最高裁判所第三小法廷 平成4年(オ)524号 判決 1995年9月19日
上告人
店舗工業株式会社
右代表者代表清算人
大山豊
右訴訟代理人弁護士
桑嶋一
前田進
被上告人
長谷川正
右訴訟代理人弁護士
松本保三
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告人代理人桑嶋一、同前田進の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係及び記録によって明らかな本件訴訟の経緯等は、次のとおりである。
1 上告人は、本件建物の賃借人であった高島宗雄との間で、昭和五七年一一月四日、本件建物の改修、改装工事を代金合計五一八〇万円で施工する旨の請負契約を締結し、大部分の工事を下請業者を使用して施工し、同年一二月初旬、右工事を完成して高島に引き渡した。
2 被上告人は、本件建物の所有者であるが、高島に対し、昭和五七年二月一日、賃料月額五〇万円、期間三年の約で本件建物を賃貸した。高島は、改修、改装工事を施して本件建物をレストラン、ブティック等の営業施設を有するビルにすることを計画しており、被上告人と高島は、本件賃貸借契約において、高島が権利金を支払わないことの代償として、本件建物に対してする修繕、造作の新設・変更等の工事はすべて高島の負担とし、高島は本件建物返還時に金銭的請求を一切しないとの特約を結んだ。
3 高島が被上告人の承諾を受けずに本件建物中の店舗を転貸したため、被上告人は、高島に対し、昭和五七年一二月二四日、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした上、本件建物の明渡し及び同月二五日から本件建物の明渡し済みまで月額五〇万円の賃料相当損害金の支払を求める訴訟を提起し、昭和五九年五月二八日、勝訴判決を得、右判決はそのころ確定した。
4 高島は、上告人に対し、本件工事代金中二四三〇万円を支払ったが、残代金二七五〇万円を支払っていないところ、昭和五八年三月ころ以来所在不明であり、同人の財産も判明せず、右残代金は回収不能の状態にある。また、上告人は、昭和五七年一二月ころ、事実上倒産した。
5 そこで、本件工事は上告人にこれに要した財産及び労務の提供に相当する損失を生ぜしめ、他方、被上告人に右に相当する利益を生ぜしめたとして、上告人は、被上告人に対し、昭和五九年三月、不当利得返還請求権に基づき、右残代金相当額と遅延損害金の支払を求めて本件訴訟を提起した。
二 甲が建物賃借人乙との間の請負契約に基づき右建物の修繕工事をしたところ、その後乙が無資力になったため、甲の乙に対する請負代金債権の全部又は一部が無価値である場合において、右建物の所有者丙が法律上の原因なくして右修繕工事に要した財産及び労務の提供に相当する利益を受けたということができるのは、丙と乙との間の賃貸借契約を全体としてみて、丙が対価関係なしに右利益を受けたときに限られるものと解するのが相当である。けだし、丙が乙との賃貸借契約において何らかの形で右利益に相応する出捐ないし負担をしたときは、丙の受けた右利益は法律上の原因に基づくものというべきであり、甲が丙に対して右利益につき不当利得としてその返還を請求することができるとするのは、丙に二重の負担を強いる結果となるからである。
前記一の2によれば、本件建物の所有者である被上告人が上告人のした本件工事により受けた利益は、本件建物を営業用建物として賃貸するに際し通常であれば賃借人である高島から得ることができた権利金の支払を免除したという負担に相応するものというべきであって、法律上の原因なくして受けたものということはできず、これは、前記一の3のように本件賃貸借契約が高島の債務不履行を理由に解除されたことによっても異なるものではない。
そうすると、上告人に損失が発生したことを認めるに足りないとした原審の判断は相当ではないが、上告人の不当利得返還請求を棄却すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大野正男 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官千種秀夫 裁判尾崎行信)
上告代理人桑嶋一、同前田進の上告理由
一 原判決は以下に述べるとおり諸種の法令違反をなし、よって本件は民法第七〇三条を適用すべき事案であるにもかかわらず、同条を適用して上告人に不当利得返還請求権を認めた第一審(京都地方裁判所昭和五九年ワ第三一九号事件)判決を取り消して上告人の請求を棄却したものである。
二 原判決には審理不尽、理由不備の違法がある。
1 原判決は「本件工事に関して被控訴人が自らの財産又は労務を出捐して損失を被ったものとは認められない筋合である。」とまず損失の有無を検討し、損失はなかったと認定して「よって、その余の点につき検討するまでもなく、被控訴人の主位的請求は理由がない。」とする。
確かに、「損失」は不当利得返還請求権が成立するための要件である。しかし、「不当利得の目的は或箇所における法の欲しない利益の凝集を清算して、不公平なる結果を排除するに在るから、其観察の基点は受益者についての状態であって、受益者に利得を保持せしめることが公平に反し、法律上理由なしとすることに在る。従って受益者の利益の取得が法律上の名義に基づいているか否か、又其の結果他人に損害を与えたか否かは、不当利得の本質には重要な事柄ではない」のである(石田文次郎「不当利得に於ける『損失』に就いて」)。したがって、不当利得返還請求権の有無を判断するのにあたってはまず「利得」が認められるか否かが判断され、次にその利得が法律上の原因を欠くか否かが判断され、しかる後にその利得は誰の損失の上に得られたものかを判断しなければならないのである。学説が古くから損失の要件そのものすら不要とまで言っていることは示唆的である。
2 では本件において利得は認められるか。この点につき原判決は何ら言及するところがない。しかし、一審判決は正当にもこの点を詳細に検討しているので、これによって検討することとする。
まず、「訴外高島が被告(被上告人)から本件建物を賃借したのは、昭和五七年二月一日のことであるが、その当時、本件建物は、地下一階が遊技場、地上一階と二階がホテル、三階がアパートという構造になってはいたものの、いずれも使用されてはおらず、建物全体が廃墟同然の状態であった。」そこで訴外高島は本件建物を、ライブハウスや喫茶店又は炉端焼店等の「営業施設を有する総合ビルに改修・改装することとし」て「原告(上告人)に対し、右改修・改装工事(本件工事)」を「請け負わせた」。そして「原告は、下請け業者をも使用して本件工事を施工し、」「全工事を完成し訴外高島に引き渡した」のである。
右判決引用部分にもあるように本件建物は廃墟同然とまでいわれていたのであるが、現在では上告人のなした本件工事によって本件建物は商業ビルとして甦り、本件建物自体の価値が飛躍的に増加したのである。被上告人が現在本件建物に数軒のテナントを入れて多大の賃料収入を得ているのも上告人による本件工事がなされたからこそである。この様に本件において被上告人が本件建物に関して利得を受けていることは明らかである。
ところが、被上告人は「訴外高島には権利金を取らずに本件建物を賃貸した代わりに、同人との間に前記費用償還請求権放棄の特約を結んだのであるから、被告(被上告人)には利益はない」と主張する。
しかし、被上告人は、「訴外高島に対し本件建物を賃貸するにあたり、なるほど同人から権利金を取ってはいないが、賃借権の譲渡・転貸は禁止しており、訴外高島が本件工事費用支出に見合うだけの営業収益を本件建物の賃借利用により得るだけの期間本件建物を賃貸してもいないのであるから、やはり被告(被上告人)は、無償で本件建物の価値の増加という利益を得ているものというべきであり、被告に利得がないとすることはできない」のである。
3 では次にその利得が法律上の原因を欠くものといえるであろうか。
この点については右判決引用部分の指摘する「訴外高島が本件工事費用支出に見合うだけの営業収入を本件建物の賃借利用により得るだけの期間本件建物を賃借してもいない」原因について検討することが不可欠である。
訴外高島が本件工事費用支出に見合うだけの期間本件建物を賃借できなかったのは、被上告人によって本件建物の賃貸借契約が訴外高島の無断転貸を理由として昭和五七年一一月頃の本件工事完成後わずか約一ヵ月後に解除されたからである。仮に右解除がなされておらず、訴外高島の構想どおりに本件建物が利用されていたなら、上告人は本件工事費用を当初の予定どおり訴外高島から弁済を受けていたはずであり、仮に訴外高島から任意の弁済を受けられなかったとしても、訴外高島の営業収入又は賃料収入から本件工事費用を回収できたことは確実である。ところが現実には本件工事完成後まもなくの被上告人の本件建物の賃貸借契約解除によって訴外高島は本件建物の賃借利用による営業収入ををほとんど得ることができず、投下資本の回収がほとんどできないままになってしまったのである。
確かに、訴外高島と被上告人との間の本件建物の賃貸借契約の無断転貸禁止の約定に訴外高島が違反したのであるから、被上告人が右賃貸借契約を解除するのは当然の権利ではある。しかし、そのことが被上告人に工事によって生じた建物の価格の増加を無償で獲得せしめることを当然とするものではない。賃借人訴外高島による無断転貸は上告人の関与しない事由であるのに対して、賃貸借契約の解除はまさに被上告人が自らの意思によりなしたことであることに鑑みれば、公平の観点からみても、被上告人の得た利得は法律上の原因を欠いたものであると解するべきである。
4 右に検討した法律上の原因を欠く利得に対応する損失が上告人にあるか。この点原判決は、「被控訴人に財産及び労務の出捐による損失があったというためには、本件工事のうち下請業者を使用した部分については、被控訴人において現実に下請業者に対して下請工事代金を支払ったことが必要であると解すべきである」という。
しかし、民法七〇三条にいう「損失」については債務を負担することが含まれるのは当然であって(新版注釈民法第一八巻債権九事務管理・不当利得四三二頁)、仮に、上告人が、本件工事について下請業者に下請工事代金を全く支払っていなかったとしても、上告人が下請工事代金債務を負担するのであるから上告人には債務負担という損失が生じていること明らかである。そしてその損失は、現実には、訴外高島が上告人に対し「本件工事請負代金合計五一八〇万円のうち二四三〇万円は支払ったが」、「残金二七五〇万円は支払わないまま、昭和五八年三月頃から所在をくらませてしまった」ため結局「原告(上告人)の訴外高島に対する前記本件工事請負残代金債権は、回収不能、したがって無価値となっている」範囲で存在するのである。
このことは、上告人が事実上倒産したことによっても何らの影響は受けない。即ち、上告人が倒産したといっても上告人に対して債務免除はなされておらず、上告人代表者にあっては現在もなお下請け業者に対して下請工事代金の弁済をなしているのであるから、上告人は、法律上も、事実上も下請工事代金債務を免れてはおらず、この債務負担が民法七〇三条にいう「損失」に該当することは明らかである。
仮に本件において右債務負担をもってしても上告人に損失が認められないとするならば損失は下請業者が負っていることになると思われるが、前述の如く上告人代表者は下請業者に対して下請工事代金の弁済を続けているのであるから、上告人の事実上の倒産によっても下請業者の上告人に対する下請代金請求権は無価値になったとはいえず、下請業者の損失は不発生ないし不確定となってしまい下請業者から被上告人に対する本件工事に関する不当利得返還請求権の行使は不可能ないし困難となる。とするならば、一方において利得を得た者がいながら、他方においてその利得に対応する損失の填補を受け得る者はいないことになり、著しく正義に反することになる。
そこで右利得を生ぜしめた損失を負担している者が誰であると解するのが公平であるか、であるが、本件の如く元請業者が下請業者に対して支払いを完了しないまま倒産し、下請業者に対する下請工事代金債務の債務免除がなされていない場合には、元請業者を損失者と解するべきである。
蓋し元請業者を損失者と解することによって、この損失は元請業者の負担した債務の額に一義的に確定でき、返還されるべき利得の範囲や返還を受けるべき者が明確になるとともに、不当利得金請求訴訟を元請業者が行なえば足りることとなって、数多くの下請業者が不当利得金請求訴訟を個別に起こす手間が省けるからである。
また、仮に下請業者が損失者であると解するとすると、元請業者の注文者に対する請負代金請求権と下請業者の元請業者に対する請負代金請求権との二つの債権がいずれも無価値であることを介して初めて利得と損失の間に因果関係が認められることとなるが、それでは右因果関係立証の点で下請業者に不当利得返還請求権の行使が認められない危険ないしはその不安が残り、不当な利得を受益者にそのまま保持させる結果となりかねず、不当利得制度の趣旨に反し、妥当でない。
5 右に検討したように、本件においてはまず利得の有無の検討が必要であるにもかかわらず、原審はそれを怠った審理不尽の違法並びに損失の有無及び損失者の確定につき理由不備の違法がある。
三 原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令違背(法解釈の誤り)がある。
1 仮に原判決の論理に従い損失の有無から先に検討するとしても、上告人に損失があることは明らかであるにもかかわらず、原判決は損失が認められないとしたが、これは民法七〇三条の解釈を誤ったものである。
2 原判決は「被控訴人(上告人)に財産および労務の出捐による損失があったというためには、本件工事のうち下請業者を使用した部分については、被控訴人において現実に下請業者に対して下請工事代金を支払ったことが必要であると解するべきである」という。
しかし既にみたように民法七〇三条にいう「損失」に債務負担行為が含まれることは当然なのであって、原判決のように債務負担に加えて現実の支払いまで必要とするとの解釈は一般論として誤りである。そして本件では「損失」ありと認めるために債務負担だけでは足りないという特段の事情について原判決は何ら言及するところがなく、右特段の事情も存在しないのである。
この点についての原判決の法解釈の誤りは上告人に不当利得返還請求権があるか否かの結論に直結する誤りであるから、結局原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背があるといわざるをえない。
四 原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかなる重大な事実誤認がある。
仮に原判決のいうように、民法七〇三条の「損失」ありというには現実の支払いが必要であるとしたとしても、上告人は本件工事に関して全額ではないにせよ現実に下請業者に対して下請工事代金を支払っており、また本件工事のうち設計監理等の労務の提供を行なったのであるから、上告人には本件工事に関する損失は生じていることは明白である。従って損失の不発生を理由に上告人の主位的請求を理由なしとした原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかなる重大なる事実誤認がある。
五 原判決には釈明権不行使、審理不尽の違法がある。
1 原判決は民法七〇三条の「損失」ありというための要件として現実の支払いを要求した上で、本件では「被控訴人が本件工事の下請業者に下請工事代金を完済したことを認めることはできないといわざるを得ないし、一部支払われているとしても、その金額を確定することもできない」とし、さらに、「被控訴人が自ら施工したという具体的な内容も明らかではなく」、「自ら施工した部分があるとしても、その部分の本件工事中に占める割合を確定するに足る証拠もない」として「本件工事に関して被控訴人が自らの財産または労務を出捐して損失を被ったものとは認められない」という。
2 しかし、上告人の下請工事代金一部支払い及び上告人自身による施工の事実についてその額や割合が確定できないというのであれば裁判所はそれを明らかにするべく釈明権を行使すべきである。本件では、原審は一審判決と異なって現実の支払いを要求したのであるから、右解釈自体について争っていた上告人にとって下請工事代金の支払い額や施工割合についての主張立証が不十分となるのは止むを得ない事情があったといえるのであるから釈明権の適正な行使が要求されるところである。殊に、上告人の下請工事代金の一部支払い及び上告人自身による施工の事実自体が認められないのではなく、ただその額や割合が不明であるというに過ぎないのであるから、その点について適正な釈明権の行使を怠り十分な審理をしないまま上告人の請求を全部棄却した原判決には釈明権不行使ないしは審理不尽の違法がある。