最高裁判所第三小法廷 平成9年(あ)1232号 判決 1999年2月16日
主文
原判決を破棄する。
本件を大阪高裁裁判所に差し戻す。
理由
検察官の事件受理申立て理由について
一 本件第一審判決は、「被告人は、千葉市中央区所在の皮膚科医院の院長で、平成五年一〇月一二日午後一時ころ、主として医薬品の卸販売を業とし、かつ、大阪証券取引所の開設する有価証券市場に株式を上場している日本商事株式会社(以下「日本商事」という。)と医薬品の販売取引契約を締結しているT社の千葉支店第一営業部次長から、同人が同契約の履行に関して入手した、ユースビル錠とフルオロウラシル系薬剤との併用投与による重篤な副作用症例(死亡例を含む。)が発生したなどの趣旨が記載された文書を手交され、これにより、日本商事が実質上初めて開発して同年九月三日発売を開始し、同社の株価上昇のもとになっていた帯状ほう疹の新薬ユースビル錠について、発売直後、これを投与された患者につき、フルオロウラシル系薬剤との併用に起因した相互作用に基づく副作用とみられる死亡例が発生したとの同社の運営、業務又は財産に関する重要な事実であって投資者の投資判断に著しい影響を及ぼす重要事実の伝達を受けた者であるが、同重要事実の公表により同社の株価が確実に下落するものと予想し、信用取引を利用して同社の株式を高値で売り付けた上、株価の下落後に反対売買を行って利益を得ようと決意し、法定の除外事由がないのに、同重要事実の公表前である同年一〇月一二日午後一時五〇分ころ、山一證券株式会社千葉支店を介し、大阪証券取引所において、日本商事の株式一万株を売り付け、もって、同社の業務等に関する重要事実の公表がされる前に、同社の上場株券の売買を行った」旨、本件公訴事実と同旨の事実を認定し、右副作用症例の発生が証券取引法(平成五年法律第四四号による改正前のもの)一六六条二項四号にいう「前三号に掲げる事実を除き、当該上場会社等の運営、業務又は財産に関する重要な事実であって投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの」に該当すると判断した上、被告人に同条三項違反の犯罪の成立を認めたが、原判決は、第一審判決には、前記証券取引法の関係規定の解釈適用の誤りがあるとし、これを破棄して本件を第一審に差し戻す判断をした。
原判決は、その理由として、前記証券取引法一六六条二項四号は、同項一号から三号までに掲げられた業務等に関する重要事実以外の事実についての規定であり、一号から三号までの事実に相応する事実ではあるが、同時に又は選択的に、投資判断に著しい影響を及ぼすものとして四号に該当するというようなことはないとした上、本件副作用症例の発生は、公訴事実の上では同号所定の業務等に関する重要事実と主張されているが、実際には同項二号イにいう「災害又は業務に起因する損害」に該当する余地があるところ、第一審判決がまず右二号イの該当性を検討し、右副作用症例の発生による損害が同項所定の大蔵省令である会社関係者等の特定有価証券等の取引規制に関する省令の定めるいわゆる軽微基準を上回ると証拠上断定できないという理由でこれを否定しながら、その上で同法一六六条二項四号の該当性を更に検討してこれを肯定するという判断をしたのは、同項の一号から三号までと四号との間の前記関係からして誤りであり、また、右損害が軽微基準を上回るか証拠上断定できないというのであれば、第一審において、この点につき更に審理を尽くすべきであったと説示している。
二 しかしながら、原判決の右判断は、是認することができない。その理由は、以下のとおりである。
第一審判決が認定した本件副作用症例の発生は、副作用の被害者らに対する損害賠償の問題を生ずる可能性があるなどの意味では、前記証券取引法一六六条二項二号イにいう「災害又は業務に起因する損害」が発生した場合に該当し得る面を有する事実であることは否定し難い。しかしながら、第一審判決の認定によると、前記ユースビル錠は、従来医薬品の卸販売では高い業績を挙げていたものの製薬業者としての評価が低かった日本商事が、多額の資金を投じて準備した上、実質上初めて開発し、その有力製品として期待していた新薬であり、同社の株価の高値維持にも寄与していたものであったところ、前記のように、その発売直後、同錠を投与された患者らに、死亡例も含む同錠の副作用によるとみられる重篤な症例が発生したというのである。これらの事情を始め、日本商事の規模・営業状況、同社におけるユースビル錠の売上げ目標の大きさ等、第一審判決が認定したその他の事情にも照らすと、右副作用症例の発生は、日本商事が有力製品として期待していた新薬であるユースビル錠に大きな問題があることを疑わせ、同錠の今後の販売に支障を来すのみならず、日本商事の特に製薬業者としての信用を更に低下させて、同社の今後の業務の展開及び財産状態等に重要な影響を及ぼすことを予測させ、ひいて投資者の投資判断に著しい影響を及ぼし得るという面があり、また、この面においては同号イの損害の発生として包摂・評価され得ない性質の事実であるといわなければならない。もとより、同号イにより包摂・評価される面については、見込まれる損害の額が前記軽微基準を上回ると認められないため結局同号イの該当性が認められないこともあり、その場合には、この面につき更に同項四号の該当性を問題にすることは許されないというべきである。しかしながら、前記のとおり、右副作用症例の発生は、同項二号イの損害の発生として包摂・評価される面とは異なる別の重要な面を有している事実であるということができ、他方、同項一号から三号までの各規定が掲げるその他の業務等に関する重要事実のいずれにも該当しないのであるから、結局これについて同項四号の該当性を問題にすることができるといわなければならない。このように、右副作用症例の発生は、同項二号イの損害の発生に当たる面を有するとしても、そのために同項四号に該当する余地がなくなるものではないのであるから、これが同号所定の業務等に関する重要事実に当たるとして公訴が提起されている本件の場合、同項二号イの損害の発生としては評価されない面のあることを裏付ける前記諸事情の存在を認めた第一審としては、同項四号の該当性の判断に先立って同項二号イの該当性について審理判断しなければならないものではないというべきである。
そうすると、原審としては、以上のような諸事情に関する第一審判決の認定の当否について審理を遂げて、本件副作用症例の発生が同項四号所定の業務等に関する重要事実に該当するか否かにつき判断すべきであったといわなければならない。したがって、これと異なり、本件副作用症例の発生が同項二号イ所定の損害の発生に該当する余地がある以上同項四号所定の右重要事実には当たらないとの見解の下に、前記のように判断して、第一審判決を破棄した原判決には、同号の解釈適用を誤った違法があり、この違法が判決に影響することは明らかであって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。よって、弁護人らの上告趣意に対する判断を省略して、刑訴法四一一条一号、四一三条本文により原判決を破棄し、本件を原裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文 裁判官 金谷利廣)