最高裁判所第三小法廷 平成5年(オ)2132号 判決 1997年1月28日
上告人・附帯被上告人 ボビー・マックスド
右訴訟代理人弁護士 村田敏 伊藤重勝 水野賢一
被上告人・附帯上告人 有限会社改進社
右代表者代表取締役 吉田義信
被上告人・附帯上告人 吉田義信
右両名訴訟代理人弁護士 簗瀬照久 大嶋芳樹
主文
一 原判決中、上告人敗訴の部分を次のとおり変更する。
第一審判決を次のとおり変更する。
1 被上告人らは上告人に対し、各自二一六万六二二五円及びこれに対する被上告人有限会社改進社については平成二年七月一四日から、被上告人吉田義信については同年三月三〇日から、各支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
2 上告人のその余の請求をいずれも棄却する。
二 本件附帯上告を却下する。
三 第一項に関する訴訟の総費用(被上告人らの附帯控訴費用を除く)は、これを七分し、その一を被上告人らの、その余を上告人の負担とし、附帯上告費用は附帯上告人らの負担とする。
理由
一 上告代理人村田敏、同伊藤重勝、同水野賢一の上告理由一、二の1、2、三及び四並びに同五のうちこれらと同旨をいう部分について
1 本件は、在留期間を超えて我が国に残留している外国人が、被上告人有限会社改進社で就労中に労災事故に被災して後遺障害を残す傷害を負ったため、使用者である被上告会社等に対して損害賠償を求めるものである。
2 財産上の損害としての逸失利益は、事故がなかったら存したであろう利益の喪失分として評価算定されるものであり、その性質上、種々の証拠資料に基づき相当程度の蓋然性をもって推定される当該被害者の将来の収入等の状況を基礎として算定せざるを得ない。損害の填補、すなわち、あるべき状態への回復という損害賠償の目的からして、右算定は、被害者個々人の具体的事情を考慮して行うのが相当である。こうした逸失利益算定の方法については、被害者が日本人であると否とによって異なるべき理由はない。したがって、一時的に我が国に滞在し将来出国が予定される外国人の逸失利益を算定するに当たっては、当該外国人がいつまで我が国に居住して就労するか、その後はどこの国に出国してどこに生活の本拠を置いて就労することになるか、などの点を証拠資料に基づき相当程度の蓋然性が認められる程度に予測し、将来のあり得べき収入状況を推定すべきことになる。そうすると、予測される我が国での就労可能期間ないし滞在可能期間内は我が国での収入等を基礎とし、その後は想定される出国先(多くは母国)での収入等を基礎として逸失利益を算定するのが合理的ということができる。そして、我が国における就労可能期間は、来日目的、事故の時点における本人の意思、在留資格の有無、在留資格の内容、在留期間、在留期間更新の実績及び蓋然性、就労資格の有無、就労の態様等の事実的及び規範的な諸要素を考慮して、これを認定するのが相当である。
在留期間を超えて不法に我が国に残留し就労する不法残留外国人は、出入国管理及び難民認定法二四条四号ロにより、退去強制の対象となり、最終的には我が国からの退去を強制されるものであり、我が国における滞在及び就労は不安定なものといわざるを得ない。そうすると、事実上は直ちに摘発を受けることなくある程度の期間滞在している不法残留外国人がいること等を考慮しても、在留特別許可等によりその滞在及び就労が合法的なものとなる具体的蓋然性が認められる場合はともかく、不法残留外国人の我が国における就労可能期間を長期にわたるものと認めることはできないものというべきである。
3 原審の適法に確定するところによれば、上告人は、パキスタン回教共和国(パキスタン・イスラム共和国)の国籍を有する者であり、昭和六三年一一月二八日、我が国において就労する意図の下に、同共和国から短期滞在(観光目的)の在留資格で我が国に入国し、翌日から被上告会社に雇用され、在留期間経過後も不法に残留し、継続して被上告会社において製本等の仕事に従事していたところ、平成二年三月三〇日に本件事故に被災して後遺障害を残す負傷をしたものであり、その後も、国内に残留し、同年四月一九日から同年八月二三日までの間は別の製本会社で就労し、更にその後は、友人の家を転々としながらアルバイト等を行って収入を得ているが、出入国管理及び難民認定法によれば、最終的には退去強制の対象とならざるを得ないのであって、上告人について、特別に在留が合法化され、退去強制を免れ得るなどの事情は認められないというのである。
原審は、右事実関係の下において、上告人が本件事故後に勤めた製本会社を退社した日の翌日から三年間は我が国において被上告会社から受けていた実収入額と同額の収入を、その後は来日前にパキスタン回教共和国(パキスタン・イスラム共和国)で得ていた収入程度の収入を得ることができたものと認めるのが相当であるとしたが、上告人の我が国における就労可能期間を右の期間を超えるものとは認めなかった原審の認定判断は、右に説示したところからして不合理ということはできず、原判決に所論の違法があるとはいえない。また、出国先ないし将来の生活の本拠、労働能力喪失率等所論の点に関する原審の認定判断も、原判決挙示の証拠関係に照らして是認するに足り、その過程に所論の違法はない。
論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は右と異なる見解に基づき原判決の法令解釈の誤りをいうものであって、採用することができない。
二 同二の3及び5並びに同五のうちこれらと同旨をいう部分について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の裁量に属する過失相殺割合の量定の不当をいうか、又は独自の見解に基づき原判決を論難するものであって、採用することができない。
三 同二の4及び同五のうちこれと同旨をいう部分について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。慰謝料額の算定は、原則として、原審の裁量に属するところ、所論は、上告人には、日本人以上の慰謝料額を認めるべき事情がある旨主張するが、一部は原審の認定しない事実を前提とするものであるほか、その主張するところをもってしても、日本人以上の慰謝料額を認めなければならない事情があるということはできない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
四 同二の6及び同五のうちこれと同旨をいう部分について
労働者災害補償保険特別支給金支給規則(昭和四九年労働省令第三〇号)に基づく休業特別支給金、障害特別支給金等の特別支給金の支給は、労働者災害補償保険法に基づく本来の保険給付ではなく、労働福祉事業の一環として、被災労働者の療養生活の援護等によりその福祉の増進を図るために行われるものであり(平成七年法律第三五号による改正前の労働者災害補償保険法二三条一項二号、同規則一条)、使用者又は第三者の損害賠償義務の履行と特別支給金の支給との関係について、保険給付の場合のような調整規定(同法六四条、一二条の四)もない。このような保険給付と特別支給金との差異を考慮すると、特別支給金が被災労働者の損害を填補する性質を有するということはできず、被災労働者が労働者災害補償保険から受領した特別支給金をその損害額から控除することはできないと解するのが相当である(最高裁平成六年(オ)第九九二号同八年二月二三日第二小法廷判決・民集五〇巻二号二四九頁参照)。これと異なり、上告人が労働者災害補償保険から支給を受けた特別支給金合計三五万三七八七円を上告人の財産的損害の額から控除した第一審及び原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるといわなけばならない。
本件において、特別支給金を除いた労働者災害補償保険給付の額は一四二万三九一〇円であり、填補の対象となる財産的損害の額は一六四万〇一三五円であるから、財産的損害について、被上告人らには、なお二一万六二二五円の損害賠償債務が残ることになる(なお、この場合においても、弁護士費用の額を二〇万円とした原審の判断は相当である)。そうすると、上告人の請求は、被上告人らに対し、各自二一六万六二二五円及びこれに対する被上告会社については平成二年七月一四日から、被上告人吉田義信については同年三月三〇日から、各支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度でこれを認容し、その余を棄却すべきものであって、前示違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。これと同旨をいう論旨は理由があり、原判決のうち上告人の控訴を棄却した部分はこの限度において破棄を免れず、右部分及び第一審判決は右の趣旨に変更すべきものである。
五 附帯上告について
附帯上告は、それが上告理由と別個の理由に基づくものであるときは、当該上告についての上告理由書提出期限内に原裁判所に附帯上告状を提出してすることを要するものであることは、当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和三七年(オ)第九六三号同三八年七月三〇日第三小法廷判決・民集一七巻六号八一九頁、最高裁昭和六一年(オ)第一三〇四号・平成二年(オ)第一一八八号同三年六月一八日第三小法廷判決・裁判集民事一六三号一〇七頁参照)。これを本件についてみるに、本件附帯上告理由は、いずれも上告理由とは別個のものといわざるを得ないところ、本件附帯上告状が、本件上告事件につき上告代理人に対し上告受理通知書が送達された日から五〇日を超えた後の平成八年一一月一九日に提出されたことは、記録上明らかである。したがって、本件附帯上告は、不適法であって、却下を免れない。
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、九五条、八九条、九二条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)
上告代理人村田敏、同伊藤重勝、同水野賢一の上告理由
一、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな憲法解釈の誤りがある。よって、破棄されるべきである。
(1)、原判決は、上告人が被った逸失利益の算定について、症状固定後一定期日から三年間(以下、症状固定後三年間という。)は日本の賃金基準に従い、その後は、パキスタンの賃金基準に従うべきである(以下、単にこれを仮に、三年間日本国賃金基準説あるいは三年説とも略する。)として、第一審判決を追認した。
しかし、右判断は、憲法一四条が規定する平等原則に違反するものである。
即ち、同条は、人間価値の平等を前提に平等な取り扱いを要請するが、右平等は、国家を超えて要請される人類社会の共通の基本理念である。そうであれば、不法残留者の労働であっても、実際に、最低賃金法の適用があり、日本人と同一労働で同一賃金が保障されているのと同様に、受傷後に於ける、逸失利益の算定についても、日本人と同様に、日本の賃金で算定されなければならない。けだし、そう解することこそ、憲法で保障される右平等原則をよりよく実現させることになるからである。従って、逸失利益のみを、わざわざ、何十分の一にしか満たない母国基準に算定し直し、低く算定し直すことは、明らかに右憲法の平等理念に反し、違憲の処分であると言わざるを得ない。
これを、本件についてみれば、原判決は、第一審が判断した先の三年説を支持するが、これは憲法一四条一項が規定する「人権・社会的身分」によって、上告人を日本人労働者との場合と「経済的関係」に於て差別するものであり、違憲である。
(2)、もっとも、右差別が、合理的な区別に該当するかが問題となるが、何ら合理性はない。
けだし、右合理性については、差別的取り扱いに合理性があると主張する側に於てこそ、右合理性を積極的に主張すべきであるにも拘らず、原判決の場合、右合理性について、何ら積極的な主張はなされていないからである。この点、後述の様に、審理不尽の違法がある。
また、原判決に従えば、実際問題として、極めて膨大な数の不法残留者(平成四年で三〇万人とされる)が、我が国の労働市場に展開し、ごく平穏に、而も、日本人も忌み嫌う下層労働(いわゆる3K労働)に従事し、低賃金で稼働し、我が国の産業構造を支えているのに、一旦受傷するや、右労働が「不法」であり、退去強制の対象となるとして、それまでの日本基準から、一転して受傷後の大半の就労可能年数が、母国基準になってしまうことになる。しかし、事故という偶然の事情によって、極めて大きな格差を認めることには、何ら合理性はない。
よって、原判決が認める右三年説とも言うべき判断は、憲法一四条に違反し、違憲な判決である。
二、次に、原判決には、以下1、乃至6各項記載のとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな各法令の違反がある。
1、原判決の当該判断は、労働基準法三条の均等待遇の原則に違背する。
即ち、同条は、労働者の国籍、社会的身分を理由に、賃金その他の労働条件について差別的取り扱いを受けないと規定するが、同条の趣旨は、憲法一四条の平等原則を、労働関係に敷衍し、もって、労働者を平等に取り扱い、その生活を保障する点にある。
そうであれば、本件上告人の様に、たとえ就労資格のない外国人労働者であっても、その者が受傷し、後遺障害が生じた場合には、日本人と差別することなく、平等に取り扱うことが要求される。それ故、右受傷者が被った逸失利益の損害賠償算定についても、日本人と区別することなく、日本賃金を基準に算定すべきである。けだし、そうでなければ、労働関係に於ける平等を確保することは出来ないからである。
因に、外国人の賃金については、たとえ不法就労者であっても実際には、労働基準監督署等の運用で、労働基準法や労災保険法最低賃金法が適用され、賃金面に於ける差別は解消されている。そうであれば、右賃金を基準に算定される逸失利益についても、日本人労働者の賃金と同様、日本国の賃金水準を基準に算定されるべきである。
以上より、上告人の逸失利益の算定基準を、母国基準と判示した右原判決の判断には、右均等待遇の原則を規定する労働基準法三条に反した違背がある。
2、更に、上告人が、日本での就労資格を有せず、退去強制の対象になる外国人であることを理由に、所定三年間に限って、日本の賃金基準に従い逸失利益を算定した第一審を支持した原判決は、労働基準法四条が規定する同一労働同一賃金の原則の趣旨に反し違法である。
確かに、右同条は、労働者が女子であることを理由に、賃金について、男子との間で差別的な取り扱いをしてはならないと規定し、外国人と日本人との間の差別的取り扱いについては、何ら規定していない。しかし、右同条は、戦前の女子に対する劣悪な低賃金を克服する為に、戦後直ぐに、制定された立法であったことから、当然、現在の様に、数十万人に及ぶ外国人が、日本で低賃金で働くことを予定してはいなかった。それ故、経済社会の大きな変動に伴い、膨大な数の外国人が流入するに至った今日、右同一労働同一賃金の原則は、単に、男女間の賃金格差を是正するものに留まらず、広く外国人と日本人との賃金格差を是正する基準として妥当すると考える。
そうであれば、本条の趣旨は、更に一歩進め、賃金格差だけでなく、外国人労働者が受傷し、労働能力を喪失した場合の逸失利益の算定についても妥当する。けだし、右同一労働同一賃金の原則は、賃金による経済的保障を要請するものであるところ、逸失利益も、受傷者に経済的保障を与えるものであり、同じ目的を有しているからである。それ故、右逸失利益の算定について、日本人と外国人(当該外国人が、不法残留である場合をも含む)とを差別的に取り扱うことは、本条の準用乃至類推適用によって禁止され、許されない。
よって、原判決の当該判断は、明らかに本条に違反する。
3、休業損害について。
(1)、原判決は、上告人が、本件受傷後、作信社という別の製本会社で稼働していたことを理由に、日曜日を除く一六日間の休業損害しか認めない第一審判決を支持する。
しかし、休業損害の趣旨は、労災等によって稼働出来ない労働者の生活を保障し、以て当該労働者の生存を確保する点にある。そうであれば、被災労働者が、被上告人の会社で事実上稼働することが出来ず、やむなく他の会社で稼働して賃金を得ていた場合でも、右被上告人会社に於ける実績たる収入を全額不存在と認定することは、上告人にとって、後記(2)の差額分だけ、損することになり、上告人の事故後の生活を困難にするものであるから許されない。
本件についてみれば、上告人は、本件受傷後、後記(2)記載の当該差額損害発生分の算定に関する限りで、被上告人会社から解雇されるまでの三〇日間、右被上告人会社を休業していたとみるべきであるから、本来的に右三〇日に対応した休業損害賠償額が認められるべきである。また、本件上告人の場合は、受傷後、事実上被上告人会社で働くことが出来なくなり、他で働かなければ生存出来ないという極めて切迫した状況下に置かれていたのであるから、右上告人が他の会社で働いたとしても、右行為は止むを得ざる緊急避難的なものである。右の如く特別な事情がある場合には、尚更、右控除は許されない。
これを、他の会社で稼働し、収入を得ていた以上、損害がなく一六日間の休業補償しか認めなかった原判決は、被災労働者の生存を危うくし、休業損害についての法令解釈を誤った重大な違背がある。
(2)、原判決は、上告人の平均賃金を、一日当たり金七、五二六円とするが、「平均賃金算定内訳」(甲第二号証)によれば、右上告人の一日当たりの平均賃金は、金五、九三七円であるから、右同人の休業損害は、左記のとおり金一七万八、一一〇円であると解されなければならない。
金5,937円×30日=金178,110円(A)
金534,400円÷71日×16日=金120,428円(B、原判決)
右差額分(A-B)は、金57,682円である。
従って、原判決の認定には、右休業損害算定の点で、明らかに法令に違背した違法があるから、速やかに破棄されなければならない。
4、慰謝料について。
(1)、原判決は、控訴人の後遺障害別等級を第一一級とし、労働能力喪失率を二〇パーセントとし、精神的損害として金二五〇万円を認定した第一審判決を支持する。
しかし仮に、上告人が、本国へ帰国した場合には、前述の様に日本以上に劣悪な労働条件下で働かなければならず、最低でも六七パーセントの労働能力喪失率が認められるべきであるから、その悪条件に対応して、日本人以上の、少なくとも金三四〇万円以上(二〇パーセント)の慰謝料が認められるべきである。
それ故、右原判決の判断は、公平な損害の分配を規定した民法七〇九条及び同七一〇条の解釈適用を誤り、法令違背を侵した違法があるから、速やかに破棄されなければならない。
(2)、更に、慰謝料の算定には、諸々の具体的事情が勘案されるべきところ、原判決は、かかる事情を十分に考慮せず、その結果、慰謝料が有する損害填補機能を縮小・減額させるものであるから、慰謝料に関する解釈適用(同法七一〇条)を誤った明白な法令違背がある。
即ち、原判決は、<1>本件事故当時、上告人が、初めて本件中綴じ機械を取り扱ったこと、操作方法がよく判らなかったので、明確に断ったこと、被上告人から、急いで操作する様に、無理矢理強制されたこと等の事情を十分考慮していない。また、<2>上告人には、受傷しても、周囲には痛みを和らげてくれる家族等の精神的支えがおらず、一人で苦痛と闘わなければならなかったのであるから、右事情も考慮されるべきである。<3>而も、上告人は、日本語にも通じておらず、異なった生活習慣の我が国で、孤独に治療を受けていたのであり、右事情も考慮されるべきである。<4>更に、上告人は、本件受傷後、住まいも追い出され、無慈悲に解雇され、労働の場も一方的に奪われ、犬猫同様に扱われたのであるから、右事情も十分考慮されるべきである。
よって、上告人が置かれた特殊な右各事情を考慮することなく日本人と同様に損害を算定した原判決には、慰謝料が持つ損害填補機能を十二分に考慮しない法令違背があるから、速やかに破棄すべきである。
5、過失相殺について。
原判決は、上告人に三割の過失があったとして、第一審判決を支持するが、右認定判断は、過失相殺(民法第七二三条)の解釈適用を誤った重大な法令違背があるから、破棄されなければならない。
(1)、即ち、過失相殺の存在理由は、当事者間の公平に求められるところ、右公平の認定に際しては、種々の事情が考慮されるべきである。
本件に於ては、<1>、上告人は、それまで一度も中綴じ作業をしたことがなく、その要領が全く判らなかったこと、<2>、作業命令を受けた時、右作業が出来ない旨はっきりと拒絶したこと(原告本人調書第八項)、<3>、使用者である被上告人から、心理的に早くする様、半ば強制されていたこと(事実上、断ることが出来ない弱い立場に置かれていた)等の諸事情が認められるから、右上告人には、何ら落ち度がなかった。
よって、上告人の過失割合はゼロである、と考えられるべきである。
(2)、仮に百歩譲って、上告人に、何らかの落ち度が認められたとしても、右上告人の過失割合は僅少である。
即ち、損害の公平な分配を目的とする過失相殺の趣旨に鑑みれば、注意能力の低い者には、当該能力に相当する低い過失割合が認められるべきであるところ、右上告人の場合、日本語がほとんど判らず、本件事故当時、疲労が蓄積する等して注意能力が他の日本人労働者より劣っていたのであるから、過失相殺が認められるにしても、その割合は、極めて小さい。
尚、繰り返しになるが、熟練作業員でさえ、二割の過失相殺に留まっている判例(広島地裁昭和五五年七月一五日判決)に鑑みても、上告人の様な不熟練作業員の場合は、尚更、低い過失相殺にとどめるべきである。
(3)、以上より、本件上告人の様な、日本語も判らず、従って、注意能力も低い外国人労働者に、日本人労働者以上に大きな過失相殺を認めた原判決には、過失相殺の解釈を誤った違法があり、右違法は、明白な法令違背であるから破棄されなければならない。
6、損害の填補について。
原判決は、特別支給金について、これらも本来的な給付金と区別すべき理由を見い出しがたいとして、労災保険からの給付と同様に、損害の填補を肯定する。
しかし、休業補償給付や障害補償給付が、労働者の休業によって生じた逸失利益の填補や、労働者の負傷又は疾病が治癒した時に残った身体障害による労働能力の喪失についての補償を目的とするのに対して、特別支給金の給付は、被災労働者の福祉に必要な労働福祉事業の一環としてなされる特別支給金である。右特別支給金給付は、各補償給付と相まって、被災労働者をより一層保護していこうとの趣旨に基づき設置されたものであり、障害特別支給金の場合、治癒後への生活転換救護金の色彩が強い(昭和五〇年二月二八日・労働省労基局労災管理課長事務連絡)。また、右特別支給金は、労災保険の本来の給付ではなく、労災福祉事業の一環としてなされる被災者に対する援護を目的とする。更に、政府が加害者に対する損害賠償請求権を代位取得する旨の規定がない。
そうだとすれば、右特別支給金は、労働者の生活をより厚く保護する為に設置されたものであり、本来の補償給付とは、その趣旨を異にするから、本来的な補償給付と同一に取り扱うことは出来ない。従って、特別支給金は、被災者の損害の填補を目的とするものでないことは明らかである。
因に、特別給付金は、損害賠償額から控除しないとして、否定説に立つのが多数の判例である(障害特別支給金について、東京地判昭和五四年九月一八日・判タ四〇二号一二〇頁。長期傷病特別給付について、富山地判昭和五一年五月四日判時八三三号一〇五頁等)ことを強調する。
従って、本件特別支給金を、控訴人の損害に填補した原判決には、特別支給金の法的解釈、取り扱いを誤った明白な法令違背があるから、速やかに破棄されなければならない。
三、更に、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな、以下の経験則違反がある。
1、即ち、原判決は、上告人の症状固定後三年間は日本の賃金基準に従い、その後は、母国パキスタンの賃金基準に従うべきであるという第一審判決が採用した、いわば、三年間日本国賃金基準説を前提に、上告人の逸失利益を算定する。
しかし、日本の会社で、日本人労働者と同様に働いて受傷した場合に、三年間を限度として、日本人と同様に取り扱い、その後は母国の賃金水準に従えばよいとの判断中、三年間と一律に限定した考え方には、何の根拠もない上に、それの明示も黙示もなく全く恣意的であり、不法行為の賠償根拠の基礎である「事実」を全く判断外に置いて、これを敢えて無視するものであるから、経験則に違反するというべきである。
なぜなら、原判決は、症状固定後三年間、日本基準で損害額を算定するが、上告人の場合、本上告理由提出現在の時点で、症状固定後三年を経過して、既に三年数か月、本邦に事実上在留している現状に鑑みても、右判断には、何ら合理的根拠はないと解せられるからである。また、既に、主張立証しているので、再三の繰り返しになるが、実際には、頻繁に、国際労働力の移動が南北経済格差の続く限り、半永久的に、持続し繰り返されている国際情勢の実態に照らし合わせても、原判決の三年説は明らかに、経験則に違反する。
2、次に、原判決は、逸失利益の算定について、基礎収入額にいかなる数値を用いるかは事実認定の問題であるから、平等原則とは関係がないとする第一審判決を支持した。
しかし、事実認定であっても、それが不平等をもたらす場合には、平等原則違反が生じうるのであるから、右両者が無関係であるとすることは、全く経験則に違反する。
なぜなら、損害の公平な分配を基本理念とする損害賠償法理に於て、算定された逸失利益の結果は、日本人と平等でなければならないことは当然であるが、その為には、外国人労働者であろうが、日本人労働者と同一の算定方法で逸失利益が計算されなければならないのに(憲法一四条、労基法三条及び四条)、原判決の様に、算定方法のみを事実認定の問題として、平等原則とは、無関係であるとして、両者を全く切り離してしまうと、弁償金がどんなに不平等且つ不当に少額であろうが、右平等原則違反の問題は生じないことになってしまうからである。しかし、これでは、不平等且つ不公平な賠償を、放置・追認することになり、損害の公平・平等な分配を目的とした、損害賠償法理の理念に反し到底公平を期し得ない。而も、損害賠償の場合、賠償額の結果が最重要であるから、損害算定にいかなる基準を用いても、平等原則違反の問題が生じないと言い切る原判決は、明らかに、経験則に違反する不当な判決である。
3、更に、原判決は、前記の様な母国基準を偏向的に採用した点に経験則違反がある。
あくまで、上告人の様な外国人労働者が、常に、出稼ぎ労働の赴く先である経済先進国(北半球諸国)たる日本等での平均賃金を一般的ベース(目安)として算定方法の基準とするのが、合理的で妥当である。
また、原判決は、上告人の労働能力喪失率を日本人と同様に解している。しかし、右上告人が、本国に戻れば、明日の生活にも事欠く程の切迫した失業率の高さと職業不足から、まともな職業に就くことは考えられず、他の健常者と競争することは、明らかに困難である。いわんや、利き手の人指し指の先端を喪失した場合には、尚更である。そうであれば、上告人の労働能力喪失率は日本に於て、二〇パーセントであるとしても、母国パキスタンに帰国した場合には、同国の貧困失業率の高さ、経済不振及び政情混乱に鑑みれば、「一手の親指及び人指し指を含んだ四の手指を失ったもの」(後遺障害別等級第六級八号)に相当すると解することこそ、被害者保護の要請から言って合理的で妥当である。
よって、右控訴人の労働能力喪失率は、七六パーセントになると言うべきである。
この点、我が国の労働能力喪失率を基準として、これを盲目的機械的に算定した原判決には明白な経験則違反がある。
四、更に、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかで且つ極めて重大な審理不尽がある。
1、即ち、原判決は、パキスタン人には母国に送金する目的で外国を目指す出稼ぎ者が多いこと、上告人も、第三国へ行き、日本で得ていた収入額を上回る収入を得ることが出来たであろうこと等の点について、これを認める証拠はないとし、三九年間の就労可能年数の基礎をパキスタンに限定した上で、当該母国平均賃金という低い賃金基準をもとにした損害賠償額算定方法を採用した第一審の判断を支持する。
しかし、既に指摘した様に、南北社会の極端な経済格差の故に急速な勢いで、経済後進国から経済先進国への労働移動が進んでいる昨今、合法・違法を問わず、いわゆる出稼ぎ外国人労働者、移住労働者又は、経済難民が、国境を越え、広く経済先進国へ移住しているのは明白な公知の事実である(甲第四九号証、同第五七号証の四)。豊かさを求め繰り返される労働力移動は、歴史の必然であり、我が国も、明治時代の初頭から、南米への移住を経験してきている。当時、経済難民を送り出した我が国の企業も、一世紀を経た今日では、世界有数の経済大国を支え、経済的後進国の労働者を、事実上、3K職種を中心として受け入れるようになっている。この様に、高賃金の仕事を求めて、事の是非は別として、国境を超える移民や出稼ぎ労働者等の国際労働力は、国境という枠を超え、永遠且つ運命的に繰り返されるものである。
従って、経済後進国の国籍を有する上告人が、移民労働者として、日本のみならず、そうでなくても他の先進諸国へ出稼ぎに行くことは必然である。なぜなら、上告人は、争う余地なくこの日本に来て働いており、同人自らこのことを立証していると言えるからである。かかる国際的移動現象が、歴然たる事実として存在することは否定し難いものであるから、この点を看過して、右の証拠がないと一方的に決め付ける原判決には、明らかに審理不尽の違法があるものと考える。
2、また、原判決は、上告人は、いったんパキスタンに戻っても、近時の欧州先進国は、経済目的の為の外国人入国を制限する傾向にあるから、他国での労働による収入獲得は、そう簡単なことではない、と判示する。
しかし、上告人の様な出稼ぎ外国人乃至移民労働者が、世界的規模で定住化乃至半永久的に移住し、展開しているという事実は前述の様に、既に明白な事実である。経済格差が大きければ大きい程、経済先進国への出稼ぎは継続的に増大するのであり、経済先進国が、移民法上、入国制限をする傾向にあるからと言って、上告人の労働移動が法律乃至は少なくとも実際上、制限されるものではない。同人らは、自己と家族を扶養する為に、より労働条件、賃金の良い国に出稼ぎに行くのであって、この移民の流れを誰も止めることは出来ないのである。そして、上告人の如き移民労働者の就労先は、欧州先進国に限定されるものではない。
それにも拘らず、右移民労働者の特質と事実を的確に知って、これを判示しない原判決には、審理不尽の明白な違法が存する。
3、更に、前述(二、(2))した差別の合理性について、原判決は、第一審の判断を支持するのみで、上告人を日本人労働者と差別して取り扱うことに関して、何ら明確な判示をしていない。
(1)、この点、一般的には、「合理的区別」なら許されると言われており、右「合理的区別」とは、民主主義的合理性、即ち、民主主義の本質から言って、人間の尊厳乃至個人の尊厳に適合することに照らして不合理と考えられる差別と考えられている。そうであれば、原判決が支持する上告人と日本人労働者との区別は、上告人が有する人間としての尊厳を認めない不合理なものである。
それ故、原判決の判断は、右「合理的区別」について、十分な審理を尽くさなかった、審理不尽がある。
(2)、而も、上告人と日本人労働者との区別を是とする原判決の右判断は、何人の見地に立っても、明らかに、「人種・社会的身分」を理由とした不平等な取り扱いである。憲法一四条後段は、かかる事項に該当する差別を、そもそも許されない差別として禁止したものであると解されるから、右差別が許される積極的理由を明示しなければならない。そうでなければ、あらゆる差別が、合理性の問題として、簡単に合憲とされ、個人の尊厳を保障した崇高な憲法の趣旨が、場当たり的な時々の社会情勢で没却させられてしまう虞れがあるからである。
そうであれば、本件に於てこそ、何故、上告人と他の日本人労働者との間の差別的取り扱いが許されるのか、という明確且つ合理的な理由が示されるべきであった。
然るに、原判決は、右差別の点について、何ら判示していないから、明らかに審理不尽の違法がある。
よって、原判決は、速やかに破棄すべきである。
五、結論
以上総合すれば、原判決は、逸失利益の算定に関する上告人敗訴の点に於て、原告を日本人と何ら合理的理由なく差別した明白な違法があり、憲法が定める平等原則(同法一四条)に違反し、また、労働基準法が規定する均等待遇の原則(同法三条)、同一労働同一賃金の原則(同法四条)、及び休業損害・慰謝料・過失相殺・損害填補(民法七〇九条以下・労働基準法七七条)等に関する損害賠償法の解釈乃至適用を誤り、右各法令に違背した違法が存する。更に、上告人を逸失利益の計算上、当該三年間のみに限って日本人労働者の後遺症と同様に取り扱う等と判示した点について、経験則に違反した違法があり、且つ、現実に展開されている国際労働力の移動についても、その実体を把握しようとすることなく、却って、先進経済諸国に於ては外国人労働者の受け入れを制限する方向にあることのみを重視し、現実の経済社会の動きを全く無視した、明白な経験則違反が存する。その上、第一審の判断を追認した結果、損害算定に於て、外国人労働者の本邦での就労実態を全く理解しようとせず、ひいては、上告人が、三年を超えた現在も日本で、黙々と働き生活を送り続けているという真実を敢えて無視して、同人を不当に差別し、同人の損害賠償請求権等その権利保護に著しく欠ける、全く不十分な判決をなした審理不尽の違法がみられる。
ひっきょう、原判決は、外国人労働者も日本人労働者と全く同じ労働者としての価値を有しているという平等原則を見誤り、労働能力に価値付けをして、先進経済諸国の労働者の方が、後進国の労働者のそれより優っているかの如き偏見的判断をした点に重大な不条理と平等違反がある。
よって、上告人のような外国人労働者に於ける社会正義を実現する為にも、原判決は、速やかに破棄されなければならないものと信ずる。
最後に、最高裁判所におきましては、外国人労働者の以上の切なる主張を、彼らの抱えた本問題提起が、日本人のそれではないとしても、真剣且つ慎重に再審議して頂きますことを、伏してお願い申し上げます。
附帯上告代理人簗瀬照久、同大嶋芳樹の上告理由
○ 附帯上告状記載の上告理由
第一点 原判決は、附帯上告人会社は民法四一五条により、附帯上告人吉田義信は民法七〇九条により、それぞれ附帯被上告人が被った後遺障害による逸失利益の賠償を認めたが、原判決には民法四一五条、四一六条及び七〇九条にいう「損害」についての解釈適用の誤り、または民法七〇八条の解釈適用を誤った違法がある。
一 原判決は、附帯被上告人は、同人の後遺症が固定した後の平成二年八月二四日から三年間は、日本国内において附帯上告人会社から受けていた実収入額と同額の収入を得ることができたとして、右実収入額を基礎に附帯被上告人の後遺障害による逸失利益を算定した。
二 しかしながら、附帯被上告人は、我が国に在留する資格を有しない不法滞在者であり、たまたま官憲の眼を逃れ、国外への退去強制処分を免れているに過ぎない者である。
附帯被上告人は、我が国において就労することが許されない者であり、たとえ三年間であっても、将来の「不法就労」を前提とする逸失利益なるものは、それ自体法律上認められないのであり、法の保護に値しないものというべきである。民法四一五条、四一六条、七〇九条にいう「損害」とは法の保護に値するものをいうのであり、将来の「不法就労」による収入を基礎とする逸失利益は含まないものというべきである。
また、民法七〇八条は不法原因給付の返還請求を許さない旨規定してるが、この趣旨は、将来の「不法就労」による逸失利益の請求にも類推適用されるべきである。
右のように解したからといって、附帯被上告人の逸失利益自体を否定するわけではなく、我が国における将来の「不法就労」による逸失利益は受けられないというだけであって、同人が本来そこで就労して受けるべきパキスタン回教共和国(以下、「パキスタン」という)における収入を基礎とする逸失利益は認めるわけであるから、附帯被上告人にとっては、何らの不利益もないのである。
なお、原判決の不合理性、不当性は、たとえば観光目的で我が国に入国した者と不法就労を目的として入国した者を比較してみれば歴然としている。すなわち、観光目的の場合は、我が国で就労する意思がないのであるから、不法行為等により死傷した場合、その逸失利益の算定については本人の母国における収入を基礎とすることになるが、「不法就労」の目的で入国した場合は、逸失利益の算定について我が国の賃金基準を採用するというのでは、不法就労者を不法就労の意思を有していたことにより有利に扱うという不当かつ不合理な結果を招来することとなり、衡平の理念に反することになる。
第二点 原判決には、附帯被上告人の労働能力喪失率の認定及び逸失利益の算定について審理不尽、理由不備、経験則違背の違法がある。
一 労働能力の喪失率について、財団法人日弁連交通事故相談センター「交通事故損害額算定基準」一五訂版二三頁は、「後遺障害等級に対応する労働能力喪失率を基準として、職種、年齢、性別、障害の部位・程度、減収の有無・程度や生活上の障害の程度などの具体的稼働・生活状況に基づき、喪失割合を定める」とし、東京三弁護士会交通事故処理委員会・財団法人日弁連交通事故相談センター東京支部共編「民事交通事故訴訟・損害賠償額算定基準」一九九六年版二一頁は、「労働能力の低下の程度については、労働省労働基準局通牒(「昭和三二・七・二基発第五五一号」)別表労働能力喪失率表を参考とし、被害者の職業、年齢、性別、後遺症の部位、程度、事故前後の稼働状況等を総合的に判断して具体的にあてはめて評価する」としている。これらは、労働能力の喪失率について、労働省労働基準局長通達の労働能力喪失率表の機械的適用を排除したものである。
また、労働能力の喪失と逸失利益の関係について、最判昭和四二年一一月一〇日民集二一巻九号二三五二頁は、労働能力が減少しても、被害者が、その後従来どおりに会社に勤務して作業に従事し、労働能力の減少によって格別の収入減を生じていないときは、被害者は、労働能力減少による損害賠償の請求をすることができないとし、最判昭和五六年一二月二二日民集三五巻九号一三五〇頁は、後遺症のために身体的機能の一部を喪失した場合においても、後遺症の程度が比較的軽微であって、しかも被害者が従事する職業の性質からみて現在または将来における収入の減少も認められないときは、特段の事情のない限り、労働能力の一部喪失を理由とする財産上の損害は認められないとしている。これらは、労働能力の喪失があっても、収入の減少がない場合は、原則として逸失利益の賠償を否定したものである。
二 附帯被上告人の後遺障害の内容は、右手ひとさし指の末節部分の切断であり、労災保険により第一一級七号該当の認定を受けている。
原判決の引用する第一審判決は(以下、原判決に引用された第一審判決を含めて「原判決」という)、労働能力喪失率については、右後遺障害の内容、症状固定後の附帯被上告人の稼働状況、労働基準監督局長通牒(昭和三二年基発第五五一号)等を考慮して二〇パーセントとした旨判示している。
しかし、症状固定後の附帯被上告人の稼働状況として第一審判決が認定するのは、附帯上告人会社と同様の製本会社である有限会社作信社で平成二年八月二三日までの間働き、一日当たり金八〇〇〇円ないし金九〇〇〇円の賃金を得ていたという事実のみであり、右作信社から得ていた賃金は、附帯上告人会社から得ていた賃金(一日当たり金七五二七円)よりもむしろ高額である。そして附帯被上告人が右作信社を退職した後の稼働状況、収入減少の有無等については全く不明である。
右の事実によれば、原判決は、附帯被上告人の職業、年齢、性別、障害の部位・程度、事故前後の稼働状況、減収の有無・程度等を具体的に検討して、附帯被上告人の労働能力喪失率を認定したのではなく、前記労働基準局長通牒の労働能力喪失率表を機械的に適用して、附帯被上告人の労働能力喪失率を二〇パーセントと認定したものといわざるを得ない。
また、仮に、附帯被上告人の労働能力喪失率が二〇パーセントであるとしても、右労働能力喪失率が直ちに二〇パーセントの減収に結びつくものではなく、附帯被上告人の職種、稼働状況、特に収入減を生じているかどうかを具体的に検討して逸失利益の有無を認定すべきであるのに、原判決はこのような検討をしないで、機械的に二〇パーセントの減収があったとして逸失利益を算定している。
従って、原判決には、附帯被上告人の労働能力喪失率を二〇パーセントと認定したこと、及び同人に二〇パーセントの収入減少があるものとして逸失利益を算定したことについて、審理不尽、理由不備、経験則違背の違法があるというべきである。
第三点 原判決には、慰謝料の算定について、理由不備、経験則違背、審理不尽の違法がある。
原判決は、附帯被上告人が本件事故により被った精神的損害を慰謝するための金額は金二五〇万円が相当であるとした。
原判決は、附帯被上告人の日本国内における収入(年額)を金二一三万七六〇〇円とし、パキスタンにおける収入(年額)を金三六万円と認定したが、これによれば、日本国における収入はパキスタンにおける収入の約五・九倍である。
この倍率を本件の慰謝料に適用すると、慰謝料金二五〇万円の五・九倍は金一四七五万円であるから、パキスタンにおける金二五〇万円は我が国における金一四七五万円に相当すると考えて大過ないであろう。
附帯被上告人の受傷による通院期間は約一ケ月、後遺障害の程度は第一一級七号該当というのであるから、附帯被上告人の精神的損害に対する慰謝料として金二五〇万円を認定した原判決は、同金額がパキスタンで有する価値を考慮すると、高額に失し、理由不備、経験則違背、審理不尽の違法があるというべきである。
また、本件の如く、使用者行為災害の場合は、労災保険特別支給金は財産的損害から控除されるべきものであり、原判決も同様に判断して、特別支給金が控除されることを前提に、附帯被上告人の慰謝料額を算定したのであるが、仮に特別支給金が控除されないとした場合は、その保険料は附帯上告人会社が負担しているのであるから、当然、慰謝料算定の斟酌事由となるべきものである(自動車事故について、被害者が加害者の付保している搭乗者傷害保険金を受領した場合に、これが慰謝料の斟酌事由になるのと同様である)。従って、特別支給金が控除されないとした場合は、原判決には慰謝料の斟酌事由について審理不尽の違法があることになる。
第四点 原判決には、過失相殺率の判断について、理由不備、経験則違背の違法がある。
一 原判決は、附帯被上告人の本件製本機に関する経験及び本件製本機を用いた中綴じ作業の内容に鑑みると、本件事故は、降下部分の下に手を置いてペダルを踏めば手を挾まれる危険があることは容易に分かる状況にあるのに、附帯被上告人がこれを看過して漫然と作業を行なった過失にも起因しているものといわなければならないとしながらも、附帯被上告人にわずか三割の過失相殺しか認めなかった。
二 しかし、中綴じ作業も平綴じ作業もその内容は基本的に同じであり、作業者がペダルを足で踏まなければ針は下降しないし、針が下降する位置は一定している(被告本人調書第五項)。附帯被上告人は、平綴じ作業については一年以上もの経験を有し、足でペダルを踏むことによって針が下降することや、針が下降する位置については十分に認識していたものであるから、本件事故は附帯被上告人のほとんど一方的過失によって発生したものである。
本件製本機械は、本来、危険なものではなく、素人でも容易に取扱えるものであって、これまで附帯被上告人のほかには事故を起こした例は皆無である。平成四年四月二四日付被告準備書面及び同四年七月九日付被告準備書面で詳細に主張したように、本件事故については、附帯被上告人に対し八〇パーセント以上の過失相殺を認めるべきである。
従って、附帯被上告人に対し、わずか三割の過失相殺しか認めなかった原判決には、理由不備、経験則違背の違法があるというべきである。
第五点 原判決には、損害の填補につき、附帯上告人らの主張についての判断を遺脱した違法、審理不尽及び理由不備の違法がある。
附帯上告人らは、附帯上告人会社が附帯被上告人に対し、解雇予告手当の名目で、同人の賃金の一ケ月分金一七万八一三三円を支払ったので、これを附帯被上告人の休業損害及び逸失利益から控除すべきである旨主張した(平成四年六月一一日付被告準備書面の三枚目裏、同五年四月一三日付被控訴人準備書面の三枚目裏、乙第一四号証)。
附帯被上告人は、本件事故後、不法滞在が発覚して退去強制処分を受けることを恐れて、自らの意思で附帯上告人会社に出社しなくなり、本件事故(平成二年三月三〇日発生)の二〇日後である同二年四月一九日、附帯上告人らの知らぬ間に有限会社作信社に勤務するようになったのであるから(乙第一四号証、乙第三号証)、本来、附帯上告人会社は、附帯被上告人に対し解雇予告手当を支払う義務はなかったのであるが、雇用関係をきちんと整理しておきたかったことと、附帯被上告人の代理人から附帯被上告人はまだ働けないので休業補償を出してやってくれとの依頼があったので、解雇予告手当の名目で金一七万八一三三円を支払ったのである。従って、附帯上告人会社が支払った右金一七万八一三三円は附帯被上告人の休業損害及び逸失利益から控除されるべきものである。
従って、右金一七万八一三三円を控除(損害の填補)すべきであるとの附帯上告人らの主張について何らの判断もしなかった原判決には、附帯上告人らの主張についての判断を遺脱した違法、審理不尽及び理由不備の違法がある。
○ 附帯上告の理由(補充)申立書記載の上告理由
一 附帯上告は、上告の理由と別個の理由に基づくものであるときは、当該上告についての上告理由書の提出期限内に付帯上告状を提出することを要すると解されている(最判昭和三八年七月三〇日民集一七巻六号八一九頁)。
ところで、どのような場合に、附帯上告の理由が上告の理由と同一の理由とされ、あるいは独立した別個の理由とされるかは判然としていないと言われている(新堂幸司「最高裁判所判例研究」法学協会雑誌八二巻四号五三二頁)。
附帯上告の理由が上告の理由と全く同一ということはあり得ないから(附帯上告の意味がなくなる)、附帯上告の理由が上告の理由と独立した別個の理由かどうかは、附帯上告の理由と上告の理由が原判決のした一定の判断についての当否を問うている点において共通しているかどうか、あるいは附帯上告の理由と上告の理由が密接な関連性を有するかどうかにより実質的に判断すべきものであって、単に当事者の主張した法形式の同一性のみによって、形式的、機械的に判断すべきものではないと考える。
なお、上告理由と破棄理由の同一性に関するものであるが、最判(三小)平成七年一〇月二四日判決(平成六年(オ)第二二四四号事件)は、休業損害に関する原判決の判断には民法七〇九条にいう損害に関する解釈の誤りがあるとの上告理由について、原判決には法令の解釈適用の誤り、ひいては審理不尽、理由不備の違法があり、これと同旨をいう論旨は理由があるとして、原判決を破棄している。これは、上告理由において上告人が主張する法形式のみにとらわれずに、上告理由で指摘する原判決の判断の違法性の内容を実質的に判断して破棄理由としたものであり、附帯上告の理由と上告の理由の同一性を判断する際にも参考となるものと思われる。
二 本件附帯上告は、次に述べるとおり、上告の理由と独立した別個の理由に基づくものではない。
1 附帯上告の理由第一点は、原判決が、附帯被上告人の逸失利益について、後遺症の症状固定後の三年間は日本国における賃金を基礎に算定したことの違法性を主張するものであり、上告の理由二の1及び2、同三、同四、同五も右の点の違法性を主張するものであるから、両者は独立した別個の理由ではない。
2 附帯上告の理由第二点は、原判決が、附帯被上告人の労働能力喪失率を二〇パーセントとし、また逸失利益について、二〇パーセントの減収を基礎に算定したことの違法性を主張するものであり、上告の理由三の3も右の点の違法性を主張するものであるから、両者は独立した別個の理由ではない。
3 附帯上告の理由第三点は、原判決が、附帯上告人の慰謝料として金二五〇万円を算定したことの違法性を主張するものであり、上告の理由の二の4、同五も右の点の違法性を主張するものであるから、両者は独立した別個の理由ではない。
4 附帯上告の理由第四点は、原判決が、過失相殺率を三〇パーセントと判断したことの違法性を主張するものであり、上告の理由二の5、同五も右の点の違法性を主張するものであるから、両者は独立した別個の理由ではない。
5 附帯上告の理由第五点は、原判決が、附帯上告人会社が附帯被上告人に対して解雇予告手当の名目で支払った金一七万八一三三円を附帯被上告人の休業損害等から控除しなかったことの違法性を主張するものであり、上告の理由二の3及び6、同五における休業損害算定と損害填補の違法性の主張と密接に関連するものであるから、これも独立した別個の理由ということはできない。