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最高裁判所第三小法廷 平成6年(オ)1083号 判決 1998年2月24日

上告人

株式会社椿本精工

右代表者代表取締役

近藤高敏

右訴訟代理人弁護士

木下洋平

被上告人

テイエチケー株式会社

右代表者代表取締役

寺町彰博

右訴訟代理人弁護士

吉井参也

右補佐人弁理士

世良和信

土橋晧

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人木下洋平の上告理由について

一  本件は、被上告人が特許権の侵害を理由として上告人に対して損害賠償を求める訴訟であるところ、原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  被上告人は、発明の名称を「無限摺動用ボールスプライン軸受」とする特許権(昭和四六年四月二六日出願、同五三年七月七日出願公告、同五五年五月三〇日設定登録。特許番号第九九九一三九号)を有している(以下、右特許権を「本件特許権」といい、その発明を「本件発明」という。)。

2  本件発明の特許出願に係る明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の記載は、次のとおりである。

円筒内壁に断面U字状のトルク伝達用負荷ボール案内溝と、該溝よりもやや深いトルク伝達用無負荷ボール案内溝を軸方向に交互に形成し、その両端部に前記深溝と同一深さの円周方向溝を形成した外筒と(以下「構成要件A」という。)、外筒内壁の軸方向に形成したトルク伝達用負荷ボール案内溝とトルク伝達用無負荷ボール案内溝に一致して薄肉部と厚肉部を形成し、さらに前記薄肉部と厚肉部との境界壁に形成した貫通孔と前記厚肉部に形成した無負荷ボール溝ヘボールがスムーズに移動可能な無限軌道溝を形成した保持器と(以下「構成要件B」という。)、該保持器と前記外筒間に組み込まれたボールとによって形成される複数個の凹部間に一致すべく複数個の凸部を軸方向に形成したスプラインシャフト(以下「構成要件C」という。)、嵌挿組み立てて構成される(以下「構成要件D」という。)ことを特徴とする無限摺動用ボールスプライン軸受(以下「構成要件E」という。)

3  上告人は、昭和五八年一月から同六三年一〇月まで、原判決別紙物件目録記載の製品(ただし、無負荷ボール案内溝5と円筒状部分7(円周方向部分7)との間に約五〇ミクロンの段差があるもの。以下「上告人製品」という。)を業として製造販売した。

二  本件において、被上告人は、上告人製品は本件発明の構成要件をすべて充足するか又はこれと均等なものとして、本件発明の技術的範囲に属すると主張しているところ、原審は、次のとおり判断して、本件特許権の侵害を理由とする被上告人の損害賠償請求を認容した。

1  上告人製品は、本件発明の構成要件C、D及びEを充足する。

2  構成要件Aについては、構成要件に「断面U字状」、「円周方向溝」とあるのに対して、上告人製品では「断面半円状」、「円筒状部分7」である点で相違する。

3  構成要件Bについては、本件発明の保持器が一体構造であり、保持器自体によってボールの無限循環案内、スプラインシャフト引き抜き時のボール保持機能及びシャフト凸部を案内するための凹部形成機能を有するのに対し、上告人製品は外筒の負荷ボール案内溝間にある突堤上端部とプレート状部材11及びリターンキャップ31の三つの部材の協働によって本件発明の保持器の前記各機能を実現しているものであって、両者はその構成を異にする。

4  しかし、上告人製品は、解決すべき技術的課題、その基礎となる技術的思想及びこれに基づく各構成により奏せられる効果において本件発明と変わるところがなく、構成要件Bの保持器の構成について本件発明と上告人製品との間に置換可能性及び特許出願時における置換容易性が認められ、また、構成要件Aの「断面U字状」、「円周方向溝」と上告人製品の「断面半円状」、「円筒状部分7」の相違も、上告人製品について特段の技術的意義が認められないから、上告人製品は本件発明の技術的範囲に属すると認めるのが相当である。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  特許権侵害訴訟において、相手方が製造等をする製品又は用いる方法(以下「対象製品等」という。)が特許発明の技術的範囲に属するかどうかを判断するに当たっては、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて特許発明の技術的範囲を確定しなければならず(特許法七〇条一項参照)、特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合には、右対象製品等は、特許発明の技術的範囲に属するということはできない。しかし、特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合であっても、(1) 右部分が特許発明の本質的部分ではなく、(2) 右部分を対象製品等におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏するものであって、(3) 右のように置き換えることに、当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(以下「当業者」という。)が、対象製品等の製造等の時点において容易に想到することができたものであり、(4) 対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから右出願時に容易に推考できたものではなく、かつ、(5) 対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないときは、右対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である。けだし、(一) 特許出願の際に将来のあらゆる侵害態様を予想して明細書の特許請求の範囲を記載することは極めて困難であり、相手方において特許請求の範囲に記載された構成の一部を特許出願後に明らかとなった物質・技術等に置き換えることによって、特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れることができるとすれば、社会一般の発明への意欲を減殺することとなり、発明の保護、奨励を通じて産業の発達に寄与するという特許法の目的に反するばかりでなく、社会正義に反し、衡平の理念にもとる結果となるのであって、(二) このような点を考慮すると、特許発明の実質的価値は第三者が特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして容易に想到することのできる技術に及び、第三者はこれを予期すべきものと解するのが相当であり、(三) 他方、特許発明の特許出願時において公知であった技術及び当業者がこれから右出願時に容易に推考することができた技術については、そもそも何人も特許を受けることができなかったはずのものであるから(特許法二九条参照)、特許発明の技術的範囲に属するものということができず、(四) また、特許出願手続において出願人が特許請求の範囲から意識的に除外したなど、特許権者の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか、又は外形的にそのように解されるような行動をとったものについて、特許権者が後にこれと反する主張をすることは、禁反言の法理に照らし許されないからである。

2  これを本件についてみると、原審は、本件明細書の特許請求の範囲の記載のうち構成要件A及びBにおいて上告人製品と一致しない部分があるとしながら、構成要件Bの保持器の構成について本件発明と上告人製品との間に置換可能性及び置換容易性が認められるなどの理由により、上告人製品は本件発明の技術的範囲に属すると判断した。

しかしながら、原審は、(一) 外筒、スプラインシャフト及び保持器により構成される無限摺動用ボールスプライン軸受は本件発明の特許出願前に既に公知であり、本件発明における「該保持器と前記外筒間に組み込まれたボールとによって形成される複数個の凹部間に一致すべく複数個の凸部を軸方向に形成したスプラインシャフト」(構成要件C)はボールスプライン軸受のシャフトとして通常の構成要件であること、(二) そして、(1) 本件発明における保持器が一体構造であり、保持器自体によってボールの無限循環案内、スプラインシャフト引き抜き時のボール保持機能及びシャフト凸部を案内するための凹部形成機能を有する(構成要件B)のに対し、上告人製品の保持器は三枚のプレート状部材11、二個のリターンキャップ31と外筒の負荷ボール案内溝間の突堤25、27、29からなる分割構造のものであり、これら部材の協働により、本件発明の保持器の前記各機能を実現しているところ、(2) 上告人製品における三枚のプレート状部材11及び二個のリターンキャップ31よりなる分割構造の保持器は、本件発明の特許出願前に頒布された刊行物である米国特許第三三六〇三〇八号明細書における無限摺動用ボールスプライン軸受に示されており、(3) また、このような分割構造の保持器によりボールを保持するためには外筒の負荷ボール案内溝間に突堤を設けることが技術的に必然であるところ、このような構成は前同様の刊行物である米国特許第三三九八九九九号明細書のボールスプラインに示されていたことを、認定している。右によれば、上告人製品における分割構造の保持器及び外筒の負荷ボール案内溝間に突堤を設けることは、本件発明の特許出願前に公知のボールスプライン軸受において既に示されていたことになる。

また、原審の認定によれば、上告人製品は、無負荷ボールを円周方向に循環させる点及びスプラインシャフトの凸部をトルク伝達用負荷ボール案内溝の負荷ボールが左右から挟み込む複列タイプのアンギュラコンタクト構造を採用している点において、本件発明の構成(構成要件A、C参照)と共通するものであるが、原審が、本件発明の特許出願前に頒布された刊行物である特公昭四四―二三六一号公報、ドイツ連邦共和国特許第一四五〇〇六〇号公報及び米国特許第三四九四一四八号明細書に無負荷ボールの円周方向循環及び複列タイプのアンギュラコンタクト構造に関する記載があることを認定していることからすれば、これらの技術をボールスプライン軸受に用いることは本件発明の特許出願前に公知であったことがうかがわれる。

そうすると、無負荷ボールの円周方向循環及び複列タイプのアンギュラコンタクト構造を備えたボールスプライン軸受の技術が本件発明の特許出願前に公知であったとすれば、原審の認定では保持器の構成はボールの接触構造によって根本的に異なるものではないというのであるから、上告人製品は、公知の無負荷ボールの円周方向循環及び複列タイプのアンギュラコンタクト構造を備えたボールスプライン軸受に公知の分割構造の保持器を組み合わせたものにすぎないということになる。そして、この組合せに想到することが本件発明の開示を待たずに当業者において容易にできたものであれば、上告人製品は、本件発明の特許出願前における公知技術から右出願時に容易に推考できたということになるから、本件明細書の特許請求の範囲に記載された構成と均等ということはできず、本件発明の技術的範囲に属するものとはいえないことになる。

本件では、前記のとおり、本件明細書の特許請求の範囲に記載された構成中に上告人製品と異なる部分が存するところ、原審は、専ら右部分と上告人製品の構成との間に置換可能性及び置換容易性が認められるかどうかという点について検討するのみであって、上告人製品と本件発明の特許出願時における公知技術との間の関係について何ら検討することなく、直ちに上告人製品が本件明細書の特許請求の範囲に記載された構成と均等であり、本件発明の技術的範囲に属すると判断したものである。原審の右判断は、置換可能性、置換容易性等の均等のその余の要件についての判断の当否を検討するまでもなく、特許法の解釈適用を誤ったものというほかはない。

四  右のとおり、原審の判断には、法令の解釈適用の誤り、ひいては審理不尽、理由不備の違法があるものというべきであって、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

論旨は右の趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、前に判示した点について更に審理を尽くさせる必要があるので、これを原審に差し戻すこととする。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官尾崎行信 裁判官園部逸夫 裁判官千種秀夫 裁判官元原利文 裁判官金谷利廣)

上告代理人木下洋平の上告理由

上告理由第一点

「均等論」について

1 序論

原判決は、侵害を主張される物品が特許発明の特許請求の範囲に記載された構成と一部において相違する場合にも、その特許発明の技術的範囲に属する場合があり得ることにつき、「物に係る特許発明と侵害を主張される物品がその一部の構成を異にする場合においては、当該物品は当該発明の技術的範囲に属さないものというべきである。しかし、その場合であっても、解決すべき技術的課題及びその基礎となる技術的思想が特許発明と侵害を主張される物品において変わるところがなく、したがって、侵害を主張される物品が特許発明の奏する中核的な作用効果を全て奏することとなる反面、これに関連する一部の異なる構成について、これに基づいて顕著な効果を奏する等の特別の技術的意義が認められず、かつ、当該特許発明の出願当時の技術水準に基づくとき、右一部の異なる構成に置換することが可能であるとともに、容易に右置換が可能である場合には、例外として、侵害を主張される物品は、特許発明の技術的範囲に属するものとして侵害を構成するものと解するのが相当というべきである。」(第三九丁裏第七行乃至第四〇丁表第七行)と述べている。これは、いわゆる「均等論」について、独自の基準を採用したものと解される。

そして、原判決は、右「均等論」における「置換容易性」を本件に適用するにあたり、「甲第一一号証の開示事項に基づいて当業者が本件発明の保持器の薄肉部を外筒の突堤に置換することは極めて容易」(第四四丁表第五乃至七行)と認定しているが、この認定には、理由不備の違法があり、これは民事訴訟法第三九五条第一項六号に該当する。以下、その理由を述べる。

2 置換される突堤の形状

本件発明の保持器の構成を発明の詳細な説明及び図面から推理すると、その斜視図は、添付第1図のようになる。

そこで、原判決に従って、本件発明の保持器の薄肉部を外筒の突堤に置換するため切り取ったとすると、保持器の斜視図は添付第2図のようになる。

しかしながら、本件発明の保持器の薄肉部を外筒の突堤に置換する、と抽象的にいっても、その結果、外筒形状がどのようになるのかは明白ではなく、原判決もこの点について、明白に認定していない。本件発明の保持器の「薄肉部」は、本件公報(甲第一号証)第2図から明らかなように、外筒内面から離れて位置している「薄板状」の部分であり、一方、甲第一一号証の「突堤」は、台形状である。従って、甲第一一号証の教えるところに従って、本件発明の保持器の「薄肉部」を外筒の「突堤」に置換するとしたならば、その結果できる「突堤」の形状は、甲第一一号証のとおり、台形状になるはずである。そうだとすると、その置換の結果できる外筒の負荷ボール案内溝の形状は、イ号製品の「断面半円状」でないことは明らかである。しかるに、原判決は、本件発明の断面U字状の負荷ボール案内溝をイ号製品の断面半円状負荷ボール案内溝に置換することが極めて容易にできるという理由につき、甲第一一号証の存在に言及するだけで、その他の理由を一切明らかにしていない。従って、原判決は、本件発明の外筒の「断面U字状」の負荷ボール案内溝を、イ号製品の「断面半円状」の負荷ボール案内溝に置き換えることが容易である理由を明らかにしていないことになるから、原判決は、この点において、既に、「理由不備」の違法のあることが明白である。

3 突堤の形成と保持器の組み込み

仮に、右の点において、理由不備がないとして、外筒の断面U字状の負荷ボール案内溝の中央部に保持器の薄肉部が「置換」されて、イ号製品と同様に、断面半円状の負荷ボール案内溝が形成されたとすると、外筒に「突堤」が添付第3図のように形成されることになる。(なお、本件公報の第6図において、分岐帯頂壁20、21の端面が円周方向溝7に対して略々直角に描かれているのは、第1図と対比すると誤りであり、添付第3図のように斜面になるのが正しい。)

右のように、保持器の薄肉部が外筒の突堤に置き換えられると、添付第2図の保持器が外筒に組み込まれた状態では、保持器の薄肉部が無くなった所に、外筒の前記突堤が突出することになる。添付第4図は、本件公報の第4図を利用してその状態を想定して描いたものである。

右のように、保持器の薄肉部が無くなった所に外筒の突堤が突出する位置関係になるということは、第2図のように薄肉部が無くなった保持器は、これを外筒に挿入しようとすると、当該突堤が邪魔になるため、そのままでは外筒に挿入することができないという問題(解決すべき課題)が生じることを意味する。

このように、或る「置換」をしようとすると、新たに「解決すべき課題」が生じてそのままでは実施不可能であるということは、「置換」が容易でないということにほかならない。従って、このような場合に、「均等論」における「置換容易性」を認めることは、「均等論」の適用を誤ったものであり、結局、原判決は、この点においても、「理由不備」の違法があることは明らかである。

4 保持器の分割タイプへの変更、イ号製品との相違

右課題を解決するためには、原判決も認定しているように、保持器の一体性を断念して、「プレート状部材」が外筒の内側から取付け可能になるように、添付第5図に示すように、添付第2図の保持器を分割して3つのプレート状部材と2つのリターンキャップからなる構成に変更する必要が出てくる。

原判決は、この点に関して、甲第一三号証を根拠として、本件発明の保持器の構成をイ号製品のプレート状部材11とリターンキャップ31の構成に置換することは容易(第四五丁表第一乃至二行)と認定している。しかしながら、仮に、甲第一三号証の教えるところに従って、本件発明の保持器を添付第5図のように分割タイプのものに変更したとしても、これは、イ号製品のプレート状部材とリターンキャップとは異なるものであることが明白である。ちなみに、イ号製品のプレート状部材とリターンキャップを正確に描いたものは、上告人が第一審の答弁書に物件目録として添付した図面のとおりであるから、ここに、これを参考図A、参考図Bとして添付する。

ここで、添付第5図のものとイ号製品との相違を、念の為、指摘すれば次のとおりである。

(1) イ号製品のプレート状部材には、両端部に、ボール変向溝を備えたL字状部分があるが(詳細は、ここに参考図Cとして添付する、イ号製品に付与された特許の公報である乙第八号証における第3図の符合23、23'を参照)、添付第5図のものにはそのような部分は存在しない。

(2) イ号製品のプレート状部材には、無負荷ボール案内溝間の突堤に設けた溝に嵌合して位置決めするための突起(参考図Cの符合25参照)及びリターンキャップの溝(ここに参考図Dとして添付する、乙第八号証における第5図の符合42を参照)に嵌合されてリターンキャップとの間の位置決めをするための突起(参考図CDの符合26参照)があるが、添付第5図のものにはそのような突起は存在しない。

(3) イ号製品のリターンキャップには右(2)のとおり、プレート状部材の突起が嵌合する溝があるが、添付第5図のリターンキャップにはそのような溝は存在しない。

(4) イ号製品においては、リターンキャップのボール変向溝(参考図Dの符合41参照)とプレート状部材のボール変向溝(参考図Cの符合24、24を参照)がボールの方向変換路を構成するようになっているが、添付第5図のものはそのような構成にはなっていない。

このように、仮に、甲第一三号証の教えるところに従って、本件発明の保持器を分割タイプにしたところで、イ号製品に到達することはできないのであるから、このことだけでも、原判決は、均等論における「置換容易性」の判断を誤っていることが明白である。

5 分割タイプの実施可能性

右のように、本件発明の保持器の薄肉部を外筒の突堤に置換し、さらに、保持器を分割タイプにしただけではイ号製品にならないのであるから、本来、これ以上、均等論を論じる意味はないのであるが、念の為、このように分割タイプにしたものが現実に実施可能であるか否かを検討する。

まず、ボールスプラインにおける保持器は、宙に浮いたような状態にあることはできず、外筒に固定されていなければならないことはいうまでもないことである。保持器が外筒に固定されていない限り、ボールスプラインの組立はできないし、組立ができなければ使用することも当然できず、技術的に意義のあるものにはならない。

本件発明の保持器は、原判決が認定しているとおり(第三八丁裏第九乃至一〇行)、「中空筒体の一体構造」のものである。このような保持器は、本件公報第三欄第三一乃至三二行にあるように、ボールを充填した後、一対のストップリングで軸方向に拘束するだけで外筒に固定することができる。これだけで、軸方向にも、径方向にも、周方向にも固定される。なお、本件発明の場合のボールの充填方法については後述する。

ところが、添付第5図のように分割されたプレート状部材は、右のような「中空筒体の一体構造」の場合と異なり、少なくとも、軸方向、径方向及び周方向の三方向について外筒に固定しておかなければ、そもそも、ボールスプラインとして組み立てることができないし、組み立てができなければ、当然、使用することもできない。

そして、本件発明の明細書と図面にも、甲第一三号証にも、このように分割されたプレート状部材を外筒に固定する方法は何も開示されていない。この点について、念の為、付言すると、本件発明の明細書と図面は、中空筒体の一体構造の保持器を開示するだけで、添付第5図のような分割タイプの保持器について、外筒への固定方法を全く開示していないことはいうまでもないことであり、甲第一三号証のものは、ボールの方向変換が外筒の外で行われるタイプのもので、ボールの方向変換の仕方が本件発明ともイ号製品とも基本的に異なるものであるから、甲第一三号証に開示されている「プレート状部材」の外筒への固定方法である、外筒端面にねじで固定する方法は、添付第5図のプレート状部材には適用できないことは明らかである。

このように、原判決のいう保持器の分割タイプへの変更は、切断された「プレート状部材」を、外筒に対して、軸方向、径方向及び周方向に移動しないように固定する方法を見出さない限り、実施できない。原判決がいうように、甲第一三号証があるから、本件発明の保持器の構成をイ号製品の「プレート状部材」と「リターンキャップ」の構成に置換するのは容易(第四五丁第一乃至二行)、などといってみたところで、このように「置換」したものは、右に述べたとおり、そのままでは技術として実施できないのであるから、机上の空論であり、「均等論」の適用における「置換容易性」の判断を誤っていることは明白である。従って、原判決は、この点においても、「理由不備」の違法があることが明白である。

6 無負荷ボール案内溝の形状について

ところで、右のような技術的に実施不能な「置換」を敢えて仮想的に実施したとしても、外筒の無負荷ボール案内溝は、依然として「断面U字状」のままで残っている。(この状態を軸方向直角の断面で示したのが、添付第6図である。なお、ここでは、便宜上、負荷ボール案内溝は、「断面半円状」にしてある。)従って、原判決に従って、「置換」をしたとしても、外筒に関しても、イ号製品には到達できない。このように、原判決は、外筒の無負荷ボール案内溝をイ号製品のように断面半円状の溝の組み合わせとすることに関して、「置換可能性」にも、「置換容易性」にも全く論及していない。従って、原判決は、結局、イ号製品とは異なる物件について、「均等論」を適用していることになるから、この点でも、理由不備の違法があることは明白である。

7 イ号製品のプレート状部材、リターンキャップの固定方法

なお、右のとおり、本件発明の保持器は、一対のストップリングで軸方向に拘束するだけで外筒に固定されるのに対し、イ号製品のプレート状部材とリターンキャップの場合は、外筒への固定方法が全く異なる。すなわち、乙第八号証の特許公報に説明しているように、イ号製品の場合は、プレート状部材の両端部のL字状部分(参考図Cの符合23、23'参照)が分岐帯頂壁の端面に嵌め込まれることによって軸方向へ移動しないように拘束されるとともに、プレート状部材の中央隔壁端部に設けた突起(参考図Cの符合25参照)を外筒の無負荷ボール案内溝間にある突堤の軸方向溝(ここに参考図Eとして添付する原判決添付の物件目録の第6図に黄色で表示、但し、この図で無負荷ボール案内溝と円筒状部分との間に段差がないように描かれていることを認めるものではない。)に嵌合させることによって周方向に固定される。リターンキャップとプレート状部材の位置合わせは、それぞれの端面に設けた溝と突起の嵌合(参考図C、Dの符合26、42参照)によって行われるとともに、プレート状部材の端部のボール変向溝を設けたL字状部分がリターンキャップの一部と径方向に重なり合うことによって、プレート状部材が径方向内側に移動しないように拘束される。(同時に、リターンキャップのボール変向溝とプレート状部材のボール変向溝が対向し合って、方向変換路が形成される。)なお、この重なり状態を最も良く示しているのは、第一審判決添付の訂正物件目録第4図(その2)であるので、ここに、これを参考図Fとして添付し、当該重なり部分を緑色で表示する。(なお、原判決添付の物件目録の第4図(その2)はプレート状部材とリターンキャップが組み合わされた状態を示しているが、イ号製品においては、プレート状部材とリターンキャップは、このような組み合わせ状態で外筒に組み込むことは不可能であり、右のとおり、プレート状部材をまず外筒に固定し、その後、両端から、リターンキャップを挿入して固定するのである。)

このように、イ号製品は、プレート状部材とリターンキャップの外筒に対する右のような独自の固定・位置決め構造を採用したことによって実施可能な技術になっているのであり、これなくしては実施不可能なのであるから、原判決が、「置換容易性」を判断するに際し、この点について、何らの考慮もしていないことは、理由不備の違法があることが明白である。

右のように、本件発明の保持器とイ号製品のプレート状部材、リターンキャップの外筒への固定方法は全く異なるのであり、本件発明の明細書・図面と甲第一三号証から、イ号製品におけるプレート状部材、リターンキャップの外筒への固定方法は到底導き出せないのであるから、このような場合に、「置換容易性」が認められないことは明らかである。従って、原判決には、この観点からも、理由不備の違法、又は経験則違反がある。

8 組立・分解における相違

なお、原判決は、イ号製品は本件発明に比して、製造、組立が容易であるとの上告人の主張を排斥し、その理由として、イ号製品では部品点数が相当増加することを挙げている(第四二丁裏第一乃至五行)が、右のように、保持器の構成が著しく異なることから、製造、組立面で、両者の間に顕著な相違が出てくることは合理的に推測できることである。以下、念の為、両者の組立・分解の面における相違を明らかにする。

本件発明の場合のボールの入れ方は添付第7図に図解するとおりである。すなわち、本件発明の保持器は中空円筒の一体構造であるから、垂直に持った保持器を少しずつ軸方向下方にずらしながら、ボールを径方向に入れていかなければならない。(このように一体構造の保持器(すなわち、リテーナ)の場合、ボールスプラインの組立・分解が容易でないことは、乙第八号証公報の第一欄、第一八乃至二一行に従来技術の問題点として明記されている。)しかも、その際、保持器の下側環状溝には、外筒の分岐帯頂壁が突出しているから、その部分には、ボールが進入して行かない。当該部分にボールが進入するのは、当該環状溝が外筒の下側円周方向溝に達してからである。しかし、その時、上側の環状溝は上側の円周方向溝によって塞がれているから、その部分にボールを入れることはできない。従って、無限軌道溝に所定の個数のボールを入れることができないから、添付第8図に示すように、外筒の内側から、保持器の長孔の隙間ができている部分に、強制的にボールを押し込む必要がある。その際、添付第9図に示すように、長孔の縁に無理な変形が生じることが避けられない。

ところが、イ号製品の場合は、ボールの入れ方は添付第10図のとおりであり、上側のリターンキャップを残して軸方向に既に形成されている無限軌道溝に軸方向にボールを入れることができる。その際、保持器を軸方向に移動させるようなことは一切必要でない。しかも、下側の方向変換路は既に完成しているから、ボールは、当然、その部分にも進入して行く。

ボールを入れる作業が完了したら、第11図に示すように、上側のリターンキャップをかぶせるだけでよい。イ号製品の方が組立が容易であることは一目瞭然である。

次に、分解の点における相違は次のとおりである。

本件発明の場合、保持器の環状溝にボールがある状態では、保持器を軸方向に抜こうとしても、環状溝にあるボールが分岐帯頂壁に邪魔されるため、そのままでは、保持器を軸方向に動かして外筒から抜くことができない。そこで、ボールの数を減らして、環状溝にボールがないようにするため、保持器の長孔からボールを取り除く必要がある。添付第12図はその状態を図示したものである。その際、長孔の縁が、添付第13図に示すように、今度は逆方向に強制的に変形させられて、破損する恐れがある。本件発明では、このようにボールの数を減らしてからでないと、保持器を軸方向に移動させてボールを取り出すことができない。

ところが、イ号製品の場合は、添付第14図に示すように、リターンキャップを外しさえすれば、すべてのボールを直ちに取り出すことができる。

なお、本件発明の保持器は、既に述べたとおり、中空円筒の一体構造であり、且つ、三次元の凹凸と長孔を備えたものである。このような構造のものは、イ号製品のような分割タイプに比し、製造も困難である。

右の次第であるから、本件発明の保持器とイ号製品のプレート状部材・リターンキャップの間には、製造、組立・分解の容易さにおいても、顕著な相違があり、この点からも、原判決の「置換容易性」の判断には理由不備があるというべきである。

9 イ号製品の特許について

最後に、原判決は、イ号製品には特許が付与されているから均等論における置換容易性は認められるべきでないとする上告人の主張を排斥したが、その理由は、「……右発明は、リテーナとリターンキャップによる方向変換路に関する発明であり、前記置換容易性において問題となる外筒における突堤の問題ではないから、被控訴人の右特許が前記置換容易性の判断を左右するものではない。」(第四六丁表)というものである。しかしながら、上告人の右特許は、円筒内壁に略半円形の断面を有する負荷溝と無負荷溝を形成したアウターレースと、ボール変向溝を有するリテーナ及びボール変向溝を有するリターンキャップとからなるボールスプラインに関するものであることは特許請求の範囲の記載自体から明白であり、略半円形の断面を有する負荷溝と無負荷溝をアウターレースに形成した結果できるのが、本件の「置換容易性」において問題となっている「突堤」にほかならないのであるから、イ号製品に付与されている特許が置換容易性と関係がないという原判決の認定は到底首肯することができず、理由に不備があるといわざるを得ない。

上告理由第二点

「方向変換路」に関する認定について

1 序論

外筒端部において、一八〇度方向変換するボールは「方向変換路」内にあり、この方向変換路は、ボールを一八〇度方向変換させる機能とともに、ボールの落下(脱落)防止機能を有していなければならない。

2 接触と落下防止の関係

この点に関し、原判決は、甲第二四号証によれば、イ号製品においても方向変換するボールは円筒状部分7と接触している事実が認められることを根拠として、「イ号製品でも円筒状部分7はリターンキャップ31内を方向変換するボールの落下防止のための機能を果たしていることは明らかである。」(第三五丁裏第二乃至七行)としているが、このような認定は、明らかに経験則に反する。原判決のこの論理は、ボールが或るものに接触するならば、その或るものはボールの落下防止機能を果たしていることになるという論理であるが、もしこの論理が正しいなら、本件公報の第2図にあるように、保持器の貫通孔(発明の詳細な説明では長孔13)から覗いている負荷ボールはシャフト9の凸部に接触しているから、シャフト9の凸部もボールの落下防止のための機能を果たしていることになるはずである。しかしながら、実際には、シャフト9を抜いてもボールが落下しないように保持器があるのだから、この場合、ボールの落下防止機能を果たしているのは、保持器のみであり、ボールがシャフト凸部に接触していても、シャフト凸部がボールの落下防止と何の関係もないことは明白である。

ところで、イ号製品の方向変換路を透視斜視図として描くと添付第15図のようになる。同図において、ボールはリターンキャップの変向溝とプレート状部材の変向溝とで形成される方向変換路に包み込まれており、下側に円筒状部分が存在しなくても、ボールが落下(脱落)する恐れはないことが明白である。

このことは、イ号製品のボールが方向変換する箇所における円筒状部分を外筒の両端部において互い違いに切除した検乙第一号証、及びイ号製品の外筒の両端部の円筒状部分を切除したものである検乙第二号証において、ボールが落下しないことからも明白に立証されている。なお、添付第16図と第17図は、それぞれ、検乙第一号証と検乙第二号証を斜視図で示したものである。(原判決は、検乙第一号証と検乙第二号証が、イ号製品の円筒状部分7を切り取ったものであることを認めながら、これらが現実のイ号製品とは異なるとの理由で、これらを被控訴人(上告人)の主張の裏付けとすることは相当ではない(第三七丁表第一乃至四行参照)としているのであるが、特許侵害訴訟の審理の対象は、現実に存在している製品そのものではなく、そこに具現される技術思想なのであるから、原判決の右のような判断は、誤りであるというほかはない。)

3 方向変換路の相違

結局、イ号製品の外筒の円筒状部分は、方向変換路の一部を構成しないものであり、軸方向に延びた部分がストップリングを介してリターンキャップを固定する機能を果たしているに過ぎない。

一方、本件発明の場合の方向変換路は、添付第18図のようになり、円周方向溝がないとボールが落下してしまうのであるから、円周方向溝が方向変換路を構成していることは明白である。

従って、構成と機能において、イ号製品の「円筒状部分」は、本件発明の「円周方向溝」に該当しない。

4 ボールの無限循環案内について

原判決は、第三四丁裏において、保持器に関する特許請求の範囲の記載に基づき、本件発明の保持器の無限軌道溝は貫通孔と無負荷ボール案内溝とからなるものであり、これらの貫通孔と無負荷ボール案内溝とからなる無限軌道溝によって、ボールの無限循環案内が実施されるものであると認定し、このことを根拠に、この無限循環案内に円周方向溝が関与していること、換言すれば、被控訴人主張のように円周方向溝が方向変換路の構成要素であることを窺わせる記載はない(第三五丁表)、としているのであるが、これらの貫通孔と無負荷ボール案内溝は、本件公報(及び添付第1図)から明らかなように、ただ平行に並んでいるだけであるから、これらだけで無限軌道溝が構成できるはずがない。さすれば、本件発明の特許請求の範囲は、発明の構成に欠くことができない事項を記載したものでないことが明白であるから、発明の詳細な説明と図面を参照して、必須の要件を補充すべきであるのに、そうではなく、このように不備な特許請求の範囲の記載を根拠に、被控訴人の主張を排斥したことには、明らかに理由不備の違法がある。

従って、本件発明の保持器の無限軌道溝の構成を明らかにするには、発明の詳細な説明と図面を参照すべきであり、本件公報第三欄第一七乃至二〇行の記載から、この無限軌道溝を構成するためには、前記貫通孔と無負荷ボール案内溝間のボールの移動を可能ならしめる環状溝が必要であること、そして、本件公報の第1図から、この環状溝に対応する部分に円周方向溝7が位置していることが導かれ、結局、本件発明の方向変換路は、添付第18図のごとき構成であることが明らかとなる。本件発明の明細書と図面には、これ以外の方向変換路の構成は示唆すらされていない。特許権による保護は、明細書と図面を通じて発明を公開したことの代償として与えられるのであるから、公開されていない技術思想に特許権による保護が与えられることはない。一方、乙第一二、一三号証から明らかなように、イ号製品に具現される添付第15図の方向変換路の構成には特許が与えられているのであるから、両者は技術思想として異なるものであることが明らかである。

なお、原判決は、本件発明の外筒の構成要件を検討するに際して、第二九丁裏から第三〇丁表にかけて、「……外筒内でトルク伝達用負荷ボール案内溝からトルク伝達用無負荷ボール案内溝へと方向変換を行うためには、障害となる分岐帯頂壁を除去し、方向変換を可能とする空間の必要が生じることは明らかなところである。このように外筒の端部において、ボールの一八〇度方向変換の障害となる分岐帯頂壁を除去し、方向変換を可能とする空間を提供するために円周方向溝を設ける必要があることはボールの方向変換の構造上明らかなところというべきである。」といいながら、前記のとおり、保持器の無限軌道溝については、特許請求の範囲の記載を根拠に、「この無限循環案内に円周方向溝が関与していること、換言すれば、被控訴人主張のように円周方向溝が方向変換路の構成要素であることを窺わせる記載はない」(第三五丁表)と認定しているのは明らかに矛盾している。外筒の分岐帯頂壁を除去した部分に形成された円周方向溝は、原判決が認定しているとおり、ボールが一八〇度方向変換するための空間を提供するためのものであるから、これと保持器の環状溝が有機的に結合して、本件発明の「方向変換路」を構成していることは明らかである。

5 「同一深さ」について

ところで、原判決は、本件発明の特許請求の範囲において、円周方向溝と無負荷ボール案内溝が同一深さと規定されている点に関して、「円周方向溝の深さの設定に当たり、……可能な限り小型化を図る観点からトルク伝達用無負荷ボール案内溝と同一の深さとすることは極めて合理的な選択であり、本件発明においてもかかる観点から同一深さを選択したものと推測されるところである。」(第三〇丁表第八乃至一一行)と認定しているが、これは、いずれの当事者もしていない主張を、「推測」によって認定しているのであり、しかも、結果的に誤っている。その理由は次のとおりである。

本件発明の明細書は、原判決も認定しているように、ボールスプラインの小型化を目的の一つとして挙げているが、この点に関して、本件発明の明細書が述べているところは、従来のものが、外側(正しくは径方向)ヘボールを逃していたのに対し、本件発明では、略々円周方向ヘボールを逃がすようにしたことによってボールスプラインの小型化が実現できるということなのであるから、ボールスプラインの小型化と無負荷ボール案内溝の深さとは直接の関係がないことは明らかである。円周方向溝と無負荷ボール案内溝との段差が大きくなればなるほど、その間でボールの円滑な移動が妨げられるだけのことであるから、円周方向溝の深さを無負荷ボール案内溝と同一深さにしたのは、その間でのボールの移動を円滑にするためにほかならない。ちなみに、被上告人は第一審の第九準備書面第一七頁第九乃至一〇行において、「本件特許発明においては、円周方向溝と無負荷ボール案内溝は正に同一深さであることが望ましい……」と述べているが、その理由は、円周方向溝と無負荷ボール案内溝間のボールの移動を円滑にするためというのが、最も合理的である(添付第18図参照)。

なお、この「同一深さ」の問題と直接の関係はないが、原判決は、「……これをトルク伝達用負荷ボール案内溝の深さと同一にした場合には、ボールが方向変換の出入口においてシャフトと干渉するであろうことは容易に推認できる反面……」(第三〇丁表第六乃至八行)といっており、これは、被上告人の主張をそのまま採用したものである。しかしながら、何故、このようなことが「推認」できるのか全く理解できない。「ボールがシャフトと干渉する」というのは意味不明である。

ところで、イ号製品において、無負荷ボール案内溝と円筒状部分との間に約五〇ミクロンの段差があることの意義について、原判決は「被控訴人は、段差約五〇ミクロンは、専ら適切な「嵌め合い」の見地によるものである旨主張するに止まり、それ以上に右数値を選択したことについて具体的根拠を説明していない。」(第三四丁表第四乃至六行)というが、上告人は、控訴審における第三準備書面において、「この段差をどれだけ深くするかは、残った部分の肉厚をどの程度確保するかという相対的な問題にすぎない。」(第六頁第七乃至九行)ことを主張し、そこに添付した参考図2においてもそのことを立証している。従って、この場合、残った部分の肉厚(剛性に関係する。)が考慮すべき要素であり、この段差はどのような数値でも選択できるのであるから、イ号製品においては、できるだけ、肉厚(剛性)を大きく確保するために、約五〇ミクロンという数値が選択されたことになるのである。この場合、本件発明においては、特許請求の範囲において、円周方向溝と無負荷ボール案内溝は「同一深さ」と規定されていることが重要であり、一方、イ号製品においては、「同一深さ」にする必要が全くないということが重要である。たとえ、本件発明の「実施品」にも、円周方向溝と無負荷ボール案内溝の間には約四六ミクロンの段差があり、この「段差」は、イ号製品における「段差」と同じ程度であるとしても、右に述べたところから、両者の段差の持つ意味は全く異なるのである。

原判決は、この点に関し、さらに、「……加工上の誤差と区別が困難な程度の段差に止めるということは疑問であり、技術思想の差を説明する根拠としては余りにも僅少であるといわざるを得ない。」(第三四丁表)と認定しているが、これは、数値の大きさのみにとらわれた判断であり、特許侵害訴訟の審理の対象は、物そのものではなく、物件に具現される技術思想であるから、相当でないといわざるを得ない。すなわち、本件発明は、ボールの円滑な移動のために、円周方向溝と無負荷ボール案内溝とが同一深さであることを必要とする技術思想であり、イ号製品は、円筒状部分と無負荷ボール案内溝は同一深さであることを必要としない技術思想である。従って、両者が技術思想として異なるものであることは明白である。

右の次第であるから「方向変換路」に関する原判決の判断には、理由不備の違法(民事訴訟法第三九五条第一項六号)、又は判決に影響を及ぼすこと明らかな経験則違反(民事訴訟法第三九四条)がある。

上告理由第三点

1 序論

イ号製品は、乙第八号証(第一欄第二二行)に明記しているように、従来のボールスプラインは、アウターレース(すなわち、外筒)の形状が複雑であるという欠点を解消することも目的の一つとしている。本件発明もその欠点を有するものである。

2 経験則違反

この点に関し、原判決は、「本件全証拠を検討しても「断面U字状」の溝形成に製造上の無駄が存在することを認めるに足りる的確な証拠はない。」(第二九丁表第九乃至一一行)と認定している。しかしながら、ボールスプラインの外筒の製造にあたっては、本件公報に明記されているように(第二欄第三〇乃至三七行)、円筒状の素材を削ることにより溝が形成されていくのであるから、本件発明の断面U字状の溝は、イ号製品の断面半円状の溝に比べて削り取る材料の量が多いことは経験則から当然のことである。従って、本件発明の「断面U字状」の溝形成には、イ号製品に比して、製造上の無駄が存在することは明白である。このようなことに「的確な証拠」がないとの認定は、当然適用すべき経験則を適用しないことであり、結局、経験則の適用を誤っていることになる。

3 本件発明の外筒の製造上の無駄

なお、念の為、この点を明らかにするならば、次のとおりである。

添付第19図は、イ号製品を左側に、本件発明の公報第2図の場合を右側に対比して、円筒状素材から「断面半円状」と「断面U字状」の溝を削り出す場合の材料の削り取るべき部分を斜線で示したものである。本件発明の場合、材料の削り取られる量は、イ号製品に比し、約2.2倍にもなる。本件発明の「断面U字状」溝には、イ号製品の「断面半円状」溝に比し、製造上の無駄があることは余りにも明白であろう。

4 イ号製品の外筒の突堤の技術的意義

さらに、原判決は、「イ号製品の二条で一組をなす「断面半円状」の負荷ボール案内溝は本件発明の「断面U字状」の負荷ボール案内溝の底面に技術的には意義を認めがたい突堤を設けたに過ぎないものということができるから、両者の溝形状は実質的に同一と認めて差し支えないものというべきである。そうであればこれと格別区別して扱う技術的理由がない無負荷ボール案内溝についても同様に考えて差し支えないものというべきである。」(第二八丁表第二乃至七行)と認定しているのであるが、右に述べた外筒の製造工程に基づくならば、イ号製品の二条で一組をなす「断面半円状」の負荷ボール案内溝は本件発明の「断面U字状」の負荷ボール案内溝の底面に技術的には意義を認めがたい突堤を「設けた」というものではなく、削る必要のない部分を削らずに残したことにより外筒形状の合理化を実現しているばかりでなく、負荷ボール案内溝間の突堤はプレート状部材と有機的に結合してボール保持機能を果たし、無負荷ボール案内溝間の突堤はそこに設けられた溝にプレート状部材の突起が嵌め込まれることによって、プレート状部材の位置決め機能を果たしているのであるから、これらの突堤には充分な技術的意義があるというべきである。従って、これらの突堤には技術的意義がないことを前提として、二条で一組をなす「断面半円状」の負荷ボール案内溝及び無負荷ボール案内溝は「断面U字状」の溝と実質的に同一であるとする原判決の右認定は、理由不備であるか、又は経験則に反することが明白である。

なお、イ号製品の外筒形状は、本件発明の外筒に比し、より単純であるばかりでなく、周方向に均一性がある。従って、熱変形等に対しても、イ号製品の方が優れている。

右の次第であるから、本件発明とイ号製品における外筒の「溝形状の相違」に関する原判決の判断には、理由不備の違法(民事訴訟法第三九五条第一項第六号)、又は判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違反(民事訴訟法第三九四条)がある。

結語

右を要するに、イ号製品は、断面半円状の負荷ボール案内溝と無負荷ボール案内溝を備えた外筒、独自のプレート状部材とリターンキャップの固定・位置決め構造の案出、独自のボールの方向変換路の案出等の「有機的結合」によって、本件発明とは異なる解決原理により、外筒形状の簡素化、ボールの円周方向循環、ボールスプラインの製造・組立・分解の容易化の問題を見事に解決したものであり、特許第一六一一四六八号が付与されている(乙第一二、一三号証)。イ号製品を本件発明と均等(実質同一)と認定した原判決は、明らかに判断を誤ったものである。

別紙図面第一図〜参考図F<省略>

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