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最高裁判所第三小法廷 平成8年(行ツ)267号 判決 1999年2月09日

東京都港区浜松町二丁目三番二六号

上告人

日東工業株式会社

右代表者代表取締役

稲目健

静岡県三島市松本一九七番地の八

上告人

穂高工業株式会社

右代表者代表取締役

高橋健治

右両名訴訟代理人弁理士

大條正義

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 伊佐山建志

右当事者間の東京高等裁判所平成五年(行ケ)第一二四号審決取消請求事件について、同裁判所が平成八年九月一〇日に言い渡した判決に対し、上告人らから上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人大條正義の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 元原利文 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 金谷利廣)

(平成八年(行ツ)第二六七号 上告人 日東工業株式会社 外一名)

上告代理人大條正義の上告理由

目次

第一 用語の意義……1

第二 甲2号証及び甲20号証の発明考案の要旨……4

(一)甲2号証の考案の要旨……4

(二)甲20号証の発明の要旨……4

第三 本事案における審決の要点……5

第四 発明の要旨の認定に関する最高裁判決の判示……6

第五 甲2号証の考案と甲20号証の発明との関係……7

第六 甲2号証の考案及び甲20号証の発明における繊維層の密度及びオフセット防止液の粘度間の関係規定……10

第七 甲20号証発明における付加要件の技術的意義……11

第八 甲20号証の発明の新規性及び進歩性……16

第九 審決の取消事由(一)に関する法令違背……18

第一〇 取消事由(一)に関する前審判決の法令違背……20

第一一 審判手続に関する法令違背〔取消事由(二)〕……22

(1) 審判の経過の大要……22

(2) 審査手続における拒絶査定の理由……22

(3) 審決における拒絶理由……23

(4) 拒絶査定の理由と審決の拒絶理由の相違点……23

(5) 審査段階における異議申立人の主張……23

(6) 審判段階における拒絶理由通知に関する前審判決の判示……24

(7) 手続面から見た「拒絶理由の通知」の意義……27

(8) 不服審判の制度面から見た「拒絶理由の通知」の意義……29

(9) 異議申立書副本の送付と拒絶理由の通知の関係……31

(10) 本事案における法一五八条と法一五九条二項との関係……33

第一二 審決及び前審判決の法令違背……34

上告の理由

第一 用語の意義

【電子複写機】

現在最も普及しているコピー機で「電子複写機」ともよばれる。以下、参考図により内容を簡単に説明する。

<1> 暗い所では絶縁性、明るい所では導電性の塗料を塗った感光ドラムの表面に+の静電気を与える。

<2> 原稿等を強い光で照らし、その光像をドラムに投影すると、ドラム表面の明るい所は導電性となって+の電荷が逃げ、文字など暗い部分には+の電荷が残る。÷電荷による文字などの影像は目に見えないので、「潜像」とよばれている。

<3> -の電荷を帯びたトナー(カーボンブラックに細かい樹脂粉末を加えた一種の粉インク)をふりかけると+の電荷をもつ潜像に吸着され、トナーによる粉像が現れる。

<4> コピー用紙をドラムに送り、そのとき用紙に+の電荷を与えると、用紙には<3>のトナー粉像が転写される。

<5> この用紙を定着ローラー(加熱されているヒートローラーと用紙をヒートローラーに押しつける圧力ローラーのひと組からなっている)の間に通すと、トナーの樹脂が溶け、冷却後はトナー粉像が紙に定着される。

【オフセット防止液】

前記の<4>の過程で用紙に転写された粉像の粉の一部は、用紙が去ってもローラーの面に残る。従って、つぎの新たな用紙が定着ローラー間を通過する間に、その残留した粉像が用紙に転写される。このような好ましくない現象を「オフセット」という。このオフセットの防止に用いられるのが「オフセット防止液」である。この液はトナーに対し反発性のものならば何でもよいが、安価なシリコンオイルが広く使われている。この液を最初にローラーの面に塗り、引き続き液を供給しながら定着作業を行えば、トナーがローラー面に残りにくくなり、かりに少量のトナーが残ってもスポンジや布などの清掃具で自動的に拭えば、ローラー面が常に清浄に保たれ、従ってオフセット現象が防止される。オフセット防止液には各種の粘度のものがあるが、使用時の温度において液状ならばよく、常温での粘度に格別の制限はない。つまり使用状態において、アルコールのように薄いものから濃い水飴状までいろいろである。

【繊維層】及び【繊維層の密度】

「繊維層」とは1本ずつの繊維や束が層状に積み重なったものをいう。「繊維層の密度」とは繊維層の一部を切り取って目方を秤ったとき、一立方cmあたりグラム数(g/cm3)で表される。密度が小さい程繊維間の間隙が広く(目が粗い)、大きい程繊維間の間隙が狭い(目が詰んでいる)ことになる。

【繊維層における液の拡散性】

例えば吸取紙のようなパルプの繊維層、綿布のような木綿繊維の織物からなる繊維層、羊毛フェルトのような天然繊維を圧縮してなる繊維層など、任意の繊維層をたいらな所に拡げ、その上からペン用のインキの一滴を落とした場合、インキは繊維層の厚みの方向(縦方向)と面積の方向(横方向又は側方)の両方向に滲みて広がって行く。インキの一滴が縦横に拡がるのは、たがいに触れ合って層を作っている個々の繊維をインキが伝わって移動するためで、このように繊維を伝わって液体が外力によらずに進行移動する性質を「繊維層における液の拡散性」という。本事案において、繊維層の厚みはその面積と較べて非常に小さいので、厚み方向(縦方向)の拡散は問題にならず、面積方向への拡散がもっぱら問題になるので、「液の拡散性」はもっぱら横方向への拡散性を意味することになる。即ち、原出願(甲2号証)の明細書五頁一九~二〇行目の『繊維層7は液を側方へ誘導する作用をもっているので』という文言は繊維層7には液の拡散性があることを表している。

第二 甲2号証及び甲20号証の発明考案の要旨

(一)甲2号証の考案の要旨

以下「甲2号証の考案」とは昭和五六年実用新案登録願第一九五四二〇号の出願当初の明細書の実用新案登録請求の範囲に記載されている考案をいう。甲2号証の考案の要旨はつぎの通りである。

『両端壁1、2に支軸3、4を設けた中空円筒の筒壁5に多数の小孔6を穿つとともに、筒壁5の外周面、内周面または内外両周面の全域に繊維7を密着固定し、一方の支軸3に口蓋8つきの通孔9を穿ち、筒内にオフセット防止液10を収容し、前記繊維層7はオフセット防止液10が自重で通過しない程度の密度を有してなり、前記円筒の回転により繊維層7を通じてオフセット防止液を浸出させ、密接するトナー定着用ローラーに供給するようにした電子複写機用オフセット防止液供給装置。』

(二)甲20号証の発明の要旨

以下、「甲20号証の発明の要旨」とは本事案において出願変更後の昭和五九年特許願第二三七四七七号の出願につき、平成四年六月一二日付で提出された手続補正書の特許請求の範囲に記載された発明をいう。甲20号証の発明の要旨はつぎの通りである。

『両端壁1、2に支軸3、4を設けた中空円筒体の筒壁5の全域にわたり多数の小孔6を平均に分散配置して穿つとともに、筒壁5の少なくとも外周面の全域において、小孔6の孔端に密接して繊維層7を固定し、かつ常温で液状のオフセット防止液を筒内に収容し、繊維層7を介して定着ローラーにオフセット防止液10を供給するようにしたオフセット防止液供給ローラーにおいて、繊維層7はほぼ0.2~1.0g/cm3の範囲の密度を有し、オフセット防止液10は、正常運転時の定着ローラーの放熱に起因する液温以下における液の静圧では繊維層7を通過しない限度において繊維層7の密度に対応する粘度を有し、前記中空円筒体の回転に起因し、あらかじめ繊維層7に含浸されている液に負荷される動圧によりその液を繊維層7から浸出させるとともに、筒壁5の内周面に位置する液に負荷される動圧によりその液を小孔6を通じて繊維層7に補給するようにした電子複写機用オフセット防止液供給ローラー。』

第三 本事案における審決の要点

第一点 本願は、甲2号証(出願当初の書類)の明細書及び図面に記載された事項の範囲外の事項を発明の要旨としている以上、出願変更は不適法である。(審決書三頁一八行目~第四頁三行目参照)

第二点 異議決定の理由と同一である拒絶査定(甲18号証)の理由の引例〔甲2号証につき出願公開(甲3号証)され、さらに出願人により文言の補正がなされたものであるが、考案の要旨の内容は事実上変更されていない。〕と本願を比較して相違点を検討すると、本願発明において

『繊維層7はほぼ0.2~1.0g/cm3の範囲の密度を有し、オフセット防止液10は、正常運転時の定着用ローラーの放熱に起因する液温以下における液の静圧では繊維層7を通過しない限度において繊維層7の密度に対応する粘度を有し、』

とした構成は、当業者が適宜決定する程度の事項にすぎない、そして上述のような構成としたことによる格別の効果も認められない。

第三点 引例に対する本願発明の構成の相違点は当業者が適宜決定する程度で、格別の効果も認められないし、かつ本願のその他の構成は引例に記載されたものと何ら異ならないので、本願発明は特許法二九条二項に該当する。

第四 発明の要旨の認定に関する最高裁判所の判示

平成三年三月八日判決、昭和六十二年(行ツ)第三号、トリグリセリドの測定法事件の判決は、特許法三六条五項の規定(昭和五〇年法律第四六号)を引用し、

『出願に係る発明の要旨の認定は特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲に基づいてなされるべきである。特許請求の範囲の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるに過ぎない。』

と判示している。そしてこの判決は最高裁及び東京高裁の他の複数の判例をも引用し、

『明細書の特許請求の範囲の記載が明確であって、その内容が確定的に把握できる場合は、その記載のみに従って解釈し、発明の詳細な説明の項の記載等を考慮することは許されないと解するのが判例の一貫した立場である』

と結んでいる。

第五 甲2号証の考案と甲20号証の発明との関係

二個の発明考案を比較して差異の有無を判断しようとする場合には当然それらの両発明考案の要旨を比較すべきである。そこで、甲2号証の考案の要旨及び甲20号証の発明の要旨はそれぞれ前掲の通りであるから、これらを対比すれば、甲20号証発明の

『両端壁1、2に支軸3、4を設けた中空円筒体の筒壁5の全域にわたり多数の小孔6を平均に分散配置して穿つとともに、筒壁5の少なくとも外周面の全域において、小孔6の孔端に密接して繊維層7を固定し、かつ常温で液状のオフセット防止液を筒内に収容し、繊維層7を介して定着ローラーにオフセット防止液10を供給するようにしたオフセット防止液供給ローラーにおいて』

なる要件は明らかに甲2号証発明に含まれている。また、甲20号証発明の

『前記中空円筒体の回転に起因し、あらかじめ繊維層7に含浸されている液に負荷される動圧によりその液を繊維層7から浸出させるとともに、筒壁5の内周面に位置する液に負荷される動圧によりその液を小孔6を通じて繊維層7に供給するようにした』

なる要件は、審決(審決書八頁五~八行目参照)もいうように、オフセット防止液の浸出、補給のメカニズムについての説明であり、甲2号証考案から自明な事項である。つぎに、甲20号証発明の

『オフセット防止液10は、正常運転時の定着用ローラーの放熱に起因する液温以下における液の静圧では繊維層7を通過しない限度において繊維層7の密度に対応する粘度を有し』

なる要件と甲2号証考案の

『前記繊維層7はオフセット防止液10が自重で通過しない程度の密度を有してなり』

なる要件とを対比したとき、前者には『繊維層7の密度に対応する粘度』という文言があるので、この要件は繊維層7の密度とオフセット防止液の粘度との関係を定めた規定であるのに対して、後者には『オフセット防止液の粘度』なる文言がないので、一見両要件は相違するように見えるかも知れない。しかしながら、繊維層を液が自重で通過するかしないかは、もっぱら液の粘度の大小のみによって左右されるものであることは周知の事項である。従って、甲2号証考案に係る後者の要件もやはりオフセツト防止液の粘度と繊維層の密度との関係を示す規定であり、また、前者の規定中の『静圧では』なる文言と後者の『自重で』、という文言は同一事項の言い換えに過ぎないこと、また、複写機は使用時には運転するしないにかかわらず、機内の温度が外気温よりかなり高いこと、そして運転が停止している時でもオフセット防止液が繊維層から漏れ出ては困ることを勘案すれば、甲20号証発明に係る前者の要件と甲2号証考案に係る後者の要件とは全く同一内容をもつ、オフセット防止液の粘度と繊維層の密度の関係を示す規定である。

一方、甲20号証発明にかかる『繊維層7はほぼ0.2~1.0g/cm3民の範囲の密度を有し』なる要件は確かに甲2号証の考案の要旨には記載されていない。従って、甲20号証の発明は『甲2号証考案において繊維層7はほぼ0.2~1.0g/cm3の範囲の密度を有してなる供給ローラー。』

と言い換えることができる。

第六 甲2号証の考案及び甲20号証の発明における繊維層の密度及びオフセット防止液の粘度間の関係規定

甲2号証の考案及び甲20号証の発明(以下「両発明考案」という)における繊維層の密度(以下「繊維密度」という)とオフセット防止液の粘度(以下「液粘度」という)との関係については甲2号証の考案では

『繊維層はオフセット防止液が自重で通過しない程度の密度を有し』

と規定され、甲20号証の発明では

『オフセット防止液は正常運転時の定着用ローラーの放熱に起因する液温以下における液の静圧では繊維層を通過しない限度において繊維層の密度に対応する粘度を有し』

と規定されているが、これらの規定の前者と後者は全く同一の内容をもっていることはさきに述べた通りである。即ち、両発明考案におけるこの要件は、液の静圧時における液粘度と繊維密度間の関係の規定である。甲2号証の考案について述べると、この関係規定を満足し、かつ装置の運転時に液を繊維層から浸出させ得る限り、繊維層については繊維の種類、層の形状構造、密度などはすべて自由に選択できるし、オフセット防止液については液の化学組成、粘度の選択などはすべて自由である。

一方甲20号証の発明は、甲2号証の考案において、繊維層の密度をほぼ「0.2~1.0g/cm3」の範囲に限定したものに相当することはさきに述べた通りである。この「0.2~1.0g/cm3」なる繊維密度の範囲が甲2号証の考案における繊維密度の自由選択の範囲内に属していることは自明である。従って、甲2号証考案において繊維密度を「ほぼ0.2~1.0g/cm3」の範囲とした甲20号証発明は甲2号証の考案の一実施例であることが明白である。

第七 甲20号証発明における付加要件の技術的意義

甲20号証の発明は甲2号証の考案に対し『繊維層7はほぼ0.2~1.0g/cm3の範囲を有し』

なる要件(以下「付加要件」という)を付加したものであることは前述の通りである。

一方、甲2号証の明細書の五頁一五行目~六頁二行目には甲2号証の考案の作用が記載されている。即ち

<1> 繊維間隙が毛細管作用により液を外方に誘導する。

<2> 液の自重による自然流出が阻止される。

<3> 筒壁のどの部分の小孔からも液が均等に外周面に流出する。

<4> 繊維層は液を側方に誘導する作用を持ち、液が筒壁の外周面の全域において均等に行き渡る。

また、同じく七頁三~七行目には同号証の考案の効果が記載されている。即ち

<1> オフセット防止液の供給量調節装置を設ける必要がない。

<2> 液の供給が円滑安定に保持される。

<3> 装置の寿命が半永久的といえる程長い。

<4> 装置の構造が従来のものに対し格段に簡素で生産コストも低い。

前記した通り、甲20号証の発明において、前記した付加要件以外の構成要件は甲2号証の必須要件と実質的に同一であるから、前記した付加要件が前紀した甲2号証の考案の作用、効果に格別の影響を及ぼさなければ、甲20号証の発明の作用効果と甲2号証発明の作用効果は同一であると認められるであろう。ところで、審決は『上述のような構成としたことによる格別の効果も認められない』と述べ前記付加要件による格別の影響を否認しており、また、上告人らもそれを認めている。

一方、甲20号証明細書の七頁一六行目~九頁四行目には、

『実願昭五六-一九五四二〇号(実開昭五八-九八六五五号公報)の技術は主として前記した漏液問題を解決するため、本願の発明者により提案されたものである。即ち、その提案によるローラーは筒壁の全域にわたり多数の小孔を平均に分散配置するとともに、この筒壁の外周面又は内、外両周面の全域に繊維層を密着固定したものであるが、その考案の詳細な説明に記載されているように、筒内には100~500c.s.のような低粘度のオフセット防止液を収容して使用するものであった。そして、その提案によれば、前記繊維層はオフセット防止液が静圧時の液の自重では通過せず、前紀円筒の回転により液に付加される動圧により液が繊維層を通過できるような密度をもつものであった。しかしながら、定着ローラーに対するオフセット防止液供給ローラーの表層である繊維層としては、液の通過性の問題以前に層面に沿う拡散性がどうであるかという問題がある。即ち、液が静圧では通過せず、動圧により通過するような密度の繊維層を得ることができたとしても、その繊維層の層面に沿う拡散性に乏しい場合は、定着ローラーへの給液ムラが発生するので、そのような繊維層は採用できないのである。本発明者等は入手し得る限りの多くの各種繊維層につき実験を重ねた結果、低粘度の液を対象として、層面に沿う拡散性が良好、かつ動圧によってのみ繊維層の通過が可能であるような好ましい性能をもつ繊維層は現実には得られず、従ってその考案を実施することができなかったのである。』

という文面がある。

右の文面は甲2号証の明細書の発明の詳細な説明の項に記載されている実施例についての説明であり、同号証の考案の要旨についての説明でないことは甲2号証の明細書の文面をよく調べれば明白である。甲2号証考案の要旨については、液の種類、粘度又は繊維の種類、組織、繊維層の密度等につき何らの制限をも設けていないからである。

発明考案は、それが技術的思想として成立する可能性が充分にあるとして、発明考案の要旨から一義的に理解される限り、詳細な説明の項に記載されている各種の文言により拘束される理由はなく、かりにその技術的思想が現在の産業技術の不備などのため、現実には直ちに実施できないとしても、保護があたえられるべきものである。

ところで、前記した「付加要件」の数値限定の根拠につき、甲20号証明細書一二頁一六行目~一三頁一九行目にはつぎのように記載されている。

『繊維層7の密度はほぼ0.2~1.0g/cm3で、この範囲を大きく逸脱しないことが必要である。密度がこの範囲未満であっては、この繊維層に補給含浸させるオフセット防止液として著しく高粘度のものが必要であり、その場合はヒートアップのための加熱装置を付設しなければ実用に適しないので、複写機の大型化や操業能率の低下などの不利益を伴う。前記した密度範囲を超える高密度の繊維層および一応これに含浸することが可能な低粘度のオフセット防止液の入手は可能である。しかしながら、現実に入手可能な繊維層にあっては、密度が前記範囲を超えて高いと層面にに沿う液の拡散性が急速に不良化する。層面に沿う拡散性が不良であると定着ローラーへの塗りムラが発生し、オフセット防止機能が失われることは言うまでもない。100~1000c.s.のように低粘度の液を採用ずればこのような欠点に対処できるが、その場合は液の消耗が大きいため頻繁な補給が必要となるばかりでなく、拡散性が過度に良好であるため、運転の開始、再開の際の急激な動圧の負荷により液がはじき出され、漏液を生じる。以上の実験提供事実に鑑み、この発明においては1.0g/cm3を超える高密度の繊維層およびこれに見合う低粘度の液を採用すべきでない。』

即ち、繊維層7の密度を0.2~1.0g/cm3と定めたのは、オフセット防止液供給ローラーの繊維層面に沿う液の拡散性を過不足のないように適正化するためである。しかしながら、液の拡散性の大小は、繊維層の密度とは関係がなく、液及び繊維層の素材がそなえている物性により激しく左右されるものであることは自明かつ顕著な物理的事実である。即ち、例えばシリコーン油をオフセット防止液として採用し、ガラス繊維やフッ素樹脂繊維を素材とする繊維層を採用することとすれば、これらの繊維層は液に対してほとんど親和性がないので、液は自重(静圧)では当然繊維層を通過せず、回転の動圧により通過するが、繊維が液を誘導しないので、液の拡散はほとんど行われないのである。それゆえ、前記した付加要件の0.2~1.0g/cm3という繊維密度の数値は繊維層の素材及びオフセット防止液(シリコーン油に限らないことも周知)の種類やその物性を特定しない限り、その技術的意義は全くない。

第八 甲20号証の発明の新規性及び進歩性

甲20号証の発明は甲2号証の考案に前記した付加要件を付加したものであることは前述の通りである。そして前記付加要件は、甲20号証の発明の要旨においてオフセット防止液の粘度につき単に数値限定したものであり、何らの技術的意義をも有しないものであるから、甲20号証の発明の新規性及び進歩性の有無についてはその根幹となっている甲2号証考案について判断するよりほかはない。

そこで、甲2号証及び甲20号証の出願の審査経過において拒絶理由通知の引用例を調べると

<1> 実開昭五三-四一九四二号公報(甲6号証)

<2> 特開昭五三-一一八一四〇号公報(甲10号証の1)

<3> 実願昭四八-六五六一九号(実開昭五〇-一三六四五号)のマイクロフィルム(甲10号証の2)

の僅かに三件であって、他にはない。

そこでこれら三件の引用例を調べてみると、繊維層をローラーの表層として巻回したものは一件も存在しない。しかもローラーの表層に繊維層を採用したことにより、甲20号証明細書二〇頁七~一六行目に

『従来のオフセット防止液供給手段をもつ定着用ローラーにおいては、液の供給にもかかわらず、回転面へのトナーの残留蓄積が避けられず、対策としてクリーニングブレード、クリーニングローラー、クリーニングウエブなどの清浄装置を併設せざるを得なかったのであるが、この発明にかかるオフセット防止液供給ローラーは、前記したように多数枚の複写を行い、液の消耗により寿命が尽きるまで清浄能力が衰えないことが確認された。』

と述べているように、定着ローラーに対してオフセット防止液を外部から刷毛、スポンジ等で塗布する供給装置、前掲の各引例のような内部貯液型の供給ローラーの全部を通じてきわめて顕著な清浄効果を挙げることができるのである。従って、甲2号証の考案(甲20号証の発明も当然)が新規性及び進歩性を兼ね備えることは、本来何人も否定できる筈がないのである。異議決定(甲17号証)の理由による拒絶査定(甲18号証)及び審決において本願発明の進歩性を否定できた原因は、強引に出願変更を否認したことにより、甲2号証の考案を公知の引用例として採用することが可能となったからである。

第九 審決の取消事由(一)に関する法令違背

前記第四に掲げた最高裁判例の判示に従って発明考案の要旨を判断する限り、甲20号証の発明が甲2号証考案に前記した「付加要件」を付加したものに過ぎず、しかもこの「付加要件」に係るオフセット防止液の粘度範囲の数値は、甲2号証における液の粘度について自由に選択できる範囲内にあることはさきに述べた通りである。また、甲20号証の発明においては、甲2号証の考案におけると同様、繊維層の素材およびオフセット防止液の組成が何ら特定されていない。そしてまた、甲20号証の発明における「付加要件」は繊維層の素材及びオフセット防止液の組成を特定しなければ何ら技術的意義を有しないことも前述の通りであるから、技術的意義をもたない「付加要件」を甲2号証の考案に付加した甲20号証の発明は、それ自身新規性、進歩性を備えていることの明らかな甲2号証の考案の単なる実施の態様に過ぎず、従って、甲20号証の特許請求の範囲は特許法64条1項1号に規定した特許請求の範囲の減縮に当たることは自明である。

それにもかかわらず、審決は前記の通り、出願に係る発明考案の要旨の認定に関する最高裁判例の判示事項を無視して、甲2号証明細書の考案の詳細な説明の項に記載された実施例としての数値が考案の要旨を拘束する、という裁量を敢えて行い、この誤った裁量を根拠として、前記した「付加要件」が甲2号証の書類の記載外の事項であるという理由の下に、出願変更を拒否した。

実用新案登録出願から特許出願への出願変更については、特許法46条1項のほか何らの規定がない。従って出願変更の適否の認定は専ら裁量によっているが、本事案における前記のような出願変更の拒否は裁量権を逸脱したものであり、これが前審の判決に重大な影響を及ぼすものであったことは明らかに法令違背であると言わねばならない。

一方、前記第七において述べたように、甲20号証明細書の七~九頁に記載されたオフセット防止液の粘度の数値は、甲2号証の考案における実施例としての数値であって、考案の要旨そのものについてではないことは、甲2号証の明細書を読まないと誤解を与えかねない。このような誤解の原因ともなる記述は旧特許法三六条四項の規定に違反しているので、この規定違反を理由として出願を拒絶すべきものである。そしてこのような規定違反は、審判の過程において当然審判官に発見されていた筈である。従って、審判官は旧特許法一五九条二項の規定に従って法五〇条に基づく拒絶理由を通知し、出願人にその補正を促す必要があった。拒絶理由の通知を怠り、かつ出願人の前記規定違反に係る文面を発明考案の要旨の解釈に使用した被上告人の作為は許すことのできない法令違背である。

第一〇 取消事由(一)に関する前審判決の法令違背

前記した「付加要件」の付加による技術的効果の有無につき審決(審決書七頁一一~一九行目参照)は

『繊維層7はほぼ0.2~1.0g/cm3の範囲の密度を有し、オフセット防止液10は正常運転時の定着用ローラの放熱に起因する液温以下における液の静圧では繊維層7を通過しない限度において繊維層7の密度に対応する粘度を有し、とした構成は、採用するオフセット防止液、定着条件により、当業者が適宜決定する程度の事項にすぎない、そして上述のような構成としたことによる格別の効果も認められない。』

と述べ、「付加要件」の付加による格別の効果を完全に否定した。

それにもかかわらず、被上告人は前審の口頭弁論において(前審判決書一八頁一六行目~一九頁五行目参照)

『本件原出願により後において、オフセット防止液として、低粘度のものでは「拡散性」に問題があり実施不可能であったことが判明したため、甲20号証補正書では、高粘度のものを採用し、同時にこの高粘度に対応する繊維層の密度を0.2~1.0g/cm3に設定することで拡散性の課題を解決し、実施を可能としたものである。』

と主張した。『拡散性の課題を解決し、実施を可能とした』という文言は、明らかに、効果が顕著であることを意味するものであり、従って『格別な効果も認められない』という審決の説示と完全に矛盾撞着する。出願変更の権利が認められるか否か、ひいては本願発明が特許による保護を受けられるか否かの認定を左右する可能性が大きい「付加要件」の付加による効果の認定につき、審決時と審決後において全く正反対の見解を述べることは、明らかに禁反言の法理に抵触するものであり、信義誠実の原則を犯す悪質な作為である。従って、本件特許出願の拒絶を企てた被上告人の立論の根拠はきわめて疑わしいものと言える。

それにもかかわらず、前審判決(判決書四一頁四~六行参照)は審決における被上告人の前記主張を捨てて、前審の口頭弁論における禁反言に抵触する主張を採用し、もって甲2号証の出願と甲20号証出願間の出願内容の同一性を否認した。

前審において裁判官が被上告人の主張を取捨するのはもとより自由である。しかしながら、前後の主張が禁反言に係り、矛盾撞着するものである場合、その立論の合理性を疑い、判決においては前後の主張を対比し、何ゆえに一方を捨て他方を採用したかにつき、公衆が納得できる理由を詳細に開示する必要がある。従って、このように理由の開示のない判決は明らかに法令に違背するものと言わなければならない。

第一一 審判の手続に関する法令違背〔取消事由(二)〕

(1) 審判の経過の大要

上告人らは拒絶査定(甲18号証)を受けると審判請求書(甲19号証)を提出し、続いて特許法一七条の三一項の規定に従い手続補正書(甲20号証)を提出した。上告人らによるこの審判請求手続に対し上告人らに対する何らの指令も行われず、そのままの状態において審決がなされた。

(2) 審査手続における拒絶査定の理由

本願は出願公告(甲14号証)に対して異議申立(甲15号証の1)を受け、異議決定(甲17号証)がなされると同時に拒絶査定(甲18号証)がなされた。拒絶査定の理由は異議決定の理由と同一であり、その内容は大要つぎの通りである。

<1> 本願における出願変更の手続は否認されるので、甲2号証は公知資料として取り扱われる。

<2> 本願発明は甲2号証の考案に前記した「付加要件」を付加したものであるが、「付加要件」の範囲内の数値のものが、異議申立の資料にあるので、本願発明は甲2号証及び前記異議資料の二件から容易に発明できる。

(3) 審決における拒絶理由

審決は本願における出願変更を不適正として否認するとともに、本願の原出願である甲2号証出願の公開書類を公知資料として取扱い、本願はこの公知資料から容易に発明できるとし、特許法二九条二項に該当するとの理由により本願を拒絶した。

(4) 拒絶査定の理由と審決の拒絶理由の相違点

前記した「付加要件」につき、前者はその数値範囲の繊維層の記載がある公知例と甲2号証の両者を引用例として本願を拒絶したのに対し、後者はこの「付加要件」は格別の効果がないものと認め、単独に甲2号証のみを原因として拒絶した点で顕著な相違がある。

(5) 審査段階における異議申立人の主張

<1> 前記した「付加要件」は設計的変更事項だから本願発明は甲2号証の発明と同一か又は甲2号証の発明から容易に発明できる。

<2> 本願発明は甲2号証の発明及び前記した他の異議資料の二件から容易に発明できる。

(6) 審判段階における拒絶理由通知に関する前審判決の判示

前審判決(判決書四二頁一三行目~四三頁三行目)は審査段階で異議事件を経過した場合における審判段階での拒絶理由通知のあり方につきつぎのように判示している。ただし、(イ)~(ニ)の見出しは上告人らが付したものである。

(イ)審判段階において拒絶査定と異なる理由を拒絶の理由とする場合であっても、異議申立の理由として主張された理由と同趣旨の理由を拒絶の理由とする場合には

(ロ)審査段階における手続は特許法一五八条の規定により審判段階においても効力を有するものとされ

(ハ)特許法一五九条二項において準用する同法五〇条の規定が設けられた趣旨に照らし

(ニ)改めて拒絶理由を通知する必要はないものと解される。

右の文面は昭和五七年(行ケ)第一六五号審決取消請求事件の判決(判決言渡昭和六一年九月九日)「ハードフェライトロール事件」の取消事由(手続上の違法)に記載された判示そのままの引き写しで、被上告人が前審において同趣旨を主張(被告準備書面第五回により被告準備書面第二回の文面を補正したもの)し、判決も被上告人の主張を採用したものである。

前掲の判示で(イ)は前提事項、(ニ)は結論であり、(ロ)(ハ)は(イ)を前提として(ニ)の結論に至った理由であることは直ちに理解できる。

前掲の判示は本事案だけでなく前記した昭和五七年(行ケ)第一六五号の事案にも適用されているのであるが、抽象的で一読して了解されるものだとは言えない。そこで一層具体的に本事案に当てはめ、分かりやすく書き直す。

即ち、(イ)は

『審査における拒絶査定の理由が異議申立人の引用した前記<2>であった場合、審判の段階でこれと異なる<1>の理由により拒絶しようとする場合、審査段階における異議申立書には前記<1>の理由と同趣旨の理由も記載されていた。従って、<1>の理由は審判開始前において既知であり、しかもその異議申立書の副本は出願人への送達の手続がとられ、意見書にかわる答弁書を提出する機会が与えられていた。そこでこのような場合には』

ということと(イ)の文意は読み取れる。ただし、傍線を付した部分は本来、(イ)なる前提事項に含まれるべき必須の事項である。

つぎに(ハ)なる結論の文意には疑問点がない。

(ロ)(ハ)は(イ)を前提として(ニ)の結論を得たとするときの法的根拠である。先ず、(ロ)は法一五八条を引用し、『審査段階においてなされた手続はそのまま審判段階でも有効だ』という法意を述べたものとして理解できる。

つぎに(ハ)について考察すれば、(ハ)には法一五九条二項及び、法五〇条が引用されている。法一五九条二項の法意は、

『審判開始までは前記した<1>の理由を審判官が知らず、審判の段階でこの<1>の理由が本事案における拒絶理由になり得るとはじめて認識され、かつ、<1>の理由により拒絶の審決をしようとするときは、法五〇条を準用する。即ち、前記<1>の理由が本事案における拒絶理由に当たる旨を出願人に通知し、相当の期間を指定して、意見書を提出する機会を与えなければならない。』

ここで前記<1>の理由が審判開始前において審判官に未知、それとも既知、いずれの認識の下にこの判示がなされたかは文面からは不明であるが、(ハ)の文面の反対解釈(審判開始後の発見でなければ法五〇条の準用を要しない)からみて、この判示は<1>の理由は審判開始後に発見されたものでなく、既に審査の段階において既知であった、との認識の下で本事案は法一五九条二項には該当せず、かつ審査段階で前記<1>の理由が記載されている申立書の副本が出願人に送達されていた、という理由の下に法一五八条を援用し、かくして「改めて拒絶理由を通知する必要がない」と、(ニ)の結論を得たもののようである。

(7) 手続面から見た「拒絶理由の通知」の意義

法五〇条に規定した「拒絶理由の通知」を本事案につき、「手続」の面から検討する。即ち、

<1> 「拒絶理由の通知」は前記<1>の理由が本事案において拒絶理由に当たると審査官が認識し、この認識に基づいて拒絶査定をしようとする場合、そのような審査官の意思とその理由を、査定なる行政処分に先立ち、出願人に告知する手続である。

<2> 異議申立書には前記<1>の理由が記載されており、その副本は出願人に送付された。この場合、申立書副本の送付なる手続には、前記<1>の理由が拒絶理由に当たる旨の審査官の認識及びこの理由に基づく拒絶を出願人に告知する要件が欠けているので、法五〇条に規定された「拒絶理由の通知」なる手続とは本質的に異なる手続である。従って、本事案については拒絶査定の前の段階において「拒絶理由の通知」又はこれに相当する手続は行われなかった。法五〇条の規定は審査、審判を通じ、異議事件の前後を問わず適用される強行規定であるから、拒絶理由の通知の手続を欠いて拒絶査定を行った審査手続は本来違法であると言うべきである。

<3> 法五〇条には『拒絶の理由を通知し、相当の期間を指定して、意見書を提出する機会を与えなければならない。』と規定されているが、ここにいう「意見書」とは、特定の理由により拒絶査定なる行政処分を行おうとする審査官の意思に対する意見を述べた書面のことであることに留意すべきである。審査官が自らの意思を秘したまま、出願人を攻撃する第三者である、異議申立人の見解をもって拒絶理由の通知に代用させる旨の裁量に立脚したものとすれば、そのような行政官の裁量は日本国憲法及び国際人権規約により保証された発明者、出願人の人権を侵害するものと言わなければならない。

<4> 平成六年法律第一一六号により改正された現行特許法によれば、特許異議申立ては特許後において受理され、審判官の合議体によって審理が行われることになった。異議申立書副本の送付は従来と同様に行われるが、従来と違って答弁書の徴取は行わず、これに代えて特許の取消決定をしようとする場合、取消しの理由を通知し、意見書の徴取をすることになった。

従来の異議制度では異議申立書の副本を出願人に送付して答弁書を徴取したうえで審理を行い、異議決定し、意見書の徴取の過程を経ないで、査定処分を行ったところ、前記のような新方式を採用した理由につき、特許庁編工業所有権法逐条解説(第一三版)(付属書類の参考資料参照)はつぎのように述べている。

『取消決定をしようとするときは、審判長は特許権者及び参加人に取消理由通知を行い、事前に意見陳述の機会を与えなければならない旨を規定したものである。これは、審理の結果特許が一一三条各号の一に該当するものであるという心証を得た場合においても、特許権者になんら弁明の機会を与えずただちに取消決定をするということは酷であり、かつ審判官も全く過誤なきことは保証し得ないので、特許権者及び参加人に意見書を提出する機会を与え、かつ、その意見書を基にして審判官がさらに審理をする機会ともしようとするものである。』

即ち、このような特許庁の公式見解は、権利付与の事前、事後の差異があるとしても、従来の異議制度において担当の公務員が行政処分の事前に自らの意思を開陳して意見を聴取しないのは公正を欠くとの反省が特許庁にもあったことを示すものと思われる。

(8) 不服審判の制度面から見た「拒絶理由の通知」の意義

法五〇条に規定した「拒絶理由の通知」を続審としての制度面から検討する。即ち、

<1> 異議審査を含む特許審査及び法一二一条の不服審判制度は、法一五八条に照らし、続審制である。しかしながら、不服審判制度は複数の審判の合議体が行うこと、口頭審理によることも可能であること、審査前置制が設けられていること、証拠調や証拠保全の手続が可能であること、審理終結後も申立により審理再開の道があることなど、審査制度と較べて著しく精緻、慎重な審理を可能にしている。これは、審判が行政庁としての最終審に当たり、行政庁に対する公衆の信頼を背負うものであるからだと言える。

<2> 法一五九条二項において「発見」とは「はじめての認識」を意味する。それゆえ、「査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した」というのは、本事案については、「異議申立人が申立てた前記<1>の理由が拒絶理由に当たるということを初めて認識した」ことを指しているのであって、そのような認識が得られた時期が何時であったかは別として、認識を持った者は審判官であろう。前記<1>の理由につき、「この理由が拒絶理由であるという認識を持った者は審査官であった」とは言えないのではないか。異議申立から拒絶査定に至る間において、審査官はこのような認識については一切言及していないばかりか、前記<1>の理由とは異なる<2>の理由によって拒絶査定を行ったからである。

<3> 審査段階において、審判官は本事案と全く無関係であったのだから、前記<1>の理由が本事案にかかる出願を拒絶すべき理由であることの発見は、審判段階においてなされたものであり、従って、本事案の審理の際、法一五八条の規定が適用できないものとすれば、法一五九条二項が当然適用される。

<4> 不服審判の請求は拒絶査定なる不利益処分に対してなされ、その際不服の理由(請求の理由)の開陳が当然求められる。この不服は拒絶査定なる行政処分に対する不服であると同時に、処分を正当化する根拠としての査定の理由に対する不服でもある。従って、出願人が不服の理由としてもっぱら査定の理由となった前記<2>の理由を覆すべく努力したことはきわめて自然な行為である。また、審査官が査定の理由として採用しなかった前記<1>の理由を審判における拒絶理由として取り上げることは無論適法ではあるが、その場合は前記<1>の理由が本事案に対する拒絶理由であることを審判官がはじめて認識(発見)したことに起因するので、その際は当然に法一五九条二項が適用され、「拒絶理由の通知」なる手続がとられることが期待され、その際、出願人は意見書の提出により、異議事件の答弁書とは別の観点に立つ見解をも含め、充分に意見を開陳することができるからである。特に前記したように審判は上級審である行政庁の最終審として精緻慎重な審理の遂行が可能な制度であるから、不利益処分としての審決を行おうとする場合には、事前においてこれら釈明権の行使や聴問の手続を経ずして闇討ち的拒絶の審決をなすようなことは、明らかに公正たるべき行政庁がなした法令違背以外の何ものでもない。

(9) 異議申立書副本の送付と拒絶理由の通知との関係

「異議申立書副本の送付」なる手続と「拒絶理由の通知」なる手続とは事案に対する行政官の前記告知に当たるか否かの相違により、本質的に異質な手続であることはさきに述べたところである。即ち、制度の面からすれば異議申立制度は審査官のサーチ能力を補強することがその目的であり、そのため異議申立ては何人によって行うことが可能とされるところから、<1> 多くの申立が真の異議申立人とは異なるダミーによって行われること、<2> 異議申立人は善意の第三者としての公衆とみなされるが、実情は、そのほとんどが発明者あるいは出願人対する競業者であり、<3> 公平に見て特許要件が具備していると考えられる場合であっても、特許処分を遅らせ、権利期間を短縮させる悪意をもって行われる場合も多く、<4> 複数の異議申立てがあった場合、法六一条によりそれらのうちの一件を取り上げて異議決定を行い、また、本来不適法であるのにかかわらず、現行の運用では拒絶理由の通知を省略して拒絶査定を行っている、など、異議審査制度はかなり粗末な審査体系と運用面をもっている。このように制度それ自体が粗末であることは、制度の目的が、審査資料をできるだけ多く得るという点にあるため、やむを得ないと見られているが、前記するように不都合な多数の異議申立が原因となって審査遅延の弊害が顕著となる一方、申立人が主張する拒絶理由には無責任にも多数の理由を挙げ、審査官に対しその択一を迫る例も非常に多い。しかも、創作者が保護を受ける人権に対し、これを中傷するものであっても、申立人が非難され又は処罰を受けることもない。このように旧法の異議制度における申立人が主張する拒絶理由には、単に出願人の妨害を目的とし、又は無責任なものが多かったのである。

一方、法五〇条に規定する「拒絶理由の通知」は審査官が審査の結果拒絶理由であるとの認定をした上で通知の手続をとり、意見書の提出を求めるのであり、「拒絶理由の通知」を告知した審査官の責任は異議申立人の責任とは比較できないほど重い。

ところで、前記第(6)項に示した判決における(イ)~(ニ)の判示は「異議申立書副本の送達」と「拒絶理由の通知」、「答弁書の提出」と「意見書の提出」はそれぞれ同目的、同効力であるか、又はそれぞれ前者は後者に代替できる手続であるとの誤った裁量に立脚しており、かかる裁量に基づいて審判手続の過誤を糊塗することにより本願を拒絶しようとした被上告人の行為は明らかな法令違背である。

(10) 本事案における法一五八条と法一五九条二項との関係

前述したように法一五八条の法意は

『審査段階においてなされた手続はそのまま審判段階でも有効だ』

ということである一方、法一五九条二項の法意は

『不服審判において査定の理由と異なる理由を発見し、この理由により拒絶しようとするときは、法五〇条に規定した拒絶理由の通知を行う必要がある。』

というものである。ところで、

<1> 本事案において前記した理由<1>が記載されている異議申立書副本を送付する手続がなされたが、理由<1>を拒絶理由とする認識が審査官にあったか否かは不明である。

<2> 従って、理由<1>を拒絶理由とすることの発見は審判においてなされたものである。

<3> 審査において前記した異議申立書副本を送付する手続がなされたが、この送付手続は、同書に記載された拒絶理由<1>に対する審査官の見解が欠けているので、同書の送付なる手続は拒絶理由の通知とは別個の異なる手続であり、代用もできない。

<4> 審査において拒絶理由の通知なる行政官告知の手続がなされなかったので、拒絶理由の通知なる手続に関しては本事案に法一五八条を適用するわけにいかない。

<5> それゆえ、審判官は理由<1>をもって拒絶しようとする場合、法一五九条の二に従い、その旨の拒絶理由の通知を行う必要があった。

第一二 審決及び前審判決の法令違背

(1) 前記第九に述べた通り、甲2号証の考案の要旨は前記した実用新案登録請求の範囲の文面から一義的にかつ明確に理解できるものであり、従って、その考案の要旨の認定は、前記実用新案登録請求の範囲に基づいてなすべきである。しかるに、被上告人は前記第四に記載した最高裁判所の判示並びに過去の幾多の同趣旨の判例を不遜にも無視し、甲2号証の明細書の考案の詳細な説明の項に記載された実施例としての数値が、考案の要旨を拘束するという、間違った裁量を敢えて行うことにより、出願変更に係る出願人の権利の喪失を図った。このような被上告人の裁量は裁量権を逸脱するものであり、法令違背にあたることが明白である。

(2) 前記第九において述べた通り、甲20号証明細書の発明の詳細な説明の項には、甲20号証の発明の基幹となる甲2号証の考案に関し、甲2号証の明細書を読まない者に誤解を与えかねない一文が記載されているが、このような文面の不備は旧特許法三六条四項に違反しているので、それ自体が拒絶の原因となり、また、特許後においては無効原因となるべきものである。審判の過程において、この不備は発見された筈であるが、被上告人は法一五九条二項の規定による拒絶理由の通知の措置をとらなかった。もし、この件に関し出願人が拒絶理由の通知を受けたのであれば、直ちに対応する補正を行うことにより、拒絶、又は無効の理由を容易に回避できるものであった。被上告人のこのような不作為および、前記した不備に係る文面を発明考案の解釈に流用するなどの悪意ある作為は公務員の義務に著しく反するもので、明らかな法令違背である。

(3) 前記第一〇において述べたように、被上告人は前記した「付加要件」の効果につき、審決では「格別な効果も認められない」と、効果を否定する一方で、前審の口頭弁論では、前記「付加要件」は、その効果が顕著である旨力説し、前審の判決に重大な影響を与えた。審決時と審決後において全く相反する見解を述べることは禁反言の法理に抵触し、信義誠実の法則を犯す悪質な行為であり、それと同時に自らなした審決が無効であることを自白したものと言える。従って、かかる被上告人の行為が悪質な法令違背にあたることは自明である。

(4) 前記第一一の(7)、(8)、(9)項に述べたように、審査官の見解の開示を欠く異議申立書副本の送付と、審査官の見解を開示する拒絶理由の通知の手続は、本来たがいに異なる手続であり、その効力も互いに異なるものであるのにかかわらず、被上告人は前者の手続をもって後者の手続に代替しうる同効の手続であるという裁量をなし、この裁量に基づいて本事案に法一五八条を適用したことにより、行政庁の最終審である審判における出願人の聴問権並びに明細書を補正する機会を喪失させ、それによって、上告人が発明の保護を受ける道を阻止しようとした。被上告人のかかる裁量は裁量権を逸脱する行為であり、同時に創作に係る発明者、出願人の人権を軽視する悪質な違法行為である。

(5) これを要するに、被上告人はその裁量権を逸脱する各種の裁量行為を積み重ねたことにより前審の判決に著しい影響を与えるとともに、発明につき保護を受ける発明者、出願人の人権の喪失を企図したものであるから、その原因となった審決およびこの審決を是認した前審判決はその取消を免れない。

以上

(添付資料省略)

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