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最高裁判所第三小法廷 平成3年(行ツ)20号 判決 1991年4月02日

東京都新宿区大久保一丁目一番六号

上告人

山野彰英

右訴訟代理人弁護士

小杉丈夫

内田公志

松尾翼

東京都新宿区北新宿一丁目一九番三号

被上告人

新宿税務署長 大井章列

右当事者間の東京高等裁判所平成二年(行コ)第五九号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が平成二年一〇月二五日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人小杉丈夫、同内田公志、同松尾翼の上告理由について

本件株式は上告人が取得して譲渡したものと認めるべきであるとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 坂上壽夫 裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 可部恒雄)

(平成三年(行ツ)第二〇号 上告人 山野彰英)

上告代理人小杉丈夫、同内田公志、同松尾翼の上告理由

目次

一、(上告理由の要旨)

二、(原判決の推認の誤り)

三、(原審判決理由四項の問題点)

四、(特段の事情の存在)

五、(むすび)

一、上告理由の要旨

原審判決は、後に詳述するとおり、(1)証拠に、基づかない事実(間接事実)を基礎とし、かつ(2)合理的な経験規則に基づかない確認によりなされたもので、理由不備により破棄と免れないものである。(本上告理由書が依拠する法理論について賀集唱「事実上の推定における心証の程度」民事訴訟雑誌一四巻四〇頁以下参照)

二、原審判決の推認の誤り

1.上告人・被上告人間の本件紛争の唯一の争点は、山野敬子名義で購入された第一審判決添付別表(以下「別表」という)三の株式が実質的には誰に帰属するか、の点にある。

原審判決は理由の三項6において「以上の各事実(理由三項1乃至5に適示の事実)は、別表三の株式がその名義にかかわらず控訴人(上告人)に帰属するものであり、したがってまた、本件株式は控訴人(上告人)が取得して譲渡したものであることを推認させるものというべきである」と判示する。これは結果的に、「上告人が山野敬子の名義を冒用した」と認定していることにほかならない。

他人名義を冒用することは、様々な局面でしばしば見られることであるが、経験則上、他人名義を冒用する場合、冒用者には、<1>何らかの理由や背景が存在し、<2>これに対応するため、冒用者が意図的・目的的に他人名義を冒用する、と考えて間違いない。何らの理由や背景もなく、又何らの意図や目的もないままに他人名義を冒用することは、あり得ない。

それ故右のような経験則を破って「他人名義の冒用があった」と認定をするためには、少なくとも<1>他人名義を冒用せざるを得ない状況・背景の存在と、<2>他人名義冒用者において他人名義を冒用する目的・意図があったこと、の二点について証拠に基づいた判断をすべきものであり、その立証責任は名義の冒用を主張する側(本件では被上告人)にある。然るに、被上告人は一審及び原審を通じてこのような<1>状況・背景及び<2>目的・意図を認定できる証拠を一切提出しておらず、又その余の証拠にもこのような<1>状況・背景及び<2>目的・意図を認定できるものはなく、事実判決上にもこの点に関する認定はなされていない。即ち原審判決は、経験則を破る主張をなす被上告人が自己の立証責任を怠ってなすべき立証を一切行っていないにもかかわらず、そしてこのため経験則を破るだけの証拠が一切ないにもかかわらず、右の経験則を度外視して漫然と被上告人の「名義冒用」の主張を認めているのであって、証拠に基づかず事実認定をするという決定的な誤りを犯した判決と言わざるを得ない。

2.右の原審判決の構造的な決定的誤りに加えて、更に個別的な認定論においても、以下のとおり、原審判決は事実認定を誤っていると言わざるを得ない。

即ち原審判決の理由三項1乃至5の事実から認定事実を推認することはできないのである。その理由は以下のとおりである。

(一) 三項1項摘示事実は、全般的な事実で、別表三の株式が山野功子に帰属するとしても何ら矛盾を生ずる事実でなく争点についての判断を分けるうえで、そもそも「推認」の基礎となり得る事実ではない。

(二) 次に、三項2で認定された事実のうち、「当時・・・控訴人(上告人)他の兄弟の妻も山野グループの会社の役員になっているが」と認定しているが、右認定は証拠に基づかない認定である。成程、上告人の一審本人尋問一六項及び一三四項中には右認定に添うかのごとき表現はあるが、それらはいずれも、日本レース株を買い始めた昭和五四年頃上告人以外の兄弟の妻が「役員」として山野グループで働いていたことを述べたものではなく、むしろ昭和五四年当時山野功子のみがYBMグループの関連会社の役員であり株主であったことを明らかにしているのである。

控訴審による右認定は、原審判決の判断の拠り所の一つとしてきわめて重要な位置を占めている。即ち、原審判決は、四項1(七丁表)において、「功子のみについて右のように大量の株式をYBMからの借入金で購入する必要があったとは認められない」との認定をしているが、その認定は、「上告人の他の兄弟の妻も山野グループの役員をしていた」という証拠に基づかない認定を前提にしている。前述したとおり、右前提事実の認定は、きわめてあいまいな証言中の受け答えの言葉尻をとらえたもので、かつ事実に反するものである。かかる証拠に基づかない事実を基礎に、ドミノ倒しのように推認による事実認定をおし広げている原審判決には、判決の理由に重大な不備があると言わざるを得ない。

もとより、一連の日本レース株買収は、上告人の父山野治一が率いる山野グループ全体がバックアップしているものの、資金の出拠を見ればおのずと明らかなように、山野グループの一部をなしている、上告人が率いるYBMグループが主導で行ったもので、買収した日本レースは現実にYBMの系列下に置かれて、化粧品の製造を行った事実もある(一審の原告本人尋問中で、上告人は明らかに、山野グループとYBMグループの違いを述べ、山野グループの総帥は父の山野治一であり、上告人はYBMグループの総帥にすぎないことを明言している)。

そして、甲第一号証を見ればおのずと明らかなように、税務調査の行われた昭和六〇年頃に作成されたこの会社案内では、上告人の妻である山野功子のみが常務取締役に就任しており、被上告人の調査以前から山野功子が、上告人の他の兄弟の妻と比べて特にYBMグループ(山野グループ全体ではない)と強く深い関係を現に持ち、かつ又将来にわたり持つことが方向づけられた立場にいたことが明白である。それ故に功子はYBMから多額の借り入れをすることができたし、そうしてまで、日本レース株を購入する理由もあったのである。このように原審判決のいう「功子がひとりだけの右株式取得と同人がYBMの役員に就任することとの合理的関連性は」、明白に存在している。山野功子のYBM役員就任時期が、長兄、次兄の妻のそれぞれの山野グループ(ヤマノビューティーメイトグループではない)の法人の役員になる時期まで遅れたことは、このような合理的関連性を否定する事実になりえない。原審判決は、これらの証拠上容易に認定し得る功子とYBMの強い関係の存在に目をふさぎ、上告人の他の兄弟の妻が日本レース株を取得した者がいないことを以て、功子の日本レース株の購入の事実を否定しているのであって、到底証拠に基づく認定とは言い難い。

三項2のその余の事実は、別表三の株式が誰に帰属するかを決定する基礎となるような事実とはいえない。

なお、上告人の父母兄弟は、「山野グループ」を支える中心的人物であり、YBMの株主であり取締役ではあるが、これらの者はYBM及びYBMグループを支える中心的人物ではなく、YBM及びYBMグループのすべての実権は昭和五四年以降上告人が有していたものである。

(三) 三項3については、功子が有価証券売買契約書の作成や取得株式の名義書換等の事務手続等にあたって功子が自ら行わず、上告人の指示で小川がこれを行ったのは事実であるが、功子以外の上告人の親族の株式取得においてもこの間の事情は同じであって、功子のみが他の親族と異なる法的関係に立つと認定するだけの決手にはなり得ない。

(四) 三項4の第一文の事実は、むしろ「上告人が税法上の扱いを知っていたので、株式売却名義のいかんを問わず自己の株式売却数を二〇万株未満にとどめたこと」を合理的に推認させる事実というべきである。一審及び原審の認定は、あたかも「税法上の定めを知っている者は、この税法の定めを逃れて脱税をするものである」との前提即ち「国民は脱税を犯すものである」と経験則があるかの如き認定である。しかし、このような経験則は存在しないことは言を待たない。

第二文の摘示の点は事実であるが、この事実から要証事実を確認できないことは後記四3記載のとおりである。

(五) 三項5第一文の争いのない事実は、本件事実の争点との関係では、要証事実を推認をする基礎となる事実ではない。又第二文における認定事実即ち、経理処理について山野功子が「直接」指示を出していないという点は上告人も争うものではないが、これは功子がその処理を上告人に一任したためであって、その間の事情は、山野功子以外の日本レース株を買った山野一族と全く同じである。従って、この事実も要証事実推認の基礎とはなりえない。

第三文については理由四項中の判示を引用しているものであり、その問題点については後述する。

三、原審判決理由四項の問題点

1.理由四項1でまず控訴判決は「控訴人の他の兄弟の妻も山野グループの会社の役員をしているのに」「功子のみについて右のように大量の株式をYBMからの借入金で購入する必要があったとは認められない」とする。

しかし、既に述べたとおり、証拠上昭和五四年当時控訴人の他の兄弟の妻が山野グループの会社の役員に就任していたことを認定できる証拠はなく、従って、前段の認定は証拠に基づかないものである。逆に証拠上は、功子がYBM及びYBMグーループ(山野グループではない。甲第一号証一〇ページ目及び一審原告本人尋問一四七甲乃至一四九甲から明らかなように、山野グループの一角を占めるものとしてYBM及びYBMグループがあり、上告人は昭和五四年以降YBM及びYBMグループの総帥となっている)と強い関係があり(昭和五四年時点で既に山野功子はYBMグループの関連会社の役員であり株主であって、昭和六〇年の時点でYBMの常務である)、他の上告人の兄弟の妻は昭和五四年時点もそれ以降も、功子のようにYBM及びYBMグループとの間に強い結びつきを有していなかったことが認定できる。しかしながら原審判決は右のような証拠の存在にもかかわらず証拠に反して「功子ひとりだけの右株式取得と同人がYBMの役員に就任することとの合理的関連性はやはり明らかでないと言わざるを得ない」という根拠のない結論を導いている。

2.次に、四項1第三段で原審判決は、小川が、慎重かつ確実に仕事をしている部分があるという理由で「借主を誰にするかといった重要な指示を取り違えたり、あるいは曖昧な理解のまま事を進めたりすることは通常あり得ない」とするが、原審判決が、小川について「事務能力がある」と認定している根拠は、<1>昭和五一年から三年間YBMで経理を担当したこと、<2>日本レース株の取引で契約書を作成し、資金の借入手続を任されたこと、<3>契約書に公証人の確定日付をとったこと、の三点のみにすぎない。しかしながら、この三点のみから直ちに「曖昧な理解のまま事を進めることは、通常あり得ない」と断定するだけの事務能力の存在を認定することは、一般社会における経験則に合致しない。仮に能力を備えていても、不明確な指示を受けた場合には本人にそれを再確認しない限り、指示の意味を確定できないのは当然であり、上告人が多忙でなかなか小川につかまらなかったこと、他方で定められた決算期が迫ればとりあえず経理処理をせざるを得なくなるのは当然であって、本件の記帳が上告人の意に反した形でなされたことは、小川の事務能力の有無とは関係ない。

3.加えて原審判決は、「もし小川が経理処理を間違えたのであればその間違いに気付いたという昭和五五年三月に経理上の是正措置をとればよく、これが困難であったとの事情は認められない」とする。上告人も小川が右の「是正措置をとるべきであった」かもしれない点については、原審の判断に異論を差し挟む意図はない。しかしながら、「肯正すべき」であったからといって、小川の誤りそのものがなかったかの如き認定をなす原審判決の説示は、証拠と合理的経験則に基づくものではなく、このような判決は理由を欠く判決と言わざるを得ない。

特に、この点に関連して、原審判決は理由四項2第三文において、昭和五五年三月の三四〇〇万円のYBMからの資金の流れについて「功子がYBMから借入をして右貸付の一部返済をした・・・こと自体はあり得ないことではないにしても、わざわざYBMから借り入れをしてまで右一部返済をしたいきさつについて納得し得る事情が見当たらず、いささか不自然、作為的な処理であるとの感を免れない」と論ずる。しかし、それは原審判決が四項1、第三段で、「小川は誤りを犯すはずがない」とか「誤りがあったなら、是正措置をとればよかった」といった架空の立論をして、次項(2)記載する如き、現実に小川のなした処理等の事実から自らそらしているから「納得し得る事情が見当たらない」にすぎない。

4.上告人が妻功子との間で無利息の貸付に関して契約書を作成しなかったことは、間違いなく上告人の落度と言うべきものだが、そのような無利息の貸付を夫婦間で行わざるを得なかったのは、(1)自己の小川への山野敬子名義の日本レース株の扱い指示が不明確であったことと、(2)これに気づいた昭和五五年三月に、小川において原審判決の指摘するように帳簿の記載を肯正すべきだったにもかかわらず、判断の誤りもあって、帳簿に合わせて法律関係を変更したため契約書作成が失念されてしまったことによる。

上告人の税務申告上功子への貸付が失念されてしまっているのも、又、その後の功子からの上告人への返済が借入額を越えてしまっていたのも、きわめてずさんな貸金管理であることは事実だか、それは右のような経緯で貸し付けをしたため、上告人においても功子においても、上告人が功子に貸付をしているとの通常の賃借における貸主、借主の意識が希薄であったために外ならない。本件では、上告人及び功子が当初予定していない経理処理を小川が行ったため、これを追認する形であわただしく昭和五五年三月に上告人・功子間でなされた契約であったため、とりあえず二四〇〇万円については、功子がYBMから借りて上告人に返済したものの、残金については契約上の処理が粗雑になってしまったもので、それなりの特殊な事情が存在したことに留意すべきである。

5.次に原審判決は、「上告人が年利五パーセントで借りたものを功子に無利息で貸し付けているのは合理性を欠くので肯定し得ない」とする。その理由とするところは、恐らく毎年五パーセントの金利分だけ損をするような貸付をわざわざ借りてまでするはずはない、ということであろう。しかしながら、世の中において親族間で無利息の貸付けをすることはままであることであり、借りてまで貸付をしようと、手もとで遊んでいる資金を貸し付けようと、無利息の貸付ならば等しく得べかりし金利分の損失を生ずることは避けられないものである。夫婦間・親族間であるからこそ経済的合理性を欠く無利息の貸付がなされ得るのであり、まして本件では小川のなした経理処理を追認する過程であわただしく行われた貸付であることを考慮するなら、年利五パーセントで借りたものであるからという理由だけで直ちに「無利息で功子に貸付けることはあり得ない」とする認定は、経験則に反し、強引にすぎると言うべきである。

6.理由四項2第二段及び第三段については既において反論を述べたところである。

7.理由四項2第四段では山越美化学から功子の代表取締役としての給与を直接上告人の口座に振込送金したとの上告人の主張を退けている。そして、その理由とするところは、<1>上告人が昭和五六年六月頃薬事法違反で逮捕され罰金刑に処せられたこと、と<2>経歴・能力が異なる上告人と功子の給料額が同一であるとは考え難い(源泉所得税額は、給与額等に応じて機械的に算定されるので、給与額が同一の場合、源泉所得税額も同一である。所得税法一八五条以下)こと、の二点である。しかしながら、前者は功子が代表取締役に就任した原因にすぎないから、これのみを以て功子の代表取締役就任が形式的なものであると判断できないし、又給与額が同額である点についても、支払われている金額がそもそも月二〇万円(但し後に二一万円に増額された)と代表取締役の給与としては最低限のものを支払っているにすぎず、上告人が代表取締役であった時点での給与自体がそもそも上告人の経歴・能力を反映していないものであったことを考えるなら、上告人と功子とで経歴・能力が違っていることを以て、あるいは、このことが功子の代表取締役就任が上告人の薬事法違反問題にともなう辞任に派生して生じたことと相俟ったとしても、功子の代表取締役就任が全くの形式でありその給与から弁済が全くなかったとまで断定することは、証拠を公正かつ客観的に評価して得られる認定とは言いがたい。

四.特段の事情の存在

加えて、本件においては、次のように、原審判決が認定する間接事実(理由三項一乃至5摘示の事実)からの経験則に基づく主要事実の推認を阻害する「特段の事情」(間接反証)が存在する。

1.被上告人の主張によれば、昭和五四年の日本レース株を上告人が購入した時点を冒用していたことになり、一審及び控訴審判決もこれを支持する。

仮に、山野敬子名義の日本レース株が、取得当時からちょうど二〇万株未満に押さえてあるのであれば、確かに「いざとなれば、他人名義を借用して二〇万株以上の株式売却益に対する課税を回避する意図」も推認し得なくはない。しかし、山野敬子名義で取得された株式は三〇万株であって、一括売却すれば直ちに課税対象となる数量である。特に本件では上告人も功子も、一回目の取引で各二〇万株を購入し、わざわざ二回目の取引で更に二〇万株及び一〇万株を買い増して、四〇万株及び三〇万株にしている。最初から二〇万株の課税の規制を逃れる意図で他人名義を借用する意図があったなら、このような間の抜けたことをするはずがないことは、誰の目にも明らかである。

2.本件事件を虚心坦懐に見るならば、上告人及び小川のなした一連の処理にずさんさがあったことは明らかであるが、そのようなずさんな処理が日本レース株を売却する意思の全くなかった時期になされていることに留意すべきである。真に上告人において当初から敬子名義を自己の株式取得に利用する明確な意思があったなら、当初の形式的な契約上の扱いくらいはむしろ逆にきちんとしている方が自然であると言うべきである。それが本件事案においては、最初から最後までずさんな扱いのままなのから、むしろ意図的に生じたものではないと推認する方が合理的経験則に合致する。

3.原審判決は、第二文において、別表5の順号3の譲渡が塚田喜久名義の口座を利用して譲渡された二万株の取引が別表四の順号1の譲渡と、右は事実であるが、しかしながらこのような同じ日に同じ名義の保護預かりになっていた株式を売却したのは、以下のものがある。

昭和五八年八月二九日売却分

飯田敬三名義で売却した二万株の帰属

山野愛子分 六〇〇〇株(更に翌日四〇〇〇株売却)

山野正義分 一万株

昭和五八年八月二九日売却分

堀秀夫名義で売却した二万株の帰属

山野愛子分 一万株

山野秀夫分 一万株

山野博敏分 一万株

昭和五八年八月二九日売却分

小島光義名義で売却した二万株の帰属

山野凱章分 一万株

山野景章分 一万株

昭和五八年八月三〇日売却分

志方隆行名義で売却した二万株の帰属

山野凱章分 一万株

山野景章分 一万株

山野博敏分 一万株

従ってこの一連の日本レース株の売却にあたっては、同一名義人の保護預り口座を利用して同一日に複数人が株式譲渡したことが、少なくとも四例あったことになるが、税務署はこれらについては、各人が日本レースの株式を真実所有していたことを認め一切争っていない。そして、小川及び上告人の尋問調書上も明らかなように山野功子が小川に売却を指示した二万株以外の日本レース株の売却については、山野功子及びその他の親族も含めてすべてこれを上告人に依頼し、上告人が当時のYBMの同じ従業員に指示して売却させているのであるから、むしろ山野功子のみを特別に扱ったとは考えがたく、むしろ逆に文字どおり山野功子に帰属すべきものを同人の売却金として取り扱ったと見るのが合理的な経験則に合致している。従って、この三項4、第二段の事実も、山野功子名義で取得させた株式が控訴人に帰属することを積極的に推認させるものではない。

4.また、原審判決が理由三項6において山野功子名義で取得された日本レース株が上告人において取得されたと推認するにあたり、基礎とした前提事実については、「功子が借入れをしていない」と理由四項で認定した点を除けば被上告人自身が異をとなえていない他の山野一族の日本レース株取得及び処分についても全く功子の場合と同じ事務処理がなされていることが指摘されなけれぱならない。本件の事実関係の下では、理由三項1乃至5の認定事実から、他の親族の場合と異なって、山野敬子名義で取得された日本レース株が上告人に帰属すると推認することなど到底できるものではない。

五、むすび

以上のとおり原審判決は、証拠に基づかない事実を認定し、合理的根拠のない経験則に依拠して要証事実の認定の基礎としている。このような判決は明らかに理由不備の判決と言わざるを得ない。

脱税事犯が多発し、国民が脱税に対して厳しい態度をとっている今日、脱税を追及する税務署の厳しい追及、一般論としては正当なものであるが、だからといって税務署が摘発し更正処分を行ったそのすべてが常に正しいもものであると限らないのは当然である。然るに、一審及び原審の判決は、税務訴訟においてはあたかも「疑わしきは罰する」かの如き視点で主張も立証も認定もないままに経験則の存在を無視し立証責任を転換したような事実認定をしており、又その事実認定も、末端の周辺的な事実を強引に証拠や経験則に反して認定したうえで、あとはそれを基礎にドミノ倒しのように次々理屈を積み上げるだけで結論を導く構造のもので違法であるか、又はきわめて不当である。これはとりも直さず憲法三一条の保証している公正な証拠に基づく裁判の要求に反するものと言わざるを得ない。

以上の次第で、原審判決は、民訴法第三九五条六号所定の理由不備による違法があるから、同法第四〇七条に基づき、原審判決を破棄し原裁判所へ差戻すよう求める。 以上

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