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最高裁判所第三小法廷 平成4年(オ)10号 判決 1995年9月05日

上告人

関西電力株式会社

右代表者代表取締役

森井清二

右訴訟代理人弁護士

松本正一

野嶋董

山田忠史

竹林節治

被上告人

速水二郎

水谷治

三木谷英男

松本育造

右四名訴訟代理人弁護士

小牧英夫

足立昌昭

村山晃

豊川義明

早川光俊

谷田豊一

長野真一郎

松井繁明

菊池紘

船尾徹

柳沢尚武

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人松本正一、同野嶋董、同山田忠史、同竹林節治、同橋本勝の上告理由第一点の一ないし三及び五について

所論の各文書は、その元となる文書に代わる写しとしてではなく、それ自体が原本として提出されたものであり、記録によれば、その元となる文書の存在及び成立並びに右各文書がその写しとして作成された過程についての立証がされたという原審の認定も是認し得るところであるから、右各文書を証拠として採用した点に所論の違法はなく、その他右各文書の取調べの適否に関する原審の判断は、いずれも正当として是認することができる。したがって、原判決に所論の違法があるとはいえない。論旨は、右と異なる見解に立って原判決を論難するか、又は、帰するところ、原審の専権に属する証拠の取捨判断を非難するものであって、採用することができない。

同第一点の四について

原審の認定するところによれば、所論の各文書又はその元となった文書が、窃取されたものとすることは困難であるし、仮に窃取されたものであるとしても誰が窃取したかは不明であるというのであり、右認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして肯認するに足りる。そうであれば、上告人においてこれらの文書を保管中に紛失し、その不知の間に相手方挙証者である被上告人らの入手するところとなったというだけでは、右各文書の証拠能力は否定されないとした原審の判断は正当であって、原判決に所論の違法はない。証拠能力に関する立証責任についての所論を含め、論旨は、原審の認定しない事実をまじえ、独自の見解に基づいて原判決を論難するものであって、採用することができない。

同第二点及び第三点について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして肯認するに足りるところ、これらを含む原審の適法に確定した事実関係によれば、上告人は、被上告人らにおいて現実には企業秩序を破壊し混乱させるなどのおそれがあるとは認められないにもかかわらず、被上告人らが共産党員又はその同調者であることのみを理由とし、その職制等を通じて、職場の内外で被上告人らを継続的に監視する態勢を採った上、被上告人らが極左分子であるとか、上告人の経営方針に非協力的な者であるなどとその思想を非難して、被上告人らとの接触、交際をしないよう他の従業員に働き掛け、種々の方法を用いて被上告人らを職場で孤立させるなどしたというのであり、更にその過程の中で、被上告人水谷及び同三木谷については、退社後同人らを尾行したりし、特に被上告人三木谷については、ロッカーを無断で開けて私物である「民青手帳」を写真に撮影したりしたというのである。そうであれば、これらの行為は、被上告人らの職場における自由な人間関係を形成する自由を不当に侵害するとともに、その名誉を毀損するものであり、また、被上告人三木谷らに対する行為はそのプライバシーを侵害するものでもあって、同人らの人格的利益を侵害するものというべく、これら一連の行為が上告人の会社としての方針に基づいて行われたというのであるから、それらは、それぞれ上告人の各被上告人らに対する不法行為を構成するものといわざるを得ない。原審の判断は、これと同旨をいうものとして是認することができる。また、原判決が上告人による行為として認定判示するところは、右に説示した限りにおいて、不法行為としての違法性評価が可能な程度に各行為の態様を示しており、その特定に欠けるものではない。論旨は、帰するところ、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、前記説示と異なる見解に立ち若しくは原判決を正解せずにこれを非難するか、又は原判決の結論に影響しない説示部分を論難するものであって、採用することができない。

同第四点について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、被上告人らが本件損害及び加害者を知ったのは、労務管理懇談会の報告書を見た昭和四六年のことであって、本訴請求権は時効によって消滅していないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解せず、又は右と異なる見解に立って原判決を論難するものであって、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官尾崎行信)

上告代理人松本正一、同野嶋董、同山田忠史、同竹林節治、同橋本勝の上告理由

《目次》

第一点

一、原判決が採用した重要書証

二、文書の「写し」と証拠調べの許容性

三、甲第八五号証等について

四、違法に収集された証拠の証拠能力

五、証拠調べにおける信義則

第二点

一、甲第八〇号証の信用性

二、事実認定の問題点

(一) 概要

(二) 被上告人速水について

(三) 被上告人水谷について

(四) 被上告人三木谷について

(五) 被上告人松本について

第三点

一、判示事項と問題点

(一) 行為の包括を可能とする場合の要件

(二) 外形的行為と被害の程度

(三) 対立する自由の調整

(四) 不法行為における目的意思の位置付け

(五) プライバシーの侵害について

二、不法行為の成否について

(一) 被上告人速水について

(二) 被上告人水谷について

(三) 被上告人三木谷について

(四) 被上告人松本について

第四点

消滅時効について

第一点。

原判決には、文書の証拠調べについて法令違反ならびに採証法則違反の違法がある。

一、原判決が採用した重要書証

原判決が、上告人の被上告人らに対する行為が不法行為に該当すると認定するにあたり、上告人の特殊対策につき、その全社的方針を示すものとして甲第八五号証、神戸支店における方針を示すものとして甲第二六号証および同第二七号証の一、二を、また、労務管理懇談会の開催をはじめとする上告人の被上告人らに対する行為につき甲第八〇号証を、最も重要な資料としたことは、疑う余地がない。このことは、例えば、第一審判決が、甲第八〇号証について「本件において最も重要資料の一つ」(第一審判決七五丁表)と述べて、かなりの紙数を費しその内容を要約引用しているところを、原判決がそのまま踏襲しているところから、窺い知ることができる。原判決が引用する特殊対策等に関するその他の証拠は、右の各書証の記載内容を補強ないし補完するものと位置づけることができよう。

ところで、右の各書証の申出は、後述するように、適法なものとはいえない。ところが、原審は右の証拠の申出を却下すべきであったにもかかわらず、逆にこれを証拠として採用したのである。原審は、本来、証拠として採用すべきでない証拠でもって本件不法行為の成否にかかわる重要な事実を認定したのであるから、その誤りが判決に重大な影響を及ぼすことは明らかである。

以下、この点を具体的に述べることとする。

二、文書の「写し」と証拠調べの許容性

(一) 原判決は、「民事訴訟法は書証の申出につき文書の原本、正本または認証ある謄本をもってなすことを要す旨規定し(同法三一一条、三二二条)、文書の写しによる証拠調べは原則として許されないが、当事者間に文書の原本の存在について争いがなく写しによる証拠調べについて異議のない場合には、文書の写しによる証拠調べは許されるし、また、文書の原本は存在するが当事者がこれを所持しない等の理由により原本を提出できないときは、『写し』自体を原本として書証の申出をすることもでき、この場合他の資料により原本の存在及びその成立並びに写しの成立が認められれば、その形式的証拠力に欠けることはない」(原判決二二乃至二三丁)とした。そして、甲第八〇号証、同第八五号証をはじめとして、上告人が証拠とすることに異議を述べた書証の申出(原審における上告人の平成三年六月四日付準備書面(一三)七乃至二〇頁)を、いずれも適法とした。

文書を証拠調べに供するには、その原本をもってするのが原則であることは。法文上明らかである。正本または認証ある謄本は写しではあるが、原本の写しであることを権限ある者が証明しているので原本と同等に取扱うというのが、民事訴訟法第三二二条第一項の趣旨である。これは、法律が認めた例外である。例外を認める所以は、写しであることの正確性が担保されていることである。当事者間に文書の原本の存在について争いがなく写しによる証拠調べについて異議のない場合に、文書の写しによる証拠調べは判例の認めるところであるが(大審院昭和五年六月一八日判決[民集九巻六〇九頁])、その理由は、証拠における弁論主義に求めることができるであろう。例外を認めるには、このような具体的な理由が必要である。

ところが、原判決は、「文書の原本は存在するが当事者がこれを所持しない等の理由により原本を提出できないとき」について、「『写し』自体を原本として書証の申出をすることができ(る)」とし、「他の資料により原本の存在」が認められること、および原本の「成立並びに写しの成立」が認められることを要件としている。しかしながら、これは、民事訴訟法第三二二条一項の解釈を誤ったものといわなければならない。文書の写しによる証拠調べは、原本を提出できないことについて合理的な理由のある場合に限って、民事訴訟法第三三二条一項の例外として認めるべきである。この場合も写しはあくまでも写しであってしかも正本または認証ある謄本ではないから、証拠としての許容性の要件は厳格にしなければならない。

文書による証拠調べは文書の意味内容を訴訟資料とするのであるから写しでも可能であり、複写機によって正確にかつ容易に写しの作成が行われるようになった今日、写しと原本の実質的な差異はないとも考えられるが、「複写技術の進歩は、原本の存在を仮装した、原本の存在しない写の作出を容易にし、コピーに対する過度の信用という危険な一面を現出している」(佐藤尚「文書の写しによる書証の申出をめぐる諸問題」裁判所書記官研修所編『書研創立三十周年記念論文集』所収)と指摘されているように、複写機による文書の合成、修正液を使用しての文字の一部の抹消さらには抹消部分の改変も容易であるから、このような可能性が否定されない限り、原本と写しを実質的に同一視するあるいは同等に取扱う(「『写し』自体を原本」とする)ことはできない、としなければならない。原本による証拠調べの重要性は、複写技術の進歩のゆえに、今日では逆に強調されなければならないのである。

(二) もともと、写しによる証拠調べは例外であるから、原本の所在が明らかであるならば、まず、文書送付嘱託の申立(民事訴訟法第三一九条)あるいは文書提出命令の申立(民事訴訟法第三一一条、第三一三条)によるべきである。写しによる証拠調べは、これが不可能もしくは著しく困難な場合に、いわば次善の策(原本が最良証拠であることはいうまでもない)として認められるべきものである。「『写し』自体を原本」とすることは、本来、原本と写しを明確に区別している法の趣旨に反しているのであるから、「『写し』自体を原本」とすることを認めるにしても、相手方が相当な根拠をもって争っている場合には、原判決のように「『写し』自体を原本」とすることを認めるべきではない。

最高裁昭和三五年一二月九日判決(民集一四巻一三号三〇二〇頁)は、証拠調べの対象として申出た文書の一部が写しであった場合について、それは「写であって、原本、正本又は認証謄本ではなく、不適法の証拠申出というべきであるから、原審がこれを顧慮しなかったのは当然であ(る)」としているが、原判決のように、原本を提出できないことについて合理的な理由を求めることなく、「『写し』自体を原本」とすることを認めるのであれば、かかる判断がなされるわけがない。挙証者において、ことさら写しを証拠調べの対象とするのでない限り、「『写し』自体を原本」として証拠の申出をしていることは、実務においては自明というべきであるからである。にもかかわらず、最高裁がこれを不適法な証拠申出としたのは、「『写し』自体を原本」とするには一定の制約のあることを前提としていたからにほかならない。

また、宇都宮地裁昭和四七年九月六日判決(訟務月報一八巻一〇号一五二〇頁)は、「真正に成立した原本がかつて存在したことが明らかであるときは、これと同一内容(正写したことが明らかである)の写を原本として提出しても右法条(民事訴訟法第三二二条―引用者注)に反するものではないというべきである」としているが、原本がかつて存在したが滅失して現存しないこと、原本から正確な写しの作成がなされていることが具体的に認定されており、最良証拠の存在しない場合の次善の策であることが明らかにされている。もとより写しの作成過程、写しの入手経路に不自然な点はない。東京地裁平成二年一〇月五日判決(判例時報一三六四号三頁)も、原本提出の困難性について合理的な理由のあった事例に関するものと理解できる。

(三) そこで、原本が提出できないか、もしくはその提出が著しく困難な場合に、文書の写しが証拠として許容される要件は、次のように考えるべきであり、挙証者は、この点を主張立証しなければならないことになる。相手方に特に異議がなければ立証を要しないことはいうまでもない。

① 原本が現存するか存在したこと(原本の存在)

② 原本が提出できないかもしくはその提出が著しく困難であることについて合理的な理由のあること(原本提出の不能もしくは困難の合理性)

③ 写しが原本から正確に作成されたこと(写しの正確性)

④ 原本がその作成者によって真正に作成されたものであること(原本の成立)

文書の写しでもって証拠調べをする場合も、原本に記載されている意味内容によって要証事実を立証しようとするのであるから、写しの正確性とともに原本の存在とその真正な成立が証明される必要があるが、かかる証拠調べが例外であることから、原本提出の不能もしくは困難の合理性が要件として加重されなければならないのである。写しの入手経路や作成過程が不自然なものは、最良証拠に代わる資格をもたないというべきである。

三、甲第八五号証等について

(一) 甲第八五号証について、原判決は第一審の認定を一部修正し、同号証は「被告会社佃変電所所長であった訴外山尾憲一において、毎月開催されていた所長、主任会議の模様をメモしていたところ、昭和四一年ころ右変電所に勤務していた沢谷が、右山尾の承諾を得て、同人の記載していたメモ書きの要旨を手書きで写し取り、これを右沢谷から被控訴人速水が譲り受け、同被控訴人において自ら手書きで写しを作成したうえ湿式コピーで複写し他に配布したところ、そのうちの一通を右宗田が入手し、同人がさらに手書きで写しを作成してこれをコピー(湿式)したものである」(原判決二三丁)とした。

原判決は、甲第八五号証の原本は山尾作成の「メモ書き」と理解しているようであるが、「メモ書き」と手書きで写し取った「メモ書きの要旨」とは、原本と写しとの関係にはない。原本と写しとの関係は、前者の記載と後者の記載が一字一句一致する場合において認められるものである。そうであるからこそ、写しでもって原本の記載内容を間接的に読みとることができるのである。要旨は写しではなく、別個の文書である。原本と写しの関係にあるときには、通常、写しの存在自体によって原本の存在を事実上推定することができるが、原本と写しの関係にないときには、写しの存在自体によって原本の存在を事実上推定することはできない。してみると、山尾作成の「メモ書き」(ノート)が甲第八五号証の原本であることは、何ら立証されていないことになる。

(二) 第一審において沢谷は、「メモ書きの要旨」の作成について、山尾のノートの記載を要約転記したと、次のように証言している(昭和五八年五月一〇日付沢谷証人調書速記録六丁)。

問 一字一句山尾さんのノートを全部正確に写したということにはならんのですか。

答 はい。そうはできていないと思います。

問 要約した部分もあるということですか。

答 はい。とばした部分もあると思います。

この証言から、沢谷は山尾のノートを機械的に転写したのではないことは明らかである。また、山尾のノートとされている甲第六八号証の記載の体裁からみても、山尾に要領よくノートにまとめる習性があったとは考えられない。甲第八五号証の記載は実に要領よくなされており、甲第八五号証の元の元になった沢谷の「メモ書きの要旨」の作成過程(斜め横から覗いてノートに写した。昭和五八年五月一〇日付沢谷証人調書速記録六丁)からみるとできすぎであると考えられるが、この点はしばらくおくとして、沢谷の「メモ書きの要旨」は、沢谷の判断の加わった、山尾のノートとは全く別の文書といわなければならない。

仮に「メモ書きの要旨」を山尾作成の「メモ書き」の写しとしても、写しの正確性は右の沢谷の証言自体から否定すべきであるし、「メモ書きの要旨」の写しが手書きで次々と作成され、最後に宗田が会社の用箋を用いて上告人作成の文書の写しらしき体裁を整えるなど、甲第八五号証の作成過程における数々の不自然な作為のあること(詳細は、上告人の原審における平成二年一一月二七日付準備書面(五)二乃至二四頁に譲る)を考慮するならば、山尾作成の「メモ書き」を甲第八五号証の原本としても、甲第八五号証自体の転写の正確性が否定さるべきことは多言を要しない。したがって山尾が体験したことを記載した報告文書(「メモ書き」)の存在を前提として、甲第八五号証の記載内容から山尾作成の「メモ書き」の記載内容を推定し、その記載内容を事実認定に供することはできないといわなければならない。まして、甲第八五号証の原本が提出できない合理的な理由については、主張も立証も一切ない。

(三) 以上のことから、甲第八五号証に関する証拠の申出は、本来、民事訴訟法第三二二条一項の予定するところと著しくかけ離れたものといわなければならない。かかる文書の証拠の申出は、前記最高裁判例に照らしても、不適法なものとして却下すべきである。

かかる証拠の申出を適法とした原判決は、民事訴訟法第三二二条一項の解釈適用を誤ったものであり、この誤りは、不法行為の成否にかかる重要な事実の認定に直結している。したがって、判決に影響を及ぼすことは明らかであり、原判決はこの点において破棄を免れない。

(四) なお、甲第八五号証について述べたことは、甲第八六号証、同第八七号証、同第九〇号証および同第一〇九号証についても、いい得ることである(詳細は、上告人の原審における平成二年一一月二七日付準備書面(五)二四乃至四六頁に譲る)。

(五) 甲第八〇号証に関する証拠の申出も文書の写しを証拠調べの対象とするものであるが、原本が挙証者の支配領域にあるにかかわらず(乙第一号証、同第六一号証)原本を提出できないことについて合理的な理由は何ら立証されておらず、不適法なものとして却下すべきであることは、甲第八五号証の場合と同様である。

四、違法に収集された証拠の証拠能力

違法に収集された証拠については、民事訴訟においても証拠としての適格性を認めないとするのが学説の大勢である(詳細は、上告人の原審における昭和六〇年一月二九日付準備書面(一)一一乃至二五頁に譲る)。原判決も、「民事訴訟においては、例えば、一方当事者が自ら若しくは第三者と共謀ないし第三者を教唆して他方当事者の所持する文書を窃取するなど、信義則上これを証拠とすることが許されないとするに足りる特段の事情がない限り、民事訴訟における真実発見の要請その他の諸原則に照らし、文書には原則として証拠能力を認めるのが相当であり、単に第三者の窃取にかかる文書であるという事由のみでは、なおその文書の証拠能力を否定するには足りないものと解すべきである」(第一審判決六七丁)とした第一審判決の見解を是認して、特段の事情があれば信義則上証拠としての適格性を否定すべき場合があるとした。

証拠の申出において、それが適法であることは、挙証者が主張立証すべきであって、状況証拠により文書が窃取されたものと容易に推定できる状況にあるときには、挙証者において入手経路の適法性を明らかにしない限り、違法に収集された証拠として認定すべきである。挙証者に入手経路の適法性を立証させることは難を強いることにはならないが、相手方に入手経路の違法性を立証させることは難を強いることになり、公平を欠く。原判決にいう特段の事情については、その不存在について挙証者に挙証責任を負わせるべきであり、それが信義則上の要請である。

ところが、原判決は、窃取されたこと自体明らかでないし、仮に窃取されたものだとしても何人が窃取したかは不明であるから、本件においては特段の事情を認めることはできないとして、甲第八〇号証については証拠としての適格性を認めた(原判決二一乃至二二丁)。

しかしながら、甲第八〇号証が窃取されたものとしか考えられない状況にある本件において、被上告人らは、上告人の再三にわたる求釈明(例えば、原審における上告人の昭和六〇年六月一一日付申立書)に応じようとはせず、また、入手経路について合理的な説明もしなければ、立証もしなかったのであるから、原判決においては、甲第八〇号証は、違法に収集された証拠として、信義則上、証拠としての適格性を否定すべきであった、といわなければならない。原判決のように、相手方に、窃取した者まで特定を強いるとするならば、立証に成功することは極めて稀であるから、却って違法行為を助長することになりかねない。

原判決は、違法に収集された証拠の証拠能力について、挙証責任の分配について誤った見解に立ち、甲第八〇号証の証拠としての適格性を認めたものであって、甲第八〇号証が本件において重要な訴訟資料であってみれば、甲第八〇号証の証拠としての適格性を認めたことの誤りが、判決に影響を及ぼすことは明らかである。この点においても、原判決は破棄を免れない。甲第二六号証、同第二七号証の一、二についても同様である。

五、証拠調べにおける信義則

証拠調べにおける信義則は、違法に収集された証拠の証拠能力についてばかりではなく、証拠の提出についても機能する原則である。

第一審において被上告人らは、甲第八〇号証を、一旦、甲第一号証として提出しておきながら、これを撒回して証拠方法を変え検甲第一号証として提出した。これにより、原本で証拠調べをなすべきであるとの上告人の主張(第一審における上告人の昭和四七年五月一五日付文書の写本提出に対する異議申立書)を躱そうとしたことは、明らかである。その後の弁論の経過において、上告人が証拠方法の変更に敢えて異議を述べないこととしたのは、文書の記載内容を証拠としないことが、被上告人らの訴訟活動から看取できたからである。ところが、被上告人らは、第一審の終結間際に再びこれを書証として提出し、文書の記載内容を証拠としようとした。これに対して、上告人が異議を述べたことはいうまでもない(第一審における上告人の昭和五八年一〇月四日付準備書面一乃至三頁)。

原判決は、この点に関して極めて一面的な判断しかしていない第一審判決を是認しているが、訴訟の経過を重視すべきであって、かかる信義に反する証拠提出については、書証の証拠能力、証拠価値を判断するうえで十分に斟酌すべきである(詳細は、原審における上告人の昭和六〇年一月二九日付準備書面(一)四一乃至四四頁、同昭和六〇年四月一一日付同準備書面補充書に譲る)。

また、甲第八五号証(甲第八六号証、同第八七号証、同第九〇号証についても同様な問題がある)について、被上告人らは、当初、上告人の文書の写しと主張していたが、上告人から筆跡鑑定に基づき偽造文書であると指摘され、それぞれの文書の写しを手書きにより作成した者が作成者であると主張を変更した(上告人の原審における平成二年一一月二七日付準備書面(五)二乃至四頁)。上告人から証拠に基づく偽造文書である旨の指摘がなければ、被上告人らは、これらの書証が上告人の文書の写しであるとの主張を、そのまま維持したであろうことは、被上告人らの立証態度からみて想像に難くないところである。

かかる信義則に反する証拠の提出については、不適法なものとして却下すべきであって、これを採用したことは、採証法則に反するものである。甲第八〇号証および同第八五号証が重要な訴訟資料であってみれば、これが不法行為の成否にかかわる重要な事実の認定に供されているかぎり、かかる証拠を採用した原判決の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。よって、この点においても、原判決は破棄を免れない。

第二点。

原判決には、甲第八〇号証の信用性について、採証法則、経験則違反があり、これに基づいた事実認定の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであって、畢竟、審理不盡、理由不備ないしは理由齟齬の違法がある。

一、甲第八〇号証の信用性

(一) すでに述べたように、原判決は、上告人の被上告人らに対する行為が不法行為に該当すると認定するにあたり、甲第八〇号証を「本件において最も重要資料の一つ」とした。甲第八〇号証中の秀川メモ、細見メモ、中島メモ及び川人メモの記載をそのまま信用することができるのであれば、「本件において最も重要資料の一つ」としたことは、あながち誤りだとはいえまい。しかしながら、メモの記載自体に虚構や誇張があり、全体として信用できない状況にあるにかかわらず、特段の事情を示すことなく、その記載内容の一部を事実認定に供するのは、採証法則、経験則違反であるといわなければならない。

(二) 原判決が甲第八〇号証のメモの記載を信用できるとした根拠は、次の三点と考えられる。

① 甲第八〇号証のメモの記載と被上告人らが差別的取扱いを受けたとして供述する各事実とが多くの部分において符合すること(原判決二七丁)。

② 甲第八〇号証のメモは水船課長が主催した労務管理懇談会における報告者が職務上作成した文書であること(原判決二七丁)。

③ メモの記載内容に多少の誇張や若干の加筆があってもまったく虚構の事実まで記載したとは信じ難いこと(第一審判決八一乃至八二丁)。

しかしながら、甲第八〇号証のメモの記載と被上告人らが差別的取扱いを受けたとして供述する各事実とが多くの部分において符合するのはむしろ当然であって、このことは、メモの記載が信用できるとする合理的な根拠とはならない。被上告人らが「本件損害及び加害者を知ったのは、労務管理懇談会の報告書である甲第八〇号証を見たとき」(第一審判決九五丁)というのであるから、被上告人らの供述が、この記載によって、というよりもこれに便乗してなされたものと判断するのが、健全な常識である。被上告人らが、甲第八〇号証を見る見ないにかかわらず、甲第八〇号証の記載内容の一部についてでも、被上告人らが、昭和四二、三年当時、このようなことが行われているとの実感を持っていたならば、被上告人らのことであるから、例えば、被上告人水谷の昇給に関する池山課長への抗議のように(昭和五六年二月三日付池山証人調書速記録二乃至三丁)、即刻、上告人に抗議していたことであろう。また、これは一例であるが、川人メモの記載に沿った、被上告人松本が労働組合の役員選挙に立候補した際に上告人が選挙干渉を行ったとの主張が、これを裏付ける証拠としては被上告人松本の便乗供述しかなく第一審判決において排斥されるに及んで、原審において撤回されることもなかったであろう。川人メモの記載に便乗した主張でなければ、このような主張の撤回は通常はあり得ないからである。

被上告人を対象としていないメモ(例えば、被上告人速水について細見メモ、中島メモ及び川人メモ)の記載にヒントを得て、その記載に便乗した被上告人らの供述も少なくないが、甲第八〇号証の記載によらない供述とともに、これらは、原判決においては逆に信用されていない(末尾添付の原判決事実認定一覧表参照。なお、この表は、不法行為の成否にかかわるものとして被上告人らが主張立証した事実について原判決が認定したものと認定しなかったものを、被上告人ごとに一覧できるようにまとめたものである)。

また、甲第八〇号証のメモが職務上作成されたものであるとしても、これを根拠に、その記載内容の一部を信用することはできない。甲第八〇号証のメモには、作成者が体験することがあり得ない事実も記載されているからである。例えば、秀川メモの、被上告人速水が昭和四一年八月の兵庫営業所に転入するに際し「全係員に対し孤立化の必要性を充分に説明し先づ地固めを行っ(た)」との記載は、メモの作成者秀川正純の着任前のことであって(着任は昭和四一年一二月)、同人の体験した事実ではない。川人メモの、被上告人松本の監視に関する記載も同様である。これらは虚構の事実であるが、甲第八〇号証のメモには、このような虚構やまた誇張にわたる記載が多く、したがって、その記載内容が信用できるものであるか否かは、個々の記載ごとに具体的にかつ証拠に基づいて判断しなければならないのである。

(三) 確かに、原判決においても被上告人らが甲第八〇号証のメモの記載に便乗して供述している本件不法行為の成否にかかわる事実、すなわち、被上告人速水については「慰安会等での監視」、被上告人水谷については「組合役選への介入」、「文体活動からの排除」、被上告人三木谷については「試験室への配転」、「講演会における監視」、被上告人松本については「組合役選への介入」、「文体活動からの排除」等は、認定されていない。また、被上告人速水については「転入時における孤立化の地固め」、「座席の位置」、被上告人三木谷については「昭和四三年におけるロッカー調査」、被上告人松本については「旅行会メンバーからの排除」のように、第一審が認定した事実を、原判決が覆しているものさえある(詳細は、末尾添付の原判決事実認定一覧表参照)。しかも、原判決が認定しなかった右の事実の中には、甲第八〇号証のメモにはかなり具体的に行為態様等が記載されているものがある。右の事実については、原判決は、甲第八〇号証のメモの記載とその他の証拠とを併せ検討して、甲第八〇号証のメモの記載を信用しないと判断したものと思われる。

ところが、甲第八〇号証のメモの記載が極めて抽象的な表現にとどまっている事実、すなわち、被上告人速水については「職場における疎外・敬遠」、被上告人水谷については「信用失墜・接触禁止の働きかけによる孤立化への努力」、被上告人三木谷については「同行者への接触注意」、被上告人松本については「他の従業員に対する周知・接触回避の働きかけと同行者への注意」は、甲第八〇号証のメモの記載のままに認定されている。メモの記載と被上告人らの供述との一致やメモが職務上作成されたものであることが、右の記載部分の信用性の担保とはならないことは、すでに述べたとおりである。甲第八〇号証のメモは、全体としてみれば、虚構や誇張が多くみられ信用できないとするのが、常識的な判断というものである。

そこで、甲第八〇号証のメモの記載内容に虚構や誇張が多くみられるにもかかわらず、右の記載部分にかぎり信用できるとするのは異例のことであるから、特段の事情の説示と裏付けの証拠の摘示が必要である。

ところで、甲第八〇号証のメモに記載はないが、被上告人らは、被上告人速水については「転向要求」、「資格・級区分の不利益取扱」、「職場教育からの排除」、被上告人水谷については、「転向強要」、被上告人三木谷については「思想攻撃」を、主張した。被上告人らが本件を人権侵犯事件であると自認するように、これは、上告人の被上告人らに対する思想信条に対する侵害、思想信条を理由とする差別、不利益取扱として、不法行為の主要事実を主張したものと理解できる。

そして、被上告人らはそれぞれこれに沿う供述をしたが、原判決においては、ことごとく排斥されている。甲第八〇号証のメモの抽象的な記載は、右の主張の裏付けの証拠として機能すべきものであったが、主要事実の存在が原判決によって否定されている以上、もはや残滓にすぎないというべく、思想信条に対する侵害、思想信条を理由とする差別、不利益取扱を要証事実とする証拠としては採用できないものといわなければならない。

(四) 以上述べたことから明らかなように、原判決が、本件不法行為の成否にかかわる事実を認定するにあたり、甲第八〇号証を「重要資料」としたことは、経験則上信用できない証拠を事実認定に供したという意味で採証法則違反、経験則違反であるといわなければならない。被上告人らの供述をほとんど信用しない原判決においては、甲第八〇号証を事実認定に供することがなければ末尾添付の原判決事実認定一覧表の認定欄記載の事実が認定されなかったことは、明らかであろう。してみると、原判決は、事実認定に供してはならない甲第八〇号証でもって事実認定をしたものであって、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

二、事実認定の問題点

(一) 概要

甲第八〇号証のメモを事実認定に供してはならないことは、すでに述べたとおりである。それはさておき、甲第八〇号証のメモの抽象的な記載ならびにこれに沿う被上告人らそれぞれの供述でもって原判決が認定した事実は、抽象的な表現でもってなされており、具体的事実の裏付けがない。認定された事実は、それが主要事実であれ、間接事実であれ、法的評価の対象となるものであるが、法的評価を可能とするためには、事実が具体的に認定される必要がある。

特に不法行為においては、行為の具体的態様と被侵害利益の侵害の程度が具体的に事実として認定される必要がある。不法行為の成否にかかわる違法性の判断は被侵害利益と侵害行為を対応させつつ判断するものである。また、本件で被侵害利益とされている自由という法益は、それが何らかの制約がなされたからといって、ただちにその制約は違法な侵害とはならず、どのような手段、方法で侵害したかが問題となり、その手段方法が非難されるべきものであることが必要である。さらに、被侵害利益として、どのような自由もしくは人格的利益が、どの程度侵害されたかが違法性を判断するうえで重要な意味をもってくる。したがって、裁判所は審理に当たって被上告人らに加害行為の具体的態様と法益侵害の程度を示させ審理を進めるべきである。上告人らの行為を不法行為と断じ、これを判決で判示する場合は、加害行為について具体的態様と侵害行為の程度を示す必要がある。これを欠くものは、釈明権の不行使として、審理不盡、理由不備の譏りを免れない。

また、矛盾する証拠が存在するのに一方の証拠を排斥する理由を示さなかったり、認定した事実相互間に証拠の矛盾があったり、原判決の審理不盡は、数多く指摘することができる。なかには、被上告人が主張しなかった事実まで認定しており、弁論主義違反の疑いすらある。

なお、原判決は、「甲第八〇号証の記載のうち、被控訴人らの家族に関する部分についてはその記載どおり被控訴人らの上司が調査して、前記労務管理懇談会で報告したものと認められる(原判決三三乃至三四丁)、としているが、これは証拠に基づかない事実認定である。原判決が重視したと思われる秀川メモの被上告人速水の妻に関する記載部分は、労務管理懇談会後報告内容をまとめるにあたって、その内容の乏しさを補うために秀川が庶務課長から提供された被上告人速水の三国営業所時代の情報をもとに書き加えたものである。このことは秀川証人の証言から明らかなところである(詳細は、別紙秀川証人調書速記録抜粋参照)。

以下、被上告人ごとに、右の点を具体的に明らかにする。

(二) 被上告人速水について

原判決が、被上告人速水について、不法行為の成否にかかわる重要な事実として認定しているのは、次の六点であるが、これらの事実は、弁論主義に忠実に、かつ証拠の評価を正しく行っていれば、認定されなかったものである。

1 原判決は、「控訴人は、昭和四一年八月、被控訴人速水を三国営業所から兵庫営業所に転入させるに当たり、同被控訴人が、三国営業所に勤務当時会社に非協力的であり、従業員を煽動したりするおそれがある人物である旨を職制に伝達し(た)」(原判決二八丁)、と認定した。

右認定にかかる事実については、秀川メモには記載がなく、また、被上告人らは主張もしなかった。

主要事実もしくは重要な間接事実について、当事者の主張しない事実を認定することは、弁論主義に反する。

2 原判決は、「(控訴人は、被控訴人速水を兵庫営業所に転入させるにあたり)、同被控訴人と同一業務を担当する若い従業員が同被控訴人の影響を受けることを警戒し、右若年従業員らに対し、共産党ないし共産主義者の非情さとこれにかかわることの不利益を説明したうえ、できるだけ同被控訴人との接触を回避するよう働きかけた」(原判決二八丁)、と認定した。

右認定にかかる事実については、秀川メモには、「本人が転入前に全係員に対し孤立化の必要性を充分に説明し先づ地固めを行って受入れに対処した」との記載があり、これにより、第一審判決は「被告会社は、昭和四一年八月原告速水を兵庫営業所へ転入させるにあたり、全係員に右原告の孤立化が必要である旨を説明し、地固めを行って受入れの対処をした」(第一審判決八二丁)と認定したが、原判決は、秀川メモの記載は誇張であるとして第一審の事実認定を覆し、右の認定に至ったのである。被上告人らは、被上告人速水の兵庫営業所への転入時にあたり、対象者を絞って「地固めを行った」との主張はしていない。かかる認定が、弁論主義に反することはいうまでもない。

なお、被上告人速水と「同一業務を担当する若い従業員」とは、田中、太田、村山であるが、田中利勝証人の証言によってもかかる事実が存在したことを窺い知ることはできない(昭和六二年一一月二四日付田中証人調書速記録四二丁、乙第七三号証)。

右認定にかかる事実は、秀川メモの作成者秀川の着任前のことであって、右の認定が秀川メモによったとすれば、採証法則、経験則違反である。

3 原別決は、「(控訴人は、兵庫営業所における被控訴人速水の担当業務を)外勤のある業務から内勤業務に変更して、(被控訴人速水の)勤務時間内の監視を容易にし(た)」(原判決二八丁)、と認定した。

第一審判決の認定を一部修正しているが、監視の方法、態様について具体性を欠いており、かかる認定は審理不盡によるものといわざるを得ない。

逆に原判決は、秀川メモにおいて、「座席の位置」、「退社後の尾行」、「慰安会などでの監視」、「電話の監視」、「昼休みの将棋の監視」、「大塚来所時の監視」、「休暇の特定曜日集中の調査」など、その行為態様が具体的に記載されているものについては認定せず、被上告人らの主張をことごとく排斥しているのである。また、中島メモの記載に便乗したと考えられる「ロッカー調査」にしても、被上告人速水が具体的に供述しているにもかかわらず、この供述は信用していない。

また、右認定は、本来必要ではなかったのに不当な目的で担当業務の変更が行われたことを前提としていると考えられるが、これは、被上告人速水の供述によったものである。被上告人速水は、水害の後始末の手伝いに行った直後に、御礼として一杯飲みに連れていってもらったことがあったが、その際、入山班長から昭和四二年一〇月の担当業務の変更は労務管理上の問題が理由だと聞かされた、と供述している(平成二年七月二〇日付速水本人調書速記録三一乃至三二丁)。ところが、水害の発生は、担当業務の変更前である昭和四二年七月であった(乙第一一四号証)。このように客観的な証拠と矛盾する供述を信用することは異例のことであるから、具体的な理由を説示すべきであって、この点も審理不盡であるといわなければならない。

4 原判決は、「(控訴人は、被控訴人速水を)安全推進委員に選任しないようにした」(原判決二八丁)、と認定した。

これも、第一審の認定を修正している。安全推進委員は外勤者から選任されるのであるから、被上告人速水が内勤業務に替われば安全推進委員に任命されないのは当然のことである。安全推進委員の選任洩れが本件不法行為の成否といかなる関係にあるのか、不明である。これを不法行為にかかわる事実として認定するには、それが違法である理由、少なくとも違法性の評価にかかわる事実としての理由を具体的に説示すべきであって、かかる理由が欠落している事実認定は審理不盡というべきである。

5 原判決は、「同被控訴人の上司は、同被控訴人が通勤経路を同じくする従業員と通勤時に接触をはかることを警戒し、同被控訴人と接触した者があった旨の報告を入手した場合は、その者に対して同被控訴人と行動を共にすることのないよう説得した」(原判決二八丁)、と認定した。

秀川メモには、「速水は、川西市花屋敷に居住し阪急宝塚線能勢口から宝塚―西宮北口―三宮―兵庫のルートで通勤しており、阪急利用通勤者には通勤途上特に退勤の途上行動を共にせぬよう……引(き)はなしを行った」との記載がある。上告人の仁川寮在住者は被上告人速水と同一の通勤経路をとるものであるが、被上告人速水とは出退勤の時間帯が異なり、被上告人速水と接触する機会はほとんどない。このことは、証人田中利勝、同清水敬造の各証言ならびに乙第七三号証、同第七四号証によって明らかになったことであるが、原判決は、かかる証拠を信用できないとした。一回かぎりの偶発的な目撃証言と異なり、日常繰り返される習慣性のある行動についての証言は信用できるとするのが常識的な判断である。このような信頼性の高い証拠を排斥するには、具体的な理由を説示すべきである。これをしないで前述の証拠を排斥したことは、経験則違反であり、自由心証主義の逸脱である。

6 原判決は、「右のような控訴人の同被控訴人に対する取扱いの結果、多くの従業員が同被控訴人との接触、交際を避け、同被控訴人を疎外或いは敬遠するようになり、例えば、同被控訴人が関与した業務の改善に関する提案でも、同被控訴人の名前を出すと採用されないとして、同被控訴人の名前を出さないで提案したことがあった」(原判決二八乃至二九丁)、と認定した。

原判決が抽象的な表現でもって認定した右の事実は、被上告人速水が文体活動に参加していること、昼休みに同僚と将棋を指していること、慰安会に参加していることなど、原判決が認定している多くの具体的な事実と矛盾するのである。このような事実認定が経験則に反することはいうまでもない。

なお、具体的な例として掲げられている提案については、被上告人速水が提案者として名前を出すことを自ら避けたと供述しているだけである(平成二年九月一二日付速水本人調書速記録三乃至五丁)。

(三) 被上告人水谷について

原判決が、被上告人水谷について、不法行為の成否にかかわる重要な事実として認定しているのは、次の六点であるが、いずれも採証法則に違反してなされたものであるか、または、充分に審理を尽くさないでなされたものである。

1 原判決は、「控訴人は、被控訴人水谷について特別にその行動を監視し、その職制において、同被控訴人の休暇届けに虚偽の申請がないかどうか、休暇をとる日が特定の曜日に集中していないかどうかを調べ(た)」(原判決二九丁)、と認定した。

右の認定が細見メモによったことは明らかであるが、かかる調査は従業員の服務管理として日常行われていることであって、特異なことではない。これを不法行為にかかわる事実として認定するには、それが違法である理由、少なくとも違法性の評価にかかわる事実としての理由を具体的に説示すべきである。かかる理由が欠落している事実認定は、審理不盡というべきである。

なお、「休暇をとる日が特定の曜日に集中していないかどうかを調べ(た)」との記載は、被上告人速水に関する秀川メモ、被上告人松本に関する川人メモにもみられるところであるが、原判決は、被上告人水谷についてのみ取り上げている。

2 原判決は、「昭和四三年ころ、同被控訴人が欠勤した際、上司が口実をもうけて同被控訴人方を訪れたこともあった」(原判決二九丁)、と認定した。

右の認定も、細見メモによったことは明らかであるが、被上告人水谷は、当時の状況について、細見が来てどのような話をしたかは覚えていない、細見がどう対応したかも覚えていない。細見は普通の見舞いに来たと思う、と供述している(昭和五四年四月一〇日付水谷本人調書速記録一九乃至二〇丁)。この供述から明らかなように、被上告人水谷は、特異な見舞いとの印象は持っていなかったのである。上司と部下との関係において日常的にみられる見舞いについて、これを不法行為にかかわる事実として認定するには、それが違法である理由、少なくとも違法性の評価にかかわる事実としての理由を具体的に説示すべきである。かかる理由が欠落している事実認定は、審理不盡というべきである。

3 原判決は、「上司は、同被控訴人の帰宅時に、その行動を探るべく尾行したことがあ(る)」(原判決二九丁)、と認定した。

帰宅時の尾行については、細見メモに記載がある。これに便乗した被上告人らの主張では、「会社は水谷の帰宅時についても誰と帰るかについて注意をせよとの方針を持ち、細見主任に伝えてその実行をなした)(第一審における被上告人らの昭和五八年二月一日付第八準備書面一八九頁)、となっている。被上告人水谷の供述は、営業所の前が停留所になっており、営業所の窓からのぞいていたら誰が電車に乗ったかというのはわかる(昭和五四年四月一〇日付水谷本人調書速記録二六丁)という程度で、観察が可能との指摘にとどまり尾行については言及していない。尾行の実行について記載のあるのは、細見メモのみであるが、その細見メモにおいても抽象的であって記載に具体性がない。かかる抽象的な記載でもって尾行の事実を認定することは、採証法則に違反するものといわなければならない。行動態様等について具体性を欠く事実認定は、審理不盡でもある。

4 原判決は、「赤旗の集配所になっているとの情報に基づいて、それを確認しようとして同被控訴人方の屋内を覗いたこともあった」(原判決二九丁)、と認定した。

右の認定も、細見メモによったことは明らかであるが、これを不法行為にかかわる事実として認定するには、すでに述べたように、それが違法である理由、少なくとも違法性の評価にかかわる事実としての理由を具体的に説示すべきである。かかる理由が欠落している事実認定は、審理不盡というべきである。

5 原判決は、「控訴人の職制は、同被控訴人の住居地を管轄する灘警察署に共産党員としての同被控訴人に関する情報の提供を求め、その結果、同被控訴人が居住細胞ではなくて経営細胞の関電細胞に属しており、活動状況は低調であって下から二番目のランクである等の情報を得たほか、同被控訴人の勤務場所を管轄する西宮警察署にも右同様の情報の提供を求め、活発な活動がないので注目していない旨の回答を得た」(原判決二九丁)、と認定した。

右の認定も、細見メモによったことは明らかであるが、これを不法行為にかかわる事実として認定するには、すでに述べたように、それが違法である理由、少なくとも違法性の評価にかかわる事実としての理由を具体的に説示すべきである。

かかる理由が欠落している事実認定は、審理不盡というべきである。

6 原判決は、「職制は、他の従業員のいるところで同被控訴人の思想を非難するなどして、同被控訴人の信用失墜を図ったり、他の従業員が同被控訴人と接触しないよう働きかけ、同被控訴人を従業員の中で孤立させるよう努めた」(原判決二九乃至三〇丁)、と認定した。

原判決は、細見メモの「彼の信用失墜を計るようにし、他の者が相手にしなくなるよう努めている」との抽象的な表現を、そのまま事実として認定したものといわざるを得ない。しかしながら、右の認定を裏付ける具体的な事実は何も認定されていない。原判決は、第一審判決の、被上告人水谷は「中高年層としては(文体活動に)積極的に参加しており、フリーテニスやソフトボール大会でも参加している」(第一審判決九一丁)、との認定を是認しており、却って、孤立化そのものを否定すべき事実が存在している。このような具体的な事実を無視して、右のような認定を行うことは、縫験則に反するものといわざるを得ない。審理不盡であることはいうまでもない。

(四) 被上告人三木谷について

原判決が、被上告人三木谷について不法行為の成否にかかわる重要な事実として認定しているのは、次の七点であるが、いずれも採証法則に違反してなされたものであるか、または、充分に審理を尽くさないでなされたものである。

1 原判決は、「控訴人尼崎営業所の職制は、被控訴人三木谷が民青同盟員らしいとして特別にその行動を監視することとし、同被控訴人と職場が同じ者に指示を与えて同被控訴人の言動を監視させ(た)」(原判決三〇丁)、と認定した。

右の認定は、指示をした者、指示を受けた者、指示をした時期が、具体的に特定されておらず、抽象的である。被上告人三木谷は、昭和四三年二月に一般検査業務に替わっているが(昭和五七年一月一八日付三木谷本人調書速記録一一丁)、この業務は、外勤の一人業務であって、およそ監視には不適当であった。もとより、担当業務の変更は職制の指示によって行われたものである。監視の必要があるのなら、監視に不適当な担当業務へわざわざ変更すること自体が矛盾した行動である。このような具体的な事実を無視して、右のような認定を行うことは、経験則に反するものといわざるを得ない。審理不盡であることはいうまでもない。

2 原判決は、「同被控訴人に電話がかかってきた場合は、かけてきた者を確認させたうえ、これを上司に報告させ(た)(右監視を命じられた者がそのために同被控訴人の机の上のメモを調べたこともあった)」(原判決三〇丁)、と認定した。

右の認定が、具体性を欠き抽象的であることは、1と同様である。具体的な事実の裏付けのないかかる認定は、経験則に反し、また、審理不盡であることはいうまでもない。

なお、電話の相手方を確かめて、上司に報告したり、机の上のメモを調べたというのは、中島メモに断片的な記載があるだけであり、被上告人の三木谷ですら、中島メモに便乗した原判決の認定のごとき供述はしていない。

3 原判決は、「民青同盟或いは共産党関係の文書等を所持しているのに気付いた場合は、上司に報告するよう命じた」(原判決三〇丁)、と認定した。

これに沿う証拠は、中島メモの「更衣箱を隣にならべさせていた監察者から機関の手帳らしいものを見た旨の報告を受けた」との記載だけである。他に裏付けとなる証拠はない。具体的な事実の裏付けのないかかる認定は、経験則に反し、また、審理不書であることはいうまでもない。ちなみに、第一審判決は、このような認定はしていない。

4 原判決は、「控訴人の職制は、同被控訴人を尾行するなどして、同被控訴人の退社後の行動も監視した」(原判決三〇丁)、と認定した。

中島メモには、尾行について抽象的な記載がある。被上告人三木谷は、この記載を間接的に裏付ける事実として、被上告人三木谷も出席していた尼崎文化会館で行われた共産党の講演会に、尼崎営業所の労務担当者が出席していたことを供述したが(昭和五四年七月一〇日付三木谷本人調書速記録四一乃至四三丁)、原判決は、一般に公開されていた講演会であって、労務担当者が出席していたからといって、被上告人三木谷の監視が目的とはいえないとした(原判決三九丁)。結局、尾行については、記載に具体性を欠く中島メモがあるのみである。かかる抽象的な記載でもって尾行の事実を認定することは、採証法則に違反するものといわなければならない。日時、場所、目的、実行者ならびに行為の態様について具体性を欠く事実認定は、審理不盡でもある。

5 原判決は、「同被控訴人の上司の庶務課長、主任などは、昭和四二年ころ、同被控訴人を監視していた者からの報告に基づいて、指紋を残さないよう手袋を用意したうえ、同被控訴人のロッカーを無断で開け、同被控訴人の上着のポケットに入っていた民青手帳を取り出して、その内容を写真に撮影した」(原判決三〇丁)と認定した。

中島メモには、昭和四二年ころ実行したとされるロッカー調査についての記載がある。しかし、これについては、中島自身が記載は創作であるとして否定しているし、事実、鍵のかからない木製のロッカーの調査をするのに、指紋を残さないよう手袋を用意するなど、記載に不自然な点が多い。このため、被上告人らは、第一審において、昭和四三年にもロッカー調査が行われていたことを目撃したと称する尾山一人の陳述書(甲第七一号証)を提出して、右中島メモの記載の真実性を間接的に主張立証しようとした(第一審における被上告人らの昭和五八年二月一日付準備書面二〇八頁参照)。第一審判決は、尾山陳述書を採用するとともに中島メモの記載に沿った事実認定をした。しかし、原審において、尾山陳述書の記載の矛盾、昭和四三年のロッカーの調査に関する被上告人三木谷の供述の矛盾が次々と露呈され、原判決は尾山陳述書を採用しなかった。もはや、中島メモの記載を直接、間接に裏付ける証拠は存在しなくなったのである。

このような経過に鑑みれば、原判決が昭和四二年ころのロッカー調査の事実を、中島メモの記載だけで認定することは、いかに証拠の取捨選択が裁判所の専権に属することとはいえ、自由心証主義を逸脱するものといわざるを得ない。経験則違反、採証法則違反に加えて、審理不盡の違法がある。

6 原判決は、「同被控訴人の上司は、同被控訴人と共に飲酒したり喫茶店に行った従業員に対して、同被控訴人と接触しないよう注意を与えた」(原判決三〇丁)、と認定した。

右の認定は、中島メモの記載に便乗した被上告人三木谷の伝聞供述(昭和五四年七月一〇日付三木谷本人調書速記録三七乃至三九丁)によったものと考えられる。しかしながら、被上告人三木谷は、昼休みのバトミントンやソフトボールで除け者にされたことはなく、将棋もいろいろな人と指していた、というのである(平成二年一二月二一日付三木谷本人調書速記録二五乃至二六丁)。また、原判決は、被上告人三木谷について「文体活動からの排除」を否定している。疎外の事実が認められない根拠は、このように多い。このような状況において、「接触しないよう注意を与えた」ということを不法行為の成否にかかわる事実として認定するには、それが違法である理由、少なくとも違法性の評価にかかわる事実としての理由を具体的に説示すべきである。かかる理由が欠落している事実認定は、審理不盡というほかはない。

7 原判決は、「同被控訴人が幹事をしていた写真部の部員に対して退部を働きかけ、昭和四三年二月ころ同部を自然解散するに至らせるなどして、同被控訴人が職場の中で他の従業員から孤立するように意図的に働きかけた」(原判決三〇乃至三一丁)、と認定した。

中島メモには、写真部員に「若年部員に主導権をわたせ」と説得したところ、「結果としては開(解)散してしまった」という記載はあるが、「退部を働きかけた」という記載はない。被上告人三木谷の供述は、具体的な退部の働きかけになると憶測を逞しくしているだけで(昭和五四年七月一〇日付三木谷本人調書速記録三四乃至三五丁、甲第五二号証)、部費の集まりが悪かった等、活動が活発でなかったために自然消滅に至ったことを窺わせる供述もしているのである(昭和五四年一〇月二日付三木谷本人調書速記録六丁、平成二年一二月二一日付三木谷本人調書速記録二〇乃至二三丁)。被上告人三木谷は文体活動から排除されたことはないと認定しておきながら、憶測にすぎない被上告人三木谷の供述によった右の認定は、首尾一貫しない。かかる認定は、経験則に反し、また、審理不盡である。

(五) 被上告人松本について

原判決が、被上告人松本について、不法行為を構成する事実として認定したのは次の五点である。

1 原判決は、「控訴人の職制は、昭和四二年ころ、明石営業所営業課に勤務していた被控訴人松本について、他の従業員一ないし二名に対し、同被控訴人が極左分子である旨を説明して、同被控訴人の監視を命じ(た)」(原判決三一乃至三二丁)、と認定した。

原判決は、「職制」、「昭和四二年ころ」、「他の従業員一ないし二名」と具体性を欠いた判示をするだけである。

原判決の右認定に対応するものとしては、川人メモに「私一人では監視が不十分であるため工事受付の先任者(影本)に本人は極左分子であること(を)納得させ電気事業を守るためには本人の行動把握が先決であること(を)十分認識させ、監視の任をあたえているほか、今春から更に一名(大久保)に、使命感をもたせ、行動監視をつづけている」との記載があるだけである。

被上告人らは、一審において、この川人メモの記載に便乗して、川人が、昭和四一年一〇月に影本重利に、昭和四二年一月に大久保美津男が影本と受付業務を交代してからは大久保にも、被上告人松本の監視を指示した旨主張したが(第一審における被上告人らの昭和四七年七月七日付準備書面(二)二一丁)、川人が、明石営業所に役付(主任)として着任したのは、昭和四二年六月であり、着任以前に、川人が、影本や大久保に対して、このような行為を行うことはあり得ない。

また、川人の前任者は尾川一であるが、尾川が監視をしたとか、川人に監視を引継いだことを窺わせる証拠は、如何に記録を精査しても見当たらない。

しかも、右認定事実は、単に監視というだけで、その内容をなす具体的な行為態様の摘示を欠き、何故にその行為が違法であるかを判断しうる行為内容を示していないのである。原判決の認定は、経験則に反し、また理由不備といわざるを得ない。

2 原判決は、「(控訴人の職制は(昭和四二年ころ)一般の他の従業員にも右同様の説明をして、同被控訴人が控訴人の経営方針に反する者であることを周知させ(例えば、明石営業所の営業課長は、昭和四四年七月ころの同被控訴人が欠勤した日に、他の従業員に対して、『極左分子が巷間に暗躍している。以後同被控訴人にかかってくる電話については、相手方及びその内容をチェックしてほしい。同被控訴人は共産党員であるから、皆で力を合わせて監視してほしい。』といった内容の話をした。)、他の従業員が同被控訴人と接触しないよう働きかけ、退社後同被控訴人と行動を共にした者に対しては注意を与えた」(原判決三一丁)、と認定した。

川人メモの記載は、「若手社員との接触がないよう特に留意しあらゆる機会をとらえ、本人が極左思想の持主であり、会社の方針に反するものであることをPRしている」というものでしかない。

原判決が、昭和四二年頃に「一般の他の従業員にも」「周知させ」たと認定する以上、その頃に、如何なる内容の事柄を、如何なる手段で周知したかを具体的に説示すべきである。右認定にかかる事実は、被上告人松本の供述を始め、原判決引用の各証拠にも見当たらず、また、川人メモには、先に引用したとおりの抽象的な表現があるに過ぎない。原判決は、右認定の例として、昭和四四年七月頃の営業課長の他の従業員に対する話を挙げるが、昭和四二年頃の出来事を、後年の話で推知しようというのは不適切極まりないことである。

また、退社後に被上告人松本と行動を共にした者に対する注意については、具体例すら挙げていない。しかも、後述するように、昭和四五年頃に他の従業員が被上告人松本と接触、交際を避けるようになったとは認定できないのである。

原判決の認定は、経験則に反し、また理由不備と言う外ない。

3 原判決は、「控訴人の労務担当者は、同被控訴人の住居地を管轄する加古川警察署に同被控訴人の写真を持参して情報交換を依頼し、その結果、……それぞれ出席したことの情報を得た(なお、……)ほか、明石営業所を管轄する警察署とも連携を保って、同被控訴人に関する情報を入手しようとした」(原判決三一乃至三二丁)、と認定した。

右の認定も、川人メモによったことは明らかであるが、これを不法行為にかかわる事実として認定するには、すでに述べたようにそれが違法である理由、少なくとも違法性の評価にかかわる事実としての理由を具体的に説示すべきである。

かかる理由が欠落している事実認定は、審理不盡というべきである。

4 原判決は、「控訴人の職制は、昭和四三年四月ころ以降約五年間、同被控訴人については、安全週番を担当させなかった」(原判決三二丁)、と認定した。

安全週番に就けなかったことの法的評価については後述するとおりである。

5 原判決は、「昭和四五年ころには、他の従業員が同被控訴人との交際、接触を避けるようになった」(原判決三二丁)、と認定した。

被上告人らは、被上告人松本が文体活動から排除されたこと、旅行会メンバーより排除されたこと、昼休みにおいて他の従業員との接触を排除されたことなどを、川人メモ中の排除、孤立化の記載に便乗して主張立証したが(昭和五八年二月一日付被上告人ら第八準備書面二二八乃至二三二頁、昭和五三年九月四日付松本本人調書速記録一四乃至一八丁、同二六乃至二八丁)、これらは、原判決によって、ことごとく排斥されている。原判決の採用した証拠の中に、昭和四五年頃に至って、右状況が変化したことを示すものはない。被上告人らの主張もないのである。川人メモに便乗した主張を排斥しながら、昭和四五年頃の話としては真実性があるとする原判決の認定は余りにも恣意的である。

また、原判決は、交際、接触を避けるようになったというだけで、社内、社外、いずれの社交についてであるのか、業務上、業務外、いずれの接触であるか明らかにするところがない。交際、接触を避けるようにとの働きかけがあったというのであれば、私生活上あるいは業務上、具体的にどのような影響を受けているのかを具体的に説示すべきである。原判決の認定は、経験則に反し、また理由不備の違法がある。

第三点。

原判決には、不法行為を判定するにあたり、民法第九〇条、同第七〇九条の解釈適用の誤りがあり、これに基いた判断の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであって、畢竟、審理不盡、理由不備ないし理由齟齬の違法がある。

一、 判示事項と問題点

原判決は、第一審判決の判示(第一審判決八六乃至八七丁)に加えて、次のように判示して、上告人の被上告人らに対する行為が、被上告人らの思想信条の自由の侵害にあたるとした。すなわち、「被控訴人らに対してなされた前記認定にかかる各行為(監視・調査・孤立化―引用者注)は、一部を除いて、転向強要等の思想・信条の自由に対する直接の侵害行為ではないし、個々の行為をみると問題視するほどのものではないものも含まれている。しかしながら、控訴人は、先に認定した労務対策の方針に基づいて、職制らをして被控訴人らの思想・信条を理由として右のような行為に及ばせたものであって、被控訴人らとしては控訴人の会社を退職するか自己の思想、信条を変えない限り右のような取扱いを受け続けることになる。したがって、右各行為は、控訴人の労務対策の方針に基づいてなされた一連のものであって、間接的に転向を強要するものであるから、被控訴人らの思想、信条の自由を侵害する行為に当たるというべきである」(原判決三三丁)、と判示した。

しかしながら、右の判示は、民法第九〇条、同第七〇九条の解釈につき、以下のとおり問題点がある。第一に、数個の行為を包括して一個の行為と評価することには一定の限界があるところ、原判決の判示では、主要事実が包括的に一個の行為と評価すべき限界を越えていること、第二に、被侵害利益が思想信条の自由である場合において加害行為が違法と評価されるには、外形的行為による侵害があり、その被害の程度が重大で、被害者に明白に意識されていなければならないところ、原判決においては、この点について何ら検討されていないこと、第三に、思想信条の自由と経済活動の自由及び表現の自由との調整を念頭において違法性の評価をしなければならないところ、原判決においては、この点についても何ら考慮されていないこと、第四に、加害行為を判定するにあたり、目的意思を考慮することが必要な場合もあるが、それが過度に強調され過ぎてはならないところ、原判決においては、過度に強調され過ぎていること、である。

また、原判決は、上告人の被上告人らに対する行為が被上告人らの人権、プライバシーを侵害するものとして、「使用者の被用者に対する観察或いは情報収集については、その程度、方法に自ずから限界があるといわざるを得ない。本件において控訴人が被控訴人らに対する観察、情報の収集としてなした行為は、勤務時間の内外、職場の内外を問わず、被控訴人らの行動、交友関係、特に、共産党或いは民青同盟との関係の有無を確かめ、或いは、これに関する資料を収集しようとしたものであって、また、被控訴人ら本人にとどまらず、その家族についても右の点についての情報収集の対象としたものであって(前述した甲第八〇号証の記載のうち、被控訴人らの家族に関する部分については、その記載どおり被控訴人らの上司が調査して前記労務管理懇談会で報告したものと認められる。)、使用者の従業員に対する監督権の行使として許される限界をこえ、被控訴人らの人権、プライバシーを侵害するものがあったといわざるを得ない」(原判決三三乃至三四丁)、と判示した。

しかしながら、この判示においては、被上告人らがプライバシーの放棄に等しい行為をなしたこと(甲第八〇号証を自ら公開したこと)を看過しており、民法第七〇九条の適用を誤っている。

以下、各問題点ごとに詳述することとする。

(一) 行為の包括を可能とする場合の要件

原判決が認定した被上告人それぞれに関する事実(行為)が、極めて抽象的な表現でもってなされていることは、第二点ですでに指摘したところである。原判決は、これらの事実(行為)を被上告人ごとに包括して一個の行為(「一連の行為」)として、本件不法行為を構成する事実とした。

確かに、個々の行為を包括して、これと被侵害利益とを対比しつつ不法行為と判定することはできる。しかし、それが可能なのは、例えば、深夜の無言電話のような場合である。一回かぎりでは電話を受けた者に畏怖を与えないが、これが短い日時の間に反復継続されると、電話を受けた者に畏怖を与えることになり、無言電話が不法行為性を帯びてくる。個々の行為を一つ一つ独立した評価の対象とすれば、違法性は否定されるか極めて微弱なものとして問題とされないが、全体として包括してみると違法性を肯定せざるを得ない、ということである。この種の行為は、反復継続が特徴であり、これが、被侵害利益との対比において、違法性を判断する根拠となる。

数個の行為を一個の行為として包括することの要件は、反復継続もしくはこれに準ずる条件の存在である。

ところで、本件において認定された事実(行為)のほとんどは、調査・監視・孤立化の三つに分類することができる。分類された行為ごとにそれぞれ同質の行為が多数存在し、しかも、それが反復継続しているのであれば、それぞれについてこれらを包括することができることはいうまでもない。しかし、異質な行為を包括することはできない。

調査・監視・孤立化は、行為が誰に向けられているかという観点からみるならば、異質な行為である。調査は、情報の保持者に対して向けられた行為であり、本人に向けられた行為ではない。監視は、本人に対して向けられた行為であるが、本人の内心にまで立入らない。孤立化は、直接間接に本人に向けられた行為であり、かつ、本人の内心に立入ることもある。

右のとおり、調査・監視・孤立化は異質の行為であって、これらを包括して評価するには適さないものである。

しかるに、原判決は、被上告人らそれぞれについてわずか五乃至七の断片的な異質な行為(それ自体が抽象的な表現でもってなされており、問題のあることはすでに指摘した)を「一連の行為」として包括しているのである。原判決が、右の異質な行為を包括して一個の行為と評価したことは、明らかな誤りである。

本来、原判決は、被上告人らそれぞれに関する五乃至七の行為ごとに不法行為の成否を論ずべきであったのである。個々の行為ごとに不法行為を論ずるならば、原判決においてすら不法行為を否定すべきものがあった。何故なら、原判決自身が、「問題視するほどのものではないものも含まれている」としているからである。

もとより、個々の行為について不法行為にあたると判定したうえで、さらにこれを一括して不法行為を論ずることは許されるし(乙第六二号証、以下、林鑑定書という)、また、それが有益な場合も少なくないが、このことと、原判決が認定した事実を「一連の行為」として包括したこととは、別の事柄である。

(二) 外形的行為と被害の程度

原判決は、「控訴人は、先に認定した労務対策の方針に基づいて、職制らをして被控訴人らの思想、信条を理由として右のような行為に及ばせた」、と判示している。

思想信条の自由が侵害されたと認められるためには、加害者に目的意思(意欲)が存在するだけでは足りず、かかる目的意思の発現として被害者に向けられた外形的行為が存在し、かつそれが悪質であって、被害者に威圧を加え、被害者がこれを受けて圧迫を受ける程度のものでなければならない。自由の制約、阻害は、外形的行為によってのみ生じるもので、加害者の内心の意欲だけでは、他人の自由が制約され、阻害されることはないからである。右に引用した判示は、所詮、上告人の害意あることを指摘しただけで、思想信条の自由を侵害するに足る威圧ある外形的行為とそれによって受ける被害者の圧迫の有無、程度を示していない。

東京電力塩山営業所事件の控訴審判決、(東京高裁昭和五九年一月二〇日判決、判例時報一一〇七号一三九頁)が、思想の表白とされる「書面交付の要求行為によって被控訴人(原告)に恐怖心を生ぜしめるにいたらなかった」と、加害行為が原告に与える圧迫の程度を示して思想信条の自由の侵害の事実を否定していることは、注目すべきことである。

被上告人らが「本件損害及び加害者を知ったのは、労務管理懇談会の報告書である甲第八〇号証を見たとき」(第一審判決九五丁)、というのであるから、行為時点において、その行為が、被上告人らに対して思想信条の自由が侵害されるとの認識に至る程度ではなかった(圧迫を受けるに至らない)といわなければならない。

(三) 対立する自由の調整

およそ自由は、それ自体に内在する制約があるほか、対立する当事者の社会的接触によって相互に干渉しあい、相互に制約されることも止むを得ないこととされている。思想信条の自由といえども、他の自由に対して優位に立つものではない。一見、思想信条の自由が侵害されたとみられるような場合といえども、対立する自由との調整の局面がありうることは、一般に認められているところである(林鑑定書一三頁四行以下、一四頁一六行以下参照)。

しかるに、原判決では、一方では対立する自由の調整の局面があり得ることを認めながら、事実認定を評価するにあたり、上告人側の財産権、経済活動の自由や表現の自由をほとんど考慮していない。この理由は、七〇年安保改訂期における業務上の必要性(企業防衛の必要性)を極めて狭くとらえていることにあると思われる。

1 対立する自由の調整の局面がありうるとしながら、上告人側の事情をほとんど顧みず無視したことには、第一審、原審を通じて、「当裁判所の基本的見解」の中で述べられていることが大きく働いていることは疑いない。原判決は第一審判決を引用して、労働基準法第三条をひいて「右法条の趣旨に照らすと、企業は、経営秩序を維持し、生産性向上を目的とするなど合理的理由のある場合を除き、その優越的地位を利用してみだりに労働者の思想、信条の自由を侵すことがあってはならないのであり、前記の経営秩序の維持、生産性向上を理由とする場合にも、これを阻害する抽象的危険では足りず、現実かつ具体的危険が認められる場合に限定されるとともに、その手段、方法において相当であることを要し、労働者の思想、信条の自由が使用者の一方的行為によりみだりに奪われることはないというのが一つの公序を形成しているものと考える」(第一審判決六六乃至六七丁)、と述べている。

しかしながら、経営秩序を維持する重要な要素に従業員のモラール(士気)と生産設備などの装備を高能率、安全に保つという事柄があるが、具体的危険に遭遇し従業員のモラールが崩壊し装備が破壊されるまで、企業が手を拱いたまま何もなし得ないというのは、非現実的な議論であって、到底承服できるものではない。危険発生についてある程度の蓋然性があり、他方危険が具現化した場合の損害が甚大である場合には、危険を予知、予防するために、企業が相当の手段を採りうるのは、当然である。その結果、それに対応する範囲と程度において従業員個々人の自由が一定の限度で制約されると考えるのが相当である。最高裁は、目黒電報電話局事件において、経営秩序の維持のための懲戒権の発動に関して、抽象的危険で足りると判示したのであるが(最高裁昭和五二年一二月一三日判決、民集三一巻七号九七四頁参照)、原判決の基本的見解は、右判旨に抵触するものである。

2 上告人の七〇年対策は、、上告人が電力事業という極めて高度の公益性を担うことから、七〇年安保改訂期という課題を巡って、国を二分する対立があり政治的社会的に不安定な状況下にあって(乙第七号証、同第一〇号証、同第六三号証、同第六七号証参照)、これが上告人にも波及して、その電力供給に影響を及ぼすおそれがあり、万一、支障が起きた場合には国民生活に広範かつ深刻な被害を及ぼすことから採られた措置である。七〇年安保改訂期において、公益事業に従事する上告人の職制の一部に、七〇年安保改訂反対運動が騒然とさか巻く中で、従業員の日常動静を観察し突出した出来事のないよう注意を払い、企業防衛を呼びかける行為が、なぜ、共産主義的思想を侵すと解することになるのか、理解に苦しむところである。

日本共産党員及びその同調者が反安保勢力の一つの核であったことは公知の事実である。七〇年安保改訂期は騒然とした中で推移していったという歴史的事実は厳然と存在するのであって、結果的に上告人においては大過なく終わったが、これを「一九七〇年(昭和四五年)が平穏裡に過ぎたという事実からも、被告ら主張の危険性を原告らと結びつけて考えたのは、情勢分析に欠けるところがあったといわざるを得ない」(第一審判決八八丁)という認定は、歴史的現実から遊離したものといわざるを得ない。上告人は、七〇年対策の一環として、七〇年に対する問題意識を喚起しようとして被上告人らに対する観察強化を促すべく労務管理懇談会を開催したのであって、七〇年安保改訂期にあたって、被上告人らに転向を強要するなど、思想信条の自由を侵害する行為を促したものではないのである。

この時期、この状況下にあって、上告人の業務上の必要性との調整で、被上告人らを含めて従業員の自由の制約が平常時に比べて拡大するのは止むを得ないと考えるべきである。

(四) 不法行為における目的意思の位置付け

原判決は、「右各行為は、控訴人の労務対策の方針に基づいてなされた一連のものであって、間接的に転向を強要するものであるから、被控訴人らの思想、信条の自由を侵害する行為に当たるというべきである」、と判示している。

すなわち、原判決は、「労務対策の方針」という目的意思をもって、被上告人らそれぞれに関する僅か五乃至七の行為を「一連の行為」と包括して認定した。労務対策の方針にいわば接着剤としての機能をもたせたのである。原判決は、被上告人らに対する直接の転向強要として主張された事実については全て明確に否定しておきながら、異質の行為を羅列し、強引にこれを「間接的に転向を強要するもの」とした。納得しがたい判断である。

思想信条の自由の侵害の行為類型は、転向強要、告白の強要、及び不当な手段による思想信条の探知の三類型であるが、このうち、転向強要は、加害者が被害者に対して、単に思想を非難する程度では足りず、被害者に対して転向を余儀なくさせる程の強力な威圧を加え、被害者が直接強力な圧迫を受ける程度のものであることが必要である。「間接的に転向を強要するもの」をもって転向強要と判断するからには、これらと同程度もしくはそれ以上に評価できるものでなければならない。

被上告人らそれぞれに関する行為のうち、「監視」、「調査」はその性質上、被上告人らの内心に立ち入って威圧を加えたり、被上告人らがこれによって圧迫を受けることはない。「孤立化」についても、上告人(またはその職制)が働きかけたとされているのは、一部の職制や従業員に対してであり、これらの職制、従業員の被上告人らに対する行為はせいぜい消極的に付き合いを避ける程度のものであって、被上告人らの交際の求めを拒んだ事実はない。一部の職制や従業員が被上告人らに対し直接に働きかけた行為は全くなく、したがって、被上告人らが圧迫を受けたこともない。本件における「監視」、「調査」及び「孤立化」は、「間接的に転向を強要するもの」に当たらないのである。

原判決が僅かの行為をとらえて、「間接的に転向を強要するもの」として不法行為と判定したことは、行為を離れて目的意思を過大に評価した結果であると断ぜざるを得ない。判断の誤りは明らかである。

なお、原判決が目的意思をこのように過大に評価したのは、採証の基礎とすべきでない甲第八五号証から、「『特殊対策』の名称のもとに、原告ら四名ほかを対象とする共産党員ないしはその同調者ら左派グループを『不健全分子』として、同人らに対する監視・調査と孤立化、排除政策の推進強化にしぼられ(た)」(第一審判決七二乃至七三丁)、として「労務管理懇談会」の開催目的や甲第八〇号証の記載を曲解したことにあることを指摘しておく。

(五) プライバシーの侵害について

原判決がプライバシーの侵害を論ずるにあたり、被上告人らがプライバシーの放棄に等しい行為をなしたこと(甲第八〇号証を自ら公開したこと)を看過していることは、すでに述べた。

労務管理懇談会において、甲第八〇号証記載の被上告人らの家族についての情報が全て報告されたものでないこともすでに述べた。労務管理懇談会における発表は、極めて限定された範囲の者に対してなされたものであり、また、甲第八〇号証はごく少数の者の閲覧に供された後厳重に保管されていたのであるから、先に述べた七〇年安保改訂期という特別な状況下において、企業防衛の観点という業務上の必要性とを比較衡量するならば、未だ許容の範囲にとどまり、プライバシーの侵害云々を論ずる余地はない。

二、不法行為の成否について

原判決の事実認定に問題があることは第二点で述べたとおりである。また、上告人の被上告人らに対する行為を包括して「一連の行為」とすべきでなく、個々の行為について不法行為の成否を論ずべきであることもすでに述べたとおりであるる。ここでは、一で述べた不法行為の成否に関する考え方を基礎に、仮に事実が原判決の認定どおりであるとしても、何ら不法行為が成立するものでないことを被上告人ごとに明らかにする。

(一) 被上告人速水について

1 監視について

原判決が、監視について認定した事実は次の一点である。「兵庫営業所において、控訴人の職制は、同被控訴人の動静を特別に監視し、昭和四二年一〇月には、同被控訴人を外勤のある業務から内勤業務に変更して、勤務時間内の監視を容易にし(た)」(原判決二八丁)。

従業員の日常の動静観察は上司にとって業務に外ならない。したがって、これを違法とするためには、いかに「特別に監視」したものであったか、その態様を明らかにしなければならないところ、これが明らかにされておらず、不法行為として違法性を帯びる所以は明らかでない。

却って、原判決において、被上告人速水に対する監視として主張された「座席の位置」、「退社後の尾行」、「慰安会などでの監視」、「電話の監視」、「昼休みの将棋の監視」、「大塚来所時の監視」、「ロッカー検査」などの具体的事実が、一切排斥されたことからすると、日常の動静観察を越え「特別に監視」されたとはいえない。このことは、被上告人速水は監視されている事実を知らなかったことからも首肯しうるところである。被上告人速水は、監視されていることにより何らの圧迫も受けていない。

内勤業務への変更は、業務上の必要に基づく適法なものであるから、これを違法とするにはその理由を明らかにする必要があるが、原判決のように単に「監視を容易にし(た)」としているだけでは理由にならない。

2 孤立化について

原判決が、孤立化について認定した事実は次の五点である。

① 「控訴人は、昭和四一年八月、被控訴人速水を三国営業所から兵庫営業所に転入させるに当たり、同被控訴人が、三国営業所に勤務当時会社に非協力的であり、従業員を煽動したりするおそれがある人物である旨を職制に伝達し(た)」(原判決二八丁)。

② 「(控訴人は、被控訴人速水を兵庫営業所に転入させるに当たり)同被控訴人と同一業務を担当する若い従業員が同被控訴人の影響を受けることを警戒し、右若年従業員らに対し、共産党ないし共産主義者の非情さとこれにかかわることの不利益を説明したうえ、できるだけ同被控訴人との接触を回避するよう働きかけた」(原判決二八丁)。

③ 「上司は、同被控訴人が通勤経路を同じくする従業員と通勤時に接触をはかることを警戒し、同被控訴人と接触した者があった旨の報告を入手した場合は、その者に対して同被控訴人と行動を共にすることのないよう説得した」(原判決二八丁)。

④ 「(控訴人は、被控訴人速水を)安全推進委員に選任しないようにした」(原判決二八丁)。

⑤ 「右のような控訴人の同被控訴人に対する取扱いの結果、多くの従業員が同被控訴人との接触、交際を避け、同被控訴人を疎外或いは敬遠するようにな(った)」(原判決二八丁)。

①の事実については、伝達事項が判示のとおりであったとしても、ごく限られた職制に伝達されただけであって、職制から従業員に次々と伝えられていくものではないから、それが違法な行為であり、被上告人速水の法益を侵害するものとはいえない。不法行為の成立は否定すべきである。

②と③の事実は、被上告人速水に直接働きかける行為ではない。②の事実は同一業務担当の若年従業員、③の事実は通勤時における同一経路通勤者というような限定された範囲の少数の者にとどまっている。これらの者から、さらに働きかけや説得がなされた事実がないから、多くの従業員が被上告人速水を疎外あるいは敬遠するようになったとはいえない。却って、原判決は「平素のミスのアラ捜し」や「文体活動からの排除」を否定しており、このことから被上告人速水は通常の職場生活を送っていたことが窺われる。したがって、被上告人速水に圧迫を与える程の結果が生じたとはいえない。

④の事実については、被上告人速水のいかなる法益が侵害されたか明らかでなく、不法行為の成立は否定せざるをえない。

したがって、原判決のように①ないし④の事実をまとめて、⑤のように「多くの従業員が同被控訴人との接触、交際を避け、同被控訴人を疎外あるいは敬遠するようにな(った)」とはいえない。

3 小括

以上述べたように原判決認定の各事実は、いずれも不法行為とはならない。

仮に、これらを「一連の行為」としてみても、これによって転向強要に類する威圧が加えられたとはいえず、また、被上告人速水がそれほどの圧迫を受けたともいえないから、「間接的に転向を強要するもの」として思想信条の自由が侵害されたというのは、法律解釈適用の誤りである。

(二) 被上告人水谷について

1 監視について

原判決が、監視について認定した事実は次の二点である。

① 「昭和四三年ころ、同被控訴人が欠勤した際、上司が口実をもうけて同被控訴人方を訪れたこともあった」(原判決二九丁)。

② 「上司は、同被控訴人の帰宅時に、その行動を探るべく尾行したことがあ(る)」(原判決二九丁)。

①の事実のように従業員が病気のため休務した際には、上司が部下を見舞うことは業務と不可分な行為であって、何ら違法な行為ではない。原判決は、右認定事実と類似の事例として「亡母の葬式参会者の調査」、「日曜日の家庭訪問」については排斥しており、これらの事実と①の事実とを比較してみても、違法性の根拠はみいだしえない。

②の事実は極めて抽象的表現でもってなされており、尾行の具体的態様が明らかでない。被上告人水谷自身の供述によっても、尾行の意味は帰宅時の同行者を知ることができるという程度であり、尾行に気付くとか、これにより威圧を受けたという態様のものではなかったことは疑う余地はない。したがって、「帰宅時の同行者を知る」という程度の情報収集は、日常の動静観察の延長であって、未だ業務の必要性として許容される範囲内のものである。

2 調査について

原判決が、調査について認定した事実は次の三点である。

① 「赤旗の集配所になっているとの情報に基づいて、それを確認しようとして同被控訴人方の屋内を覗いたこともあった」(原判決二九丁)。

② 「控訴人の職制は、同被控訴人の住居地を管轄する灘警察署に共産党員としての同被控訴人に関する情報の提供を求め、その結果、同被控訴人が居住細胞ではなくて経営細胞の関電細胞に属しており、活動状況は低調であって下から二番目のランクである等の情報を得たほか、同被控訴人の勤務場所を管轄する西宮警察署にも右同様の情報の提供を求め、活発な活動がないので注目していない旨の回答を得た」(原判決二九丁)。

③ 「休暇届けに虚偽の申請がないかどうか、休暇をとる日が特定の曜日に集中していないかどうかを調べ(た)」(原判決二九丁)。

①の事実における赤旗の集配という行為は、自己の政治的立場からの政治活動の表現である。政治活動を妨害したというのならともかく、赤旗の集配を確認したという程度では、何ら政治活動の自由を侵したことにならないし、政治活動は、本来、プライバシーとも関係のないことである。

②の事実について、情報の入手が問題となるのはその入手態様においてである。本件においては警察署に情報の提供を求めてその結果、情報を得たというのであって、手段、方法および程度においても何ら違法な行為とはいえない。七〇年安保改訂期を目前にして政治的、社会的に不安定な時代であったこの時期に、この程度の情報を警察署から入手することは、被上告人水谷の政治活動の自由を侵すことにはならない。企業活動の自由と政治活動の自由との調整という観点から、行為の違法性を判断しなければならないことは、すでに述べたとおりである。

ちなみに第一審判決は警察からの情報入手については違法性なしと判断している(第一審判決九〇乃至九一丁)。

③の事実につき、上告人には勤怠に関する帳簿があり、この帳簿から休暇理由の虚偽申請があるか否か、あるいは、その帳簿を分析、検討することは、服務管理上当然であって、何ら違法な、行為とはいえない。

3 孤立化について

原判決が、孤立化について認定した事実は次の一点である。

「職制は、他の従業員のいるところで同被控訴人の思想を非難するなどして、同被控訴人の信用失墜を図ったり、他の従業員が同被控訴人と接触しないよう働きかけ、同被控訴人を従業員の中で孤立させるよう努めた」(原判決二九乃至三〇丁)。

右認定事実において、「思想を非難した」行為とは、昭和四三年ころ、被上告人水谷の上司であった池山営業課長の発言を指すものと思われるが、原判決は、池山課長の発言の趣旨からみて転向強要に当たらないと判示している(原判決三八丁)。しかし、右認定事実では、池山発言が「思想を非難するなどして」と評価されているのであるが、発言のどの部分が、なぜ「思想を非難する」ことになるのか不明である。また、「思想を非難する」のがなぜ「信用の失墜を図ったり」したことになるのか、なぜ「接触しないよう働きかけ」たことになるのか、一切説示していない。

不法行為が成立するためには、結果の発生が必要であるが、「(被控訴人水谷)の信用失墜を図ったり、他の従業員が同被控訴人と接触しないよう働きかけ、同被控訴人を従業員の中で孤立させるよう努めた」とあるだけで、その結果については何も認定されていない。この表現は、職制の努力、すなわち意欲を意味するものにすぎない。却って、文体活動に「中高年層としては積極的に参加して(いる)」など、職場の中に溶け込んでいる様が、原判決において認定されているのであり、孤立化の結果は全くない。

なお、原判決の引用した池山発言は、池山の個人的見解であり、上告人の行為として評価されるものではない。

4 小括

以上述べたように原判決認定の各事実は、いずれも不法行為とはならない。

仮に、これらを「一連の行為」としてみても、これによって転向強要に類する威圧が加えられたとはいえず、また、被上告人水谷がそれほどの圧迫を受けたともいえないから、「間接的に転向を強要するもの」として思想信条の自由が侵害されたというのは。法律解釈適用の誤りである。

(三) 被上告人三木谷について

1 監視について

原判決が、監視について認定した事実は次の五点である。

① 「被控訴人三木谷が民青同盟員らしいとして特別にその行動を監視することとし、同被控訴人と職場が同じ者に指示を与えて同被控訴人の言動を監視させ(た)」(原判決三〇丁)。

② 「同被控訴人に電話がかかってきた場合は、かけてきた者を確認させたうえ、これを上司に報告させ(た)(右監視を命じられた者がそのために同被控訴人の机の上のメモを調べたこともあった。)」(原判決三〇丁)。

③ 「同被控訴人が民青同盟或いは共産党関係の文書等を所持しているのに気付いた場合は、上司に報告するよう命じた」(原判決三〇丁)。

④ 「控訴人の職制は、同被控訴人を尾行するなどして、同被控訴人の退社後の行動も監視した」(原判決三〇丁)。

⑤ 「昭和四二年ころ、同被控訴人を監視していた者からの報告に基づいて、……同被控訴人のロッカーを無断で開け、同被控訴人の上着のポケットに入っていた民青手帳を取り出して、その内容を写真に撮影した」(原判決三〇丁)。

①ないし⑤の事実については、いずれも、被上告人三木谷本人はもとより、職場の者にも、被上告人三木谷が要観察者であるという認識がなく、これによって、被上告人三木谷が心理的圧迫を感じることはなかった。

入手しようとした情報の範囲は、被控訴人三木谷の政治的所属関係とその活動に限定されており、決して私生活にまで及ぶものではなく、入手した情報を不当に利用したという事実もない。右情報収集は、手段において一部妥当性を欠くうらみはあるとしても、情報収集の時期が、七〇年安保改訂期を控え、企業防衛が最重要課題とされていた時期であることを併せ考慮すれば、許容される範囲を超えたとはいい難いものである。

2 孤立化について

原判決が孤立化について認定した事実は次の二点である。

① 「同被控訴人と共に飲酒したり喫茶店に行った従業員に対して、同被控訴人と接触しないよう注意を与え(た)」(原判決三〇丁)。

② 「同被控訴人が幹事をしていた写真部の部員に対して退部を働きかけ、昭和四三年二月ころ同部を自然解散するに至らせるなどして、同被控訴人が職場の中で他の従業員から孤立するように意図的に働きかけた」(原判決三〇乃至三一丁)。

①、②の事実については、働きかけの対象がいずれも限られた範囲にとどまるものである。しかも、「意図的に働きかけた」というだけであって、被上告人三木谷が他の従業員との接触を絶たれたという結果は発生していないのである。特に②の事実についていえば、原判決は却って「文体活動からの排除」については明確に否定し、被上告人三木谷が各種行事に積極的に参加していることを認めている。このことは、各種文体活動の一つにすぎない写真部の自然解散(消滅)をもって孤立化と評価できないことを意味するとともに、被上告人三木谷自身が心理的圧迫を受けていないことを示している。

3 小括

以上述べたように原判決認定の各事実は、いずれも不法行為とはならない。

仮に、これらを「一連の行為」としてみても、これによって転向強要に類する威圧が加えられたとはいえず、また、被上告人三木谷がそれほどの圧迫を受けたともいえないから、「間接的に転向を強要するもの」として思想信条の自由が侵害されたというのは、法律解釈の適用の誤りである。

しかも、被引告人三木谷が昭和四三年九月に京都上営業所に異動した以降は、監視、調査、孤立化の全てについて、一切の不法行為の成立が否定されており、「一連の行為」とする連鎖は、その時点で完全に断ち切られているのである。この点をも併せ考慮すれば、「間接的に転向を強要するもの」として思想信条の自由を侵害したというのは極めて不当な判断である。

(四) 被上告人松本について

1 監視について

原判決が、監視について認定した事実は次の一点である。

「昭和四二年ころ……被控訴人松本について、他の従業員一ないし二名に対し、同被控訴人が極左分子である旨を説明して、同被控訴人の監視を命じ(た)」(原判決三一丁)。

認定事実は、一、二名が監視を命ぜられたというだけで、何を監視せよというのか、監視がどのように実行されたのか、全く判示がない。監視の違法性の評価は、その手段の具体的態様によりなされるものであるから、監視の実行がない以上、右事実をもって不法行為とすることはできない。

2 調査について

原判決が、調査について認定した事実は次の一点である。

「控訴人の労務担当者は、同被控訴人の住居地を管轄する加古川警察署に同被控訴人の写真を持参して情報交換を依頼し、その結果……それぞれ出席したことの情報を得た(……)ほか、明石営業所を管轄する警察署とも連携を保って、同被控訴人に関する情報を入手しようとした」(原判決三一乃至三二丁)。

七〇年安保改訂を控えて国論を二分する対立があり、世情騒然とした時期に、いくつかの政治集会へ参加したという情報を警察から入手しただけのことであり、また、入手した情報を不当に利用したとの事実もない(明石営業所を管轄する警察署については「入手しようとした」だけである)。違法性を論ずるには、企業活動の自由と政治活動の自由との調整という観点から、また時代的背景を考慮して行わなければならないのであって、かかることからすれば、右事実は何ら違法な行為とはいえない。

ちなみに第一審判決は、警察からの情報入手について違法性なしと判断している(第一審判決九三乃至九四丁)。

3 孤立化について

原判決が、孤立化について認定した事実は次の三点である。

① 「昭和四三年四月ころ以降五年間、同被控訴人については、安全週番を担当させなかった」(原判決三二丁)。

② 「(昭和四二年ころ)一般の他の従業員にも右同様(同被控訴人が極左分子である旨―引用者注)の説明をして、同被控訴人が控訴人の経営方針に反する者であることを周知させ(例えば……)、他の従業員が同被控訴人と接触しないよう働きかけ、退社後同被控訴人と行動を共にした者に対しては注意を与えた」(原判決三一丁)。

③ 「昭和四五年ころには、他の従業員が同被控訴人との交際、接触を避けるようになった」(原判決三二丁)。

①の事実については、いささかも社内の利益、不利益とかかわりあいのない安全週番に就かないことが、差別の徴表としての意味をもつものとは考えられない。安全週番についての認定事実が、どのような法益を侵害するというのか理解に苦しむ。

②の事実については、認定事実が余りにも抽象的であり、昭和四二年頃の働きかけた範囲、手段方法等全く不明であり、これは退社後行動をともにした者への注意にしても同様であって、実効があったものとは到底認められず。これをもって法的評価を行うとすれば不法行為の成立を否定する外ない。

③の事実は、このようなおよそ評価不能のものを並べたてたうえで、合理的理由を何ら示すことなく、「昭和四五年ころには」と唐突に、「交際、接触を避けるようになった」と抽象的な形で認定しているだけであり、しかも、被上告人松本が強度の圧迫を感じていたことを窺わせる事実は認定されていない。

4 小括

以上述べたように原判決認定の各事実は、いずれも不法行為に該当しない。

仮に、これらを「一連の行為」としてみても、これによって転向強要に類する威圧が加えられたとはいえず、また、被上告人松本がそれほどの圧迫を受けたともいえないから、「間接的に転向を強要するもの」として思想信条の自由が侵害されたというのは、法律解釈適用の誤りである。

第四点。

原判決には、消滅時効について、法律の解釈の誤りがあり、また、理由齟齬の違法がある。

原判決は、消滅時効についての上告人の抗弁に対して、「原告らが本件損害及び加害者を知ったのは、労務管理懇談会の報告書である甲第八〇号証を見たとき、すなわち、昭和四六年のことであると認められ(被控訴人らにおいて、個々の被害行為を知ったとしても、それが前記認定のような控訴人の労務方針に基づいた一連のものであることを知ったことにはならない。)、本訴が同年一二月二日提起されたことは記録上明らかな事実であるから、被告の右時効の抗弁は、失当である」、と判示した(原判決四二丁)。

民法第七二四条は、不法行為により損害賠償請求権についての消滅時効は「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」から進行すると規定しているのみである。しかるに原判決は、それを越えて「控訴人の労務方針に基づいた一連のものであることを知(る)」ことまでも必要としている。これは、民法七二四条の解釈を誤ったものである。

また、原判決の右判示は、被上告人らについての各認定の行為が、上告人の「労務対策の方針に基づいてなされた一連のものであって、間接的に転向を強要するものである」とする判示と矛盾している。何故ならば、一連の行為が被上告人らに対する転向強要と評価できるためには、被上告人らの思想信条を理由として、上告人により一貫した攻撃が加えられているとの認識が、被上告人らになければならないからである。そうでなければ、被上告人らは「会社を退職するか自己の思想、信条を変え」るしかないということになろうはずがない。不法行為についての原判決の説示からすれば、「損害及び加害者を知ったのは」「個々の被害行為を知った」時点であるというのが論理の帰結である。逆に、「損害及び加害者を知ったのは」「甲第八〇号証を見たとき」であり、「個々の被害行為」が「控訴人の労務方針に基づいた一連のものであることを知」らなかったというのであれば、「間接的に転向を強要するもの」などという構成は、およそ維持し得ないのである。

原判決は理由に齟齬があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。この点でも原判決は破棄を免れない。

別紙原判決事実認定一覧表<省略>

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