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最高裁判所第三小法廷 平成2年(あ)541号 決定 1991年12月13日

本籍

東京都板橋区蓮沼町八一番地

住居

同 板橋区板橋一丁目四九番三号 ライオンズマンション八〇一号

歯科医院事務員

松窪幸司

昭和二二年一月一二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成二年四月一六日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人森保彦、森田倩弘の上告趣意のうち、憲法違反、判例違反をいう点は、原判決は所論指摘の事実を実質的に処罰する趣旨でないことが判文上明らかであるから所論は前提を欠き、その余は、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄)

平成二年(あ)第五四一号

○ 上告趣意書

被告人 松窪幸司

右の者に対する所得税法違反控訴事件につきまして、弁護人は次のとおり上告趣意書を提出致します。

平成二年七月五日

弁護人 森保彦

弁護人 森田倩弘

最高裁判所第三小法廷 御中

刑事裁判の目的は、被告人を重く処罰することではない。

刑事裁判は、起訴された犯罪行為の態様に従い、提出された各関係証拠の中から、情状を含めて、事実を正確に把握し、適正な法定手続のもとに適格な判断を下すものでなければならない。

それは、被告人をして納得させ、刑事裁判に対する不信感をもたせるものであってはならない。

本件は、被爆者を両親にもつ不遇の被告人が、明日をも知れない不安とたたかいながら老いた父や子供達の将来の糧をえんとして犯した所得税法違反事件である。

被告人の犯した所得税法違反の事実は否定しえないうえ、その脱税額も大きいものであるが、本件は、世上みられる悪質な脱税事件と異り、動機、方法などに酌むべき事由が認められるばかりか、ほ脱本税の一〇〇パーセントといってよい税金が納付もしくは納付の保証が東京国税局との間で約束されている事案である。

所得税法の本質は、国家の財政的基盤を確保せんとする目的のもとに、国家がその任務を行うために必要な財源を適正かつ公正、公平に入手せんとするものである。

従って、本件の情状において、最も注目すべきは、ほ脱税金が納付ないし納付に対する努力がなされているかという点であって、被告人に納税の義務の自覚が認められたかどうかという点である。

弁護人は、被告人とともに、第一審判決以降も、納税の義務の目覚めとともに納税の努力をしつづけてきたこと、後に述べるとおりであるが、原判決は、次の二点で重大な誤りを犯し、結果として違法違憲の判決となっているのである。

第一点は、原判決が被告人の所得の原因を高金利貸金業に求め「高金利による貸金業の刑責追及を避けると共に所得の秘匿を図った」としてこれを量刑の決定的基礎としていることである。

高金利に対する規制は、本来これを取締る法規にまつべきであって、これを所得税法違反事件に認定、考慮することは許されない。

本件では、出資法違反については起訴されておらず、かえって公訴時効にさえなっているのである。

従って、これはすでに刑責を問いえなくなった出資法違反(はたして、同法違反で起訴できる事案かどうかも不明であるし、被告人は反論も防禦の機会さえなかった)を本件所得税法違反事件の中で、実質上処罰するのはあきらかに不告不理の原則に反し違憲といわざるをえないし、最高裁判例にも違反する。

第二点は、原審は、検察官から控訴の提起もないのに第一審判決より実質上重い判決をなしていることである。

被告人は、第一審判決言渡以降も納税の努力をなしていること後に詳述するとおりである。

所得税法違反の本質が、国家財政の基礎を確保し、もって国家の運営をなしてゆくところに求められる以上、第一審判決後のほ脱税金の納付並びに残ったほ脱本税全部の支払約束、東京国税局との交渉(民事的には示談成立に相当する)など、ほ脱税金の納付によりすべてを失った被告人の納税の努力は原審の情状において最大限の考慮が可能であるし、必要である。

それにもかかわらず、第一審判決と同一内容の判決が出されるということは、その後の所得税法違反事件の本質に則った納税努力(関歯科医師の協力を含めて)は何ら考慮していない結果と同一である。

これは実質的にみて、第一審判決より重い判決が下されたとしか考えようがない。

被告人が貸金業を営んでいたため救われないのか。今は貸金業もやめて、歯科医助手として更正の道を歩んでいてもだめなのか。

本件が、はたして老いた父と子供達を残して懲役刑の執行をうけなければならない事案なのか。

原判決は、被告人に有利な第一審判決後の情状を無視し逆に重い判決を下している違法がある。

刑事裁判の目的は被告人に制裁を加えることではない。人間である以上過ちはある。

原判決には血も涙もみられない。

以下、具体的に述べる。

第一、原判決は、本件の訴因が公訴事実及び罰条から所得税法違反事件であるにも拘らず、出資の受入れ、預り金及び金利等の取り締りに関する法律(以下、単に出資法という)第五条の高金利違反事件としても判断し、これを量刑の資料とした違法があり、不告不理の原則に違反するとともに、憲法第三一条に違反する。

すなわち、原判決はその理由の中で「被告人は貸金業の当初から偽名を使用し、従業員にも偽名を使わせてその名義の事務所名で支店を開設した上、これらの事務所、支店を転々移動させて、高金利による貸金業の刑責追及を避けると共に所得の秘匿を図ったものであって、所論にも拘らず犯行の態様は悪質である」と決めつけている。ここでいう「高金利による貸金業の刑責追及」とは出資法第五条に規定のある高金利罰則規定を指すものであることは明らかである。

原判決は、一審判決を維持するため、本来公訴時効(出資法第五条、刑訴法第二五〇条第五号)にかかっている高金利に対する実質上の制裁を実現せんとして本件起訴事実の中にこれを量刑のうえで認定、考慮したのである。

仮に、被告人に出資法違反の事実があれば、本件とは別に起訴すべきであり、起訴された場合にはじめて被告人には出資法違反被疑事実に対する反論と防禦の機会が与えられるのである。

被告人が本件で認容したのは「所得の事実」だけであって、それ以外は事情にすぎない。出資法違反の被疑事実も本件所得税法違反事件の中で問われるというのであれば、この点に対する主張も弁明も十分に尽す努力をしたはずである。

それにもかかわらず、原審は、出資法違反の被疑事実を本件の所得の原因として認めるだけにとどまらず、実質的に犯罪事実の中にとり組み、悪質な所得税法違反ときめつけ、犯行態様の一つの柱とさえしているのである。

所得税法違反事件を罰する根拠は、国民の納税の義務履行を確保し、国家の財政的基礎づくりのためであって、所得を得た者が、その所得に応じて納税の義務を尽くすことを遵守させんとするところにある。

従って、所得税法違反の本質からみると、それがいかなる所得原因に基くものかについては本来無関係である。

それを原審は、本件が出資法違反の疑いがある高金利から得られた所得である理由からこれを本件所得税法違反事件に認定、考慮しているのであって実質的にみて、刑事訴訟法の基本原則である不告不理の原則に違反し、従ってまた憲法第三一条の「何人も、法律の定める手続によらなければその生命もしくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」という法定手続の保障規定に違反する。

本件被告人について、いかなる理由から出資法違反の被疑事実について起訴されなかったのかは不明であるが、いずれにせよ右被疑事実についての法的責任が追及できなくなっているにもかかわらず、これを実質的に処罰する結果となるような判決は到底許されないものである。

よって、原審は憲法第三一条に違反したものとして破棄されるべきものである。

第二、原判決は憲法第三九条に違反するので破棄を免れない。

すなわち原判決は、右指摘のとおり本件につき出資法違反事件として、これを処罰する趣旨で量刑の資料とするが、少なくとも原判決時点では出資法違反事件は公訴時効にかかっている(出資法五条、刑訴法二五〇条五号)。公訴時効にかかった犯罪について処罰できないことは当然であり(法三三七条)、量刑の資料とすることもできない。

従って、出資法違反を処罰する趣旨で刑の量定の資料とした原判決は憲法第三九条に実質的に違反するものである。

憲法第三九条は、直接的には刑の不遡及を規定し、二重処罰を禁止するものであるが、公訴時効が成立した犯罪についてこれを処罰できない趣旨も当然含むと解すべきだからである。

第三、原判決は、判例違反としても破棄されるべきである。

すなわち、前記のように不告不理の原則に反した場合、憲法第三一条に違反して許されないことは、最高裁判所判例の確定しているところである(昭和四一年七月一三日最高裁大法廷判決刑集二〇巻六号六〇九頁、昭和四二年七月五日最高裁大法廷判決刑集二一巻六号七四八頁各参照)。

右昭和四一年の判例は、刑事裁判において起訴された犯罪事実のほかに、起訴されていない事実を認定し、実質上これを処罰する趣旨で量刑の資料として考慮し、これがため被告人を重く処罰することが不告不理の原則に反し、憲法三一条に違反するとして「刑事裁判において、起訴された犯罪事実のほかに、起訴されていない犯罪事実をいわゆる余罪として認定し、実質上これを処罰する趣旨で量刑の資料に考慮し、これがため被告人を重く処罰することは許されないものと解すべきである。けだし、右のいわゆる余罪は、公訴事実として起訴されていない犯罪事実であるにかかわらず、右の趣旨でこれを認定考慮することは、刑事訴訟法の基本原理である不告不理の原則に反し、憲法三一条にいう、法律に定める手続によらずして刑罰を科することになるのみならず、刑訴法三一七条に定める証拠裁判主義に反し、かつ、自白と補強証拠に関する憲法三八条三項、刑訴法三一九条二項、三項の制約を免れることとなるおそれがあり、さらにその余罪が後日起訴されないという保障は法律上ないのであるから、若しその余罪について起訴され有罪の判決を受けた場合は、既に量刑上責任を問われた事実について再び刑事上の責任を問われることになり、憲法三九条にも反することになるからである。」と判示している。

本件は、右判例のように被告人が自白した余罪についてのものではないが、「起訴されていない犯罪事実」を認定したのと同じ結果になるように「量刑の資料」となした点で実質的にみて同一である。

すなわち、同判例の余罪にあたるものが、本件における「出資法違反被疑事実」であって、ともに起訴事実とは直接関係のない点で共通しており、これを起訴された犯罪事実の中に認定考慮することが不告不理の原則に反し許されないことは当然のことである。

本件が出資法違反の被疑事実について、具体的に認定しているものではないが、前記第一で述べたとおり、原審が出資法違反の被疑事実を「実質上これを処罰する趣旨で量刑の資料に考慮」していることは明らかであり、悪質な犯行態様の一つの柱とさえしているのである。

従って原判決には右判例に違反した違法があり、破棄を免れないものである。

第四、原審における控訴趣意書との関係は次のとおりである。

弁護人は原審において、量刑不当を主張してきたが、その控訴趣意書の量刑不当の主張をみれば明らかなように、ほ脱本税に対する納付を中心にして弁論してきた。出資法違反を問題とすべき事案ではないからである。

この点原審の控訴趣意書をみると、国選弁護人川上三郎の平成元年九月二九日付控訴趣意書五項において「被告人が貸金業を営業するについて高金利であったことは否定しないが、これは顧客が一般大衆ではなくて銀行に当座預金をもっている事業経営者が多く、小切手による融資という方法をとっておったことから貸金の取立てについては小切手の不渡りを出した客はそれ以上の追及をしないというものであったので、貸倒れが相当な高率にのぼっており、その実体からすれば総体的な面から必ずしも高金利による収入とはいい難いものである」と主張し、高金利所得を否定している。

右主張は、当然出資法違反の事実はなく、この点について処罰する趣旨で量刑の資料にすべきではないとの主張を含むものである。原審において主張がなかったということで判断すべきではない。

私選弁護人が選任されて控訴趣意の補充書を出すことを許されたものの私選弁護人としては、この点さらに主張を追加することはできなかった事案であることも考慮されたい。

出資法違反を問題とするまでもなく原審において、違法・違憲な判決が出ようとは思いもよらなかったのである。専門の裁判官が刑訴法の基本原則に違反するとは考えられなかったものである。

第五、原判決には刑訴法第三九七条・第四〇〇条、同法第四〇二条に違反する違法があり、その結果同法第四一一条Ⅰ号に違反し、原判決を破棄しなければ著しく正義に反することになるので、原判決は破棄を免れないものである。

一、まず同法第三九七条・第四〇〇条違反について。

原判決は、被告人の第一審判決後の情状として被告人の納税に対する自覚と、納税の努力について弁護人の請求に基づいて事実の取調べをした。

その内容は、所得税法違反事件については被告人の納税に対する自覚と積極的な納税努力が被告人を救えるかどうかの分水嶺となるものであるとの認識の上で左記のような被告人の情状を訴え、取調べがなされ立証された。

1. 被告人が納税努力をしていること。

2. 被告人の反省と再犯可能性のないこと。

3. 更正が可能であること。

4. その他の情状

計画犯罪性がなかったこと。

悪質でないこと。

帳簿の提出など捜査への努力があったこと。

被告人を援助する友人、家族のあること。

被告人に同情すべき事情のあったこと。

〔被告人の納税努力について〕

《第一審判決前》

被告人の滞納本税額の総額は金三億五四、二五六、八〇〇円であるところ、被告人は自主的に左記内容の納税を実行してきた。

<1> 昭和六二年 三月一七日 金一億五〇、〇〇二、〇二〇円也

(弁第四三、四四、四五号証)

<2> 昭和六三年 三月七日 金三〇〇万円也 (弁第六号証)

<3> 同年 三月二六日 金六〇万円也 (弁第五号証)

<4> 同年 三月二九日 金七三六、五四〇円也

(弁第三九号証)

<5> 同年 四月二六日 金六〇万円也 (弁第八号証)

<6> 同年 五月二七日 金六〇万円也 (弁第一一号証)

<7> 昭和六三年 六月二五日 金六〇万円也 (弁第一三号証)

<8> 同年 七月二六日 金六〇万円也 (弁第一五号証)

<9> 同年 八月二六日 金六〇万円也 (弁第一六号証)

<10> 同年 九月二四日 金六〇万円也 (弁第一八号証)

<11> 同年 一〇月二六日 金六〇万円也 (弁第二〇号証)

<12> 同年 一一月二六日 金六〇万円也 (弁第二二号証)

<13> 同年 一二月二四日 金六〇万円也 (弁第二五号証)

<14> 平成元年 一月二六日 金六〇万円也 (弁第三〇号証)

<15> 同年 二月二七日 金六〇万円也 (弁第三五号証)

<16> 同年 三月二七日 金六〇万円也 (弁第三八号証)

<17> 同年 五月一〇日 金一億二〇〇一七〇〇〇円也 (弁第八一号証)

合計 金二億八一五五五五六〇円也

右納税について、<1>貸金業廃止にともなう整理金などの合計金二億二六〇〇万円を基礎納税額として、<2>被告人所有のマンション(高島平第一サンパワー)を担保に王子信用金庫より借入れた金二〇〇〇万円、<3>鶴見房枝からの借入金一二〇〇万円、<4>鶴見房枝の兄の預金担保による借入金九五〇万円、<5>被告人の父親からの借り入れ金二八〇万円、<6>被告人の子供名義の郵便貯金の解約金六八〇万円などがあてられた。

被告人は、第一審当時において可能であったすべての自己資金を、あたう限り納税の為にあてたばかりか、父親のわずかな手持ち金、子供達の為の将来の教育資金までつかってしまった。

被告人は、生活の基盤であった貸金業を整理し、すべて納税にあてることで再度出発を決意したのである。

丸裸になり、肉親や子供達のお金まで納税にあてた被告人には、国民の義務である納税に対する自覚と、積極的納税の努力が、十分みられるたものである。

その結果、本件にて起訴されたほ脱本税の約八〇パーセントに相当する金二億八一五五万三五四〇円の納付がなされた。

《第一審判決後》

(1) 被告人は、第一審判決(平成元年六月九日宣告)で実刑に処せられたことによりそれまで勤務していた横浜病院を同年七月三一日をもって退職せざるをえなくなった。

被告人は、先行きの不安を感ずるなかにありながら、現在一緒に生活している内縁の妻鶴見房枝の励ましと協力もあって、少し余裕のできた平成元年一一月から再度滞納本税の支払いをはじめている。

<1> 平成元年 一一月七日 金 三〇万円也 (弁第一〇〇号証)

<2> 平成元年 一二月七日 金 三〇万円也 (弁第一〇一号証)

<3> 平成二年 一月九日 金 三〇万円也 (弁第一〇二号証)

(2) 被告人が、所得税法違反被告事件で起訴され、実刑判決をうけたことは、被告人の友人達の間に知れわたり、このことで被告人から離れていった友人もいれば、心配してくれる友人もあった。

現在埼玉県新座市にて「関歯科医院」を経営している関磯次医師は、昭和四六年か同四七年頃、歯科医として一日も早く独立しようとがんばっていたとき、被告人より金銭的援助をうけたことがあったことから、苦境に立っている被告人を助けたいと申し出てきた。

弁護人が関医師に、本件においては被告人の納税に対する積極的努力がなければ情状を裁判所に訴えることすらできない事件であるとはなしたところ、現在、自分には多少の余裕があるので、被告人を関歯科医院で事務員兼助手として働いてもらうことを条件に滞納税金の支払いには協力したいと申し出てきたのである。

そこで、弁護人は、被告人、関医師とともに、平成二年二月二日、東京国税局におもむき、徴収部大蔵事務官の伊藤正美と面会し、弁護人が被告人から聞いていたほ脱本税総額金三億五四二五万六八〇〇円のうち、金二億八二四五万三五四〇円(内金九〇万円は原審判決後被告人が支払った金額)が納付され残滞納本税は金七一八〇三二六〇円となっているのかどうか確認したところ、現在残っている滞納本税は昭和五九年度分金三四六三三六〇円、同昭和六〇年度分金六八二八万四一〇〇円の合計金七一七四万七四六〇円であるとの回答がえられたのである。

関医師は、毎月最低金五〇万円を約束手形をもって被告人の滞納税金の支払いにあて、自分は、被告人の面倒をみて事務員兼歯科医師助手として雇い、毎月二五万円の給料の中から金一〇万円程度の返済をつづけてもらうつもりである事を伊藤事務官に伝えたところ、伊藤事務官はこれをうけいれて、早速被告人と関医師がよく話し合って返済計画案と約束手形を持参するよう示唆した。

そこで、被告人と関医師は、平成二年二月一五日に再度弁護人とともに東京国税局におもむき延滞本税についての支払計画表を添付した同日付「上申書」を提出するとともに、約束手形一〇枚(額面金五〇万円、合計金五〇〇万円)を納付し、東京国税局との約束を履行したのである(弁第一〇三号証・弁第一〇四号証)。

右上申書に基づく延滞本税の支払計画表によると平成三年度には、関医師の金六〇〇万円の支払いのほか、被告人が鈴木輝也に賃貸している前記マンション高島平第一サンパワーの売却による代金(同マンションは、金三七〇〇万円程度で売却できる見込みであり、王子信用金庫から前記納税の為に借入れた金二〇〇〇万円および利息、売却手数料などを差し引いた残金一七〇〇万円)も納付金にあてられている。

弁護人が同マンションの売却について、貸借人である鈴木輝也に被告人の事情をはなして協力を求めたところ、平成二年一二月末日限り、右マンションの明渡が約束され、同人の了解のもと、即決和解の申立がなされた(豊島簡易裁判所平成二年イ第二三号事件、弁第一〇五号証・弁第一〇六号証・弁第一〇七号証。)

被告人は、第一審判決後も、納税の義務を自覚し、よき援助者の協力もあって、あたう限りの納税努力をしてきているのである。

被告人は、関医師の厚意に心から感謝するとともに、関歯科医院にて真面目に働きつつ、東京国税局との約束を守ってゆく決意を固めた。

被告人の関係者全員、被告人を助けたいと念じていた。

〔被告人の反省と再犯可能性のないこと〕

被告人には、過去に風俗営業等取締法違反と競馬法違反による罰金前科があるほか、他に前科前歴がない。

被告人は、今まで、自分が被爆者の両親から生まれたということを、知らず知らずのうちに自分の過ちのいいわけにしてきた傾向がある。原爆症に起因する身体的、精神的ハンデキャップを理由にすれば、多少のことは許るされるということがいつも被告人の頭の中にあったことは否定できない。

確かに、健康な身体で恵まれた生活を送る人とくらべると、被告人の苦しみ、不安、恐怖は大変なものかもしれない。

しかし、だからといって、遵法精神が緩慢になってしまってはならない。

被爆者の子供が苦しいのであれば、被爆者本人である両親はもっと苦しいはずである。現に、今回の事件によって、年老いた父親は息子のことを思い死ぬ以上の苦しみを味あっている(弁第一〇八号証)。

被告人は、原審において、右被告人自身の立場を十分理解し、反省した。

人生に甘えていた自分にはじめて気がついたのである。

第一歩からやり直そうとする決意をした被告人には再犯の可能性はない。

〔更正が可能であること〕

被告人は、関歯科医院において、事務員兼助手として働くことができるようになり、鶴見房枝も被告人の更正に協力することを誓っている。

被告人自身も、万一自分の身に将来何かあって死亡した場合でも東京国税局や関医師や子供達に迷惑をかけないよう、死亡、高度障害のときに金五〇〇〇万円(これが、現在の被告人にかけられる生命保険の限度と思料される)が保障される「ニッセイ終身保険」に入ったのである。

右保険金の受取人である子供達は、その母親である松窪良子を含めて、これを納税のために使用することを希望する旨の確約書を関医師あて差し出している。

被告人の決意、子供達の父を思う気持、関医師の配慮によって、被告人の更正は可能である。

〔その他の情状〕

本件事件において計画犯罪性のなかったこと、暴力団と結びつくなど世上よくみる悪質なものではなかったこと、帳簿類をかくさず積極的に査察、捜査機関に素直に協力していること、被告人に同情すべき事情のあったことなどについては、すでに提出されている、控訴趣意書記載並びに弁論要旨(第一審、原審)のとおりである。

付言すると、被告人は昭和六一年六月から約二年半にもわたって東京国税局と検察庁より取調べをうけたばかりか、実名にて脱税事件が報道(昭和六三年一二月一〇日付読売新聞朝刊、NHKのテレビ報映)され、社会的にも制裁をうけている(弁第一一二号証)。

さらに、関医師という支援者もあらわれ、子供達とくに、長女の甲司子は、父親である被告人の為に、普通高校進学、大学受験をあきらめ「村田女子商業高等学校に入学し、経理関係の仕事をし私自身も父の力になり、税金を一日も早くお支払い出来るようがんばりたいのです。又妹の志津子も来春の卒業と同時に高等学校へはいかず美容師をめざし早く父に協力できるようにと毎日言っています」とのお願い書を弁護人から裁判所に提出してほしいと送ってきた事実がある(弁第一一三号証)。

所得税法違反の保護法益は、国家法益であるとされ、被害者はいわば国民全体であると思料される。国家の財政的基盤確保のため、所得税法による納付を強制されているわけである。その本質は経済犯ないし財産犯というべきものである。所得税法の所得について、専ら経済的に把握するべきであり(昭和四一・一・二七名古屋高、行裁例集一七、一、三三)、帰属した経済的利益はその生じた原因または法律関係のいかんを問わず(昭和四八・九・一二、東京高、高裁刑集二六、三、三三九)とされていることも併せ勘案さるべきである。その償いは、脱税額の納付が第一に考慮されるべき重要な情状と思料される。

罰を犯したことそれ自体の刑事責任はまぬがれないとしても脱税額の納付は重大な情状として、その他の情状にもまして脱税額の納付を優先させて考えるべきであり、納税を督励すべきが法の目的に合致するものと思料する。

本件は、一審で被告人のすべての資産、親や子供の貯金までもくずして納税に廻し、脱税額の約八〇%を納付した。控訴審では、幸い関医師の協力のもと、残ほ脱本税の完納約束がなされているのである。

弁護人としては被告人のなしうる最大限の罰の償いをしたものと考えていた。

残ほ脱本税の完納約束は右のように国税庁の理解と了解のもとでなされていること、関医師の保証やマンションの売却による支払約束が確実なものと理解された結果である。

しかし、原審は右情状について、一顧だにしない控訴棄却の判決によってこれに応えている。被告人を絶望の窮地に追いこむ情の全くない判決としかいいようがない。歯科医師事務員として再出発を計った被告人の真剣な更正意欲を全くそいでしまいかねない。

原審における事実の取調べは、同法第三九三条に基づいて許された取調べであり、弁護人はそれに基づいて弁論してきたこと前述のとおりである。未納本税の納付計画は情状に重大な影響を及ぼし、原判決を破棄しなければあきらかに正義に反するものと思料される。

従って、同法第三九七条によって原判決を破棄、同法第四〇〇条によって自判すべき事案である。量刑に重大な影響を及ぼす事だからである。

従って原判決には、同法第三九七条、同法第四〇〇条に違反する違法があり、結局同法第四一一条Ⅰ号の「判決に影響を及ぼすべき法令の違反があること」に該当することになり、破棄しなければ著しく正義に反するものとなり、破棄を免れないのである。

二、次に原判決には、同法第四〇二条に違反する違法があり、同法第四一一条Ⅰ号により破棄されなければ著しく正義に反するものとなる。

すなわち原審において、被告人は納税に対する自覚と納税の努力を中心に被告人の反省と再犯の可能性のないこと、更正が可能であることなどの情状を訴え立証したこと前述のとおりである。

この原審の情状の仮りに考慮したとすれば(原判決には考慮した旨の記載がある)、原審の裁判官はそれでも第一審の判決に影響は全くないと判断した結果である。原判決は、原審の取調べ結果について「原判決後は、一段と反省の態度を示し、合計九〇万円を納めた上、知人である関磯次医師の支援をうけて鋭意ほ脱本税完納のための計画をたて、その実現に努力する旨約束していること、原審公判継続中に金融業をやめ、現在では関歯科医師の下で事務員として稼動していること」を被告人の有利な情状と認めている。

しかし、その他の情状を含めても「本件が懲役刑の執行を猶予すべき事案とは思料されず」として控訴を棄却しているのである。このことは本件所得税法違反事件が出資法違反の違法営業という点に目を奪われている結果とみるしかなく、この見地が違憲違法なことは再三述べてきたとおりである。

してみると、残ほ脱本税完納約束という被告人と国税庁との約束はいわば実質的な示談であることを看過した審理不尽があるという他はない。

このことは原審の判決の量刑は、軽いという判断に則った結果であるといわざるをえない。これは原判決を実質的に不利益に変更したものと同じことである。

控訴は被告人がしたものであって、原判決の刑より重い刑を言い渡すことはできないとの同法第四〇二条に実質的に違反することになる。控訴棄却について、同法第四〇二条を適用しないという議論もあるが、実質的に判断すべきである。

第六、原判決は、同法第四一一条Ⅱ号に違反し刑の量定が甚しく不当であり、破棄されなければ著しく正義に反するものである。

原判決は、刑の量定の最大のポイントとして二つあげている。

すなわち、高金利による貸金業の刑事責任追及を免れて脱税した点と、その脱税額の多さである。

貸金業の刑事責任云々は、所得税法違反事件として問題にすべきことでないこと、不告不理の基本原則に反すること、すでに再三述べてきたとおりである。

単なる所得税法違反事件としては、その所得の取得原因を問題とすべきではないのである。

原審はこれに目を奪われ、そのため悪質な犯行形態と決めつける違法まで犯して控訴棄却の判決を下した。

単なる所得税法違反事件として事件を正視するときは、その額とか使途、脱税の計画性、再犯の可能性とかの事実を主として量刑の資料とすべきである。取得原因の違法性に目をむけるべきではないのである。それは別件である。

いかなる営業であろうと所得について税法に基づいて処理するのが国民の義務である。営業の違法性については個々に犯罪になるや否やの審判をうける道がある。単なる所得税法違反事件は、その限度において量刑されるべきである。

また、他方所得税法違反事件も特別刑法ではあるが、刑法の理念の中で処遇すべきこと当然である。被告人の前科・前歴の有無、被告人の改悛の情の有無、再犯の可能性など刑罰発動するに際しての諸情状を考慮すべきである。

被告人はほ脱本税の約八〇%を第一審時に納付し、原判決後も残ほ脱本税について国税庁と被告人および支払保証人としての関医師との間で完納計画が出され、これについて国税庁の理解と了解が得られたこと、被告人の一段と深い反省により、関歯科医院の事務員として更正し、再犯の可能性のないことなど第五、一について述べたとおり被告人として最大限の努力をして更正の機会を待っていたのである。

しかし、無情な判決により、実刑判決である一審判決通りとなり、いま絶望の毎日を送っている。所得税法違反事件を起したことは事実であるが、ほ脱本税について完納のめどがつき、被告人をとりまく人達の援助もあって、社会人として真面目に再出発をはかろうとしている被告人の心情にも目をむけなければ生きた裁判ではない。

司法はその厳しさの中にも温情もなければならない。刑の目的が最終的には教育であり、被告人の更正をめざすものであることは論をまたないところである。

しかるときは、本件は量刑において甚だしく不当であって、破棄されなければ著しく正義に反するものといわざるをえないのである。

以上

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