大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和58年(オ)1524号 判決 1987年7月02日

上告人

日本電信電話公社訴訟承継人日本電信電話株式会社

右代表者代表取締役

真藤恒

右指定代理人

菊池信男

大藤敏

武部文夫

田中信義

小林克已

中澤勇七

三原康広

阿部勇行

鈴木昶夫

被上告人

新井利諦

被上告人

奥豊

被上告人

山川正広

被上告人

山崎秀樹

右四名訴訟代理人弁護士

中北龍太郎

在間秀和

仲田隆明

菅充行

西川雅偉

右当事者間の大阪高等裁判所昭和五七年(ネ)第二一一二号戒告処分無効確認請求事件について、同裁判所が昭和五八年九月二八日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人藤井俊彦、同上野至、同都築弘、同幸良秋夫、同井筒宏成、同武部文夫、同嶋村源、同渡辺信行、同川越修一、同藤野統夫、同熊谷弘二、同石﨑清博、同衣笠昌昭の上告理由について

年次有給休暇の権利は、労働基準法三九条一項及び二項の要件が充足されることによって法律上当然に労働者に生ずる権利であり、労働者がその有する年次有給休暇の日数の範囲内で始期と終期を特定して休暇の時季指定をしたときは、使用者が適法な時季変更権を行使しないかぎり、右の指定によって年次有給休暇が成立し、当該労働日における就労義務が消滅するものであり、また、年次有給休暇の利用目的は同法の関知しないところであって、休暇をどのように利用するかは使用者の干渉を許さない労働者の自由であると解すべきことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和四一年(オ)第八四八号同四八年三月二日第二小法廷判決・民集二七巻二号一九一頁、同昭和四一年(オ)第一四二〇号同四八年三月二日第二小法廷判決・民集二七巻二号二一〇頁)。したがって、本件時季指定自体が信義則に反し権利の濫用になるものではないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、これと異なる見地に立って原判決を論難するか、又は判決の結論に影響を及ぼさない点につき原判決を非難するものにすぎず、いずれも採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 髙島益郎 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎)

上告理由

原判決には、労働基準法(以下、「労基法」という。)三九条一項ないし三項及び民法一条二項、三項の解釈、適用の誤り並びに採証法則違背、経験則違背の違法があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第一 年休の利用目的について

一 原判決は、本件各年次有給休暇の時季指定(以下、「本件年休権の行使」という。)が権利の濫用に当たらないとする判断の前提として、「年次有給休暇の使用目的については、労基法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由である」(原判決の引用する一審判決六九丁裏八行目から一一行目まで)と述べ、同趣旨の最高裁昭和四八年三月二日第二小法廷判決(民集二七巻二号二一〇ページ)を引用している。

しかしながら、年休制度は現存する法秩序の一環として特定の立法趣旨に基づいて設定されているものであるから、年休の利用目的についても、以下に述べるような観点からの制約があり得るのは当然であって、原判決の右判示は労基法三九条一項、二項の解釈を誤ったものである。

1 年休制度の趣旨・目的による制約

年休制度が制定された趣旨・目的は、本来、労働者を労働から解放し、その精神的、肉体的疲労を回復し、その効果として労働力の維持培養を図るとともに、労働者に人たるに値する生活を得させようとするところにある(東京地裁昭和三七年四月一八日判決・判例時報三〇四号四ページ、仙台高裁昭和四一年九月二九日判決・労民集一七巻七号一二四〇ページ、なお、西ドイツにおいては、労働者が有給休暇日に他企業で労働することは制度の趣旨・目的に反し許されないとされている。西ドイツ連邦休暇法八条参照)。したがって、年休の利用目的には自ら一定の内在的制約が存するのであって、年休制度をその趣旨・目的に著しく反して利用することは許されないというべきである。

また、年休は、無給を原則とする一般の休日と異なり、その間は労働した日とみなして賃金を保障しているのであって、有給であるところに一般の休日と異なる年休の特殊性が存するのである。このように、年休は使用者が賃金を支払うという特殊な休暇であるから、それに対応して、労働者の年休権の行使が企業の信用を失墜する等企業の利益を損なうようなものであってはならないという制約が存することも信義則上当然のことというべきである。

2 労働者の誠実配慮義務による制約

さらに、労働契約関係は契約当事者相互の信頼と配慮の下に成り立つ継続的な人間関係であるから、労働者は、労働契約に伴う付随的義務として、企業の内外を問わず、使用者の利益を侵害してはならないのはもちろんのこと、侵害するおそれのある行為をも慎しむべき誠実義務を負うものである(東京高裁昭和四四年四月一五日判決・労民集二〇巻二号三五九ページ参照)。

右の理は、労働者が年休権を行使するに当たっても当然に妥当するものであり、年休権の行使が当該労働者の地位、行使の時期、意図、態様及び行使の際の客観的情勢等に照らし、右誠実配慮義務に著しく違反する場合には、年休権の行使自体が権利の濫用と評価されその法的効果が否定されるのである。

3 公社職員の特殊性による制約

上告人日本電信電話公社(以下、「公社」という。)は、公衆電気通信事業の合理的かつ能率的な経営の体制を確立し、公衆電気通信設備の整備及び拡充を促進し、並びに、電気通信による国民の利便を確保することによって公共の福祉を増進することを目的として設立された公法人であって(日本電信電話公社法(以下、「公社法」という。)一条、二条)、公衆電気通信事業という国民生活にとって極めて密接な関係を有する公益性の高い企業体である。したがって、その事業の運営及び事業の在り方自体が広く国民の批判の対象とされているのであって、その事業の円滑な運営の確保とともに、廉潔性の保持が強く要請されている。

したがって、公社の職員は、私企業の労働者に比し、公共性の高い公社に勤務する者として、公務員に準じて誠実にその職務を遂行すべき責務を有し、公社の内外を問わず、「公社の信用を傷つけ、または従業員全体の不名誉となるような行為をしてはならない」(公社法三四条、同公社職員就業規則九条)とされているのである。

以上のような公社職員の地位にかんがみると、公社の職員については、契約並びにその法的地位の特殊性に基づき、本来の職務について誠実な職務の遂行が強く求められるばかりでなく、職場外での行動についても、一般の私企業の場合に比し、右誠実配慮義務がより強く要請されているものというべきである(最高裁昭和四九年二月二八日第一小法廷判決・民集二八巻一号六六ページ参照)。

したがって、公社職員が誠実配慮の義務に著しく反し、あえて反社会的行為に出る意図の下に年休権を行使する場合のごときは、その行使自体を権利の濫用として、公社がこれを否定し得るのでなければ、公社に要請される前記廉潔性の保持は到底不可能というべきである。

以上のように、公社職員による年休の利用目的については、種々の制約が存するのであり、現実の社会生活に生起する具体的事実関係の下においては、年休の利用目的のいかんにより年休権の行使が権利の濫用とされることも当然にあり得るのである。

しかるに、原判決は、年休の利用目的は労働者の自由であり使用者の干渉を許さないものであるとしたのであって、原判決はこの点において労基法三九条一項、二項の解釈を誤っている。

なお、原判決の引用する前記最高裁判決は、「年次休暇の利用目的は労基法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由である」と判示しているが、これは、いかなる場合においてもいかなる意味においても自由であるとの趣旨に解すべきではなく、特段の具体的事情の下においては信義則上の制約があり得ることを否定するものではないと解するのが至当である。

二 また、原判決は、年休の利用目的が自由であることについて、「被告と全国電気通信労働組合との間の年次有給休暇に関する協約とその際の確認事項においても同趣旨の取決めが為されていることが認められる。」(原判決の引用する一審判決七〇丁表二行目から四行目まで)と判示しているが、労使間において右のような取決めがなされたとしても、具体的な年休権の行使について民法一条二項、三項の適用が排除されるものではなく、特定の事実関係の下において、年休権の行使が信義則に反し、権利の濫用になることのあり得ることは否定できないところである。

第二 本件年休権行使の意図について

原判決は、「原告らが、昭和五三年五月二〇日の成田空港の開港に反対する現地闘争に参加するために、同年五月一八日、一九日、二二日を年休とする本件各年休の時季指定をしたことを認め得る的確な証拠はない」(原判決の引用する一審判決六九丁表二行目から五行目まで)と判示している。

しかしながら、原判決の右認定は、以下に指摘するような証拠〔証拠表示部分は省略〕と事実に照らすと、明らかに採証法則及び経験則に違背するものである。すなわち、

被上告人新井利諦は、

<1> 昭和五三年二月下旬ころ、元公社職員苅谷稔(同人は、いわゆる三・二六闘争に参加し現行犯として逮捕され、同年四月一七日付けで懲戒免職処分を受けた者である。以下、「苅谷」という。)とともに、岸和田貝塚電報電話局(以下、「岸貝局」という。)の通用門付近でビラを配布し、

<2> 同年二月二〇日過ぎころには「三月開港阻止の戦いがはじまった」と題するビラを配布して、公社職員等に対し開港実力阻止行動への参加をあおり、

<3> 同年三月三一日過ぎころには、「三里塚闘争ニュース」と題するビラを配布し、三・二六闘争を称賛するとともに「4・2三里塚現地集会」及び「開港阻止決戦勝利全関西集会」への参加を呼びかけ、

<4> 同年四月一〇日過ぎころには、「百姓を無視して絶対解決しない、治安強化は人民への挑戦である」と題するビラを配布し、右ビラにより公社職員等に対し「強権開港反対の大運動を!」呼びかけ、

<5> 同年五月一五日午前八時ころからゼッケンを着用した五、六〇名の者とともに苅谷の処分撤回などと称して岸貝局通用門付近へ押しかけ、同所において座り込み、アジ演説、シュプレヒコール、デモ等を繰り返し、その際、「5・8三里塚全関西大集会」「5・20開港実力粉砕へ!」と題するビラを配布して、開港実力阻止を公社職員等に訴え、

<6> 同年五月一五日付けの「三里塚反弾圧闘争の呼びかけ」と題する書面において、自ら開港実力阻止闘争へ参加する意図を表明して、右闘争への参加をあおり、

<7> 同年五月一〇日及び出直し開港の前日である同月一九日に、「「5・20三里塚出直し開港」を打ち砕こう!」と題するビラを配布し、右ビラにより、同月一八日ないし二二日の三里塚現地連続闘争には大阪市立労働会館前に夜七時に集合してバスで三里塚へ向かう旨参加の手段、方法を明確にして、自ら開港実力阻止闘争へ参加する意図を表明して、右闘争への参加をあおった。

被上告人奥豊は、

<1> 昭和五三年五月一〇日ころ「三里塚闘争弾圧粉砕!苅谷稔君を救援しよう!」と題するビラを巽電話局前で配布し、右ビラにより、三・二六闘争を称賛するとともに、成田の再開港の実力阻止を宣伝し、

<2> 三里塚闘争勝利・成田二〇六五電通救援会議の呼びかけ人として、同年五月一五日付けの「三里塚反弾圧闘争の呼びかけ」と題する書面を配付し、右書面により、自ら開港実力阻止闘争へ参加する意図を表明して、右闘争への参加をあおり、

<3> また、三・二六闘争の主役を演じた日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)の機関紙である週刊世界革命の「―関西アッピール―成田治安立法に抗議します」の項に五月二〇日の開港に絶対反対する賛同者として名前を連ね、

<4> 被上告人新井利諦、同山崎秀樹によって同年五月一〇日、一八日、一九日の三日にわたり配布された「「5・20三里塚出直し開港」を打ち砕こう!」と題するビラにおいて、三里塚芝山空港反対同盟の要求を支持する者として名前を連ね、さらに、右ビラにより、三里塚現地闘争に参加する者は一九日、二〇日にバスで三里塚に行くので大阪市立労働会館前に夜七時に集まるようにと自ら開港実力阻止闘争へ参加する意図を表明して、右闘争への参加をあおった。

被上告人山崎秀樹は、

<1> 昭和五三年四月初めころ、「三里塚闘争ニュース」と題するビラを戎電電ビルの正面玄関前で配布し、右ビラにより、「空港包囲・占拠闘争をはじめとする開港阻止決戦は勝利した!」「4・24三里塚空港を廃港へ!開港阻止決戦勝利全関西集会」として、同月二四日一八時に部落解放センターへ集まれと公社職員等に呼びかけ、

<2> 同月中旬ころには、「百姓を無視して絶対に解決しない」と題するビラを戎電電ビル正面玄関前で配布し、

<3> 同年五月上旬、「三里塚闘争弾圧粉砕!苅谷稔君を救援しよう!」と題するビラを戎電電ビルの正面玄関前で配布し、右ビラにより、三・二六闘争を勝利の評価をもって宣伝し、

<4> 同月一五日午前八時ころから被上告人新井利諦をはじめゼッケンを着用した五、六〇名の者とともに成田開港阻止及び苅谷の処分撤回を求めて岸貝局へ押かけ、アジ演説、構内デモ等を行い、

<5> 「三里塚反弾圧闘争の呼びかけ」にも呼びかけ人として名前を連ね、右ビラにより、三里塚闘争勝利・成田二〇六五電通救援会議への加入を呼びかけ、

<6> 同月一八日の早朝には、「「5・20三里塚出直し開港」を打ち砕こう!」と題するビラを戎電話局職員加藤清とともに戎電電ビルの正面玄関前で配布し、右ビラにより、三里塚現地闘争に参加する者についてはバスで三里塚へ行くので、集合場所を大阪市立労働会館前とする旨参加の手段・方法を明確にし、自ら開港実力阻止闘争へ参加する意図を表明して、右闘争への参加をあおった。

被上告人山川正広は、

三・二六闘争及び五・二〇闘争に関するビラを公社内あるいはその近辺で二、三回にわたって配布するとともに、現地闘争にも数回にわたり参加した。

右のように、被上告人が、いずれも、三・二六闘争における過激派の暴力的破壊活動を称賛し、五・二〇闘争への参加を呼びかけるとともに、自らもこれに参加する気勢を示していたものであり、公社が本件各年休の利用目的について疑念を抱き、これを問いただしたにもかかわらず、被上告人らはこれに応答しようとせず反抗的な態度に終始していたことは証拠上まことに明白である。

右のような客観的諸事実と本件各年休の指定日の時期とを併せ考えるならば、被上告人らが成田空港反対闘争に参加する意図をもって本件年休権の行使をしたことは十分にこれを肯認し得るのであって、これに反する原判決の認定が採証法則及び経験則に違背することは明らかである。

そして、本件年休権の行使が、右に述べたように、成田空港反対闘争に参加する意図をもってなされたものである以上、右年休権の行使は権利の濫用として無効と解すべきものであるから、右採証法則及び経験則違背が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

なお、原判決は、「原告らが、現実に、右成田空港の開港に反対するための現地闘争に参加して、反社会的な行為を行なったことを認め得る的確な証拠もない。」(原判決の引用する一審判決六九丁表六行目から八行目まで)と判示しているが、年休権の行使が右のように反社会的な意図をもってなされたものである以上、それは、行使の時点において既に権利濫用との評価を受けるのであって、現実に反社会的な行為が行われたか否かは事後における一つの事情にすぎないものである。

第三 本件年休権の行使が権利濫用に当たることについて

原判決は、成田空港反対闘争及びこれに対する当局側の姿勢について、

「(1)我が国の政府は、かねてから成田空港(新東京国際空港)の建設を進め、昭和五三年三月にはその第一期工事が完成し、同月三〇日にその開港をすることになったところ、右成田空港の建設に反対する過激派を含む反対派により、同年三月二六日、千葉県成田市三里塚の現地において、開港を阻止するための激しい反対闘争が行なわれ、管制塔の設備等が破壊されたため、右三月三〇日の開港は延期されたこと、(2)そして、右反対闘争においては、警備に当っていた多数の警察官に対し、火炎びんや石塊を投げつけ、鉄パイプで殴ぐりかかる等の反社会的な行為が行なわれ、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、凶器準備集合罪、公務執行妨害罪、傷害等の各罪により、多数の者が逮捕されたところ、右逮捕者のなかには、被告公社の職員も五名含まれており、社会から批判を受けたこと、(3)右成田空港は、その後修復の上、昭和五三年五月二〇日に開港されることとなったが、右五月二〇日の開港についても、過激派を含む反対派により、開港を阻止するための激しい反対闘争が計画されていたこと、(4)そこで、被告公社の近畿電気通信局では、内閣官房長官や被告公社の副総裁の通達や指示に基づき、管内の被告公社の職員が、右成田空港の開港に反対する現地闘争に参加することのないようにするため、服務規律の厳正化をはかり、五月二〇日前後の年休の時季指定については、厳しくこれを規制することとし、その旨管内電報電話局等に指示したこと、」(原判決の引用する一審判決六七丁裏一〇行目から六八丁裏一二行目まで)と認定した上で、「原告らが当時成田空港の開港に反対する現地闘争に参加する虞れがあったとか、被告主張の被告公社職員の特質等を考慮してみても、原告らの本件各年休の時季指定は、労基法上原告らに与えられた正当な権利行為というべきであって、権利の濫用とは到底認め難く、他に右権利濫用の事実を認め得る証拠はないから、右時季指定が権利の濫用であるとの被告の主張は失当である。」(原判決の引用する一審判決七一丁表六行目から一三行目まで)と判示している。

しかしながら、原判決の右判断は労基法三九条三項、民法一条二項、三項の解釈、適用を誤ったものである。以下に、その理由を述べる。

一 成田空港の開港に反対する三・二六闘争が国民の厳しい批判を受けたことは原判決も認めているところであるが、それは、国内のみならず国際的にも大きな不安を与え、我が国の国際的信用を大きく失墜させるものであった。

一方、三・二六闘争に参加して逮捕された者の中には、原判決も認定しているように、多数の公社職員、公務員等が含まれていたことから、公社の信用は大きく失墜した。

このことについては、昭和五三年四月五日、衆議院逓信委員会において、公社の総裁等が喚問され、公社の服務管理等について厳しい指摘を受けることとなったが、さらに、国会では、同年四月六日、衆議院において、「去る三月二十六日の成田新東京国際空港における過激派集団の空港諸施設に対する破壊行動は、明らかに法治国家への挑戦であり、平和と民主主義の名において許し得ざる暴挙である。よって政府は、毅然たる態度をもって事態の収拾に当たり、再びかかる不詳事を引き起こさざるよう暴力排除に断固たる措置をとるとともに、(中略)新空港の平穏と安全を確保し、わが国内外の信用回復のため万全の諸施策を強力に推進すべきである。」との全会一致の決議がなされ、また同月一〇日には参議院においても、同趣旨の決議が行われたところである。

一方、成田空港開港に反対する過激派集団は、原判決も認定しているように、三・二六闘闘(ママ)争以後においても成田空港開港阻止を標ぼうして、連日のごとく全国各地で激しいゲリラ活動を繰り返し、五月二〇日の成田空港開港を再び暴力をもって阻止しようとしていた。

二 被上告人らの本件年休権の行使は、右のような情勢の下において行われたものであるが、前記第二において述べたような被上告人らの行動に照らすならば、公社において、被上告人らが成田空港反対闘争に参加する意図をもって本件年休権の行使をしたと判断したことは極めて自然のことといわなければならない。そして、前述したような三・二六闘争の経緯及びこれに対する政府の方針並びに公社が社会的信用を維持し、業務の正常な運営を確保すべき公共的性格を有していることにかんがみるならば、公社が被上告人らに対して、かかる状況の下における年休の利用目的を問いただし、被上告人らが成田空港反対闘争に参加する意図を明らかにした場合には、これを制止して本来の職務に専念すべきことを命じようとしたことは至極当然のことである(被上告人らが成田空港反対闘争に参加する意図をもって年休権を行使した場合には、既述のように、右年休権の行使は権利の濫用として無効となるのであるが、被上告人らはその年休指定日に出勤しないことが予想されるので、公社としては、年休の利用目的を問いただし、年休権の行使が無効であることを告げ、就労の職務命令を発して業務の正常な運営を確保する必要がある。)

この点について、原判決は、「原告らが本件各年休をどのように使用するかは、原告らの全く自由に委ねられているのであって、被告がその利用について干渉をすることは許されず、いわんや原告らにその利用目的を問い質し、右利用目的の如何によって、承認を与えるというような関係にはない(中略)。もし被告において、原告らが、本件各年休を利用し、成田空港の開港に反対する現地闘争に参加して反社会的な行(ママ)なう虞れがあると判断したならば、被告としては、原告らに反社会的な行為を行なわないように説得に努めるべきであり、かつ、それが被告のなし得る限度であって、(中略)仮に、原告らが、右被告の説得に従わず、その取得した年休を利用して反社会的な行為を行なったならば、その時にはじめて右反社会的な行為を行なったことを理由に、懲戒処分をなし得ることがあるに過ぎないというべきである。」(原判決の引用する一審判決七〇丁表七行目から七一丁表五行目まで)と判示しているが、このような考え方は、本件における前記具体的事情の下において、公社が要請されていた社会的責任を誤認するものである。

三 ところで、被上告人らは、公社の真しな説得にもかかわらず、本件年休の利用目的について何らの釈明をするところもなく、いたずらに反抗的な態度を示し、他方、前記第二において述べたように、五・二〇闘争への参加をあおる内容のビラを配付し、成田空港反対闘争へ参加しようとする気勢を示していたものであって、被上告人らの本件年休権の行使は、当時の社会的状況及び同人らに課せられている公社職員として誠実配慮義務に照らし、その行使の態様、方法において著しく信義則に反するものである。そうすれば、本件年休権の行使は、被上告人らにおいて現実に反社会的な行為をする意図があったか否かにかかわらず、この点においても権利の濫用というべきものである。

しかるに、原判決は、右に述べたような事情の下においても、被上告人らの本件年休権の行使は権利の濫用に当たらないとしたものであって、原判決は、この点においても労基法三九条三項、民法一条二項、三項の解釈、適用を誤っている。

以上のとおり、原判決には労基法三九条一項ないし三項及び民法一条二項、三項の解釈、適用の誤り並びに採証法則違背、経験則違背の違法があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであって、原判決は破棄されるべきものである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例