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最高裁判所第三小法廷 平成7年(行ツ)53号 判決 1999年10月12日

上告人

野中トシ子

右訴訟代理人弁護士

河野聡

徳田靖之

佐川京子

安東正美

古田邦夫

工藤隆

鈴木宗嚴

瀬戸久夫

河野善一郎

加来義正

吉田孝美

岡村正淳

濱田英敏

柴田圭一

牧正幸

西田收

安部和視

指原幸一

神本博志

西山巌

一木俊廣

麻生昭一

山崎章三

平山秀生

安江祐

鈴木剛

山下登司夫

太田賢二

被上告人

佐伯労働基準監督署長

若林新市

右指定代理人

北野志郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人河野聡、同徳田靖之、同佐川京子、同安東正美、同古田邦夫、同工藤隆、同鈴木宗嚴、同瀬戸久夫の上告理由について

一  本件は、長年にわたり粉じん作業に従事しじん肺及びこれに合併する肺結核にり患した後に原発性肺がんにより死亡した労働者の遺族である上告人が、右肺がんによる死亡は業務に起因するものであるとして、労働者災害補償保険法に基づいて遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、被上告人からこれらを支給しない旨の処分を受けたため、その取消しを求める事件である。

二  原審は、概要次のとおり認定判断し、右粉じん作業ないしこれに起因するじん肺又はこれに合併した肺結核と右肺がんとの間に相当因果関係があると認めることはできず、右死亡が業務に起因するということはできないとして、上告人の請求を棄却すべきものとした。

1  上告人の夫である野中政男(大正一二年九月生)は、昭和二四年三月から同四七年五月までの間、セメント原料等による多量の粉じんが発生、飛散している事業場におけるアーク溶接作業、トンネル坑内における同作業、鉄工所における同作業に延べ約一五年七箇月にわたり従事した。これらの作業は、じん肺法施行規則二条に規定する粉じん作業に該当する。

2  政男の発症から死亡までの病状等の経過は、次のとおりである。

(1)  昭和三八年一一月ころ、肺結核にり患し、同四一年ころまで入院治療をした後、同四三年二月ころまで自宅療養をした。(2) 同四八年一一月ころ、肺結核の再発と診断され、同時に、じん肺の疑いもあると言われ、入退院を繰り返しながら治療及びじん肺健康診断を受けた。(3) 同五五年六月二日、大分労働基準局長から、じん肺健康管理区分「管理二」、合併症肺結核との決定を受けた。(4) 同年一〇月二四日の被上告人の調査により、右疾病は業務上の疾病であると認められ、休業補償給付及び療養補償給付の支給決定を受けた。(5) 同五六年四月二三日、大分地方じん肺診査医滝隆により、「管理三イ」、合併症続発性気管支炎と診断された。これに基づき、被上告人から、支給事由該当日を同五五年一二月九日として傷病補償年金支給に移行するとの決定を受けた。(6) 同五七年一月一二日、主治医長門宏により、「管理四」、合併症肺結核、続発性気管支炎との診断を受けた。(7) 同月一六日、病状悪化のため入院し、同年五月二六日に転院したところ、右下肺野に肺がんが発見され、肋骨に直接浸潤像が認められた。(8) 同年一一月、肺炎・肺化膿症を併発し、同月一九日、肺がんを原因とする肺がん周囲の血管の破裂による大量出血により死亡した。(9) 病理解剖の記録によると、右の肺がんは、右肺下葉の結核性空洞瘢痕より発生したと考えられる瘢痕がん(組織型は腺偏平上皮がん)とされている。

3  上告人は、昭和五七年一一月二七日、被上告人に対し、遺族補償給付及び葬祭料の給付を請求した。これに対し、被上告人は、同五三年一一月二日付け基発第六〇八号労働省労働基準局長通達(以下「局長通達」という。)により、じん肺管理区分が「管理四」と決定されているか地方じん肺診査医の判断に基づき「管理四」相当と認められる者については原発性の肺がんを業務上の疾病と取り扱うこととされており、政男のじん肺の管理区分は「管理四」相当とは認められないことを根拠に、同五九年三月二三日、右給付を支給しない旨の決定をした。右決定に至る過程及びこれに対する不服審査の過程で示された専門医の所見を総合すれば、政男のじん肺の管理区分は「管理三イ」であったと認めるのが相当である。

4  労働省労働基準局長の委嘱により、じん肺と肺がんとの関連に関する専門家会議は、昭和五一年九月以降じん肺による健康障害についての検討を行った結果、同五三年一〇月一八日付けをもって、「じん肺と肺がんとの関連に関する専門家会議検討結果報告書」(以下「専門家会議報告書」という。)を作成提出した。同報告書の中心を流れる考え方を要約すると、石綿肺を除くじん肺と合併肺がんの関連について、直接的な因果関係を主張するに足る知見は、国の内外を問わず得られておらず、むしろ、因果関係の存在を否定する見解が支配的であり、右因果関係については将来の解明に待つべきことを述べるものである。

5  専門家会議報告書以後の内外の医学的研究の成果によっても、同報告書の見解との間に大きな状況の変化は認められない。また、けい酸ないしけい酸塩の発がん性に関する内外の知見を総合すると、右発がん性があることは医学上いまだ確定されておらず、むしろ消極説が現段階の支配的見解と考えられる。そして、じん肺患者に肺がんが発生する仕組みについては、いくつかの見解が主張されているものの、いずれも現時点においては仮説にすぎず、医学上の定説となるには至っていない。けい肺と肺がんとの間に何らかの関連性があることは強く示唆されるが、一方、肺がん発生リスクは、既知の職業がんの場合におけるリスクに匹敵するほど高いものではなく、これと同一のレベルで論ずることはできないとされている。また、外因性の肺がんには、職業的有害因子によるもののほかに、喫煙のように非職業的有害因子によるものも含まれるので、その影響を適切に評価する必要がある。このため、調査対象の選択や解析方法の相違によっては、粉じん作業と肺がんとの間の因果関係につき、肯定的な結論が得られたり、得られなかったりするのであろうし、研究者の間で調査対象の選択や解析方法の正当性をめぐって際限のない議論が繰り返されており、いずれが正当であると判断することができるような状況にはない。

これらの検討結果等を総合すると、現時点においては、じん肺と肺がんとの間に、病理学的因果関係はもとより、疫学的因果関係の存在もいまだこれを確証することができない。結局、現在の医学的知見では、じん肺と肺がんとの間の関連性が示唆されているにとどまり、直ちに高度の蓋然性をもって両者の間の一般的因果関係を認めるに至っていない。

6  諸家の見解をみても、結核ないし結核性瘢痕とがん発生との一般的因果関係は明らかでない。瘢痕の存在がその周囲に瘢痕を覆うような上皮の増殖を促し、正常細胞からの逸脱を生じてがんを発生させるとする見解も仮説ないし可能性としては理解することができるが、瘢痕が常にがん種になるものではなく、多くの場合に瘢痕と関連なしにがんが発生すると考えられるのであるから、瘢痕にがんが発見されたからといって、そのがんの発生原因が瘢痕にあるとは断定することができない。

7  政男は、二一歳から四八歳までの約二七年間に一日二〇本程度の喫煙をしており、その後、喫煙本数は減少したものの、少なくとも昭和五五年ころまで喫煙を継続した。政男のブリンクマン指数は少なくとも五四〇(二〇×二七)であって、重喫煙者とされる四〇〇をはるかに上回っており、同指数四〇〇ないし七九九の者の肺がんの相対危険度は5.2である。そして、喫煙と肺がんとの因果関係に関する諸見解を基に検討すると、政男の喫煙習慣とその肺がんとの間の因果関係の存在の可能性を否定することはできない。

8  以上を総合すると、政男の従事した粉じん作業ないしこれに起因する同人のじん肺又はこれに合併した肺結核と同人の肺がんとの間の相当因果関係を認定するにはいまだ足りない。

9  専門家会議報告書を踏まえて発せられた局長通達は、相応の合理的な根拠を有する。したがって、政男のじん肺が「管理三」にすぎなかった本件においては、同人の肺がんの業務起因性を認めることはできない。

三  論旨は、右のような原審の認定判断には、証拠として提出された論文、研究等の評価に当たり、研究の時期、方法、主体等が異なるため信頼性に差があるもの、公刊された論文等と被上告人側の内部的な報告書等、反対尋問を経たものと経ていないものなどをすべて同列に評価し、それらの科学的正当性を評価せずに、単純にこれらを列挙して論争が繰り広げられているとするなどの誤りがあって、採証法則に違反して事実を認定した違法があり、政男の肺がんによる死亡の業務起因性を否定したことには法令の解釈を誤る違法があるなどと主張する。

しかしながら、原審は、所論掲記のものを含む多数の証拠及びこれによって認められる多数の事実を総合的に評価、検討して、前記のような認定判断をしたのであって、右認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、いずれも首肯するに足り、その過程に所論の違法があるとは認められない。本件記録によれば、本件の証拠とされた文献等のうちいずれの研究結果をより重視すべきものと考えるかについて専門家の間においても意見の一致をみているものではないこと、所論が信頼性が高いとするコホート調査の手法による研究の結果にも所論引用のものの外に様々な内容のものがあること、右手法による研究にも利点だけでなく欠点もあり、患者対照研究との間で研究の妥当性に関して差はないとする文献もあること、所論が援用する証拠においても粉じん作業と肺がんとの因果関係が明確にされているとまでは必ずしもいえないことなどがうかがわれるところであって、本件記録を精査しても、原審の証拠の評価が経験則や採証法則に違反するということはできない。

そうすると、原審の適法に確定した前記事実関係によれば、政男の従事した粉じん作業が直接的又は間接的に同人の肺がんを招来したという関係を是認し得る高度の蓋然性が証明されたとまではいまだいえず、右の因果関係につき通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持つにはいまだ不十分であるとする趣旨の原審の前記判断は、正当として是認すべきものというほかはない。

論旨は、結局、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って若しくは原判決の結論に影響しない点につきその違法をいうものであって、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官元原利文 裁判官金谷利廣 裁判官奥田昌道)

上告代理人河野聡、同徳田靖之、同佐川京子、同安東正美、同古田邦夫、同工藤隆、同鈴木宗嚴、同瀬戸久夫の上告理由

第一点 原判決には、労働基準法施行規則別表第一の二の解釈を誤った違法があり、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一 原判決は、じん肺患者の罹患した原発性肺がんを業務上疾病と認めるための要件として、次のような判断を示している。

1 本件被災者の罹患した肺がんが業務上の疾病として認められるためには、その肺がんの発症が、同人の従事した業務と相当因果関係にあると認められなければならない。

2 労基法施行規則三五条は、同規則別表第一の二第二ないし第七号において、業務上疾病の類型を定めている外、その第九号に「その他の業務に起因することの明らかな疾病」との包括的規則を設けている。

3 本件被災者の場合のようなじん肺患者が罹患した原発性肺がんについては、右別表の業務上疾病の類型に含まれていないから、業務上疾病と認められるには、同別表第一の二、第九号に該当することが必要である。

4 同別表第九号の包括的規定の疾病の場合には、同第二ないし第七号所定の例示疾病のような事実上の推定を受けないので、当該疾病が業務に内在ないし通常随伴する有害因子の長時間の暴露により発生したものであることを個別、具体的に主張、立証しなければならず、この場合には、①例示疾病の場合に準じる程度に一般的な医学的経験則として共通の認識になっていることが必要であり、②業務以外の他の要因も含めて考察し、当該業務がその疾病の発症について、客観的、相対的に有力な原因であると認められなければならない。

二 しかしながら、原判決の同規則別表第一の二の解釈は、以下の理由によって誤りである。

1 同規則別表第一の二は、その第七号に職業がんについての規定を設けており、その18には、「1から17までに掲げるもののほか、これらの疾病に付随する疾病その他がん原性物質もしくはがん原性因子にさらされる業務又はがん原性工程における業務に起因することの明らかな疾病」と規定されている。

従って、じん肺患者の罹患した原発性肺がんが業務上疾病となるかどうかの問題は、第一には、同規則別表第一の二、第七号の18に該当するかどうかの問題とされるべきである。

原判決の第一の誤りは、この点の言及を全く欠落し、問題を同別表第九の問題のみに限定してしまったことにある。

2 そのうえで、同別表第七号の18に該当しない場合には、第五号には、包括的規定が設けられていないから、同別表第九号に該当するかどうかの問題となる。

而して、その判断において考慮され、対比されるべき例示疾病は、第七号所定の例示疾病ではありえない。

蓋し、この点は既に判断済みだからである。

対比されるべきは、同別表第五号に規定される例示疾病即ち「じん肺症又はじん肺法に規定するじん肺と合併したじん肺法施行規則所定の疾病(以下じん肺合併症という)」である。

つまり、じん肺患者の罹患した原発性肺がんが、じん肺法所定の合併症と同等の因果関係を有するかどうかということである。

ここでは、じん肺法所定の合併症とされている肺結核、続発性気管支炎等が、どのような医学的知見に基いて、その一般的因果関係を肯定されているのかが明らかにされるべきであり、それと対比される形でじん肺患者に合併した肺がんの一般的因果関係が問題にされるべきである。

例えば、じん肺の合併症とされる肺結核は、結核菌による感染症である。粉じん(けい酸)によって直接発症する疾病ではない。この肺結核がどのような医学的知見を参考にして、じん肺との法的な因果関係を認められるに至ったのかを明らかにし、これと対比することを抜きにして、じん肺患者の肺がんの業務起因性を判断することは許されない。後に詳述する国際がん研究所(IARC)において、シリカの発がん性の検討を中心的に行ったシモナートらの論文(甲第四五号証の一、二)では、じん肺患者に肺がんの発生が有意に多いとされる理由として、

① シリカ自体の発がん性

② じん肺病変による発がん過程の助長

が挙げられており、この後者については、その機序において、肺結核における場合と同質である。

つまり、シリカ自体の発がん性について、仮に既知の職業がんと同一に論じられないとしても(後述のとおり、これは全くの誤りであるが)、同別表第九号の問題としては、なお、他のじん肺合併症と同一のレベルで論じられるかどうかの判断が必要だということである。

ところが、原判決は、じん肺と肺がんの一般的因果関係の有無は、同別表第九号の問題としながら、その具体的な判断を、同別表第七号の職業がんとの対比の問題としてのみ行っているものであって、その誤りは明白である。

3 同別表第一の二、第九号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」とは、業務と相当因果関係にある疾病の意味であって、その判断にあたって「例示疾病の場合に準じる程度に一般的な医学経験則として、共通の認識となっていることを」求められるものではない。

蓋し、同別表第一の二は、その第二号ないし第七号に例示疾病を規定したうえで、その各号毎に包括的規定を設けているのであって、それとは別に更に全般的な包括的規定として、第九号を置いた意味がなくなってしまうからである。

つまり、第二ないし第七号の各号における包括的規定に該当するかどうかの判断は、事実上の推定に関するものとして、各号の例示疾病に準じる程度の「一般的医学的経験則としての共通の認識」を求められることがあるとしても、これとは別個に定められた全般的な包括的規定としての第九号の場合には、このような要件は不要であり、あくまで、原則にかえって業務と相当因果関係があるかどうかが判断されれば足りるということである。

その相当因果関係の有無の判断は、「通常人が疑いをさし挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを要し、且つそれで足りる」(最判昭和五〇・一〇・二四民集二九・九・一四一七)との基準に従ってなされるべきであり、「例示疾病に準じる程度に一般的な医学経験則として共通の認識となっている」ことを求められるものではないのである。

そもそも、事実的因果関係について、科学的確証があれば、問題は、それで解決するのであり、右最高裁判決が提示した「証明の程度」の問題は、事実的因果関係について、いまだ科学的(本件では医学的ないし疫学的)証明が得られていない場合の問題である。

この場合には、科学の結果が判明するまで裁判を延ばし続けることはできないから、裁判官自ら心証を形成しなければならないが、科学的確証がなくても、高度の蓋然性の範囲的に納まっている限り、かかる心証形成も許されるとするのが右判例の趣旨である。

ここで、右判例が、訴訟上の因果関係の立証と自然科学的証明とを区別して、その「証明の程度」を論じる所以は、訴訟上の証明においては、中間のメカニズムの詳細な分析までは要求されず、基本的な因果の構造が分かれば足りるからに外ならない。

従って、科学的証明が得られていない段階においては、その因果関係について、医学・疫学上の肯定、否定あるいは保留といった見解の対立の存することは当然の前提とも言うべきところであって、その証明の程度を論じるに際して、医学経験則における共通認識を要求するのは、全くの論理矛盾となる。

例えば、右判例は、東大病院ルンバールショック事件に関するものであるが、同事件に関して実施された四人の専門医の鑑定は、いずれもルンバールとの因果関係を否定していたにもかかわらず、最高裁は、法的因果関係を肯定したものであって、医学経験則としての共通認識等は全くなかった事案である。

こうした諸点に鑑れば、原判決は、一方で右最高裁判決に従って「高度の蓋然性の範囲内で心証を形成していくこと」を掲げながら、その実際上の認定においては、「一般的な医学経験則として共通の認識」になっていることを求めるものであって、その論旨は一貫性を欠き、且つ右判例を逸脱するものであって失当である。

4 なお、右の原因・結果の蓋然性とは、「AからBを生ずることがあり得る」ことであり、高度の蓋然性とは、「通常人をして、AからBを生ずることが疑いをさし挟まない程度に確信しうること」である。

本件では、国際がん研究所(IARC)や日本産業衛生学会、更には、米国の国家毒性プログラム(NTP)が、じん肺の原因であるシリカについて、「多分ヒトに発がん性がある」「合理的に発がん物質であることが知られている」「より十分な証拠により人間に対しておそらく発がん性があると考えられる」と評価しているのであり、これらの権威ある専門機関の判断が、右の意味における「高度の蓋然性」に相当するかどうかが問題とされるべきであって、共通認識の有無を求める原判決は全く失当である。

これらの専門機関の評価は、現在の医学・疫学界において、シリカの発がん性がどのように評価されているかを直接的に示すものであり、これらの機関がこのような表現でその発がん性を認めている現状を踏まえれば、少なくとも現時点では、シリカの発がん性は、「通常人が疑いをさし挟まない程度に真実性の確信しうる」ものであることは明らかである。

第二点 原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな経験則違背ないし理由不備の違法がある。

一 原判決は、けい肺と肺がんとの間の何らかの関連性があることは強く示唆されるが、その肺がん発生リスクは既知の職業がんの場合におけるリスクに匹敵するほど高いものではなく、これと同一レベルで論じることはできないとし、そのリスクの比較の方法として、じん肺に肺がんが合併する相対危険度が既知の職業がんの相対危険度を下回っているとして、これを因果関係を否定する一つの大きな判断要素としている。

即ち、原判決は、既知の職業がんの場合の相対危険度を一〇倍から一五倍と認定したうえで、じん肺に肺がんが合併する相対危険度は、専門家会議報告書でも六倍、千代谷プロジェクトでは四倍にすぎないから、両者の相対危険度を対比すればレベルに相当の開きがあるというのである。

二 しかしながら、右は、具体的な主張や証拠に基づかない認定であり、理由不備ないし経験則に反する違法がある。

1 原判決のいう既知の職業がんとは、同規則別表第一の二第七号及び昭和五六年二月二日労働省告示第七号第二号第三号に列挙された一九種類の職業がんである。

而して、被上告人は、本件において、これら既知の職業がんについて、その相対危険度がいずれも一〇倍以上である等という主張を全くしていない。

そのような事実は全く認められないからである。

例えば、原審での被上告人(控訴人)の準備書面(一)は、既知の職業がんの認定について論じているが、ここではその認定の要件は「ある特定部位のがんが、ある特定の因子に暴露されたり、特定の作業工程に従事した労働者集団に過剰であることが判明し、それが動物実験等によって裏付けされれば、これをがん原性物質又はがん原性工程と規定する。そして、そのがん原性物質又はがん原性工程に一定期間以上ばく露又は従事した労働者集団から特定部位のがん罹患者が発生した場合、その労働者の特定部位のがんは職業ばく露によるがんすなわち職業がんと判断される」と主張するのみであり、相対危険度が一〇倍以上等という主張は全くなされていない。

又原審での準備書面(七)においても「同規則別表第一の二第七号でいわゆる職業がんとして認められている物質は、IARCでグループIと評価されているか、日本産業衛生学会で第一群と評価されているか、また発生例があるかなど人に対して発がん性が明らかに認められている物質としての評価が確立したものが対象とされている」と述べているのみで(この事実が全く誤りであることは原審で指摘したところである)、相対危険度が一〇倍以上等という要件は、全く主張されていない。

このように当事者(本件では、その法の運用にあたっている行政責任者であるが)が主張していない事実を裁判所が勝手に認定することは、たとえ当該事実が主要事実ではなく弁論主義違反の問題は直ちに生じないとしても、確たる証拠に裏付けられた具体的な理由に基づき、且つこれが明示されたものでなければ、理由不備ないし事実認定における経験則に違反することが明らかと言わざるをえない。

殊に、右の点は、職業がんと認定されるための要件に直結する極めて重要な間接事実に関するものであるから、その遵守が厳格に求められるところである。

少なくとも、同別表第一の二第七号に関する通達あるいは労働省の刊行した解説書その他の資料もしくはこれらに匹敵する証拠に基づいて認定することは、当然のこととして求められるところと言わねばならない。

2 而して、労働省労働基準局補償課は、労働基準法施行規則第三五条関係資料として「業務上疾病の範囲と分類」を法改正のつど財団法人労働法令協会から刊行しており、その中には「職業がん」との項目の下に、同規則別表第一の二第七号等のいわゆる「職業がん」について、解説がなされ、その認定の根拠となった医学的知見が明らかにされている(右の事実自体公知の事実と言うべきである)。

原判決が当事者の主張を超えて、既知の職業がんの場合には、いずれも相対危険度が一〇倍以上であると認定するのであれば、少なくともこのような行政解説にその裏付けを求めるべきであろう。

ところが原判決は、このような過程を全く捨象してしまっているものであり、個々の職業がん毎に相対危険度が算定されているのかどうか、算定されているとして果たしてそれはいくらであるのかについて何一つとして明らかにはしていない。驚くべきことにこのような過程を捨象して、千代谷慶三の別件(札幌高裁昭和五七年(行コ)第二号事件)における証人調書(甲第三六号証)のみに基づいて、既知の職業がんはすべて相対危険度が一〇倍以上等という無謀な認定を行っているのである。

3 前掲の労働省の刊行した「業務上疾病の範囲と分類」によれば、一九の既知の職業がんの内で、相対危険度が明らかにされているのは、

① ビス(クロロメチル)エーテルにさらされる業務による肺がん

② 石綿にさらされる業務による肺がん

③ 塩化ビニルにさらされる業務による肝血管肉腫

④ コークス又は発生炉ガスを製造する工程における業務による肺がん

⑤ クロム酸塩又は重クロム酸塩を製造する工程における業務による肺がん

⑥ ニッケルの製錬又は精練を行なう工程における業務による肺がん

⑦ 砒素を含有する鉱石を原料として金属の精練等を行なう業務による肺がん等

の七つのみであり、残りの一二の職業がんについては、相対危険度は全く明らかにされていない。つまり職業がんとして認定するうえでの要件ないしメルクマールに全くされていないのである。

この点のみからも、既知の職業がんの殆どが一〇倍から一五倍の相対危険度であるとする千代谷証言が如何にいい加減であり、これを採用した原判決の認定が如何に事実とかけ離れているかは明らかである。

4 その上、右行政解説書によって右の七つの職業がんにおける相対危険度を検討してみると、次のとおりであって、一〇倍以上というのはむしろ圧倒的に少数である。

① ビス(クロロメチル)エーテルの場合

一九七六年に発表されたレスターらの報告が、ばく露時間との関係で相対危険度を明らかにしているが、

ばく露期間一年未満の相対危険度は1.2

一年以上五年未満は3.8

五年以上は9.6

にすぎない。

② 石綿の場合

一九七三年に発表されたニューハウスの報告では、高濃度の石綿に二年以上ばく露した男子労働者の肺がん死亡の相対危険度は、

追跡年数一〇年未満で1.4

一五年未満で八

二〇年未満で8.3

二五年以上で6.3

にすぎない。

同じ一九七三年に発表されたセリコフらの報告によっても、

石綿絶縁工における肺がん死亡の相対危険度は、3.11ないし5.61

石綿向上労働者の肺がん死亡の相対危険度

一年未満4.19

一年以上11.0

にすぎない。

一九七六年に発表されたニコルソンの報告によっても、

石綿絶縁工の肺がん死亡の相対危険度は、平均で4.79にすぎない。

③ 塩化ビニルの場合

一九七四年にヘスらが、四つの塩化ビニル重合工場で働いていた人の中から一三例の肝血管肉腫を報告し、相対危険度を四〇〇倍としている。

④ コークス又は発生炉ガスの場合

一九七一年に発表されたロイドの報告では、コークス炉作業者の肺がん発生の相対危険度は2.5倍(五年以上従事者でも3.5倍)にすぎない。

労働省の「労働者のタールと職業がんの因果関係の解明に関する専門委員会」(一九七三〜一九七四)の調査によれば、肺がん発生の相対危険度は2.3にすぎない。

⑤ クロム酸塩又は重クロム酸塩の場合

一九五〇年代までの報告には、相対危険度を四とするもの(ビドストラップ)から二〇倍を超えるものとするもの(ブリントラ)までがある。

最も新しいものは、一九七五年のノルウェーにおけるコーホート研究であるが、わずか二四名の調査で三名の気管支がんが発生したとして、相対危険度を八三としている。

⑥ ニッケルの場合

一九七〇年に発表されたドールらの追跡調査で相対危険度が明らかにされており、ここでは肺がんについては、一九二五年以前に雇用された人では五ないし一〇倍、一九二五年以後の雇用された人では、1.3倍にすぎないとされている。

また、一九六七年に発表されたマストロマッツの報告でも、肺がんについての相対危険度は平均して2.9にすぎない。

⑦ 砒素の場合

一九七六年に発表されたべーチァーらの報告によると相対危険度は時間当りの荷重平均濃度によって0.6ないし7.0とされている。

一九六九年のリーらのコーホート調査では、ばく露の程度により、その相対危険度は、軽度の場合2.39、中等度で4.78、重度で6.67にすぎない。

原判決の認定が如何に非常識なものであるかを明らかにするために、あえて解説書の記載を詳細に引用したが、右によって、その認定が理由不備ないし事実認定における経験則違反であることは明白と思料する。

第三点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな著しい採証法則の違背が認められる。

一 各証拠の価値や信憑性の検討の欠如

1 原判決は、証拠として提出されている論文や研究の証拠評価にあたり、過去のものも現在のものも、研究方法の異なるものもすべて同列に並べ、また、公刊されているものも内部的な非公開のものも、法廷での反対尋問を経た証言も誤りを指摘されても反論さえ出来なかった意見書も同等のものとして扱い、結局、因果関係を肯定する意見と否定する意見が拮抗しているかのような判断をして結論を導いているが、このような証拠評価の方法は明らかに誤っている。

以下に、具体的に指摘する。

2 研究の時期の問題について

(一) 原判決は、一九八三年、八四年の段階で千代谷慶三が作成した意見書(乙五八、甲三七)における「国際的にコンセンサスを得られていない」旨の見解や一九八三年の札幌高裁における証人尋問での「職業がんではほとんど一〇倍から一五倍ぐらいのリスクを上げられている」旨の何ら根拠のない見解に非常に大きなウェイトを置いて判断しているが、千代谷はその後一九八七年のプロジェクト研究(甲二七)において自らコホート調査を行い、じん肺患者の肺がん死亡の高い超過危険を実証し、それが喫煙習慣に依存するものではないことを明らかにして、事実上立場を変えているのであって、そのような研究者の過去の見解を同列以上に評価する証拠評価は誤りである。

(二) また、原判決は、51丁表以下でけい酸ないしけい酸塩の発がん性に関する知見を検討するにあたり、菊地(甲一四のⅣ)、藤澤(甲一六の三)及び専門家会議報告書(乙一四)が発がん性を否定する立場を取っている事実を引用しているが、菊地は一九七五年三月、藤澤は一九七五年八月、専門家会議は一九七八年一〇月時点における見解であるところ、IARCが動物実験で発がん性が認められたことを評価して新しい基準でけい酸の発がん性を総合評価し、けい酸をⅡaのグループに入れたのが一九七九年なのであって、それ以前の研究は、これをもって修正を余儀なくされたというべきである。それにもかかわらず一九七九年以前の研究を同列に引用しているのは、科学研究の歴史的流れを無視するものと言わなければならない。

3 研究方法について

疫学において基本的に重要なのはコホート調査であり、これを補完するのが症例対照研究(ケース・コントロール・スタディ)である。また、各種の調査・研究を比較検討して一定の評価を下す「文献研究」は、これらとは全く異質の研究方法である。原判決は、これらの研究方法の精度や性質の違いを踏まえずに、すべて並列的に列挙しているばかりでなく、単なる随筆的な所感(例えば判決50丁表の森永報告)まで同列に扱って、じん肺と肺がんの因果関係が現在もなお、明確になっていないと結論づけるのである。

コホート調査は、その規模の大きさや直接に相対危険度を導くことによる精度の高さによって疫学において最も信頼性を有する研究方法なのであるから、コホート調査によって高い相対危険度を明らかにした千代谷プロジェクト研究(甲二七)や森永謙二らの研究(甲四〇)が、まず第一次的に重要なものとして取り上げられなければならない。

症例対照研究は、対照の選択や相対危険度を導くための統計的処理の如何によって信頼度に差異が生じるので、疫学においては、コホート調査を補完するものとして位置付けられているものである。したがって対照の選択の正当性や統計的処理の妥当性の検討をせずにただ結論だけを対比したところで何ら意味を持つものではない。原判決は、37丁裏から横山哲朗の委託研究報告書(乙三四)を、膨大な紙幅を割いて引用しているが、研究の精度について全く検討をせずに、前記千代谷や森永の研究と並列的に引用しているのは、問題である。

「文献研究」は、収集する文献の範囲や、その評価手法の正当性が問題となるうえに、評価を下す研究者の立場や主観によって結論が左右される点で、研究の証拠としての価値には著しいバラツキがあると言わざるを得ない。端的に言えば、本件訴訟の実質的当事者とも言うべき労働省が自ら委託してなさせた文献研究は、おのずと一定の結論が誘導されることになるから、和田攻らの報告(乙四六)は、そのような限定付きで証拠価値が判断されるべきであり、マクドナルドの論説(乙三六の一、二)のような、所属や立場も不明な個人の学者による研究はなおさら慎重に扱われるべきであるが、WHOの下部機関であるIARC(国際がん研究機関)が刊行した「シリカの職業性曝露と癌のリスク」を共同編集したL・シモーネとR・サラッチの論文(甲四五の一、二)は、国際的に最も権威のある中立的・公的機関の研究として、文献研究の中では最も価値の高いものとして評価されるべきなのである。

このように、研究方法に関して正当な評価を経れば、国内的・国際的に見て、じん肺患者の肺がん発症リスクは非常に高いという知見がほぼ確立していることが認められるのである。

4 論文又は研究の性質について

原判決は、論文や研究が公刊されたものであるか内部的なものであるか、どのような経緯で作成されたものであるのか等について、区別せずに全く同列に並べて「因果関係を肯定する研究もあれば、否定する研究もあり、論争が繰り広げられているから、知見はいまだ確立していない」という結論を導き出すものである。

しかし、事実審において、じん肺と肺がんの因果関係を否定する意見・論文として被上告人から提出されている主なものは、

① 一九八三年、八四年に札幌高裁に労基署側の証拠として提出された千代谷の意見書(乙五八、五九、甲三七)及び労基署側の申請によりなされた千代谷の証言(甲三六)

② 労働省の委託によりなされた横山哲朗(乙三四)、和田攻ら(乙四六)の委託研究報告、本件被上告人の依頼に基づいて作成された東敏明(乙四八、六一)、水野正一(乙五二、六二)らの所感や意見書

③ 広島地裁で労基署側の申請によりなされた富永祐民の証言(乙五一)

④ 中災防報告書(乙七五)

である(専門家会議報告書が必ずしも因果関係を否定する趣旨のものでないことは、後述する(三1))。

特徴的なことは、すべてが労基署側の証人や労基署の依頼による意見書、労働省の内部的な委託報告書の類いだということである。すなわち、

a これらの意見・論文は、委託者の立場や作成の経緯から見て、いずれも因果関係を否定するという一定の結論を前提にして書かれたものと言わざるを得ず、証拠価値としても大幅に差し引いて考慮する必要がある。

b いずれの報告書・意見書も公刊されて学会における批判の対象とされているものではなく(言わば「言いっ放し」が許される状況。なお、④も公表されているものではないことは、被上告人の原審における一九九三年一二月二四日付け上申書により明らかである)、学会誌に公刊されている論文と比較して、自ずと価値が劣るものである(ちなみに、上告人の依頼により意見書を裁判所に提出した山本真は自らの研究を公刊し、学会における論議の対象として提供している(甲五八の二))。

c さらに上告人側が提出して意見書の作成者である山本真及び山本英二については、上告人において証人として申請し、被上告人に反対尋問の機会を提供したのに対し、被上告人側が提出した意見書の作成者である横山哲朗、和田攻、東敏明、水野正一らについては、上告人らの求のにもかかわらず被上告人らは証人申請さえせず、その結果反対尋問に晒されることもなかったのである(上告人の原審における一九九二年七月六日付け上申書参照)。このような経過からすれば、上告人側の意見書と被上告人側の意見書の証拠価値の優劣は明白と言うべきであろう。

公刊されているものであるか否か、反対尋問を受けているものであるか否かという点は、研究の客観性・中立性が担保されているか否か、その研究が批判に堪え得るものであるか否かを示す、重要な指標と言うべきである。

ちなみに③の富永証言は、本件上告人代理人らの反対尋問を回避するために広島地裁において労基署側から申請された証人であったが、本件上告代理人らが復代理人として広島地裁において反対尋問を行った結果、

ⅰ じん肺と肺癌との関係に関する研究は行ったことがない者であること(乙五一の二、三項)

ⅱ 主尋問は労基署側から証拠関係を十分に示されずに意見を求められていたものであること(同四乃至九頁)

ⅲ 山本真の症例対照研究における対照の選択の方法について、科学的に根拠のある批判をしているのではなく、単に「理解できない」「わからない」というに過ぎないこと(同二四〇乃至二五七項)

が明らかになり、主尋問における証言の価値も大幅に差し引かれることになったのである。

以上のように、論文や研究の性質の検討は極めて重要なのであって、原判決のようにそれを怠るならば、公刊もされず、反対尋問にも耐えられない無責任な意見書の類いを多数提出して、数の上で因果関係を否定する見解が多いという状況を作り出せば真偽不明に持ち込めるということになってしまい、著しく不公平な結果となってしまうであろう。

二 証拠の科学的検討の欠如

1 原判決は、各論文や研究の内容の科学的正当性の判断を全くせずに、単純に論文や研究を列挙し、相互に批判がなされている事実を指摘して、「論争がくりひろげられている」とまとめるに止まっている(判決41丁裏)。

高度の蓋然性の判断に関して「科学的認識と共通の基盤に立つことが必須の前提」などと論じながら、自らは全く各論文の科学的正当性の判断をしないのでは一貫性を欠くし、結果的にも不当な結論となる。すなわち、このような姿勢では、科学的に正当な方法論によって因果関係を認める結論が認められるようになっていても、明らかに現代の科学において認められない方法論によって因果関係を否定する(言わばレベルの低い)論文が提出されれば、それだけで、高度の蓋然性を認めるだけの科学的認識は未だ確立していないという結論を導くことになってしまうのであり、経験則に反すること甚だしい。

したがって、論文・研究の証拠評価にあたっては、その内容の科学的正当性を検討することが不可欠なのである。

もちろん、科学者でない裁判官が最先端の微妙な科学論争について全面的にその優劣を判断することは困難であるが、だからといって一切の検討を放棄しても良い訳ではなく、最低限、現代の科学において確立した方法論と認められる手法に基づいてその研究がされているか否かの判断はなされなければならないと考えられる。

2 本件では、コホート調査によってじん肺と肺がんとの因果関係が広く認められるようになっている現状に対して、横山哲朗教授が日本剖検輯報を用いた症例対照研究によって、1.63倍というO/E比を導き、それは喫煙の危険の範囲内であるとして批判したのであるが(乙三四)、その研究方法には、症状対照研究において相対危険度を導く場合に用いなければならない「オッズ比」が用いられていないという根本的欠陥があり、日本剖検輯報からオッズ比を用いて正当に相対危険度を導くと3.84という数値が導かれるのだという反論が山本真医師によってなされている(甲四四など)。

その議論の優劣を判断するにあたっては、「症例対照研究において相対危険度を導く場合にはオッズ比を用いなければならない」ということが疫学において確立した方法論かどうかが問題となる。この点は、

a 疫学の大家重松逸造が監修し、日本公衆衛生協会が発行する最新の疫学の教科書「新しい疫学」にもオッズ比で解析すべきことが記載されていること(甲四三88頁)。

b 国側申請の証人である富永祐民も、横山の手法が相対危険度を表すものではなく、オッズ比を用いるべきことを認めていること(乙五一の二、一七乃至二〇項、二七乃至二九項)。

c 国側の依頼により意見書を提出した東、水野の所感(乙六一、六二)も、オッズ比を用いるべきことについては、何ら批判していないこと。

d 数理統計学者である山本英二教授の証言及び意見書

等によって認めることができる。

したがって、証拠の科学的正当性を評価するならば、横山研究の証拠価値は著しく劣るものとして評価されなければならないのである。

この点は、乙七五の中災防報告書と、これに対して研究手法を批判した甲五九、甲六〇の山本真、山本英二の意見書における議論との優劣の評価についても同様である。

三 証拠評価の明確な誤り

以上に述べた外に、原判決には、経験則の範囲を超えて明らかに証拠評価を誤った点が認められるので、代表的なものを列記する。

1 専門家会議報告書の評価について

原判決は、専門家会議報告書(乙一四)の評価として、千代谷の意見書(乙五八)を引用しつつ、

「……石綿肺を除くじん肺と合併肺がんの関連について、直接的な因果関係を主張するに足る知見は、国の内外を問わず得られておらず、むしろ因果関係の存在を否定する見解が支配的であることを述べたものである。しかし同時に、じん肺管理四で療養している患者の療養を担当している医療機関から、じん肺合併肺がん発生率が、わが国の一般男子人口の肺がん発生率よりも高い傾向があることが指摘されていることに留意し、将来の解明に俟つべきことを併せて述べているものである」

と結論付ける。

確かに千代谷は、「じん肺と肺がんとの関連に関する専門家会議」の座長ではあったが、座長個人の意見が報告書の性質を規定するものでないことは言うまでもなく、原判決が千代谷の個人的意見をそめまま報告書の結論として認めている点は極めて問題である。

しかも、専門家会議報告書を客観的に読めば、右のような結論自体が誤りであることは、明白である。すなわち、

a 報告書69頁以下の「まとめ」では、

ⅰ 当時(一九七八年)、粉じんの発がん性について、積極的に肯定するような見解は得られず、

ⅱ じん肺病変が肺がんの発生母地となり得ると断定するには証拠が乏しい

とはしているものの、

ⅲ じん肺と肺がんの合併頻度については、

α 一九六〇年以降の報告に限ってみれば高い合併頻度を指摘するものが多い。

β じん肺患者に高頻度に肺がんが合併している現象は全国的な拡がりのみられる可能性が示唆される。

γ じん肺患者の医療を担当する全国一般病院施設における外来、入院患者の調査結果では、全体として肺がんの合併頻度は高い傾向にあった。

事実が指摘され、

結論として、

ⅳ じん肺罹患者のうち剖検が行われた集団のみならずけい肺を主体とするじん肺で療養中の患者集団においても、肺がん合併率が高い傾向がうかがわれる。

としている(71頁〜72頁)。

したがって、決して「因果関係の存在を否定する見解が支配的である」などという結論が出されているのではないことは明らかである。

b しかも前述のように、報告書71頁では、

「じん肺患者の医療を担当する全国一般病院施設における外来、入院患者の調査結果では、全体として肺がんの合併頻度は高い傾向にあった。」

という報告が記載されているのであり、原判決がまとめているような、

「じん肺管理四で療養している患者の療養を担当している医療機関から、じん肺合併肺がん発生率が、わが国の一般男子人口の肺がん発生率よりも高い傾向があることが指摘されている」にとどまらないのであって、高い合併頻度が管理四だけの問題であるかのようなまとめかたは誤りである。

2 けい酸の発がん性に関する各機関の評価等について

原判決は、国際がん研究所(IARC)がシリカの発がん性についてグループ2A(多分ヒトに発がん性がある)に分類し、米国国家毒性プログラム(NTP)がグループb(合理的に発がん性物質であることが知られている)に分類し、さらに日本産業衛生学会が第2群A(人間に対しておそらく発がん性があると考えられる物質のうち、証拠がより十分な物質)に分類しているのに対して、ILO、EC、米国EPA、ACGIH、ドイツDFG等がシリカの発がん性について言及していないこと(乙五〇)を挙げて、シリカの発がん性について医学上未だ確定されていないことの一つの根拠としている(判決53丁)。

しかし、

a IARCや日本産業衛生学会の評価が権威のあるものであることは、被上告人自身が基本的に認めているところであること(原審における被上告人の一九九三年一二月一五日付け準備書面)

b ILOその他の機関においてシリカの発がん性について言及されていないといっても、その機関が発がん性を否定したわけではなく、単に発がん性についての研究がその機関においては未だ途上であるに過ぎないとも考えられること

から言って、発がん性を認めた機関の数の対比は乱暴な議論と言わざるを得ない。

そして、前述したように、

c 菊地(甲一四のⅣ)、藤澤(甲一六の三)、専門家会議報告書(乙一四)は、動物実験により発がん性が認められる以前の見解であって、現在も発がん性を否定する根拠として用いることはできないこと、

さらに、

d 原判決は引用していないが、国側証人である富永祐民も「恐らく発癌性があるということは私も認めてます。」と証言していること(乙五一の二の証言一三七項)

も考慮すると、既にけい酸乃至けい酸塩の発がん性は、国内外で医学上確定されるに至っているというべきである。

3 瘢痕がんの問題について

さらに原判決は、上告人が個別的因果関係の根拠として主張している瘢痕がんの問題について61丁裏から68丁表で論及しているが、そこでは性質の異なるいくつかの問題について完全に混乱した議論をしている。

(一) 上告人は、

① 瘢痕がんには広義の瘢痕がんと狭義の瘢痕がんがあるが、狭義の瘢痕がんでは、果たして真実瘢痕にがんが発生したものか否かの確定が困難であるが、広義の瘢痕がんの場合には、瘢痕を母地としてがんが発生したことが明らかである。

② 亡野中政男の場合、じん肺合併結核症による陳旧性空洞にがんが発生していることが病理解剖により明らかになっているから、瘢痕にがんが発生した広義の瘢痕がんであることが認められる(中山巌医師の乙二六の供述では、明確に「本症例のがん組織は、空洞を全周性に分布し、空洞の一部には再生扁平上皮が存在することから、空洞壁より発生したがん種が最も考えられる。すなわち空洞を発生母地としたがん種と考える。これはいわゆる広義の瘢痕がんである。」との記載がある)。

③ したがって、亡野中政男について、じん肺結核症とがん発生との間に病理学的に直接的な因果関係が認められる

と主張しているが、

④ 上告人は、じん肺患者に肺がん発生が高頻度であることの病理学的解明に関する学説のうち、「瘢痕がん」説を主張するものではなく、数的に多いか少ないかは別にして瘢痕が発生母地となってがんの発生が促進される「瘢痕がん」という類型が存在することを主張しているにすぎない

のである(第一審における一九八九年五月二五日付け準備書面第二の一、同じく一九九〇年四月三日付け準備書面第一の二、一九九〇年一一月二六日付け準備書面第四)。

(二) ところが原判決は、これらの論点を混同して、「諸家の意見」として、63丁裏〜67丁裏(1)〜(10)に、それぞれ異なる論点に関する異なる視点からの論文を、論点と全く無関係なものまで含めて雑然と列挙し、「結核ないし結核性瘢痕とがん発生の一般的因果関係は明らかではない」と結論付けてしまっている。

原判決が根拠に掲げる論文を検討すると、

(3)の山本真医師(甲六)は、上告人の主張の基礎となる論述で、①〜③の論点について述べるものである。

(1)の後藤医師(乙五の三)の診断書は上告人の①〜③の主張に沿った見解を述べたものである。

(2)の田代医師(乙一九の一、二)は、②の事実を前提に、上告人の見解とやや異なる論理で個別的な因果関係を認める見解を述べたものである。

(8)の下里(乙四〇)は、①の論点について述べたもので、狭義の瘢痕がんは大多数が瘢痕と関連なしに発生するものだが、少数は瘢痕から発生するがんもあることを認めたものである。

(6)の菊地、奥田(甲一五の三)、(7)の斎藤ら(甲四八の七)、(10)の吉野(乙二五)は、④の論点に関連するもので、じん肺に肺がんが高率に発症する原因が瘢痕がんにあるとする「瘢痕がん説」を否定したものに過ぎない。

(9)の長門(甲三二)は、肺結核と肺がんとの関係を述べたものであり、本件の個別的因果関係論と無関係な論述である。

(5)の小野医師の意見書(乙二〇の一、二)は、一般論としてじん肺と肺がんの関係について、個々の症例について解明することは困難であることを指摘しているだけであり、例外的に病理解剖により「広義の瘢痕がん」と判断されたことにより、個別的因果関係が解明されている本件について意味を持つ議論ではない。

(4)の山崎力医師の意見書(乙一八の一、二)は、県立病院に入院中の資料からは因果関係は診断し難いとしているものだが、病理解剖の結果を前提としないで個別的因果関係を論ずることができないのは当然だから、これも個別的因果関係論と無関係な論述である。

以上のように、これらの論文や意見書の射程を明確にして検討すれば、上告人の主張を否定する根拠は全く見当たらないのである。

(三) しかも原判決68丁表では、「瘢痕が常にがん種となるものではなく、多くの場合瘢痕や過形成と関連なしにがんが発生すると考えられるのであるから、瘢痕にがんが発見されたからといって、そのがんの発生原因が瘢痕にあるとは断定できない」と論じており、ここでは、上告人が主張して来た個別的・直接的因果関係の主張が、いつの間にか一般的因果関係の問題にすり変えられてしまっている。

上告人は、瘢痕が常にがん種になるものでないことは前提としつつ、本件個別具体的なケースにおいて瘢痕からがん種が発生したことが明らかなので、瘢痕とがんとは直接的因果関係があると主張しているのである。原判決は、前掲の第一審における上告人の詳細な準備書面を咀嚼せず、最後まで上告人らの主張する個別的因果関係論を理解しなかったのである。

そのため個別的因果関係論である瘢痕がんの検討において、喫煙の影響に関する一般的因果関係を検討するといった過ちまで犯している(原判決68丁表〜71丁表)。

到底、論理的な判断とは認められない。

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