最高裁判所第三小法廷 平成3年(あ)144号 決定 1992年12月11日
本籍
東京都新宿区坂町一〇番地
住居
同 目黒区中目黒区一丁目一番二六―二二一号 秀和レジデンス
会社役員
楢林丘至
昭和一四年四月一五日生
右の者に対する法人税法違反被告事件について、平成二年一二月二六日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人稲見友之、同小野正典の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 貞家克己 裁判官 坂上壽夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 可部恒雄)
平成三年(あ)第一四四号
○ 上告趣意書
被告人 楢林丘至
右の者に対する法人税法違反被告事件について、弁護人らは左記のとおり上告の趣意を提出する。
平成三年五月三〇日
弁護人 稲見友之
同 小野正典
最高裁判所第三小法廷 御中
第一 原判決には、理由齟齬、法令違反ないしは事実誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。
原判決は、上野物件についての仲介手数料の水増し計上五、〇〇〇万円について、尭典が単独で行なったものであり、被告人はこれに関与しておらず、共謀は認められないとして、この点に関し一審判決は事実を誤認している旨判示した。
ところが他方で、高田馬場物件に関してダミー会社を介在させることにより除外した売上五億一、一四七万円のうち一億四、三二七万円について、同様に尭典が被告人に内密に保管したことを認めながら、それは単に被告人において数額の認識に誤りがあったにすぎず除外した全額について共同正犯としての刑責を免れないと判示した。
しかしながら、原判決の右判示には理由の食い違いがあり、共謀の解釈を誤り事実を確認したものであって、一億四、三二七万円についても被告人について共謀は成立しないのであり、原判決は破棄されるべきである。
一、行為態様と被告人の関与
高田馬場物件は、ニッセイ通商がもともとビジネスホテルを建築する目的で昭和五九年四月に観音寺から買い取ったものであるが、早稲田通りとの間に三軒の民家を挟んでおり、その土地を買収しなければ、容積率からみて計画通りのホテルを建築することは不可能であった。当初はそれら民家の地主が買収交渉に応じるかにみえたため、ニッセイは高田馬場物件の取得に踏み切ったが、その後交渉は難航するに至り、六〇年二月ころにはすで膠着状態に陥ったが、被告人は計画がうまくいけばビジネスホテルとして成功すると考え、更に交渉を続行するように尭典に指示していた。
ところがその頃、堀が尭典に対し、この際いっそのこと売却したらどうか、客付けなら自分の方でする旨申し出ており、さらに同年六月頃には、ニッセイ通商が利益調整をしたいのであれば協力するとも申し入れているのであって(検察官に対する尭典の平成元年六月三日付供述調書、以下尭典六・三検面と略す。尭典の一審公判廷供述)、ニッセイ通商がホテル計画を断念して土地売却を決定する以前から、堀らから売却を勧められており、「利益調整」すなわち税の逋脱が堀らによって画策されていたのである。
もちろん、被告人は、堀が尭典にかかる動きかけをしていることなど、全く知らなかったのであるし、さらに堀が尭典に対し、丸洋興発を使って金をバッグすることを勧めていたことも知らなかったのである。
逋脱工作にかかる話はもっぱら尭典と堀との間で進められ、被告人は単に事後的に報告を受けて了承を与えるだけの受動的な役割に終始しているのである。当初、高田馬場物件を買うことになっていた株式会社都市コンサルタントを探してきたのも堀であり(尭典六・三検面一一丁)、都市コンサルタントが契約を断念した後にアーバンランドシステムを捜し出したのも堀であり(右同二四丁)、更にダミー会社の丸洋興発の了承を取り付けたのも堀である(右同一四丁)。
この堀との交渉を重ねていたのが尭典であって、被告人は都市コンサルタントの社長や堀、丸洋興発の四宮らとは会ってもいない。もちろん、各契約にも立ち会ってもいない(被告人六・八検面)。
すなわち、買主が都市コンサルタントからアーバンランドシステム研究所に変更されたこと、ニッセイ通商から丸洋興発に九億六、〇〇〇万円で売却され、さらに丸洋興発がアーバンランドシステム研究所に一四億七、一四七万円で転売して、丸洋興発からニッセイ通商に五億一、一四七万円を戻すこと、そのうち、堀に二、二〇〇万円が支払われ、丸洋興発には一億五、五〇〇万円が支払われたその配分などのすべての経緯についても、被告人の全く関与しないところで決められているのである。
結局、被告人は、高田馬場物件についての売上除外の具体的工作については、事実上全く関与していないのであり、包括的に尭典から事後報告を受けていたにすぎない。
二、原判決の矛盾した認定
原判決は、上野物件での仲介手数料五、〇〇〇万円の水増し計上については尭典と被告人との共謀を否定したが、高田馬場物件での脱税に関しては、一億四、三二七万円について、尭典が被告人には内密で保管したことを認めながら、その分も含めて尭典と被告人との脱税に関する共謀の成立を認めている。
しかしながら、被告人は、具体的な脱税工作に関わっているものではなかったのであり、尭典が被告人に内密に捻出した一億四、三二七万円については、尭典の単独実行にかかるものであり、この点について被告人の罪責を問うことは許されないのである。
原判決は、「ダミー会社を利用した所得秘匿工作は、被告人がこれを決定し、尭典らに指示して実行させたものであり、その結果多額の売上除外に成功した旨の報告を受け、これを了承していたことが認められるから、その数額の認識に誤りがあったとしても、被告人は、除外した全額につき共同正犯としての刑責を免れない」と判示する。
しかしながら、被告人が具体的な逋脱工作を尭典に指示したものでないことは、本件記録上明白であって、具体的な工作はすべて堀、四宮らによって尭典とともに進められ、被告人はただその報告を事後的に受けていたにすぎないのであることは既に指摘したとおりである。
すなわち、ニッセイから丸洋興発へ高田馬場物件を九億六、〇〇〇万円で売却したこととし、さらに丸洋興発からアーバンランドへ一四億七、一四七万円で転売したことにして、差額の五億一、一四七万円を逋脱したのであるが堯典六・三検面、被告人六・八検面によれば堯典は被告人に対して、そのうち一億九、二〇〇万円が丸洋から、バックされると説明し、これを丘至は了解したとされている。
しかし実際には、三億三、四四七万円がバックされており、そのうち被告人に知らされたのは一億九、一二〇万のみであり、その差額一億四、三二七万円は、尭典が独自に秘匿したものであった。
本件の脱税工作において、被告人が具体的にその処理にあたっていたのであればともかく、被告人は具体的な工作に関与していないのであるから、被告人にとって本件逋脱の認識のなかには、尭典が独自に秘匿した一億四、三二七万円は含まれていないことは当然である。
上野物件について五、〇〇〇万円の逋脱を尭典が行なったことに関して、原判決は被告人の共謀を否定したがそれと同じ理由で、高田馬場物件においても、尭典がなした一億四、三二七万円については被告人にはその認識がないのであるから、共謀は成立し得ない。
原判決は、数額の認識に誤りがあったとしても除外した金額について共同正犯としての刑責を免れないと判示するが、罪責が問われるべき根拠は、その数額についての認識そのものであって、逋脱する金額の認識と逋脱する意思とは切り離すことができないのである。
しかも、原判決の判示する量刑理由のなかでは、逋脱額が刑の量定の決定において大きな要素を占めているが、それは逋脱額の認識によってその刑責を論じようとするものである。仮に例えば、逋脱額に関して一億円の認識しかないのにもかかわらず、他の者の手によって実際になされた逋脱額が五億円であったとすると、その被告人に対しては五億円の逋脱額を根拠に量刑を論ずるとすれば、当該被告人は、自己の行為に関わらないことについて処罰を受けることになってしまうのである。
本件法人税法違反について、原判決は上野物件の五、〇〇〇万円について被告人の行為から除外したのであるが、そのような立場に立つとすれば、高田馬場物件の一億四、三二七万円についても同様に行為から除外しなければ、それ自体において矛盾することになるのであって、一億四、三二七万円について被告人の刑責を認めた原判決には理由の食い違いがあり、もしくは共同正犯に関する法令解釈の誤り及び事実誤認がある。
したがって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。
第二 原判決は、被告人に対して懲役一年八月の実刑を科したが、原判決の量刑は不当に重く破棄しなければ著しく正義に反する。
一、本件行為の態様と原判決の量刑
1 原判決は、量刑の理由のなかで、本件逋脱行為について、「被告人の関与にかかるニッセイ通商の法人税逋脱額は、合計五億八、三七四万二、六〇〇円に達し、極めて巨額であり、二事業年度を通じた逋脱率も約八九パーセントと高率である…………相当多岐に亘り巧妙な方法で同社の所得を秘匿したものであって、本件各犯行において主導的な役割を果たしたのは被告人であったと認められるから、その刑責は重いものといわなければならず、本件が被告人に対する刑の執行猶予を相当とする事案とは考えられない」と判示して、実刑を科した。
原判決の量刑理由は、その前提として逋脱額、逋脱率の大きさにあると思われるが、本件のうち、逋脱額のおよそ七割以上を占めるのが高田馬場物件に関する逋脱であり、これに上野物件に関する不正行為を加えると本件の大半を占めることとなるが、これらについてはいずれも被告人は、単に税金を安くする方法を検討するように尭典に指示したことがあるに過ぎず、それ以上に具体的な脱税工作の方法を指示したり、その相談に関与したものではなく、また脱税額をいくらにするかについてさえ被告人の与かり知らぬところで決められている。
原判決の判示するような「巧妙」な方法によって逋脱工作をなしたのは、被告人ではなく堀、四宮であり、さらには、堀らに脱税工作を持ちかけられて、自らその実行をした尭典であって、かかる工作が多岐にわたり、巧妙なものであったとしても、これをもって被告人に不利益な情状として考慮することは相当ではなく、被告人が主導的な役割を果たしたものではないのである。
そして原判決が判示するように、被告人が中心的に動いた場合については後に述べるように決して「多岐に亘る巧妙な方法」ではないし、その逋脱額、逋脱率はいずれも低いものなのである。
原判決が揚げる被告人の主導による件は、昭和五九年五月期の分(逋脱額七、九六〇万七、五〇〇円)と昭和六一年五月期の高田馬場物件での架空値引(一億二、〇〇〇万円)の計上と架空企画料(一億円)の計上、上野物件での架空企画料等(五、一〇〇万円)にとどまるものである。これは、本件全体の所得除外金額に比して、極めて少ないものであって、被告人の刑責を問うにあたっては、全体の逋脱額を基準として量刑を勘案するべきではなく、被告人の関与の度合いによって判断するべきであり、被告人が実質的に主導した場合の逋脱額は低いのであるから、その限りでは、被告人に実刑を科すのは、甚だ不当なものといわなければならない。
2 すなわち、堀は高田馬場の物件について、既に述べたように、以前から尭典に対して土地売却の際には、客付をさせてもらいたいと申入れており、その時点では、ニッセイ通商としては、なおビジネスホテルの建築を断念していたものではなく、売却を決めていなかったのである。
堀が高田馬場物件について売却を尭典に勧め始めたのは、昭和六〇年一月頃からであり、さらに同年六月頃には、ニッセイ通商が利益調整をしたいのであれば協力する旨申し入れているのであって、ニッセイ通商がホテル計画を断念して土地売却を決定する以前から、「利益調整」すなわち税の逋脱が堀らによって画策されていたのである。
もちろん、被告人は、堀が尭典にかかる働きかけをしていることなど、全く知らなかったのであるし、さらに堀が尭典に対し、丸洋興発を使って金をバックすることを勧めていたことも、買主が都市コンサルタントからアーバンランドシステム研究所に変更され、丸洋興発に九億六、〇〇〇万円で売却し、さらに丸洋興発がアーバンランドシステム研究所に一四億七、一四七万円で転売して、丸洋興発からニッセイ通商に五億一、一四七万円を戻すこと、そのうち、堀に二、二〇〇万円が支払われ、丸洋興発には一億五、五〇〇万円が支払われたその配分についても、被告人の全く関与しないところで決められているのである。
上野物件についても、転売と利益隠しを当初から画策して、みずからの利益をあげようとしていたのは、堀であり、その話に直接乗ったのは、尭典である。
要するに、被告人は、ほとんど主導的な役割を果たしていないのであって、もっぱら堀、四宮及びその話に乗った尭典の主導によってことが進められたのであり、被告人が主導的役割を果たしたとする原判決の認定は明らかに誤っている。
しかも、注目すべきことは、原判決も判示するように、尭典は被告人の知らないところで、合計約二億円の資金を逋脱して確保していたことである。
原判決は、尭典が確保した資金は上野物件の五、〇〇〇万円も高田馬場物件の一億四、三二七万円も事業用地買収のための資金に使うつもりであり、病気をして以来安全性を重視するようになった被告人に相談すると反対されることが多かったので、事業拡大を図るために被告人に内密で危険性のある先行投資に充てる資金を確保する必要があったとする尭典の供述は充分に首肯するに足りると判示する。
しかし、仮にそうだとすると、なおさらこの資金確保すなわち約二億円分の逋脱行為は、尭典の独自の考えでなされたものであり、被告人が主導的役割を果たしていないばかりか被告人の与かり知らぬ行為なのである。既に述べたように脱税工作全体に被告人が承諾を与えたことはあったとしても、具体的に金額においては被告人の知らないところなのであって、少なくとも、この点について、被告人の罪責を問うことはできないし、仮に原判示の如くに、被告人について共同正犯としての責任を免れないとしても、量刑の基準としての逋脱額に一億四、二〇〇万円を計上して論ずることは誤りといわなければならない。
しかも、右の逋脱の経緯を見れば、その中心的な役割を担ったのが被告人ではなく、堀、四宮及び尭典であったことは明らかであり、被告人の従属的役割は刑の量定にあたって充分に配慮されるべきであるのに、原判決はかかる斟酌をするどころか、かえって被告人が高田馬場物件や上野物件の場合も含めて被告人が主導的役割を果たしたとの誤った認定をし、その結果、量刑を誤ったのである。
東京地裁昭和六一・三・一九判例時報一二〇六-一三〇は、被告人が従属的立場にあったことを理由として、昭和五八年に相続税・所得税約二億五、〇〇〇万円を脱税した事案について執行猶予とした事例である。なお、この件はいわゆる脱税請負人を利用したもので、相続税の逋脱率九七パーセント、所得税の逋脱率一〇〇パーセント、と高率であり、さらには同和団体の勢威を背景に更生請求ならびに申告行為を行うなど、その態様は悪質であると判示されている。
右事案は、本件に比してその態様は悪質であることから考えれば、本件の量刑にあたって、被告人の従属的な役割が十分に考慮されて然るべきである。
3 原判決は、「昭和五九年五月期については、自ら積極的に知人の徳持正雄や奥山英雄と相談し同人らの協力を得て、架空仕入、架空支払手数料の計上などの方法により同社の所得を秘匿し」と判示し、昭和六一年五月期についても、「高田馬場物件の取引に関し、尭典の進言に基づき同人らに指示して、取引にダミー会社を介在させ、さらに架空値引きを計上するなどして、…………自ら知人の吉武弘中と相談しその協力を得て架空企画料を計上し、上野物件に関しても奥山英雄の協力を得て架空企画料等を計上するなど相当多岐に亘り巧妙な方法で同社の所得を秘匿したものであって、本件各犯行において主導的な役割を果したのは被告人であったと認められるから、その刑責は重いものといわなければならず」と判示する。
しかしながら、昭和五九年五月期の小日向物件においては、逋脱の具体的方法は徳持がもたらしたものでであり、被告人自ら積極的にその方法を指示したり、工作自体を自ら行ったものではない。
また武蔵境物件では、被告人が持ちかけたものであるが、業務委託の方法は、本来奥山が武蔵境物件の隣接地買収で果たした役割に合致する名目であって、全く架空の形態を被告人が捻り出したわけではない。
さらに昭和六一年五月期の高田馬場物件に関する桑和海運の件は後に述べるとおり、本来吉武に企画料が支払われるべきもので、これを利用した逋脱であって、被告人が自ら考え出した工作方法というよりも本来の支払を上乗せした方法というべきである。
その後のペナルティ計上の方法に関しても堀のアイデアにしたがった尭典常務の進言によるものであった(堀六・三検面四丁、被告人六・八検面三〇丁、尭典六・八検面六~九丁)。
上野物件に関しては、手数料支払の方法によるものは、もっぱら堀らの作った筋書きにしたがったにすぎない。
したがって、本来不正行為の方法が多岐にわたったものであるとしても、それは被告人が意図してなしたものではなく、結果的にいくつかの方法が取られたにすぎないものであるうえ、本件での逋脱額の大半を占める高田馬場物件と上野物件に関する不正行為について、被告人は、その具体的行為を指示したことはなく相談に関与したこともない、単に報告を受けたにとどまるものであるから、被告人「相当多岐に亘り巧妙」な方法を案出したものではなく、これを被告人の責任として刑責を論ずるのは、誤りであって、被告人に不当な責任を問うものというべきである。
二、本件の動機
1 被告人は、ニッセイ通商創業以来一五年間、筆舌に尽くし難い辛酸をなめながら、その事業の発展に地道な努力を積み重ねてきており、極めて真撃な姿勢で事業に取り組んできた。
もともと被告人は、旧平和相互銀行と取引のあった日誠総業株式会社の取締役をしていたものであるが、昭和五〇年頃、同社の事業の再編成のために企業分割の必要性が生じ、その際、被告人は都内における不動産開発、マンション建設販売事業を新たに開拓することとなり、ニッセイ通商をおこしたのである。
しかし、もともと日誠総業株式会社が旧平和相互銀行との取り決めにより、東京都内の不動産開発事業の取扱いを許されておらず、新たに被告人が都内で右事業を行うことは、その取り決めの趣旨に反するものであったため、被告人は旧平和相互銀行からの融資・援助が全く期待できない状態のなかから事業を開拓していかなければならなかった。
不動産関連事業、とりわけマンション建設販売事業は、何よりも長期かつ膨大な資金の確保が必要であるにもかかわらず、当初から資金調達に苦しまざるをえない状況から出発したため、高利金融や友人からの担保提供、保証を受けるなどによって、かろうじて資金を調達してきたが、時には、役員報酬の支払が遅延することなどもあり、会社としては赤字が続いていた。
ニッセイ通商の事業は、昭和五〇年四月に「ロイヤル浅草橋」、同五二年十一月に「シェトワ白金台」、同五三年一一月に「シェトワ大井」、同五五年五月に「シェトワ広尾」、同五六年五月「シェトワ佃」、同五六年四月に神田小川ビル、同五八年四月に「シェトワ代々木」を完成させ、業績を重ねてきた。
昭和五八年四月には、当時三多摩地区にはなかったシティホテルとして京王八王子駅前ホテルを完成させ、地域社会の発展にも寄与している。
また、昭和五九年一二月に完成させた「ザ・ホテル・サッポロ」は、当時誰も考え付かなかった、ホテルの部屋を一般投資家に分譲する方式を採用したものであって、卓抜した事業企画力も有している。
昭和六十二年六月には、五反田駅近くのスラム化した五〇軒近くの飲食店街の地権者と粘り強い交渉を重ね、錯綜した権利関係を調整して取纏め、「ホテル・ロイヤルオーク」を建設して地権者からも絶賛される都市再開発をなし遂げている。
このような事業の積み重ねによって、徐々に信用を高め、大成建設、三菱建設、鹿島建設、住友建設、日本リース、住友銀行、三井銀行等の一流企業からも、その経営能力、実務能力を評価されており、利益追求のみを目的とするのではなく、都市環境の整備・向上を目指した事業展開を心がけ、堅実な企業として評価を固めつつあった。
平成元年一月三一日以降、被告人らの企画力が高く買われ、住友建設、東急不動産との共同事業による南箱根ダイヤランド内タワー建設計画に取り組んでいる。
右建設計画は黒川紀章建設設計事務所の設計により、ホテル、マンション、プールを含む延床床面積一万五〇〇坪、地上四五階地下一階建の壮大なものであって、リゾートマンションとしては、日本最高層のものである。
2 ニッセイ通商は、右のように着実に事業を手がけてきたものであるが、会社は赤字が続き、今後の事業展開には、多大な不安を抱き続けていた。
ところが、昭和五九年の決算期に至って、初めて、土地売却による利益が生じていることが判明し、被告人は、にわかにその利益を隠して会社に留保し、会社の基盤を作って日常的に逼迫していた運転資金に充てようと思い立ったことから、本件犯行に走ったに至った。
後にも述べるように、被告人は、本件で浮かせた利益を、個人的な使途に費消することは全くなく、すべて会社のために利用し、会社の将来のために蓄積していたものであって、私的利得を目的としたものではなかったのである。
なるほど、ニッセイ通商が被告人の経営する会社であり、会社の基盤作りは、結局のところ私企業の利益拡大を目的としたものにすぎないとの考え方もあり得るであろうし、かかる判示をする裁判例も存在する。
しかしながら、このような考え方は、比較的規模の小さい企業における法人税法違反においては、会社のために、と考えてなした行為は、およそすべてが個人的な私的な利益を目的としたものと見なされてしまうことになるのであって、甚だしく実情に反することとなろう。
既に述べたように、被告人は、極めて真撃な姿勢で、会社経営に取り組んできているのであって、もとより、営利を求める点においては、他の一般企業とは変わりはないものの、市場の要請するところにできるだけ応え、利益追求をもっぱらにするのではなく、たとえ利益は薄くとも、社会的にも十分貢献しうる事業の実現を図ってきたのである。
被告人が、このような経営姿勢を保っていたが故に、幾多のマンション、ホテルの建築を手がけながら、結局のところ赤字が続いていたとも言い得よう。
被告人は、自らの事業を単なる私的欲望の充足のために行ってきたのではなく、社会的な貢献をも図り、また、従業員の生活の安定のためにも、会社の基盤作りを目指したのである。したがって、被告人にとって、会社の利益は、そのまま自身の利益に直結するというが如き意識は毛頭なかったのであり、極めて純粋な気持ちで、会社の将来を思ったが故の行為と評価できるのである。
3 さらに注目すべきことは、被告人の健康状態である。被告人は昭和五七年頃から糖尿病をわずらっており、同年六月頃には、糖尿病が悪化して眼底出血を起こし、糖尿病性網膜症になってしまった。手術を七~八回も繰返して、ようやく視力を回復したものの、五段階の症状でもっとも重い第五期まで(他方の目も三期まで)進行しており、医師からは、現在の医療水準では、八年後には失明するし、現在でも身体的、精神的ショックで、いつ失明してもおかしくない、と言われている状態にまで陥っている。また、糖尿病性白内障、腎症にも罹患しており、業務の遂行にいつまで耐えられるか、日常的な不安にさいなまれている状態にある(被告人六・五検面四、五。被告人の一審公判廷供述。診断書)。
本件犯行も、被告人がかかる健康状態の中で、会社の基盤作りを、何とか自分の健康なうちに果たしておこうという焦りか生じるものなのである。
会社にとって、これまであげたことのない利益、また今後の予想し難いほどの利益を目前にして、法人税を逋脱してまでも会社の基盤を作っておこうと思うのも、無理からぬ極めて深刻な健康状態にあったことは、十分に斟酌すべきものである。
三、逋脱意図の稀薄性
1 利益発生の偶然性
本件は、初めから利益の発生を見越したうえで予め計画して逋脱を図ろうとしたものではない。
小日向物件は、昭和五七年一〇月にマンション用地として購入したものの、隣接地買収を果たせず、やむなく昭和五九年二月に売却したものであり、武蔵境物件は昭和五七年八月にマンションもしくはホテル建築のため購入したものの、駅ロータリーに面する隣接地の買収を果たせず、昭和五八年一一月に売却したものである。いずれも、当初から転売による利益追求を目的としたものではなく、土地の高騰により、所有者が土地を手放さなくなってしまったために、事業計画が挫折したものである。
その事情は、高田馬場物件に関しても同様であり、ビジネスホテル建築のために用地を取得したものの、早稲田通りに面する土地の買収ができなくなったために売却を余儀なくされたものであった。
したがって、本件犯行の端緒は、極めて偶然的なものであり、計画的な意図を有していたものではなかった。
2 積極的な逋脱意図の不存在
(一) ニッセイ通商並びに被告人は過去において法人税や所得税の逋脱をしたことがなく、また、小日向物件売却の際にも、直ちに法人税の逋脱を企図したものではない。
売却した年度の決算期を迎えたときに、利益の生ずることを知って初めて企図したものであった。
それも、当初の経過は被告人が鴨野常務に対して、「かなり利益が出てるんだなあ。税金が大変だなあ税金を低く押さえる方法はないか」と持ちかけたのであり(鴨野五・三〇検面一一丁)、これに対して、鴨野が通常の経理処理では税金を押さえられない、架空の経費を計上しない限り押さえられない、述べた(鴨野五・三〇検面一一丁)ことに端を発する。
被告人は最初から、積極的に鴨野に対して脱税を指示したのではなく、かなり漠然とした気持を抱いていたにすぎずむしろ鴨野の言葉に触発されて逋脱を図ろうと考えるに至ったというべきである。
被告人は、さらに徳持にこの話を持ちかけるわけだが、被告人は、徳持を税理士と思っていたのであり、税務申告の専門家と考えて相談を持ちかけているのである。つまり、ここでも、なお積極的な意図を有していたのではなく、適法に節税できる方法をも求めていたのであり、徳持から具体的な方法を教えられて初めて、確定的な逋脱の意図を有するに至ったのである。
すなわち被告人の逋脱の意図は、もっぱら自らの積極的意図によって形成されたのではなく、相談した相手から触発されたものであることを無視し得ないのである。
(二) これに続く武蔵境物件では、被告人が積極的に働きかけたことは否めない。しかし、ここでも、隣接地買収交渉を依頼していた奥山に対して、報酬を支払おうとした意図も重なりあっていたのであり、純粋に逋脱のみを目的としていたのではないことに注意すべきである。
(三) 逋脱額の最も大きい高田馬場物件に関しては、当初から明確な逋脱意図があったわけではない。
高田馬場物件では、会社にとって、これまでに経験したことがない、大きな利益が出ることが予想され、今後もこのような機会は訪れることもないとの思いが、正しい判断力を喪失せしめたものであった。
しかし、それも最初から脱税工作を働きかけたものではない。土地売却にあたって、何らかの方法で、すなわち適法な節税も含めて税金を安くする方法を検討するよう尭典常務に指示したものであって(被告人六・八検面三丁、尭典六・一検面一四丁)、積極的、明白な脱税意図を有していたものではない。
このケースでは、堀らの意図的な脱税工作の働き掛けが既に進んでおり、被告人はそのような状態を全く知ることなく、尭典常務に指示したのであって、その後の展開は、被告人の手の離れたところで進んでいたのである。
最終的に被告人に報告された時点では、具体的な脱税の方法や額も確定されており、大きな額の脱税が可能とも思えなかった被告人は、鴨野、尭典にそのようなことができるのか、確認さえさせているのであって、ここでもなお、確定的な逋脱の意図を有していたものではない。
すなわち、被告人は、積極的な逋脱意図を有していなかったものの、尭典、鴨野の言に従い、堀らがしつらえてきた構図に乗ってしまったのである。
このような事態は、上野物件についても同様であり、そもそも、上野物件については、丘至が意図的に購入、売却、脱税を行ったものではなく、堀、四宮らの筋書きに乗せられた尭典の行為を追認したとも言える態様である。
(四) 高田馬場物件のうち桑和海運に関わるものは、被告人のなしたものである。
しかし、この件については、当初、この土地に建築する予定のホテルの共同経営の話を進行させていた吉武に無断で土地を売却してしまったために、吉武からクレームが付けられていたこともあって、企画料としての支払いの必要性があったのである。被告人の逋脱の意図は、この必要性に増幅された点を否定することができない。
実際、吉武への五、〇〇〇万円の支払は、本件逋脱額には計上されていないことからも、その必要性は明らかであり、逋脱の意図のみによって敢行したものではないのである。
その後のペナルティ計上を装った逋脱は、会社の資金繰りに窮した挙句のものであり、いわば利益隠しを重ねた報いでもあるが、やむにやまれぬ面のあったことにも注意すべきである。
これらの行為は、上野物件に関する奥山に依頼した工作も含めて、当初から脱税の意図を有していたものではなく、決算期を迎えてなお利益の生ずることを知り、脱税工作に走ったものであって、一旦利益隠しの味を知った者の人間的な弱さの発露というべきである。
以上の経過を見ると、もとより、被告人の責任が否定れるべくもないことは明らかであるにしても、本件における被告人の逋脱意図はかなり稀薄なものということができるのである。
四、利益隠しの態様と使途
1 本件脱税によって得た利益は、いずれも被告人名義の預金、債権として、そのまま残していたのであり、巧妙な利益隠しを工作したものではない。
小日向及び武蔵境物件に関して、一旦は西川裕美なる架空口座に入れられたものもあるが、その金額は本件全体のなかでは少額であり、それについても後に被告人名義の口座に移されており、利益隠しに徹底するどころか、わざわざ発見されやすい措置すら取っている。
会社の資金として被告人が貸し付けたり、増資に用いられたものも含めて、いずれも税務調査により、極めて容易に判明するものばかりであり、利益隠しの態様は、およそ悪質というには程遠いものといわなければならず、様々な手口を弄して巧妙に利益を隠し、あたかも税務当局に挑戦するが如き、この種事案に往々にして見られる態度は微塵も窺えないのである。
また、税務当局及び捜査官の取調べにあたっても、経費算入その他の点において抵抗を示し、或は、何らかの方法によって罪証隠滅工作を図るケースもまま見られるが、被告人は、かかる行為には一切及ぶことなく、全面的に従って、反省悔悟の情をあらわにしている。
2 さらに、資金使途について、被告人が私的に費消したものが全くないことは注目すべきことである。
一般の脱税事犯では、殆ど例外なく、自己の私的欲望のための費消がなされていることからすると、稀有な例とさえ言えよう。法人税法違反事件で、会社のためになした行為であるとの主張はされるが、多かれ少なかれ、個人的費消がなされているものである。しかしながら、本件では、文字どおり、一銭たりといえども、被告人が私的に費消したものはなく、純粋に会社の為を思ってなしたことが良く窺われる。
小日向物件と武蔵境物件では逋脱したうち、増資資金として二、〇〇〇万円を会社に入れ、また被告人名義で銀行へ預金した合計六、三五〇万円は、すべて会社の借入金の担保として提供し、借入金は会社の運転資金に使われている。高田馬場物件で、丸洋興発から戻された七、二〇〇万円は、社長から会社への貸付金名目で、丸洋興発から入金後、直ちに会社の運転資金として使われている。また、被告人名義の銀行預金についても大半は経理担当の鴨野常務が管理していたのである。
被告人は、これらの銀行預金の金利にすら手をつけていないことに留意されたい。
ましてや、いつ失明するかもしれない健康状態のなかで、自己の個人的欲望を実現しようとしていない態度は、禁欲的とすら言い得るほどである。
3 本件の逋脱額は、大きく、また昭和五十八年度の逋脱率が八四パーセント、昭和六〇年度の逋脱率が九〇パーセントにのぼっており、原判決は、逋脱額は合計五億八、三七四万円に達し、極めて巨額であり、二事業年度を通じた逋脱率も役八九パーセントと高率である旨判示する。
しかし、本件で脱税に関与した者達に対して支払われた金額は総額三億四、二五〇万円にのぼり、逋脱額総額約の六〇パーセントを占めるのである。
すなわち、小日向、武蔵境物件では、一、六五〇万円、高田馬場物件では、二億二、五〇〇万円、上野物件では、一億一〇〇万円が脱税関与者に支払われているのであり、そのうえ、尭典が自ら処理していた二億円の存在は、被告人の全く預かり知らないものであって、結局のところ被告人の手元に残ったものは、申告除外分一〇億八、八〇〇万円のうちの半分以下である約五億円にとどまるのである。
また、昭和六〇年度の逋脱額が高いのも、当時土地の高騰によって多額の売却益が出たものであって、一概に、逋脱額の高さをもって、他の事例にも比して高額な脱税事案ということはできない。
五、修正申告と納税
被告人及び会社は、国税庁の調査に全面的に応じて修正申告をなし、本税、延滞税、過少申告算税、重加算税、地方税のすべてを納付している。
それも法人税については、昭和六二年一二月までに、地方税については、昭和六三年五月までに納付済であって、いずれも本件起訴よりもはるかに早い時期に金額の納付を終えたもので、その点からも、被告人らの反省悔悟の念は顕著である。
納付にあたっては、これまで手付かずのまま蓄積されていた利益を充てたほか、約二億円の借入を起こして支払っている。もちろん、利益を供与した者達からの回収は行っていない。
六、社内体制の整備
本件発生までの経理体制は、公認会計士による税務申告がなされていたものの、経理内容を具体的にチェックすることもなく過ごしてきた。ここに本件発生の一因があったことも否めないところである。
そこで、会社の経理体制を一新し、小黒税理士の厳しく徹底した指導に従い、伝票類の一つ一つの番号を全てチェックして帳簿類と照合する体制を確立してコンピューター管理を行って帳簿の改ざんを防止し、また資金の管理者と伝票起票者が同一であったところを、担当者を分けることにより出入金の管理を厳格にし、今後不祥事が発生しない体制を固めた。
もとよより、被告人も企業の存続発展のためには、適正な納税をすることこそが肝要であることを十分に自覚しているところであり、後にも述べるように、今回の行為によって、著しい信用失墜、借入金の増大による会社経営の圧迫等の事情から、かかる愚かな行為を二度と犯さないよう決意しているところである。
また、被告人の事業上の育ての親とも言うべき次郎丸氏に、各目的な取締役会長ではなく、実質的にも経営状況を監督してもらう体制を作り、その面でも万全を期した。
七、十分な社会的制裁
ニッセイ通商は、被告人の営業力と信用によって、三菱商事、住友建設、東急不動産、大成建設、日本リース等大手一流企業との業務提携、取引を行なってきた。
しかしながら、本件は新聞報道されたことによって、取引先の知るところとなり、被告人ならびに会社の信用は、一挙に失墜するに至った。
大手一流企業との取引があったがために、かえってその影響は一層大きく、会社のみならず、取引先有力企業自体の信用をも毀損することとなり、これまで長年努力して築き上げてきたものを一瞬にして失うこととなった。
ニッセイ通商のように、企業規模としては小さいものの、単なる不動産取引業者ではなく、かなり大きな事業展開を図っている会社においては、信用を失うことが致命的である。
従来のメインバンクであった日本リースは一旦、会社に対する新規融資を停止し、メンイバンクが住友銀行に変わるという事態になった。
また、そのために鶯谷で計画していた高層ビルの建築事業も中止に追い込まれた。他の金融期間との取引も、事実上できない状態に陥り、資金繰りも悪化することになった。
納税資金や運転資金の調達、罰金の支払いなどのために借入金も増大している状況にある。
被告人と会社が、これまでの信用を回復するには、長い期間を要するであろうし、今後被告人らが自ら示す姿勢にもかかわっているといえよう。
したがって、自らを律しなければ今後の業務展開はあり得ないわけで、かかる意味においても、被告人も会社も既に十分な社会的制裁を受けているのである。
八、被告人の反省と再犯可能性の不存在
1 被告人が、本件行為を深く恥じ、強く反省していることは、これまで述べたところからも、そして何よりも被告人自身の一審公判廷における言動からも明らかなところである。
妻信は、これまで頭を下げたことのなかった被告人が今回のことで初めて頭を下げて詫びたことを明らかにした。
長女はショックのあまり泣き出してしまい、父親が受けなければならない刑罰が、結婚にも影響することは避けられない。長男は高校受験を控えて、精神的に大きく動揺していることが窺われる。
何よりも、教育者として高い誇りを持って人生を送り、子供達を厳しく育ててきた父親の受けた衝撃には、計り知れないものがある。
被告人は、高齢の父をこのようなかたちで裏切ってしまったことを、今や、悔やんでも悔やみ切れない思いでいる。
2 ニッセイ通商設立以来、苦労して積み重ねてきた信用を失い、また一から出直さなければならない事態を自ら招いた本件行為の愚かさを、被告人は誰よりも深く自覚している。
またさきに述べたように、多くの企業に多大な迷惑をかけたこと、本来の事業のあり方を忘れ、恥ずべき行為に走ったことによって、かえって会社の基盤を弱めてしまったことを、骨の髄まで知らされたのである。
しかし、住友建設の安枝氏や日本リースの井口代表取締役ならびに帆足支店長らは、本件の如き不祥事を起こしてもなお、被告人を高く評価する。
これも、被告人が本来誠実な人柄であり、真撃な姿勢で仕事に取り組んできたからである。
それだけに、かかる経験を経た被告人が二度とこのような行為に走ることのないことは誠に明らかである。
3 ニッセイ通商は、平成二年四月一〇日に罰金一億六、〇〇〇万円全額の納付を終えている。
また、これまで、会社が起訴されていたことから、他に代表者を譲ることはかえって迷惑をかけることになるため被告人自ら代表者の地位にとどまっていたが、会社の刑も確定し、罰金の納付も完了したので、平成二年五月二五日に取締役及び代表取締役を辞任し本件についての責任を内外に明らかにした。
さらに、被告人が有するニッセイ通商の株式の全てを被告人の父に譲渡し、会社そのものを既に手放した。
また、既に述べたように、被告人は失明の危機にあるが、本件の如き行為に走ったことに鑑み、罪の償いとして、被告人自身がアイバンクに一、〇〇〇万円の寄付をした。
もっとも、被告人は糖尿病性網膜症、白内障であって、これはアイバンクによっても救済されることのない病気であるから、被告人のなした寄付は被告人の病気には何の効果もないものであり、自己のためになしたものではない。
本件脱税の責任は決して軽いものではないが、被告人は真撃な姿勢で事業に取り組んできたものであり、今回の事件によって受けた社会的制裁は限りなく大きく、被告人自身深く反省して今後二度とこのようなことを起こさないよう自戒の念を強めて日々を送っているところである。
九、執行猶予の相当性
以上、述べたとおり、本件における被告人の逋脱意図の稀薄性、逋脱工作への関与の程度の低さ、非計画性、隠滅工作の不在性、使途の清廉性、経理体制の整備、社会的制裁、前科前歴のないこと、反省悔悟の情を勘案すれば、反社会性、反道徳性の強い事案とは到底言えないのである。
近年、脱税事犯に対する量刑が厳しくなっているが、実刑に処せられた事例は、いずれも本件に比して、相当程度悪質な事案ばかりであって、それらのケースに比しても、本件は執行猶予が相当である。
すなわち、
<1> 一年六月の実刑に処した東京地裁五五・三・一〇判決(判例時報九六九-一三)は、昭和五〇年当時で、逋脱所得一二億五、〇〇〇万円、逋脱税額四億五、〇〇〇万円、逋脱率九九・六パーセント特殊浴場の経営者であり、逋脱の反復、罪証隠滅等の態様において甚だ悪質なものであった。
<2> 昭和五二、五三年に計三億二、五〇〇万円の脱税をした医師に対しても懲役一年六月の実刑が言い渡されているが(東京地裁五六・一二・一八、判例タイムズ四六四-一八〇)、逋脱率九九パーセントにのぼり、一貫した脱税意図で継続的な売上除外を行ない、実際には昭和四七年頃から売上除外をしているなど、納税意識が甚だ希薄な事例であった。
<3> 昭和五三年から五五年までの三年間で総額一四億三、〇〇〇万円の所得税を脱税したサラ金業者が懲役二年の実刑を言い渡されているが(京都地裁五八・八・三判例時報一一〇四-一五九)、逋脱率も九八・五パーセントである。
<4> 昭和五二年に法人税一億四、〇〇〇万円を脱税して懲役一年に処せられた例は(東京地裁五八・二・二八、判例時報一〇九〇-一八三)、被告人自身が架空手数料の計上方法を細かく指示し、相当以前から不正行為を継続していたうえ、同種事犯の前科があって、執行猶予期間中に更に脱税に及んだという事案である。
これらの事案は、いずれも本件の動機、行為態様、納税意識、前科等の諸事情において、格段に悪質というべきであるし、逋脱額の点を考えても、右各事件の脱税時期と本件発生の時期との物価の変動からすれば、むしろ、本件逋脱額のほうが、かえって低いとさえ言い得るのである。とりわけ、本件のような不動産取引の高騰によって、かなりの高額な利益が生じ、逋脱額も高くなる傾向が否定できず、逋脱額が高いからといって、直ちに悪質とはいい難いことを見逃してはならない。
<5> 不動産売買等を目的とする会社が昭和五七、五八年に総額五億四、〇〇〇万円の脱税をした事案につき、東京地裁六二・一二・一五(判例時報一二七二-一五四)は、懲役一年八月の実刑を科した。
しかし、このケースは、一人の被告人が多数の会社をグループ企業として支配したうえ、各会社において、多種多様で巧妙かつ計画的な脱税行為を反復塁行した事案であり、しかも従前から脱税行為が継続し、税務署の指摘を受けながらも引き続き脱税工作を敢行したという、極めて悪質な事案であって、本件とは行為態様、納税意識等の諸事情において、比較すべくもないものというべきである。
<6> 商品先物業者が昭和五〇年に一億七、〇〇〇万円の所得税を免れた事例で、架空名義で預金し、さらに清算益金を五人で分配したように仮装して所得を秘匿するなどしていたが、大阪高裁五七・一二・一六(判例時報一〇九四-一五〇)は、懲役一年二月執行猶予三年を言い渡した。
商品先物という業種、昭和五〇年の一億七、〇〇〇万円の価値、特に当時と昭和五八年、五九年の不動産の価格を対比し、さらに隠匿工作の態様をも考慮すると、本件被告人の事案が、まさしく執行猶予に相当するものであることがおのずと明らかになるものといい得るのである。
<7> 給与所得者が売却益を隠し、昭和六一年分の所得税五億五、〇〇〇万円を逋脱した事案で、神戸地裁六三・六・二七(判例時報一二八二-一六九)は、懲役二年執行猶予三年に処した。
右事案は、これまで給与所得者として生活してきた者が、多数の株式を高額に売却することができたため、初めて多額の利得を得、それを逋脱したものであるが、株式売却益を全部除外し、逋脱率は一〇〇パーセントを越える(源泉所得税の還付を受けているため)ものである。
個人的利得のみを目的としている点、逋脱率が高く、還付さえ受けている点などを考えると、右判決の量刑基準からすれば、被告人を執行猶予とすることには何の疑問もないはずである。
<8> 三年間にわたって、有価証券の売買を多数の名義を用いて行い、合計一一億三、七〇〇万円の所得をあげながら、有価証券の売買所得の全てを申告せず、七億一、六五六万円の所得税を逋脱した事案で、東京地裁刑事二五部は、平成元年一二月二五日懲役三年、執行猶予四年の判決を言渡している。
右事案は、本件の逋脱額よりも大きく、逋脱率も九七パーセントという高率であるのにもかかわらず執行猶予が付された事案であり、本件量刑と対比すると本件の刑が極めて重いものであることが明らかである。
以上、これまでに指摘した諸般の事情に鑑みれば、被告人を実刑に処することは、先に掲げた事案の刑に比しても極めて重い。また、尭典が本件において果たした役割は極めて大きく、逋脱額との関係を見ても、尭典は、巨額な逋脱に被告人よりも深く関与しているものであって、本件全体は被告人の主導によるものではなく、尭典の主導による犯行であって、尭典に対する量刑が懲役一年六月、執行猶予三年であることと対比しても、被告人に対する量刑は不当に重く、原判決が破棄されなければ著しく正義に反すると言わざるを得ない。
以上