最高裁判所第三小法廷 平成5年(オ)1603号 判決 1996年10月29日
上告人(反訴被告)
ハラダ塗装株式会社
ほか一名
被上告人(反訴原告)
鎭谷和三郎
主文
原判決中、上告人ら敗訴の部分を破棄する。
前項の部分につき、本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人高崎尚志、同中嶋邦明の上告理由について
一 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
上告人村上鶴由は、昭和五九年一一月二〇日、大阪市城東区内の道路上において、上告人ハラダ塗装株式会社の所有する普通乗用自動車を運転して走行中、被上告人の運転する普通乗用自動車に自車を追突させた。被上告人は、本件事故の翌日、医師から頸椎捻挫、腰椎捻挫と診断され治療を受けていたが、昭和六三年一月転医した病院における検査の結果、頸椎に後縦靱帯の骨化が認められ、本件事故の翌日に撮影されたエツクス線写真からも後縦靱帯の骨化が認められた。被上告人は、本件事故前から頸椎後縦靱帯の骨化が進行し、神経症状を起こしやすい状態にあつたところ、本件事故による衝撃を受けて頸部運動制限、頸部痛などの症状が発現したものである。
二 本件は、被上告人が本件事故により被つた損害の賠償を請求するものであるが、原審は、右事実関係を前提として、本件において、被上告人が本件事故前から頸椎後縦靱帯骨化症に罹患していたことが被上告人の治療の長期化や後遺障害の程度に大きく寄与していることは明白であるが、本件事故前、被上告人は右疾患に伴う症状は何ら発現しておらず健康な日々を送つていたこと、頸椎後縦靱帯骨化症は、発症の原因もわからない難病の一種であるが、近年、我が国においては決してまれではない疾患であり、被上告人には右疾患に罹患するについて何ら責められるべき点はないこと、本件事故により上告人村上が被上告人の頸部に与えた衝撃は決して軽いものではなく、被上告人に右素因がなくとも、相当程度の傷害を与えていた可能性が高いと推測されること、腰痛症や老化からくる腰椎や頸椎の変性等何らかの損害拡大の素因を有しながら社会生活を営んでいる者は多数存在していること等にかんがみると、被上告人が頸椎後縦靱帯骨化症の素因を有していたため拡大した損害について、これを加害者である上告人らに負担させても、公平の理念に照らして不当であるとはいえないと判断し、被上告人の疾患を損害賠償額の算定に当たり斟酌すべきでないとした。
三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
被害者に対する加害行為と加害行為前から存在した被害者の疾患とが共に原因となつて損害が発生した場合において、当該疾患の態様、程度などに照らし、加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは、裁判所は、損害賠償の額を定めるに当たり、民法七二二条二項の規定を類推適用して、被害者の疾患を斟酌することができることは、当裁判所の判例(最高裁昭和六三年(オ)第一〇九四号平成四年六月二五日第一小法廷判決・民集四六巻四号四〇〇頁)とするところである。そしてこのことは、加害行為前に疾患に伴う症状が発現していたかどうか、疾患が難病であるかどうか、疾患に罹患するにつき被害者の責めに帰すべき事由があるかどうか、加害行為により被害者が被つた衝撃の強弱、損害拡大の素因を有しながら社会生活を営んでいる者の多寡等の事情によつて左右されるものではないというべきである。
前記の事実関係によれば、被上告人の本件疾患は頸椎後縦靱帯骨化症であるが、本件において被上告人の罹患していた疾患が被上告人の治療の長期化や後遺障害の程度に大きく寄与していることが明白であるというのであるから、たとい本件交通事故前に右疾患に伴う症状が発現しておらず、右疾患が難病であり、右疾患に罹患するにつき被上告人の責めに帰すべき事由がなく、本件交通事故により被上告人が被つた衝撃の程度が強く、損害拡大の素因を有しながら社会生活を営んでいる者が多いとしても、これらの事実により直ちに上告人らに損害の全部を賠償させるのが公平を失するときに当たらないとはいえず、損害の額を定めるに当たり右疾患を斟酌すべきものではないということはできない。
右と異なる原審の判断には、法令の解釈適用を誤つた違法があり、その違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決は上告人ら敗訴の部分につき破棄を免れない。そして、本件については、上告人らに損害の全部を賠償させることが公平を失するかどうか及び損害額全般について更に審理を尽くさせる必要があるから、右破棄部分につきこれを原審に差し戻すのが相当である。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 尾崎行信 園部逸夫 可部恒雄 大野正男 千種秀夫)
上告理由
一 原判決は、最高裁判所の判例(最判二小、昭和六二年一月二三日、昭和五八年(オ)第一、四四二号、未公判)と相反する判断をしたもので、法令の解釈に誤りがあるため、法令の違背があり、さらに右判断は証拠採証の法則を誤り経験則に違背し、これが判決に影響を及ぼしたことが明らかであるから破棄すべきである(民事訴訟法第三九四条同三九五条一項六号)。
1 原判決は次のとおり判示している(八枚目から九枚目)。
「被害者の身体的な素因や心因的な要因(以下、単に「素因」という)が損害を発生、拡大に寄与している場合、その素因の性質、内容、寄与の程度等を考慮した上、全損害を加害者に負担させることが、公平の理念に照らし著しく不当であると認められる場合には、民法七二二条二項を類推適用して、賠償額を減額することができると解せられる。
そこで検討するに、1で認定した事実によれば、本件において、一審反訴原告が本件事故前から頸椎後縦靱帯骨化症に罹患していたことが、一審反訴原告の治療の長期化や後遺障害の程度に大きく寄与していることは明白であるが、本件事故前、一審反訴原告は、頸椎後縦靱帯骨化症に伴う症状は何ら発現しておらず健康な日々を送つていたのであること、頸椎後縦靱帯骨化症は発症の原因も判らないいわゆる難病の一種であるが、近年、特に本邦においては決して稀ではない疾患であり(丙一)、一審反訴原告が右疾患に罹患するについて何ら責められるべき点はないこと、本件事故により一審反訴被告村上が一審反訴原告の頸部に与えた衝撃は決して軽いものではなく、一審反訴原告に右素因がなくとも、相当程度の傷害を与えていた可能性が高いと推測されること、腰痛症や老化からくる腰椎や頸椎の変性等何らかの損害拡大の素因を有しながら社会生活を営んでいる者は多数存在していること等に鑑みると、一審反訴原告が頸椎後縦靱帯骨化症の素因を有していたがために拡大した損害について、これを加害者である一審反訴被告らに負担させても、公平の理念に照らして不当であるとは認め難い。」
2 右の原判決は、損害賠償制度における公平の理念についての判断を誤り、かつ、最高裁判所(二小)、昭和六二年一月二三日(昭和五八年(オ)第一、四四二号未公判)の判断と相反し、法令の解釈に誤りがあるから法令の違背等を犯している。
右の最判(二小)、昭和六二年一月二三日(昭和五八年(オ)第一、四四二号)の判示は次のとおりであり、「体質的素因」を損害において考慮している。
「上告代理人折田泰宏、同深尾憲一の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係のもとにおいて、本件事故と上告人に生じた傷害等との間には相当因果関係があるとした上、損害賠償額を定めるに当たり、上告人に内在する体質的素因が右傷害等の発生に寄与した事情をしんしやくして、上告人の被つた右傷害等による損害のうち逸失利益等についてその四〇パーセントを減殺した原審の判断は、結論において正当として是認することができる。論旨は、採用することができない。」
この原審の判決は大阪高判昭和五八年九月六日判時一一一〇号八八頁であるが、潜在的異常あるいは、特殊な体質的素因を有していた者が追突事故により外傷後、背柱管内出血性両下肢麻痺となつた場合について、加害者の事故の寄与度は六〇パーセントであるとした事例について、次のとおり判示したものである。
「2 しかして、前判示二の各事実と当審における鑑定人四方實彦の鑑定結果と同人の証人としての証言によると、前記認定の原告の各症状と本件事故との間の因果関係を肯認できるものの、本件事故前示のような比較的軽微な追突事故により右のような原告の各症状とりわけ重篤な下半身麻痺の原因となる外傷後背柱管内出血の傷害を惹き起こすについては、原告の背髄硬膜内外の動静脈系にあらかじめ血管種その他何らかの潜在的異常が存在したか、あるいは血管脆弱性等特殊な体質的素因が存在していたという原告側の事情があり、これが本件事故による軽微な外傷によつて誘発された急激な動静脈の変化により、右のような異常血管の破綻を招来したものと考えるのが相当とみられ、つまるところ、本件事故は、原告の重篤な下半身麻痺の症状発現の誘因になつたにすぎないものと評価される。そうすると、右症状を主症状として持つ原告がこれにより蒙つた損害のすべてを本件事故によるものとして被告に賠償させることは、被告に対し酷に失するものと考えられ、むしろ、原告の右損害に対する本件事故の寄与の度合いを、被害者である原告の救済に欠けるところのないよう配慮しながら判定し、その限度内の損害を相当因果関係のある損害として、被告の賠償責任を認めるのが発生した損害の公平な負担の理念にかなうものというべきであり、この見地から原告の右損害に対する本件事故の寄与度をみるに、前判示の本件事故の態様、これによる原告の傷害の状況等諸般の事情を勘案して、原告の右損害に対する本件事故の寄与度を六〇パーセントとみるのが相当である。」
本件の被上告人鎭谷の体質的素因(頸椎後縦靱帯骨化症)も、右の最判六二年一月二三日と異ならないものであるから、その体質的素因による減額をしなかつた原判決は同最判の判断に違背している。
3 本件の原判決の判示する「頸椎後縦靱帯骨化症は、発症の原因も判らないいわゆる難病の一種であるが、近年、特に本邦においては決して稀ではない疾患であり(丙一)」との点については専門の医者にとつては、そのような疾患も稀ではないという意味に過ぎないのであつて、一般人にとつて「稀ではない」という意味ではない。そのことは、右骨化症が難病であることからも明らかである。そして、それが特異なものであることは日常の生活においてそのような人に会うことはないか、極めて特殊にして稀な経験であるということは経験則上明らかである。
さらに、原判決は「腰痛症や老化からくる腰痛や頸椎の変性等何らかの損害拡大の素因を有しながら社会生活を営んでいる者は多数存在していること」と判示しているところからすると、原判決は、頸椎後縦靱帯骨化症と老化からくる頸椎などの変性とを同一視するか混同しているが、後者の場合は「難病」ではなく通常の生理の老化現象からくるものであつて、これらの方は通常稀なものではない。原判決は、これら頸椎等の変性と頸椎後縦靱帯骨化症とを混同して、判断を誤つていることは経験則上明らかである。
よつて、原判決は証拠採証の法則の適用の誤り、経験則違反を犯している。
4 次に原判決は、「一審反訴原告が右疾患に罹患するについて何ら責められるべき点はないこと」と判示している。
しかし、この事情を本件のような損害賠償における相当因果関係の判断において掲げるのは誤りである。
「責むべき点」がある場合は、それは、即民法七二二条二項の適用又は類推適用となるのであつて、本判決が八枚目において判示するような「公平な理念」を持ち出すまでもないのである(後記の判時一、四五四号九三頁のコメントも同じ見解である。)。
5 さらに、原判決は「本件事故により一審反訴被告村上が一審反訴原告の頸部に与えた衝撃は決して軽いものではなく、一審反訴原告に右素因がなくとも、相当程度の傷害を与えた可能性が高いと推測されること」と判示している(八枚目)。
しかし、その前の方(八枚目)において「本件において、一審反訴原告が本件事故前から頸椎後縦靱帯骨化症に罹患していたことが、一審反訴原告の治療の長期化や後遺障害の程度に大きく寄与していることは明白である」とも判示しているし、原判決は、いつたい何をいわんとしているのかがはつきりしない。
ところで、本件の事故による衝撃は軽いものではないという(本件は追突であり、傷病名は頸椎捻挫、腰椎捻挫に過ぎないのであるから、軽いものではないという認定にも疑問がある。)が、本件よりもはるかに強い衝撃と傷を受けた事案について、東京高判平成三年二月二七日(判時一三八六号九八頁)が、頸椎後縦靱帯骨化症という体質的要因を有している者が交通事故に基づき右骨化症による頸髄症を発症した場合に民法第七二二条二項の規定を類推適用して事故の寄与の割合を六割と認めた事例がある。
この原告の事故によつて受けた傷は、「右膝関節側副靱帯損傷、頭部・右方・両下肢打撲、頸部・右膝関節・左足関節捻挫・下腿膝関節内骨折の傷害」(横浜地判平成二年七月一一日判時一、三八一号七六頁)である。
右東京高判の判示は次のとおりである。
「2 以上認定した事実及び後記認定の本件事故により受けた被控訴人の衝撃の強さ等を総合すると、被控訴人は本件事故以前から頸椎後縦靱帯骨化症という体質的要因を有していたが、頸椎後縦靱帯骨化症による頸髄症は本件事故を発症機転として発症し、憎悪したものと認めるのが相当であり、また、前認定のその余の傷害および以上の各傷害に起因する後遺障害も本件事故と相当因果関係があるものというべきである。
そこで、損害の判断に先立ち、抗弁1(頸髄症に起因する損害の控訴人の負担割合)について判断する。
1 前示のとおり、被控訴人の頸椎後縦靱帯骨化症による頸髄症は、その体質的要因と本件事故とが競合して発症したものである。
身体に対する加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合において、その損害がその加害行為のみによつて通常発生する程度、範囲を超えるものであつて、かつ、その損害の拡大について被害者の特異な性格等の心因的要因が寄与しているときは、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし、損害賠償額を定めるにつき、民法七二二条二項を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の右事情を斟酌することができるというべきである。(最高裁判所第一小法廷昭和六三年四月二一日判決・民集四二巻四号二四三頁参照。)
ところで、加害者にとつては、体質的要因も、被害者に存した特異な事情であるという点において、心因的要因と変わりがないというべきである。したがつて身体に対する加害行為により生じた損害が加害行為にのみによつて通常発生する程度、範囲を超えるものであつて、かつ、その拡大に被害者の特異な疾病等の体質的要因が寄与している場合にも、その損害のすべてを加害行為によるものとして加害者に負担させることは、不法行為責任における損害の公平な負担という観点からみて相当ではないというべきである。以上によれば、右のように被害者の特異な体質的要因が損害の拡大に寄与している場合にも、心因的要因の場合と同様に、過失相殺に関する民法七二二条二項を類推適用して、その事情を斟酌することができ、かつ、斟酌するべきであると解するのが相当である。
2 そして、本件事故による被控訴人の受傷の部位、程度、頸椎後縦靱帯骨化症による頸髄症の発症の経緯等を総合勘案すれば、被控訴人の右頸髄症の発症に対する本件事故の寄与の割合は六割(したがつて、体質的要因の寄与の割合は四割となる。)をもつて相当と認める。」
右にみたとおり、衝撃が軽い等から体質的素(要)因を考慮しないとした本件の原判決は公平の原則、公平の理念の適用を誤つている。
二 原判決は、最判(一小)、平成四年六月二五日(判時一、四五四号九三頁)に違背し、法令の解釈に誤りがあるから、法令の適用を誤り、ひいて判決に影響を及ぼすこと明白であるから、破毀すべきである(民事訴訟法第三九四条)。
右の最判平成四年六月二五日は当該の事故前に一酸化炭素中毒に罹患したことがあつたという事故について、次のとおり判示している。
「上告代理人後藤徳司、同日浅伸廣の上告理由第一点について
一 被害者に対する加害行為と被害者の罹患していた疾患とがともに原因となつて損害が発生した場合において、当該疾患の態様、程度などに照らし、加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは、裁判所は、損害賠償の額を定めるに当たり、民法七二二条二項の過失相殺の規定を斟酌することができるもと解するのが相当である。けだし、このような場合においてもなお、被害者に生じた損害の全部を加害者に賠償させるのは、損害の公平な分担を図る損害賠償法の理念に反するものといわなければならないからである。」
そして、右判時のコメントは次のように述べている。
「しかし、心因的要因を損害の減額事由としてしんしやくできるのは、必ずしもそれが本人の責に帰すべき事由によるものであるからではなく、損害の公平な分担という損害賠償の基本理念(最一判昭五一・三・二五、民集三〇・二・一六〇、本誌八一〇・一一)によるはずであるから、この見地から考えると、心因的要因はしんしやくできるが、それ以外の素因は一切しんしやくできないという区別は妥当ではないように思われる。昭和六三年判決の判例解説(小倉・最判解民昭六三・一八三)によれば、同判決は、「身体的素因については、判文中には触れられていないし、この点については心因的要因の場合と異なる問題点もあるので、同判決は心因的要因による減額についての判例と理解すべきものと思われる。」と説明されているが、被害者の素因が少なくとも本件事案のように事故と競合して損害の発生又は拡大に寄与していると認められる場合においては、損害の全部を加害者に賠償させるのは公平でなく、当該素因を減額事由としてしんしやくして、損害の公平な負担を図る必要あるように解される。」
右の最判(一小)平成四年六月二五日からしても本件の原判決が誤つていることは既に述べたところから明らかである。
三 原判決は、最判昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁(いわゆるルンバール事件)の判断と相反し法令の違背を犯しているから破棄すべきである。(民事訴訟法第三九四条)
右のルンバール事件は、医師が化膿性髄膜炎の治療としてしたルンバール(腰椎穿剰による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入)の施術とその後の発作等及びこれにつづく病変との因果関係を否定したのが経験則に反するとされた事例であるが、その判示は次のとおりである。
「 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」と。
このルンバール事件の判示を本件に当てはめてみると、本件の事故によつて、すなわち、特定の事実が、本件事故による被上告人についての結果をすべて招来したということは、到底是認出来るものではない。
被上告人鎭谷和三郎には、頸髄後縦靱帯骨化症に、すでに罹患していたのであり、原判決はそれが、「治療の長期化や後遺障害の程度に大きく寄与していることは明白である」と認めているのであるから、その分は、本件事故によつて生じた高度の蓋然性はないことになる。よつて、その寄与分を損害から減額することは(相当)因果関係の判断において理論上、当然のことというべきである。