最高裁判所第三小法廷 平成元年(オ)1006号 判決 1993年3月30日
上告人
株式会社エルム
右代表者代表取締役
堀恵一
右訴訟代理人弁護士
神谷光弘
被上告人
早水司
同
酒井俊明
同
佐野市郎
同
早水由美子
右四名訴訟代理人弁護士
野崎研二
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人菅野孝久、同神谷光弘の上告理由第一点について
上告人が資本の額一〇〇〇万円の株式会社であって、その代表取締役に堀恵一が就任している旨の登記がされていることは、原審の適法に確定したところであり、また、本訴において、被上告人らのうち早水司、酒井俊明及び佐野市郎の三名は、いずれも自己が上告人の取締役の地位にあると主張して、その旨の地位確認と堀を取締役に選任する旨の上告人の株主総会の決議が存在しないことの確認等を求めたところ、これに対し、堀は上告人の代表取締役として応訴し、右三名が上告人の取締役であることを争ったことは、記録上明らかである。
ところで、株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(以下「商法特例法」という。)二四条一項は、資本の額が一億円以下の株式会社(以下「会社」という。)が取締役に対し、又は取締役が会社に対して訴えを提起する場合には、その訴えについては、取締役会が定める者が会社を代表する旨規定しているところ、所論は、右三名が提起した訴えについても、右規定により上告人の取締役会が定めた者が上告人を代表して応訴すべきであったもので、右訴えに関する訴状の送達から原判決の言渡しに至るまでのすべての手続は無効であるというのである。
しかしながら、商法特例法二四条一項が会社と取締役との間の訴訟について会社の代表取締役の代表権を否定したのは、代表取締役は、本来会社の利益を図るために会社を代表して訴訟を追行すべきところ、訴訟の相手方が同僚の取締役である場合には、会社の利益よりもその取締役の利益を優先させ、いわゆるなれ合い訴訟により会社の利益を害するおそれがあることから、これを防止する趣旨によるものと解される。そうすると、会社を代表する代表取締役において当該訴訟の相手方を取締役と認めていないときは、右の意味におけるなれ合いのおそれはないことが明らかであるから、会社を代表する代表取締役において取締役と認めていない者は、同項にいう取締役に当たらないものと解するのが相当である。したがって、上告人の代表取締役として応訴した堀において右被上告人三名が上告人の取締役であることを争っている本件にあっては、右三名は同項にいう取締役に当たらず、右三名が提起した訴えについては同項は適用されないといわなければならない。原審のこの点に関する判断には、措辞適切を欠く部分があるが、その結論は正当として是認し得る。論旨は採用することができない。
同第二点について
原審の適法に確定したところによると、上告人の全株式二万株を保有していた堀は、このうち一万二〇〇〇株を被上告人早水司に、三〇〇〇株を同佐野に譲渡したが、右各譲渡については、上告人の定款所定の取締役会の承認はなかったというのである。
ところで、商法二〇四条一項ただし書が、株式の譲渡につき定款をもって取締役会の承認を要する旨を定めることを妨げないと規定している趣旨は、専ら会社にとって好ましくない者が株主となることを防止し、もって譲渡人以外の株主の利益を保護することにあると解される(最高裁昭和四七年(オ)第九一号同四八年六月一五日第二小法廷判決・民集二七巻六号七〇〇頁参照)から、本件のようないわゆる一人会社の株主がその保有する株式を他に譲渡した場合には、定款所定の取締役会の承認がなくとも、その譲渡は、会社に対する関係においても有効と解するのが相当である。
原判決にはその説示において必ずしも適切でないところであるが、前示の各株式譲渡は上告人に対する関係においても有効とした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、採用することができない。
その余の上告理由について
論旨は、原審の裁量に属する審理上の措置の不当をいうか、又は原審の判断と関係のない事項を挙げて原判決の不当をいうものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎 裁判官可部恒雄)
上告代理人菅野孝久、同神谷光弘の上告理由
第一点 原審判決は、株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(以下「商法特例法」という。)二四条一項の解釈を誤ったため、民訴法三九五条一項四号に該当し、かつ、商法特例法二四条一項を本件に適用しなかった点において判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるので、民訴法三九四条に該当する。
一 上告人は、原審判決が確定した如く、資本金一〇〇〇万円の株式会社であり、被上告人早水司、同佐野市郎及び同酒井俊明はいずれも上告人の取締役であると主張して本訴を提起し、そのうえ、一審及び原審判決によって取締役であると認められた者であるから、商法特例法二四条一項により、本訴においては、上告人の取締役会が定める者が上告人を代表する権限をもつのである。ところが、原審判決の確定したとおり、上告人の取締役会が、明示的にも黙示的にも、「堀恵一」を本訴について上告人を代表する者に定めたことはない。従って、「堀恵一」は、本訴のうち前記被上告人らからの訴について訴状の送達を受ける権限がなく、同人に対する本件訴状の送達は無効であり、第一審の東京地方裁判所は、第一回口頭弁論期日を開くこともできなかったのであり、本訴のうち前記被上告人らにかかわる部分については原審判決の言渡しに至るすべての手続が違法かつ無効なのである。
二 この点について原審判決は、訴外「堀恵一」が本件訴訟について上告人を代表する権限があると判示しているが、その理由には趣旨不明の部分が多い。しかし、次の四点がその理由となっていることは明らかである(原審判決八丁裏八行目から九丁表一行目まで)。
1 「堀恵一」が上告人の全株式を所有する一人会社であるというのが上告人の本件における主張の前提であること。
2 上告人の取締役会は、その設立時を除いて現実には開催されたことがないこと。
3 商法特例法二四条二項の存在
4 馴合訴訟の防止という同条の立法趣旨
そして、右のうち「1」については、次の点に留意すべきである。
すなわち、上告人は本件において「堀恵一」が上告人の全株式を所有することを明確に主張しているが、それが上告人の主張そのものではなく本訴における上告人の主張の「前提」であるというのは、いかなる法律的意味を有するのか不明である。「前提」というのは、その上に立って別の主張をすることを意味するのが通常の用法だからである。
しかも、原審判決は、ここでは上告人の主張自体あるいはその「前提」を理由のひとつとして挙げているのであり、原審判決が確定した事実ではないことである。それは、あるいは、原審判決の確定したところによれば、本訴提起当時において上告人の株主は「堀恵一」一人ではなかったことから、このような表現をしたのかも知れないが、そもそも本訴において上告人を代表すべき者を決定するのに、株主の構成は全く関係のないことなのである。
また、「2」については、「1」と異なり原審判決が確定した事実であり、「1」と法律的な性質が全く異なることを理由として挙げていることに留意すべきである。すなわち、原審判決が理由として挙げる事項の法律上の性質が統一されていないので、理由の論理が統一されていないのである。しかも、これは、本訴において上告人を代表すべき者を決定するにあたり、上告人にとって有利な事実なのである。
三 原審判決の前記の箇所における文章の表現の仕方からみれば、「1」及び「2」が主要な理由であり、「4」は補助的な理由であることが明らかである。そして、「3」は(なお、同法同条二項参照)」として括弧の中に記載してあるので、通常の読み方をすれば補助的な理由となる筈である。
四 ところが「1」及び「2」だけでは、何故にこれらが前記の理由となるのか、全く不可解である。しかも、前記の如く「1」と「2」という全く法律上の性質が異なることを二つ挙げて右の理由とすること自体が論理的に一貫せず、誤りである。
そこで、「1」及び「2」に「3」を加えて読むと、上告人は、「堀恵一」が全株式を所有しており、一人株主である同人が上告人の代表者として本件訴状の送達を受けた時点あるいはその後の時点で、一人株主総会により「堀恵一」を本訴における上告人の代表者と定めたか、あるいは後述の如き原審判決の論理に従えば、これと「同視」し得る事実があったことを、原審判決が右の理由としているようにも読める。
しかし、もし、そうであるならば、原審判決の認定した事実によれば、本件の訴状が上告人に送達された当時において「堀恵一」は上告人の一人株主ではなかったのであるから、前記の一人株主総会による代表者の定め、あるいはこれと同視し得る事実はなかったことにならざるを得ない。そこで、これを避けるために、原審は、本訴提起当時において「堀恵一」が上告人の一人株主と主張(原審の表現によれば「主張の前提」)していた事実を挙げたのであろう。しかし、一方では上告人の主張またはその前提を、他方では原審判決の確定した事実を理由としたために、原審判決の理由のこの部分は論理的に破綻しているのである。
五 会社の代表権に限らず一般に法定代理人の存在は訴訟要件であり、法定代理権の欠如は絶対的上告理由(民訴法三九五条四号)のみならず再審事由(民訴法四二〇条三号)にもなる重大な事由であるから、受訴裁判所はこれにつき厳格な認定を行わなければならないし、法定代理権の根拠となる法律の解釈、適用も厳格に行わなければならない。従って、商法特例法二四条一項の存在にもかかわらず、本訴において、「堀恵一」が上告人を代表する権限をもつと判示するためには明確な理由を示さなければならないのに、通常の法律家が読んで正確な意味を理解し難い文章によって理由を説示するのは、理由に不備があるといえるのである。
六 次に、原審が補助的な理由として挙げている前記「4」について検討する。
1 商法特例法二四条一、二項の立法趣旨が馴合訴訟の防止にあることは明らかであり、法律の解釈にあたり立法趣旨を参照することは、一般的には許されることである。しかし、一旦法律が成立したならば、いかに立法趣旨を参照することが許されるとはいえ、法律はその文言通りに適用されなければならず、原審判決が認定した事実関係のような限定された場合とはいえ、法律の条文を無意味にする解釈をすることは、後述の如く解釈論の限度を超え、法律によらない裁判になるので許されない。裁判官が法律を無視できるのは、違憲立法審査権を行使するときだけである。
2 原審が前記「4」の理由としたところは、要するに商法特例法二四条一項は馴合訴訟の防止を目的とするのであり、本件においては馴合訴訟のおそれがないから同条項の適用はないということである。これは、一見立法趣旨に副う尤もな解釈に見える。しかし、もし、この解釈が正しければ、同じ理由で商法特例法二四条二項の適用もないことになるから、前記の如く原審判決が同法二四条二項を理由のひとつとして挙げたのは、矛盾していることになる。原審判決の論理に従えば、本件訴訟には馴合のおそれがないから、特例法二四条一項及び二項の適用はないといえば足りることであり、また、そういわざるを得ないのである。従って、前記「1」及び「2」の事項は理由とする必要すらないことである。一般に、ひとつの法律解釈に主要な理由を付し、これを支えるため補助的な理由を付すことは当然許されるが、前者と後者が矛盾していては、補助的な理由を付したことにならず、論理が混乱しているだけである。主要な理由が誤っている場合を仮定してこれと論理的に相入れない補助的な理由を付すことは許されるが、原審判決をそのように読むことは無理である。
3 原審判決のように商法特例法二四条一、二項を解釈するとすれば、同条に「但し馴合訴訟のおそれのない場合を除く。」という但書を入れることになる。このように明文化してみると、原審の解釈の誤りが一層明白になるであろう。その理由は、次のとおりである。
第一に馴合訴訟といっても現実に馴合の程度は様々であり、どの程度あるいはどのような事実があれば馴合訴訟と裁判所が認定すべきなのか、裁判所にも当事者にも分からない。すなわち馴合訴訟の客観的な要件が不明なのである。
第二に、馴合訴訟に該当するかどうかは、裁判所の事実認定に基づく評価にかかわる事項であるから、事実審の口頭弁論終結時を基準とする。しかし、取締役と会社間の訴訟で会社を代表する者は、訴提起時に確定していなければならないから、基準時が異なることにならざるを得ない。仮に、口頭弁論終結時の心証をもって訴提起時における馴合訴訟の有無を認定するとしても、裁判所の認定、しかも、一審と二審を考えれば二回の事実認定に基づく評価と当事者の事実認定に基づく評価とがくい違うことはいくらでもある。換言すれば、当事者には裁判所の事実認定に基づく評価を正確に予測する方法はなく、判決が言渡されるまでは分からないのである。誰が見ても馴合訴訟でないと思われる事案はあるが、それとても、程度の差の問題であり、裁判所の事実認定に基づく評価と当事者の事実認定に基づく評価とが一致する保障はあり得ない。
まして、訴訟の途中で当事者の意見や態度が二転、三転し、訴訟が馴合訴訟と非馴合訴訟の間を転々とすることもあり得る。そうすると、事実認定の基準時をいつにするにしろ、馴合訴訟の有無についての裁判所の認定は困難を極め、それだけ当事者にとってその予測は困難になるのである。当事者が裁判所の事実認定と評価を予測することについての困難性はどの事件にも存在することではあるが、訴訟の手続面に関係する事項については、でき得る限り避けなければならない。それは、当事者の地位を著しく不安定にし、長時間にわたって行われた訴訟手続を全く無意味にすることになりかねないからである。従って、馴合訴訟であるか否かによって商法特例法一、二項の適用の有無を定めるべきではないのである。そして、逆に、訴訟の実体が馴合訴訟であるか否かにかかわらず、画一的に同条項を適用すれば、以上に述べた諸問題は発生しない。商法特例法二四条一、二項が、馴合訴訟の防止を目的としながら、前記の如き但書を置かなかったのは、立法者が意識したか否かにかかわらず、賢明な立法技術であったのであり、このような但書があるように同条項を解釈するのは、かえって立法の趣旨に反するのである。
第三に、仮に、馴合訴訟であるか否かについての第一及び第二で述べた問題がなく、馴合訴訟の存否が誰の目にも明らかであるとしても、原審の如き商法特例法二四条一、二項の解釈はできないのである。すなわち、複数の取締役を原告とし、被告を会社とする一個の訴訟において、その一部の取締役と会社との間の訴訟が馴合訴訟であり、他の取締役と会社との間の訴訟が馴合訴訟でないときは、原審判決の論理に従えば、会社を代表すべき者が別々になる。もっとも、商法特例法二四条一項はかかる訴訟において会社を代表する者として取締役会の定め得る者の範囲を限定していないから、同じ代表取締役を右の代表者に定めることができると解釈すれば、この問題は避けられる。しかし、それでは商法特例法二四条一、二項は全く無意味になるから、かかる解釈が誤りであることは明らかであろう。そうすると、訴状を受理した裁判所は、馴合訴訟になる原告の事件と馴合訴訟にならない原告の事件を分離し、前者については会社を代表すべき者について補正命令を出す等の措置をとらなければならず、後者についてのみ口頭弁論期日を指定できることになる。このような結果を商法特例法二四条一、二項が予想していないことは明らかである。しかも、この場合、現実に馴合訴訟であるか否かは口頭弁論期日を開いて審理を進めてみなければ裁判所には分からないことであるから、馴合の有無によって商法特例法二四条一、二項の適用の有無を決めるのは、裁判所に不可能を強いることになるのである。
このように、同条項が馴合訴訟の防止を目的とするとはいえ、現実の個々の事件における馴合の有無という個別的・具体的事情を考慮に入れてその適用の有無を定めるべきではなく、条文の文言通りに形式的・画一的に適用しなければならないのである。
4 また、商法特例法二四条一、二項の機能にも限界があり、これにより常に必ず馴合訴訟が防げるものではない。取締役全員が馴合いであれば、取締役会が馴合訴訟をする者を会社を代表する者に定めると、同条項によっても馴合訴訟を防ぐことはできず、仮に裁判所がこの事実を知ったとしても馴合訴訟を防ぐためにとるべき法的手段はない。すなわち、このような場合においても同条項は形式的・画一的に適用される他はなく、馴合の有無という個別的具体的な事情を考慮に入れることはできないのである。
5 なお、取締役の登記の有無を基準として商法特例法二四条一、二項の適用の有無を定めるとの見解をとる裁判所があり、この見解によれば原審判決の結論は正しいことになる。この見解は、適用基準が明確であるが、理論的に誤った見解である。すなわち、登記は取締役の地位の公示方法に過ぎず、登記申請書類の形式さえ整っていればなされるものであり、取締役の地位の取得の有無とは直接関係がないからである。そして、もしこの見解が正しいのであれば、商法二四条一項の「取締役」はすべて「登記された取締役」と規定されていなければならず、立法者は容易にそのように立法することができたのにしなかったのである。また、この見解によれば、自ら取締役と主張し、会社もこれを認め、登記のみなされていない場合には、会社と取締役との間の訴訟において代表取締役が会社を代表することができるが、訴訟の係属中に登記がなされれば、会社を代表すべき者が変わることになる。訴訟の当事者を代表すべき者が誰かということは、前述の如く訴訟手続に重大な意味をもつものであり、公示方法に過ぎない登記にかかる重大な効力をもたせることができないことは明らかであろう。
七 以上に述べたところから、本訴において上告人を代表すべき者を「堀恵一」とした原審判決の前記「1」ないし「4」の理由がすべて理由にならないことが明らかになったと考える。しかし、一般に資本金一億円以下の株式会社の取締役が会社に対して訴えを提起する場合に被告の代表者として訴状に誰を記載し、裁判所は訴状を誰に送達すべきかとの問題を解決しておくことが原審の判断を批判するために必要である。何故なら、この点についての商法特例法二四条一、二項の規定には大きな欠陥があるにもかかわらず、昭和四九年及び昭和五六年の同法を含む商法改正の際にも全く問題にされなかったので、現行法下でこれに対処する方法がないのであれば、原審のこの点についての結論もやむを得ないと考えざるを得ないからである。
八 この規定は、会社から取締役に対して訴えを提起する場合には次に述べるような問題はないが、取締役から会社に対して訴えを提起する場合には、原告である取締役が被告となる会社を代表すべき者を取締役会に定めさせる強制力のある方法や手続を定めていないので、極めて困難な解釈問題を生じさせる。会社に対する訴えには、訴えの提起期間に比較的短い制限のあるものが少なくない(商法一〇五条一項、一八〇条三項、二四八条一項、二八〇条ノ一五第一項、四一六条一項等)。そして、株主総会の決議取消の訴えについての決議の日から三か月の期間は、訴え提起期間だけではなく、攻撃方法の提出期間でもある(最判昭和五一年一二月二四日民集三〇巻一一号一〇七六頁)。そうすると、原告となる取締役は、訴提起前に被告となるべき会社に対して訴を提起することを告げ、会社を代表すべき者を取締役会が定めることを請求しなければならない。しかし、この請求は何の強制力もなく、取締役会が会社を代表すべき者を定めずに放置しても、会社は何ら不利益を受けることはない。従って、会社がこれを放置するときは、被告となるべき会社の故意の不作為により、訴の提起期間、攻撃方法の提出期間が経過するという重大な不利益を、原告となるべき取締役が受けるという極めて不当な事態が発生する。これは、事実上、取締役の裁判を受ける憲法上の権利を剥奪するものであるから、絶対に回避しなければならない。しかし、商法特例法は、そのための手続を全く定めていないので、現行法の下では、会社が取締役の前記請求に対して、訴の提起期間に制限があるときはそれも考慮に入れた相当期間内に会社を代表すべき者を定めないときは、特別代理人の選任を求める他はない(東京高判昭和五三年一一月二八日判例時報九一九号九六頁、最判昭和四一年七月二八日民集二〇巻六号一二六五頁の趣旨参照)。
特別代理人の選任には、多くの困難がある。その候補者は通常弁護士であり、その承諾を得なければ、裁判所が特別代理人に選任することは法律上できないが、弁護士は、正当な理由がなければ、就任を拒むことが法律上できない(弁護士法二四条)。しかし、現実には、その候補者は会社の承諾を得なければ、特別代理人に選任されることを承諾しないのが通常である。会社の承諾を得ないで会社のために訴訟活動を行うことは事実上不可能であり、もし会社の意思を無視して特別代理人となって訴訟活動を行い敗訴すれば、その特別代理人は会社に対して損害賠償責任を負いかねないからである。そのため、特別代理人を選任するのには時間がかかり、また、その報酬も終局的な負担は別として、特別代理人の選任を求めた取締役が予納しなければならない。
このように、特別代理人の選任には多くの困難を伴う。しかし、そのうち法律上の困難は少なく、その他はすべて事実上の困難である。そして、特別代理人の選任の申立は被告となるべき会社の故意による責に帰すべき事由によってやむを得ずなされたものであり、それにより会社が利益を受けるべきではないから、特別代理人の選任に要した期間は、訴えの提起期間に算入しないか、あるいはそれに相当する期間だけ裁判所が訴えの提起期間を伸長できるとか(民訴法一五八条一項)、あるいは原告の訴訟行為を追完することができると解釈することが可能である(民訴法一五九条一項)。
九 そうすると、本件において取締役と主張し、かつ、原審が取締役であると確定した被上告人早水司、同佐野市郎及び同酒井俊明らは、前記の如き手続を行うべきであったにもかかわらず、上告人に対して会社を代表すべき者を取締役会が定めることの請求すらしなかったのである。従って、本件について一審の東京地方裁判所は、被告(上告人)の法定代理人の欠缺について原告ら(前記被上告人ら)に対して補正命令を出し、これを補正しないときは、本件訴状のうち右原告らに関する部分を却下すべきであったのである。そして、これを看過してなされた一審判決手続のうち右原告らに関する部分はすべて無効であるから、その控訴審である原審は、これを取消して差戻すべきであったのである。
一〇 なお、本件もそうであるが、原告または被告となるべき取締役の地位自体について争いがある場合、商法特例法二四条一、二項にいう「取締役」が何を意味するかは、同条がおそらくそういう事態を予想して立法されていないため、更に困難な解釈問題となる。最も簡単なのは、当該訴訟において、当事者の一方が取締役であることに当事者間で争いがない場合にのみ同条項の適用があるとすることである。すなわち、取締役の地位自体に争いがあるときは、馴合訴訟のおそれがないことから、同条の適用がないとするのである。この見解が正しければ、原審の結論は正しいことになる。取締役であることに争いがないかどうかは口頭弁論期日が開かれなければ分からないから取締役が原告となる場合、訴提起時において被告となる会社を代表すべき者を確定できないが、これは前述の登記を基準とする見解以外には常に伴う問題である。しかし、この見解は当初の口頭弁論期日で取締役であることに争いがなくても、後の口頭弁論期日において争いが生じたときに貫徹できない。また、現実の馴合訴訟またはそのおそれの有無を同条の適用にあたり考慮に入れるべきではないことは既に述べたとおりであるが、取締役の地位自体に争いがあるときに、一般的・類型的に馴合訴訟のおそれがないとはいえない。それは請求の内容によるからである。
一一 結局、取締役と会社との間の訴訟において会社を代表すべき者を定める基準は、当事者の主張によるか、時期に問題はあるものの、主張に基づく裁判所の認定による他はない。当代理人らは、原告の主張に基づくべきであると考えるが、本件においては被上告人早水司、同佐野市郎、同酒井俊明は上告人の取締役と主張し、一審判決においても原審判決においても取締役と認定されているのであるから、いずれにせよ本訴に商法特例法二四条一項の適用があることは明らかである。
そして、商法特例法二四条一項は、取締役たる資格において提起する訴えであると否とを問わず、およそ取締役が会社に対して提起する訴えのすべてについて適用されることも留意すべきことである(東高判昭五三年一一月二八日判例時報九一九号九六頁、東高判昭和五四年五月一六日高裁民集三二巻二号九七頁)。この意味においても、自ら上告人の取締役と主張し、一審及び原審判決において取締役と認定された前記被上告人らの上告人に対する本訴に、商法特例法二四条一項の適用があることは明らかなのである。
以上に述べたように、原審判決は、商法特例法二四条一項の解釈を誤ったために、民訴法三九五条一項四号に該当し、商法特例法二四条一項を本件訴訟に適用しなかった点において判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるので、民訴法三九四条に該当する。
第二点 原審判決は、商法二〇四条ノ二第一、二項、二三〇条ノ一〇、二六〇条の解釈を誤り、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、民訴法三九四条に該当する。
一 原審判決は、上告人の定款に、株式譲渡には取締役会の承認を要する旨の規定があること及び本件株式譲渡につき上告人の取締役会の明示の承認決議がなかった事実を確定している。そのうえで、本件株式の譲渡が行われた当時においては上告人が全株式を所有していたこと、上告人の昭和六〇年八月二四日の第五回定時株主総会に被上告人早水司及び同佐野市郎が株主として出席しその議決権の行使に対し他の株主から異議を述べた事実が認められないこと、この異議を述べなかった株主及び役員とは「堀恵一」一人であること、上告人の取締役のうち訴外細谷藤男と同和田正一郎は単に名義を貸しただけの名目的取締役であり右株主総会にも出席しておらず、上告人の取締役会は設立時を除き開催されたことがなかった事実を確定している。
そして、前記の定款の定めがある以上、本件においても株式の譲渡につき取締役会の承認が不要であるとはいえないと判示しているが(原審判決七丁裏六行目から九行目まで)、これは当然のことである。ところが、原審判決は右判示に続く部分で前記の諸事実から、株式の譲受人である被上告人早水司及び同佐野市郎が前記株主総会に出席して議決権の行使が認められたことにより、会社の最高決議機関である株主総会の承認があったと評価され、これにより取締役会の承認があったと同視されるべきであり、前記被上告人らは遅くとも前記株主総会の行われた昭和六〇年八月二四日には上告人の株主となったと判示している。
二 右判示は、次の点から誤りである。
1 一般論として、株主総会の開会から閉会までの間、会社との関係で株主の地位が変動することは法律上あり得ない。
(一) 定時または臨時株主総会においては、株主名簿の閉鎖や基準日の設定により(商法二二四条ノ三第一項)、株主総会の開会から閉会まで株主の地位が固定される。少数株主が裁判所の許可を得て招集する株主総会についても少数株主は基準日を設定する(商法二三七条、東京地決昭和六三年一一月二日金融・商事判例八〇八号三二頁参照)。定款をもって一定の期間株式の名義書換等の停止を定めることは、昭和二五年の商法の改正により明文をもって規定される以前にも慣行として広く行われていたのである(新版注釈会社法(4)三二頁参照)。これは、単に会社にとっての現実の必要性にとどまらず、議題を審議し決議をすることを目的とする株主総会という株式会社の基盤ともいうべき機関すなわち会議体の本質及び株主の共益権の本質から要求されることを示しているのである。
(二) もし、株主総会の開会から閉会までの間に会社との関係で株主の地位の変動が法律上あり得るとすればどういうことになるか。それを明確にするため株主が一人株主で、その株主の地位の変動が株主総会の開会中に行われた場合を想定する。現実に広く行われているいわゆる一括審議方式で一号議案から五号議案について会社の説明を聞き、質疑応答、討議等が行われた後、一人株主の地位全部に変動があり、他の者が一人株主となって一号議案から五号議案について議決権を行使したとすると、議案の審議を行った株主と議案について議決権を行使した株主とが全く異なることになる。しかし、審議も議決権の行使も共益権の行使なのである。議決権の行使は審議への参加を前提とする。株主総会に出席した株主は、審議に参加することにより自己の意思を決定し、議決権を行使するのであるから、議決権の行使は審議に基づいて行われなければならない。一般に共益権は議決権のみならず多数の権利を包括するが、それは株主が会社の運営に参加することを目的とする権利であるから、いかなる意味においても分割することのできない権利なのである。そして、議案の審議終了の段階で会社との関係で株式の譲渡が有効に行われ、あるいは本件において原審判決の判断した如く株式譲渡の結果が発生するとすれば、株主は共益権の一部である審議権を行使した後これを分割して議決権を譲渡したのと同一の法律効果をもつ法律行為をしたことになる。それは、結局、株主が共益権である審議議決権というひとつの権利を分割して譲渡したことになるので、共益権の本質に反するのである。
(三) 次に、もし、株主総会の開催中に会社との関係で株主の地位の変動が有効に行われるとすれば、審議議決の方式が一括審議の方式でない場合には、株主総会における一号議案から五号議案までの各議案のおのおのについて、審議する株主と議決権を行使する株主とが全部異なることが法律上あり得ることになる。これは、事実上の異常事態というだけでなく、株式会社の基盤ともいうべき株主総会という審議・議決機関=会議体の本質に反するものであるから、法律上あり得ないことなのである。
(四) 更に、問題を単純かつ明白にするため、株主総会開催中の株主の地位の変動が、株主総会の開催中に株式が譲渡され、会社がこれを認めることによって発生すると仮定する。もし、このようにして株主総会の開催中の株式の譲渡による株主の地位の変動が会社との関係においても有効になされるとすれば、会社にこの譲渡をその場で認める義務はないから、会社は、これを認めるかどうかを自由に決定することができる。そうすると、会社の自由な意思により、会社に対する関係においてある株主の地位は変動し、ある株主の地位は変動しないことになる。換言すれば、会社の自由な意思によりあるいは恣意により株主総会の開催中に株主総会という会社の基盤ともいうべき機関の構成がいつでも変動し得ることになるのである。かかる事態が、商法の前記法条の定める株主総会の構成についての基本構造及び株主平等の原則からして容認されることでないことは明らかである。
(五) そして、本件において、株主名簿の有無、その閉鎖の有無、基準日の設定の有無については、主張も認定もない。原審判決はこれらの点について釈明を求めるべきであったのである。仮に、株主名簿が存在せず、従ってその閉鎖や明示の基準日の設定がなかったとしても、審理を尽くせば黙示の基準日設定の事実を認定できる可能性が高かったのである。何故ならば、通常株主総会が招集されるとき、株主総会の開催中に株主の地位が変動することを会社が容認していることはないからである。この点において、原審判決には釈明権行使義務違反及び審理不尽の違法がある。
以上の理由により、そもそも原審判決の認定したような上告人の株主総会の開催中に株主の地位に変動が起こること自体が法律上あり得ないことなのである。
2(一) 株主総会は商法または定款に定める事項に限り決議をすることができることは商法二三〇条の明定するところである。原審判決の判示する如く株主総会が会社の最高機関であるからといって、どんな事項についても決議ができる訳ではなく、その権限外の事項について決議をしても無効である。原審判決の確定した上告人の第五回定時株主総会における承認も株主総会の権限外の行為であるから、いかなる法律上の効果ももつ訳がないのである。
株主総会の権限と取締役会の権限は商法上明確に区別されている(商法二三〇条、二六〇条、二六一条)。この区別の理由については改めて述べるまでもないが、本件との関係で留意すべきことは、会社の個々の業務執行は取締役会に専属した権限であり、法律に特別の規定がない限り、株主総会や株主はこれに干渉することはできないことである。このことは、我国の商法においては、取締役が株主であることを要求されていないことのみならず、定款をもってしても取締役が株主であることを要する旨定めることはできないこと(商法二五四条二項)や取締役と会社との間には委任関係があるが(商法二五四条三項)、取締役と株主総会との間には委任関係がないことにも明瞭に表わされている。すなわち、取締役は株主総会において選任されるが、一旦選任された以上は、取締役や取締役会は株主総会から独立した常設の機関であり、法律に特別の定めのある場合を除き、その意思決定が株主総会の意思に拘束されたり、前者が後者に代置されることは法律上あり得ないのである。
従って、法律に特別の規定がない限り、株式会社のこれらの二つの機関について、双方の権限が重複することはない。権限が重複すれば、株主総会と取締役会の双方が同じ事項について異なる決議をしたとき、どちらの決議の効力が優先するかとの問題が必ず生じる。そのため、例外的に権限が重複するときは、法律はこの点について明確に定めているのである(例・商法特例法二四条二項)。このような法律の定めがないときに、株主総会が会社の最高機関であることを理由に取締役会の権限に属する事項についての株主総会の決議が有効であり、もし、同じ事項について異なった取締役会の決議があってもそれに優先するというのであれば、株主総会で代表取締役を選任することができることになる。原審の前記の論理に従えば、この結論を容認することになるのである。
(二) しかも、本件において更に注意すべきことは、株式の譲渡を制限する場合には、定款により取締役会の承認を要する旨を定めることはできるが、株主総会の承認を要すると定めることは、法律上不可能なことである(商法二〇四条一項)。この点に関して昭和一三年改正前の商法は譲渡制限のある株式の譲渡について会社の承認を要求していたのを昭和四一年改正により明確に「取締役会の承認」を必要とすることになったことにも留意する必要がある(株式の譲渡制限についての商法の規定の変遷については、注釈会社法(3)五七頁、新版注釈会社法(3)五三頁、田中耕太郎・改正会社法概論四七五頁、大隅健一郎・「株式の譲渡」改正会社法実務の研究六三九頁参照。なお、取締役会の制度が商法に法定されたのは、昭和二五年の改正によってである。これについては注釈会社法(4)三三二頁参照。)。この承認は性質上会社の業務の執行であるから、取締役会の権限に専属する他はないのである。
そして、この定款の規定は、本件においては、株主総会の前身である創立総会の決議によって定められたものなのである(本上告理由書添付の<書証番号略>「定款」参照)。すなわち、株式譲渡についての承認は、株主の意思によって取締役会に与えられた取締役会固有の権限であり、株主総会の明示の承認決議があったときですら、取締役会の決議とは法律上全く関係がないものであるから、これを取締役会の承認があったものと同視することは論理必然的に不可能なのである。もっとも、原審判決のいう「同視」の意味は必ずしも明らかではないが、法律上同一の効果をもつことを意味するのであろう。そうでなければ原審判決のこの部分は全く意味をなさない文章になるからである。
原審は右結論の理由として前記の諸事実をあげるが、全く理由にならない理由である。なかでも、取締役の細谷藤男と和田正一郎が名義を貸しただけの名目的取締役で上告人の取締役会が設立時を除いて一回も開かれたことがない事実を理由にあげること自体が不可解である。上告人が同人らに無断で同人らを取締役として登記したのであれば別であるが、同人らが名義を貸したというのは一人株主である「堀恵一」が一人株主総会で同人らを取締役に選任し、同人らが法律上就任を承諾したことなのであるから、同人らは、法律上、上告人の取締役なのである。同人らが取締役としての職務を一切行わず、取締役会に出席したことがないことは事実上の問題であり、同人らが法律上の取締役であることを否定するものではない。名目的取締役か実質的取締役であるかも、現実に取締役の職務を行っているか否かの事実上の問題であり、本件に関係はない。本件に関係があるのは、同人らが法律上取締役であるか否かである。もし、名目的取締役が法律上の取締役でないのであれば、利害関係人は仮取締役(商法第二五八条)の選任を求めることができることになってしまうのである。そして、取締役会の決議には、いかに小規模の株式会社であっても、いわゆる持ち廻り決議は違法であることにも留意しなければならない(商法二六〇条ノ二第一項、最判昭和四四年一一月二七日民集二三巻一一号二三〇一頁)。すなわち、原審判決のいう名目的取締役といえども法律上の取締役である以上、現実に取締役会に出席して決議を行わなければ、上告人の取締役会か本件株式の譲渡についての承認を行うことは、法律上不可能である。
また、株主総会の承認に取締役会の承認と同一の効果を認めるのであれば、一人株主の「堀恵一」の承認があったことだけで足りるのであり、原審判決の挙げるその他の事実は全く関係のないことである。そして、関係のないことを挙げて理由の一部にしたのは、理由の論旨が一貫せず、理由不備の違法があるといえるのである。
(三) 更に、本件の如く、定款に株式の譲渡について取締役会の承認を要すると定められているときには、適式な承認請求とこれに対する取締役会の承認があるまでは、株式の譲受人は会社に対する関係で株主の地位を取得できず、会社は譲渡人を株主として取扱う法律上の義務を負っていることに留意しなければならない(最判昭和四八年六月一五日民集二七巻六号七〇〇頁、最判昭和六三年三月一五日判例時報一二七三号一二四頁)。従って、代表取締役、議長、株主その他株主総会に出席している者全員が譲受人を株主として取扱うことに異議がなくても、なお、会社との関係においては、株主は譲渡人なのである。
(四) 商法二六五条により取締役会の承認の要すべき場合に株主全員の合意をもって、足りるとした判例がある(最判昭和四九年九月二六日民集二八巻六号一三〇六頁)。株主が全員の合意と株主総会の全員一致の決議とは同じではないから、この判例のいう株主全員の合意は、株主総会の決議ではない。これは、この事件の事実関係として同判決に記載されたところから明らかである。
この判例は、株主全員の同意があるときは、取締役会の承認は不要と判示しているのであり、株主全員の合意の法律上の効果と取締役会の承認の法律上の効果が同じであると認めたのではないから、原審の前記の「評価」及び「同視」の論理とは異なる。また、会社の機関ではない全株主の一致した意思と会社の機関である取締役会の決議との間の対立の問題も生じない。取締役会の決議が不要なのであるから、この場合に取締役会が決議をしたとしても無効だからである。
しかし、この判例は、商法二六五条一項に「但し、株主全員の同意がある場合を除く。」という但書を付したことになる。そして、商法二六五条により与えられた取締役会固有の権限を奪った点においては、本件の原審判決と変わるところはない。解釈論の限界については後述するが、この判決は、解釈論の限界を超えるものである。この判決は、取締役会の承認を不要とした理由として「会社の利益保護を目的とする商法二六五条の立法趣旨に照らし当然であって」と判示している。しかし、立法趣旨を根拠にするならば、商法が会社と取締役間の取引に対する承認あるいは不承認の権限を株主総会にではなく、取締役会に与えた立法趣旨の方が、会社の組織とその権限の根幹に係る重要な立法趣旨である。それは、この承認あるいは不承認の権限は会社の業務執行に関するものだからであり、これを株主総会の権限とすること、まして株主総会の決議でもない株主全員の意思によるとすることは、前述の如き理由から業務執行機関の構成員=取締役の選任権者を株主総会とし、業務執行権者を取締役会と定めた商法の諸規定の立法趣旨に反することになるのである。しかも、この事件において、株主の一人でも反対があれば、取締役会の承認が必要になり、取締役会の権限が復活することになる。株主の、それも株主総会の決議でもない株主の意思により商法に明文のある取締役会の権限が消滅したり、発生したりすることが法律上ある訳がない。そして、この判例の考え方をおし進めれば、株主総会の承認決議があれば、それは株主の意思表示として商法の認める最も基本的かつ正式なものであるから、これにより取締役会の承認が不要になる筈である。そうすると、株主総会の決議は反対者があっても多数決で成立するから(商法二三九条第一項、三四三条等)、株主の全員の一致がなくても取締役会の承認は不要にならざるを得ず、判旨と矛盾するに至るのである。
このように、前記判例は誤りであり変更されるべきであると考えるが、仮にこれが正しいとしても、本件にこれを類推することは許されない。前者は株式会社のいわゆる取引法の分野に属することであるが、本件はいわゆる組織法に属することであるから、厳格に解さなければならないからである(田中耕太郎・改正商法総則概論五二頁参照。)
3 被上告人早水司及び同佐野市郎が上告人の株主の地位を取得した時期について、原審は昭和六〇年八月二四日の第五回定時株主総会に同人らが議決権の行使が認められた時点において取締役の承認と同視できる株主総会の承認があったと判示しながら、それに続いて同人らの株主の地位を取得したのは「遅くとも昭和六〇年八月二四日」であると判示している。「遅くとも」というのは、それ以前に同人らが株主の地位を取得した可能性があることを意味しているが、それについての判示は全くないから、原審判決の理由には齟齬がある。
そして、原審の判決に従えば、上告人の第五回定時株主総会は「堀恵一」の一人株主総会として始まり、議案の審議も堀恵一が行い、同被上告人らの議決権の行使が認められた時点で、突如として一人株主総会が三人の株主による株主総会に変わったことになる。すなわち、その時点まで傍聴人として議案の審議に参加する権限のなかった者が突如として株主になり、議決権のみを行使したことになるのである。
しかし、原審判決のいう議決権の行使を認められたというのは、具体的にいかなる事実を指すのか不明であり、そして誰によって認められたというのか不明である。特に主語が明らかでない文章は、かかる重大な法律効果を発生させる事実の表現として著しい欠陥があるものである。しかも、もし、議決権の行使を認められたというのが議決権の行使自体を意味するものであれば、議決権の行使自体によって株主の地位を取得することになるが、議決権はその行使以前に株主の地位を取得していなければ、これを行使することができないから、論理的に矛盾してしまう。そうすると、同被上告人らが議決権を行使する以前に何者かが同人らの議決権の行使を認める具体的な行為があったことになるが、原審判決のいう「右のような事実関係」(原審判決七丁裏九行目)を考慮してもそれが何を意味するのか不明である。
しかも、ここで特に留意すべきことは、原審判決が、上告人の第五回定時株主総会における代表取締役権利義務者であり、かつ原審判決は確定していないが、おそらく議長でもあった「堀恵一」の意思及び言動を重視していることが明らかなことである(原審の確定したところによれば、上告人の取締役会は設立時を除いて開かれたことがないのであるから、第五回定時株主総会当時において「堀恵一」は上告人の代表取締役ではなく、代表取締役権利義務者であったことになる。)。しかし、もし、本件の株式譲渡の承認について上告人の取締役会が開かれたとしても「堀恵一」は特別利害関係人として議決権を行使することはできないのである(商法二六〇条ノ二第二項)。すなわち、株式の譲渡予定人は、自己の利益を守ろうとするのに対し、取締役会の構成員である取締役は、会社全体の利益を守らなければならず、両者の間には一般的・類型的に大きな利害の対立があるからである。従って、原審判決がその結論を導くうえで、「堀恵一」の意思及び言動を考慮に入れることは許されず、これを無視しなければならなかったのである。
これらの点において、、原審判決には重大な理由の不備がある。
なお、念のため、付言すると取締役会の承認がないのに、代表取締役が株式の譲渡を承認する旨の表示をした場合、株式の譲渡人及び譲受人の双方あるいは譲受人が取締役会の承認の不存在につき善意であるときは、会社は承認のなかったことを譲渡人及び譲受人に対して主張できないとの見解がある(新版注釈会社法(3)九二頁)。この見解は充分な根拠を示しておらず、判例による裏付けもないので賛成しかねるが、仮にこの学説が正しいとしても、本件においては、譲渡人及び譲受人が共に取締役会の承認がなかったことについて悪意であったことの明確な証拠があるのである。従って、この学説に従っても、被上告人早水司及び佐野市郎は、上告人に対して株主であることを主張することはできない。
4(一) 商法二〇四条ノ二第一項に基づく株式譲渡の承認請求は、承認請求権者である株式を譲渡しようとする株主が、その譲渡以前に、同条項に定められた事項を記載した書面をもって行う厳格な要式行為である。かかる適式な承認請求があったとき、これに対して初めて取締役会は承認をすることが法律上可能になり、承認をしたときは当該承認請求権者に対してその旨の通知をすることにより承認の効果が発生するのである。また、前記の適式な承認請求があって初めて取締役会は同条二項の措置をとることができ、これをとらないときは同条三項に定められた効果が発生するのである。以上は同条の文言とその解釈から当然に導かれるところである。
なお、株式の譲渡予定者が、先買権者の指定を求めないで譲渡の承認のみを求めるときは、口頭で承認を請求することができるとの見解がある(新版注釈会社法(3)八〇頁)。これは、商法二〇四条ノ二の全項の文理に反するのみならず、同条がそのような先買権者の指定を求めない承認請求を認めるのであれば、立法者は容易にその旨の立法ができたのに、それを行わなかったことから考えても誤りであることは明らかである。しかも、口頭や書面による承認のみの請求について同条三項の効果が発生するか否かが不明であり、承認請求を受けた会社の地位を著しく不安定にし、かつ、危険にする。同条一項に定めのない形式の承認請求をその解釈によって認めるのであれば、同条三項の効果の発生するのは同条一項の所定の事項を記載した書面による承認請求があった場合に限られないとの解釈も成り立ち得るからである。
(二) ところが、原審判決は「堀恵一」が被上告人早水司及び同佐野市郎に対する本件株式譲渡の適式な書面による承認請求を会社に対して行った事実を認定していないし、取締役会の承認と同一の効果をもつ株主総会の承認なるものを、誰がいかなる権限に基づいて誰に対して通知したかも全く認定していないのである(原審判決の理由「三」の認定は、この認定ではない。)。従って、仮に原審判決の如く取締役と同一の法律効果をもつ株主総会の承認があったとしても、これのみを理由として前記被上告人らが上告人に対する関係で株主の地位を取得したと判示することはできないのである。そして、その前提となる適式な書面による承認請求があった事実や権限ある者から承認請求権者への通知については主張がないのであるから、原審判決がこのような結論を出すためには釈明を求めなければならない。この点でも原審判決には釈明権行使義務違背、審理不尽の違法がある。そして、釈明権を行使しないか、あるいは釈明権を行使しても釈明がなければ、被上告人らの主張はそれ自体失当として棄却するべきなのである。
(三) この株式譲渡承認請求権者に株式の譲受予定者を含める判例・学説(大阪地判昭和五四年五月三〇日判例時報九四〇号一〇八頁、新版注釈会社法(3)八七頁)があるが、明らかに解釈論の限度を超えた誤った解釈である。もし、株式譲受予定者が承認請求権をもつのであれば、立法者は商法二〇四ノ二第一項にその旨を容易かつ明確に規定できたのである。そして、同項の定める承認請求は厳格な要式行為であり、これがなされたのち取締役会が同条二項の措置をとらなければ、同条三項によって取締役会の承認があったとみなされるという重大な法律効果が発生するのである。法文上承認請求権を有しない者からの承認請求を取締役会が放置したからといって同条三項の効果が発生するのでは、会社は全く予想もできずに法律により与えられた権利を行使する機会を奪われ、かつ、重大な不利益を受けることになり、法的安全性を著しく害する。同条の一項と二項とを対比し、また同条と商法二〇四条ノ五を対比しても、商法二〇四条ノ二第一項の譲渡承認請求権者が株式の譲渡予定者に限定されることは明らかである。
解釈論の方法論として、もし前記の如き解釈が一般的に許されるならば、債権譲渡の通知を譲受人がすることができることになり(民法四六七条一項)、借地権の譲受予定者が賃貸人の承諾に代る許可の申立をすることができることになる(借地法九条ノ二第一項)。法律は言葉によって規定された文化であり、司法権を含めてすべての権力を行使する者の恣意から国民を守るのが、その重要な機能のひとつなのである。
裁判所は判例法を形成する権限をもっている。これを判例立法権と呼ぶことにすると、裁判所のもつ判例立法権と国会のもつ純粋の立法権との間には、明確な境界がなければならない。両者の権限が重複することは憲法の定める我国の基本構造である三権分立に反するからである。判例立法権は裁判所の解釈による立法である点で純粋の立法権と区別される。解釈の対象は成文法と判例法、すなわち実定法である。成文法は言葉によって規定されており、それを解釈した結果である判例法も同じである。従って、言葉は実定法の基礎である。言葉の意味を反対の意味に解釈したり、全く別の意味を追加したり、その他文理からみて予想もできない意味に解釈することは許されない。前述の解釈論の限界の根拠はここにあるのである。
また、本件においてもそうであるが、株式の譲渡予定者が会社に対する譲渡承認請求をしなくても、譲受予定者の利益を守る方法はあるから、譲渡予定者が譲渡承認請求をしない場合に備えて、譲受予定者も譲渡承認請求権をもつと解釈する必要は全くない。株式譲受人は債権者代位権により譲渡人の譲渡承認請求権を行使することが可能であり、もし不可能であれば譲渡人に対して損害賠償請求をすることができるからである。
要するに、原審判決は、株式会社の基本的構造を無視し、株主総会が会社の最高決議機関であるとの意味を誤解したため、創立総会の決議すなわち株主になるべき者の意思により定款に取締役会の専属的権限と定められ、かつ、法律上も取締役会に専属する権限である他はない株式譲渡の承認について、株主総会の承認なるものに取締役会の承認と同一の法律効果を認めたのである。これは商法二〇四条ノ二第一、二項の明文に反し、同法二三〇条の一〇に定められた株主総会の権限を逸脱し、同法二六〇条に定められた取締役会の権限を侵すものである。この意味において、原審判決は、商法二〇四条ノ二第一、二項、二三〇条ノ一〇、二六〇条の解釈を誤っているのであり、かつ、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、民訴法三九四条に該当する。
第三点 <省略>