最高裁判所第一小法廷 昭和57(あ)1856 判決
主 文
原判決及び第一審判決を破棄する。
被告人を禁錮八月に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
理 由
弁護人菅田文明の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇
五条の上告理由にあたらない。
しかし、所論にかんがみ、職権によつて調査すると、原判決及び第一審判決は、
次の理由により破棄を免れない。
一 本件第一審判決は、被告人が昭和五七年五月六日午後三時二七分ころ、業務
として普通貨物自動車を運転して、東京都大田区ab丁目c番d号先道路(以下、
「本件道路」という。)を後退するにあたり、「同所は幅員約三・二七メートルの
狭隘な道路であつたから、最徐行の上、自車後方の歩行者の有無に注意し、その安
全を確認しながら後退進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右後方
に立てかけられていた梯子との接触をおそれてこれのみを注視し、自車後方の歩行
者の有無に注意しないまま漫然時速約一〇キロメートルで後退進行した過失」によ
り、おりから自車後方を対面歩行してきたA(当時九〇年)に気づかず、同人に自
車後部を衝突させて同人を転倒させたうえ、自車左後輪で轢過し、よつて、同人に
頭蓋内損傷の傷害を負わせ、同日、同人を同傷害により死亡するに至らせた旨、公
訴事実と同一の事実を認定したうえ、被告人を禁錮八月の実刑に処した。原審にお
いて、弁護人は、事故の態様その他被告人に有利な情状を指摘して、第一審判決の
量刑不当を主張したが、原判決は、「道幅の狭い道路において、貨物自動車を運転
して後退するに際し、後方の歩行者の有無を十分に確認すべきであり、バツクミラ
ーやルームミラーなどによればその確認をすることが容易に可能であつたのにかか
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わらず、右後方に立てかけられていた梯子にだけ気をとられ、後方の歩行者の有無
を確認しないまま後退進行したため」本件事故に至つたものであり、「被告人の過
失は甚だ重大であり、生じた結果も極めて大きい」から、所論が指摘するような被
告人に有利な諸般の情状を総合考慮しても、第一審判決の量刑はやむをえないもの
というべきであり、重すぎて不当であるとは考えられないとして、弁護人の主張を
排斥した。原判決が指摘する「本件事故によつて生じた結果が極めて大きいことは、
異論のないところと思われる。
二 そこで、本件における被告人の過失の程度について検討してみるのに、原判
決は、前掲のように、バツクミラー(サイドミラーを指すものと解される。)やル
ームミラーなどによれば後方の歩行者の有無を確認することが容易に可能であつた
のに被告人はこれを怠つたとして、被告人の本件過失の程度は重大であつたとして
いる。しかし、昭和五七年五月七日付実況見分調書添付図面第二によれば、左サイ
ドミラーによつては、被告人車の左側後方を確認することはできても真後ろ方向を
見通すことはできないことが明らかであり、現に、被告人は、左サイドミラーを見
たが、被害者を発見するに至らなかつた。また、ルームミラーによる真後ろ方向の
確認の難易をみるに、前掲実況見分調書添付図面によると、被告人車後部荷台の高
さは、一三五センチメートルであり、運転席から二〇・八〇メートル後方の地点ま
では、運転席からの距離が縮まるに従つて増大する死角部が存することが認められ
る。一方、死体検案調書によれば、被害者の身長は一四〇センチメートルと認めら
れるが、少し腰が曲つていたというのであるから、歩行時の身長はこれよりさらに
低くなると考えられる。従つて、被害者と被告人車との距離によつては、ルーム、
ミラーによる視認が必ずしも容易といえない場合も相当程度ありうるものと考えら
れる(なお、被害者の事故直前の動静は、証拠上全く不明である。)。
更に、本件記録によれば、被告人は、丁字型交差点から本件道路に進入するにあ
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たり、一旦、本件道路の前を通り過ぎて停止した後、後退を開始し、本件道路に進
入したものであるが、右通過の際、本件道路に歩行者がいないことを確認している
こと(記録一冊二〇丁の六七丁裏、二一丁の六丁。なお、本件衝突地点は、右交差
点から約一五メートル進入した地点である。)、被告人は、本件道路に進入後は、
左後方を左のサイドミラーで見たのち、運転席の右窓から顔を出して右後方の路上
に立てかけられていた梯子と接触しないように注意しながら後退したこと、被告人
車は、後退する際、バツクブザーが鳴り、歩行者に対する警告を与える構造となつ
ていること、が認められる。すなわち、被告人は、後退するにあたり、その進行方
向の安全に全く無関心というわけではなく、ある程度の注意を用いたことは否定す
ることができないのである。
してみると、本件における被告人の過失の程度を、原判決がいうように甚だ重大
であるとまで断定し、これを量刑上、決定的に重視することは不当であるとのそし
りを免れない。
三 加えて、本件については、原判決も挙示するとおり、「被告人には道路交通
法違反による罰金の前科が一犯あるだけであること、被害者の遺族との間で示談が
成立しており、右遺族においては被告人に対する厳罰を望んでいないこと、本件に
より被告人の運転免許が取消されたこと、その他被告人の年齢、性格など」という
被告人に有利に斟酌すべき情状が存するばかりでなく、更に、この種自動車の後退
に伴う業務上過失致死傷事件に対する量刑一般の趨勢などをも併せ考えると、本件
は刑の執行を猶予して然るべき事案と認められる。従つて、被告人を禁鋼八月の実
刑に処した第一審判決及びこれを維持した原判決の量刑は甚しく重きに過ぎ、これ
を破棄しなければ著しく正義に反するものといわなければならない。
よつて、刑訴法四一一条二号により原判決及び第一審判決を破棄し、同法四一三
条但書により被告事件について更に判決することとし、第一審判決が認定した事実
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に法令を適用すると、被告人の所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一
項一号に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人
を禁錮八月に処し、刑法二五条一項を適用して本裁判確定の日から三年間右刑の執
行を猶予することとし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
検察官宮城賢一 公判出席
昭和五八年九月二九日
最高裁判所第一小法廷
裁判長裁判官 団 藤 重 光
裁判官 藤 崎 萬 里
裁判官 中 村 治 朗
裁判官 谷 口 正 孝
裁判官 和 田 誠 一
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