大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 平成18年(受)1994号 判決 2008年2月19日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人高野真人の上告受理申立て理由について

1  本件は,承継前被上告人A(以下「亡A」という。)運転の普通自動二輪車とB運転の原動機付自転車(以下「B車」という。)とが衝突した事故について,亡Aが,B車を被保険自動車とする自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)の保険会社である上告人に対し,自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)16条1項に基づき保険金額120万円の限度で損害賠償額の支払を求める事案である。

2  原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1)  大阪市内に居住していた亡A(当時76歳)は,平成15年8月23日,普通自動二輪車を運転して信号機により交通整理の行われている交差点を直進しようとして,同交差点を反対方向から右折中のB車と衝突し(以下「本件事故」という。),外傷性くも膜下出血,脳ざ傷,顔面打撲ざ創等の傷害を負い,同日から平成16年1月29日までC病院等に入院した。

Bは,上告人との間で,B車を被保険自動車とする自賠責保険の契約を締結していた。

(2)  本件事故に係る亡Aの損害額(以下「本件損害額」という。)は合計337万9541円であり,自賠法13条1項,同法施行令2条1項3号イに定める保険金額(以下「自賠責保険金額」という。)は120万円である。

(3)  大阪市長は,平成15年9月から平成16年1月まで,亡Aに対し,老人保健法(平成17年法律第77号による改正前のもの。以下同じ。)25条1項に基づき前記傷害に関して医療を行った。上記医療に関し大阪市が支払った価額(以下「本件医療価額」という。)は206万4200円であり,大阪市長は,同法41条1項により,本件医療価額の限度において,本件事故に係る亡AのBに対する損害賠償請求権及び亡Aの上告人に対する自賠法16条1項に基づく損害賠償額の支払請求権を取得した。

(4)  大阪府国民健康保険団体連合会は,大阪市長から同市長が老人保健法41条1項により取得した請求権に係る損害賠償金の徴収等の事務の委託を受け,平成16年6月28日,上告人に対し,自賠法16条1項に基づき,自賠責保険金額の限度で本件医療価額の支払を求めた。他方,亡Aは,同月29日,上告人に対し,同項に基づき,自賠責保険金額の限度で,本件損害額のうち前記医療の給付を受けたことによってはてん補されない損害額(以下「本件未てん補損害額」という。)の支払を求めた。本件未てん補損害額は,自賠責保険金額である120万円を超えている。

(5)  上告人は,次のとおり主張して亡Aの請求を争っている。本件医療価額と本件未てん補損害額の合計額は自賠責保険金額を超えるところ,一般に,自動車の運行によって生命又は身体を害された者(以下「被害者」という。)が自賠法16条1項に基づく損害賠償額の支払請求権(以下「直接請求権」という。)を行使し,他方,老人保健法25条1項に基づく医療の給付(以下「医療給付」という。)を行った市町村長(以下,単に「市町村長」という。)が同法41条1項により取得した直接請求権を行使した場合において,被害者の直接請求権の額と市町村長が取得した直接請求権の額の合計額が自賠責保険金額を超えるときは,被害者及び市町村長は,それぞれの直接請求権の額が被害者の損害額に対して占める割合に応じて比例案分された自賠責保険金額について自賠責保険の保険会社に支払を求めることができるにとどまると解すべきであるから,本件においても,亡Aは上告人に対して自賠責保険金額120万円全額の支払を求めることはできない。

3  原審は,亡Aは大阪市長に優先して上告人から自賠法16条1項に基づき本件未てん補損害額の支払を受けることができるとして,上告人の主張を排斥し,自賠責保険金額120万円全額の支払を求める亡Aの請求を認容すべきものとした。

4 被害者が医療給付を受けてもなおてん補されない損害(以下「未てん補損害」という。)について直接請求権を行使する場合は,他方で,市町村長が老人保健法41条1項により取得した直接請求権を行使し,被害者の直接請求権の額と市町村長が取得した直接請求権の額の合計額が自賠責保険金額を超えるときであっても,被害者は,市町村長に優先して自賠責保険の保険会社から自賠責保険金額の限度で自賠法16条1項に基づき損害賠償額の支払を受けることができるものと解するのが相当である。その理由は,次のとおりである。

(1)  自賠法16条1項は,同法3条の規定による保有者の損害賠償の責任が発生したときに,被害者は少なくとも自賠責保険金額の限度では確実に損害のてん補を受けられることにしてその保護を図るものであるから(同法1条参照),被害者において,その未てん補損害の額が自賠責保険金額を超えるにもかかわらず,自賠責保険金額全額について支払を受けられないという結果が生ずることは,同法16条1項の趣旨に沿わないものというべきである。

(2)  老人保健法41条1項は,第三者の行為によって生じた事由に対して医療給付が行われた場合には,市町村長はその医療に関して支払った価額等の限度において,医療給付を受けた者(以下「医療受給者」という。)が第三者に対して有する損害賠償請求権を取得する旨定めているが,医療給付は社会保障の性格を有する公的給付であり,損害のてん補を目的として行われるものではない。同項が設けられたのは,医療給付によって医療受給者の損害の一部がてん補される結果となった場合に,医療受給者においててん補された損害の賠償を重ねて第三者に請求することを許すべきではないし,他方,損害賠償責任を負う第三者も,てん補された損害について賠償義務を免れる理由はないことによるものと解され,医療に関して支払われた価額等を市町村長が取得した損害賠償請求権によって賄うことが,同項の主たる目的であるとは解されない。したがって,市町村長が同項により取得した直接請求権を行使することによって,被害者の未てん補損害についての直接請求権の行使が妨げられる結果が生ずることは,同項の趣旨にも沿わないものというべきである。

5  以上によれば,原審の判断は,正当として是認することができる。所論引用の各判例は事案を異にし,本件に適切でない。論旨は採用することができない。

よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 那須弘平 裁判官 藤田宙靖 裁判官 堀籠幸男 裁判官 田原睦夫 裁判官 近藤崇晴)

上告代理人高野真人の上告受理申立て理由

原判決には,老人保健法41条1項及び自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)16条1項の解釈ないしは適用に誤りがある。

1 本件の争点

本件においては,交通事故により受傷した相手方が,治療を受けるため訴外大阪市より老人保健法に基づく医療の給付を受けたことから,訴外大阪市が老人保健法41条1項に基づき,交通事故の加害者に対して相手方が有する損害賠償請求権とともに,加害自動車に付保されていた自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という)の保険者である申立人に対する自賠法16条1項の損害賠償額の請求権(以下「直接請求権」あるいは「16条請求権」という)を取得したため,この請求を申立人に行ったところ,相手方も未だに直接請求権を有するとして請求を行った。そこで,どちらの請求が優先するのか,あるいは,何らかの比率で按分して支払がなされるべきか,ということが論点となったものである。

原判決は,交通事故により直接的な被害を被った者の直接請求権の行使と公的保険の保険者が保険給付に伴う代位を根拠に行う直接請求権の行使とが競合した場合には,被害者の直接請求権を優先させるべきものとして,相手方が傷害による損害についての損害賠償額支払い限度である120万円の全額につき直接請求権を行使できるものとした。しかしながら,この判断は,公的保険給付が行われた場合に保険者が被害者の有する第三者に対する権利を取得することを定めた老人保健法41条1項の趣旨及び自賠法16条1項に関し複数の直接請求権者が存在する場合に各権利者がどのような権利関係に立つのかにつき法令の解釈ないしは適用を誤ったものである。

2 代位による直接請求権の取得の考え方について

原判決や相手方あるいは学説を含めて,老人保健法の医療の給付のような公的保険給付が行われることにより,公的保険の保険者が,受給者が加害者に対して有する損害賠償請求権とともに,受給者の有していた自賠法16条1項の直接請求権をも取得すること自体には疑問を差し挟んでいない。

しかし,老人保健法41条1項では「市町村長は、給付事由が第三者の行為によつて生じた場合において、医療、入院時食事療養費の支給又は特定療養費の支給を行つたときは、その医療に関し支払つた価額、支給した入院時食事療養費の額又は支給した特定療養費の額の限度において、医療、入院時食事療養費の支給又は特定療養費の支給を受けた者が第三者に対して有する損害賠償の請求権を取得する。」としており,代位する請求権の債務者は給付事由を発生させた第三者であり,取得するのは,「その第三者」に対する「損害賠償請求権」に限定されるかのごとき文章になっている。

しかしながら,公的代位もその制度的基礎を,保険契約における保険代位制度に置いていることは確かであるところ,保険契約に基づく保険代位の場合,代位できる請求権は加害行為者に対する損害賠償請求権だけに限定されず,「保険事故がある第三者の行為によって生じた場合に、その第三者以外の第三者に対して被保険者が有する請求権をも含む。」とされる(大森忠夫『保険法[補訂版]』183頁)。従って,この考え方によれば,公的保険の保険者は受給者の有していた16条請求権を代位して取得することになる(①)。

このような考え方ではなく,代位の対象は,加害者である第三者に対する損害賠償請求権のみであり,保険者が,加害者(自賠責保険の被保険者である保有者)に対する損害賠償請求権を公的代位ないしは保険代位により取得したことにともない,これに付随して16条請求権を取得するという考え方もあり得るのである。すなわち,自賠法16条の「被害者」とは,「運行供用者責任を負う保有者に対する損害賠償請求権を有する者」という理解をすることになるのである。この場合,損害賠償請求権の代位による承継的取得を原因として権利行使のための手段である16条請求権を付随的に原権利者から承継すると考えるか,あるいは,損害賠償請求権を代位して取得することにともなう効果として原始的に16条請求権を取得するということになるであろう(②)。

3 直接請求権を保険代位により直接的に取得すると考える場合について

本件における老人保健法などの公的保険制度で法定されている代位規定に基づき,公的保険者が直接請求権を代位により取得するとした場合(2の①の考え方)には,発生した損害額よりも少ない金額の加害者に対する損害賠償請求権しか存在しない場合の権利関係に類似することになる。すなわち,法律書などにおいて,過失相殺の行われる事案を例に学説が展開される場面である。

この場合の考え方については,基本的には以下の3通りが想定できる。すなわち,(ⅰ)被保険者を優先して権利を帰属させる説(差額説),(ⅱ)保険者を優先して権利を帰属させる説(絶対説),(ⅲ)損害全体額に対する保険給付額の比率で損害賠償請求債権を按分して保険者に帰属させる説(比例説)が考えられる。

なお,上記各説は,一般的には,いわゆる「物保険」の場合における一部保険において検討されているものであるが,考え方としては本件のような人的損害に対して損害の一部を填補する公的保険給付がなされた場合にも適用できると言える。

ところで,過失相殺が行われる場合において,保険者が損害賠償請求権を代位により取得する場合にはどのような考え方が採用されているのであろうか。少なくとも,「物保険」の場合において最高裁判例は(ⅲ)の考え方を採用している(最高裁昭和62年5月29日判決 民集41巻4号723頁)。また,直接的に,公的保険の保険者の代位する範囲について判示しているわけではないが,労働者災害補償保険(以下「労災保険」という)が給付された場合の損害賠償請求権の損益相殺的処理に関する最高裁平成元年4月11日判決(民集43巻4号209頁-損益相殺的処理にあたり過失相殺後の額から労災保険給付額を控除すべきとした例)や国民健康保険の代位に関する最高裁平成10年9月10日判決(判時1654号49頁-国民健康保険につき公的保険者は給付のつど損害賠償請求権を代位取得するとした例)を見れば,判例が,前記(ⅰ)の考え方に基づき,被保険者(被害者)が加害者に対する損害賠償請求と公的保険給付の受給により被害回復ができた後に初めて保険者は損害賠償請求権を代位する,という考え方を採っていないことは容易に推測できることである。原審及び第一審の判決とも,上記各最高裁判決の判旨には本件で問題となっているような直接請求権の請求権代位に関する判断は含まれていないとしている。たしかにそうではあろうが,それはさておき,原審及び第一審は,過失相殺がある場合の,公的保険者の損害賠償請求権に対する代位の仕方について,どのように解するのが妥当だと考えているのであろうか。(ⅰ)の考え方により,公的保険者を劣後させる扱いが妥当だと考えているのであろうか。まさかそうではあるまいと思われる。

そうだとすれば,同じ,いわゆる「請求権代位」の範囲・優先順位を考えるにあたり,損害賠償請求権と自賠法に基づく「直接請求権」とで異なる考え方をせねばならないというほどの合理的理由があるとまでは言えないのである。代位すべき債権の性質で違う考え方を採用するという発想はあり得ないではないが,よほどしっかりとした必然的な理由付けがない場合には,恣意的解釈の誹りを免れないものと言えよう。

4 損害賠償請求権の取得を原因として直接請求権を付随的に取得すると考える場合について

次に2の②で示した考え方をもとに検討する。この考え方は,直接請求権を損害賠償請求権の権利実現のために自賠法が特に設けた権利で,あくまでも,損害賠償請求権の存在を前提にした,「利便のための補助的手段」(最高裁平成元年4月20日判決 民集43巻4号234頁)と考え,損害賠償請求権が移転した場合には,それにあわせて直接請求権も移転するという,従物の随伴性のような考え方をすることになる。

この考え方にたつと,前述の請求権代位の場合と基本原則を必ずしも一致させる必要はないことになる。しかしながら,自賠責保険の被保険者に対する同一の損害賠償請求権を分け合う当事者同士で,加害者(自賠責保険の被保険者)に対する損害賠償請求権の行使の場面では優劣がないとしながら,直接請求権の帰属ないしは権利行使の順序の場面では,交通事故の直接的被害者(いわば債権の譲渡人)を優先的に扱い損害賠償請求権の代位者(いわば債権の譲受人)を劣後させることが妥当だとするほどの合理的理由付けがあるのであろうか。原判決の説示する理由だけでは,そこまでの合理性があるとはとうてい言えないというしかない。

5 被害者を優先的に取り扱うべき論拠の合理性について

(1) 自賠法の被害者救済の精神

ア 原判決は,直接請求権の行使にあたり被害者を優先的に取り扱う論拠として,自賠法が直接請求権を設けた被害者救済の趣旨を挙げる。いうなれば,交通事故で受傷した者の救済を重視した法規定であるとみるのである。確かにそういう考え方が根底にあるのではあるが,そうであれば,直接請求権に一身専属性に近いものを認めることになる。

イ たしかに,16条請求権には差押え禁止規定があり(自賠法18条),被害者に受領を確保させようとする趣旨のものであることは疑いがない。ところが,加害者に対する損害賠償請求権本体についてはそのような規定がなく,現に,混同により加害者に対する損害賠償請求権が消滅したり,あるいは,加害者に対する損害賠償請求権に対する転付命令によって損害賠償請求権が差押債権者に帰属し,損害賠償請求権者が損害賠償請求債権を失えば,いずれの場合においても,16条請求権も消滅するとされ(最高裁平成元年4月20日判決 民集43巻4号234頁,最高裁平成12年3月9日判決 民集54巻3号960頁),その保護の制度は社会保障制度の給付のように強固なものではない。労災保険給付や公的年金給付の場合には,譲渡・担保差し入れを不可とする規定があるが(労災保険法12条の5Ⅱ項,厚生年金保険法41条Ⅰ項),16条請求権にはそこまでの徹底した保護規定がない。すなわち,16条請求権の譲渡自体は禁止されていないのであるから,譲渡可能というしかない。そのように必ずしも本来の「被害者」固有の権利性を保障していない権利について,その権利行使の大前提である基本的な権利(損害賠償請求権)を事後的に取得した権利者をことさら劣後させて取り扱うべきだとするまでの明白な理由付けができると言えるのであろうか。はなはだ疑問というほかはない。

ウ なお,公的保険などを初めとする保険者の保険給付は,保険料を収受したうえでので債務の履行にすぎない点を捉えて,直接請求権の行使における被害者との対等性を否定する考え方があるが(甲10・170頁部分,甲11・61頁部分),この論理を貫徹するのであれば,過失相殺の行われる事例における損害賠償請求権の代位取得にあたっても,被保険者(被害者)が損害の填補を完全に受けていないのにもかかわらず,保険代位による損害賠償請求権の取得を保険者に認めてしまう,前記3の(ⅱ)及び(ⅲ)の考え方は否定し,(ⅰ)説を採用せざるを得ないことになろう。判例理論をみた場合(ⅰ)説を採用する余地があるのか甚だ疑問というほかはない。

(2) 公的保険・自賠責保険請求の先後関係による差

ア 上記3の(ⅲ)の按分的な考え方をとると,「自賠責保険と社会保険の支払・給付の先後関係という事情により,賠償額に不均衡が生じることになる」(原判決13頁・2行目)との指摘がなされている。しかし,自賠責保険を利用せずに,まず公的保険を利用する以上,制度の内容から違った結果が出ること自体を不合理とするのは論理の飛躍である。この問題は,自賠責保険金を最大限使えるかどうかの差であって,少なくとも,損害賠償金を取得できる額に差が出るわけでないのであるから,不合理とするほどの理由にはならない。

イ 医療に関する費用については,まず自賠責保険を利用しその後に健康保険を利用した被害者は,自賠責保険をすべて利用できることは確かであるが,反面,自賠責保険を利用した分については,結局,健康保険を本来利用できる額まで利用できなかったということになり,健康保険を利用できる金額という側面から観察すれば,健康保険の利用を先行させた被害者と差ができてしまうことになる。この差は無視してよいということになるのであろうか。

ウ 原判決の論理を展開すれば,労災保険給付がなされた場合も同様に,被害者が優先的に16条請求権を行使できることになるであろう。労災保険給付の場合は,支給額が限定されている給付があるので,公的保険制度の利用面におけるアンバランスが明確に生ずる場合が理解しやすいので,以下,障害補償給付(一時金のもの)を例にとって検討してみたい。

最初に16条請求権の行使により自賠責保険の後遺障害保険金に対応する損害賠償額を受領した被害者は,労災保険に対して請求しても,逸失利益に対応する金額については控除の規定により支給を受けられない(労災保険法12条の4第2項)。

これに対して,まず労災保険から障害補償給付を受け,次に,自賠責保険に対して16条請求権を行使すれば,これまでの実務であれば,労災保険からの求償と被害者の請求に按分して支払われ,労災保険を利用したかわりに自賠責保険を全額受領できない事態が生ずるので,バランスが保たれると言える。しかし,原判決のように,被害者の請求を優先させると,被害者の後遺障害による損害は慰謝料も含めれば,労災保険の給付額を控除しても,まだ自賠責保険金額以上のものが残ることが多いであろうから,結局,自賠責保険からも満額かそれに近い金額が支払われることになると推定される。

要するに,自賠責保険への請求を先行させると,労災保険からの支給を受けられなくなる部分が出てくるのに対し,労災保険への請求を先行させると,労災保険と自賠責保険の双方から支払を受けられることになり,アンバランスが生ずることになるのである。自賠責保険を利用できる利益額を同じにするために,公的保険給付を利用できる利益額に差が生じてもよいという発想は,ものごとの一面だけを見る発想と言える。法制度を論ずる以上,種々の側面を評価せねばならないことはいうまでもない。

「公的保険・自賠責保険請求の先後関係による差」の存在は,直接請求権の帰属・行使の場面で被害者を優先的に取り扱うべき論拠としては薄弱というしかない。

6 結論

上述のとおり,直接請求権の行使にあたり,交通事故の直接の被害者である相手方を優先的に取り扱い,損害賠償額の支払い限度額全額の支払いを命じ,訴外大阪市の請求を完全否定した原判決には,明らかな法令の解釈ないしは適用の誤りがある。相手方を優先的に取り扱うべきではないということになれば,相手方に支払うべき金額は,傷害による損害についての損害賠償額の支払限度額満額である120万円に達することはあり得ないので,判決の結論に影響があることは明白であり,破棄されるべきである。

7 本件は法令の解釈に関する重要な事項を含むものであることについて

公的保険給付に伴う代位請求と被害者の16条請求権が競合した場合の按分的支払の取り扱いは,行政解釈に基づき,ながらく実務で採用されてきたものである(昭和41年12月16日基発第1305号「自動車損害賠償責任保険と労災保険との支払事務の調整について」-乙4,昭和43年7月25日庁保険発第85号「政府管掌健康保険の自動車損害賠償責任保険等に対する求償事務の取扱いについて」-乙5,昭和43年10月12日保険発第106号「健康保険及び国民健康保険の自動車損害賠償責任保険等に対する求償事務の取扱いについて」-乙6)。原判決の考え方が肯定されるとなると,健康保険等の医療関係の公的保険にとどまらず,厚生年金・国民年金分野,あるいは,労災保険分野の取り扱いを全面変更することになる。

健康保険等の医療関連の給付であれば,公的保険者の求償と被害者の請求が競合するのは現時点では120万円にとどまり,金額的には大きな影響はないとも言えるが,労災保険においては,後遺障害ないしは死亡による損害に対応する保険給付が存在し,その支給額が相当程度に達する場合もあるので,これまでとは異なり,労災保険手続き先行の必要性も発生するといえる。すなわち,被害者がまず自賠責保険から損害賠償額を受領すると労災保険給付は支給停止になる部分が発生するのに対して,労災保険手続きを先行させれば,労災保険給付受領後に,自賠責保険からの支払もほぼ満額受領できるということになり,被害者に極めて有利なことになる。任意保険が支払われる場合であれば,あまり実務上の意味はないのであるが,任意保険が支払われない場合(付保されていない,あるいは,免責事由などがある場合等)には,無視できない問題となる。

このように,本件は,結論次第では,長年の自賠責保険実務のあり方の変更をもたらすもので,また,被害者の権利にも大きな影響を与える性質を有している。本件の論点に結論が出ない場合においては,重大な問題点であるがゆえに,原判決の存在のみで関係行政庁間における意見の調整を図り安定した取り扱い方針を決定することは困難となることが予想され不安定な運用が行われる懸念もある。そうなれば,自賠法の目的とする被害者の迅速な救済の趣旨にも反することになりかねないので,最高裁判所の賢明なるご判断をいただきたく,本申立に及ぶものである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例