最高裁判所第三小法廷 平成3年(オ)1233号 判決 1994年4月19日
上告人
内藤和雄
右訴訟代理人弁護士
西中務
被上告人
社会福祉法人昭和学園
右代表者理事
小山雅央
右訴訟代理人弁護士
山崎吉恭
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人西中務の上告理由第一点について
社会福祉事業法二七条一項は、社会福祉法人は、政令の定めるところにより、その設立、従たる事務所の新設、事務所の移転その他登記事項の変更等の各場合に、登記をしなければならないものと定め、同条二項は、前項の規定により登記をしなければならない事項は、登記の後でなければ、これをもって第三者に対抗することができない旨を規定している。その趣旨は、社会福祉法人は、登記をしなければならない事項については、登記をしない限り第三者に対抗することができないものとするとともに、反面、登記をしたときは善意の第三者にもこれを対抗することができるものとすることにあると解される。
ところで、社会福祉法人の理事の退任すなわち代表権の喪失は、社会福祉事業法二七条一項、組合等登記令(昭和三九年政令第二九号)一条、二条により、登記しなければならない事項とされているのであるから、前記規定の趣旨に照らせば、社会福祉法人が理事の退任につき登記をしたときは、右理事の退任すなわち代表権の喪失を第三者に対抗することができ、その後その者が右法人の代表者として第三者とした取引については、交通・通信の途絶、登記簿の滅失など登記簿の閲覧につき客観的な障害があり、第三者が登記簿を閲覧することが不可能ないし著しく困難であるような特段の事情があった場合を除いて、民法一一二条の規定を適用ないし類推適用する余地はないものと解すべきである。
これを本件についてみるのに、原審の適法に確定したところによれば、(1)被上告人は社会福祉法人であり、鷲尾禮子は代表権を有する理事であったが、鷲尾は昭和六〇年四月七日に理事を退任(辞任)して代表権を喪失し、同月一七日その登記がされた、(2) 本件手形三通は、鷲尾が被上告人の理事を退任してから少なくとも八か月経過後に、原判決の引用する一審判決別紙約束手形目録(1)及び(3)の各手形は東條敏夫を、同目録(2)の手形は日本装美株式会社をそれぞれ受取人として、いずれも鷲尾により被上告人の代表者名義をもって振り出されたものであり、その後、右各受取人から被裏書人欄を白地として裏書譲渡され、上告人がこれを所持している、というのである。そしてまた、鷲尾の退任が登記された後、右各受取人らが登記簿を閲覧することは十分に可能であったというのであるから、前記のような特段の事情を認めることができないことも明らかである。そうすると、上告人は、右各受取人らの善意無過失を理由に民法一一二条の規定の適用ないし類推適用を主張して、被上告人の表見代理責任を追及することはできないものといわなければならない。
したがって、原審が本件に民法一一二条の規定の適用ないし類推適用を肯定すべきものとしたのは相当でないが、被上告人の責任を否定した判断は、結論において是認することができる。論旨は採用することができない。
同第二点について
原審は、被上告人が鷲尾に対して退任後も理事長として行動することを容認していた事実が認められないとしたものであり、右判断は是認することができるから、所論はその前提を欠く。論旨は結局において、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであって、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大野正男 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)
上告代理人西中務の上告理由
第一点 民法一一二条の類推適用について
一、原判決は、社会福祉法人を退任した代表者理事(以下「理事長」という)が、未だ現役の理事長のごとく振舞った場合には、その法人に民法一一二条を類推適用して表見責任を問うことができる可能性を認めるも、本件では上告人に過失があったとして同条の適用を否定したが、そこには審理不尽、事実誤認に基づく経験則違背の判断を下した違法がある。
二、本件において過失とは、手形の受取人が、その手形を振り出そうとする者の代表権の喪失を察知し、それを確認するため必要な注意義務を払うべきであったにもかかわらず、かかる注意義務を怠っていた場合に認められる。
ここに、注意義務とは、社会における実際的見地に立って手形の受取人の置かれた個別具体的状況を念頭におき、一般私人では右の代表権喪失を察知することが可能であったかをまず確定し、それが可能と認められた場合に、一般私人としてはその確認をなすべくどの様な配慮をどの程度するべきであったのかという形で論定される義務である。
三、ところで、本件において右の配慮とは、登記簿の閲覧や金融機関への照会をなすということが考えられる。しかし、登記簿を取引の都度閲覧することは相当煩瑣でありかつコストの面でも当事者に相当の負担を強いることになる。また、昨今の登記所の事務処理能力は飽和状態にあり、登記簿謄本を取り寄せようとしても時間がかかり、迅速になさねばならない取引には不都合を来す。加えて、現在では登記後の公告はなされていないから、このことからも登記の公示力には限界がある。そこで、本件ではどの程度の必要性において登記簿の閲覧をしなければならなかったかを検討しなければ、右注意義務を怠ったということはできない。
そして、かような状況の下では、一般的にはかかる注意義務を怠ったと認められるような場合にも、手形を振り出した相手方がその手形を決済するであろうと信頼するに足る個別の事情があれば、それが否定される場合がありうることになる。
(なお、本件の場合、金融機関への照会については、本件各手形振出当時、京都信用金庫枚方支店には鷲尾禮子を代表者とする被上告人の右手形決済口座が残存していたのであるから、照会をすれば同金庫からは被上告人と当座勘定取引がある旨の回答が返ってきたのである。この客観的事実はむしろ手形の受取人を保護すべきであるとの判断に繋がるものと思料する。)
四、そこで、本件における上告人の注意義務の懈怠如何について検討する。
そもそも、社会福祉法人は社会福祉事業というきわめて公共性の高い事業を行うことを目的としており、その設立に会社の設立のごとく法律上の要件さえ満たせば私人間で任意に設立し得るというものではなく、予め定められた資産を準備した上で厚生大臣の認可を必要とし、さらにその経営も、一般の会社のように「構成員」に分配するための利益を得ることを目的として、同業者と資本主義市場で熾烈な自由競争を展開するといったことは有り得ず、厚生省及び都道府県の助成及び監督を受けつつ規則的に遂行されるのである。
したがって、社会福祉法人に対する一般からの経営・経理に対する信用は、会社(商人)の場合に比し格段に厚いものがある。そうだとすると、かかる法人の理事長が振り出した同法人名義の手形を受け取ろうとする者は、最初に登記簿の閲覧あるいは金融機関への照会によって当該理事長の実在を確認した上は、その後の手形の受取りにおいて、法人の名称が変わっていたり、代表者印の印影が変わっていたりあるいは別の人物がその法人の理事長であると称して現れたりするなどの特段の変化がない限り、当該理事長は現在も実在し、支払期日にはその手形が決済されるよう同法人が善処することを信頼して受け取れば足りるのではなかろうか。
五、では、本件の場合はどうであったのか。
被上告人は、本件各手形の決済口座がある京都信用金庫枚方支店とは、当座勘定取引はもとより、金銭消費貸借取引もあった。ところが、被上告人は理事長が交替したことについてその届を同金庫に出さなかった。そして、このことに同金庫も気付かなかった。
信用金庫は、一般の銀行等金融機関に比べ当該地区に密接した金融サービスを展開する性格の金融機関である(各事業者のところへ直接集金に行ったりする)から、たとえ右届が出されていなくても、信用金庫としては代表者の交替等取引上重大な事情は察知し得るところであり、その場合には信用金庫の側が積極的に届出をうながすことが予想される。しかも、京都信用金庫は被上告人に融資していたのであるから、被上告人の代表権の帰属については単なる預金取引があるだけの場合に比し、より多くの関心を寄せていたはずである。
しかるに、本件で同金庫は、右変更届を出すよう求めるどころか、小山雅央が被上告人理事長に就任して八ヶ月も後の昭和六〇年一二月一六日に、退任理事長の鷲尾を、未だ現役の理事長であると信じて、新たな統一手形用紙を交付しているのである。つまりそれは、融資をなしている京都信用金庫枚方支店ですら、被上告人理事長の交替を察知しえなかったほどに、第三者からみれば右交替の前後をはさんで、被上告人の経営の外観には変化がなかったように見えたことを意味する。
なお、鷲尾理事長退任後の右外観に被上告人の与因があったことについては後述する。
六、してみると、本件は上告人が注意義務を怠ったという以前に、そもそも振出人たる被上告人理事長の交替を上告人は察知し得なかった事例であると見ることが可能である。
そして、鷲尾の理事長退任登記後に支払期日の到来する理事長鷲尾名義の手形(<書証番号略>)は、これが決済されていたのであるから、右手形振出時と同じ状況の(被上告人からは鷲尾が理事長を退任との通知も来ていない)本件各手形振出時において、東條敏夫及び日本装美株式会社並びに上告人が、社会福祉法人に対する信用から、今度もまたそれが決済されるであろうと信頼してこれを受領する、あるいは受領させるのは理の当然である。
したがって、かような場合においてまで、手形の受取人は、当該手形を振り出そうとする理事長がすでにその代表権を喪失しているということを察知し、もって登記簿を閲覧するなどの方法によってそれを確認すべき注意義務はない。
よって、上告人並びに本件各手形受取人である東條敏夫及び日本装美株式会社に過失はなかったと解するのが相当であるところ、右各事実を認定しながら同人らに過失ありと結論付けた原判決の判断は、経験則に違背し破棄さるべきものである。
また、右手形用紙の交付時期が鷲尾の理事長退任後八ヶ月も後であるという事実は、原審口頭弁論最終期日に被控訴人(被上告人)の準備書面提出によって明らかになったものである。したがって、上告人は原審で右のような主張をすることが実際上不可能であった。しかるに、原判決は右手形用紙の交付時期も事実認定し、それに対する判断を加えたが、そこには明らかに審理不尽の違法がある。
第二点 商法二六二条の類推適用について
一、原判決は、社会福祉法人の退任理事長が未だ現役の理事長であるかのごとく振舞った場合には、商法二六二条の類推適用可能性があることを認めるも、本件には右類推適用をなし得るに足る証拠はなかったとしてその類推適用を否定した。しかしながら、裁判所がすでに認定した事実関係の下においては、かかる判断は経験則に違背するのみならず理由不備の違法があり、また、最高裁が下した商法二六二条に関する後記判例を前提とする限り、当然に右類推適用が認められてしかるべきであると言わねばならない。
二、まず、これを検討するまえに商法二六二条が設けられた背景とその趣旨を確認しておくことにする。
法人の代表権を有しない者が、あたかも代表者であるかの様な顔をして、法人の法律行為を行った場合に、その法人が相手方(善意の第三者)に対し表見責任を負うべきであると判断されるような事態は、営利法人であると公益法人であるとを問わず発生するものである。この場合、右表見責任を問う根拠を当初判例は民法の表見代理の規定に求めて処理していた(例えば、東京地裁昭和九年一〇月二三日新聞三七七五号七頁)。ところが会社については、とくにそういった事態が発生しやすいことにかんがみ、昭和一三年の商法改正で、明文の規定として二六二条がおかれたのである。しかし、右のような事態は会社以外の法人にも起こり得るのであるから、二六二条と同趣旨の規定は、本来は他の法人法にも必要とされるところである。
ところで、商法二六二条の立法趣旨は、およそ次のようなところにあった。
すなわち、「本条は取引の実情に鑑み、善意の第三者保護の規定である。実際の例として、しばしば取締役の中の一人だけを代表取締役としてその登記をしておいて、他の者には専務取締役または社長の名称を付して、事実手形振出その他の取引を専務取締役または社長が会社代表者の様な顔をして行い、後日問題になると代表取締役は一人であるという登記簿の謄本を提出して、会社の責任を回避せんとする弊害を防ぐために善意の第三者に対しては会社は責任があることとしたのが本条である」(奥野ほか『株式会社法釈義』一七三頁)。
なお、二六二条の規定のしかたからすると、「会社ヲ代表スル権限ヲ有スルモノト認ムベキ名称」を与えられた者(甲という)が、「取締役であることを要すると解される。そして、そうだとすると取引の相手方にとっては同条によって保護されるためには、右の甲が取締役であることを確認することが必要であり、それは登記によって確認することになるから(一八八条二項七号)、登記を見ることが必要になってしまう。しかし、そのように解したのでは代表取締役らしい名称を与えられた者を信頼して取引をした者は、登記を見ないでも保護されるという同条の立法趣旨が貫徹されないことになる。したがって、同条の立法趣旨を生かすために、取締役でない者に代表取締役らしい名称を与えた場合にも、同条の類推適用があると解すべきである。」(前田庸『会社法入門(第二版)』三一一頁)
この立法趣旨及び学界の通説的見解を見ると、同条は会社の場合にしか適用し得ない規定ではないことが窺われ、他の法人の表見責任を問う場合にも類推適用ができるものと解される。
三、つぎに、本件への商法二六二条類推適用に際しては、左記の各判例解釈を参照しなければならない。
(1) 表見代表取締役の行為につき会社が責任を負うためには第三者が善意であれば足り、その無過失を必要としない。(最判昭四一・一一・一〇、民集二〇―九―一七七一)
(2) 本条文の名称の付与は本来取締役であることが前提であるが、会社の使用人に常務の名称を付したときにも類推適用がある。(最判昭三五・一〇・一四、民集一四・一二・二四九九)
(3) 共同代表の定めがあり、その旨の登記もある場合に、当該代表取締役の一人が単独で代表取締役の名称を使用して、行動することを会社が黙認していた事実関係があるとき、当該代表取締役が単独で行った法律行為についても、本条が類推適用される。(最判昭四二・四・二八、民集二一―二―七九八、同旨最判昭四三・一二・二四民集二二―一三―三三四九)
四、以上の解釈に徴すると、本件に商法二六二条は類推適用が可能であると判断される。
けだし、①a、鷲尾の理事長解任は小山ら被上告人の一方的な解任であり(鷲尾証人調書第一項及び第一〇項)、且つb、退任理事の鷲尾は退任後も被上告人の保育所へ現れて経営者のつもりで仕事をしているという状況(鷲尾証人調書第一一〜一四項)にありながら、c、被上告人の当座勘定取引口座が鷲尾の理事長退任後八ヶ月以上もの間、理事長鷲尾名義で残存し、その間振出された手形の決済がなされていた事実、d、しかもその手形振出に必要な被上告人記名ゴム印、理事長印は鷲尾の手元にあったことなどから、退任理事長鷲尾が未だ現役の理事長であると第三者をして信頼せしめる外観の存在。かかる外観に対しては、本件手形決済口座のある京都信用金庫枚方支店ですら信頼してしまったこと前述の通りである。
②その外観を信頼したことに、上告人並びに本件各手形受取人である東條敏夫及び日本装美株式会社は善意であったこと。
そして③右外観は被上告人の了知しうる範囲内での事柄である(裁判所認定の各事実に徴すれば退任した鷲尾が手形を偽造するかもしれないことは、被上告人をして容易に予見可能であったのみならず、本件各手形決済口座の当座勘定照合表は毎月被上告人宛送付されて来ていた《花井証人調書第八項》から、そもそも鷲尾が退任後も自己の名で手形を振り出していることを被上告人は知っていたはずである)にもかかわらず、A、鷲尾が退任しその登記も経た後、八ヶ月もの間理事長交替の届を京都信用金庫枚方支店に出さず、鷲尾が退任後も手形を振出していることを漫然放置していたこと。B、被上告人は鷲尾が理事長当時使用していた理事長印等を、積極的に回収しようとはしなかったこと。(一般に金融機関においては、顧客から日常的な取引の申込があったとき、それが真正であるかどうかの判断は、その申込書に押印された印影が、予め届けられてある印鑑の印影と相違ないことを確認することだけによってなすのである。したがって、被上告人は鷲尾から当該印鑑を回収することが出来なかったのであれば、被上告人はその立場上、京都信用金庫枚方支店との適正な取引を保障すべく直ちに同支店に改印届を出すべき義務があった。ところが、これを怠ったことにより右取引口座の代表者名義は理事長鷲尾禮子のままで残存し、現にそこで鷲尾が振出した手形の決済もなされ、さらには退任登記後八ヶ月も経った後に鷲尾は右取引に基づいて新たな統一手形用紙の交付すら受けていたのであるから、そこでは、被上告人が鷲尾に対し、被上告人を「代表スル権限ヲ有スルモノト認ムベキ名称」をいわば不作為<変更届あるいは改印届を出さないこと>によって附与していたものということになる。)C、また、そもそも会社・法人は代表者が交替したときは、その旨を取引先その他へ挨拶状を出すなどの形で通知するのが常識であるところ、被上告人はこれをなさなかったこと(もし、被上告人からそのような通知があれば、上告人は当然に東條氏らに本件各手形を受け取らせはしない)。
これらのことから、被上告人は退任理事長の鷲尾が未だ現役の理事長であるかのごとく振舞うことを黙認していたという外観への与因。
以上①〜③の三点が認められるからである。
五、本件の手形振出は、被上告人の従来からの負債(花井証人調書第一六・三一〜三四・三六・三七項、鷲尾証人調書第六項)の返済に充てることを目的とする資金調達のためであったが、その実態は、支払期日の迫った手形を新しい手形に書き換えるという方法で債務の弁済を引き延ばしているというものであった。このことを現在の被上告人理事長小山雅央は知っており(花井証人調書第七・三四項、鷲尾証人調書第五・六項)被上告人としてはかかる債務を早く消したく思っていたところである。してみると、本件は前述の商法二六二条の立法趣旨のところで述べられている事例と酷似するものである。こういった状況は、商法一二条の解釈について判示した最判四九・三・二二民集二八―二―三六八の事例にはなかったことを注意されたい。
六、なお、原審において上告人は、鷲尾が理事長退任後に振り出した理事長鷲尾名義の約束手形が決済されていることを<書証番号略>をもって主張した。これに対し原判決は本件各手形と<書証番号略>の各手形とは、その用紙の交付時期が鷲尾の退任前後に分かれる点を指摘し、<書証番号略>を被上告人の責任の論拠とすることに否定的見解を示した。しかし、どの手形用紙をいつ使うかは、あくまでも振出人の自由なのであって被上告人の本件責任を左右するものではない。原判決の右見解は、畢竟手形の受取人に手形用紙の番号によって振出人代表者の交替を推し量れという不可能を強いるものであると言わねばならない。
そもそも、原判決が本件各手形に用いられた統一手形用紙の交付時期について言及するのであれば、どうして鷲尾本人が、右用紙の交付を「理事長退任登記後」八ヶ月も経った後に受けることが出来たのか、という点を疑問視しなかったのであろうか。統一手形用紙は当座勘定取引先に対してしか交付されないのである。この点こそが、いままで述べてきたとおり、被上告人の本件表見責任を問う上で非常に重大な点となるはずであるのに、原判決は見落としている。
しかも、手形用紙の交付時期が異なるという被上告人(被控訴人)の主張は、前述の通り口頭弁論最終期日において主張されたものである。したがって、上告人はこの主張に対する右のような反駁の主張をなすことが実際上不可能であった。かかる意味において、原審は審理不尽のまま判決を下した違法がある。
七、以上のとおりであるから、原判決の「被上告人は理事長を退任した鷲尾が未だ現役の理事長のごとく振舞うことを容認していたと認めるに足る証拠はなく商法二六二条の類推適用はない」との判断は、審理不尽、経験則に違背しかつ理由不備そして商法二六二条の解釈適用を誤った違法がある。