最高裁判所第一小法廷 昭和60年(行ツ)87号 1986年5月29日
上告人
株式会社東洋シート
右代表者代表取締役
山口清蔵
右訴訟代理人弁護士
成富安信
青木俊文
中町誠
被上告人
中央労働委員会
右代表者会長
石川吉右衞門
右補助参加人
日本労働組合総評議会全国金属労働組合
右代表者中央執行委員長
橋村良夫
右訴訟代理人弁護士
嶋田喜久雄
鴨田哲郎
筒井信隆
右当事者間の東京高等裁判所昭和五八年(行コ)第八四号不当労働行為救済命令取消請求事件について、同裁判所が昭和五九年一一月二八日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人成富安信、同青木俊文の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、又は原判決を正解せず若しくは独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高島益郎 裁判官 谷口正孝 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫)
上告代理人の上告理由
東京高等裁判所第一一民事部が昭和五九年一一月二八日言渡にかかる本件控訴審判決(以下、原判決という)は、上告人の控訴を棄却し、その理由は、次に付加するほか、原判決がその理由において説示するとおりであるとして、第一審判決の理由(以下、一審理由という)をそっくり引用し、更に原審で新たな理由(以下、新理由という)を付加している。しかし、右の両理由にはそれぞれに、以下に詳記するような誤謬を含み、その影響が原判決の結果に及ぶこと明らかなものであるから、いずれにせよ原判決は破棄を免れないものである。
第一点
原判決には上告人主張を正しく把握せず、その結果、判断遺脱、理由不備の違法がある。原判決は、「労働組合が使用者に対して団体交渉を申し入れるに当たっては、その使用者が雇用する労働者中に当該組合の組合員が存在することを、その使用者に了知させる措置を必要とする場合があるが、その場合にも、組合員の氏名等を明らかにすれば足り、その組合員が、いつ、いかなる経緯で当該組合員になったかを明らかにし、使用者にその点を納得させるまでの必要はない。」といい、本件団交申入れに先立ち、「一色らが全金東洋シート支部を代表する者である旨を控訴人に通知し、一色らにおいても、脱退決議の効力を争い、補助参加人の組合員であると主張し行動していたのである」ことを根拠に、「いつ、どのようにして右一色らが補助参加人の組合員になったかが、控訴人の見解との関係で明らかでないことを理由として、控訴人が本件団交を拒否することは許されない」と断じている。そして、「脱退決議の引さらい効の有無等につき判断するまでもなく」として、本件控訴を棄却した(これが新理由の要旨である)。
然しながら、本件で上告人は右判示のような「いつ、どのようにして右一色らが補助参加人の組合員になったかが、控訴人の見解との関係で明らかでないこと」を理由として本件団交を拒否したこともないし、又本件で右のような理由を主張した事実もない。上告人が主張しているのは、右判示のような主観的な理由(会社に明らかでないか、通知がないか等)ではなく、客観的に団交申入れ労働組合への加入の事実が有るかないかであって、その事は(原判決理由第二の項1・2記載にも現れており)原判決が引用する第一審判決理由に「原告は…一色ら一一名がその構成員であると主張する全金東洋シート支部という労働組合は存在しないから、補助参加人は団体交渉の当事者である資格を欠くと主張する」と明記されている。そのため第一審判決は「本件においては、補助参加人が原告の雇用する労働者の代表者であるか否か、すなわち、原告の従業員の中に補助参加人に加入する組合員が存在するか否かということが問題となる」とそうした客観的事実が争点であることを正しく把握している。原判決は(あるいは匿名労働組合の団交申入れに対する拒否事件と混同・誤解したものか)、前記のように、存在しない上告人主張を対象に判示し、存在する上告人の主張に対しては控訴審としての判断を遺脱し、理由不備の違法がある。
第二点
原判決は組合員としての加入の有無を認めるに当り、論理則及び社団の法理を無視する誤を犯している。
原判決がそっくり引用する第一審判決は、(第一点に前記したように)本件における上告人の主張と、本件での争点は正確に把握しているが、右争点についての判断としては、
「原告の従業員で組織され、補助参加人に加入する全金東洋シート支部が、その臨時大会において補助参加人から脱退することを多数決で決議したこと」「右脱退決議に反対する一色らは、全金東洋シート支部は右脱退決議の前後を通じて存続し、同人らは依然として補助参加人に属する全金東洋シート支部の組合員であると主張し、兵庫地本及び補助参加人も一色らの主張を支持し同人らを補助参加人の組合員として取り扱うとともに、原告にその旨を通知していること」及び「全金東洋シート支部を名乗る団体は、少なくとも一一人の構成員を有し、一色を執行委員長とするほか執行機関を有しており、東洋シート労働組合とは別個の存在であること」という事実認定の下に「一色を執行委員長とし、全金東洋シート支部を名乗る団体は、それが、従前の全金東洋シート支部との同一性を有するか否かはともかくとして、独立の労働組合としての実体を有し、かつ、その構成員が補助参加人に加入していると認めることができる」「そうであるとすれば、原告の従業員の中に補助参加人に加入する組合員が存在することになるから、補助参加人は、団体交渉の当事者となる資格を有する」と判断して上告人の団交拒否を不当とするのである。(一審理由)
然しながら、右の判断は社団(労働組合)の加入・脱退に関する法理に違背するばかりでなく、論理の飛躍があって(論理則違反)到底適法な判断、理由と認めることのできないものである。
一(一) まず右判示は「従前の全金東洋シート支部との同一性を有するか否か」を判断せず、その結果に拘りなく補助参加人組合への加入ありと認めた。然しながら、もし従前の支部と同一性を有する場合であれば(従前から補助参加人の構成員であったから)加入ありといえようが、従前に補助参加人組合に加入していた前記の「全金東洋シート支部」が、支部という労働組合として、そっくり補助参加人から脱退した事実(三項2、四項2)を第一審判決は認めている。そうなればいわゆる支部の右脱退決議に反対する一色ら一一名の支部構成員も「引さらい効」により、補助参加人との関係が切断されるのであって、それらの者が(たとえ別個の社団=労働組合を作ったとしても)補助参加人へ引続いて残留することは法律上起りえないことであるから、本件ではありえない。
(二)(1) 一審理由は、旧全金東洋シート支部が補助参加人に加入した段階について、東洋シート労働組合は「昭和三七、八年ころ組合大会での決議により補助参加人に加入し」「このことにより、従前の東洋シート労働組合に属していた組合員は補助参加人の組合員となった」と認め、補助参加人への加入手続として団体加入(組合としての加入)のみ存し、構成員個人は右団体加入手続によって、当然に補助参加人組合員となったこと(支部を介してと二重の組合員資格?)を認定する。
そのため、一審判決は、(右二重資格の認定からしてか)旧全金東洋シート支部が、支部組合の決議により補助参加人から団体として脱退したとしても、一色ら一一名の反対者は尚引続いて(個人としての組合員資格により?)補助参加人の構成組合員であると解するように思える。
然しながらこれは社団(組合)の加入・脱退に関する法理、とりわけいわゆる「引さらい効」を無視するものである。
(2) 一般に、労働組合が上部団体等に加入している下で、その上部団体から組合として団体脱退を行った場合、その組合の構成員個々人は、たとえ右脱退に反対であろうと否とにかかわりなく、当然に脱退の効果をうけ、上部団体と離脱するのが「引さらい効」である。およそ社団が決議機関の意思決定に基づき、執行機関が執行した行為の効果がその社団の構成員全員に当然及ぶことは、社団の法理上、自明の理であり、これなくして社団性はありえない。従って「引さらい効」というも、実は自明の理にほかならないのである。
(3) 一審理由は、補助参加が「単一組織の場合」であることを理由に、団体加入の場合といえども、各個人は(前記のように)個人としても二重に組合員資格を得るように認定する。仮にそのことが一般的には認められるとしても、本件の場合、各組合員個人がもつ補助参加人への組合員資格は、(別個に個人として加入手続をとったなどという事実は一審・原審の認めないところであるから)、一個の団体加入手続を介して取得したものであるに他ならず、その(個人資格の)根源となる団体加入が、団体脱退手続の実施により消滅に帰したときは同時に団体脱退の当然の効果として、消滅することはあまりに当然の理であって、これを第一審判決のように団体脱退後も個人資格のみ残るなどと解し得ないのは多言を要しない。
二(一) 又、もし一色ら一一人の組合(又は組合員)が従前の支部と同一性を有しない場合であれば、従前の支部の団体脱退以後に、別個に補助参加人組合に対し新たな加入手続をとるのでなければ、補助参加人に加入していると認めることは、いかなる理を以てしても不可能であるが、そのような新規の加入手続をとった事実は、一審・原審の認めていないところである。そうなれば右一一人の者が補助参加人に加入しているとは到底認めるに由ない。
(二) 一審理由では右の点につき、一色ら一一名が(別個の社団としての存在を有すると認めるのと併せて)「依然として補助参加人に属する全金東洋シート支部の組合員であると主張し、兵庫地本及び補助参加人も一色らの主張を支持し同人らを補助参加人の組合員として取り扱うとともに、原告にその旨を通知している」という理由を以て補助参加人組合への加入が継続していると解するものの如くにも見えるが、ある特定の労働組合の構成組合員であるかないかという事は、客観的事実として組合に加入したと認められる丈の行為・事実があるかないかの問題であって、当事者(その特定組合や、構成員と主張する者)が、組合員であると「主張」するとか組合員として「取扱う」ということによって、存在しなかった組合員たる地位を取得し得るものでないのは勿論である。
要するに、判決が「支部との同一性を有するか否か」を問わずに加入組合員であると認めたこと、及び組合員資格を認めたこと自体、いずれも論理則、社団法理に反する重大な誤である。
第三点
原判決は論理則に違背し、且理由不備の違法あるを免れない。
一(一) 原判決が全面的に引用する第一審判決は、原判決と同様、(第二点に前記した)引さらい効についての判示を避け、支部組合の脱退「決議に反対した者も右組合から脱退したこととなるのか否かは、右組合の団体としての性格、加入及び脱退に関する手続の定め、右脱退決議の趣旨等諸般の事情を考慮して決すべき困難な問題であるが、本件の解決のためには、必ずしもこの問題につき結論を出す必要はない」といい、補助参加人が原告との団体交渉の当事者としての資格を有するか否かは、原告の従業員の中に補助参加人に加入する組合員が存在するか否かによって決定されるからであると、当然の理をのべた上、突然「原告の従業員の中に補助参加人に加入する組合員が存在すると認められる以上」、その余の点は「問うところではない」と判示する。
然しながら、本件での争点が右判示のように「従業員の中に補助参加人に加入する組合員が存在するか否か」にかかっているところへ、突如として「加入する組合員が存在すると認められる」というのでは、答を以て答える循環論法に他ならず、論理則に従った合理的理由の説明となっていない。
(二) 一審理由が(このように独断的に)従業員中に「補助参加人に加入する組合員が存在すると認められる」と断定して判断を回避しているが、本来、右のような加入組合員が存在すると認められるか否かの判断を、正しく社団法理及び論理則に従って行なうためには、一審及び原審判決が判断を回避した「その組合員が脱退決議の前後を通じて終始補助参加人の組合員であったのか、それともその組合員が脱退決議の効力を受けて一たん補助参加人から脱退したこととなり、その後再び補助参加人の組合員に復帰したのか、また、右の組合員らが組織する団体が従前の全金東洋シート支部と同一性を有するか否か」の判断こそはまさに必要不可欠の論理的前提となるものである。
(三) 原判決は(第二点に前記したように)、団体加入手続により二重に(組合員個人としても)補助参加人の組合員資格を取得するものと認めるものの如くであるが、そのように(別個の加入手続がなく一個の団体加入手続による当然効果として)個人としても有する(と仮定する)組合員資格が、団体脱退手続の引さらい効によって消滅するか否かは、一審理由が判断を回避した前記「引さらい効」に関する「困難な問題」を、いずれかに判断しそれを判示するのでなければ、先決問題ぬきで到底結論を導き得ないものであること当然である。その場合、仮に一審が、引さらい効によっては、一一人の補助参加人組合員資格が消滅しないと解するとしても、右の判断の根拠論理を判示しないままでは、いずれにせよ理由不備の違法を免れない。
二 一審理由は更に進んで「仮に原告主張のように脱退決議の効力が一色ら脱退に反対する者に及ぶことがあり得ると解するとしても、前記認定のように、その後同人らにおいて脱退決議の効力を争い、依然として補助参加人の組合員であると主張して行動し、補助参加人においてもこれを認めているという事実が存在することからすれば、」一色らは補助参加人の組合員であると認めるに何らの支障はないとも判示し、組合員資格の存在を強調する。然しながら(前にも記したが)、ある特定組合の構成員資格の有無を客観的に決するためには、加入脱退手続の効力(一般的及び当該組合に於て)とその実施行為の有無の判断にかかっているのであって、その判断を回避したまま、組合員自身が(所属していた組合の)決議の効力を争い、依然として組合員であると主張し行動するとか、補助参加人が認める態度を示すとかといった、当事者の主観的な言動態度をあげつらっても、何ら合理的、客観的な理由づけとなり得るものではない。
以上