最高裁判所第三小法廷 平成6年(行ツ)106号 判決 1994年12月06日
札幌市北区屯田三条二丁目一番四〇号
上告人
岡西功
右訴訟代理人弁護士
三木正俊
札幌市東区北十六条東四丁目
被上告人
札幌北税務署長 横山勲
右指定代理人
綿谷修
右当事者間の札幌高等裁判所平成四年(行コ)第五号所得税の更正処分取消請求事件について、同裁判所が平成六年一月二七日言い渡した判決に対し、上告人から一部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人三木正俊の上告理由について
本件更正処分の取消しを求める訴えを不適法とした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)
(平成六年(行ツ)第一〇六号 上告人 岡西功)
上告代理人三木正俊の上告理由
第一点 本件更正は、その後になした上告人の修正申告によって消滅したので取消の対象がなく、訴えの利益がないとする被上告人の本案前の抗弁は第一審の札幌地方裁判所における第二五回口頭弁論期日において被上告人によって、右本案前の抗弁を明確に撤回している。なお、第二四回口頭弁論期日において、いったん弁論終結された後に、裁判所が弁論再開し、判決言渡期日のわずか二日前に、右本案前の抗弁撤回のためだけに開かれたのが第二五回の口頭弁論期日であった。その結果、第一審判決において、裁判所は、本案前の抗弁について、一切判断を示さず、本案の内容の判断のみをし、上告人(原告)の請求を認容したのである。
右の経過からすると、上告人は、本案前の抗弁については、本件訴訟に於ては、争点としないことが、訴訟当事者の間で合意されたものと解され、また仮に右合意があるといえないにしても控訴審において、いったん撤回した主張をする事は、上告人(原告)の審級の利益を奪うことになり、信義則上許されない旨主張したにもかかわらず、原判決は、「本件における訴えの適法要件は、裁判所の職権調査事項であり、当事者の合意、放棄等によることを許さない性質のものである」ことを理由として、上告人の主張を失当だとし排斥した。
しかしながら、
一 職権主義と弁論主義の限界は、同じく訴訟要件といい、または訴えの利益といっても、概念的、画一的に判断できるものではない。即ち、本件第一審が、本案前の抗弁は、裁判所の判断事項としないでよいという被上告人の訴訟行為を受け、右本案前の抗弁の判断をしていないのは、そこに弁論主義の適用をみているからに外ならない。
また、東京高等裁判所昭和六一年五月二八日判決、昭和五八年(行コ)第四二号(以下関連判例<1>という)は、本件類似の事案で「申告をなすに至った主たる要因(発端)が被控訴人所轄係官の誤れる示唆ないし勧奨により誘発されたと認め得るような事情の下においては、右申告によってもたらされる控訴人の不服申立手続上の不利益、すなわち本件訴えの利益の喪失につき、被控訴人は、これを主張し得ない」とし、右主張について弁論主義の適用を認めている。また、大阪地方裁判所昭和四〇年一二月二七日判決(判例時報四四〇号二六頁)は、「もっとも、右和解は後記のように訴訟要件としての権利保護の利益に関するものであるが、この点につき、訴訟要件たる事実の存否が職権調査事項とされるところから、民事訴訟法第一三九条が右のような権利保護の利益の存否に関する前提事実の主張についても適用があるか否かは、一応問題の存するところではあるが、権利保護の利益を発生せしめる具体的事実に関しては究極において弁論主義が適用されるものと解すべきであるから、この点についての攻撃防御方法の提出は結局当事者の責務にかかるものであり、当事者がその責務を十分に果たさないときは、そのために不利益を被ってもやむを得ないというべきである」とし、訴訟要件に関することでも弁論主義の妥当する領域が存在する事を認めている。
二 本件争点たる訴えの利益は、所謂「訴えの対象」といわれるものであるが、その中でも、その対象の処分性が問題となるものではなく、更正という処分があったことは全く争いが無く、その更正が、後の上告人の修正申告によって、消滅すべきと解すべきか否かの問題であり、いわば上告人の修正申告に、自ら争いを表明している更正の自認という法的効果を持たせるべきかどうかという実体法的な法律問題であって、単純に職権調査事項であるということはできない。被上告人は、第一審において本件更正が、その基礎となる事実を確定して、課税処分として適法か否かを判断してほしいと明確な意思表示をしたのである。そこでは、本案前の抗弁という「姑息」な防御方法は撤回し、正々堂々と正面から本件更正の適否を決すべしと判断していたのである。しかしながら、本案審理で敗訴したので控訴審で再度「姑息な手段論」を持ち出すというのは、まことに信義則に反するもので許されざるものである。
わが国の裁判制度は、三審制をとっており、当事者は、各審級ごとに、各々事実認定のみならず法律判断を裁判所から受ける利益、すなわち審級の利益を有している。被上告人の訴訟行為の流れは、恣意的に「本案前の抗弁」に対する第一審の判断を受けることができる上告人の審級の利益を奪ったことになり、その意味でも、控訴審における被上告人の「本案前の抗弁」の再度主張は、信義則上許されないと解すべきである。
三 以上、原判決が、被上告人の「本案前の主張」再度主張を不適法として却下しなかったのは、民事訴訟法の審級の利益を定めた諸規定及び訴訟行為における信義則に違背し違法なものである。
第二点
一 原判決は、「本件修正申告により、本件更正よりも増額された課税標準及び納付すべき税額は、その額に確定し、本件更正は、本件修正申告に吸収されて消滅した」から「本件更正の取消を求める訴えは、その対象を欠くものであるから、不適法として却下すべきである。」とする。
しかしながら、原判決は、本件更正の違法性を、本件過少申告加算税の賦課決定の適法性に対する判断の中で、一部違法であることを明確に認めておきながら、形式論理のドグマに陥り、本件更正を取り消すべき訴えの利益がないとするものであり、国民の具体的権利が、行政行為によって、現実に侵害されたたことを認めながら、これを放置するという国民の法を支える常識(法における信義則の理念を支えるもの)からかけ離れた結論であり、以下に詳述するとおり、法令の解釈適用を誤った違法なものである。
二1 一般に更正があって、右更正の課税標準額及び税額に上まわる修正申告がなされた場合、右修正申告に基づく納税義務が確定することになるのは、当然のことである。右のことを説明するために、更正が修正申告によって吸収され消滅したとするか(吸収説)、更正もその存在が残るが、修正申告は、増差税額分について、効力があるとするか(併存説)は、法律解釈の思考の経済ないし説明の経済のための概念であって、理念的にどちらかの説が正しく、そこから全ての正解=適法な法解釈が導かれるとするのは誤りである。原判決は、まさに、右吸収説が絶対のドグマであるとし、そこから形式論理的に上告人が取消を求めている対象は存在しない、従って、訴えの対象がないと、上告人が被る法の不備による不利益を一切捨象して結論づけている。まさに、現代法の解釈論の亡霊ともいうべき概念法学の罪の典型というべきである。
2 さて、最高裁判所の判例を見ても、更正、再更正の関係について、吸収説のみによって絶対的解釈基準としているわけではない。即ち、最高裁昭和五六年四月二四日判決(判例時報一〇〇一号二四頁)は、更正と減額再更正の関係について
「申告に係る税額につき更正処分がされたのち、いわゆる減額再更正がされた場合、右再更正処分は、それにより減少した税額に係る部分についてのみ法的効果を及ぼすものであり(国税通則法二九条二項)、それ自体は、再更正処分の理由のいかんにかかわらず、当初の更正処分とは別個独立の課税処分ではなく、その実質は、当初の更正処分の変更であり、それによって、税額の一部取消という納税者に有利な効果をもたらす処分と解するのを相当とする。そうすると、納税者は、右の再更正処分に対して、その救済を求める訴えの利益はなく、専ら減額された当初の更正処分の取消を訴求することをもって足りるというべきである。」と判示し、併存説ないし段階説を取ることを明示している。
また、一方では、最高裁昭和五五年一一月二〇日判決(判例時報一〇〇一号三一頁)は、更正と増額再更正との関係につき「本件において、本件更正処分がなされたのち、これを増額する再更正処分がなされたことにより、当初の更正処分の取消を求める訴えの利益が失われたとして、これを却下すべきものとした原審の判断は正当」と判示し、吸収説を採用したかとも理解されている。
しかし、右両判決を見ると、いずれにしても、ひとつの課税の根拠となる事実関係についての更正、再更正の関係を吸収されるかされないかというドグマから導き出すのではなく、前者の判例は、国税通則法二九条二項の、個別の解釈から、後者の判例は、増額再更正が更正を包括しているから、これを取消の対象とすれば、問題の必要十分な解決となるという当然の条理から、それぞれ結論づけているものであって、原判決のごとく、ドグマに拘束された結論づけではない。
3 ところで、国税通則法二三条二項は、「納税申告書を提出した者は、…その申告、更正または決定にかかる課税標準等又は、税額等の計算の基礎となった事実に関する訴えについての判決により、その事実が当該基礎となったところと異なることが確定した時は」その確定した日の翌日から起算して二月以内に、そのことを理由として更正の請求ができる旨を定めている。
右は、まさに本件のように、更正があって、その更正を争いつつ、これを前提とした修正申告をした納税者が、争いの対象とした更正の取消訴訟において勝訴し、その判決が確定した場合に右修正申告に対する更正の請求ができるとした規定として理解できるものである(明治学院大学教授真柄久雄、判決評論四〇〇号二七頁参照)。
4 原判決の解釈は、以下のとおり不合理である。
即ち、本件更正に対し、上告人は、異議申立を経て審査請求をし、明確に右課税処分を争っている時に、租税特別措置法第三七条の二第二項により定められた法定申告期限に、同項により義務づけられた修正申告をしたものである。
右修正申告は、上告人に法律上義務づけられているものであって、右義務を解除する根拠規定は存在しない。そして、右修正申告は、更正を争っている場合でも、その更正にかかる更正通知書に記載された課税標準等及び税額等を前提としてなさねばならないのである(国税通則法一九条二項四項一号)。現行法の下で、一方で争いの対象となる更正を前提とする修正申告を義務付けながら、右義務を履行したなら、右更正を争うことができなくなるという解釈が、法解釈として正当性を持ち得ないことは条理上明らかである。原判決は、「更正を争いつつ修正申告する方法は、閉ざされることとなる」ことを認めながら、そのことによる納税者の具体的な不利益を「法の不備によるやむを得ない結果というべき」とし、結果的に無視しているものに外ならず、行政法を現行憲法の人権擁護理念に基づき解釈するという視点から、余りにもかけ離れているとの非難を免れない。
なお、右義務的修正申告に変わる方法として関連判例<1>及び、その原審である横浜地方裁判所昭和五八年四月二七日判決(判決時報一〇九九号四二頁)は、不服審査請求の趣旨に掲げた取消を求める数額を左記の納税申告の税額の不足額だけ減額する旨の申立をすることによって、申告を事実上果たすことができるから不都合がないとする。しかし、右方法を納税者が採用すれば、再更正が必至であり、とすれば、加算税や、延滞税の不利益を被ることは、明らかなことである(前掲真柄久雄の文献参照)。
何故に、納税者は、かかる不利益を甘受し、かつ本件のように義務づけされている修正申告を見合わせるという判断を強いられねばならないのであろうか。納税者は、法の不備を十分に理解し、自らの小さな不利益と大きな不利益を慎重に計りにかけ、本件更正が争えなくなる様な失敗はしないように、日々租税法の解釈に戦々恐々としていなければならないのだろうか。断じて否である。一方で、法律によって、更正を争う方法が認められている。他方で修正申告が義務付けられている。かかる法制度の下で、実直に右義務履行を果たしたなら、(しかも、それ以外の方法がなくてである)更正が争えなくなるというのでは、国家による納税者に対する騙し討ちとも評価し得るものであって到底このような解釈は是認できるものではない。
三 以上のとおり、原判決が、本件更正の取消を求める訴えの利益なしとしたのは、法律の解釈適用を誤ったものであり、破棄を免れない。
そして、本案の判断をすれば、原判決の事実認定の下で、過少申告加算税の賦課決定とまったく同じ事実関係から、その一部違法性が認められ、取り消されるべきものであることも明らかである。
以上