになるからである。

開票事務を際限もなく混乱させるおそれのあるような法律解釈は到底許されるところではないと思料する。

かようにして、投票1を被上告人津越幸雄の有効票と解することは、公職選挙法六七条後段、六八条七号の解釈適用を誤つた法令違背にあたることは明白である。

第二点 <省略>

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