大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成8年(あ)1090号 決定 1998年1月09日

本店所在地

兵庫県尼崎市東難波町五丁目一七番二三号

株式会社 大産建設

右代表者代表取締役

山下正一

国籍

韓国

住居

兵庫県西宮市甲子園三番町三番二六号

会社役員

山下正一こと金基徳

一九三七年七月一五日生

本籍

東京都墨田区八広四丁目二九番地

住居

大阪府豊中市服部南町三丁目二番一号 葵マンションC-三

会社員

江藤武次

昭和一七年九月一三日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、平成八年九月一二日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人株式会社大産建設及び同金基徳の弁護人後藤貞人外二名並びに被告人江藤武次の弁護人清水正憲の各上告趣意のうち、二重処罰に関して憲法三九条後段違反をいう点は、国税通則法六八条に規定する重加算税は刑罰でないことが明らかであるから(最高裁昭和二九年(オ)第二三六号同三三年四月三〇日大法廷判決・民集一二巻六号九三八頁、最高裁昭和四三年(あ)第七一二号同四五年九月一一日第二小法廷判決・刑集二四巻一〇号一三三三頁参照)、所論は前提を欠き、遡及処罰に関して憲法三九条前段違反をいう点は、青色申告の承認を受けた法人の代表者が法人税を免れるためほ脱行為をしたことを理由に、当該事業年度にさかのぼってその承認が取り消され、当該事業年度のほ脱税額について、青色申告の承認がないものとして計算した法人税額を基準として算定しても(最高裁昭和四七年(あ)第一三四四号同四九年九月二〇日第二小法廷判決・刑集二八巻六号二九一頁参照)、実行の時に適法であった行為について刑事上の責任を問うものでないことは明らかであるから、所論は前提を欠き、被告人株式会社大産建設及び同金基徳の弁護人後藤貞人外二名のその余の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であり、被告人江藤武次の弁護人清水正憲のその余の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 元原利文 裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 金谷利廣)

平成八年(あ)第一〇九〇号

上告趣意書

法人税法違反 被告人 株式会社大産建設

同 山下正一こと

金基徳

右の者に対する頭書被告事件について、弁護人らは以下のとおり、上告の理由を明らかにする。

一九九七年二月二五日

右弁護人 後藤貞人

同 華学昭博

同 遠藤比呂通

最高等裁判所第三小法廷 御中

目次

第一点 憲法三一条違反(証明責任の分配の誤り)

第二点 憲法三一条違反(罪刑法定主義違反)

第三点 憲法三九条違反(二重処罰の禁止違反)

第四点 憲法三九条違反(遡及処罰の禁止違反)

第五点 法令違背(刑訴法四〇五条の違憲論等)

第六点 理由不備(「計上可能額」に関する認定の問題)

第七点 法令適用の誤(青色申告承認取消と概括的故意の問題)

第八点 量刑不当

第一点 原判決は、刑事訴訟における証明責任の分配を誤っており、これは、憲法三一条に違反する。

一 犯罪事実については検察官が証明責任を負い、合理的な疑いを容れない程度にまで犯罪事実の存在について証明されなければ被告人は処罰されないことは、近代人権宣言の大原則であり(世界人権宣言一一条)、日本国憲法も三一条においてこれを保障している(平野・刑事訴訟法一八七頁)。また、判例(最決昭和五〇年五月二〇日刑集二九巻五号一七七頁)も、これが刑事裁判における「鉄則」であることを認めている。ところが、原判決は、こともあろうに、二か所において、このような刑事訴訟における証明責任の分配を誤っており、憲法三一条に違反することは、明らかである。

二 原判決が、「減価償却の対象となる固定資産は、事業の用に供されていることが要件とされている」とする(判決書一〇丁表五ないし六行目)のは、明らかに証明責任の分配を誤っている。原判決指摘の法人税法施行令一三条は、「事業の用に供していないもの・・・を除く」としているのであって、減価償却資産とされるためには、事業の用に供されていることが積極的な要件とされているのでは決してない。逋脱犯との関係でいえば、減価償却費が「架空である」即ち存在しないというためには、検察官が、当該資産が「事業の用に供されていないこと」を証明しなければならないのである。したがって、原判決の右判示自体が既に証明責任の分配を誤ってた違法なものである。

そのうえ、原判決は、<1>引渡しがなければ事業の用に供したとはいえないとし、<2>「翌期に引き渡されたものであることが証拠上明らか」としているが、右に述べたように、そもそも、右<1>の命題自体が、「事業の用に供したといえるか」という点に関心を向けていて不当である(ここで重要なのは、「事業の用に供していないといえるか」のはずである)だけでなく仮に、右<1>の命題を、証明責任の正しい分配に則して、「引渡しのないことが証明されれば、事業の用に供していないことが証明されたことになる」との意味であると解釈しても、本件においては、いつでも被告人会社の現実の引渡しが可能な状態にあったことや既に当期中にインストールという補強作業や被告人会社の名前を入れる作業に掛かっていたことを考えれば、規範的な意味での「引渡し」がなかったというにはなお強い疑いが残り、「事業の用に供していない」ことについて、検察官の証明責任は尽くされていないというべきである。にもかかわらず、原判決が検察官の主張を容れたのは、結局、この点について被告人に証明責任を負わせたのと同様であって、原判決は、この意味でも憲法三一条に違反している。

三 原判決が、雑損失六〇五四万〇六三六円が存在しないとした一審判決を維持したのも、刑事訴訟における証明責任の分配を誤るのと同様の誤りを犯したものである。

原判決は、その判決書一三丁において、尼崎税務長が更正通知書において、平成三年六月期の所得から六〇五四万〇六三六円の減額を許容したことを認めながら、「同税務署長が何故右のような処理をしたのか不明であ」り(同丁表後から一ないし二行目)、「数額が同じというだけで実質的には関連性がない」として(同丁裏一行目)、この雑損失が架空であるとの一審判決の判断になんらの影響も及ぼさないとしている。

しかし、平成二年六月期において架空であるとされた雑損失と全く同じ金額(八桁の金額で一円の位まで同一であり、偶然というのは、余りにも確率の低い出来事である)が、今度は、所得が減る方向で、税務署に認容されているということは、実質的に前の課税(即ち、損金たる雑損失の否認)を撤回したに等しいことであり、この点から考えても、平成二年六月期の雑損失が架空であるとの検察官主張は、合理的な疑いを容れるに十分であるといわなければならない。

にもかかわらず、原判決が前記雑損失が架空であるとの検察官主張を容れたのは、この点についての証明責任の分配を誤ったか、あるいは、合理的疑いのある検察官主張をも立証が尽くされているものとしたために、その事項につき被告人に証明責任を負わせた結果となっているのであって、いずれにしても、憲法三一条に違反すること明らかである。

第二点 原判決には、刑罰の構成要件の明確性の原則に違反したという意味において、憲法三一条違反がある。

原判決は、法人税法施行令一三条に関し、「事業の用に供されたというためには、少なくとも、その引渡しが必要である」としている(一〇丁表七ないし九行目)。この説示が、「事業の用に供されたといえるか」を問題にしている点で、既に、憲法三一条違反であることは、上告趣意第一点において主張したが、それを別にしても、右のように解しなければならない合理的な理由は全くなく、結局、原判決は、法人税法違反の構成要件事実を、刑罰法令の文言に何の根拠もない形で不当に拡大解釈するものであって、刑罰法令の構成要件の明確性を要請する憲法三一条に違反するものである。

即ち、憲法三一条は、刑罰法規が法律で定められなければならないことを定めるとともに、刑罰実体法令の内容の適正をも規定するものであるが、その中でも、犯罪構成要件の明確性(これには法律の文言自体の明確性の要請と刑罰法令の拡大解釈の禁止とが含まれる)は、特に重要なものとしてデュー・プロセスの中核をなすものである。刑罰法規の保護法益自体に問題がある場合(たとえば、思想統制)はもちろん、保護法益に正当性が認められる場合であっても、刑罰抑制の見地から、犯罪構成要件の範囲は、必要最低限に規定され、また、そのように解釈されなければならないのである。したがって、原判決の右のような拡大解釈は、明らかに、憲法三一条に違反するものである。

第三点 原判決は、重加算税と被告人会社への罰金刑を併せ科すことを認容した点において、二重処罰の禁止を定める憲法三九条に違反するものである。

一 はじめに

憲法三九条後段が規定する、「同一の行為によって、重ねて刑事上の責任は問はれない」という文言は、その母法となったアメリカ合衆国連邦憲法の規定を参照しながら解釈しなければならない。修正第五条は、「何人も……同一の犯罪について、再度生命身体の危険に臨まされることはない」と規定するが、日本国憲法の英文草案に、ほぼ同趣旨の文言が用いられていたのである。即ち”Nor shall he be placed in double jeopardy”ここに規定された、二重の危険(double jeopardy)の法理は、陪審裁判に固有な原則(例えば、検察官上訴は認められない)を除き、日本の刑事司法に対する人民の権利として適正手続条項の具体化としての意義を有すると思われる。そしてこの法理の背景には、司法の手続自体は、どのようなデュー・プロセスを尽くそうとも、被告人に対し常に不当な危害を加えかねない危険なものであるという、フェア・プレーの精神がある(田宮裕『一事不再理の原則』一九七八)。

従って、「重ねて刑事上の責任を問われない」が税法違反行為について問題とされる場合においても(重加算税と租税逋脱犯に対する罰金刑の併科の合憲性が争われるのは、その典型例であるが)、加算税は行政上の制裁であるなどという観念的、形式的見地から行うのではなく、被告人が被る実質的不利益の相当性を判断することによって、決しなければならない。この理は例えば、租税逋脱犯に対する罰金刑と旧法人税法上の追徴税との併科の合憲性が争点となった、最高裁判決(一九五八年四月三〇日大法廷判決、民集一二巻六号九三八頁)に対する、白石健三最高裁調査官(当時)の解説において、次のように敷衍されている。「刑罰と非刑罰との区別の基準につき形式主義をとり、形式上刑罰法令に刑罰として掲げられていないものは、すべて非刑罰として、これと刑罰の併科は、憲法三九条に違反しないと考えるならば、ことは極めて簡単であるが、そう割り切って考えられない。……そこで、併科が同条の違反になるかどうかを決するについては、刑罰と非刑罰とは実質的に区別しなければならないことになる」(『最高裁判所判例解説・民事篇、昭和三三年度』一〇二頁)。

本件被告人会社は、既に同一の法人税法違反行為につき、重加算税だけでも一億二八四八万一五〇〇円を科され、これを完納している。これに加えて、法人税法違反の罰金九〇〇〇万円を原審により科されたわけであるが、被告人会社が被るかような二重の実質的不利益に対する、合理的な説明は、原審判決にも、第一審判決にも全く述べられていない。弁護人は、この点の憲法違反を本上告趣意書の中で、以下に述べる順序で主張するものである。まず、重加算税と租税逋脱犯の要件、効果が実質的に殆ど同一であることが論証される(二、重加算税と逋脱犯の同一性)。続いて、判例・学説によって本争点の先例と目されている、一九五八年大法廷判決が、実は、本件のような刑事事件における二重処罰の先例としては、必ずしも適切なものではないこと、もし先例としての意義が認められるとしても、重加算税が本来過渡的なものであるという性格を持つ以上、四〇年近くの時の経過に基づいて、改めて合憲性を支える立法事実が審査されねばならないこと、が論じられる(三、先例の限界と立法事実の不存在)。最後に、たとえ、罰金と重加算税の併科が今日においても合憲とされうるとしても、本件被告人会社に適用される限りにおいては、何らの合理性もなく、憲法違反と言わねばならないことが分析される(四、本件の事案と適用違憲)。

二 重加算税と逋脱犯の同一性

重加算税と逋脱犯との成立要件と法的効果を詳細に検討した、佐藤英明教授は、その結論において次のように述べる。「現在のわが国の租税制裁法においては、行政罪たる重加算税と刑事罰を科される逋脱犯とが要件・効果の両面でほとんど同じであり、この両者の間に合理的な機能分担がなされていないということである。このため、ふたつの制裁が併置されていることに合理性が見出せないと考えられる」(「租税制裁法の構造と機能(一)」法学協力雑誌一〇六巻七号一一七〇頁、一九八九)。

このような結論に至った同教授の推論の中で、憲法三九条との関係で重要であると思われるのは、次の部分である。「特に問題となるのは、他のなんらかの斯罔的な手段をろうすることなく、所得金額をことさら過少に記載した内容虚偽の確定申告書を提出し、納税義務を過少に確定して、正当税額と申告額の差額を免れようとするいわゆる単純虚偽申告行為であるが、判例は、この場合も『偽りその他不正の行為』にあたるとするとともに、重加算税の対象となるとしており、この点でも両者は同じに扱われている」(同一一六三頁)。

なぜなら、典型的な脱税事犯を重加算税と罰金刑の双方によって制裁している法体系において、観念的に両者の目的の違いを主張することは、殆ど意味をなさないことになるからである。もし、逋脱犯に言う「偽りその他不正の行為」と、重加算税の「全部又は一部を隠蔽し、又は仮装」行為を取り締まる目的が違うなら、それは必ず構成要件の違いとして現れるはずである。そのような形をとって現れない「目的」なるものは、解釈論上意味のある概念ではなく、法の動機としか言えないものであり、憲法三九条が問題とする、被告人に及ぼされる、二重の実質的不利益の正当化としては、説得力を持たない。

次に効果の点からみても、逋脱犯の懲役刑の規定はともかく、罰金刑は要するに金銭的な制裁であり、重要な違いがあるとは思われない。罰金刑が量刑に応じて、可変的であり、重加算税が加算税の基礎となる税額の一〇〇分の三〇至三五という一律のものではあるにせよ、これらが判例の運用の中で、実務上、罰金刑の額が重加算税未徴収のときは逋脱相当額、徴収ずみのときは逋脱額の三割程度に量定するのが通例である以上(佐藤文哉・警察研究三六巻三号一〇七頁一九六)、両者に実質的に違いがあるとは思われないのである。

以上見たように、法人税法一五九条の逋脱犯の規定のうち、罰金刑を定める規定と、国税通則法六八条の重過算税の規定は、同一人に科される場合、憲法三九条が禁止する「二重処罰」を構成すると結論せざるをえない。

三 先例の限界と立法事実の不存在

従来、国税通則法の重加算税と、所得税、法人税の逋脱犯の関係が、憲法三九条との関係で論じられる場合、租税逋脱犯に対する罰金刑と旧法人税法上の追徴税との併科が争点となった、一九五八年四月三〇日の最高裁大法廷判決が引用される。そこでは両者の合憲性について次のように判示されていた。「逋脱犯に対する刑罰が『詐偽その他不正の行為により云々』の文字からも窺われるように、脱税者の不正行為の反社会性ないし反道徳性に着目し、これに対する制裁として科せられるものであるのに反し、法四三条の追徴税は、単に過少申告、不申告による納税義務違反の事実があれば、同条所定の已むを得ない事由のない限り、その違反の法人に対し課せられるものであり、これによって過少申告・不申告による納税義務違反の実を拳げんとする趣旨に出てた行政上の措置であると解すべきである」。

かような形式的、観念的正当化が今日通用するかについての実質的な疑問は、前述二において詳しく述べたので、ここでは、この判示が、本件に対して先例としての価値を持つものではないことを述べよう。

まず挙げられるのは、この大法廷判決が、一九五〇年改正前の追徴税に関するものであり、当時の旧法下の追徴税はその要件に「隠蔽、仮装」を含んでおらず、むしろ現在の過少申告加算税、無申告加算税、不納付加算税に相当するものであったことである(碓井光明「重加算税賦課の構造」税理三二巻一二号二頁、一九七九)。従って、重加算税と罰金の併科という、本件で争点として主張している事柄の先例としては、もともと、適さないものであり、特に判旨中、「単に過少申告、不申告による納税義務違反の事実があれば、同条所定の已むを得ない事由のない限り、その違反の法人に対し課せられるもの」という部分は本件の争点にあてはまらないことは明白であろう。

次に、一九五八年の事案が、既に刑事判決が確定して後に、刑事判決によって認定された逋脱額相当分に対応する追徴税の賦課の取消しを求めるという、行政処分に対する取消訴訟であったことが重要である。本件のように、重過算税が科された後に、逋脱犯についての罰金刑が併科される場合は、異なる考慮が必要なはずであるからである。

なぜなら、重加算税と罰金刑の併科と言っても、後者のみが科されるというのではなく、殆どの事案については、前者だけが科され(重加算税を科された事実について、さらに罰金刑を含めた逋脱犯に問はれるのは、一%に満たない)るのであり、五八年判決のようなケースは、むしろ稀であるからである。重加算税に加えて、何故、罰金刑にされねばならないかについて、国家の法政策上の説明のみならず、被告人との関係で、実質的不利益を被らせる理由説明を、本件のような事案では行われねばならないのである。ところが、五八年判決にはそのような説明が含まれるべくもなく、重加算税に加えて、逋脱犯に対する併科の合憲性が問われた、一九七〇年九月二二日最高裁判決(刑集二四巻一〇号一三三三頁)においても、五八年判決を踏襲するのみで、この点についての説明は全く行われていないのである。

以上のような理由によって、重加算税と法人税違反の逋脱犯の併科が、刑事事件として問題となる本科のような事案において、一九五八年判決の先に述べた判示は、先例としての価値を否定されるべきであると考える。

次に、憲法論として考えなければならないのは、今日国税逋脱犯に対する刑罰と併科して、重加算税を科す必要があるかということである。言葉を換えて言うなら、今日の時点で、罰金刑と重加算税を併科することの合憲性を支える立法事実が存在しているか、が問われなければならない。なぜなら、一九五八年判決に言う、「納税義務違反の発生を防止し、以て納税の実を挙げんとする趣旨」という立法目的自体が正当だとしても、罰金刑と重加算税の併科という手段が、立法目的を達成するために、人権の見地から、真にやむをえない、必要最小限度のものであるか否かが精査されねばならないからである。一九五八年判決のように、不利益を受ける人民の側の視点を全く無視し、観念的に立法目的を定義付けるようなあり方の憲法論は、今日の学説・判例における憲法訴訟論の発展の成果に照らして、根本的に再検討されなければならない、と考えるものである。この理は、薬事法の距離制限規定の合憲が否定された、一九七五年四月三〇日大法廷判決(民集二九巻四号五七二頁)によって確認されるところである。

さて、本件で争点とされる、重加算税の罰金刑の併科の合憲性を支える立法事実の審査の見地から重要なのは、重加算税の持つ過度的性格である。以下、この点を若干、敷衍することとしたい。

もともと、加算税は、申告納税制度を担保するものとして、一九四七年四月から採用されたものであるが、一九五〇年四月のいわゆるシャウプ税制勧告によって重加算税の設置が次のような理由によって提唱されたのである。「現在詐欺事件に適用される唯一の罰則は、その適用に起訴を必要とする刑事罰である。詐欺行為は処罰することなく黙過することはできない。そこであらゆる事件に刑事訴追をなす必要から免れるため(in order to avoid the necessity of criminal prosecution in every case)民事詐欺罰(civil penel fraud)を採用することを勧告する」。この勧告に基づいて、捕税額の五〇%に対し、「課税標準の計算の起訴となるべき事実の全部または一部を隠蔽又は仮装した」場合の、旧重加算税制度が発足したのである。

しかし、罰金と重加算税が併科されることについて、二重処罰の見地からみて問題があることは、夙に意識され、その結果、税制調査会第二次答申は、次のように述べていたのである。「現行五〇%の税率は、高きに失して、かえって厳正な執行を困難にする面があるほか、実質的にみて刑罰的色彩があるとみられ、刑罰との関係上、二重処罰の疑いをもつ向きもあるので、課税率を三〇%に引き下げるものとする」(ジユリスト二五一号三九頁)。

一九六二年に制定された国税通則法においても重加算税は維持されたが、過少申告の場合は三〇%、無申告又は不納付の場合は三五%に税率が引下げられたのである。しかし、通常の過算税に加えて、行政庁が重加算税を科さなければならない理由は、答申でも十分には述べられていなかったのである。北野弘久教授が言うように、当該制度が「刑事訴追に対する国側の不徹底さを重加算税という安易な行政上の制裁によってカバーしようとする」ものである以上、シャウプ勧告や税制調査会第二次答申の時代と「比較にならないほど国民生活も安定し租税負担も総じて軽減合理化され、さらに国税犯則の査察制度も充実、強化された今日」(北野『税法学の基礎問題』三七六頁、一九七二)の状況に照らして、その合憲性を支える立法事実が存在するとは、到底考えられないのである。憲法が明文で定める「二重処罰の禁止」の合憲性を支える立法事実については、その存在を合憲を主張する側が証明しなければならないのは言うまでもなかろう。

四 以上、国税通則法上の重加算税に加えて、法人税逋脱犯に対する罰金刑を併科することの違憲性をるる述べてきたわけではあるが、法律そのものの憲法違反とは別に、本件被告人会社に、罰金九〇〇〇万円を科すことの適用違憲を、最後に述べておくこととする。

控訴審において提出された、山田二郎教授の意見書にもあるように、「本件は法人税法違反事件であるといっても、売上除外したとか、架空経費を計上したとか、仮名預金など隠匿資金が発覚したという悪質なものではなく、主に外注工事費、重機修理費、重機減価償却費の損金計上などについて税務官庁と法的見解を異にして経理処理をしたという事案であり、通常の脱税事件(逋脱犯)とは異質」であることが留意されなければならない。

重加算税と逋脱犯に対する罰金刑を併科することを、起訴率の低さから、かろうじて合憲性を支持する考え方もあるようであるが、本件被告人会社のような事件にまで、何故、罰金刑を科せねばならないのかについては、原審に何らの説明もなく、この一点だけからしても、法人税法一五九条一項の罰金刑の規定は、本件に適用される限り、違憲と言わねばならない。

なお、この併科は、直接には被告人会社のものであるが、被告人金が被告人会社の実質的オーナーであることを考えれば、被告人金への併科である。従って、本件併科の違憲性は被告人金の上告理由である。

第四点 原判決は青色申告の承認の取消による特別償却の否認によって生じた益金額について逋脱犯の成立を認めた点において、事後法による遡及処罰の禁止を定めた憲法第三九条に違反する。

一 憲法第三九条は「何人も、実行の時に適法であった行為・・・については、刑事上の責任を問はれない」と規定し、事後法による遡及処罰を禁止している。原判決は青色申告の承認の取消により被告人会社が実施した特別償却を否認することによって生じた益金について逋脱犯の成立を認めたが、これは明らかに右憲法に違反するものである。

青色申告の承認の取消益について逋脱犯の成立を認めた最判昭和四九年九月二〇日(刑集二八巻六号二九一頁)は次のように判示する。

「法人の代表者が、その法人の法人税を免れる目的で、現金売上の一部除外、簿外預金の蓄積、簿外利息の取得及び棚卸し除外などによりその帳簿書類に取引の一部を隠ぺいし又は仮装して記載するなどして、所得を過少に申告する逋脱行為は、青色申告承認の制度とは根本的に相容れないものであるから、ある事業年度の法人税額について逋脱行為をする以上、当該年度の確定申告にあたり、右承認を受けたものとして税法上の特典を享受する余地はないのであり、しかも逋脱行為の結果として後に青色申告の承認を取り消されるであろうことは行為時において当然認識できることなのである。したがって、青色申告の承認を受けた法人の代表者がある事業年度において法人税を免れるため逋脱行為をし、その後その事業年度にさかのぼってその承認を取り消された場合におけるその事業年度の逋脱税額は、青色申告の承認がないものとして計算した法人税法七四条一項二号に規定する法人税額から申告にかかる法人税額を差し引いた額であると解すべきである。」(傍線は弁護人)

しかしながら、青色申告の承認の取消処分は「所轄税務署長は、・・その承認を取り消すことができる」(法人税法一二七条本文)と規定されているとおり、税務署長の裁量行為とされている。つまり帳簿書類の不実記載等同条各号に規定する事由があれば自動的に青色申告の承認が取り消されるわけではなく、税務署長による取消処分を待ってはじめて承認取消の効果が発生するのである。したがって、「ある事業年度の法人税額について逋脱行為を」しても、必ずしも青色申告の承認が取り消されるということはできず、「後に青色申告の承認が取り消されるであろうことは行為時において当然認識できる」とはいえないのである。

また、よしんばこの最高裁判決の判示を前提としても、以下に述べるように本件とは事案を異にするから、同列に論じることはできない。

二 まず第一に、被告人会社に対する青色申告の承認の取消の理由とされたところは約一億三二〇〇万円の未払い外注工事費の計上であって、被告人会社のこのような経理処理方法は結果的に違法とされたものではあるが、いわば経理処理方法に関する見解の相違に基づくものである。これに対し、前記最高裁判決の事案は現金売上の一部除外・簿外貯金の蓄積・簿外利息の取得及び棚卸除外等の悪質かつ明白な逋脱行為である。

このように、税務法規の解釈を誤ったために法人がした確定申告が結果として違法だとされた場合においても逋脱犯が成立することは止むを得ないとしても、そのことと青色申告の承認取消により生じた益金についてまで逋脱犯が成立するのかはまったく別問題である。

前記最高裁判決も、無条件に逋脱犯の成立を認めたわけではなく、青色申告の承認の取消が「行為時において当然認識できる」から逋脱犯が成立すると判示するにすぎない。そして、同判決が挙げるような売上の一部除外等の明白かつ悪質な逋脱行為の場合においては、あるいは同判決が言うように「当然認識できる」かもしれないが、本件のごとく税法解釈に関する見解の相違、税務法規の誤解に基づく場合には、「当然認識できる」とはいえない。何故なら、被告人らは確定申告時においてはその申告が正しい申告だと信じていたのであって、後になって税務当局から税法解釈の誤りを指摘され、逋脱の責めを問われるとは思ってもみなかったからである。したがって被告人らは、その行為時において青色申告の承認が取り消されることを予測することはまったくできなかったのである。

このように行為時において予測しえなかった青色申告の承認の取消処分によって生じた益金についてまで逋脱犯が成立するとするのは、事後法による遡及処罰を禁止した憲法第三九条に違反することが明らかである。

三 次に前記最高裁判決の事案は、「ある事業年度の」逋脱行為を理由に青色申告の承認が取り消された場合に、当該事業年度の逋脱税額が問題とされた事案である。他方本件事案は被告人会社が、平成元年六月期に係る帳簿書類の不実記載を理由に、平成五年六月二一日尼崎税務署長から右事業年度にさかのぼって青色申告の承認を取り消された結果として、被告人会社が右事業年度および翌事業年度に実施した償却資産の特別償却分が逋脱犯に問擬された事案である。

ここで仮に平成元年六月期の特別償却額が右最高裁判決の射程内にあるとしても、同判決が前記のとおり「その事業年度」と限定して判示していることからも明らかなとおり、翌事業年度である平成二年六月期の特別償却はその射程外にあることは言うまでもない。そしてここで注目すべきは、被告人会社がした平成二年六月期の法人税の確定申告時においては、ちょうど一年前に提出しその後青色申告の承認の取消の対象とされた平成元年六月期の確定申告書について所轄税務署長による青色申告の承認取消処分は未だなされていなかったことである。したがって、青色申告の承認があることを前提として特別償却を実施したことは正に行為の時において適法な行為であったと言わなければならないのである。これを別の角度から見ると、税務署長は、平成元年六月期の確定申告書の提出を受けた後平成二年六月期の申告を受けるまで約一年間の期間があるのであるから、その間に同申告書を吟味して違法があれば青色申告の承認を取り消すことが十分可能であったのにもかかわらず、これを怠り、平成五年六月になってようやく被告人会社に対し青色申告の承認の取消処分をしたのである。これは税務署長の著しい職務怠慢と言わねばならず、そのような職務怠慢による不利益を逋脱犯という形で被告人らに押しつけることは到底法の許容するところではない。

さらに、ここでも承認取消の理由が想起されなければならない。被告人会社の平成元年六月期の確定申告に対し、約一年間税務当局からその税法解釈の誤りが指摘されなかったことは、被告人らに同期の確定申告が適法なものであったと確信させるに十分である。したがって平成二年六月期の確定申告に際しては、前期以上に、平成元年六月期の確定申告の違法を理由として青色申告の承認がとりけされるであろうと予測することは困難であり、そのような予測をせよというのは、事実上不可能を強いるに等しいとも言える。

このように、青色申告の承認の取消により生じた益金の額を被告人会社の平成二年六月期の逋脱金額に加算することは、いかなる点よりしても違憲だと言わねばならない。

第五点 原判決には、弁護人が第六ないし第八点において主張するような、理由不備のほか、法令適用の誤り及び量刑不当という判決に及ぼすこと明らかな法令違反がある(これは、本論点においては、刑事訴訟法四一一条に該当するとの主張ではなく、本来的・絶対的の上告理由として主張するものである。即ち、刑事訴訟法四〇五条が憲法三一、三二条に違反して無効であるとの主張を前提とするものである)。

一 憲法三二条が裁判を受ける権利を保障し、同三一条が正当な手続によらなければ刑罰を科せられないと定めるのは、刑罰を科すかどうかを審理するのにふさわしい司法手続によって、被告人の言い分を十分審理するのでなければ、刑罰を科さないとしていることを意味し、したがって、刑事手続は、国民の目から見て、常識的で、納得のできるものである必要がある。ことに、刑事手続は、そこでの判断を誤って有罪判決が下されると、人の財産のみならず、生命・身体・名誉を侵害することなるものであるから、十分に慎重な手続とされていることが憲法上も要請されているといわなければならないのである。

二 このような観点から、現行刑事訴訟法を見ると、種々の重大な欠陥を有しており、人に刑罰を科すかどうかを審理するための手続としては、かなり杜撰な法律であるといわざるをえないが、その一つの例として、上訴制度が上げられる。

このことを論証する一例として、民事訴訟法と対比してみると、控訴審については、民事訴訟法においては続審制が採られ、控訴審での主張事項に特に制限はなく、時期に遅れた攻撃防御方法(民訴法一三九条)かどうかが問題となるだけである。ところが、刑事訴訟法では、事後審査審制を採用しているため、控訴理由が制限されている(刑訴法三八四条)。即ち、基本的に、人の財産上の紛争を審理する民事訴訟よりも人に刑罰を科すかどうかを審理する刑事訴訟の方が控訴の道は狭いのである。

これだけでも、人に刑罰を科すべきか否かを審理する手続として、適切であるかどうか、既に疑問があるのに、これに加えて、上告審については、民事訴訟法は、法律審として、絶対的上告理由(民訴法三九五条)のほか、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背全般を上告理由としている(民訴法三九四条)のに対して、刑事訴訟法は、これよりはるかに狭く、憲法違反と判例違反のみを上告理由としているのに過ぎない(刑訴法四〇五条)。

三 しかし、これでは、一審判決において、誤判により有罪とされても、それを正す機会はかなり制限されており、民事訴訟より重大な利益が係わる刑事訴訟の権利救済の制度としては極めて不十分なものであるといわなければならない。しかも、先頃公布された新民事訴訟法では、最高裁の負担軽減のために、上告理由を現行の民事訴訟法よりも狭くしたが(そのこと自体問題であるが)、それでも、現行法の絶対的上告理由は、そのまま上告理由として残され、刑事訴訟法の上告制度よりは上告の道が広い制度となっている。

四 このようなことが、健全な常識に照らして、許されるとはとうてい考えられず、このような現行刑事訴訟法のかなり狭い上訴の道、特に上告制度は、少なくとも被告人側については、もはや単なる立法論の問題ではなく、立法府に許された制度制定のための裁量の範囲を超えたものとして、憲法に違反しているというべきであって、少なくとも被告人側には、現行民事訴訟法におけると同程度の上告理由は保障されていると解釈されるべきである。

五 このような観点からは、次の上告趣意第六点、第七点も、単に刑事訴訟法四一一条に基づく主張であるにとどまらず、適法な固有の上告理由とあつかわなければならないのである。

第六点 原判決には判決に影響を及ぼすべきことの明らかな理由の不備があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一 法人税法違反事件の犯則事実(罪となるべき事実)の認定では、構成要件該当事実の適正な認定が特に基本的な前提条件である。

原判決は、本件で主要な争点となっている、損金(費用)として控除計算の対象となる「外注工事費の計上可能額」について、一審判決の判示を不適切な表現であると訂正しながらも、「……『計上可能額』というのは、費用収益対応原則に基づき、丸磯建設から出資金を雑収として計上した場合に初めて外注工事費として計上することができる金額を意味しているのであるから、そのような両建計算を行っていない被告人会社の経理処理においては、右『計上可能額』を費用(経費)として計上することは認められないのは当然といわなければならない。」と判示している(判決書五丁裏ないし七行目)。しかし、ここでいう「計上可能額」の両建計算は丸磯建設の工区を含む本件JV工事の収入金額と外注工事費との両建計算をいうのであり、外注工事費と出資金との両建計算を問題としているのではない。

二 原判決は、被告人会社が外注工事費を平成元年六月期及び平成二年六月期に計上したことについて、費用収益対応原則に違反すると判示しているが(判決書五ないし六丁)、係争中の収益・損金の計上時期については納税者の選択に委されている問題であるうえに(リーディング・ケースとして、係争中の増額家賃について最判昭五三年二月二四日民集三二巻一号四三頁)、費用収益対応原則が妥当するのは、損金を構成する原価・費用・損失のうち収入金額と個別に対応している原価であり、費用については債務確定主義(法人税法二二条3項二号、四項)が適用されるべきである。外注工事費は原価でなく費用であるから、債務確定主義が適用されるべきである。

原判決が、外注工事費について、これを原価とみて費用収益対応原則を適用し、しかも被告人会社の経理処理を恣意的なものとしているのは誤りであり、原判決は破棄を免れない。

三 右のように原判決は、「計上可能額」を考慮すべきか否かについて、完全に誤った理解と前提に立った上で原審弁護人の主張を排斥しているのであり、理由不備であることは明らかである。そして、原判決が査察官調査書(第一審検第10号証)にいう「外注工事費の計上可能額」についての認定を誤っていることは、同査察官調査書が犯則事実(罪となるべき事実)の認定証拠の中核となっているので、犯則事実の認定の基本的なことに係ることであり、原判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第七点 原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の適用の誤りがあり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一 概括故意(包括的故意)と青色申告の承認の取消の予見可能性について

原判決は、法人税違反事件の故意について、「事実の所得金額より過少の所得申告をすることの認識で足り、所得を形成する個々の損金について個別的に逋脱の認識を有することは不要であると解するのが相当であるところ、被告人‥‥が‥‥概括的認識を有していたことは証拠上明らかである」旨の判示をしている(判決書一〇丁表末行ないし裏二行目)。

まず、故意を犯罪構成要件としている逋脱犯について、「概括的認識」をもって故意といえるかは改めて問題とされなければならないが、仮に「概括的認識」をもって故意といえるとしても、青色申告の承認をうけて青色申告をしている納税者にとって青色申告の承認を取消されることの予見可能性があるとはいえず、むしろ青色申告承認の取消はないということで経理処理をしているのであって、青色申告承認の取消の通知をうける迄は青色申告の承認の取消の「概括的認識」があるという推認は働かない。

さらに後日になって青色申告の承認の取消がされた場合に「概括的認識」があったものと画一的に推認してしまうものも相当ではなく、個別的に予見・認識の有無を検討することが必要である。青色申告の取消益について概括的故意を認めた最判昭和四九年九月二〇日刑集二八巻六号二九一頁は、法人税を免れる目的で現金売上の一部除外、簿外預金の蓄積、簿外利息の取得及び棚卸除外により帳簿書類に取引の一部を隠蔽または仮装するなどして所得を過少に申告したという事案であり、本件の先例となるものではない。

本件は、原審でも被告人らが詳述しているとおり、売上を隠匿したり、経費を架空計上したりしている事案ではなく、不注意により経費処理を誤ったものであるので、被告人らに概括的故意ないし故意があったという判断は法令の適用を誤っているものである。

二 被告人金の故意の有無について

原判決の事実認定のとおり、概括的認識ないし故意があったとされているのは、経理をまかされていた被告人江藤である。被告人江藤が認識していても、被告人金が指示したり、報告をうけている事実がないかぎり、被告人金に認識があったことにはならない。法人税法違反の両罰規定による個人の刑事責任は、行政責任・監督責任を問うものではなく、関係者個人に認識ないし故意があった場合のみ処罰をうけるものである。被告人金に概括的認識ないし故意があったというのは事実に基づかない判断である。処罰が濫用されるようなことがあってはならない。

第八点 原判決は、被告人金に対する第一審の実刑判決を容認した点において、刑の量定が著しく過酷であり、これを破棄しなければ正義に反する。

一 はじめに

原判決は、被告人金を実刑に処したのは量刑不当であるとの控訴趣意に対し、種々理由をあげてこれを排斥した。

第一審判決は被告人金が「前件と同様の方法で」法人税を免れたということを同被告人を実刑に処する大きな理由としていた。しかし、原判決は、この第一審判決が誤りであったことを認めた。また、その他原審弁護人が指摘した諸点について「その他所論の諸点を十分検討しても」と述べているものの、原判決は原審弁護人が指摘したうちいくつかの重要な指摘について検討したとは思えない。しかも、原審弁護人の指摘したうち原判決が検討した四点にわたる論点についての判断も、量刑の事情として本来実質的に考察すべきところを、いずれも形式的な論点からしかなされていない。

右の原判決が第一審判決の誤りを認めたところ、原判決が判断をもたらしたところおよび原判決が判断を誤ったところを正しく評価したうえ、原審までに取調べられた証拠によって認定できる情状に照らすと被告人金を実刑に処することはあまりにも過酷な量刑である。

二 原判決が検討しなかった情状

1 原判決は、原審弁護人の指摘のうち、四つの論点について、所論(一)~(四)として検討している。原審弁護人が原審で指摘したいくつもの情状事実から、原判決がどのような基準で四点に限って具体的に検討を加えたのかわからない。原判決は具体的に検討を加えた右四点の他、被告人会社が重加算税を含め逋脱にかかる税を全額納付したこと、阪神大震災による倒壊家屋の撤去を無償で行ったことや、被告人金において贖罪寄付したことなどの事情を原判決は考慮したと判示しているので、この点はおくとしても、原判決において原審弁護人が指摘した右以外の重要な情状が考慮されたとは思えない。

2 被告人の悪性格に関する事実の在否

第一審判決が被告人金を実刑に処した理由は、左の四つに大別される。

<1> 昭和六〇年に法人税法違反により執行猶予付判決を受け、更正の機会を与えられているのに反省することなく、前件と同様の方法で法人税を免れた事案である。

<2> 逋脱額は高額で、逋脱率は一〇〇パーセントである。「期ずらし」であっても侵害の程度は他の方法より軽徴とは言えず、青色申告承認取消による特別減価償却費の否認分も行為当時当然認識できていた。

<3> 本件が発覚しても否認しやすいように、江藤に明示的な指示を与えず、前件の確定記録を見せるなどしたうえ「節税せえ」などと暗示するに止めて目的を達する犯行態様は、狡猾以外のなにものでもない。

<4> 同種前科以外にも傷害、外国人登録法違反、業務上過失傷害の罰金前科が四犯ある。

原審弁護人はそのそれぞれについて第一審の判決が誤りであると主張した。

第一審判決を一読すれば分かるとおり、第一審判決が被告人金を実刑に処したのは右の<1>及び<3>の認定があったからこそと言えよう。つまり、被告人金が、前刑にも懲りず、前件と同じ方法で、しかも狡猾に江藤に脱税を指示したというのが第一審実刑判決の大きな理由であった。

そのうちの<1>については原判決も第一審判決が誤りであることを認めた。<3>についてもこれが誤りであることが分かれば、第一審判決が被告人金を実刑に処した最も大きな、悪しき情状が否定されることになる。

原審弁護人は、被告人金が江藤に対して、「明示的な指示を与えず前件の確定記録を見せるなどしたうえ『節税せえ』などと執拗に暗示するに止めていた」との第一審判決認定のような事実がないことを、具体的な証拠をあげて論証した。これに対し原判決は弁護人の主張が正しいのか否かについて明示していないものの、原審で弁護人が主張した諸点のうち、四点(所論(一)~(四)として原判決が批判しているところ)については具体的に原審弁護人の主張を検討した上で、これを排斥していることと対比すると、原判決は前記<3>が誤りであるとの原審弁護人の主張を排斥したとは思われない。

そうすると、原判決は、第一審判決が被告人を実刑とした主たる理由の二つ(被告人金の悪性格)を二つながらに認めなかったにもかかわらず、第一審判決の量刑を変更しなかったことになる。このような原判決は常識的にみて不当な量刑と言わざるを得ない。

3 資産留保の不存在

本件逋脱に際して、被告人会社、被告人金は資産を一切隠匿していない。原判決はこの点についてどう判断したのか明示していない。しかし、証拠上資産の隠匿が一切ないことは明らかであり、これに反する検察官の主張も証拠もないので、原判決も被告人らに資産留保がないことは認めざるを得ないものと思われる。資産留保がないという事実は、本件逋脱の悪質性を否定する一事由として無視しえない。ところが、原判決がこの点を正しく評価したとは思えない。

4 被告人金が実刑に処せられることによる影響

前記のとおり、被告人金は第一審判決が判示しているような狡猾な人物でない一方、同被告人が実刑に処せられると、約九〇名をこえる従業員が職を失うことになりかねない。被告人会社は被告人金のいわゆるワンマン会社であり、被告人金なくしては十分な収益をあげ得ない。約九〇名の従業員は長期勤続者が多く、被告人金が実刑になり被告人会社が倒産すると転職が困難な者が少なくない。

原判決は、この点についても何も判示していないので、どのような判断をしたのか不明であるが、前記した諸事実とともに右の点を考慮すれば、実刑判決が不当なものであることに疑いない。

三 原判決が検討した四つの論点

1 期ずらし

原判決は、「期ずらし」によって収益の多い期に多額の経費を計上してその期の税を逋脱した場合に、必ずしも翌期には収益が上がって前期にした脱税の穴が埋められるわけではなく、とくに収益の変動幅の大きい業界ないし時期においては、「期ずらし」による場合の方が他の方法による場合よりも一般的に租税債権侵害の程度が軽いとはいえないという。その上、本件では、平成元年六月期、同二年六月期に多額の収益が見込まれたことから、固定資産台帳に本件各機械の取得年月日につき虚偽の記載をしたり、購入先に対して内容虚偽の書類の作成を依頼するなどの工作をしていることなどに照らすと、右「期ずらし」による脱税が悪質でないとはいえない旨判示した。

「期ずらし」によっても他の方法による場合と同じように租税債権侵害が生じ、その程度が必ずしも軽いとは言えない、ということは、ある特定の納税期をとってみると言えるかもしれない。翌朝の利益を確実に予測することはできない。いわんや、翌期の利益が期ずらした期を下回る保障はどこにもない。例えば「期ずらし」によって翌期にその利益分を持ち越した場合に翌期の損益がマイナスにならない限り結果的に租税を支払うことになるのである。

売上除外や、架空経費の計上と根本的に違うのは右の点である。右のように、「期ずらし」とその他の純然たる所得の隠蔽とは、一期間だけをとってみると偶然同じ効果(租税債権侵害)を生ぜしめることはあっても、翌期以降に必ずその利益分が上乗せされるという点で基本的な差異がある。行為者の心理的な側面からみても、売上を除外してしまったり、架空の経費を計上したりする場合における納税義務の明らかな無視と、期ずらしにおける、納税義務そのものを前提として尊重しなら、いわば恣意的に納税期間を捉えることの違いは非常に大きい。

また、原判決は、減価償却費の期ずらしのために固定資産税に虚偽の記載等をしたことに照らすと、期ずらしによる脱税が悪質でないとは言えないと判示している。「虚偽の記載」などは、それ自体として悪質であることを否定し難い。だが、問題の本質は、前記のような、期ずらしと、利益の隠蔽の根本的な違いにある。

原判決は、このような情状を不当に評価している。

2 青色申告の承認の取消

原判決は、青色申告制度は、正確な基調を奨励するために設けられたものであるところ、被告人会社は、帳簿書類に虚偽の記載をして法人税を逋脱した結果、青色申告の承認を取り消されたものであり、その行為は、青色申告制度と根本的に相容れず、脱税行為をする以上、青色申告の承認を受けた者の税法上の特典を享受する余地はなく、逋脱税額のうち右承認取消による部分をほかの部分と特に別異に扱う必要はない旨判示する。

青色申告の承認の取消に関する原判決が憲法三九条に違反することについては前述した。いまこの点を措くとしても、原判決が右のように判示するところは、原審弁護人が指摘することと噛み合っていない。脱税行為をする以上青色申告の特典を享受する余地はない、とするところを一応(一応というのは、青色申告承認の取消は必要的でないからである)認めるとしても、そのことと取消の結果、逋脱したとされる税額と、それ以外の逋脱税とを区別して考えることができるかどうかは別の問題である。それら二つをいずれも逋脱税額に算入するという意味では「別異に扱う必要はない」だろう。しかし、弁護人がここで問題としているのは、犯罪の成否(逋脱の成否)ではなく情状として見る時に両者に違いはあるかということである。積極的に逋脱した場合と、逋脱行為によるものではなく特典を受ける資格を失ったために逋脱したとされる場合との間に異なった性質があるのは明確である。

したがって、逋脱額の中に青色申告の承認の取消によるものがいくらあるかは量刑上無視できない。本件では、全体に占めるその割合は非常に大きい(平成元年六月期で約五六パーセント、同二年六月期で約三〇パーセント)ので、この点を量刑上考慮しないのは、著しく不相当である。

3 減価償却費の修正

原判決は、法人税法三一条一項によれば、損金の額に算入する減価償却費の額は、当該事業年度においてその償却費として損金経理をした金額が前提となっているところ、A機械については、平成元年六月期に否認された減価償却費を計上したことを受けて、翌期において、右減価償却後の価額を前提にした金額について償却費として損金経理をしているのであるから、平成二年六月期において、右損金経理の金額をこえる金額をA機械の減価償却費として計上することはできないといわざるをえず、青色申告の承認の取消によって否認された平成元年六月期の減価償却超過額についても同様である、という。

原判決は、現に行われた税務処理を動かし難いものとして計算上こうなるとしているにすぎない。しかし、実質的な逋脱額を算出するには、否認された期の翌期の計算は否認を前提して計算しなおすべきである。そうしないと、計算上資産の過大表示、費用の過少表示となってしまう。

本件で平成元年六月期の減価償却費の計上が否認されているので、平成二年六月期の期首簿価を修正して計算すると二台合計で一一三八万八三〇一円の減価償却費が増加する(原審第三回江藤28~31丁)。そうすると同期利益金額は同額減少し、それに応じて逋脱税額も減少する。

このこともまだ、少なくとも量刑上当然考慮されるべきであるのに、原判決はこれを全く考慮していないのである。

4 平成三年六月期の納税

原判決は売上げに受け入れるべきものは受入れるように指導ないし勧告されていたものであるから、被告人会社が、平成三年六月期の確定申告において、それまで未払金に計上していた三億九〇〇〇万円余を完成工事高として売上に計上したからといって、被告人会社がこれを自発的にしたものであるとはにわかに考えられないと判示している。

右の判断は、原判決の予断をよくあらわしている。まず、被告人会社が三億九〇〇〇万円余の売上への計上について指導ないし勧告されていたとの証拠はない。原審における証拠調べの結果により一層明白になったように、伊敷ニュータウンのJV精算に関する話し合いは平成二年七月に結着した。江藤の経理処理が会計処理上正しいものかどうかは別として、少なくとも江藤の理解とそれまでの経理処理によれば丸磯建設との間で平成三年六月期にJV清算の話し合いが結着をみたのであるから、それまで未払金として計上していた金額を完成工事高として売上に計上することは全く自然なことである。この申告が自発的に行われたものであり、指導や勧告によるものでないことは、のちに右申告について国税局から更に正請求するようにとの指導がなされていることからも明白である。

四 なお、上告理由第三点に述べた、被告人会社に対する租税逋脱犯としての刑罰と、重加算税の二重の実質的不利益は、形式的には被告人会社に対するものではあるが、実質的には、被告人金への不利益であることを考えあわせると、被告人金の量刑においても、この点の不当を考慮しなければならないと考えられる。

原判決は、「被告人会社に罰金九〇〇〇万円、被告人山下に懲役一年六月(実刑)、被告人江藤に懲役一年二月、執行猶予三月」を処している。

法人税の逋脱については行政罰として重加算税という極めて重いペナルティが科されており、その加罰要件は逋脱犯とおおかた同じである。形式論では、重加算税は行政罰であり二重処罰の禁止(憲法三九条)に抵触しないといわれているが(最判三三・四・三〇民集一二・六・九三六)、日本の重加算税は世界でも例のないような極めて重いペナルティであり、実務でも併科されることは極めて稀なことになっているが、併科がされるときは、明らかに実質的には憲法三九条が禁止している二重処罰の禁止に該当することは明らかである。

二重処罰の禁止に該当するかどうかは、重加算税の非常に重い内容を直視して実質的な判断が必要である。ちなみに被告人会社は、平成元年六月期には、本税二億一九二九万六五〇〇円、過少申告加算税一二一八万五〇〇〇円、重加算税二七三三万八五〇〇円、延滞税三四三三万八六〇〇円を、平成二年六月期には、本税三億四七六五万九八〇〇円、重加算税一億一一四万三〇〇〇円、延滞税八三四七万六九〇〇円が課されている。

五 小結

以上のように、原判決は一審判決の誤りの一部を認めた(前件と同じ方法か)。その誤りそれだけでも、被告人金に対する実刑判決に疑問が生じるはずであった。右に加えて、原判決がその判文上明白に述べていないけれども、被告人金に関する原判決の重大な誤り(被告人金の狡猾さなるもの)をも認めた。この二つだけでも第一審の実刑判決は破棄されるべきであった。さらに、原判決が十分検討しなかったと思われる重要な情状が認められる(資産留保の不存在、実刑の影響)。のみならず、原判決が論じた四点についても原判決の判断は正しくなく、更に、二重処罰となることの問題点も考えるなら、それらはいずれも量刑の事由として無視しえないものである。

これらのことからすると、被告人金を実刑に処することは余りに過酷で著しく正義に反する量刑と言わねばならない。

平成八年(あ)第一〇九〇号

上告趣意書の誤字・脱字の訂正

法人税法違反 被告人 株式会社大産建設

同 山下正一こと

金基徳

右の者に対する頭書被告事件について、弁護人らは上告趣意書中の誤字・脱字を次のとおり訂正する。

一九九七年二月二七日

右弁護人 後藤貞人

同 華学昭博

同 遠藤比呂通

最高等裁判所第三小法廷 御中

(誤) (正)

表紙裏一行目 最高等裁判所 → 最高裁判所

13頁最終行 重過算税 → 重加算税

17頁8行目 過算税 → 加算税

42頁1行目 固定資産税 → 固定資産台帳

平成八年(あ)第一〇九〇号

上告趣意補充書

被告人 株式会社大産建設

同 山下正一こと

金基徳

右被告人対する法人税法違反被告事件につき、弁護人らは以下のとおり上告理由を補充する。

平成九年八月二五日

右弁護人 後藤貞人

同 華学昭博

同 遠藤比呂通

最高等裁判所第三小法廷 御中

一 はじめに

弁護人は上告趣意書第四点、第七点および第八点(三項2)において、青色申告承認の取消による益金額につきほ脱犯が成立するとし、かつこれによるほ脱額と他の原因によるほ脱額とを量刑上区分することなく画一的に取扱う原判決の誤りを指摘した。ところが、その後の調査により、新たに青色申告承認取消益に関する原判決の判断に重大な法令違反がある事実が判明した。これは償却資産の減価償却のうち租税特別措置法に基づく特別償却に関する問題であって、詳細は以下に補充するとおりである。よしんば、一般論として青色申告承認取消益についてもほ脱犯が成立するとの立場に立つとしても、本上告趣意補充書で述べる点を看過した原判決には、判決に影響を及ぼすべきことが明らかな法令違反があるのみならず、このことは被告人両名に対する量刑判断にも大きな影響をもたらすものである。そしてこの点を考慮に入れれば、原判決の刑の量定が甚だしく不当であり、原判決は、いずれの点よりしてもこれを破棄しなければ著しく正義に反することが明らかである。

二 青色申告法人の特別償却費の計上について

原判決は被告人会社が平成元年六月期及び同二年六月期にした償却資産の減価償却のうち三〇%の特別償却分の全部が青色申告承認の取消処分の結果違法となったとして、これをほ脱金額にあたると認定した。これは被告人会社がした特別償却の対象資産の全てについて、青色申告法人に右特別償却が認められていることを当然の前提としている。しかし右前提は誤りなのである。つまり右償却資産中ダンプトラックおよびモータースクレーパー(以下ダンプトラック等という)については、そもそも右三〇%の特別償却が認められる法律上の根拠がないのである。これを敷衍すれば以下のとおりである。

青色申告法人に普通償却に加えて三〇%の特別償却を認める法律上の根拠は、租税特別措置法(以下措置法という)第四二条の五第一項、同法第四二条の六第一項および同法第四二条の七第一項の三ヵ条のみであり、本件ダンプトラック等は、このいずれの規定にも該当しない。まず措置法四二条の五第一項は、たとえばエネルギー資源の効率的利用に著しく寄与する設備等の経済社会エネルギー基盤強化設備に関するものであり、本件ダンプトラック等は同項各号に掲げるいずれの償却資産にも該当しない。つぎに同法四二条の六第一項は電子機器利用設備に関するものであり、本件ダンプトラック等はこれにも該らない。また同法四二条の七第一項は、特定中小企業者事業転換等臨時措置法に規定する特定中小企業者、下請中小企業振興法に規定する下請事業者および政令で指定する事業を営む卸売業者・小売業者・サービス業者に関するものであり、被告人会社はここに定めるいずれの事業者にも該当しない。

してみると、本件ダンプトラックについては青色申告承認の有無に拘らず、特別償却費を損金の額に計上することができなかったことに帰着する。

被告人会社が特別償却費を計上したダンプトラックは、平成元年六月期が二台、特別償却額は合計金二七六〇万円であり、平成二年六月期が六台、特別償却額は合計金一億五二〇一万円である。またモタースクレーバーについては平成元年六月期に一台(六五七E-九〇一六)につき金五四〇〇万円の特別償却費を計上した。これらのうち平成元年六月期の二台および平成二年六月期の六台中三台のダンプトラックについては、各事業年度中に事業の用に供していないとして、普通償却を含め各事業年度における減価償却自体が否認されていた。従って青色申告承認取消益として、ほ脱金額と認定されたのは平成元年六月期のモータースクレーパーにかかる金五四〇〇万円および平成二年六月期の残るダンプトラック三台分(HD七八五-九〇一~九〇三)金六五一六万円である。しかしこの合計金一億一九一六万円については、前述のとおり青色申告法人であると否とを問わず、元来特別償却費の計上が許されていないのである。そうだとすれば右特別償却にかかる金額は、青色申告承認取消益として法人税のほ脱罪に問擬すべきものではなかったということになる。

三 特別償却費の計上とほ脱犯の不成立について

そうだとしても、右金一億一九一六万円については違法な特別償却費を損金計上することにより所得金額を過少に申告してこれに対応する法人税を免れたのだから、結局はほ脱罪に該当するのではないかとの疑義を抱かれるかもしれない。しかしながら本件ダンプトラック等が特別償却の対象となるか否かを的確に判断することは、第一審・第二審判決はもとより、税務の専門家である所轄の尼崎税務署の担当者や国税当局の査察担当官さえ何らの疑問を差しはさむことすらなくこの点を見落としている事実からしても明らかなとおり、容易なことではない。まして専門家以外の者には極めて困難なことだといわねばならない。被告人金および江藤においてもしかりであって、両名とも本件ダンプトラック等が租税特別措置法に定める特別償却できるものだと確信していたのである。被告人金らがこのことを知ったのは、ごく最近のことである。すなわち被告人会社の平成九年六月期の決算に際し、被告人会社につき再度青色申告の承認がなされたことから、税理士が綿密な調査をした結果右の事実が判明した旨を指摘されて、はじめてこれを知ったのである。

このように、特別償却が可能な償却資産に該当するか否かの判断が極めて困難であるうえ、被告人金らにおいても、これが可能であると確信していた以上、本件ダンプトラック等につき特別償却費を損金に計上したことについては、そもそも「偽りその他不正の行為により」との法人税法違反の罪の構成要件該当性を欠くというべきであり、少なくとも、ほ脱の故意がないものといわねばならない。したがって、特別償却費の計上はそれが違法であったとしても、法人税法違反の罪は成立しない。

四 まとめ

以上のとおり、被告人会社が特別償却費として計上した損金のうち平成元年六月期の金五四〇〇万円及び平成二年六月期の金六五一六万円については、これを青色申告承認取消による益金とすることはできず、この範囲でほ脱罪は成立しなかったと考えられるのである。

平成八年(あ)第一〇九〇号

上告趣意補充書(二)

被告人 株式会社大産建設

同 山下正一こと

金基徳

右被告人対する法人税法違反被告事件につき、弁護人らは以下のとおり上告理由を補充する。

平成九年一二月一一日

右弁護人 後藤貞人

同 華学昭博

同 遠藤比呂通

最高等裁判所第三小法廷 御中

一 本補充書提出の趣旨

弁護人は上告趣意書第四点、第七点および第八点(三項一)において、青色申告承認の取消しによる益金額につきほ脱犯が成立するとした原判決の問題点を指摘し、さらに平成八年八月二五日付上告趣意補充書において被告人会社が計上した租税特別措置法に基づく特別償却費の問題点につき詳述した。

その後、専門家である税理士の調査により、右の点に関連してさらに原判決に多大の疑問点があることが判明した。詳細は本補充書添付の鬼頭税理士作成にかかる意見書に譲ることとするが、上告趣意書第七点で指摘した概括的故意の問題点(非専門家である被告人金が高度な税法知識を有すると擬制することがきわめて非現実的であり、そのためにこそ専門家である税理士がついていること)、上告趣意書第八点二項2に関連して節税と脱税を明確に区別すべきであるとの指摘、さらに上告趣意書第八点三項3に関連して原判決および国税当局が一部の機械につき本来の法定償却期間が四年であるのに、この期間を五年と誤解していたことを含め、本意見書には傾聴に値する見解が随所に述べられている。

これを一読すれば、原判決をそのまま維持することの不当性がさらに明白になるものと確信されるので、右意見書を添付して本補充書を提出するものである。

添付書類

一 鬼頭税理士作成の「意見書」

平成八年(あ)第一〇九〇号

上告趣意書

被告人 江藤武次

右被告人対する頭書法人税法違反被告事件について、上告の趣意は左記の通りである。

平成九年二月二五日

右弁護人 清水正憲

最高等裁判所第三小法廷 御中

目次

第一点 憲法三一条違反(証明責任分配の誤り)

第二点 憲法三一条違反(罪刑法定主義違反)

第三点 憲法三九条違反(遡及処罰禁止違反)

第四点 法令違背(刑訴砲四〇五上違憲論等)

第五点 理由不備(「計上可能額」に関する認定の問題)

第六点 法令適用の誤り(青色申告承認取消しと概括的故意の問題)

第一点 原判決は、刑事訴訟における証明責任の分配を誤っており、これは、憲法三一条に違反する。

一 犯罪事実については検察官が証明責任を負い、合理的な疑いを容れない程度にまで犯罪事実の存在について証明されなければ被告人は処罰されないことは、近代人権宣言の大原則であり(世界人権宣言一一条)、日本国憲法も三一条においてこれを保障している(平野・刑事訴訟法一八七頁)。また、判例(最決昭和五〇年五月二〇日刑集二九巻五号一七七頁)も、これが刑事裁判における「鉄則」であることを認めている。

ところが、原判決は、こともあろうに、二か所において、このような刑事訴訟における証明責任の分配を誤っており、憲法三一条に違反することは明らかである。

二 原判決が、「減価償却の対象となる固定資産は、事業の用に供されていることが要件とされている」とする(判決書一〇丁表ないし六行目)のは、明らかに証明責任の分配を誤っている。

原判決指摘の法人税法施行令一三条は、「事業の用に供していないもの・・・を除く」としているのであって、減価償却資産とされるためには、事業の用に供されていることが積極的な要件とされているのでは決してない。逋脱犯との関係でいえば、減価償却費が「架空である」即ち存在しないというためには、検察官が、当該資産が「事業の用に供されていないこと」を証明しなければならないのである。したがって、原判決の右判示自体が既に証明責任の分配を誤った違法なものである。

そのうえ、原判決は、<1>引渡しがなければ事業の用に供したとはいえないとし、<2>「翌期に引き渡されてたものであることが証拠上明らか」としているが、右の述べたように、そもそも、右<1>の命題自体が「事業の用に供したといえるか」という点に関心を向けていて不当である(ここで重要なのは、「事業の用に供していないといえるか」のはずである)だけでなく、仮に、右<1>の命題を、証明責任の正しい分配に則して、「引渡しのないことが証明されれば、事業の用に供していないことが証明されたことになる」との意味であると解釈しても、本件においては、いつでも相被告人株式会社大産建設(以下「被告人会社」という)に現実の引渡しが可能な状態にあったことや既に当期中にインストールという補強作業や被告人会社の名前を入れる作業に掛かっていたことを考えれば、規範的な意味での「引渡し」がなかったというにはなお強い疑いが残り、「事業の用に供していない」ことについて、検察官の証明責任は尽くされていないというべきである。にもかかわらず、原判決が検察官の主張を容れたのは、結局、この点について被告人に証明責任を負わせたのと同様であって、原判決は、この意味でも憲法三一条に違反している。

三 原判決が、雑損失六〇五四万〇六三六円が存在しないとした一審判決を維持したのも、刑事訴訟における証明責任の分配を誤るかそれと同様の誤りを犯したものである。原判決は、その判決書一三丁において、尼崎税務署長が更正通知書において平成三年六月期の所得から六〇五四万〇六三六円の減額を許容したことを認めながら、「同税務署長が何故右のような処理をしたのか不明であ」り(同丁表後から一ないし二行目)、「数額が同じというだけで実質的には関連性がない」として(同丁裏一行目)、この雑損失が架空であるとの一審判決の判断になんらの影響も及ぼさないとしている。しかし、平成二年六月期において架空であるとされた雑損失と全く同じ金額(八桁の金額で一円の位まで同一であり、偶然というのは、余りにも確率の低い出来事である)が、今度は、所得が減る方向で、税務署に認容されているということは、実質的に前の課税(即ち、損金たる雑損失の否認)を撤回したに等しいことであり、この点から考えても、平成二年六月期の雑損失が架空であるとの検察官主張は、合理的な疑いを容れるに十分であるといわなければならない。にもかかわらず、原判決が前記雑損失が架空であるとの検察官主張を容れたのは、この点についての証明責任の分配を誤ったか、あるいは、合理的疑いのある検察官主張をも立証が尽くされているものとしたために、その事項につき被告人に証明責任を負わせた結果となっているのであって、いずれにしても、憲法三一条に違反すること明らかである。

第二点 原判決には、刑罰の構成要件の明確性の原則に違反したという意味において、憲法三一条違反がある。

原判決は、法人税法施行令一三条に関し、「事業の用に供されたというためには、少なくとも、その引渡しが必要である」としている(一〇丁表七ないし九行目)。この説示が、「事業の用に供されたといえるか」を問題にしている点で、既に、憲法三一条違反であることは、上告趣意第一点において主張したが、それを別にしても、右のように解しなければならない合理的な理由は全くなく、結局、原判決は、法人税法違反の構成要件事実を、刑罰法令の文言に何の根拠もない形で不当に拡大解釈するものであって、刑罰法令の構成要件の明確性を要請する憲法三一条に違反するものである。

即ち、憲法三一条は、刑罰法規が法律で定められなければならないことを定めるとともに、刑罰実体法令の内容の適正をも規定するものであるが、その中でも、犯罪構成要件の明確性(これには法律の文言自体の明確性の要請と刑事法令の拡大解釈の禁止とが含まれる)は、特に重要なものとしてデュー・プロセスの中核をなすものである。刑罰法規の保護法益自体に問題がある場合(たとえば、思想統制)はもちろん、保護法益に正当性が認められる場合であっても、刑罰抑制の見地から、犯罪構成要件の範囲は、必要最低限に規定され、また、そのように解釈されなければならないのである。したがって、原判決の右のような拡大解釈は、明らかに、憲法三一条に違反するものである。

第三点 原判決は青色申告承認の取消しによる特別償却の否認によって生じた益金額について逋脱犯の成立を認めた点において、事後法による遡及処罰の禁止を定めた憲法第三九条に違反する。

一 憲法第三九条は「何人も、実行の時に適法であった行為・・・については、刑事上の責任を問はれない」と規定し、事後法による遡及処罰を禁止している。原判決は、青色申告承認の取消しにより被告人会社が実施した特別償却を否認することによって生じた益金について逋脱犯の成立を認めたが、これは明らかに憲法の右条項に違反するものである。

青色申告承認取消益について逋脱犯の成立を認めた最判昭和四九年九月二〇日刑集二八巻六号二九一頁は、次のように判示する。

「法人の代表者が、その法人の法人税を免れる目的で、現金売上の一部除外、簿外預金の蓄積、簿外利息の取得及び棚卸し除外などによりその帳簿書類に取引の一部を隠ぺいし又は仮装して記載するなどして、所得を過少に申告する逋脱行為は、青色申告承認の制度とは根本的に相容れないものであるから、ある事業年度の法人税額について逋脱行為をする以上、当該年度の確定申告にあたり、右承認を受けたものとして税法上の特典を享受する余地はないのであり、しかも逋脱行為の結果として後に青色申告の承認を取り消されるであろうことは行為時において当然認識できることなのである。したがって、青色申告の承認を受けた法人の代表者がある事業年度において法人税を免れるために逋脱行為をし、その後その事業年度にさかのぼってその承認を取り消された場合におけるその事業年度の逋脱税額は、青色申告の承認がないものとして計算した法人税法七四条一項二号に規定する法人税額から申告にかかる法人税額を差し引いた額であると解すべきである。」(傍線は弁護人)

しかしながら、青色申告承認の取消処分は、「所轄税務署長は、・・その承認を取り消すことができる」(法人税法一二七条第一文)と規定されているとおり、税務署長の裁量行為とされている。つまり帳簿書類の不実記載等同条各号に規定する事由があれば自動的に青色申告の承認が取り消されるわけではなく、税務署長による取消処分を待ってはじめて青色申告承認取消しの効果が発生するのである。したがって、「ある事業年度の法人税額について逋脱行為を」しても、必ずしも青色申告の承認が取り消されるということはできず、「後に青色申告の承認が取り消されるであろうことは行為時において当然認識できる」とはいえないのである。

また、よしんばこの最高裁判決の判示を前提としても、以下に述べるように、本件は事案を異にするから、同列に論じることはできない。

二 まず第一に、被告人会社に対する青色申告承認の取消しの理由とされたところは約一億三二〇〇万円の未払い外注工事費の計上であって、被告人会社のこのような経理処理方法は結果的に違法とされたものではあるが、いわば経理処理方法に関する見解の相違に基づくものである。これに対し、前記最高裁判決の事案は現金売上の一部除外・簿外貯金の蓄積・簿外利息の取得及び棚卸除外等の悪質かつ明白な逋脱行為である。

このように、税務法規の解釈を誤ったために法人がした確定申告が結果として違法とされた場合においても逋脱犯が成立することはやむを得ないとしても、そのことと青色申告承認取消しにより生じた益金についてまで逋脱犯が成立するのかはまったく別問題である。

前記最高裁判決も、無条件に逋脱犯の成立を認めたわけではなく、青色申告承認の取消しが「行為時において当然認識できる」から逋脱犯が成立すると判示するにすぎないのである。そして、同判決が挙げるような売上げの一部除外等の明白かつ悪質な逋脱行為の場合においては、あるいは同判決が言うように「当然認識できる」かもしれないが、本件のごとく税法解釈に関する見解の相違、税務法規の誤解に基づく場合には、「当然認識できる」とはいえない。なぜなら、被告人は、確定申告ときにおいてはその申告が正しい申告だと信じていたのであって、後になって税務当局から税法解釈の誤りを指摘され、逋脱の責を問われるとは思ってもみなかったからである。したがって被告人は、その行為時において青色申告の承認が取り消されることを予測することは全くできなかったのである。

このように、行為時において予測し得なかった青色申告承認の取消処分によって生じた益金についてまで逋脱犯が成立するとするのは、事後法による遡及処罰を禁止した憲法第三九条に違反することが明らかである。

三 次に、前記最高裁判決の事案は、「ある事業年度の」逋脱行為を理由に青色申告の承認が取り消された場合に、当該事業年度の逋脱税額が問題とされた事案である。他方、本件事案は、被告人会社が平成元年六月期に係る帳簿書類の不実記載を理由に平成五年六月二一日尼崎税務署長から右事業年度にさかのぼって青色申告の承認を取り消された結果として、被告人会社が右事業年度および翌事業年度に実施した償却資産の特別償却分が逋脱犯に問擬された事案である。

したがって、仮に、平成元年六月期の特別償却額が右最高裁判決の射程内にあるとしても、同判決が前記のとおり「その事業年度」と限定して判示していることからも明らかなとおり、翌事業年度である平成二年六月期の特別償却はその射程外にあることはいうまでもない。そして、ここで注目すべきは、被告人会社がした平成二年六月期の法人税の確定申告時においては、丁度一年前に提出しその後青色申告承認の取消しの対象とされた平成元年六月期の確定申告書について所轄税務署長による青色申告承認取消処分は未だなされていなかったことである。したがって、青色申告の承認があることを前提として特別償却を実施したことは正に行為の時において適法な行為であったといわなければならないのである。これを別の角度から見ると、税務署長は、平成元年六月期の確定申告書の提出を受けた後平成二年六月期の申告を受けるまで約一年間の期間があるのであるから、その間に同申告書を吟味して彙報があれば青色申告の承認を取り消すことも十分可能であったにもかかわらず、これを怠り、平成五年六月になってようやく被告人会社に対し青色申告承認取消処分をしたのである。これは税務署長の著しい職務怠慢といわねばならず、そのような職務怠慢による不利益を逋脱犯という形で被告人に押しつけることは到底法の許容するところではない。

さらに、ここでも青色申告承認取消しの理由が想起されなければならない。被告人会社の平成元年六月期の確定申告に対して約一年間税務当局からその税法解釈の誤りが指摘されなかったことは、被告人に同期の確定申告が適法なものであったと確信させるに十分である。したがって平成二年六月期の確定申告に際しては、前期以上に、平成元年六月期の確定申告の違法を理由として青色申告の承認が取消されるであろうと予測することは困難であり、そのような予測をせよというのは、事実上不可能を強いるに等しいともいえる。

このように、青色申告承認の取消しにより生じた益金の額を被告人会社の平成二年六月期の逋脱金額に加算することは、いかなる点からしても違憲であるといわなければならない。

第四点 原判決には、弁護人が第五、第六点において主張するような理由不備及び判決に影響を及ぼすこと明らかな法令適用の誤りがある(これは、本論点においては、刑事訴訟法四一一条に該当するとの主張ではなく、本来的・絶対的な上告理由として主張するものである。即ち、刑事訴訟法四〇五条が刑事訴訟法三一、三二条に違反して無効であるとの主張を前提とするものである)。

一 憲法三二条が裁判を受ける権利を保障し、同三一条が正当な手続によらなければ刑罰を科せられないと定めるのは、刑罰を科すかどうかを審理するのにふさわしい司法手続によって、被告人の言い分を十分審理するのでなければ、刑罰を科さないとしていることを意味し、したがって、刑事手続は、国民の目から見て、常識的で、納得のできるものである必要がある。ことに、刑事手続は、そこでの判断を誤って有罪判決が下されると、人の財産のみならず、生命・身体・名誉を侵害することになるものであるから、十分に慎重な手続とされていることが憲法上も要請されているといわなければならないのである。

二 このような観点から、現行刑事訴訟法を見ると、種々の重大な欠陥を有しており、人に刑罰を科すかどうかを審理するための手続としては、かなり杜撰な法律であるといわざるをえないが、その一つの例として、上訴制度が挙げられる。

このことを論証する一例として、民事訴訟法と対比してみると、控訴審については、民事訴訟法においては続審制が採られ、控訴審での主張事項に特に制限はなく、時期に遅れた攻撃防御方法(民訴法一三九条)かどうかが問題となるだけである。ところが、刑事訴訟法では、事後審査審制を採用しているため、控訴理由が制限されている(刑訴法三八四条)。即ち、基本的に、人の財産上の紛争を審理する民事訴訟よりも人に刑罰を科すかどうかを審理する刑事訴訟の方が控訴の道は狭いのである。

これだけも、人に刑罰を科すべきか否かを審理する手続として、適切であるかどうか既に疑問があるのに、これに加えて、上告審については、民事訴訟法は、法律審として、絶対的上告理由(民訴法三九五条)のほか、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背全般を上告理由としている(民訴法三九四条)のに対して、刑事訴訟法は、これよりはるかに狭く、憲法違反と判例違反のみを上告理由としているに過ぎない(刑訴法四〇五条)。

三 しかし、これでは、一審判決において、誤判により有罪とされても、それを正す機会はかなり制限されており、民事訴訟より重大な利益が係わる刑事訴訟の権利救済の制度としては極めて不十分なものであるといわなければならない。しかも、先頃公布された新民事訴訟法では、最高裁の負担軽減のために、上告理由を現行の民事訴訟法よりも狭くしたが(そのこと自体問題であるが)、それでも、現行法の絶対的上告理由は、そのまま上告理由として残され、刑事訴訟法の上告制度よりは上告の道が広い制度となっている。

四 このようなことが、健全な常識に照らして、許されるとはとうてい考えられず、このような現行刑事訴訟法のかなり狭い上訴の道、特に上告制度は、少なくとも被告人側については、もはや単なる立法論の問題ではなく、立法府に許された制度制定のための裁量の範囲を超えたものとして、憲法に違反しているというべきであって、少なくとも被告人側には、現行民事訴訟法におけると同程度の上告理由は保障されていると解釈されるべきである。

五 このような観点からは、次の上告趣意第五点、第六点も、単に刑事訴訟法四一一条に基づく主張であるにとどまらず、適法な固有の上告理由とあつかわなければならないのである。

第五点 原判決には判決に影響を及ぼすべきことの明らかな理由の不備があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一 法人税法違反事件の犯則事実(罪となるべき事実)の認定では、構成要件該当事実の適正な認定が特に基本的な前提条件である。

原判決は、本件で主要な争点となっている、損金(費用)として控除計算の対象となる「外注工事費の計上可能額」について、一審判決の判示を不適切な表現であると訂正しながらも、「……『計上可能額』というのは、費用収益対応原則に基づき、丸磯建設から出資金を雑収として計上した場合に初めて外注工事費として計上することができる金額を意味しているのであるから、そのような両建計算を行っていない被告人会社の経理処理においては、右『計上可能額』を費用(経費)として計上することは認められないのは当然といわなければならない。」と判示している(判決書五丁裏ないし七行目)。しかし、ここでいう「計上可能額」の両建計算は丸磯建設の工区を含む本件JV工事の収入金額と外注工事費との両建計算をいうのであり、外注工事費と出資金との両建計算を問題としているのではない。

二 原判決は、被告人会社が外注工事費を平成元年六月期及び平成二年六月期に計上したことについて、費用収益対応原則に違反すると判示しているが(判決書五ないし六丁)、係争中の収益・損金の計上時期については納税者の選択に委されている問題であるうえに(リーディング・ケースとして、係争中の増額家賃について最判昭五三年二月二四日民集三二巻一号四三頁)、費用収益対応原則が妥当するのは、損金を構成する原価・費用・損失のうち収入金額と個別に対応している原価であり、費用については債務確定主義(法人税法二二条三項二号、四項)が適用されるのでである。外注工事費は原価でなく費用であるから、債務確定主義が適用されるべきである。原判決が、外注工事費について、これを原価とみて費用収益対応原則を適用し、しかも被告人会社の経理処理を恣意的なものとしているのは誤りであり、原判決は破棄を免れない。

三 右のように原判決は、「計上可能額」を考慮すべきか否かについて、完全に誤った理解と前提に立った上で原審弁護人の主張を排斥しているのであり、理由不備であることは明らかである。そして、原判決が査察官調査書(第一審検第一〇号証)にいう「外注工事費の計上可能額」についての認定を誤っていることは、同査察官調査書が犯則事実(罪となるべき事実)の認定証拠の中核となっているので、犯則事実の認定の基本的なことに係ることであり、原判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第六点 原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の適用の誤りがあり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一 概括故意(包括的故意)と青色申告の承認の取消の予見可能性について

原判決は、法人税違反事件の故意について、「事実の所得金額より過少の所得申告をすることの認識で足り、所得を形成する個々の損金について個別的に逋脱の認識を有することは不要であると解するのが相当であるところ、被告人・・・が・・・概括的認識を有していたことは証拠上明らかである」旨の判示をしている(判決書一〇丁表末行ないし裏三行目)。

まず、故意を犯罪構成要件としている逋脱犯について、「概括的認識」をもって故意といえるかは改めて問題とされなければならないが、仮に「概括的認識」をもって故意といえるとしても、青色申告の承認をうけて青色申告をしている納税者にとって青色申告承認取消しの予見可能性があるとはいえず、むしろ青色申告承認の取消しはないということで経理処理をしているのであって、青色申告承認の取消しの通知をうけるまでは青色申告承認取消しの「概括的認識」があるという推認は働かない。

さらに後日になって青色申告承認取消しがされた場合に「概括的認識」があったものと画一的に推認してしまうものも相当ではなく、個別的に予見・認識の有無を検討することが必要である。青色申告承認取消益について概括的故意認めた最判昭和四九年九月二〇日刑集二八巻六号二九一頁は、法人税を免れる目的で現金売上の一部除外、簿外預金の蓄積、簿外利息の取得及び棚卸除外により帳簿書類に取引の一部を隠蔽または仮装するなどして所得を過少に申告したという事案であり、本件の先例となるものではない。

本件は、原審でも被告人が詳述しているとおり、売上を隠匿したり、経費を架空計上したりしている事案ではなく、不注意により経費処理を誤ったものであるので、被告人に概括的故意ないし故意があったという判断は、法令の適用を誤っているものである。

(以上)

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